2009-10-03

なまぬるい。

今日は生ぬるい一日だった。
昨日までの冷え込みがウソのよう。
朝から20度近くあって、昼間は21.9度。
今、夜の10時を過ぎても、まだ18度もある。


午後、うちの東側では雷雨もあったよう。
(特にコネチカット方面)
でも、うちのあたりはほとんど何も降らず。
でも、レーダーを見ると、とても「細い」雷雲が西から接近中。
だから、たぶん、今夜、一瞬雷雨だと思う。


明日はまた20度を超えるみたい。
でも、朝晩は冷えそうです。


明日は教会堂を使わせていただいている教会の創立110年礼拝。
2年半ほど前に、このザイオン教会の歴史を調べてアップしたことがありました。


それを再録。


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そんなことで、
私たちに会堂を貸して下さっているザイオン教会の歴史を見てました。
1899
年に創立。
1903
年に土地購入。住宅2軒分の敷地。
1904
年に建物完成。・・・ちなみにこれは今お借りしている建物ではなくて、教会の裏の坂道を上がった右側の建物です。土地と建物で2340ドル。そのうち、教団からの無利子の借り入れが620ドル、教会債が500ドル、その他が積み立てですから、計算すると1220ドル。
5
年で、初めての会堂です。この町の2軒分のロットは決して大きくありません。最初は礼拝を守れるだけのスペースだったのでしょう。でも現在、同じことをしようと考えると最低でも60万ドルくらいはかかるんでしょう。

そして少しずつ少しずつ周りの土地を買い足していったようですね。
今から50年くらい前に今の土地の半分を買って移転。
それから10年ほどして、残りの半分を取得。駐車場としたようです。
それからまた10年後、今から30年前ですが、入って右側の部分、ジムとロビー、オフィス、コワイアルーム、キッチンあたりを造ったそうです。それも、78年に計画が始まって完成は82年。いくらかかったかはもう少し調べないと分りませんが、工事が遅れてよけいにかかったお金だけで約40万ドル。

今はかなり人数も減っていますが、10年前は2回の礼拝をしていましたし、200人以上の方々が集っていた教会。その教会が100年かけて造ってきた教会堂、それを何だか当たり前のように使わせて頂いて、もっともっと、感謝すべきだなあと思いました。



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もしもわたしたちが会堂を持とうと思うと、
やっぱり、今お借りしているところを基準に考えてしまいますよね。


今のように体育館があって、
礼拝堂がきれいで、
駐車場が十分あって・・・。


でも、今、わたしたちのためにこの場を提供してくださっているこの教会も、
最初からこの建物があったわけではない、
本当に多くの汗と涙と経済的な犠牲と献身と、
たくさんの議論と、その中で傷ついた人と、
建築許可を得るためのたくさんの交渉、
ああでもない、こうでもない、という話し合いの時間。
いろんないろんな犠牲の上に、この建物があって、
それをわたしたちは当たり前のように使わせていただいている。
110年と言えば、私の今までの人生の2倍半。
JCCNJの歴史の5倍半。
その年月の中でこの教会のために仕えてこられた方々は何千人規模になると思います。
その方々の愛を軽く見てはいけないですね。


今日の天気のように生ぬるい自分の考え方を反省させられます。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ14:1-12。


「私たちの咎が、私たちに不利な証言をしても、主よ、あなたの御名のために事をなしてください。」7節。

わたしたちの救いは、ただただ、恵み。
わたしたちの主に対する忠実さゆえではなく、
神が神であられるがゆえ。
その御名のゆえ。

わたしたちが祈ったから、
わたしたちが献げたから、
わたしたちが忠実だから、
ではなくて、

わたしたちが祈る前から、
わたしたちがささげるべきものが何もない時から、
わたしたちが神様に背を向けておられる時から、
主はわたしたちを愛して、
わたしたちに目を留めて、
救いの御業をしてくださった。

