2006-12-31

キリストの苦しみにあずかる

今日も、穏やかな日でした。
今、夜の9時ですが、
5度くらいあります。
でも今夜は雨。
新しい年のスタートは雨になりそうです。

今年の1月の分を読み返してみると、
去年の大晦日は雪が降って、
暖かい1月だったようですが、
それでも、何回か雪が降ったりしたようです。

この12月はほんとうに暖かかったです。
そして、この暖かさが1月も続くようです。

助かります。

でも、やっぱりちょっと寂しいところもあります。
冬は冬らしくないと・・・。

1年を振り返ってどんなことがあったかなあ、と思い出していました。
一つ一つの出会いにほんとうに心から感謝。
1月にはまだ出会っていなかった人たちの中からも洗礼を受ける方が起されたり、
もう出会っていたけれども、まだ信仰をもっていなかったけれども、
今はバリバリのクリスチャンの方もあり。

ほんとうに不思議だなあ、と思います。

そして、とてもうれしかったのは、
3人の子ども達が、今回のバケーションの行き帰りの車の中で、
3人並んで座って、じゃれ合っていたこと。

今まで、一人っ子を3人育てているような気分でいました。
ケンカにもならないのですが、
あまり兄弟で遊んだりしている光景もありませんでした。

15歳の男、12歳の女、5歳の女で、みんな見てる方向が違ったんですね。
それでしょうがないと思っていました。

でも、長男が成長したのか、
はたまた、下の2人が成長したのか、
今回は3人がケラケラ笑い合っているのを見て、
とてもうれしかったです。
これはほんとうに感謝。

個人的に自分のことで、ちょっと心配しているのは、
short memoryがひどくなっていることかな。
牧師としてはかなりまずいよな、ってくらい忘れていることがあります。

時には言われて「ああ、そうだった・・・」という時もあるのですが、
時には言われても「え、そうだったっけ?」みたいな時もあります。

脳の中のどこかの引き出しに入っているんだけど・・・
ということもあれば、
え、そんなのあったっけ?ということもあります。

自覚症状がない方がいいのか、ある方がいいのか、
分りませんが、とにかく心配しながら、
受け入れることも必要か、と思いはじめています。

やっぱりもっとメモをとることが大切ですよね。
高校生の頃の記憶力を今でも持っているつもりでいることが大体間違いなのかな?

さて、
今年最後の聖書。

今日はピリピ人への手紙3章を読みました。

「キリストの苦しみにあずかることも知って・・・」10節の言葉です。
苦しむことはあんまり好きではありません、
というか、嫌いです。
苦しいことからは逃げたいし、
目を背けてしまいたいところもあります。

でも、苦しむことも私たちには必要なのだと聖書は繰り返し繰り返し語っているのです。

キリストの復活の力を知るためには
キリストの苦しみをも感じることが必要だと
聖書は語っているのです。

だから、苦しみがやってくる時に、
それによって、
神様が私たちに復活の力を教えてくださるのだろうと思います。

その時にはそんなことを考えている余裕はないのですが・・・。

主よ、
心から感謝します。
一年間を感謝します。
これから歩んでいく道の中で、
想像できないような苦しみに出会うかもしれません。
そんな時、御言葉によって養ってください。
御言葉によって導いてください。

キリストの苦しみをあずかることによって
キリストの復活の力をも知ることができますように。

2006-12-30

自分のことばかりではなく

無事、今日、帰NJ致しました。
帰りは現地を金曜日の夜7時半に出発して、
また交代で運転/仮眠をしながら、今日の午後2時半頃到着。

最短で15時間、という話を聞いたので、
どうかなあ、と思ったのですが、行きより1時間長い19時間でした。

バージニアで濃霧でちょっと時間がかかり、
またNJに入ってからは渋滞で1時間よけいにかかってしまいました。

でも、まあまあかな。

帰ってきたNJはまた穏やかなこと。
助かります。
雪景色を見る前に新年です。
そして、2週間ほど先まで見ても、
雪はなさそうです。

明日は大晦日+最後の日曜日です。

教会の礼拝で一年が終わるなんて、なんてすばらしいことでしょうか!


で、今日の聖書。
今日はピリピ人への手紙2章です。

「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」4節
「だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。」21節

自分のことで精一杯になることがある。
人の顔色が気になる時も、
それは人のことを気にしているのではなく、
結局のところ、自分のことを気にしている。
「『自分は』この人の気分を害していないだろうか?」と。

自分のことではなく、
人のことを考えられる者に、

自分のことではなく、
キリストのことを求められる者に、

ならせて頂きたいと思いました。

それほど深く、
神の愛の中に生きて、
それほど深く愛されている喜びにあふれて、
そのあふれた喜びによって、

人を愛し、
キリストを求めていく者でありたいと思います。

主よ、
愛することを教えてください。
愛することを学ばせてください。
あなたに愛されている喜びに満たし、
人を愛することができる者としてください。

2006-12-29

1週間の御言葉

昨日、元旦礼拝の説教の原稿をお送りしましたので、
今日は早く目が覚めて、時間がありますので、
毎日語られてきた聖書の言葉を、
アップします。

22日(金) 
「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。」ガラテヤ6:14

23日(土)
「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」エペソ1:23

24日(日)
「敵意は十字架によって葬り去られました。」エペソ2:16

25日(月)
「どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。」エペソ3:16

26日(火)
「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」エペソ4:32

27日(水)
「明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。」エペソ5:13

28日(木)
「奴隷たちよ。あなたがたは、キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。」エペソ6:5

ここはフレッシュなのでコメントを入れておきましょう。
自分は「奴隷」という身分ではありませんが、
教会に仕える者として、
自分自身の仕える姿勢を主に問われたような思いがしています。
「キリストに従うように」「恐れおののいて」教会に仕えているだろうか?
自分の思い、自分のわがままに支配されていないだろうか?
日々に自分に問いつつ、いつも主の御旨を問いながら、
歩んでいくことの大切さを思わされました。

29日(金)
「つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。」ピリピ1:18

そして、これは今日、今しがた読んだ言葉です。
どんな理由であれ、「キリストが宣べ伝えられている」ということに感謝しているパウロ。
党派心や見栄でキリストを伝える人がいたことは決して「うれしい」ことではなく、
「痛み」であったと思います。
でも、とにかくキリストが伝えられていることが彼にとって喜びだった。
私もそこに目を向けたいと思います。
問題点に目を向けたらいくらでもそれが気になるでしょう。
「しみもきずもない」者へと主は私たちを造りかえる約束をしておられるのですから、
それを目指して、それを求めていくべきでしょう。
でも、どのようなことでも、主が伝えられていく、
そのことに目を留めて、感謝して伝道していく者でありたいと思います。

主よ、
新しい年、
私自身、あなたに整えて頂きたいと思います。
また教会を、そこに集うお一人一人をあなたのきよさに
お招き頂きたいと思います。
そして、何よりも、イエスの御名をもっともっと
大胆に伝えていく者たちとして下さい。

2006-12-25

メリークリスマス

昨日のクリスマスの礼拝・キャンドルライトサービスはたくさんの方々がおいで下さって、
礼拝堂はいっぱいでした。
お名前が分っているだけ、中高生以上だけで119名。
子供も最後まで出席していましたし、
お名前の分らなかった方々を含むと150人前後だったでしょうか。
細かい人数にこだわるつもりはありませんし、
どのようにお一人一人の心に映ったかは、
これから分ってくることかとは思いますが、
たくさんの方々とキリストの降誕をお祝いできたことは先ず感謝したいことです。

そして、プライベートなことですが、
昨日の夜9時出発で、
南の方に車で走って、
今日の午後3時頃、無事目的地に着きました。

「途中でめげたら、それはそれでいいから・・・」なんて話していたのですが、
途中で泊まることもなく、交代で仮眠をとりながら、意外と楽に来れました。
最後の最後、大雨で前の車が見えないくらいだったり、
最後の最後、めちゃくちゃ眠くなったりしましたが、
無事につけたことは、神様に感謝!です。

現地の知り合いの方々に歓迎され、
最初の夜がスタートしました。

あと、ただただ、ゆっくり過ごしたいと思います。
元旦の礼拝の説教がまだ出来ていないことが心に引っかかっていますが・・・。

早く目が覚めた朝に集中して祈って準備する時が与えられることでしょう。

一日一章はまたしてもお休みです。
こちらはたぶん、帰宅してから、「一気にアップ」でしょう。
悪しからず。

2006-12-24

いよいよクリスマス

昨日は更新できませんでした。
ユースのクリスマス会があって、
結構たくさん、夜まで楽しんでおりました。
「わんこそば」って、
何が楽しくて、あんなにせわしなく食べなきゃいけないの?
ゆっくり食べた方が楽しくていおいしいのに・・・。

といいながら、
熱くなって一生懸命食べていました。
楽しかったです。

で、今日は午後1時半からキャンドルライトサービスです。
たくさんの方々とご一緒にクリスマスをお祝いできますように。

また、明日から1週間の休暇に入ります。
優先順位のトップに家族との時間が入りますので、
更新できない・・・かもです。

2006-12-22

12月ですが、雨の夜です

今年はほんとうに雪が降りませんね。
今夜も雨です。
ちょっと寒くはありますが、
でも、雪が降るような寒さではありません。

助かります。
でも、ちょっと物足りなくもあります。

今日、やはりアメリカは交渉が大切、
泣き寝入りはダメ!と感じることがありました。

子ども達が使っている携帯、娘の方はほとんど使わないくせに、
何だか間違って何かお金がかかることを申し込んでしまったみたいで、
先月から10ドルずつ請求が来ていた。
それを「返してくれ!」と電話をした。
そしたら、「お嬢さんに注意するように言っておいてね」とは言われたけれども、
2ヶ月分、約20ドル、返してもらえた。
自分的には「こっちのミスだから、これから先はキャンセルするとして、
ここまでの分はやっぱ返って来ないんだろうなあ」
と思っておりました。

でも、面倒がらずに言わなきゃダメですね。

そう、昨日は夏に買った150ドルくらいのものについて、
30ドルのmail in rebate(値引き返金)の申し込みをしていたのに、
「認められません」と返事が来たので、
「どうして?」と電話したら、「こちらのミスでした・・・」だって。

まあ、これも泣き寝入りをしないでよかった。

簡単に引き下がったり、
まあ、これくらい面倒だ、なんて言っていないで、
交渉しなきゃダメですね。

さあ、明日はアドベントの朝の祈り会の最終日。
早く寝て、「ぐっすり眠ると、すっきり目覚める」朝を迎えたいと思います。

さて、昨日木曜日の聖書。
昨日はガラテヤ人への手紙5章を読みました。

「 わずかのパン種が、こねた粉の全体を発酵させるのです。」9節の言葉です。

これは教会の中に入ってくる、不純なものについて警戒するようにとのパウロの言葉です。
ほんとうに小さなもの、
最初は「これくらい・・・」と思うようなものであっても、
それがいつの間にか大きくなって、全体に影響を及ぼしていく。

ユダヤ人の方は今でも過ぎ越の祭りの時には、家の中にパン種が全然ないようにと、
家中を徹底的に掃除するそうですね。

私たちは物理的にパン種があるかどうかは全く問題にしないわけですが、
それくらい厳しく、それくらい敏感に、それくらい注意深く、
それくらいspiritualなことに心を止めていくことの大切さを思わされました。

小さなことでも、見逃さない、
その様な霊的な敏感さを与えて頂きたいと思いました。

主よ、
どうか、あなたの愛してやまない教会をお守り下さい。
最初はそんなに気にならない問題であっても、
それが後では大きくなっていることがあります。
そんなことをしっかり見抜く目を与えて下さい。
きりきりするのではなく、
ほんとうにあなたを信頼する中に、
敏感な感性を与えて下さい。


2006-12-21

神の子の特権

昨日の夜もあれから温度は下がらなかったようです。
そして、今夜も夜の12時前でやっぱり0度。
今夜もこれ以上あまり下がらないと思います。

ほんとうに過ごしやすい冬です。

昨日はデンバーでは大雪だったようですが、
今年は今のところ、低気圧の通り道が西の方なので、
こちら側は「暖かい南風」が入ることが多くて、
雪はまだちらほら舞っただけです。

今日で今年のJOYJOYキッズクラブは終わりました。
全部で150人くらいの子ども達との出会いがありました。
そして、今年のクリスマスにはそこからもたくさんの仲間が来てくれました。
その「つながり」みたいなものがとてもうれしいです。

でもまだまだ、この地域に住む子ども達の数からするとほんの一部です。

もっともっといいプログラムをして、
たくさんの仲間が自分の集まりとして
楽しみにしてくれることを願います。

それからもっともっとスタッフが与えられて、
多くの場所で出来たらいいなと思います。

さて、
一日遅れの一日一章が続いていますが、
どうしても更新が遅いと一章分で精一杯です。
今日は今日で今日の所を読んでいるのですが、
なかなか更新が追いつきません。

で、昨日、水曜日の聖書はガラテヤ人への手紙4章でした。

「あなたがたは子であるゆえに、神は『アバ、父』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。」6節の言葉です。

私たちは神様のことを、
「おとうさま」「おとうさん」「おとうちゃん」「とうちゃん」と呼べる者とされたのです。
ほんとうはそんなことを言うことなんて考えられなかったのに、
それが言えるような者へとして下さったのです。

そんなに簡単なことではないのです。
神様の大きな犠牲と愛があったのです。

そして、不思議と呼べるようにして下さる。
安心して信頼できるようにして下さるのです。

安心して泣くことが出来て、
安心してぶつかることが出来て、
安心してその腕に抱かれることが出来る。

自分はその様にしているだろうか。
自分は神様の胸に安らいでいるだろうか。

主よ、
あなたの胸に安らぐことが出来ること、
あなたに受け入れられていることに感謝します。
どうか、あなたから与えられる力で、
あなたへの信頼を胸に、
冒険をすることができる者となれますように。
あなたにもっと素直に、もっと近く、もっといつも、
語って、聞くことのできる者とならせてください。

2006-12-20

キリストがのろわれてくださった

今朝はまたちょっと冷えて-2.3度。
今晩も今のところ0度ですが、どこまで冷えるでしょうか?
あんまり冷えない予想が出ていますが・・・。

さて、
今度の日曜日はクリスマスイブ。
いつもはクリスマスイブは夜6時とか、6時半とかにキャンドルライトサービスをするのですが、
今年は日曜日とぶつかったので、いつもの礼拝の時間に、
キャンドルライトサービスをしてしまおうということに・・・。
午後1時半からです。
ちょっと真っ暗というわけにならないので、雰囲気は出ないかもしれませんが、
NJ・NY地区在住の皆さん、是非、お出かけ下さい。

明日は今年最後のKids Club。
たくさんのみんなが集まることが出来ますように・・・。

昨日、火曜日の聖書。
ガラテヤ人への手紙3章を読みました。

心に留ったのが、
「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって・・・」という13節の言葉です。

「キリストが私たちの罪のために十字架に死なれた」とは、よく言われますが、
「のろわれた者となった」という表現は余りなくて、
どきっとします。
でも、ほんとうにそれほど深刻な、それほど深い、
それほど大きなことだったんだと思います。

主が呪われて下さった。

それによって、自分が呪われないで済む。
ほんとうにそれを甘んじて受けられた、
いや、自分から進んで受けられたイエスの熱い思いを思わされます。
そんな熱い愛で愛されていることに感謝と喜びを感じます。
そこまでして頂いたことが、うれしいとと共にかたじけないと思います。

この愛されていることの大きさ、喜びをいつもいつも心に感じていたいと思います。
また、自分の罪の深刻さを忘れないでいたいと思います。

主よ、
感謝します。
あなたの愛に感謝します。
あなたの情熱に感謝します。
いつも喜びを与え続けて下さい。
いつも感謝を忘れないように、思い出させて下さい。
罪の深刻さを忘れることがないように、示し続けて下さい。

あなたに感謝します。

2006-12-19

恵みを感謝して

ということで、Brooklyn Tabernacleのクリスマスプログラムに行ってきました。
15分前くらいに会場に入ったのですが、もう2階席、3階席までいっぱいでした。
4000人入るみたいですが、いっぱいでした。

内容は・・・2回目で、たぶん、前回は2年前だと思うのですが、
ずいぶん、エンターテインメント的な要素が強くなったなあ、と思いました。
みんなを楽しませようという方向性に行っているように感じました。

