2010-11-27

明日に備えて。

今朝は思ったほど冷えず、-1.0度。
この秋最低更新ならず、でした。
そして、今夜もどうなんでしょうか、
今、夜の10時40分ですが、2.8度。
夜は弱いし、明日に備えて今日はもう休みます。

良い日曜日を!

2010-11-26

旅人として。

今朝は冷え込みも緩んで、
というか、だんだん気温が上がっていたみたいで、
寝る前には5度くらいだったのが、
起きたら7度くらい。
ちょっと雨が降っていましたが、
朝からお店の前の行列に並ばれた皆さんにとっては、
救いだったのではないでしょうか。


今日は一日どんよりしていましたが、
夜になって、晴れて、冷えてきました。
今、夜の11時過ぎですが、2度くらい。
明日の朝は-2度くらいの予報が出ています。


今日は、ニュースレターの原稿と、
日曜日の準備。
もう一度アドベントの礼拝説教計画を再考して、
以下のように準備を始めました。

11月28日 クリスマスって12月25日じゃなかったの?・・・じゃあ、どうして?
12月5日 クリスマスを24日で終わらせるな!・・・じゃあ、いつまで?
12月12日 恋人たちのクリスマス?・・・愛を育む秘訣は?
12月19日 最高のプレゼントを準備しよう!・・・Rush and Shoveの街から。


クリスマスの商業主義化を嘆くよりも、
クリスマスがこんなに注目されていることを、
積極的に受け取って、何とか、一人でも多くの方々と、
イエスの誕生の喜びを分かち合いたいと思います。


あさってからはいよいよアドベント。


明日は礼拝の準備と、アドベント聖書黙想の準備、そして、中高生の集会です。


さて、今日の聖書。
今日はレビ記の23:26−44でした。


「これは、わたしが、エジプトの国からイスラエル人を連れ出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたがたの後の世代が知るためである。わたしはあなたがたの神、主である。」43節。

この世での私たちの歩みは仮庵の中で住むような歩み、
そのことを忘れないようにと、主は仮庵の祭りを定められた。

そうなんですよね。

私たちはこの世では旅人。
天国に向かって旅を続ける旅人。

なのにいつの間にか、この世の歩みが全てであるかのように生きてしまう。
そんな先入観の中に閉じこめられてしまっている。

本当は私たちはこの世では旅人に過ぎない。
だから、荷物はできるだけ、軽いほうがいい。
簡素な方がいい。

荷物が増えないように、
持っているものに縛られないように、
神さまを見上げて、
眼に見える「物」ではなくて、
神様によって心満たされて、
歩んでいくことができますように。

主よ、
私がこの世では旅人に過ぎないこと、
旅には沢山の荷物は必要ないこと、
いや、それ以上にじゃまになること、
忘れることがありませんように。


今日も、もう一度思い出させてくださって、
ありがとうございます。

感謝。

日付が変わりました。
サンクスギビングが終わりましたが、
なんだか朝の準備から夜まで、楽しく過ごしました。

朝は、先日遠足(社会科見学)で、下の娘が、
Macy'sのパレードの準備の様子を見に行ったので、
朝からじっくりTVでパレードを見て、
その後、掃除と料理。

食事の後は、中高生たちとカードゲームをやったり、
iPadとMacBook Airのどちらがいいか、
WinとMacのどっちがいいか、
などで盛り上がったり、ちょっと久しぶりの感覚でした。

あんまり「牧師らしい」ことをすることはなかったのですが、
こういうのもいいな、という感じ。

フットボールでも
Paramus High vs. Ridgewood HighではParamusが勝ち、
NY Jets vs. Cincinnati BengalsではJetsが勝ち、
いい気分。

興奮しているのか、2時を回っても、
眠くなりません。

明日は日曜日の準備とニュースレターの準備。
主の助けを待ち望みながら。

2010-11-24

Happy Thanksgiving!