それに感謝して祈る。
それに感謝してささげる。
それに感謝して、従う。

それでいい。

それがいい。

ただただ、恵みの中に歩んでいきたい。

主よ、
あなたの恵みに感謝します。
私の何かではなく、
私の忠実さや一生懸命さではなく、
あなたの恵みがあるから感謝します。
すべての勘違いから守ってください。
恵みの中に歩む者とならせてください。


2009-10-02

主を依り頼む。

さて、いい加減に追いついておきたいので、
もう一日分、更新。

今日の聖書はエレミヤ13章20-27節。


「あなたがわたしを忘れ、偽りに拠り頼んだためだ。」25節。

何度も何度も自分に問いかけられる言葉。
「私はいったい、何を頼りにしているのだろうか?」

信頼できる人?経済力?

もちろん、それも神様が与えてくださっているもの。
でも、自分の傾向として、
いつの間にか、神様ご自身よりも、
神様が与えてくださっているものの方を頼りにしてしまう。

だから、時々、神様ご自身を信頼することを学ぶことができるように、
主がチャンスを与えてくださる。
それは痛い経験だったりする。

本当に、主ご自身を信頼することを教えて頂きたい。
他のものではなく、主が与えてくださったものでもなく、
主ご自身を本気で信頼して歩んでいきたい。

主よ、
もう一度引き戻してくださってありがとうございます。
あなたの与えてくださっているものではなくて、
あなたご自身を信頼することを教えてください。
あなたご自身を信頼します。

週末のためにあなたの導きを待ち望みます。
あなたが御言葉を与え、力を与え、喜びを与えてくださいますように。

暖房・・・どうしようか。

今朝の最低気温は4.4度。
もう、晩秋なみですね。


うちの中は、何とか17度くらいですから、
真冬の暖房が18度に設定してあることを考えると、
まあ、もう少しがんばれるかなあ、というところ。
でも、底冷えします。


夕方、人が増えて、料理で火を使うようになって、
なんとか、20度くらいまで上がってきました。
今夜は余り冷え込まないみたいです。
そして、明日は南風が入って、暖かくなるそうです。


ですから、今回はなんとか暖房なしでしのいだ、って感じでしょうか?


次の波は来週の後半に来そうです。
そこまでは未だ暖房は必要なさそうです。


さて、今日の朝の集会は、「締め切りのある仕事と、ない仕事どっちが好き?」という話。
私は圧倒的に、ある仕事が好きです。
というか、ない仕事は・・・いつまでたってもできない方です。
でも、今日の皆さんの結論は、「締め切りのない仕事なんて、ホントは何もない」ということでした。


・・・ですよね。


わたしたちの人生自体、自分は知らないだけで、必ず終わりが来る。
いつでも、その備えができていないといけない。
イエスはそのように言われています。


だから、いつでも、毎日が締め切りのようなつもりで、
一日一日、「まだ時間がある」なんて考えないで、
準備していかなければいけませんね。


さて、昨日、10月1日の聖書。
昨日はエレミヤの13章12-19節。


「もし、あなたがたがこれに聞かなければ、私は隠れた所で、あなたがたの高ぶりのために泣き、涙にくれ、私の目は涙を流そう。」17節。

今日はこのエレミヤの姿から、エレミヤの愛を感じた。
高ぶっている人々のために泣いたエレミヤ。

自分はこのような愛を持っていただろうかと、思わされた。
自分は彼のように、高ぶる人々のために泣いてきただろうかと。
悩んでこなかったかというと、悩んできたと思う。
何とかならないかと、祈ってきたかというと、祈ってきたと思う。
でも、泣いてきただろうか?

その行く末を案じて、泣いてきただろうか、
その信仰の歩みを心配して泣いてきただろうか?