中高生の息子と娘はげらげら笑いながら見ていましたが、
私は英語の問題、文化の問題で、笑いきれなかったので、
その部分がちょっと長かったように感じました。

Brooklyn Tabernacleは、
祈りと御言葉と神への賛美でぐんぐん押してくる、という感じだったので、
ちょっとその点では物足りなく感じましたが、
新しい方々へのメッセージを考えるとああゆうアプローチになるんでしょう。

実際JCCNJも似た様なアプローチじゃん(ってレベルは違いますが)、
と言われそうですが、
私にとってのBTの魅力は、そういう「人を楽しませよう」みたいなこととはまた違った
spiritualな深さだと思ってきたので、これから、そっちの路線に行ってしまうのは、
残念なような気がしています。・・・って勝手なこと言っていますが・・・。

それでも、現代の街角の場面で、ダンスが始まった時には、
ああ、これがこのNYの文化なんだよなあ、と思いました。
今まで、この地に教会がありながら、このようなものが用いられてこなかったことの方がおかしい、
この教会も今次のステップに行こうとしているんだ、と楽しみにもなりました。

今日は8度止まり。
そして、今夜は真夜中12時で0度くらい。
明日の朝は-2度くらい。

でも、この「涼しさ」も明日までで、
木曜日はまた暖かくなるようですね。

年内は雪もないんじゃないかと思います。
助かるような、寂しいような。

で、月曜日の聖書。
昨日、月曜日はガラテヤ人への手紙2章でした。

「私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」21節の言葉です。

この章というか、この手紙は、よい行いをすることによって、私たちが神様の前に正しい者と言われるわけではない、信仰によって、キリストの十字架によって、私たちは初めて神の前に正しい者と言って頂けるのだ、ということが書かれています。

そのことが、ここでも、「私は神の恵みを無にしません」という言葉で表されています。
もしも、「一生懸命よい行いをすれば救われる」のであれば、イエスは十字架にかかる必要がなかったのだ、というのです。

そう、ほんとうに、そう思います。
自分ががんばって何とか、神に喜ばれる歩みをすることが出来るなら、
神の前に正しい者だと言えるなら、
神の恵みは必要なかった、
キリストの十字架は必要なかったのです。

自分の罪深さが分った時に、
神の愛が分った、
その時のことを思い出しました。

主によって生かされていることを心から感謝します。

神様、
あなたの愛に感謝します。
あなたの愛に感謝して、
その喜びに支配されて、
歩む者としてください。




Brooklyn Tabernacleのクリスマス最終日

あ、書くの忘れましたが、
火曜日19日はBrooklyn Tabernacleのクリスマスプログラムの最終日。
いってきます。

「一日一章」追いつくのは明日以降ということで・・・。

2006-12-18

目を留めておられる神

今日も暖かかったですが、
これもおしまい。
今は夜の11時ですが、6度くらい。
明日の朝は0度くらいまで下がるでしょう。
昼間も10度以下。
ちょっと東京の冬かな、って感じですね。

今日はさっそく聖書。
でも、一日遅れなので、昨日の箇所。
昨日はガラテヤ人への手紙1章を読みました。

心に留ったのは、
「生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方」という15節の言葉です。

そうなんだなあ、と思いました。
わたしも神様に目を留めて頂いて、
恵みをもって召してくださったのだと。
自分が気がつかなかった、
自分が気がつくはずがなかった頃から、
神様はわたしに目を留めてくださっている。
そして、使命を与え、その使命のために一つ一つの備えを与えて下さっていたのだと。

今の子ども達にも、若者達にも、
主はひとりひとりにぴったりの使命を与えて下さっている。
ぴったりの使命のために必要な準備を与えて下さっている。

時にはきつい経験をするかもしれない。
悲しい経験をするかもしれない。
でも、それも主が私たちひとりひとりに与えて下さっている
使命のための準備なのだ。

主よ、
どうかあなたの与えて下さっている使命のために、
わたしを整えて下さい。
わたしの内なる人を強くし、
あなたの与えて下さっている使命を全うすることのできる者としてください。

2006-12-17

自分を吟味する

今朝は寒く感じました。
久しぶりの氷点下。
-1.5度でした。

でも、今日は予報通り暖かくなって、
今日曜日のちょうど真夜中ですが、
まだ8度もあります。

でも、この暖かさも明日まで。
その後は、「めちゃくちゃ寒い」ということはないようですが、
まあ、普通に冷え込みそうです。

今日は洗礼式でした!
8歳の女の子が洗礼を受けました。
わたしが洗礼を授けた方の中では最年少です。
ほんとうに喜びでした。
教会のみんなが泣いていました。
本人もお祈りしながら、
またお祈りし終わった後も、
わんわん泣いていましたが・・・。
主にあって喜びの涙を経験できるのはすばらしいですね。

これからの歩みのためにお祈りしています。

さて、土曜日の聖書。
土曜日はコリント第2の手紙13章でした。

「 あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。」
5節の言葉が心に留りました。

余り「自分を吟味する」ということが好きな人間ではありません。
それによって、がんじがらめになったことがあるからです。
そして、神様によってそこから解放された経験があるからです。

あんまり「自分は大丈夫だろうか」ということを考えることよりも、
「神様はすばらしい」と言っていたい方です。

でも、そんなところも卒業できたのかもしれません。
「自分自身をためし、吟味しなさい」という言葉を、
素直にそうだなあと受け入れることが出来ました。

自分を吟味する・・・。
そして、自分のほんとうの姿を見せて頂く、
そんなところにすすんでいくところに、やっと来たのかもしれません。
自分を守らなくてもいい。
自己弁護しなくてもいい。

自分を吟味して、悔い改めるべきところ、
気がつかされた時には、
神様の前にひれ伏して、
赦して頂き、いやして頂き、
力を頂いて立ち上がる、
そんな歩みを続けていきたいと思います。

主よ、
どうかわたしを支えて下さい。
今まで、「自己吟味」にアレルギーがあったように思います。
どうか、これからの歩みの中で、自分を吟味する勇気を与えて下さい。
そして、ありのまま、悔い改めて、あなたに力を頂いて、
歩んでいく者としてくださいますように。

一日遅れの「一日一章」ですね。明日には追いつけますように。

神の力におおわれる

あー、また日付が変わってしまいました。
でも、明日の朝は教会での祈り会がないので、
ちょっと気持ち的にゆとり・・・。

で、2日分溜めないで、今夜のうちにアップしておきます。

で、土曜日の天気。
ちょっと冷えますねえ。
ずっと暖かかったので、やたら寒く感じます。
今、夜の12時過ぎ・・・。
で気温が0.3度。
ほぼ1週間ぶりの氷点下に下がりそうです。

でも、明日、あさってと暖かくなるみたいです。
そして、火曜日からは「現実に戻る」んだそうです。
(じゃあ、今は何だ?)

で、今ずっとクリスマス以降の天気をにらみ続けています。
久しぶりの1週間丸まるバケーションなので、
「とにかく雪はやめてよね」モードです。
いつもはsnow loverなのですが、こんな時はモードが変わります。
結構身勝手。
それで、天気はどうかというと、
ちょっと雪の可能性がある日がいくつか・・・。
まあ、まだ1週間以上先のことですから、どうなるか分かりませんが。

で、金曜日の聖書。
金曜日はコリント人への第2の手紙の12章を読みました。
よく読むところです。

その中で心に留った言葉は、
「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」
という9節の言葉です。

「キリストの力がわたしをおおう」。
いい言葉ですね。

自分が弱さを覚える時に、
そこを神様の力がおおって下さる。
恩師がよく言っておられたことを思い出します。

「穴の開いたバケツで水はくめない。でも、穴の開いたバケツの中を水でいっぱいにすることは出来る。バケツを水の中につければいいんだ」

そう、穴が開いているからこそ、水は中に入ってくる。
弱さが用いられるのだ。

神様の愛の中にどっぷりとつかって歩めること、
それに換えられる幸せはない。

主よ、
自分の弱さゆえに神様の愛の中で歩めることに感謝します。
あなたの愛に、あなたの力におおわれていることを心から感謝します。
あなたに愛されていること、
あなたと共に歩めることをもっともっといっぱいに感じて、
日々の生活を送れるように守って下さい。

もう眠いのでもう一日分はまた明日。





2006-12-15

今日はまたお休み

今日は先ほどまで集会があったので、
もう休みます。
また明日の朝は、午前中までに日曜日の説教の仕上げをしなければいけないので、
たぶん、午後または夜の更新になります。

では、また明日。

2006-12-14

キリストのしもべ

今日も予告通り、暖かい日になりました。
明日も暖かいです。

このままずっといって欲しいと思いますが、
さすがに20日過ぎくらいから、ちゃんと冬になるみたいです。
先週のように-8度Cまで下がるかどうかは別として、
朝晩は氷点下くらいにはなるみたいですね。

今日のキッズクラブはまたたくさんの仲間が来てくれました。
楽しい一時を持ちました。
定着したメンバーも結構いて、いいですね。
「クラブ」って名前をつけたのにも、
そんな気持ちを表しました。
「いつもの仲間が集まる」みたいな。
もちろん、新しい仲間がどんどん増えるのを楽しみにしていますが、
いつものメンバーが「行っても行かなくてもいいや」じゃなくて、
「絶対毎月行く!」と思うような集会をやっていきたいと思っています。

サンタクロースのこと、ちょっと考えるところがあると昨日書きましたが、
Operation Santaに興味をもったのは、
長男が小さい時に、自分は、
「サンタさんはね。お父さんやお母さんがプレゼントを買えないお友達のところに来るんだよ。うちはお父さんやお母さんが買って上げられるから、来ないんだ」と話していたからです。

なんで、そんな説明をしていたかというと、
自分が子供の頃、サンタさんが来る、という経験がなかったので、
自分の子供に、自分が買ったプレゼントを「サンタさんからだよ」と言うことに、
なんかしっくり来ないものを感じていたからです。

子供がどのように受け取るか、想像が出来なかったので、
ちょっと恐れがあったというのが本当のところでしょう。

自分に、「懐かしい、暖かい思い出」として、サンタさんからのプレゼントを待ちわびた、
という経験があれば、「自分の子供にも味わって欲しいなあ」と思うでしょうし、
何歳くらいで、「もう、来なくなっちゃったね」と言ったらいいのか、見当がついたと思います。

でも、そんな経験はなかったので、
最初に書いたように説明して、「うちはお父さん、お母さんが買ってあげるからね」
と、お父さんお母さんからの・・・ということをはっきりさせてプレゼントをしていました。

まあ、問題は息子にいろいろ友達が出来て、
友達の家に遊びに行くようになって、
いろんなおもちゃをたくさん持っている友達から、
「サンタさんにこれもらったんだ!」という話を聞くようになって、
話のつじつまが合わなくなってしまったことでした・・・。

で、後からの言い訳になりますが、サンタクロースのモデルになった、
3-4世紀に今のトルコにいた聖ニコラスが貧しい子ども達に施しを与えた、
という逸話に照らし合わせても、自分の説明はあながち間違っていたわけでもないと思っています。

でも、現実の社会では、
やっぱり、私が息子に言ったこととは反対に、
「経済的に余裕のある家の方にサンタさんが来て、貧しい子には来ない」
という、とんでもない矛盾があるように思うんです。
そう、そうすると、私は「嘘つき」になってしまうのです。

だから、私も自分がサンタさんになれないかと思ったのです。
決して特別豊かではないけれども、
何にも子供に買ってあげられないなんてことはない、
そんな家庭を営んでいる者のひとりとして、
自分の子供のためにではなくて、
何かの事情があって、お父さん、お母さんからプレゼントを
受け取ることが出来ないような子ども達のために、サンタさんになれないかと思ったのです。

そして、おもちゃのあふれている今の子ども達にも知って欲しいのです。

「受けるよりも、与える方が幸いである」というイエスの言葉を。

さて、ちょっと長くなりましたが、ここら辺で今日の聖書。
今日はコリント人への第2の手紙の11章を読みました。

その中のパウロの熱い言葉が心に留りました。
「だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。」29節。

これはまたすごい言葉だと思いました。
パウロは「自分はキリストのしもべだ」と言い切って、
その中で、「自分はこんなことを経験してきた」と書く中で、
このように語っています。

キリストのしもべは、イエスさまが感じられたように、
人々の痛みを、自分の痛みとする、
人がつまずく時に、自分自身が痛みを覚える、
誰かが信仰的に弱くなった時に、
自分自身の内に弱さを感じないではいられない。

自分はキリストのしもべだろうかと思いました。
愛の足りない者だと思いました。
自分はこのパウロのように、

「彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。」23節

と言えるだろうか?
その様に思いました。

主よ、
パウロの言葉に圧倒されました。
私もあなたのしもべです。
人の痛みを感じる敏感さを与えて下さい。
人が弱さを覚えておられる時に、
そのことを聞かなくても、感じ取れるほどの感性を与えて下さい。
その様な人に対する愛を与えて下さい。

2006-12-13

神の標準

なんだか、笑ってしまうほど暖かいですね。
今日は雨でしたが、なんか暖かな雨でした。
明日も、気温が何度かなんてどうでもいいほどの、
「あたたかい」日でしょう。

今夜も「暖かい」夜です。
単に温度計見に行くのが面倒なだけなのですが・・・
それほど投げやりになるほど、暖かいです。

皆さんのお祈りに感謝します。
無事、英語→日本語の通訳の仕事を終えて、
かえってきました。

守られました。
ちょっと聞き逃した言葉があって、よくわからなかったセンテンスが3つほどありましたが、
あとは、大丈夫でした、というか、とても、わかりやすい英語でした。
シンプルなメッセージでした。

ちょっと紹介すると、

聖霊はいろんなものにたとえられるけれども、
一つは水、一つは油、そして、何よりも火。

そして、その中で火のイメージが一番大切だといわれました。

1.火は表面に触れるだけではなく、その中に働いて造りかえてしまう。
たとえばピアノに水をかけても「濡れたピアノ」
油を注いでも、「あぶらまみれのピアノ」
で、内容的な変化はありません。
でも、ピアノに火をつけたら、ピアノがピアノでなくなってしまう。木の表面ではなくて、
内側をも変えていく。
聖霊様は私たちの内側をも変えていく

2.火は私たちの行く道を導く
暗闇の中で、火があれば、どのように進んでいったらいいか分かる。
それと同じように、火は、私たちを導く。
あなたは何かを決断する時に、神様の導きを求めているだろうか?