今朝はよく晴れた。
久しぶりに土星やスピカも見えた。
それから明るく輝いていたのは
うしかい座の0等星、アルクトゥルス。
振り返って西の空を見れば、
月明かりに負けまいと輝くのは
シリウス(-1.5等星)、ベテルギウス(0.5等星)、プロキオン(0.4等星)


はい、これら、すべてStar Walkのおかげです。
自分では全然わかりません。
ちょっとこれから勉強しようかな、です。


冬の晴れた朝は最高です。
そのまま、神さま素晴らしい!と賛美に入れます。ハイ。


今は夜の11時半で4度。
明日の朝は氷点下で、多分この秋最低を更新。
昼間も雨で肌寒そうです。


さて、明日はThanksgiving・・・
去年はいろいろ「感謝」考えていたんだなあと思いました。


今年はほんとうに心の思いが研ぎ澄まされて、
「あれが感謝」「これが感謝」を超えた世界にいます。
すべてが取り除かれた後に残る感謝ってなんだろうと、
そんな事を思わされながら、過ごしています。


去年はずいぶんたくさん集まって来られたThanksgivingですが、
今年はそこそこいろんなお宅にバラけたようで、
20人くらいでしょうか。
いい傾向・・・。


さて、今日の聖書。
今日はレビ記23:1−14。


「六日間は仕事をしてもよい。しかし七日目は全き休みの安息、聖なる会合の日である。あなたがたは、いっさいの仕事をしてはならない。この日はあなたがたがどこに住んでいても主の安息日である。」3節。

ルターによって、労働の尊さが回復され、
「仕事も礼拝のうち」という考えが定着してきました。
間違いじゃないと思います。
私たちの生活のすべての側面が礼拝で、
神さまの栄光を表すときなのです。

でも、時計の振り子は反対側にふれてしまったようにも思います。
つまり、「仕事を休んで礼拝しなさい」という聖書の命令の意味を見失ってしまっているのではないかということです。

日曜日が都合がいいから礼拝をする、
これがもしも月曜日がよかったら、月曜日、
火曜日がいい人は火曜日、
夜がいい人は夜。
なんて感じでしょうか。

仕事が忙しい時には
「仕事だからしょうがないよね」となる。

「しょうがない」ではなくて、「仕事も礼拝のうちだから・・・」というのもある。

でも、毎日が礼拝なんだけれども、
そんな中で、神さまが決められた方法がある。
神さまを第一にするならば、神さまの方法に従うこと。
submissionだ。

もちろん、律法的に義務として守っていくこと、
それだけでは違うだろう。
でも、神さまが「こうしなさい」と言われたことに、
理屈を越えて従っていくこと、
自分の理屈にこだわらないで、
神さまの理屈を受け入れていくこと、
それは本当に大切な事だと思う。

人間って本質的に「わがまま」だと思うから。

主よ、
あなたを礼拝します。
あなたの方法を導いてください。
そして、そこに従っていくことができますように。

2010-11-23

愛すること。

今日も暖かくなりました。
朝は5度くらいでしたが昼間は18度くらいまで上がりました。
そして、夜になって寒冷前線が通過。
雨は殆ど降りませんでしたが、
これから冷えてくると思います。


今は夜の10時半で気温は11.3度ありますが、
明日の朝は2−3度の予想が出ています。


今日朝一番に目に飛び込んできたニュースが
朝鮮半島での砲撃。
ほんとうに心配です。


一日祈りつつ思いめぐらしていた中で、
子供の頃から、朝鮮半島にゆかりのある方々との出会いがたくさん与えられ、励まされ、支えられてきたことに気付かされました。


大学時代のゼミやクリスチャンのサークル、少しずつ。
そして、聖書学院の仲間たち、
EmoryやDrewの学友たち。
特にDrewの仲間たちは質・量共にパワフルでしたねえ。