ああ、自分には愛がないなあと思わされた。

無関心でいたかというと、そうではないだろう。
でも、彼のような愛があったかと言ったら、
愛がなかったんだなあと思う。
逃げてきたのかもしれない。

高ぶる人々のことを心配するだけではなく、
その人々のために祈るだけでもなく、
彼らのために泣くほどの愛をもって愛していけますように。

主よ、
あなたの愛を与えてください。
エレミヤの愛を与えてください。
高ぶる者のために泣ける者とならせてください。

2009-10-01

お迎えする喜びと・・・。

今日は本当に底冷えする一日でした。
最高気温は13.5度。
そして、今、夜の10時半ですが、もう9度まで下がっています。
明日の朝は今朝より冷えるかなあと思います。
ズバリ、5度と見ました。


明日はもうちょっと暖かくなる予報が出ています。


さて、今日の午後から夜に掛けては、
サキのお友達が帰国になるので、
同じ学校やそのほか、近くの方々、
子供たちとお母さん達が大集合。
子供たちは学校が終わってすぐ、
お母さん達も5時頃には集合しました。


子供が22人、大人が10人。(写真を撮った段階で・・・)


ホント愛されていたご家族です。
わたしたちもとても楽しく過ごさせて頂いたご家族。


そして、皆さんが持ち寄ってくださったお食事、
見事だったので写真をぱちり。





で、本当に楽しく過ごさせて頂きました。
というか、今回は奥様方の集まりだったので、
私はおとなしくしておりましたが(たぶん)、
でも嬉しかったです。


そう、人をお迎えするのは本当に大好きです。
まあ、といっても、大体、私はあまり何もしないで、のんちが一生懸命なのですが・・・。


でも、今日の朝は我が家で家庭集会があり、
その中で、イエスをもてなすために一生懸命だったマルタという女の人が、そんな忙しい中、イエスの足下に座り込んで話を聞いていた妹のマリヤを許せなくて、「イエスさま、私ばっかりこんなに一生懸命で、あなたからも、妹に何とか言ってやってください!」と切れてしまう話を読みました。


いろんなことを語り合ったのですが、やはり最終的には、イエスは「聞くこと」を求められたのだ、と、他の何をも置いて、まず、静まること、聞くことを求められたのだと、そこに行き着きました。人をお迎えするのは大好きですが、やはり、その中で、いつもいつも主に聞いていくこと、主に満たされていくこと、それを見失わないようにしないとなあ、と思わされました。


でも、本当に一つ一つの素晴らしい出会いを与えてくださっている主に感謝。


さて、9月30日、昨日の聖書。
昨日はエレミヤ13:1-11でした。


「私はユーフラテス川に行って、掘り、隠した所から帯を取り出したが、なんと、その帯は腐って、何の役にも立たなくなっていた。」7節。

この腐った帯は当時のユダヤ民族の姿を表している。
ということは、やはりわたしたちへの警告なのだ。

私はどうだろうかと、やはり思いめぐらさせられた。

何も役に立たない腐った帯になってはいないだろうかと。
そんなことを言われたら、悲しいでしょうが、
本当にそうなっていないだろうかと、いろんなことを思いめぐらさせられました。

もしも、主からそのように言われたならば、
素直に、悔い改めることができますように、
そして、主の回復と、恵みと、圧倒的な力を頂きたいと、
「あなたの弱いところに表れる」主の力を見せて頂きたいと、
本当に思います。

主よ、
私はこの腐った帯のように、何の役にも立たないものになっていないでしょうか?
主の恵みの流れる器になっていないでしょうか?
主の愛をつたえるものとされていないでしょうか?
どうか、主よ、もしも、私がこの腐った帯のような者になっているなら、
それをはっきりと教えてください。
そして、もしも、そうだったのなら、素直に悔い改める心をお与え下さい。

爽快な朝。

昨日は、前の晩DVD作成に半徹していたので、
もう早い時間から前後不覚で、休んでしまいました。
夜中に起きて更新するつもりが、
目が覚めても起きあがれず、朝まで寝てました。