3. 火は燃え広がっていく
聖霊の働きはあなたから始まって、周りに広がっていく

そんなお話でした。
心燃やされる夜でした。

今日はNYDayだったのですが、
夕方ちょっと時間が出来たので、
以前からちょっと興味があった、
マンハッタンの中央郵便局のOperation Santa
のところに立ち寄りました。
でも、ちょうど4時半まで。
タッチの差で閉まってしまったところでした。
残念。

このプログラム、貧しい子ども達からのサンタさんへのお願いを、
かなえてあげようというプログラム。
テレビのニュースとかで見て、いつか参加したいなあ、と思ってきました。

「サンタ」のあり方、
子ども達にどのように伝えるか、についてはちょっと思うところもあり、
またいろんなことを考えていきたいと思っています。
また、ここでもそんなこと分ち合っていきたいと思っています。

でも、今日は、その郵便局に立ち寄れる唯一のチャンスだったかも・・・。

HPを見ると、
「近所の郵便局でも取り扱っているかもしれないから、聞いてみて」ということですので、
ちょっと聞いてみようかな。

で、今日の聖書。
今日はコリント第2の手紙10章を読みました。

今日は英語で紹介。

「 I beg you that when I come I may not have to be as bold as I expect to be toward some people who think that we live by the standards of this world.」2節の言葉です。

直訳すると、
「私は請います。私があなたがたのところに行く時に、私が今考えているほどの強さで接しなくても済むようにと。私たちが世間のスタンダードによって生きていると思っている人々に対して」
ということになります。

どういうことかというと、
「私たちが世間のスタンダードに従って歩んでいると勘違いしている人々に対して、こっちが強く出なければならないかと思うと気が重いなあ」ということですよね。

「世間のスタンダードに従って」という言葉が心に留ったのです。

パウロはもちろん、「私は世間のスタンダードに従って生きてはいないよ」と言っているわけです。

では何に従っていたかというと、やっぱり神の基準であり、神の導きに従っていたわけです。
自分の生きている基準はなんだろうかと思わされました。
自分は何を基準に歩んでいるだろうかと。

世間のスタンダード。
それに縛られていると、しんどいです。
傍若無人に生きようということではありません。

神様が与えて下さっているスタンダード。
それは世間のスタンダードよりも魅力的で、
世間のスタンダードよりも私たちを生かしてくれるもので、
世間のスタンダードよりも周りを生かしていくれるものです。

神様の基準、そして、神様の私への個人的な導き、
見せて頂きたいと思わされます。

主よ、
私は何を基準に生きているでしょうか?
世間のスタンダードは、ある時には楽に見えます。
でも、あなたのスタンダードを知りたいです。
そして、あなたが私のために特別に持っておられる計画を知りたいです。
どうか、あなたの喜ばれる道を歩む者としてください。
聖霊様、
あなたが私を燃やしてくださり、
教会を燃やしてください。

2006-12-12

与えられる

今朝は0度どころか、温度が上がって、5度もありました。
昼間もまあまあ、といったところでしょうか?
暖かくて助かります。
今夜は冷え込みませんが、雨が降り出すみたいです。

大した雨ではないようですが、
明日はNYに行く日なので、ちょっとイヤですねえ。

そう、今月から第2週と第4週の水曜日はNYです。
今月の第4週は休暇なので、今月は1回だけですが・・・。

今晩は久しぶりにBrooklyn Tabernacleの祈り会に行ってきました。
30分遅れて着いたので、ちょっと気持ち的に入り切れませんでしたが、
それでも、ほんとうに「祈ろう」と思わされます。

「私の家は祈りの家と唱えられるべきである」

ほんとうに教会が教会となるために、必要なのはそれだと思いました。

最近読んでいる本に、
「自分が整えられるために、自分の時間の50パーセントを用いなさい」ということが書かれていました。
自分はそれが出来ていないと思います。
もっと人の話を聞かなければ、もっと人のところに出ていかなければ、という気持ちに振り回されて、自分が整えられるために十分な時間を取っていないなあ、と思います。

でも整えられないで出ていっても、
出会った人に何をお渡しできるかと言ったら、何もないですよね。
逆に悪い影響を与えてしまうことだってあるでしょう。
だから、ほんとうに自分が整えられて、備えられていくこと、
大切なことだと思います。
それが一番時間を有効に使うことなんだろうと思えてきました。
ですから、今日、時を作って祈り会に行けたことはほんとうによかったなあと思います。

明日はその教会のJim Symbara牧師が、NJ初代教会という韓国教会でメッセージをされます。
英語から韓国語への通訳の方は講壇に上がって、先生の横で通訳されるようですが、
私が英語から日本語への通訳をすることになりました。
2階のブースに入って、ラジオでヘッドフォンをしている人に飛ばすヤツです。

お祈り下さり、応援して下さい。
横にいて、困った時に助けてくれる人も欲しいのですが・・・。
息子に聞いたら、「明日はバスケの試合を見に行く日だ」と振られてしまいました。
お祈り下さい。

今日の聖書。
今日はコリント人への第2の手紙9章を読みました。

「蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。」10-11節。

今日のところも献金のところ。
献金のことで恐れを覚えるとすると、
やはり「大丈夫なんだろうか」「食べていけるのだろうか」という心配でしょう。

きつきつでやっているのに、
ささげたら、やっていけない・・・
そう思うことがどれほどあるでしょうか?

でも、与えて下さる方、備えて下さる方、
その方がおられる、それを信頼したら、こわくなくなるのです。

大丈夫。
神様はひとりひとりに与えられたものの90パーセントで生活できるように、
与えて下さっているのです。
いや、実際のところ、もっと豊かに与えて下さっているのでしょう。

神様が必要なものは必ず与えて下さる、
と信じたら、楽になるものです。

今日の集会のテキストにありました。
「信頼と冒険は支え合って前に進んでいく」と。

「一歩信頼したら、一歩冒険できるようになる。
一歩冒険したら、もう一歩信頼できるようになる」

やっぱり冒険しないと分からないことありますよね。
主を信頼して、もう一歩冒険してみたいと思いました。

明日の通訳も「冒険」です。(^^;)

主よ、
あなたがすべての必要を満たして下さる方であることを信頼しています。
どうか、わたしがあなたをまた一歩信頼して、また一歩冒険できますように。
あなたと共に歩ませて下さい。
「必要を満たして下さらないじゃないか・・・」という思いに囚われておられる方がおられたら、
どうか、あなたが語ってくださいますように。触れてくださいますように。
感謝します。
明日、あなたが助けてください。

2006-12-11

参加する

今朝の最低気温!
-0.5度でした。やったね。「0度か-1度」と予想したのが、
ぴったり中間で当たるなんて。
でも、とにかく暖かく感じました。
一度寒いのを経験してしまうと、ほんと、0度くらい、何てことないです。

昼間も14度まで上がって、何だかいいですね。
今夜も今は10時半で3.7度。
明日の朝も0度くらいでしょう。
でも、昼間は今日ほど上がらないと思います。
「東風が入る」というパターンです。

今日はこの地区の日本語牧師のミーティングがありました。
場所は、家から30分の韓国教会。
そこで日本語での働きもしておられます。

その教会に行ったのは2回目ですが、すごい。
立派な建物です。
そして、機能的な建物です。
10年がかりのプロジェクトだったそうですが、
今度はいつか、ここまで来るのにどんな経緯があったのか、
どんな問題を乗り越えてきたのか、
どんな祝福を神様が与えて下さったのか、
教えて頂く時があればいいなあと思わされました。

さて、今日もあっさりと、聖書の話に行きます。

で、今日はコリント人への第2の手紙の8章を読みました。
献金のことについて書かれているところです。

「彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。」3-4節。

特に、この「聖徒たちを支える交わりの恵みにあずかりたい」という言葉、
すごくいい言葉だと思いました。
義務ではなくて、そこに参加する恵みを知っていること、
オプションなんだけど、絶対参加した方が得!ってことを知っていること、
すばらしいことだと思います。

私自身、そんな経験をいくつかしてきましたが、
ほんとうは結構まだまだ、そんなチャンスがたくさんあって、
何回もその恵みにあずかることをみすみす逃しているのではないかと思いました。

主の許で休むこと、
主の許で癒されること、
それが私たちの原点なんだと思います。
それが一番大切なことなんだと思います。
だから、それをスキップして、
「神様のためにこれをした、これも犠牲にした」と思うのは、
危険だと思います。
自分の手柄だと思ってしまうから。

でも、ほんとうに主によって赦され、癒された感謝で、
この「支える交わりの恵みにあずかる」ことは、
とっても幸いなことだと思います。
もっともっと、その様な経験をしていきたいと思います。
神様のご計画に参加することが出来るなんて、なんてすばらしいことかと思います。

主よ、
あなたの与えて下さった大きな大きな愛に感謝します。
私もあなたのご計画に参加させて下さい。
大きな大きなご計画の一部に入れて下さい。
それがきついことかもしれません。
でも、それを喜んで負っていく者とならせてください。


2006-12-10

悔い改めに至る悲しみ

今朝は1度くらい。
一度-8度を経験してしまうと、0度前後は「冷え込み」ではなくなりますね。
昼間も12度まで上がりました。
穏やかな一日でした。

今夜は今、夜の10過ぎで3.2度。まあ、0度か-1度に下がるでしょう。

車のフロントガラスに霜が降りるでしょうから、
6時に家を出て教会の早朝祈祷会に来られる方は、
外に出してある車には、ご注意。

今日は「JOYJOYクリスマス」・・・たくさんのお友達が来て下さいました。
ベビーは除いて、小学生以下の子ども達が60名余り。
中高生や大人、ベビーを加えると、うーんと、130人から150人くらいはおられたでしょうか?
いや、もっとかな、大盛況でした。

それで、今年は、何といっても、中高生の劇がすごくよかったです。
息子が脚本・監督で、娘も出演していたので、
ちょっと親バカの部分もあるんですが、
「これは、子ども達にも、大人にもいい」
「伝えたいメッセージ、これなんだよなあ」
「出演している中高生が心からそう思って演技しているからいい」
っていろんなことを感じていました。

特にその中心メッセージ、
「神様が私たちのために最高のクリスマスプレゼント・・・イエスさまを与えて下さった」
「それがうれしいから、私たちも愛を伝えていこう」
には深く共感しました。

もちろん、まだまだこれから成長していく余地のあるもの。
もっともっといいものを作っていって欲しいと思いました。

そこで、今日の聖書。
今日はコリント人への第2の手紙7章。

「あの手紙によってあなたがたを悲しませたけれども、私はそれを悔いていません。あの手紙がしばらくの間であったにしろあなたがたを悲しませたのを見て、悔いたけれども、今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。」8-9節。

これはパウロが前の手紙で、かなりきついことを書いたことに関して、
その反応を見て、彼がまた語っていることです。

パウロも、一時的には「あんなことを書いて、まずかったかなあ」と思ったということに、
ちょっと慰めを感じます。
私もそういう相手の反応で「まずかったかな」と思ってしまうことが多いからです。

でも、その後、コリントの人々は、「悔い改め」に導かれました。
その御業をも信頼することの大切さを思わされました。

このことを指摘しても関係が悪くなるだけで、
逆効果だろうなあ、と勝手に決めてしまって、
そのうち解決するだろうと、そのままにしてしまうこともあります。
でも、ほんとうにそれでよかったのだろうか?と思うこともあります。

でも、ほんとうにその方を信頼して、愛して、指摘する時も必要なのだろうと思います。
「神様の御心に沿うた悲しみ」を信頼していくことの大切さを感じます。
そのための愛と勇気を与えて欲しいと思います。
「愛と勇気」・・・アンパンマンの歌みたいですね。
でも、ほんとうにそれが必要だと思います。

主よ、
今日のJOYJOYクリスマスを守り、祝福してくださったことに感謝します。
どうか、子ども達、お父さん、お母さん達の心に、あなたの御言葉が留まりますように。
続けて教会に来る子ども達をもっともっと起してください。
私に「愛と勇気」を与えて下さい。
本気で教会を愛し、教会に集う方々を愛する者としてください。

2006-12-09

キリストの僕

今朝は-5度まで冷えましたが、
風も収まり、
昨日の朝の寒さを経験したら、
今日のは「楽勝」でした。

昼間は4度くらいまで上がりました。
明日はもっと暖かくなって10度くらいまで行くようです。

今年の冬は暖冬傾向は確かなようで、
少なくとも、この先2週間は暖かい日が続くようです。
スキー関係の方には申し訳ありませんが、
感謝感謝です。

今朝の祈り会は、
始まってからの最高の5名。
来週はもっともっと広がってくれるように、
ガンガン声をかけていこうと思います。
今週、木曜日から3日連続で来られた方が、
今日の夕方から1週間の出張に出られたので、
ホント、その分、多くの新しい参加者が起されるように祈っています。

で、今日も、聖書の御言葉。
今日はコリント人への第2の手紙の6章を読みました。

「 私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。」3-4節

この言葉を読んだ時に、
自分がどれだけの人々をつまずかせてきたか、
いろいろ思いめぐらされました。
ものすごい悔恨の思いを持ちながら、思い出します。
振り返ります。
イエスさまはすばらしいのに、
神様はすばらしいのに、
自分はその邪魔をどれだけしてきたことか。
そのすばらしさが伝わらないように妨げになったことがどれだけあったことかと。

そのことを思う時に、
「神のしもべ」という言葉が心に語られました。
神の僕として招かれている。
自分の願望や、自己実現や、そんなことを考えていたとは思わないのですが、
でも、いつの間にか、そのようなものが忍び込んできて、
神様の僕に徹し切れていないのでは・・・と思わされました。
「私のしもべになってくれるか?」と語られたように思いました。

徹底的に神の僕になりたいと思いました。
今日は土曜日の夜、
他のことには使わない、
時を聖別して、
神様のことだけ、
翌日の礼拝のことだけを思って、
祈って過ごす習慣を持とうと思っています。
備えて過ごす習慣を持とうと思っています。

主よ、
あなたのしもべとならせてください。
あなたの招きを感謝します。
自分がどう思われるか、
自分が何が出来るか、
自分の夢はどうなるのか、
そんなことではなくて、
あなたのすばらしさが人々に伝わる、
人々があなたを知って感動していく、
その様な場面に、私を出会わせてください。
あなたのしもべとならせてください。
徹底的にあなたのしもべとならせてください。
そのために必要な訓練、試練を、与えて下さい。

2006-12-08

キリストの愛に取り囲まれて

今朝は寒かったですねえ。
最低気温が-8.5度Cで、その上、風がありましたから・・・
ホント寒かったです。
昼間の最高気温も0度なんかに全然ならない-2.0度C止まり。
この冬初めての「真冬日」でした。

今も、夜の9時頃で-3.8度C。
明日の朝も、今朝並に冷えそうです。

明日の昼間から、寒さもゆるんで来るみたいです。

日本ほどじゃないとは思いますが、
アメリカでも、「今年はこれが流行り!」というのがあります。

今年のクリスマス、話題になっているのが、
「TMXエルモ」だそうです。
どれどれ・・・と捜しても、在庫はありません。
でも、はっきり言って、これはすごい。
こちらにデモビデオがありますから見て下さい。

ウチにもTickle me Elmoはありますが、
10年前に発売されたものらしいです。
ただ、笑いながら、からだを震わすだけです。
その単純さからすると、ものすごい進化です。

10年前も定価30ドルのものが、最高1500ドルで取引されたみたいですが、
今回も定価40ドルのものですが、2倍以上の値段で取引されています。

で、何でここで書こうかと思ったかというと、
「企業努力」にプチ感動したからです。
10年前と同じことをやっていてはいけない、
10年前を知っている人がびっくりするようなことを企業はやっているんだ、
教会はどうだろうかと。

別に奇をてらう必要もないですし、
古いものが悪いとは思いません。

でも、それくらいの情熱をもって、
人々に神様のことを伝えていこうという意気込みが必要だなあ、
と思いました。

で、今日も聖書を熱く!
今日読んだのはコリント人への第2の手紙の5章。
よく読むところです。

その中で今日心に届いたのが、
「キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。」
という14節の言葉です。

キリストの愛が私たちを取り囲んでいる。
最近、思わされています。
ちょうど星が昼間もそこにあるのに、
夜にならないと見えないように、
神様も、私たちが苦難や痛みの中を歩かないと、
なかなか、そこにおられるのに気がつかない。
でもまた、そういう時はなかなか目を上に上げて、星を見ようと思わない、
自分の問題、痛みばかりに目がいってしまう。

星は、私たちが見えていようと見えていまいと、
目を上げていようと、下をうつむいていようと、
いつでもそこで輝いている、いや、ものすごい高温で燃え続けているのに・・・。

神様も、私たちが気がつこうが気がつくまいが、
そこに確かにおられる。
そして、神様の方に目を向けていようが、向けていまいが、
そこにおられる。
いつもいつも熱い思いで私たちに語りかけ、私たちを愛し続けて下さっている。

私たちが気がつこうが気がつきまいが、
確かに私たちをキリストの愛が取り囲んでいる。

それに、気がつけたことに、心から感謝。

主よ、
どうか誰よりも熱い思いで、あなたのことを伝える者としてください。
一つのおもちゃの開発に情熱を傾ける人々に負けない情熱を私に与えて下さい。
私が気がついている時も、気がついていない時も、
あなたの愛が私を取り囲んでいることに感謝します。
いつもいつも、その愛を感じて歩んでいくことが出来ますように。

2006-12-07

イエスのいのち

いやあ、寒くなってきました。
今朝は5度もありましたし、
昼間は13度まで上がったのですが、
今、夜の11時ですが、-3.4度まで下がっています。
明日の朝には何度まで下がるのでしょうか?
夕方の6時頃には5度もありましたからこの5時間で8度も下がったことになります。
明日の朝まであと8時間。
-7度くらいまでは行くでしょう。

で、明日の昼間も0度くらいまで止まりで、
また明日の夜も冷え込みます。

お風邪などお召しになりませんように。

昨日の朝の祈り会の1人にうってかわって、
今朝は4人。
1人もいいし、
2人もまたいいのですが、
どんどん輪が広がっていって欲しいと思います。

今日のJOYJOYキッズクラブは20人くらいの子ども達が集まりました。
部屋の大きさからするとちょうどいいですが、
先月が多かったから、ちょっと寂しかったかな。
でも、楽しい一時でした。
スタッフのゆとりがあって、子ども達やお母さん達とも個人的にお話が出来て、
よかったです。

今度の日曜日はJOYJOYクリスマス。
こちらはたくさんの子ども達に集まって欲しいです。

楽しみ楽しみ。

で、今日の聖書。
今日はコリント人への第2の手紙4章を読みました。

今日も一つの言葉に絞るのは難しいのですが、
「私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。」11節の言葉。