こちらの教会で出会った皆さん。民団系の方も総連系の方も、半島出身の方も。


そして、今、特に思わされるのは地区の牧師会で共に歩んでいる先生方のこと。韓国教会に支えられている日系教会もいくつかあり、韓国からの宣教師の方々にも本当に力を貰っていると思います。


そして、なかなか直接お会いすることはできませんが、互いのブログで交流をしているハワイやカルフォルニアの聖書学院出身の先生方、奥様のご家族が半島におられたり、ご自身半島にルーツをお持ちだったり。


お一人ひとりの顔を思い出しながら、どんな思いで祈られているか、心を向けながら祈っています。




でも、そんなことを思いながら、
正直に感じたこと・・・。


自分はアフガニスタンやイラクの戦争のために、
コソボやアフリカ各地の紛争のために、
こんなに祈ったことがあっただろうか。


身近なところに、その地にゆかりのある方々を置いてくださって「祈れ」と主が招いてくださっているのだ、とはわかるのですが、自分の関心がいかにも自分の周りだけに、自分と関係のあるところだけに、なってしまっているのだろうかと思わされたのです。




それには伏線があって・・・。


昨日ご紹介した茂木氏ですが、
いつの頃からか、注目してきました。
考え方が違ったり、
不祥事でがっかりしたこともありますが、
心の底でやっぱり応援しています。


どうしてか、というと、
一つは、難しいことを分かりやすく説明できる人が尊敬できる、ということが一つ。
でも、もっともっと大きなことは、
面識とかないんですが、
同じ時代に同じ高校で過ごしているんですね。
1年先輩。


この心の動きってなんだろうと思っていました。


愛校心ていうか、それが一方的な仲間意識みたいになって・・・。
自分のアイデンティティーを作っている一部だから、
そこを共有しているのがうれしい、ってことでしょうか。


でも、同じ愛◯心で、
今、こんな紛争が起こるとき思わされるのが
「愛国心」。


オリンピックやW杯なんかでも感じますけど、
紛争の時に思うのは、「どうなのかな」という思い。


9-11直後のアメリカを席巻した愛国心。
違和感を感じながらも、それを口に出したときの人々の感情的な反応。
God Bless Americaばかりが流れて、
「アフガニスタンは神にとってどうでもいいのか?」と思ったこと。
空爆が始まったときにクリスチャンの施設の中で沸き起こった拍手への「なにそれ?」という思い。


いろんな思いがかけめぐっています。
ああ、また整理できない・・・。
整理できないままこんな表明していいのか・・・と思いつつ書いてしまっています。


近くにゆかりのある人がいるから、より具体的に祈ることができる、そうなんですよね、それはいいんです。でも、愛することは自分の領域から一歩外に出ることだと思うから・・・。


でも、いずれにせよ、今回祈りに招かれていることは間違いないです。
主が各国のリーダーたちの決断を守ってくださいますように。


さて、今日の聖書。
今日はレビ記22:10−33でした。


「欠陥のあるものは、いっさいささげてはならない。」20節。

主へのささげ物に、自分としては余り大切ではないものをささげようという人がいたんだろうなあ。これは差別の問題とは全く無関係で、大切なモノを主に捧げることの意味を伝えた言葉。

果たして自分はどうだろうかと思う。

たいせつなものをささげるから、ささげ物の意味がある。

自分にとって大切なモノはなんだろうか?
神さまよりも大切にしているものはないだろうか?