で、今朝は気分爽快。


幸いな祈りの時を持ちました。
今朝も、一つのことを主にささげるように導かれて、
祈って再出発しました。


弟子訓練のテキストに、
「朝のデボーションの勝負は前の晩についてる」という一文がありましたが、本当にそうだなあと思います。夜でなければできないこともありますが、朝のために生活を整理する必要を感じました。


今朝は5.8度まで下がっています。
今日は天気はいいと思うのですが、気温も上がらず、
15度止まりのようです。
三寒四温の反対の状態なんですが、
言葉はないんでしょうかね。
秋が一歩一歩深まっていくのを感じます。


足が冷えるのは閉口しますが、
私の場合は秋は花粉症がないので、
一年で一番好きな季節です。


さて、火曜日、9月29日の聖書。
エレミヤ12:7-17。


「もし彼らがわたしの民の道をよく学び、わたしの名によって、『主は生きておられる』と誓うなら、彼らは、わたしの民のうちに建てられよう。」16節。

聖書の中に何回も出てくる、
この「主は生きておられる」という誓う時に使う言葉。
火曜日は、この言葉について、いろいろ思いめぐらされました。

どうして、彼らはこの言葉で誓ったんだろうか?
神様が生きている限り、私はこれをします!
神様が生きているから、私はこれができます!
神様が生きておられることと同じくらいの確実性で、私はこれをします!

自分的には真ん中の気持ちがあります。
本当のところは、もっと一生懸命いろんな本を引っ張り出してきて、
調べなければいけないのでしょうが、
当時の人々もいろんな気持ちでこの誓いの言葉を使ったでしょうから、
もしかしたら、そんな気持ちで使った信仰者がいたかも、ということで。

主が生きておられるから、
主がおられるから、
だから、わたしは一つの決意を持って進んでいくことができる。
主が導いてくださっていると信じるから、
そこに進んでいくことができる。

主がおられるから、って最近本当にありがたく思います。
宇宙を造られた大きな神様が、私のことを心にかけてくださっているから、
私のためにご自分を与えてくださったと知っているから。
だから、勇気を持って進んでいける、
それを心から感謝します。

主よ、
あなたがいてくださるからありがとうございます。
あなたが私と共に歩んでくださると決意してくださったから、感謝します。
どうか、私が進む道を教えてください。
決断と勇気を持って前進することができますように。

2009-09-30

ビデオ編集中。

今日もまたあっという間に日付が変わってしまいました。
9月の最後の日、30日になっています。
でも、ホントに日が短くなりました。
朝家を出るときはまだ暗いし、
夕方もあっという間に暗くなります。


鳩山首相が温室効果ガス1990年比25パーセント減を表明したのを受けて、
私もマジになって、家中の電気を消して回っているのですが、
あんまり消してばっかりいると、何だか、家の中が暗くてしょうがありません。


それに「現在に比べて」じゃなくて、1990年に比べて、ですから大変です。


1990年なんて、たとえばかきごおり家の電気の使用量は何分の一だったかと思います。


一番少なかったのは文句なしに1992年だったとは思いますがね。
ハジを連れて、留学のためにアメリカに来た年。
ただただ、貯金が減らないようにと必死で、
月の電気料金、10ドルとか、15ドルだったような・・・。


まあ、そこまでは無理だとしても、
本当に無駄のないようにと思わされます。


明日の朝はまた一ケタ。
昼間も気温は上がらず涼しい一日でしょう。


夜は時間ができたので、
ずーっと気になっていた、6月のJOYJOYシンガーズのビデオの編集とDVD作成に取りかかっています。
こんなこともできるようにと、6年前にプチモンスターマシンを自分で組み立てたのですが、今や、格安のノートブックなみの性能で、何だかものすごく時間を掛けて処理をしているようです。
でも、とにかく今夜きっと終わると思うので、そうしたら、次はいよいよJOYJOYキャンプのビデオ編集です。なんとかみんなが「ああ、そんなこともあったなあ」と思うようになる前には完成させようと思います。


さて、月曜日、9月28日の聖書。
エレミヤ11:18-12:6


「主よ。私があなたと論じても、あなたのほうが正しいのです。それでも、さばきについて、一つのことを私はあなたにお聞きしたいのです。なぜ、悪者の道は栄え、裏切りを働く者が、みな安らかなのですか。」12:1

本当にエレミヤの苦しみはいかばかりだっただろうかと思う。
神様から使命を頂いて、忠実に働いているのに、
忠実に主のメッセージを語っているのに、
何故、自分は苦しむのか、
それに対して裏切るものが安らかで、栄えているのか?