そして、
「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」16節の言葉。

そして、
「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」18節の言葉。

自分のいのち、自分の力ではなくて、
イエスのいのちが自分の体の中に宿る。
自分の力、自分のがんばり、自分の能力、それらすべても神様が与えてくださったものでもあるのですが、それが通用すると思うと、神様を頼らない自分がいます。
祈らなくても大丈夫、
神様の力をもらわなくても大丈夫、
最後の最後にはお願いしますけどね、でも、大体のことは自分で出来ます・・・。
そんな歩みをしているように思います。

だから、それらが取り去られて、初めて、
「ああ、自分には神様の力が必要なんだ、神様の命が必要なんだ」と思うんですよね。
だから、自分の力ではどうしようもない、という時にこそ、
神様の恵みを頂くチャンス。深い深い恵みを知るチャンス。
神様の真実を知るチャンスなのです。

イエスの命が私のうちにあふれている、
その様に心から告白することが出来るまでに、
神様と共に歩んでいきたいと思いました。

主よ、
あなたのいのちを私のうちに満たして下さい。
どうか、あなたのいのちを満たして下さい。
私の力ではなく、
あなたの憐れみによって生かされていることを、
心の底から、そう感じることが出来るように。

2006-12-06

聖霊の働き

今朝は-6度まで下がりました。
もちろん、ダントツで、この冬最低。
でも、昼間は昨日とうってかわって、暖かくなりました。
最高は10.7度。2日間の寒さを考えると、とても楽でした。

そして、今夜は冷え込まないのですが、
明日の夜、明後日の夜と記録更新と行きそうですが、
またその後は、「今年の冬は楽だねえ・・・」という天気が続きそうです。

そう、今年の冬はきっと楽でしょう。

さて、
この間の日曜日からアドベントですね。
教会に来られた方にはお渡ししたのですが、
教会では、アドベントの期間中、
一緒に聖書を読んで、祈りながら過ごします。

そのテキストをアップロードしました。
こちらです。
是非ご覧下さい。
あ、右の方にもリンクを貼っておきますね。

それで、日曜日を除く毎朝6時半から祈り会を持っているのですが、
今朝は皆さんの都合が合わずに、ひとりで祈りました。

でも、それは神様が与えて下さった特別な時だと思いました。
今日の聖書箇所と関係があるので、それを交えながら・・・。

今日の聖書はコリント人への第2の手紙3章でした。
ずーっとびんびん来ていたのですが、
特に、
「主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(17-18節)の言葉が心に留りました。言葉が心に留ったと言うよりも、「聖霊の働きがどれくらい大切か」を語られたように感じました。

最近、自分の心が"how to"の方に向きすぎていたのだと思います。

どのように人々に自分の考えを伝えていったらいいか、
どのように人々の声に耳を傾けていったらいいか、
どのようにしたら、人々は教会に来るようになるか、
どうしたら教会の人々はやる気になって、喜んで主に仕えるようになるか、
どうしたら、ひとりひとりが主に用いられる器として整えられるか、

そんなことを考えながら来たように思います。

でも、本気で聖霊様の働きを期待して、祈ってきただろうかと思わされたのです。

そして、それが今、他の誰にでもなく、自分に必要なことを感じさせられたのです。
聖霊様の働きを祈りました。
いえ、もっと正確に言うと、
聖霊様の働きを感じながら、祈りに導かれました。
「この幸せな時を大切にしたい」と思いながら祈りました。
祈りの時がsweetなものだと、よく恩師は言われていましたが、
そのことをほんとうに感じました。

そして、今日は教会のオフィスにある教会のメンバーのボックス一つ一つに手を置いて祈りました。

ひとりひとりの具体的な必要を覚えて、
知っている限りのひとりひとりの抱えておられる問題をも覚えて、
お祈りしました。

やはり、自分はこのために生かされている。
教会の中心はやはりこれなのだと思わされました。

主よ、
あなたが共にいて下さることに感謝します。
私を祈りに招いて下さったことに感謝します。
忙しさの中で、あなたを見失うことがないように。
いつもいつもあなたと共に時間を過ごす喜びを経験し続けさせて下さい。
そして、それが教会の中にあふれますように。
その様な祈りの空気が教会の中に満ちますように。


明日の集会、そして、JOYJOYキッズクラブを祝福して下さい。

2006-12-05

キリストのかおり

今朝は-3.3度まで下がりました。
昼間も3度くらいまでしか上がらず、
午後6時にはもう氷点下です。
10時半には-3.1度です。
明日の朝は今朝の記録をあっさり更新か!

明日、あさっては日中はちょっと暖かくなるみたいです。
そして、金曜日はめちゃ寒くなるようです。
昼間でも氷点下みたいです。
そして小雪も舞うかも。

明日、ミツワの20%OFFですね。
NJではありませんが、他のところにあるミツワでの20%OFF必勝法が紹介されています。
まあ、みなさんもう、その様にされている方も多いとは思いますが。
今回はなぜか平日ですから、また難しいですよね。

今日の聖書はコリント人への第2の手紙の2章でした。
その中で心に留ったのは
「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。」という15節の言葉です。

「キリストのかおり」を放つ、というと、
私などは、清楚な、慎ましい、その様な姿を想像してしまうのですが、
最近思わされるのは、
「キリストのかおり」はキリストがそうであられたように、

痛みを覚えている方、
傷ついている方、
苦しんでいる方を惹きつけてやまない
「かおり」なのではないだろうかということです。

調子のよい時はいい、
でも、ほんとうにつらい時、
落ち込んだ時、
苦しんでいる時に、
行けなくなってしまう教会だったら、
それは「キリストのかおり」を放っている
ということは出来るだろうか?

「キリストのからだ」だということができるだろうか?

イエスさまのようになりたいと思います。
イエスさまのように、
その様な人々と共に歩む者となりたいと思います。
イエスさまのように、その様な方々が、
「こんな時だから教会に行かないではいられない」
と思えるような、思わないではいられないような、
そんなかおりを放つ者となりたいと思います。

主よ、
どうかあなたのかおりを放つ者としてください。
あなたが持っておられた雰囲気、空気を、
私にも与えて下さい。
あなたにもっともっと近くならせてください。
そのために必要なもの、
必要な経験、
あなたが私に与えて下さい。

2006-12-04

主を頼る

今朝の雪は1でした。
朝、6時過ぎに家を出る時には晴れていたので、
ああ、0かな。と思いましたが、
9時頃、ちらほらと降っていました。
ですから「かきごおりスケール」で今朝は1でした。

それで、今日はその後も気温が上がらず、昼間でも3度くらいまでしか行きませんでした。
そして、夜の10時現在、-2.1度C。あっさりこの冬最低を更新です。
たぶん-4度くらいは行くでしょう。

それから、「のりたま」の件ですが、
まず、
「のり」と「たまご」は入っていないとウソになるので、
さすがに入っているようです。
あと、「塩」も入っているのは想像できますよね。

さて、あとふりかけですから「ごま」が入っているのもまあ順当、と言うところで、

「砂糖」も入っていますね。
でも、「はちみつ」は入っていません。
「はちみつ」が入っているのは、「ヒデキ、カンゲキ!」の○ーモントカレーでしょう。

あ、話はそれますが、
○ウスの「印度カレー」好きだったんですが、
今も、売っているようですが、
あんまり見ません。
こっちのミツワでも、日本のヨーカドーでも見ませんねえ。
どうしてなんでしょうか?

話を戻しますが、
あと、「のりたま」には「鶏肉」も入っているんですねえ。
「親子ふりかけ」ですねえ。

ここまでで6コ。あと4つです。

あんこ、カカオ、抹茶、イースト
片栗粉、昆布、バナナ、アロエ、粉ミルク

の中から4つ。
さすがに「バナナ」は入っていません。
「アロエ」も入っていないんです。
「カカオ」も入っていませんねえ、おかしじゃないんだから・・・。

さて、

あんこ、抹茶、イースト
片栗粉、昆布、粉ミルク

この中で入っていないのが2つ。
入っているのが4つ。

「えー」ですよね。

かきごおり的に入っていそうなモノは、
昆布と抹茶かな。
あとはねえ・・・って感じですが、

正解は

「あんこ」「抹茶」「イースト」「粉ミルク」だそうです。

一番、え?と思うのは「あんこ」ですよねえ。
まあ、正確には「こしあん」なんですが、
ちゃんと袋に書いてあります。
「お菓子じゃないんだから・・・」と思いました。でも、
「のりたま」だけではなく、このメーカーのふりかけにはかなりの確率で、
「こしあん」が入っています。

ちゃんと丸美屋食品のFAQのページにも書かれています。
それに結構同じことを感じる人がいるみたいで、
電話で問い合わせた人もいるんですねえ。

でも、これ、ねらったんでしょうねえ。
単に「小豆粉末」って書いたっていいのだろうと思います。
でも、そこで敢えて「こしあん」と書いているんですから・・・。

甘いあんこが入っているかと思うじゃん。
「えー」って思うじゃん。
まんまとはまっているんだよねえ。自分。

でも、何のために入っているのか、
入っているのと入っていないのではどういう風に風味が違うのか、
ナゾです。



それはそうと、「アンパンマン」の中身って、「つぶあん」なんだってね。



ま、どうでもいいけど。


さあ、ここから本題の聖書です。
今日はコリント人への第2の手紙に進んで1章です。

「これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。」(9節)

パウロが自分の経験した苦しみをこのように理解しています。
その苦しみを通して、パウロが経験したのは、自分の力ではどうにもならない、
神様の力を頼るしかない、ということでした。
そして、その神様は「死者をもよみがえらせる神」なのです。
この神様を信頼することができるのです。

私たちは、他に頼ることができるものがあると、どうしても、
それを頼ってしまいます。
人を頼り、お金を頼り、健康を頼り、能力を頼り・・・。

でも、それらが取り去られる時に、
ああ、神様しか頼るモノがないんだということを知る時に、
初めて私たちは真剣に神を求めるのではないでしょうか?

本気で神様を頼る時が来ていると思います。
私個人もそうですし、
教会もそうです。

私たちは神様の力が現われる教会を作り上げていきたい、
いや、神様に作り上げて頂きたいと思います。

私たちの力ではなく、
私たちの知恵ではなく、
そういうものが無にされたところに働く神の力を見たいのです。

主よ、
あなたの御力を見せてください。
あなたの御業を拝させてください。
私は何を頼っているでしょうか?
あなたを頼る者としてください。
教会の中にもその様な空気が充満しますように。

2006-12-03

広い門が開かれている

今日の日曜日、
風邪でお休みの方々も多かったのですが、
それでも、今日もたくさんの方々と礼拝が守れて感謝しました。
今日来られなかった方々にも神様の慰めが届きますように。

明日から日曜日を除く毎日朝6時半から祈り会です。

ですから、出来るだけ11時には休んで、早く起きて、備えたいです。
「起きてすぐ出てきましたー」みたいな感じより、
早く起きて備えたいです。

で、明日の朝の雪ですが、
今朝のスケールで1にダウングレードします。
たぶん、降ってもちらほらでしょう。

子ども達はSnow Dayを期待していましたが、
あり得ません。
ちゃんと、学校あります。

そして、今のところ、しばらく雪の予報もありません。
まあ、突然、「あさって雪」とか言い出すのが、
この季節の予報の難しさを表しているのですが、
そんなもんです。

ここで、がらっと話題を変えますが、
丸美屋の「のりたま」知ってます?
次の中で入っているものは何でしょうか?
NJの教会には、食べたものの中に入っているモノを見事に当ててしまう、
元「○の素」の社員の方がおられますが、
皆さんはどうでしょうか?

砂糖、はちみつ、塩、ゴマ、あんこ、カカオ、抹茶、イースト
片栗粉、鶏肉、卵、昆布、海苔、バナナ、アロエ、粉ミルク

このうち10種類は入っています。

つまりウソが6つ。

答えは明日の夜。
ウチにある、またはミツワの近くに住んでいる、という方は調べてみて下さい。

さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙16章でした。

手紙の最後のパウロの挨拶ですが、
「働きのための広い門が私のために開かれており」という9節の言葉が心に留りました。
神様が私たちの働きのために広い門を開かれている、ということを、
今もこの地にあって歩んでいて、感じます。
それを感謝して受け取って、そこで働きをすることの幸いを感じます。
これも特別なことなのです。

あるところでは迫害もあります。
そしてそこでは、迫害の中で熱い思いを持って主に仕えておられる方々もおられるといいます。
でも、今、迫害もなく、「広い門が開かれている」ということも、またすばらしいことです。(パウロの場合はここに「反対者も多い」と続くのですが・・・)
その開かれた門の広さ、大きさを敏感に感じ取って、
そこに大胆に働いていくことの大切さを思わされます。

もっともっと、開かれている門の大きさにふさわしい働きをさせて頂きたいと思います。

神様、
あなたがこの地にあって、大きく働きのための門を開いていて下さることに心から感謝します。
どうか、その開かれた大きな門から大胆に入っていって、
福音を、あなたの愛を伝える者としてください。
どうか、もっともっと大きく門を開いてください。
それを活用する知恵と、力と、情熱と、働き人を与えて下さい。

今日からアドベント

昨日の夜は11時にメシ喰って、
12時過ぎには寝たので、お腹がめちゃもたれています。
やっぱダメだよねえ、そんなことしちゃ。もうオヤジなんだから。

と情けない話から入っておきながら、
急にシャキッとした話題になりますが、
今日から教会はアドベントに入ります。
アドベントはキリストの誕生を祝うクリスマスを待ち望み、
「私はもう一度来る」と約束されたイエスの「再臨」を待ち望む、
クリスマスまでの4回の日曜日。
今年は24日が日曜日なので、今日から4回の日曜日、
3週間続きます。

教会によっては一年を通して毎朝「早朝祈祷会」を持っています。
(韓国系の教会はアメリカでも朝5時半からやっているんだそうです・・・)
私たちの教会はここ数年、毎年このアドベントの時だけ6時半から、
早朝祈祷会をしています。
今年は5時半にしようかな・・・とちょっと思ったのですが、
やはり6時半にしました。
明日からです。
祈りは教会の原動力。
神様の前に出て一日を始めるとその一日は全く違う一日になります。
教会まで来れない方も、これを機会に朝6時半(もっと早い方も多いでしょうが)、
祈りの時としましょう。

で、お天気ですが、
金曜日は21度Cまで上がりました。
いやあ気持ち悪いくらいでした。
でも、昨日からは冬になって、
今朝はこの冬2番目の-0.9度Cまで下がりました。

明日の朝は、雪が舞っているでしょう。
大したことはありません。
早朝祈祷会に影響はありません。たぶん・・・。

で、昨日の聖書。
昨日はコリント人への第1の手紙の15章でした。
最後の言葉が心に留りました。

「あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」(58節)

どんな労苦も無駄になることはない。
何という慰めでしょうか?何という励ましでしょうか?
昨日の一日の働きも、
今日語られるメッセージも、
人目に触れることのない隠れた働きも、
決して無駄に終わることはない。

ちょっと疲れてしまった時に、
ちょっとした言葉に捕らわれて、
ちょっと襲ってくる不信仰、
それを吹き飛ばすのはやはり御言葉の力だなあと思いました。

決して無駄はない。
そう、私たちがここに生かされていること自体、
ここに人々との出会いが与えられていること自体、
神様にあっては意味のあることなのだ、と思います。
自分にはまだ見えてこないことも、意味があるんだと。

神様、
ありがとうございます。
あなたの守りと支えに感謝します。
御言葉による励ましに感謝します。
今日の一日のひとりひとりの働きを守り祝福して下さい。
あなたにとっては無駄なことは何もないということを、
信頼して歩ませて下さい。

2006-12-02

罪が示されて

いやあ、今日はあっという間に時間が過ぎていきました。
夜の11時半。
昨日の分だけでも更新しておかないと・・・
でも、とにかく早く休んで早く起きたいので、とにかく昨日の分だけ。

昨日の分だけ、と言いながら、しっかり、あさって、月曜日の雪の予想をチェック。
たぶん、「降ってもたいしたことはない」ということです。
低気圧は発達しながら、東海岸を進むのですが、
ちょっと沖合を離れて進むことになりそうで、
主力は海上。
雪は降っても大したことはないでしょう。

この際、個人的なスケールを考えました。
「小雪がちらほら」を1として、
「1996年1月のBlizzard」を10とすると・・・
インプレッションですが、
今年の2月の礼拝を中止にしたのは7かな。
数年前のPresident Dayの大雪は8。

