2007-12-01

前進するように言え。

今日は寒かったです。
朝5時半過ぎに起きた時は1度くらいあったのですが、
その後どんどん気温は下がって、最低気温は-1.5度。

昼間の最高は2.2度
そして、今、夜中の12時ですが、-4.4度です。
まだ下がっています。

そして、明日なんですが、
まあ、雪が1-3インチ積もるなんていっている天気予報もありますが、
そんなの信じません。

「あれ」ってくらい降らないで、
やっぱり降り出してちょっと雪だけど、すぐに雨に変わる
と読んでいます。

くれぐれもあてにしないで下さい。
あたるとおもうけど・・・。

でも、天気予報って、絶対悪い方に予報しておいた方がいい。
悪い予報を出しておいて、外れても、「外れたじゃん」ですみますが、
良い予報出しておいて、外れたら、ヤバイもん。

だから、きっと、みんな悪い方に出していると思う。

だから、きっと、実際はそんなに悪くないと思う。
そんなことを根拠にしちゃいけないんでしょうが・・・。

さて、今朝、早朝祈祷会、いつも来られる方々が、
風邪を引かれたり、都合が悪かったりで、
本当に小さな集まりでしたが、
主に語られてしまいました。

「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。」
出エジプト記の14章15節。

興味のある方は是非前後も読んでください。

主に向かって求めて祈る時と、
主の導きに従って行動する時があるのだ、と思わされました。

つまり自分の願いを主に祈る時と、
祈りの中で示されて、行動する時と。

「あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。」(ヨシュア記1章3節)

もう約束されているところも、自分の足の裏で踏まなければいけないということ。

正直、もう主に「どうしたらいいのですか」と聞くのが怖くなってしまいました。

モーセと同じことを言われそうで・・・。

さて、今日の聖書。
今日はアドベントを前に創世記の3章に導かれました。
明日の礼拝の聖書箇所です。

「神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。」
21節の言葉です。

明日の礼拝説教でも中心的なメッセージになると思いますが、
主がどれほど憐れみ深い方であるか、
そして、人の罪がどれほど深刻なものか、
思わされました。

動物がそこでは犠牲にならなければいけなかった。
そして、エデンの園から追放されなければならなかった。

それまで、彼らは自分の罪を深刻に受け止めていただろうか、
いや、自分自身、そこまで深刻に受け止めていただろうか。

そして、この殺された動物は、後のイエスによる救いを表す預言的な存在となったのです。
神様はそこまでして、わたしを救おうとされた。
わたしに赦しを与えようとした、
わたしの恥を隠そうとした。

わたしもこの皮の衣を与えられていることに感謝しました。

主よ、
世の初めから、わたしのために、
救いの計画が進められていたことに、
心から感謝します。

イエスによる赦しが与えられていることに感謝します。
この赦しを安っぽく考えることがありませんように。

この赦しに感謝して歩んでいく者でありますように

明日からはオリジナルのアドベントの聖書日課に沿って読んでいきます。

アドベント聖書日課アップ

とりあえず、なんのレイアウトの調整もしていないのですが、
アドベントの聖書日課をアップしました。

右側のリンクから行ってください。

今日の聖書はまた後ほど・・・。

2007-11-30

大丈夫。きっと。

大丈夫でしょう。日曜日の雪。
降り始めが遅くなる+最初だけちょっと雪でほとんどが雨、と読みました。

今日は寒かったですし、夜になってまた冷えています。
今1.2度ですが、この気温は数時間ほとんど変わっていません。
それは今南風が入っているからで、
明日の明け方前には北風に変わり、
それがかなり強い寒気なので、明日の明け方は-5度くらいまで下がります。

そして昼間も寒くて、3-4度止まり。

明日の夜は-10度くらいまで下がるかもしれません。
ですから、降り始めが早ければ雪なのですが、
たぶん、日曜日の午後まで降り出さないでしょう。
そのころには南風も入って、温度が上がっているので、
たぶん雨、と読みました。

って、ここに13年住んでの直感と、
(考えてみれば、日本で天気予報に凝っていたのも、
6歳から22歳なので、まあ同じくらいになってきましたね。)
コンピューターモデルを見比べて、
こんなもんかな、程度の話なんで、
全然あてにならないんですが、
あと、日曜日、ふつうに過ごせるようにという願いを込めて・・・。