本当にどんなにやるせない思いだっただろうかと思う。
どんなに悔しい思いをしただろうかと思う。

でも、「日々のみことば」の祈りにあるように、
わたしたちは『まだですか』と即答を求めすぎているのではないだろうか?
日曜日にも語れたことですが、
わたしたちは自分の感覚で答えをもらうことを求めている。
答えをもらえて当然だと思っている。

でも、主のご計画はわたしたちの時間の感覚を超えている。
イザヤも700年も先の救いを見せられた。
「いつまでですか?」と聞かないではいられなかった。
今の状態がいつまで続くのか、どこまで忍耐しなければいけないのか、
それを主に聞いたときに、その答えはイザヤの生きている間ではないことが示された。

私もそれくらい長い目で、
私の目ではなくて、主の目で物事を見ることができればと思う。

主を心から信頼して、
必ず、正義をなしてくださると信頼して、
歩んでいきたいと思う。

主よ、
どうか、あなたの御業を見せてください。
私の時間感覚で物事を見ていくのではなくて、
あなたの時間感覚を信頼して、
大きなスパンでものを見て、
そこに参加する喜びに歩ませてください。

2009-09-28

子連れNYC DAY


今日は晴れていい天気でしたが、
夕方から雨。
予報にあったような雷雨もありませんでしたし、
シカゴのように竜巻警報も出ませんでした。


明日からはどんどん秋が深まっていきそうです。
朝は一ケタ、昼間は20度以下の日が続きそうです。
そろそろ暖房も欲しい日が出てきそうですね。


さて、今日は子供たちはユダヤ人の祝日のために休み。
学校は休みだけれども、領事館は開いている、というなかなか貴重な日。
今日しかない、とユキのパスポートをとりにNYCに行っていました。
私も週休の日、のんちは仕事なので、私が二人を連れて行くことになります。


せっかく行くので、子供たちのお目当てはBook Off。
そう、日本の古本屋さんがあるので、そこははずせません。
そして、ZAIYAでおやつタイムをして、
観覧車のあるTimes SquareのToys-R-Usに行って、
帰りは2週間連続のMITSUWAでのんちと待ち合わせ。
フードコートで夕食をすませて、しっかり休日を楽しませて頂きました、
というか、休日で疲れた・・・って感じもありますが・・・。


実は先週の後半、YankeesがRed Soxに2勝1敗だったら、
今日、Yankeesの優勝決定の試合になるかと思って、
チケットを探していたのですが、
「まあ、いいや」と見送っていました。


結果的には正解。


結局3連勝で昨日優勝決定。そして、今日は雨で、試合開始が2時間遅れ。
消化試合に自腹切って、子連れで行って、風邪引いて、子供は寝不足・・・なんてことになりかねないところでした。でも、テレビ見ていると、かなりお客さん入っているみたいです。ご苦労様です。


さて、昨日、日曜日の聖書。
エレミヤ11:9-17。


「ユダの人、エルサレムの住民の間に、謀反がある。」17節。

大河ドラマなんか見ているからかもしれませんが、
「謀反」なんて言葉を見ると、ぎょっとします。
謀反なんて言われたら、大変なことです。
もう、それで、政治生命を絶たれたようなものです。
ダビデ王家が長く続いた国の中で、この言葉はどれほど大きな意味があっただろうかと思います。

それを、その言葉を自分が受けるほどのことを神様に対してしている、と人々はわかっていたのでしょうか?