今回は2か3くらいでしょう。

まあ、ちょっと残念なような、ほっとしたような・・・。

で、昨日の聖書。
昨日読んだのは、第1コリント14章。
その中で心に留ったのは、

「しかし、もしみなが預言をするなら、信者でない者や初心の者が入って来たとき、その人はみなの者によって罪を示されます。みなにさばかれ、心の秘密があらわにされます。そうして、神が確かにあなたがたの中におられると言って、ひれ伏して神を拝むでしょう。」という24-25節の言葉です。

これはすごいなあと思いましたし、
これが教会なんだろうと思いました。

そこに入ってきた時に、初めての方々が、
心に罪が示されて、悔い改めに導かれるような、その様な雰囲気があふれているところ。
「自分には関係ない」
「何言っているかわからない」
そういう印象を与えるのではなくて、
また、何か単に「居心地のいいところ」というところではなくて、
心が探られて、
罪が示されて、
「わたしはどうすればいいのですか」という問いが出てくるような、その様なspiritualな空気が流れているような、その様な礼拝、そのような教会を目指していきたいと思いました。

そのためにはやはり神様にいつも聞いて、
神様に祈って、教会のひとりひとりが心が探られて、
きよめられて、神様のspiritで満たされることが必要なのではないだろうかと思いました。

私から、その様にして下さい。
その様に私を整えて下さい。

主よ、
あなたを求めます。
「教会運営」とか「リーダーシップ」について学ぶことも大切だと思います。
でも、それ以上に、あなたのspiritに満たされることが私には必要だと思います。
どうかあなたがあふれて下さい。
私のうちに満ちあふれて下さい。
明日の礼拝にあふれて下さい。
そして、人々の心を探り、触れて下さい。
新しくあなたを信じて歩み始める方々も起されますように。

2006-12-01

ちょっとお休み

今日は先ほど集会から帰ってきて、
明日はまた早いので、
更新はまた明日ゆっくりとします。
今夜の嵐は大騒ぎしたほどではありませんでしたが、
(もうちょっと西の方ではすごかったのかな?)
今夜はこれから冷え込んで来るみたいです。

ではでは。

2006-11-30

愛は期待する

今日はほんとうに暖かかったですね。
予想通り20度C突破!
ウチの温度計で20.2度まで行きました。
明日も暖かいようですが、
雨が降り、また雷雨になるようです。
そして明日の夜半から急に冷え込んで、
あさってからはちゃんと冬になるみたいです。

今夜はオクラホマ、カンザス、ミズーリ、イリノイあたりは大雪です。

NJは月曜日に注目ですが、
まだまだ分かりません。
何にもないかもしれませんし、小雪が舞うかもしれませんし、大雪かもしれません。
4日後の天気の予想なんて、そんなもんです。

昨日の夜、
トイレの電気がつかない。
うーん、いつものように電球が切れたのかなあ、と振ってみても、
「カラカラ」という音はしない。他の電球に換えてもつかない。
うーん、たぶんスイッチだ。
ということで、スイッチを買いにお店に。
取り替えるためには、電気を落とさなければいけない・・・。

そんなこと夜中に出来るか!
ということで、今朝まで待って、今朝取り替えました。
取り替え自体は簡単だったのですが、
スイッチに電気が来ていると感電して、びりびりして、コワイです。

そう、小学校の1年生の時だったかな。
風車で遊んでいて、その風車が金属のヤツだったんだけど、
その手に持つところをコンセントに差込んだらどうなるんだろうか、って、
思って、「どうしようかな、どうしようかな」って迷ったことがありました。

迷ってどうしたかというと、「えいっ」と思い切って差込んだんですねえ。(バカ)


ボン


と音がして、家中の電気が切れました。
ブレーカーかヒューズか分かりませんが、飛んだんですね。
そういう「安全装置」がなかったら、私は今この世にはおりませんです。

もちろん、それから両親にめちゃくちゃ怒られました。
2度とこんなことしてはいけない、死んじゃうよ、と。

でも、たとえ、両親が怒らなかったとしても、
「死んじゃうよ」と脅かされなかったとしても、
絶対2度とあんなことしません。

めっちゃこわかったです。

ですから、電気の怖さはもう身にしみて分かっています。たぶん。

でも、アメリカでこんなことがあって、子供がけがをしたり、亡くなったりしたら、
コンセントに穴が開いているのが悪いとコンセントを作った会社が訴えられたり、
風車の持つところが金属なのが悪いと、風車メーカーが訴えられたり、
こんなおもちゃを与える学校が悪いと、学校が訴えられたりするんでしょうか。
まさかね。

まあ、そんなことはいいでしょう。
そう、話を今朝の作業の話に戻して・・・

スイッチに来ている電気を止めなければいけません。

でも、わからない・・・。

いろいろ書いてあるんですが、「bedrooms」っていうブレーカーを切っても、落ちない。
あっちこっち消しまくって、でも、なかなか見つかりませんでした。

だって、配電盤はガレージで、一つスイッチ切るたびに、「さあ、トイレの電気は切れたかな」と
調べに行かなければいけなかったんですから。
それも、電球は元々つかないので、スイッチに繋がっている電線にテスターを当てて、
チェックしなければいけなかったんですから。
何往復したことか。
配線をする方には必ず「どのブレーカーでどの部屋の電気が落ちる」かを正確に書いてもらいたいです。

でも、やっとの事でブレーカーが見つかり
(そこには、なんと「地下の倉庫」とラベルが付いていました!)
電気を切って、作業をして、無事に完了。
当たり前のことなんですが、電気がついた時には、何かうれしいですよね。
家族のいない時間帯に作業をしたのですが、
夕食の時には、「ねえ、トイレの電気つくようになったよ!」とアピールしないではいられませんでした。(家のことを何かした時には、ほめて欲しいと、やたらに家族にアピールする典型的な「夫」。)

今日の聖書。
今日は「愛の賛歌」と呼ばれる、コリント人への手紙13章でした。

4節からの一つ一つの言葉がぐさぐさ来るのですが、
その中で、7節の「すべてを期待する」という言葉が、心に暖かく響きました。
愛は期待する。

自分は何を期待しているでしょうか?

神様の御業を期待する。
神様が助けて下さることを期待する。

そんな感じで、神様がいいことをして下さることを期待することが多いと思います。

でも、今日はそれに加えて、

「人に期待する」
ということを考えさせられました。

人を信じること、
人の神様に向かう姿勢を信じること、
人に神様が語ってくださるのだ、と信じること、

自分には必要なこと、
自分に必要な「愛」であることを感じました。

神様、
わたしはあなたを信じます。
あなたが人の中にしてくださる大きな御業を。
人に語ってくださって、人の人生を大きく変えてくださること。
人があなたを求めて、
あなたに語って頂いて、答えを頂いて立ち上がること。
期待します。愛をもって。

2006-11-29

神はお一人

今日はまたどんよりとした日でした。
でも、寒いまではいかないありがたい日でした。
朝から10度くらいあったし、
昼間は15度くらいいきました。

明日は!
20度突破も夢ではありません。
何か、JOYJOYキッズクラブの日は
なんだか、暖かい日が多いですね。
明日は気をつけて、パッチを履かないで行こうと思います。

そして、金曜日!
雨です。
16日の予報では60センチの雪だったわけですが、
それはさすがに外れました。
でも、50ミリくらいの雨が予想されています。
1ミリの雨がちょうど10センチくらいの雪になりますから、
雨か雪かの違いということで許してもらいましょう。
(その違いが大きいのですが・・・)

そして次の注目が日曜日の夜から月曜日。
あちらこちらで「snowstorm」の文字が躍り始めました。
大体、今仕事で天気予報やっている皆さんの精神構造は、
私と似ていますから、
ちょっとでも可能性があると、
「お、おおっ」と盛り上がってしまうんでしょうねえ。

さあ、もう目が離せません!

でも、その一方で、今、物忘れのひどさに落ち込んでいます。
今日も、言われても「そうだったかなー、確かにそんな気もするけど・・・」
程度にしか思い出せないことがあって、悲しかったです。

つい2週間くらい前の話なんですが、
すっかり忘れておりました。
言われて、「あーっ」と焦るのもイヤですが、
言われて、「そうでしたっけ・・・」ってのはまた怖いですねえ。

月曜日、出かけた時も、郵便局に寄ってから・・・
と思って、その時間も計算して家を出たのに、
郵便局の手前でハイウェイに乗ってしまっている自分に気がついて、
がっかりしたところでした。
それは、「あーっ」っと思ったケースですが・・・。

今月はJOYJOYキッズクラブで、
「私たちのことは神様が造ってくださったんだよ」という話をしているのですが、
この忘れっぽくなってきて、
頭の中のどの引き出しに記憶が入っているのか、
それさえも分からなくなってしまってきているのは、
なかなか受け入れがたいです。

でも、神様は私をこのように造ってくださったんですよね。
こんな間抜けなヤツに。
感謝します。

今日の聖書はコリント人への第1の手紙の12章。
ここはよく読むところです。
わかりやすいところでもあります。

その中で心に留った言葉は、
「働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。」という6節の言葉。

私たちはキリストのからだで、
手足、いろんな器官で、お互い違う、
でも、その私たちのウチに働いてくださる神様はお一人なんだと。

ちょうど私たちの手足がすべて脳の命令で動いているように、
私たちも神様の導きによって、
神様からひとりひとりが力を頂いて、
ひとりひとりが恵みを頂いて、
御言葉を頂いて歩んでいくことがほんとうに大切なことなんだと思いました。

そうやって、それぞれの器官は脳と直接繋がっているんだけれども、
右手が痛い時は左手が右手の働きをしたり、
かばったりする、それがキリストのからだなんだと思います。

教会も、私たちお互いも、その様な歩みをさせて頂きたいと思いました。

イエスさま、
あなたがわたしたちの頭でいてくださることに感謝します。
ひとりひとりの導き手でいてくださることに感謝します。
どうか、あなたの導きをひとりひとりが頂きながら、
でも、お互いに「われ関せず」ではなくて、
支え合い、かばい合っていくことが出来ますように。
その様な愛を、あなたご自身から頂いて、
与えていくことが出来ますように。

私たちをほんとうのキリストのからだとしてください。





2006-11-28

disciplined by the Lord

今日は予想通り、昨日までよりも肌寒かったですね。
今日の朝、「まあ大丈夫か」とパッチを履かないで過ごしていたら、
カラダが冷える冷える。
午後からはちゃんとパッチを履いて、セーターを着込んで挽回しました。
最高気温は15度Cくらいまで上がったのですが、
太陽が出なかったからでしょう。
肌寒く感じました。

明日も今日みたいな天気。
あさってはもう一回暖かくなって、
金曜日は雨。
そして土曜日からは冬です。

お風邪などお召しになりませんように。

夜、車を運転しながらラジオを聞いていたら、
明日の夜、ロックフェラーセンターのクリスマスツリーの点灯式なんですね。
もうそんな時期になるんですね。
NJに住んで13回目のクリスマス。
あのツリーも毎年まではいかなくても、
2年に1回以上は見に行っています。
やっぱり、見事ですから・・・。
今年はこの暖かさのせいか、
Thanksgiving Dayの翌日に買い物に行かなかったせいか、
なんだか、クリスマスがやってくる、という感じがしません。

もう、JOYJOYクリスマスまではあと2週間を切ったわけだし、
いろいろ準備始めないと・・・。

今日の聖書はコリント人への第1の手紙の11章でした。
心に留った言葉は英語の方で、
32節の「we are being disciplined」という言葉です。
日本語だと、「訓練される」「弟子として整えられる」という意味です。

主によって訓練される、整えられる。
それはきついことです。
逃げ出したくなることもあります。

今までの経験の中で一番きつかったことを思い出してみると、
「自分が神様にもっともっと用いられるための訓練だったから、ああいうことがもう一回あってもいい」とはどうしても言えません。
いつだったか、「神様に整えられるために試練をも厭いません」と祈ったことがありましたが、それは間違いだったのかなあ、と思うこともあります。

でも、その様なきついことを通して、
神様は確かに、私をご自身の近くに引き寄せて下さったと思います。

次に試練が襲ってきた時には、
やっぱり「早く抜け出したい」と思うだろうと思います。
だから、今、ほんとうに心に留めておきたいと思います。

その様な時は、神様が私をご自身の近くに引き寄せて下さる時だと。
祈りに導き、神様の御思いを分ち合って下さる時だと。

主よ、
今、試みの中にある方々を守って下さい。
共にあって下さい。
支えて下さい。
私が次に試練に合う時には、
あなたの御手をその中に認めることが出来ますように。
あなたの招きの手を認めることが出来ますように。

2006-11-27

何とかして幾人かを

今日はほんとうに暖かくなりました。
18度くらいまで上がりました。
明日は、東風が入ってくるので、
今日ほどは行かないようですが、
それでも、15度くらいまで上がるでしょう。

今日は先週亡くなられた方の葬儀に参列してきました。
ご高齢だったのですが、Heart Attackで急に亡くなられたとのこと。
印象に残ったのはお嬢さんがお父さんの思い出を語られたところ。
お父様はunconditional loveを与えてくれた。
だから、私は天のお父様のunconditional loveを素直に受け入れることが出来た。
と仰っていました。
英語の方で、私たちの教会には年に1度か2度来られる程度でしたので、
その信仰を余り深く知ることはできませんでしたが、
思い出を語られる皆さんの言葉の中に、
故人の人柄と信仰を感じさせられました。

最近、いろんなことから、人の生き死にについて、考えさせられ、
また当然、自分の問題としても考えさせられています。

ほんとうにいろんなことを考えているんですが、
やっぱり自分の今の願いは、次の世代を担っていく子ども達に、
出来るだけたくさんの子ども達に、聖書のメッセージを伝えたい、
そう思っています。
そのために出来ることを一日一日していくこと、それを考えています。

そして、しょうもない話に聞こえるかもしれないのですが、
もしも、今、自分が神様に召されて、この世を去るとしたら、
自分が主人公である「葬儀」という場では、
私のことを知っている子ども達はもちろん、
初めての子達も、たくさん来てもらって、
思いっきり子ども達のためのプログラムを取り入れて欲しいのです。
簡素にとは思います。棺桶とかは一番安いヤツがいいです。
でも、プログラムは思いっきり楽しく派手にして欲しいです。
これは、その場では自分で指示を出せないので、
今のうちにみんなに言っておかなければいけないと思っているんですが、
子供のためのメッセージを葬儀ではして欲しい、
そして、思いっきり、この世で神様の愛を感じながら生きることのすばらしさを、
そして、天国の希望を語って欲しい、と思います。
故人は天国でイエスにお会いして喜んでいるのだということをはっきりと伝えて欲しいです。
子ども達にもわかる歌をたくさん入れて、
踊りも入れてくださったらいいと思います。

自分が主人公の集まりはそんなにないから、
そんなわがままを是非許してください。
自己顕示欲強すぎ?
でも自分のためじゃなくて、神様のためだから、許してやってください。

これ読んだ方、覚えててくださいね。
もしかしたら、今日明日かもしれないけど、
もしかしたら、何十年も後になってからかもしれないし、
実際自分が死に直面したら、こんなことも言っていられないかもしれないので、
覚えててください。

さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙9章を読みました。

「それは、何とかして、幾人かでも救うためです。」(22節)

よく知っている言葉ですが、
今日また大きなインパクトで私の心に響いてきました。
何とかして幾人かを救うために、いろんなことをしてきたパウロ。
力を尽くしてきたパウロ。
自分もその様に歩みたいと思いました。
これからも人が救いに導かれることを祈り求めていきたいと思いました。
もっともっとそのために出来ることをしていきたいと思いました。

そのための方法をもっともっと真剣にいろいろ考えていきたいと思います。
そのことで頭がいっぱい、みたいな日々を送りしたいと思います。

主よ、
あなたの愛を知ることができた幸いを感謝します。
どうか、あなたの愛を伝える方法をもっともっと教えてください。
もっともっとどのようにしたらいいか、考える力を与えて下さい。
知恵を与えて下さい。
そして、ひとりでも多くの方にあなたの愛を伝えることが出来ますように。
私自身をあなたの愛で満たして下さい。