ズバリ「降り出しが遅くて雨。」

あ、でも、これ、くれぐれも「山登り」「遠出」とかの参考にしないで下さいね。
これ読んで、山登って遭難した、なんて困りますから・・・そんな人いないでしょうが・・・。

さあ、どうなることか。

さて、今日の聖書。
今日はペテロ第2の手紙の3章でした。

「このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。」
11節の言葉です。

どういうわけか、最近、このような聖書箇所が心に留まります。
主が語ってくださっているのだと思います。

わたしは元々、「律法的な」生き方をしてきたと思います。
どういうことかというと、「まじめにやらなければ・・・」と思って歩んできました。
でも、それはとても窮屈な生き方だったり、
人目にどう見えるかを気にする生き方でした。
「クリスチャンらしく見える」ことを大切にしてきたのだと思います。

でも、大学生の時に、キリストがわたしのために十字架にかかってくださった、
と言うことを本当に深く知り、
喜びにあふれて歩み始めました。
それまでは人目を気にして、「みんなはどう思うだろうか」を大切にして生きてきましたが、
それからは、この感謝をどのように生きようか、と思うようになりました。

でも、それまでの生き方の反動だったのだと思いますが、
「~らしく」・・・つまり「クリスチャンらしく」とか「牧師らしく」ということに
妙な反発を感じてしまっていました。

でも、ここに来て、主が「聖さ」に招いておられることを
聖書の言葉から、びんびん感じます。

特にヘブル人への手紙の12章の10節の
「 肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。」
という言葉にものすごい魅力を感じます。
神様はご自分のHolinessを私たちにshareしようとしておられると。

だったら、本当に訓練して、聖くして頂きたいと思います。
それは誰がどう思うか以上に、
主がそこに招いてくださっているなら、
そこに行きたいと、単純に思うのです。

主よ、
どうか、わたしを聖くしてください。
あなたのご性質を、Shareしてください。
試練はそんなにうれしくないですが、
でも、必要なら、与えてください。
でも、その中でもいつもいつも、あなたを見失うことがありませんように。

日曜日、天気が守られて、
皆さんと礼拝を守ることができますように。

明日は日曜礼拝の聖書箇所、創世記3章を読みます。
日曜日からは今準備しているアドベント聖書日課で読んでいきます。
(土曜日中にはアップロードします)

2007-11-29

Shining Like a Star

今日は昼間は暖かく、10度くらいまでいったのですが、
夜になって冷えてきました。
でも、夜の12時でまだ3.1度あります。

明日の朝は-1度くらい。
昼間は5度くらいと、また寒くなります。

土曜日はもっと寒くなって、
日曜日は、やはり雪→雨かなあ、という感じです。
でも、日曜日の夜までは降り出さなくて、
降り始めだけちょっと雪、という可能性も出ています。
まあ、かなり正確にわかってくるのは、
土曜日になってからでしょう。

今日は真ん中の子、8年生のユキの先生との面談に行ってきました。
今年の先生との相性がいいのか、
本当に有能な先生なのか、
それとも友達関係の変化なのか、
今年のユキは去年とは全然違います。
ですから、そんな成長を先生と一緒に喜んでいました。

その先生、親に対しても、子供をめちゃくちゃほめる先生で、
「先生、それはほめ過ぎ」って、何度思ったでしょうか。

でも、おもしろい先生で、
ユキのことを、Stealth Yuki と呼んでいる、
と言っておられました。
授業の準備をしていると、静かに入ってきて、
いつの間にか、そこにいる、という感じだそうです。
確かに、あの子は気配を消します。
まあ、ユキはユキで、Stealthと呼ばれて、
喜んでいるようですが、
挨拶くらいしなさい!というのが親の気持ち。


そんなユキへのそんな先生の名言。
"She is shining like a star."
「先生、それほめすぎ」とつっこもうと思ったら、
そんなこっちの気持ちを読みとったのか、
「静かなんだけど、確かにそこで輝いている星のよう」だって。

うーん、そう言う言い方もあるか、と、うなってしまいました。
確かに星って、静かに光っているもんなぁ。

さて、今日の聖書。
今日はペテロの第2の手紙2章でした。

「主は、敬虔な者たちを誘惑から救い出し・・・」
9節の言葉です。

誘惑の多い中に生かされていて、
「クリスチャンにも誘惑がある」
「熱心になれば、サタンもそれだけ一生懸命になるから・・・」
「牧師には牧師への特別な攻撃がある」
と思って、また言われてきた中で、
今日はこの聖書の箇所を読んで、