自分が罪を犯すときに、それをそれほど深刻なものとして、
ちゃんとわかっているでしょうか?

つみのおそろしさ、神を神としないことの恐ろしさを、
軽く見ることがありませんように。

主よ、
あなたに対して、謀反を犯すことがありませんように。
あなたを神としないことがどれほど大きな罪であるか、
忘れることがありませんように。


2009-09-27

信仰って。

今日は一日雨でしたね。
今、夜の10時過ぎで、もう上がっているようですが・・・。
明日は暖かくなるようです。
そして、午後には雷雨も。


明日はユダヤ人の祝日(大贖罪日)なので、
子供たちは学校が休み。
私は教会から頂いている週1日のお休みの日。
ユキのパスポートをピックアップにNYCに出てきます。
雷雨に遭いませんように。


今日はルーマニアで伝道している、
「かわいかったろう」川井勝太郎先生が、
初めてNJの教会をご訪問下さり、メッセージを語ってくださいました。
メッセージの録音はこちら
http://www.jccofnj.org/main/message_mp3/Kawai_K_092709_1b.mp3


ものすごいインパクトがありました。
神様がこの先生を送ってくださったことの中に、
神様がわたしたちの教会に目を留めてくださって、
必要なメッセージを伝えてくださったんだなあ、と思わされました。


共産主義政権の中で迫害されて、苦闘していた教会。
その祈りが応えられて、自由が与えられ、リバイバルを経験する。
わたしたちはこのリバイバルの方に注目しやすいけれども、
その背後に長い間、忍耐を持って祈り続けた教会がある。


主の真実を信頼して祈り続けることの大切さを思わされました。
神様を信頼して祈り続けようと思います。


生ぬるい自分の信仰を建て直させて頂きたいと思いました。


さて、昨日、9月26日(土)の聖書。
エレミヤ11:1-8。


「そうすれば、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる」4節。

神に従えば、神の民となる。
でも、これはやはり旧約の話。
エレミヤがのちに語るようになる新約の世界は、
そして、私が生かされている新約の世界はそれを超えた恵みの世界。

わたしたちが神様に背を向けているときから、
神はわたしたちを愛して、わたしたちのためにひとり子イエスが、
十字架で死んでくださいました。

だから、わたしたちがイエスの恵みを信じるだけで、
その十字架の愛を信じるだけで、
わたしたちは神の民となる。

その恵みに生かされていることに感謝。

土曜日のあさ、オリオン座が夜空にその姿を見せていた。
そのベルトの三つ星の下に縦に短剣のような三つ星がある。
その真ん中がぼやっとしている。
それがオリオン大星雲。
それについていろいろ調べながら、
たとえば、地球からの距離が1600光年だとか、直径が33光年だとか、
ちょっと頭では直感的には理解出来ない宇宙の大きさを感じていた。

つまり、1秒間に地球を7回半回る光が33年かかって、その星雲の端から端まで届く。
今、わたしたちが「オリオン座の短剣の真ん中の星」として、見ている光は、
今から1600年も前、つまり
直江兼続よりも、豊臣秀吉よりも、
いやいや、もっともっと、牛若丸よりも、
いやもっともっと、大化の改新よりも、聖徳太子よりも、
もっともっと前に出た光なんだ、と考えるとホントに気が遠くなる。

でも、その宇宙を造られた神がわたしたちに目を留め、
興味を持ってくださり、そして、わたしたちのところに来てくださった。
そのすごさを、思わされる。

主よ、
あなたがいてくださるからありがとうございます。
あなたが熱い思いを持ってわたしたちのところに来てくださりますからありがとうございます。
イエスさまの十字架故に、本当は神の民になり得ないものでありながら、
神の民とされることに感謝します。
どうか、その喜びの中に歩ませてください。

Happiness。

日付が変わってしまいました。
1時前です。
今、外は雨が降っています。
ちょっとまとまった雨になりそうです。
ずいぶん雨が降っていなかったので、
ちょうどいいかな、という感じです。