それをささげなさい、と言われたときに、
主にささげたくないものがあるだろうか。

主を信頼して、最高のものを主のもとに持っていく、
そのような生き方をしたい。

そう、主は必要なものをすべて与えてくださる、と約束してくださったのだから。

神さま、
どうでもいいもの、余ったもの、役に立たなくなったもの、
そういうものではなくて、
最高のものをあなたのもとにお捧げすることができますように。
あなたのために最高のものを用いていただくことができますように。
それはまた、元々あなたからお預かりしたものなのですから。

2010-11-22

嫌われることを恐れない。

今朝は暖かかったですね。
まだ曇っていて星空は見えませんでしたが・・・。


でも、昼間は晴れてきて、小春日和。
本当に暖かくなりました。
18.5度まで上がりました。


今は夜の11時過ぎですが、まだ11度くらいあります。


明日は少し雨が降るかもしれませんが、
また暖かい一日のようです。


先日から、Twitterで、
脳科学者の茂木健一郎氏をフォローしているのですが、
ときどき、示唆に富んだ発言があります。


最近、目が開かれたのはこれ。


茂木健一郎 連続ツイート 「嫌い」

なるほどですね。
特に「嫌い」は「一種の自己防御反応である。今までの自分を揺るがすような新しいものを前に、自分を守ろうとする。防御の壁が壊れると、一気に好きになる。」というところ。


聖書の中でもパウロにはこんなことが起こっていたのでしょうか?
教会は、パウロにとっては「嫌い」。
なんでかというと、自己防御反応。
今までの自分の生き方が否定されるのが怖くて、自分を守ろうとした。


その壁がイエスとの出会いによって崩されて、
一気にイエスの福音のメッセンジャーになる。


で、最後の方の「嫌われると人は傷付く。しかし、嫌われることに慣れて、人は一人前になるのだろう。『嫌われて一人前』」という一文。


これもなるほどです。


自分も嫌われることを恐れて、失ってきたものがたくさんあるのではないかと思います。「嫌われることを恐れるな」・・・イエスの生き方そのものですね。


自分もどれだけ多くの方々を「みんなに好かれなくていい」「みんなに好かれるなんて、どうせあり得ないんだから、恐れるな」と励ましてきたかと思いますが、実際、自分自身が一番、嫌われることを恐れてきたんだろうな、と思い知らされました。


「嫌われることから逃げない!」


これは大切な宿題だな。


さて、昨日と今日の聖書。
昨日・今日はレビ記21章から22章9節。


「イスラエル人の聖なる者は、わたしのために聖別しなければならない」22:2。

このところはずっと祭司の聖別されるべきことが書かれています。
神と人との間に立つ祭司は、他のものとは分けられる、特別な存在であり、
それゆえに、厳しい基準が当てはめられていました。

新約時代、特にプロテスタントの伝統の中で新約聖書が読まれる場合には、「万人祭司」といって、誰かが神と人との間に立つ必要はない。イエスが大祭司であり、一人ひとりが直接イエスを通して神の前に出ることができ、また互いに互いの祭司として執り成しの祈りをするようにと招かれているのです。

ですから、私たちはみんな神様の前に特別に分けられて、
身をきよく保つところに招かれているのです。

聖とされたから聖なる歩みへと招かれている。

たくさん課題はありますが、一つ一つ、主に導いていただきたいです。
取り扱っていただき、主の前に整えていただきたいです。

主よ、
わたしをきよめてください。
祭司として招かれた私を、
祭司としての働きのために整えてください。
互いのためにとりなす働きをさせてください。

2010-11-21

三段階の感謝。

101・・・感謝すべきことを探してみよう。
201・・・神さまはすべてを最善にしてくださるから、感謝できないように思えることも感謝しよう。
301・・・神さまがおられるから、共におられるから感謝しよう。

今日の礼拝メッセージ。(音声ファイルです)

38分も話していたんですね。(笑)

今朝は0.1度。
今朝も夕方も薄曇りです。
Star Walk出番がありません。


今夜は曇っています。
そして、木曜日くらいまで、曇りがちで、そして、時々雨も降る天気みたいです。
そして、Thanksgiving明けからは寒くなります。


今日の礼拝と愛餐会には沢山の方々が来られて、
楽しい、幸いなひとときとなりました。


はい、例によってゲーム担当の中高生たちにはやられました。




観察力・記憶力共にプライドが打ち砕かれました。
ありがと。
君たちのおかげで謙虚になれる・・・。