「ああ、本当はもっと誘惑にさらされていてもおかしくないのに、主が守ってくださっているのだ」と感じました。主の恵みと守りを思わされました。

今でも十分、いろいろな誘惑の怖さを感じていますが、
でも、もしも神様の守りがなければ、この戦いはもっと厳しいのかもしれない、
もっともっと多くの誘惑にさらされるのかもしれない。

「我らを試みに会わせず、悪より救い出したまえ」と主の祈りを祈りますが、
その祈りに応えて、神様がどれほどの助けを与えてくださっているのか、
忘れてはいけないと思わされました。

主よ、
あなたの守りに、あなたが守ってくださっていることに、
私の目を開いてくださったことに感謝します。
どうか、続けて守ってください。
たくさんの誘惑があります。
どうか、身を清く保つことができますように。
知らないうちにサタンの罠にはまっていることがないように、
あなたが守ってください。

2007-11-28

聖霊の助けで聖書を読む。

今朝、寒かったんでしょうかね。
個人的にはバスに遅れないように、ちょっと家から走ったので、
寒さは感じませんでしたが、ちょうど0度くらいだったのでしょうか。

昼間はやはり7度くらい。

そして、今は南風が入ってきていますので、
余り冷えなくて、4.9度。
まあ、明日の朝は3-4度でしょう。

週末のStormですが、日曜日の朝に降り始めそうですが、
初めは雪で、後から雨に変わる、というパターンになりそうです。
日曜日の朝、というのが気になるところ。

礼拝が始まる頃には雨に変わっているでしょうが、
「行くかどうかを決める」時間帯に雪だとちょっと出足が鈍りますね。
中、長期予報のコンピューターモデルの代表的なモノに、
GFSというのがあります。
これによると低気圧の進路がちょっとまた変わってきていて、
もしかしたら、もっと雪にシフトするかもしれません。
そうなると、礼拝どころではなくなってしまいます。

そんなことにならないようにと、願いつつ。
まだ4日もありますから・・・。

そして、来週はちょっと寒さが厳しくなりそうです。

さて、今日はすぐに聖書。
今日はペテロの第2の手紙の1章を読みました。

「それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。 なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」
20-21節の言葉です。

何が「私的解釈」で、何がそうでないかは難しい気がしますが、
とにかく、ここを読みながら、「聖霊様、教えてください」と祈らされました。
聖霊様が聖書の言葉を書かせたなら、
そして、「私的解釈をしないように」と言われているなら、
それは「聖霊様に教えて頂かないと・・・」と思ったわけです。

ここでも聖霊様の働きが本当に大切なんですね。
今日も、何回もいろんな誘惑や、
神様に喜ばれない考えが浮かんできた時に、
「聖霊様助けてください」と何度祈ったことでしょうか?

私たちはちょっと隙があると、
すぐにつけ込まれるなあと思います。

いつもいつも聖霊様が心に住んで、
心を守り続けてくださらないと、
ダメだと思います。

でも、そんな戦いの中だけではなくて、
聖書を読んでいる中で、どれほど聖霊様の助けが必要かと、
教えられました。

祈りつつ、求めつつ、聖霊様に聞きつつ、
聖書を読んでいきたい、聖書に聞いていきたいと思いました。

主よ、
どうか、私が聖書を開く時、
自分勝手な読み方、
自分に都合のいい読み方から、守ってください。
あなたが語ってください。
聖霊様が教えてください。

私の目を開いて、
聖書の言葉のくすしきことを見せてください。

2007-11-27

充電。

いやあ、冷えてきましたねえ。
って気温はまだ5.8度Cもありますが、
朝から13度くらいありましたから、
そこから下がってくると、寒く感じます。
そして、風もあります。だからよけい寒く感じます。

明日の朝も0度くらいみたいです。
明日は朝からNYの日なので、あまり寒くならないで欲しいのですが・・・。

で、問題は週末から月曜日にかけてのStormです。

せいぜい木曜日くらいにならないと見えてこないと思いますが、
今のところ、こちらは雨が中心になりそうで、
雪の可能性もありますが、
中西部も北の方から、カナダにかけての方がインパクト大きそうです。