今日の午前中まで雨が残りますが、
午後からは回復するようです。


昨日は中高生の集会。
最後の方に来たユキの友だちを含めて、
高校生3人にスタッフ2人。


でも、その中で、高校生の一人が、
「幸せの方程式」を紹介してくれてなかなかおもしろかったです。
BBCの記事に載っているのですが、


それは
Happiness=P+5E+3H。


P stands for Personal Characteristics, including outlook on life, adaptability and resilience.
・・・性格、って訳していいんでしょうか?人生についての見方とか、適応性、立ち直りの早さ。
E stands for Existence and relates to health, financial stability and friendships.
・・・生存、なんでしょうか?健康、経済的安定、友人関係。
Hは Higher Order needs, and covers self-esteem, expectations, ambitions and sense of humour.
・・・もっと高度な必要ですね。セルフエスティームや将来への期待、冒険心やユーモア。


で、4つの質問をされました。これに1-10で答えます。1が全然。10が激しく同意。
1. Are you outgoing, energetic, flexible and open to change?
・・・あなたは外向的で、エネルギーがあり、フレキシブルで、変化に対応出来ますか?

2. Do you have a positive outlook, bounce back quickly from setbacks and feel that you are in control of your life?

・・・あなたはものごとに対して積極的な見方をしていて、挫折から素早く立ち直ることができますか?生活のコントロールができているように感じますか?

3. Are your basic life needs met, in relation to personal health, finance, safety, freedom of choice and sense of community?

・・・あなたの生活のための必要は満たされていますか?健康、経済、安全、選択の自由、コミュニティーの一員であること。

4. Can you call on the support of people close to you, immerse yourself in what you are doing, meet your expectations and engage in activities that give you a sense of purpose?

・・・あなたは親しい人たちからのサポートを求めることができますか?自分のしていることに熱中出来ますか?自分の願ったようにすることができますか?目的意識を持ってできる活動に関わっていますか?


これで、1+2=P、3=E、4=Hだそうです。


ちなみに100点満点で、自分は91点でした。
いやあ、幸せもんですね。


答えが「自分がどう感じるか」ですから、
めちゃくちゃ主観的なことですが、
結局、幸せを感じるかどうか、って本当に主観的。
人がうらやむような生活、絵に描いたような順調な人生で、
それでも、不幸の固まりのような方もあれば、
本当に苦労されているんだろうなあ、という中で、すごく幸せに見える方もいる。


他の人が「あんたこれ、そんなに高くないだろ!」とつっこみを入れたくなるところでも、
本人が激しく同意!、と思っていたら、それは幸せなんですよね。


でも、その高校生の子が言っていたけれども、
この方程式は科学者がみんなで話し合って出したものだけれども、
わたしたちが、神様を計算に入れるときに、
無限の神様を計算に入れるときに、
この方程式を超えていくと。
全く激しく同意!!!


Happiness=God・・・knowing Godですよね。


さて、9月25日(金)の聖書。
エレミヤ10:17-25。


「主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。」23節。


人の歩みを神様の見ておられるような視点で見る。
神が見ておられるように見る。


わたしたちが神がこう願われていると決めつけるのではなく、
わたしたちの見方を神に押しつけるのではなく、
神が見ておられる見方を受け入れる。


人を、単に表面的なことだけで見ていくのではなくて、
人の魂の状態で見る。
人の言葉だけを聞くのではなくて、
その心の叫びの方に耳を傾ける。


そのような人の知り方をしたいと思う。


神様が導かれる人生、
神様が与えられる人生、
わたしたちがどのように受け止めるのか、
人々にどのように受け止めることを願っていくのか、
本当に表面的なことにばかり目がいくことがありませんように。


神様の見方を教えてもらうことができますように。


神様、
あなたの見方を教えてください。
あなたが私を、そして、人々をどのように見ておられるのか、
その将来に何を見ておられるのか、教えてください。
そして、そのように、私も人を、将来を見ていくことができますように。