2006-11-26

知識と愛

日曜日が終わりました。
今朝は0.4度。
最高気温は15度くらいいきました。
まだしばらく暖かい日が続くようです。
助かりますね。

21日の記事にある、メールをくれた大学時代の友人が
教会に行ってくれたそうです。

その様子を教えてくれました。
こちら
それから
こちら
またまたうれしかったですねえ。

是非、続けて通って頂きたいです。
お祈りしております。

さてさて、
今日はコリント人への第1の手紙8章を読みました。

「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」(1節

いい言葉だなあと思いますが、
またどきっとする言葉でもあります。
自分が知っていると思うことは、傲慢へと自分を導き、
それは愛の道とは反するのだと・・・。

自分が分かっていると思っているならば、
分かっているはずのことも分かっていないことを知らなければいけないと・・・。

自分はどうだろうかと思います。
ほんとうに愛があるだろうかと。

もっと愛を教えて欲しいと思います。
自分が知ったようにならないように守って頂きたいと思います。

主よ、
どうか私を傲慢の罪から守り、
愛に満たされて歩むことが出来ますように。
この地に福音を伝える者として、
私を用いて下さい。

2006-11-25

夫によって妻によって

今朝は-0.7度C。
我ながら、正確な予想!と思いましたねえ。
で、昼間はそこそこ暖かかったです。
でも、夕方から冷えてきて、
今11時ですが、3.4度C。
明日の朝の最低気温は0度くらいでしょう。

昼間はもっと暖かくなるようです。

で、ここまで書いたところで、Firefoxがクラッシュしてしまって、
強制終了。

でも、このFirefoxのありがたいところ、
自動的に、強制終了したところから再開してくれます。

さすがに保存していなかった文章は消えてしまいましたが、
題名だけは残っていました。

少しずつでも保存しておくべきでしたね。
Internet Explorerよりも軽くて優秀。
細かいところは分かりませんが・・・。

今日はあっさりと一日一章に進んでいきましょう。
今日読んだのはコリント人への第1の手紙の7章。

難解なところです。
時代背景からか、パウロの世の終わりが近いという切迫感からか、
「結婚していない人は結婚しないままの方がいい」などという言葉まで出てきます。

そんな中で、心に留った言葉は、
「信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められている」という14節の言葉です。

時々、「夫を置いてクリスチャンにはなれない」「妻と一緒じゃないと・・・」と洗礼を受けられるのをためらわれる方々もあります。でも、ここを読むと、たとえどちらかでも信仰をもつことはその家庭にとって祝福となるのだということがわかります。

そして、それはクリスチャン同士の夫婦でも言えるのではないでしょうか?
妻の存在が、夫の存在が、自分を支え、自分の信仰をサポートしていると。

だから、結婚している者たちにとって、
自分の信仰は自分のものだけではなくて、
相手のためのものでもあると。

そういえば、それは家族全体にも広げられるし、
もっと大きな社会全体にも広げられる。

自分の存在が、自分の信仰が、この社会にとって、神の祝福の流れ入るポイントになるんだと。

そのような存在とされていることを感謝すると共に、
身が引き締まるような思いがします。

神様、
どうか、あなたの豊かな祝福を、
私という存在を通して、私たちの夫婦に、
家庭に、そしてこの社会に流し込んで下さい。
そのような者とされていることを感謝します。
もっともっと豊かに流し込んで下さい。

2006-11-24

だまされてもいい

今日はほんとうに気持ちよく晴れて、
暖かい日になりました。
でも、穏やかに晴れた夜のですので、
けっこう冷え込むでしょう。
明日の朝の最低気温の予想はズバリ-1度C(かきごおり家の庭)。

でも昼間はまた暖かくなり、そのままずっとしばらく穏やかな日が続くみたいです。
たぶん、1週間くらい。ありがたいですね。

今日は夕方、成分献血に行ってきました。
5年前、9/11の時に、ラジオで「○○では献血を求めています」と近所の
血液センターの案内を流していたので、すぐに出かけてみると、
もう長蛇の列。
そこで車から降ろされることもなく、
名前と血液型だけ聞かれて、帰されました。

それから何ヶ月かに1回、
「また献血できますか?」
と電話がかかってきます。

春、花粉の季節は薬を飲むのでパス。
夏、JOYJOYの頃は、体力に自信がないのでパス。

ですから、今頃はいいんですね。

それでいつからか、「血がいいから、成分献血はどう?」と、
血小板の献血をしています。
日本にいる時から、血が濃くて、比重を測る液体に入れると、
すぐに「どぼーん」と沈むので、濃いのは分かっているのですが、
それがどうして成分献血に向いているのかは分かりません。
英語を誤解しているのかもしれません。

いずれにせよ、血小板を差し上げています。

でも、ちょっと「どうしようかな」と思うのが、
あの血が帰ってくる時の感触。
片腕献血なので、しばらく血が採られて、
血小板だけ集められて、また戻ってくるわけですが、
その血を戻す時に、何とも言えず「重ーい」感じがします。
そして、時々針がじょうずに入っていないと、
痛いです。
一回は完璧に静脈を外れていたようで、
パンパンに腫れて即刻中止。

今日もちょっとあれ?って場面もありましたが、
慣れている人が直して下さって、無事1時間半で終了。

プロモーションで、レストランのお食事券10ドル分頂きました。
時々プロモーションでいろんなものをくれます。
今までもらったのはぬいぐるみとホットドッグ。

今日はお仕事が休みの方が多かったのか、いろんな世代の人々が来ていましたが、
いつもは私のお休みの月曜日の朝に行っているので、
おじいちゃんやおばあちゃんがたくさんです。
すごい!と思います。
今日は車いすのおばあちゃんも献血に来られていました。
こんないい方、やっぱり自分が上に立って見ているのかもしれませんが、
あのおばあちゃんがやっているのなら、もっとがんばろう、と思いました。

いつか自分や家族、友人が人からもらうこともあるだろうし、
こんなモンが役に立つなら・・・ありがたいことです。

今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙6章を読みました。

「そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。」7節の言葉です。

教会の中で訴え合う人々に対してパウロが語った言葉です。

ほんとうにそうですよね。
負けるのは悔しいし、
誤解されっぱなしもイヤだと思います。

でも、訴え合うこと自体が敗北。
だまされていてもいいじゃないかと・・・。

出来るかな、と思います。
ほんとうに誤解されて、だまされて、ひどい目にあって、
それでもいい、と言えるだろうかと思います。

それでもいいと言えるほど、
神様から、「わたしは知っているからね」と言われるほど、
神様と共に、神様に近く歩んでいきたいと思いました。

神様、
私はまだ人に認められるとうれしい人間です。
人から誤解されたり、おとしめられたりすると、悔しく感じます。
どうか、あなたが私のことをどれほど大切に思って下さっているか、
どんなに誤解されているように感じる時にも、
あなたはわたしを知っていて下さることを確信できるように、
いつもいつもあなたと近く歩ませて下さい。

高慢にならないように

昨日は一日冷たい雨でした。
4度Cくらいで、「大雨」ではありませんでしたが、
結構降りました。
そして、今日はばっちり晴れています。
そして、ぽかぽかしています。
この先1週間くらい暖かいようです。
そのあと、冬になるみたいです。

アメリカで初めて迎えたThanksgivingのことを思い出します。
San Diegoの日系人協会のご婦人がお嬢さんとお二人で迎えるThanksgivingに、
私たち家族を招いてくださいました。まだ息子が1歳半くらいの時でした。
にぎやかなことは何もありませんでしたが、暖かな一時でした。

それから14年。
友人と2,3家族でお祝いしたり、
ひとりで暮らしておられる方々と過ごしたり、
誰かに招かれて、遊びに行ったり、
突然、当日に「何か物足りないなあ・・・」と集合をかけたり、
あと、教会の行事が入ったり。

なんでかわかりませんが、
かきごおり的には「家族水入らず」ってのが
ちょっと物足りないような気がして、
ここ何年か、「どなたでもどうぞ」スタンスでやっています。

付き合ってくださった皆さんに感謝しつつ。

昨日の聖書。
昨日はコリント人への第1の手紙の5章を読みました。

心に響いたと言うよりは、
ちょっと、引っかかった言葉。
「あなたがたの高慢は、よくないことです。
あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、
粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。」
6節の言葉です。

ちょっとしたこと、に見えることも、それを放っておくと、
全体にもものすごい影響があるということですよね。

重かったです。
自分の心の中のこともそうです。
本当に小さな思いでも、
自分の生活全体に影響を与えてしまうことがあります。

また教会のことでもそうです。
ちょっとしたことを見逃していると、
全体にも影響してしまうと・・・。

自分はあまりカリカリしたくない人間です。(みんなそうか?)
でも、本当に「これはまずい」と思うことは、
本当にはっきりとした態度をとらなければいけないことを、
そういうことを放っておくと、大変になるんだということを、
思わされました。

主よ、
私に勇気を与えてください。
大切な時にははっきりとした態度で、
対決をすることができるように。
自分に対しても、
また周りの人々に対しても・・・。
そして、一つ一つの問題が、
「放っておけない問題」なのかどうか、
見極める鋭さを与えてください。


2006-11-23

奇跡は起らず・・・

そう、今日の午後雨が上がるという奇跡は起りませんでした。
いや、反対に、さあ、作業を始めるぞ、という1時頃から本降りになって、
ずっと雨が降り続いていました。

最初は傘でやってたんですが、
「やっぱ、これはまずいよなあ」ということになって、
テントを引っ張り出してきて、
テントを張って、その下で揚げました。

ずっと雨でした。

たくさんの方々がおいで下さいました。
50人+かな。
JOYJOY関係の方々も何人か・・・。
初めてお会いするお父さん達も数名。

楽しい一時を過ごしました。
もっと遊びたかったなあ。

ということで、眠いので、
今日の更新はここまで。

また明日、一日一章と共にいろいろと・・・。

ではでは。

Happy Thanksgiving!

今日もここに来てくださった方々に、
神様の祝福がありますように!

また夜に更新します。

ののしられた時は・・・

今、一仕事終わって、ホッと一息。
でも、なぜかまだまだ元気なので、ここで更新。

今日は朝6時半頃出て、一日NY Cityでした。
NYの真ん中の図書館で勉強しながら、
時々、人にお会いしに出動。
電話がかかってきたり、かけたり。

まあ、図書館を簡易オフィスとして使わせて頂いております。
もちろん、無料。
コンピューターを持ち込めば、インターネット使い放題。

でも、重いのを持ち運ぶのが億劫になって、
最近は携帯一つです。

今日はとても不思議な気持ちがしました。
自分がNYのど真ん中で、
日本語を使う牧師のひとりとして、
そこにいること自体が。

もっともっと大きなフィールドがそこにあるような気がしています。

こんなことを書くと、教会の人たちは・・・「また仕事を増やす気か?」と思われるかもしれないので、
ほどほどにしておきますが、何かまたわくわく病になってしまったみたいです。

午後3時頃から雨がパラパラ降り出しました。
最初はNYでもちょっとsleet(あられ?みぞれ?)が混ざっていました。

で、今3度Cくらいで雨が降っています。
明日は、雨には止んで頂かないといけないのですが、
天気予報は絶望的な予報を出しています。

どうする?揚げTurkey。

「ガレージでやるんですか?」というメールを頂いたが、
ググってみると、「ガレージでやるのも危ない」「家を燃やしてしまった人もいる」
と出てくるんですよね。
ちゃんと見張っていれば、大丈夫だとは思うのですが・・・

でも、万が一、教会の財産、灰にしちゃったら、ヤバイですよね。
「何があったんですか?」って聞かれて、
「いやあ、ガレージでTurkey揚げてたら・・・」なんて言えないですよね。

まあ、おそらく傘をさして、外でやるのでしょう。

その前に、奇跡的に、昼頃雨が上がる、という奇跡を祈っていきましょう。

今日の聖書。
今日はコリント第1の手紙の4章を読みました。

心に留った言葉は、
「ののしられるときには、慰めのことばをかけます。」
13節の言葉です。

すげえ、の一言です。
マジすげえです。

ののしられた時に、自分だったらどうするでしょうか?
「泣く」「愚痴る」「避ける」「逃げる」「ののしり返す」・・・
でも、「慰めの言葉」は思いつかなかったです。
降参です。

その様な心境になるのはいつのことなのでしょうか?
「人を変えようと思わないで、分かろうとしなさい」
いつもいつも自分に言い聞かせている言葉です。

そういうことなのかな、と思いました。
「彼が私をののしらなければいけない精神状態にあるのはどうしてなんだろうか」
と相手のことを思う気持ちがあれば、「慰めの言葉」が出てくるのでしょうか?

いずれにせよ、「自分を守る」という必要がない人の言葉ですよね。
「自分を守る」ことをしなくても、大丈夫な、ゆとりのある人の言葉ですよね。

主から、いっぱい愛をもらって、主と共に歩んでいることを確信した時に、
出てくる言葉ですよね。

主に満たして頂きたいです。

主よ、
私にも、パウロのように言わせてください。
ののしられた時には、慰めの言葉をかけられるくらいに、
私の心を大きく大きく育ててください。
あなたの愛でいっぱいに満たし、
愛されている喜びで満たしてください。
人から認められること、愛されることばかり求めるのではなく、
あなたに愛されている喜びあふれて、
人をあいすることが出来ますように。
人を理解することが出来ますように。

2006-11-22

NY Day

でした。

肌寒い一日でした。
これからやることがあるので、
たぶん更新は夜中か、明日の朝。

ではでは。

2006-11-21

試された時に残るもの

今朝の気温は-1.5度C。
予想よりもちょっと冷え込みましたね。
また車のフロントガラスの霜もばっちり降りてました。

明日の朝はもうちょっと寒いかも・・・。
今、夜の10時で1度C。
たぶん、-3度くらいまで下がるのでは・・・。
明日の朝は早く起きてバスでNYに行くので、寒いのはゴメンしたいのですが・・・。

あと、今日の午後から、
天気予報が一斉にThanksgiving Dayの「風と雨」の予想を出し始めました。
えーって感じです。
思いっきり外れて欲しいです。

実はとてもうれしいことがありました。
今もこのページを見てくれているかもしれませんが、
24年前、大学入学した時の友人からメールが来ました。

大学入学の時、一緒にオリエンテーションを受けた仲間のひとり。
でも、その後、サークルも違えば、専門のゼミも違う、
いつの間にか疎遠になっていた友人でした。


その彼からの突然のメール。
「覚えていますか?」と。
もちろん、覚えていました。

教会に行ってみようかなあ、と思って、
私のことを思い出してくれて、
名前で検索したそうです。

そして、ニュージャージーに同じ名前の牧師がいることを突き止めて、
教会のサイトに行ったら、あの顔が出てきた、と、
メール下さったわけです。

うれしいですねえ。
インターネットのおかげ。
こうやってネット上の再会が出来るわけですから・・・。
彼の方も、ネット上に顔写真が露出されているので、
「あ、変わってないじゃん!」という感じでした。

あと、20年以上経って、
「あいつクリスチャンだったよなあ」と思い出してもらえたこと。
その時に、特に何もなくても、
後になってからでも、
その時の自分の存在が用いられた、ということ。
とてもうれしかったです。

その友人のご一家のためにお祈りしていきたいと思いました。

今日の聖書。
コリント第1の手紙3章を読みました。

「この火がその力で各人の働きの真価をためす」
との言葉が心に留りました。
これは13節です。

教会の土台はイエス・キリスト、それは何の問題もない。
他には土台となるものはない。

でも、その上に何をもって建物を建てるかが問題。
それが火の中を通る時に、その真価が問われるという。
調子のいい時、すべてが順調の時、環境が恵まれている時、
順調に成長する教会でも、
嵐が来る時に、耐えられる教会を形成しているだろうか?

嵐の中で、しっかりと立っていける教会を育てているだろうか?
闘いの中で、落ち込むようなこと起ってくる中で、苦しみながらも、
「助けてください!」と主に求める教会を、クリスチャンを育てているだろうか?