今日はたぶんほぼ1年ぶりでしょうか、
Brooklyn TabernacleのPrayer Meetingに行ってきました。
今日はPastor Cymbalaがおられてリードされましたが、
私は今から10年前にJCCNJの牧会を始める時に、
著書の"Fresh Wind, Fresh Fire"を読んで、
心震われて、何度か祈祷会にお邪魔しています。

今日は15分ほど遅れて入ったのですが、
Pastor Cymbalaが、
「皆さんはフットボールやバスケットボールや野球のひいきのチームが
いいプレーをした時には、どうですか?大喜びするでしょう。
主を喜ぶことは、もっと大きな喜びであるべきです。
さあ、手をたたきましょう。声を上げましょう。」
と言っておられました。
ちなみにPastor Cymbalaは大学まではバスケットをやっておられたそうです。

私はというと決して熱狂的な方ではないと思いますが、
今は野球のYankeesとバスケのNetsのファンです。
で、やっぱり、いいプレーが出た時は立ち上がって、
手をたたいて、大きな声を出して喜びます。

それを思って、
本当に手をたたいて、声を出して、
「神様、あなたはイエスさまを与えてくださいました。
イエスさま、あなたは十字架の上で私の罪を代わりに負ってくださいました!」
と叫んでいたら、本当に心が熱くなってくるんですね。
不思議な経験でした。

ですよね。
ひいきのチームのプレーを喜ぶのよりも、
もっと大きく喜びを表したい、そのように思いました。

そして、なんと、祈り会の中で結婚式。
教会の会場係の奉仕を通して知り合い、導かれたそうです。
私も今日はのんちも是非行きたい!ということで、
私たち二人も並んで賛美をして、並んで祈ったのですが、
至福の時でした。

いつも私は前に立ち、のんちは礼拝に来られている方々に心を配っているので、
自分たち夫婦が一緒になって、養われ、満たされることを求めて主の前に出る、
それは貴重な一時でした。

そして、聖霊様の満たしを求めて、
共に祈りました。

この間の日曜日の説教で語ったことが、
本当に大切だと思いました。
イエスさまに、聖霊様に守って頂かなければ、
サタンは私たちの心に、いろいろな攻撃をしてきます。
憎しみや不信や誤解、恨みなどの気持ちを、
私たちの心に植え付けて回ります。

いつもいつも聖霊様に満たされ続けることの大切さを感じ、祈らされました。

でも、本当に幸いな充電の時でした。

感謝。

さて、長くなりました。
今日の聖書。
今日はペテロ第1の手紙の5章を読みました。

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」
7節の言葉です。

今日はとにかく、
「主が心配してくださる」
ということに慰めをいただきました。

私なんかが心配してもしょうがないこと、
でも、心配になってしまうことがあります。

そんな私の心配事も、
主が心配してくださるから、大丈夫、と思わされました。

それも、こんな小さな小さな者の心の中にある、
心配事も、主が心にかけてくださっている。

どれほど大きな慰めになったことでしょうか?
そして振り返ってみた時に、
今、考えると「ああ、あのとき、あそこで主が働いてくださった、御業を示してくださった」
ということがあるんですね。

だから、いろいろ考えるのはやめまよう、
見るべき方をしっかり見つめて歩こう、と思います。

主よ、
あなたのみことば、
みことばによる慰めに感謝します。

「私が心配しているから、大丈夫」と言ってくださって、
ありがとうございます。
どうか、私の心を守ってください。

私の心を聖霊様によって満たしてくださり、
悪しき思いが入ってこないように、
守ってください。

2007-11-26

さあクリスマス!

今日は予報通りの雨。
一日中7度くらいでしたが、
寒くは感じない、穏やかな雨でした。

夜になってから、ちょっと本降りになってきたでしょうか。

明日の明け方にかけて雨で、
西風が強く、朝は10度以上ある気温が、
午後にはだんだん下がってくるでしょう。

その後、週末にかけてそこそこ寒いようですが、
日曜日から月曜日、雪の可能性も出てきています。

ま、例の「一週間先はわかるわけがない」の法則がありますので、
何とも言えませんが・・・。

久しぶりの何もない月曜日。

教会のクリスマスのチラシを貼りにミツワと大道さんへ、
ついでに買い物。
どっちが「ついでに」かわかりませんが・・・。

11月は月曜から木曜はMitsuwa JCBのカードを使えば、
全品10パーセントOFFの月ですからねえ。
来週はもう12月。月曜日としては今日がラストチャンス。
もちろん、セールの品をねらって、+10パーセントOffで、
Han Ah Reumよりも安いかどうか、考えながらの買い物です。