問われているように思った。

主よ、
恵まれている、私たちの状況を感謝します。
でも、ほんとうに嵐の中でも、火の中でも、
耐えうる教会を育てているでしょうか?
主よ、嵐の中に堅く立つ教会を育てさせてください。
逆風の中で、あなたを見上げ続ける者たちの教会としてください。
ホンモノの教会を建て上げて下さい。

2006-11-20

神の力によって

今朝の最低気温は1.3度C。
うーん、やっぱり予想よりも高かったですねえ。
もう少しでしたね。

でも、今日は昼間もずっと曇っていて、
気温は6度くらいまで上がったのですが、
体感的にはもっと寒く感じました。

今、夜の9時半で4度C。
最低気温の予想はズバリ-1度。
明日の朝、ガレージに入っていない車は霜に注意ですよ。
私も7時に教会ですから、ちょっと早めにでて霜がついてたら、
ガリガリしなければいけません。
湿度が結構低いので、余りたくさんつくことはないと思いますが・・・。

明日、あさって、と過ぎたら、もうThanksgiving Dayですね。
そして心はもうその翌日へ・・・。

一年で一番お店が本気で安売りをする日です。
日本でいうと、初売りの日かな。
今は1月2日になっているのでしょうか?
日本にいる時にはアイワールドとかで、
新年に、すごい特売の品がありましたよね。
そのノリです。

Black Fridayと呼ばれています。
初めに聞いた時には、「なんだそれ?」と思いました。
だって、株が暴落した日とかを
Black Monday(1987)、Black Thursday(1929)と呼ぶのに、
なんで、こんな買い物でごった返す日を、
Black Fridayと呼ぶのかなあと。

諸説あるようですが、まあ、「黒字」の金曜日という意味なんでしょう。
この日からクリスマスまでの間の売り上げが一年を決めるそうですから。

朝6時頃からお店が開いていたりします。
ほんとうに欲しいものがある時は、本気になる価値がある日ですよね。


今、欲しいものは・・・

うーんと・・・


教会堂。


朝早く並んだら安く買える、というモンでもないので、
朝早く目が覚めたら・・・

お祈りします。

サンクスギビングの日の新聞に広告が入ってきますが、
今ではこんなサイトもあります。

さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙2章です。

「そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。」4-5節

この言葉が心に留りました。
ひとりひとりの信仰が人間の知恵によって支えられているのではなく、
神の力によって支えられるために、聖霊様の働きを頂いていく、
その様な働きをしているだろうかと、思わされました。

自分の働きはどうだろうかと。

聖霊様に働いて頂いているだろうかと。

聖霊様に頼った、働きをしたいと思わされました。
プログラムを一生懸命考えることや、
人々の気をひくことを考えるよりも、
聖霊様を本気で求めた、神様の力を本気で求めた働きをしたいと思います。

そのためにもっともっと祈る時、
もっともっとみことばに聞く時、
自分には必要だと思いました。

神様、
どうか、私に触れてください。
私の心を、聖霊様によって満たし、
新しい力に満たして、用いてください。
人の知恵ではなく、あなたの力を土台とした
教会を建て上げさせて下さい。

2006-11-19

十字架につけられたキリスト

今日は、
ほんとうにたくさんの方々が教会の礼拝に来られました。
Thanksgivingの礼拝でした。
中高生以上だけで100人近く。
子ども達を入れると140人くらいかな。

それだけで元気をもらえます。

礼拝も元気に、そして、真剣に。

私たちが感謝すべきことの一番は、
やはり、「イエス・キリストを与えられたこと」。
そして、これは誰にでも与えられていることです。

あとのパーティーも盛りだくさん。
まあ、教会の皆さんも、芸達者な方々も多く、
自分を捨て切る方々も多く、
いつも脱帽させられます。

子ども達がまたたくさんというのもうれしいです。
JOYJOY Kids Clubの仲間も、
JOYJOY Campの仲間も、
今までにないくらいたくさん来てくれました。

神様、今日の一日のたくさんの方々との出会いをありがとうございます!

もっともっと真剣に、楽しく、また熱くメッセージを語る者でありたいと思います。

今朝の温度は5度。
「ブログの発表ほど寒くない!」と苦情を頂いておりますが、
まあ、暖かいのはいいじゃないですか?
暖房費も安く済むし・・・。
寒いかなあ、と思って厚着をした方には申し訳ありませんが・・・。
自分自身も必要以上にパッチを履いて、「暑いですねえ」と挨拶していますし。

今、夜の11時過ぎで、5.2度Cです。
ズバリ、明日の朝のParamusのかきごおり家の庭の温度は
(って、それが誰かの役に立つか?)
0度と読みました。
これは夜何時頃から晴れてくるか、で決まるのですが、
一日どんよりしてた空が、今ちょうど晴れつつあるからです。
晴れると、温度は下がります。
昼間は晴れると太陽の熱で温度が上がることが多いのですが、
夜は逆に晴れると温度が下がり、
曇っていると、ちょうど毛布を掛けて寝た時のように、熱がこもるのです。

ですから、これから晴れるので、どんどん温度が下がって、0度。
もしかしたら、氷点下に下がるかもしれません。

そして、今、かきごおり的に注目しているのが、
Thanksgiving Dayの天気。

火曜日くらいにカロライナ沖に低気圧が発生して、
北に上がってくるようです。
それがどれくらい陸地に近く上がってくるか、
どれくらいの速度で上がってくるかによって、
木曜日の天気がどうなるか、微妙なところです。

何で注目しているかというと、
Turkeyを揚げたいからです。
丸揚げ。
ここ4年くらいやっています。
いいのは1パウンドあたり3-4分なので、
手頃な大きさのを選ぶと40分くらいでできあがるからです。
あと、香ばしいかな。

問題は、そんな危ないこと、
外でしかできない。
寒い日はいや。
風の強い日も困る。
でも一番大変なのは、雨。
小雨で、傘をさしながらやったこともありますが、
油に水が入ったら、大騒ぎですからねえ。

今年は「室内用電気ターキーフライヤー」も出てきていますから、
そんなの買ったら、いいのかもしれませんが、
まあ、あれも、そんなこといいながら、外でやるのがいいわけで・・・。
雨にならないことだけを祈りつつ。

さて、長くなりましたが、
今日の聖書。

今日はコリント人への第1の手紙に入りました。1章です。
その中で、やはり心に留ったのはこの言葉でした。

「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」(22-23節)

十字架につけられたキリスト。
人々に語っているキリストではなく、
奇跡を行うキリストではなく、
復活のキリストでもなく、

「十字架のキリスト」を宣べ伝える。
あの十字架の敗北に見えるような、
惨めな、十字架のキリストを宣べ伝える。

そこには神の愛があふれているから。
それによって私たちが赦されたから。
そこまで私たちのことを愛してくださったから・・・。

「そこが分からないのです」という方もおられたりする。
だからといって避けないで、
大胆に語っていくことの大切さを思わされます。

いつもいつもバカの一つ覚えのように、
十字架にかけられたキリストを語り続ける、
そのような者であり続けたいと思います。

私たちのために、
神様はそこまでしてくださったのですから・・・。

主よ、
どうか、あなたの愛を語らせてください。
キリストの十字架をただただ、単純に語る者とならせてください。
他の気の利く話は出来なくてもいいです、
特別な人の気をひく話は下手でもいいです。
ただ、十字架の話をした時に、
それが人の心に伝わるような、説教者になりたいです。
どうか、その様な者にしてください。

福音によって立たせられる

朝の更新は無理でした。
時間に追われまくりました。

日曜日の夜です。
帰ったのは8時を過ぎておりまして、
10時を過ぎて落ち着いて、
さあ、かこうかなあーという感じです。

日曜日のことは後で書くとして、
とりあえず18日のこと。

やっぱり夜の流星群は見れませんでしたね。
12時頃に夜空を見上げてみましたが、
ばっちり曇っておりました。
そして、ちょっと検索してみても、
何か「見えた!」というのは余り見かけませんね。

次は12月半ばのふたご座流星群ですね。
寒そうですが、木の葉っぱが落ちて、
夜空が広く見えていますし、空気が澄んでいますし、
こちらは余り短い時間に集中するタイプではないようですので、
ちょっと屋根にでも登ってみようかなあ、なんて思っております。

土曜日はユース(中高生)の集まり。
20数人が集まって、楽しく過ごしました。
前半、メッセージをしましたが、
みんな一生懸命聞いてくれました。

彼らの成長は楽しみです。
大学で大体あっちこっちに別れていってしまうんだけれども、
それでも、彼らが教会にいてくれるのは大きな力ですし、
励ましです。

そして、必ずしも教会にその恩恵が返ってこなくてもいい、
実際多くの方々が日本に帰って行かれるわけですから、
中高生になっても教会に続けてくる子ばかりでもないのですが、
子ども達に、何度も何度も繰り返して、
教会って楽しいところだし、大切なメッセージが聞けるんだ、
ということを子ども達にも、お父さん、お母さんにも、
伝えていくことが使命だと思わされています。

で、昨日の聖書。
昨日はローマ人への手紙の16章を読みました。

その中で心に留ったのが、
昨日、ちょっと書いた、最後の言葉です。

「世々にわたって長い間隠されていたが、今や現されて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方・・・」(25-26節)

私たちが堅く立っていくことができるのは、
「神様の力」だし、
「今や現されて、あらゆる人々に知らされた奥義の啓示」だというのです。
それは、「福音」つまり、「あなたの罪のためにキリストが十字架で死なれた。信じる者は救われる」というメッセージです。

毎週毎週講壇に立っている身には、
「何か目新しいことを言わなければいけないのでは・・・」
という気持ちになることがあります。
でも、聖書は単純ですよね。
「この福音によって、私たちは堅く立たせられているのだ」というのです。

特別なことではない。
ただ、いつもいつもキリストの十字架を語ること、
十字架の救いを語ることを大切にしていきたいと思います。
ひとりひとりがそこに堅く立つことができるようにと祈りながら・・・。

神様、
福音を感謝します。
私自身、福音のすばらしさを経験することが出来たこと、
頭だけではなくて、心の奥底まで、それを経験することが出来たことに感謝します。
どうか、この福音をこれからも大胆に語り続けることのできる者でありますように。

2006-11-18

うーん、お休み

今日はちょっと眠いし、
やることもまだあるので、お休み。
あしたの朝にアップできるかも・・・。
出来なければ夜。

ではおやすみなさい。

あ、御言葉だけは書いておこうかな。

「世々にわたって長い間隠されていたが、今や現されて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方・・・」
ローマ16章25-26節

ではでは。

2006-11-17

忍耐と励ましの神

今日もまだ暖かでした。
でも、今晩から冷えてくるのでしょう。
今、夜の11時ですが、
8.4度Cまで下がってきました。
明日の朝は3-4度くらいまで下がると思います。

そして昼間は10度くらいの予報がでています。

明日の夜は「しし座流星群」の日です。
何かと言えば、「1時間に何十個も流れ星が見える夜」です。
ピークの時間帯、東海岸は夜中です。夜中の11時半から12時半。
自転の関係で、ほんとうは明け方が最高にいいみたいなんですが、
そのベストポジションはアフリカの西海岸とかだそうです。

それから、天気は雲が多いみたいなんで、
もしかしたらアウトかもしれません。

今日の朝は祈り会。
10人の方々が集まりました。
常連の方でお休みの方々もおられたので、
もっともっと多くなる可能性もありますね。

4グループで祈ったのですが、
うちのグループは熱かったですよお。
もっともっと熱い祈りが捧げられて、
月曜日に書いたように「リバイバル」が起りますように。

明日の夜も祈り会。
PPHと言って、Praise & Prayer Hourです。
熱い祈りを捧げるためにみんなで集まりましょう。

今日の聖書は
ローマ人への手紙の15章です。
この手紙も、もうあと1章を残すのみとなりました。
今日私が語られたのは、
「どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。」という5節の言葉です。

この章には、「忍耐と励ましの神」「望みの神」「平和の神」と、神様が私たちに与えてくださるモノが、神様のご性質として記されています。

その中の最初のところが心に留ったのです。
この方は私に忍耐と励ましとを与えて下さる方。
そして、それによって、「みんなが一つになる」ことができる、というのです。

逆に言うと、私たちが一つになるためには、
忍耐と励ましが必要で、
それを神様が与えて下さるのだ、ということだと思います。

私に必要なものはそれだと思います。
忍耐と励まし。
それは神様にとっては「まさにわたしがあなたに与えようとしているモノじゃないか」
というものなのです。

求めていこうと思いました。
この方と共にいたいと思いました。
今日もこの方がおられることに心から感謝します。

神様、
どうか、私と共にいて、
私に忍耐を与えて下さい。
私に忍耐力が与えられますように。
また、私を励まして下さい。
すぐにめげたりしないように、励ましを下さい。
そして、いつもいつも語り続けてください。
あなたと共に歩ませてください。

2006-11-16

神が立たせる

今日はまた暖かな日でした。
家でデスクワークをしている時はいいのですが、
今日はキッズクラブがありました。
さすがにその時に、厚手の長袖のシャツに、

下にはパッチを履いたまま行ったのは大失敗でした。

今日は、今までの新記録で50人くらいの元気な子達が集まりました。
3箇所でやっているKids Clubの中で、一番小さい場所。
こんな暖かな日に、
そこに大人を入れたら70人くらいの人が集まったんですから、
それは暑いの暑くないのって、
だらだら汗をかいてしまいました。

Tシャツ一枚の人が今日はたくさんいましたが、
それが正解。

でも、みんな楽しそうで、ほんとうにうれしいです。
もっともっといいプログラムを、もっともっと大切なメッセージを、

と思わされます。

この暖かさも今日でお別れ。

明日からは昼間は8-13度、朝は0度前後の日が続きそうです。

これを見て下さい。


色が付いているところは雨が降るところです。
そして、赤と青の線が温度です。
ちょうどNY Cityのあたりを青い線が通っているのが分かるでしょうか?
これが気温0度の線です。
NJ側は0度以下です。
つまり「雪」です。
これがあたったら、これはモンスタースノーになります。
60センチくらい積ります。

でも、たぶんあたりません。
なぜなら、これはGFS(
Global Forecast System)の12月1日の予想。つまり2週間後の予想だからです。
あり得ません。2週間後の低気圧の位置や気温があたるわけがありません。
大体、今までの経験で、雪が降るかどうか分かるのは大体24-48時間前です。

でも、楽しみに見ていくことにしましょう。

では、今日の聖書。
今日はローマ人への手紙14章を読みました。

心に留ったのは、
「このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。」という
4節の言葉です。

人のことを裁くなよ、という文脈の中でパウロが言っている言葉です。
人のことをとやかく言うな、
その人もあなたと同じように、神の僕なんだ。
そして、神はその人を立たせることもできるんだ、と言っているのです。

その人を立たせるのは神なんだ。

そのことをもう一度思わされました。
神様の御業に信頼して、その人が他の誰からでもなく、
神様から語られて、教えられて、立ち上がっていく、
そのことを信頼して歩んでいくことが大切なんだと、
語られました。

人のあたたかい言葉も、人の助けもありがたいでしょう。
また、人の批判も受ける勇気も必要でしょう。

でも、その人自身が神様に立たせて頂いているんだ、という土台が
どれくらい大切かと思います。

何年も前にある信徒さんが言われた言葉。
いつも牧師としての働きについて、土台となっている言葉です。

「牧師の働きは、私たちが牧師に頼って、牧師に慰められて行くということではなくて、
私たちが神様の方を向くことできるように助けることではないでしょうか?」

神様の代わりになってはいけない。
神様をいつもいつも指し示す働きをさせて頂きたいと思います。
立たせて下さるのは神様ご自身ですから。

主よ、
今日のみことばに感謝します。
もう一度、私の働きが何かを教えて下さいました。
人を立たせ、支えるのはあなたです。
あなたを信頼して、
あなたを指し示す働きをさせて下さい。
主にあるお一人ひとりが、あなたを見上げて歩むことできますように。

2006-11-15

夜明けは近い

まだ昼間ですが、夜はNYですので、
帰ってきてから、元気があるかどうか分からないので、
今のうちにアップしておきます。

昨日の夜1時頃、
カミさんに起こされる。
って、目がさえていて寝付けなかったので、
別に起こされた感じではなかったのですが・・・。

「バスタブの蛇口からお湯が止らなくて、だんだんひどくなる」
確かに水が流れる音がしています。
・・・ちょっと前に自分で修理した(つもりになっていた)ヤツだ!
そう、10月7日
やはり「分解して戻した」だけじゃダメだったんですね。

そして、今回はもっと奥まで分解。
今度は・・・元に戻らない・・・。

元に戻らない=家中の水が使えない。

バスタブの水を止めるバルブが見あたらないので、
結局家全体の水を止めるバルブを閉めていたのです。
トイレも使えなければ(各1回はタンクの水で流せるけど・・・)、
手も洗えない。


ダメだ、これは、きっと部品交換が必要だろうと、
HomeDepot.comで24時間営業の店を探す。
ところがここで店を探すと、
「営業時間は店に直接電話して聞いて」と書かれている。
間違い電話をしないように注意しながら、
夜の1時半頃近くのHomeDepotにしらみつぶしに電話をする。