そこそこの戦果があったと思います。

で、帰ってきたら、ポストに12月5日(水)は全品20パーセントOFFの葉書が・・・。

微妙・・・。

でも、今日の目的はチラシ貼りでしたから・・・ま、いいか。

でも、チラシとか貼りに行くと、
本当にクリスマスがやってくるんだなあ、と思います。

毎週の礼拝説教の予定を祈りつつ準備しながら、
イエスが来られた恵みをお話しできるかと思うと、
本当にわくわくしてきます。
たくさんの新しい方々に教会に足を運んで頂ければいいなあと思います。

さて、今日の聖書。
今日はペテロ第1の手紙の4章でした。

「愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。」
12-13節です。

ペテロの時代は信仰を持っているというだけで迫害されたこともありました。
まさに「火の試練」というものだったと思います。
それに備えていなさい、というメッセージです。

自分が出会う試練はそれに比べると甘いのかもしれません。

でも、やはり試練に出会うと、「どうして・・・」と思います。

試練のまっただ中で、喜べるかというと、やはり喜べない自分がいます。
試練に出会うと、早くそこから抜け出したいと思います。
早く時間に進んで欲しいと思います。
逃げ出したいです。
泣き言を言いたくなります。
「喜びなさい」と言われても、「そう言われても・・・」と感じる自分がいます。

でも、もし「試練のただ中で喜びなさい」と言われなかったら、
そのような世界があることも知らなかったでしょう。
そのような生き方があることもしれなかったでしょう。
そのような神の恵み、神の力があることも知らなかったでしょう。

だから、「試練のただ中で喜びなさい」と語られてよかったと思います。

そのような生き方をしたいです。
試練の中で喜ぶ生き方をしたいです。
そのような生き方をする人々と共に歩みたいです。
試練の中にこの世の天国があること、本当に経験したいと思いました。

主よ、
どうかあなたの力を与えてください。

あなたが、「試練の中でも喜びなさい」と言われているのですから、
そのような生き方ができますように。
喜びを日々与えてくださいますように。

私が水の上に踏み出したその時から、
嵐が来ることはわかっていました。
嵐の中で嵐に驚いて戸惑うことから守ってください。
嵐の中でもあなただけを見つめて歩むことができますように。

2007-11-25

祝福を受け継ぐ者

今日は10.6度まで行きました。
最近の寒さに慣れた体には、
暖かく感じるくらいでした。

そして、今は夜の10時半で2.2度。

これから雨のようですが、
南西の風が入ってきていますので、
これ以上温度が下がって雪になるということはなさそうです。

明日は雨の一日となりそうです。

今日の礼拝、
聖霊様を求めるチャレンジをしました。
そのように祈り始めた方々もおられると思います。
主が応えてくださいますように。
主が一人一人の上に、
教会の上に、聖霊様を与えてくださいますように。

総会も守られて感謝。
多くの祈りに支えられていることを思います。

それと共に、いろいろな課題があります。

でも、一つ一つ、主によって乗り越えさせて頂けるかと思うと、
主がこれからどんなことをしてくださるのか、楽しみです。

期待しつつ。

さて、今日の聖書。
今日はペテロの第1の手紙の3章でした。

「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」
9節の言葉です。

祝福を受け継ぐ者とされていること、
その意味を考えさせられます。

自分が祝福されるならば、
祝福することは簡単でしょう。
でも、侮辱されている中で、
祝福を与えることができるとはどんなことでしょうか?

神様にはその力がある、と語られました。
神様にはその力がある。
自分にはないけれども、
神様にはある。

神様の力を信頼します。
祝福を受け継ぐ使命をいただいているとは、
何という幸いかと思います。

このみことばを、次に人間関係で悲しい思いをした時に、
思い出すことができますように。
そして、無理ではなくて、
主の奇跡によって、祝福を与えることができますように。

主よ、
私のような者を、
祝福を受け継ぐ者としてくださったことに
感謝します。
この祝福を、周りの人々に、
それも、侮辱をする人々にも、
与えることができるとは、何という幸いでしょうか。

どうか、このみことばの通りに生かしてください。