やっぱり24時間営業のHomeDepotなんて、そんな店、ない。
Lowesも調べるが、やっぱり10時頃には閉まっている。

朝は一番早く開く店が5時。
でも、ちょっと遠いので、近くのHomeDepotの6時開店に行こう、
と決心してベッドに入ったのが2時過ぎ。

5時半には起き出して、HomeDepot行きましたよ。
もちろん最初にさがしたのはトイレ。
スカッとして、部品を買って、帰ってきて、
無事修理終了。

部品代4個買って、4ドル。
使ったのは1個だけ。3個は次回のために保管。
(いざというときに保管場所を覚えているかどうかも問題なんですが・・・)
1ドルで直っちゃいました。
出張頼んだら100ドルはくだらないでしょうね。真夜中に。
感謝、感謝。

今度は1ヶ月じゃなくて5年くらいもってもらいたいモノです。

朝は近くの教会の日本人向けの文化クラスでバイブルレッスン15分。

Thanksgivingが近いということで、
「感謝」についてお話ししました。

イエスの生涯の中で、ある時10人の病気の人がイエスに癒やしを求めました。
イエスは「祭司のところに行って病気かどうか確かめてもらいなさい」と言いました。
当時、その病気の診断をするのは特別に祭司の仕事だったのです。

彼らはそれを聞いて、イエスの言うとおり歩き始めたところ、
途中で病気が治ってしまったそうです。
その時10人の中の1人だけが、イエスのところに帰ってきて、
「感謝」の気持ちを言葉と態度にしました。

そんな話です。

私たちは1つの感謝していることがあるとすると、
その10倍の10個の感謝すべきことがある。

その様に聖書は語っているのでしょう。

2個の人はホントは20個。
3個思いつく人は、その10倍の30個。

そして、その感謝は気持ちを言葉にして伝えなければ意味がない、
そう思います。

今日の聖書。
今日はローマ人への手紙の13章を読みました。

心に留ったのは、
「あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。」という11節の言葉です。

この「救い」とは「世の終わり」のことです。
この手紙を書いたパウロはこの「世の終わり」のことを、
「救い」として受け取っていました。

イエスさまがもう一度来てくださる。
この世が完成されて、永遠の神の支配が確立する。
それを聖書は「救いの完成」と読んでいます。

それがもっともっと近づいてきている、と。
この手紙が書かれてから1900年以上が経ちました。
この手紙が書かれた時よりも、
もっと近くなっているんですよね。

だから、いつ、それが来たとしても、
喜んでお迎えできるように、心の備えをしていたいと思います。

そのために、やっておきたいこと、
やっぱりそれは伝道です。
この神様のことをひとりでも多くの人に知ってもらいたい。
ひとりでも多くの方々に経験して欲しい。
その様に思います。

主よ、
どうか私をあなたの僕として用いてください。
もっともっとすべての時間をあなたの福音を伝えるために用いさせてください。
ひとりでも多くの方々に、この福音を伝えさせてください。
子ども達も、大人の人々にも・・・
今夜の集会もあなたが用いてください。

2006-11-14

絶えず祈る

今日も曇り。
雨はほとんど降らずに、午後は少し晴れ間もでました。
明日はまたもう少しいいみたいです。
でも、木曜日は雨。
そしてその後寒くなるみたいです。

今日は家の前の道路の落ち葉を集める作業に来ていました。
それで、朝のうちに落ち葉集め。
ほとんどカミさんがやりましたが、
とにかくだいぶ片づきました。
一軒家は毎年、これが大変です。

午後は集会。
たくさんの方々が集まりました。
「聞く」というテーマで学びを続けていますが、
うーん、本当に私たちは「聞く」のに徹するのは難しいですよね。
すぐアドバイスしたくなる。
特に殿方はそうですよ。
要注意。

「話の聞けない男と地図の読めない女」って本がベストセラーになったでしょ。

ホント話聞けないんだよね。ボクら。

賛成反対の判断を控えて、
とにかく受け止める。

そこから広がる世界があることを、
もっともっと自分でも経験して、
もっともっとたくさんの方々に知って欲しいと思いました。

で、今日の聖書。
ローマ人への手紙の12章を読みました。

心に留ったのは
「絶えず祈りに励みなさい」という12節の言葉です。

いつもいつも、
「この教会は祈りによって築き上げられていく教会です」
と語っていると、
時々、「祈ってばかりでは・・・」という声が聞こえてきます。

でも、聖書からまたサポートをもらいました。
「絶えず祈りに励む」ということが聖書の命令であることを
もう一度語られました。

「そんなんで・・・」と言いたい人には言ってもらいましょう。
でも、私はこの聖書の言葉をまともに受け取って、
とにかく主に祈って、主がなさることに信頼して、
歩んでいきたいと思います。

もちろん、その前にある「勤勉で怠らず」「主に仕えなさい」
という言葉も無視しないように心がけながら・・・。

あの榎本先生の息子は「オヤジはよく祈る牧師だった」と言っていたらしいが、

うちの子達は、自分のことをなんだと思うんだろうか?
「天気予報ばかり」なんて思われているかもしれない。

祈ろう。

主よ、
もう一度祈りに招いて下さってありがとうございます。
祈ります。
主よ、お応えください。
あのエリヤの祈りに応えられたように、
私の祈りに応えてください。



2006-11-13

主の御心を知る?

今日も一日雨が降ったり止んだり。
結局大雨にはならないで、
しとしとと土曜日から続いています。

木曜日まで雨マークがとれません。

明日は今日より少し良くなるみたいですが、
雨が降りやすい天気のようです。

おかげで冷え込みは弱く、助かります。

今日の夜はNYでサックスを吹く説教者の方が来られて、
集会があったので、いってきました。
そこでいろんな方々に会えたのも幸いでした。

特にヨーロッパのギリシャとかの聖書に出てくる場所を回るクリスチャンのツアーに行って来られて、
今日帰ってこられたご夫妻と2週間ぶりにお会いして、
興奮冷めやらない様子で、すばらしい旅をされてきた様子を(ちょっとだけですが・・・)
伺えたのはよかったです。

聖書に出てくるところではありませんが、
ツアーの中で、ルーマニアに行って、
そこで熱く燃えているクリスチャンの方々の集会に出られたのは
とてもよかったそうです。

ちょっとお話を聞いただけで、その熱さが感染するようなそんな感じがしました。

「リバイバル」
信仰復興運動と訳しますが、
クリスチャンが悔い改めに導かれて、燃やされて、
それが周りの人々にもどんどん広がっていく、
その状態をそう呼びます。

私たちの教会の中にも、
私自身の信仰の中にも、
家庭の中にも、
リバイバルが起こされますように祈ります。

先ず私から・・・。

今日の聖書はローマ人への手紙11章でした。
心に留ったのは、
「だれが主のみこころを知ったのですか。」
という34節の言葉です。

直接的には「神の御心は測りがたい」ということだと思います。
でも、聖書の中に「神の御心を教えてもらう特権」をもらった人たちがいる。
アブラハムがそう。
モーセがそう。
そして、このパウロもそうなんだろう。

そして、イザヤ55章には、「御言葉が雨が地に降るように与えられる」とある。

私もその神様との親しさをもっともっと味わっていきたいと思う。

神様の御思いを分ち合って頂きたいと思う。
自分の考えを神様に押しつけるのではなくて、
私が神様の思いを受け取って生きていけるようになりたいと思う。

主よ、
あなたの招きに感謝します。
もっともっとあなたのことを知りたい、
あなたの御思いを知りたいという思いを与えられたこと、
感謝します。
どうか、もっともっとあなたと親しく歩んでいくことができますように。

2006-11-12

宣べ伝える者

日曜日の夜です。
今8時前です。
日曜日のこの時間にこんなに余裕があるなんて、
なかなかないことです。
ちょっと寂しいかも。
でも、感謝。

今日はそれほど「大雨」にはなりませんでしたが、
なんだか、「これから」みたいです。
今のところ雨の中心はもっと南の方です。
この雨がこちらの方に上がってくるのだと思います。
そして、明日、明日の夜と雨が続きそうです。

今日の礼拝後の「信徒勉強会」は、
「献金」のことについて学びました。
センセーショナルに語る必要はないけれども、
地道に聖書の語ることを伝えていくことの必要を感じました。

自分自身、葛藤がある時があります。
でも、将来もすべて神様が何とかして下さる、
御言葉をバカみたいに信じて、
「神様を第一としていく時に神様は必要なものをすべて与えて下さる」
そのことを単純に信じて歩んでいきたいと思います。

そして、痛みを負って私たちのためにすべてを与えて下さった主のために、
痛みを負うことを惜しまない歩みをしたいと思います。
そこに与えられる喜びを証していきたいと思います。

------------------ここからは11時頃----------------------------------

今日の聖書。
今日はローマ人への手紙の10章を読みました。

今日心に留ったのは、
「宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。」
という14節の言葉です。

そう、聞くことのできない人々がいる。
このメッセージを聞くことのできない方々がたくさんいる。
その方々に伝えていきたいと思う。

語り伝える働きをもっともっとしていきたいと思う。
どんな働きがあるのか、
どんなことができるのか、
いつもいつも考えていたい。

いつもいつも
このメッセージを運ぶ働きをしたいと思う。
神様の愛を伝えていく、生き方をしたいと思う。

「言っていることとやっていることが違うじゃないか」
と言われないように・・・。
その様な生き方をしていきたいと思う。

主よ、
私を用いて下さい。
言葉も、行動も、態度も、
みんなあなたを指し示すような者へとして下さい。
私の内側を造りかえ、
内側からあふれ出るようなあなたのメッセージの運び手として下さい。

2006-11-11

主の栄光のために


久しぶりの野菜ネタです。
ブロッコリー、春まきと夏蒔きがあるのですが、
春まきで夏に花が咲いたのは余りかっこよくできませんでした。
そして、最後はグランドホッグに食い荒らされて、無惨なことになりました。

その時に、今ひとつ成長がよろしくなかったモノを、
あまり大きくない植木鉢に入れてデッキのテーブルの上に置いておきました。
これだとさすがのグランドホッグも何もできません。
そのままほおって置いて、余り気にもしていなかったのですが、
夏蒔きのように秋に収穫、となりました。
これ結構立派に見えるかもしれませんが、
ピンポン球よりも大きいのですが、野球のボールより小さいです。

さっき茹でて食べました。
緑色が鮮やかに出て、おいしかったです。

いいかも、夏蒔きのブロッコリー。
他の植物が霜にあたって枯れてしまう中で、コイツは大丈夫です。

あと6日に書いたタッチパッドへの挑戦。
何とか慣れようと思ったのですが、
1週間ももたずに降参。
また、マウスに戻ってしまいました。

何でみんなタッチパッドになってしまったんでしょう。
スペースの問題なんでしょうかね、トラックボールがダメなのは。
あのスティックポイントもよかったのになぁ。

さて、今日の聖書。
今日はローマ人への手紙の9章です。

「それも、神が栄光のためにあらかじめ用意しておられたあわれみの器に対して、その豊かな栄光を知らせてくださるためになのです。」(23節)

私たちは神様の栄光のための器。
私たちを通して、主は栄光を表そうとされている。
私たちの努力や願いではなく、
主の憐れみによって・・・(16節)

神様、
あなたはどのような方法で私を通して、
私たちを通して、
教会のひとりひとりを通して、
あなたの栄光を表そうとしておられるのですか?
私の思いを超えているのだと思います。
私の考えを超えているのだと思います。
でも、どうか、教えてください。
あのモーセに教えられたように、
またイザヤに教えられたように、
あなたがどのようにあなたのご栄光を表そうとしておられるのか、
私にも教えてください。
あなたの栄光を表す器としてくださっていること自体に、
まず感謝します。

どんな苦しみや痛みの中にも、
あなたのご栄光が表されることを信じる信仰を与えて下さい。

御霊によって

朝になりました。
かなり遅い朝ですが・・・。

今日までは暖かい様です。
明日は雨。それもかなりまとまった雨になりそうです。
たくさん落ち葉がたまっていますから、
スリップや水たまりには要注意です。

Thanksgivingのころには、
お約束通り寒くなるようですね。
Accuweather.comのThanksgiving明けの金曜日の
夜の予報にはs-wordが入っていました。
いよいよ、その季節です。
わくわく、です。

木曜日の夜のニュースでは
Rutgers(ニュージャージーの州立大)のフットボールチームが、
大健闘しているのが話題になっていましたね。
弱小チームが今全米ランクで15位。
そして木曜日の夜の対戦相手が全米3位のLouisville。
前半が終わって25対7で負けていたのに、
後半の猛追い上げ。
なかなかフットボールをゆっくり見ることはできないのですが
この日は、夜出かけた帰りに車の中で、ラジオのニュースで
「同点に追いついた」という速報を聞いて、ちょっと興奮。
そして、夜のニュースで逆転勝ちを見て、
ちょっとこの後(3試合かな)注目してしまうかもしれません。

さて、昨日の聖書。
昨日はローマ人への手紙8章を読みました。
よく読むところで、好きな言葉がたくさんあるのですが、
昨日は新しく目に留った言葉がありました。

「しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。」
13節の言葉です。

昨日のことなので、もっとフレッシュな時にメモしておけばよかったと後悔しているのですが、
いつも「殺す?」と何だかストンと来ない言葉なのですが、
昨日は「そうだよなあ」と思わされたのです。
「からだのおこない」というのは、その前に出てくる「肉の思い」ということだと思います。
「肉の思い」それは自己中心であり、神様を必要としない思いです。
その思いは「聖霊によって」つぶされなければいけない、
そして、その聖霊様を受け入れて、自己中心を処理して頂くのは私たち自身の責任なんだ、
と思わされたのです。

5節には「御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。」とあります。

自分の心が今何によって占められているか?
聖霊様に満たされて歩んでいきたい。
聖霊様私を満たしてくださいと思わされました。

主よ、
昨日も支えて下さってありがとうございます。
出会ったお一人ひとりに今も語ってくださいますように。
私が個人的にお会いしてお話しすること以上に、
あなたご自身がお一人ひとりの心に語り、
ひとりひとりの心に触れてくださいますように。

また、朝に更新

今、1時前ですが、
夜集会が2つあったので、
もう休んで、朝にでも更新します。

ではでは。

2006-11-09

キリストと結ばれて

今日は本当に暖かい日でした。
20度超えました。
でも、一度パッチを履くことになれてしまったら、
もう多少暖かくても、
やっぱりパッチが快適です。
オヤジですから・・・。

明日も今日ほどではありませんが、mildな日になりそうです。
mildでもパッチは必要です。

今日は午前中、キッズクラブの準備をしていて、
4時からキッズクラブ、
今中高生が誰かの送別会をしています。
「タコ八」で遊んでます。
この後、ちょっと彼らにお話をして、
そして、その後、夜はまた人に会う約束があります。
遅くなるかも・・・です。

ですから今日は早めにアップ。

今日のキッズクラブは学校が休みだったのが悪かったのか、
ちょっと前回よりも少なかったですね。
たぶん20人くらい。

でも、みんな楽しみにしてきてくれるので、
とても励まされます。

そして、今日の朝、何を話そうかなあ、と準備していたことを
話しました。
神様がこの世界を造られたこと、
そして、みんなを造られたこと、
お母さんのお腹の中で、大切に大切に守られて、
神様がそのお腹の中で私たちを形作って下さって、
それによって私たちが生まれたこと。

子供たちにはどのように伝わったか、
分かりませんが、
何度も何度も同じメッセージ、
神様の愛と守りの中にいること、
神様に頂いた人生であることを、
語り続けること、

そして、イエスの十字架の愛を伝えることを、

していきたいと思います。

今日の朝はローマ人への手紙の7章を読みました。
ここの後半は、パウロが「自分はしたいと思うよいことはできなくて、
したくないと思う悪いことをしてしまう」と独白しているところです。

それに自分自身の思いが重なるところでもありますが、
今日はそれ以上にもっと前の方にある、

「それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。」
という4節の言葉が心に留りました。

私たちはキリストと結ばれた存在。
この言葉をずっと味わっている中に、
ものすごいありがたい、という思いが湧いてきました。

私たちはキリストの花嫁。
人間の夫婦でも、本当に幸せを感じる時があります。
一つとされた幸いを感じる時があります。

それが、イエスと一つにされている、という幸い。
そして、実を結ぶ人生、それも自分のためにではなく、
主のために実を結ぶことができる人生を与えられている。

もっともっとイエスに結ばれたことの幸いを味わっていきたいと思います。

主よ、
私をあなたのものとしてくださったことに心から感謝します。
どうかもっともっとその幸いを味わい生きるものとしてください。
今日も教会のお一人ひとりが、そのことを経験できますように。
神様と共に歩む幸いに生きる方々が起こされていきますように。