2006-09-16

今度こそ、「来て、そして、見なさい」

何か、今朝は、中途半端な終わり方をしましたが、
土曜日の夜、書いています。

NJから来た目で見た東京ウォッチ。

1.電車の中で、携帯メールをプチプチやっている人の数は激減。
・・・去年の7月の来日時は半分以上、6割くらいの皆さんがやっていました。でも、今回はがくんと減って、2割くらい。もっと少ないかもしれません。


2.白いイヤホンがすごい勢い。
・・・これも去年の7月に比べての話ですが、NYでもそうなんでしょうが、白いイヤホンをしている人がホントに多いです。愛ぽっどのせいでしょう。でも、ここまで「みんながしている」とちょっと個性を主張したい人がいるようで、でかいヘッドフォンが復活です。ノイズキャンセレーションの機能がついているヤツでしょうか?とにかく1日歩き回っていると、ちょくちょく見ます。でかいヘッドフォン。

3.地下鉄至れり尽くせり。
・・・地下鉄を使うことが多いのですが、「ここまでやるか」と思うのが、このポスター。

今年初めて見る訳ではないのですが、NYで地下鉄では考えられないことだよなあ、と思い、紹介します。

はっきりと写っていませんが、このポスターの場合、地下鉄東西線の駅の名前が全部左側に書かれていて、それぞれの駅で降りる場合、何両目に乗れば、「乗り換え口」や「出口」にちょうどいいか、書かれているんですね。

特に日本橋駅とかは複雑なので、これは助かります。

でも、その一方で、「そんなの下りてから捜せばいいじゃん」と思ったりもします。

毎日使っている人はそんなのは知っているでしょうし・・・。







さて、土曜日の午後、渋谷で人と会う約束をしました。

渋谷で待ち合わせと言ったら、もちろん、




















「ハチ公」


でも、うっかり今回は「ハチ公」とだけ伝えました。

そして着いて、たくさんの人々を前にして気がつきました。

高校時代、「ハチ公」で待ち合わせをする時には、

「ハチ公のしっぽ」とか
「ハチ公の頭」とか、

指定していたことを。

慌てて電話しました。

でも、考えてみたら、

「頭」とか「しっぽ」とか指定していたのは、
この「携帯電話」というものがない時代でしたね。

携帯があれば、大体の約束をしておけば大丈夫ですね。
携帯文化の恩恵に感謝した1日でした。

そして、その後、ハチ公前広場は大変な状況に・・・





犯人は晋三さんでした!

携帯で写真を撮っている人が結構いました。

自分も・・・。





夜は集会。
6人の方々が集まり、楽しい一時を送りました。

さて、金曜日の聖書。
ヨハネによる福音書にはいって、1章。

最後の方の、イエスに出会った人の言葉が心に留りました。

「来て、そして、見なさい。」

私もそれをいいたいと思いました。

とにかく来てご覧よ、と。

ひとりの人が神さまに出会うのは、説明ではなくて、説得ではなくて、
神さまが触れて下さることしかないのだと思います。

とにかく、イエスさまのところに、
教会に来てご覧よ、

そしたらわかるから・・・。

胸を張って教会のみんながそう言えるような、教会となりますように、と祈ります。

明日の日曜日もそのような1日となりますように。

主よ、
あなたのもとに、人々を連れて参ります。
人々をお招きします。
どうか、あなたご自身がひとりひとりに触れて下さいますように。
教会に「とにかく来てご覧よ」と言えるような、
霊的な雰囲気を与えて下さい。

明日の日曜日も、
そのような1日として下さい。

2006-09-15

来て、そして、見なさい

これを書いているのは土曜日の朝です。
でも、NJ時間ではまだ金曜日ですね。
NJゼロの時間ですね。
みんな楽しくやっているのかなあ、と思いつつ、お祈りしています。

NJにいるとわからない、テレビやインターネットでもわからない今の日本、
ちょっとだけ、ご紹介。

1.電車の中で、・・・

と思いましたが、もう出る時間になってしまいました。
今日はお二人の方にお会いした後、
夕方は家庭集会です。

次の更新のチャンスは今晩遅くです。

ではでは。

2006-09-14

イエスご自身が近づいて

こちらの金曜日の朝ですが、
このHPはNJ時間なので赦してもらいましょう。

木曜日、昼頃、やっと雨が上がりました。
でも、まだまだ寒いです。

台風が沖縄の南にあって、
北に向かって来るみたいです。
来週の火曜日、関西に向かう頃にはもう通り過ぎているかと思いますが、
大きな被害が出ないようにと願います。


台風なんて10年ぶりくらいでしょうか?

木曜日、一番の用事は、
ファミリーキャンプで販売した書籍の売れ残りと代金を持って、
販売を委託してくださったところに持っていくことでした。

そこはJR信濃町から徒歩五分。
東京シテーボーイの私も、この駅で降りるのは初めて。

ちょっと「おのぼりさん」状態でした。


煉瓦館と書いてありましたが、
この裏にはKO大学病院があったり、
明治神宮があったり、
神宮球場があったりするところです。
ヤクルトファンの方はここら辺はもうばっちりなんでしょうね。

現在、阪神が中日を猛追撃中。
元近鉄ファンで、今や応援するチームのない私としては、
やっぱ阪神応援しちゃいます。
来週関西行くし・・・。

今回、その信濃町の用件のあるところに行くと、
何と、ちょうどその時間、「横田早紀江さんを囲んで祈る会」やっているではありませんか。

横田早紀江さんは、北朝鮮に拉致されためぐみさんのお母さんですが、
娘が行方不明になって、まだ、拉致だとわからない、
何がどうなったのかわからない中で、キリストに出会って、
今も敬虔なクリスチャンです。

少なからず関心があり、またちょうど時間も空いていたので、
祈り会に出席して参りました。

今度の日曜日は金正日が拉致を認めてちょうど4年になるそうです。
拉致被害者家族会が発足してから9年。
最初の5年間は、家族会の方から、「問題をわかって欲しい」と講演や記者会見を開いてください、
とお願いして回ったそうです。
でも、北朝鮮が拉致を認めてからの4年間で横田さん達だけで1000回の講演依頼を受けて、
なさってきたそうです。

もう、体力的にも限界、だそうです。

今から30年近く前、13歳だった娘が急に行方不明になって、
「家出じゃないの」なんて言われたりもして、
・・・それが10年前に北朝鮮に拉致されたとわかって、
でも、それから、「亡くなった」と言われたり、
偽の「遺骨」を出されたり、
孫から「北朝鮮に来て」と言われたり、
いろんなことで揺さぶられて・・・。

想像ができません。

どんなに苦しい、悲しい、不安な、年月を過ごしてこられたかと思います。

祈りのサポートの必要を感じました。

何よりも、1日も早く、無事に解放されますように。

神さまがこの時間にこの場所に導かれたことに心から感謝します。

木曜日の聖書。
ルカによる福音書24章。最後の章。復活の章です。

「イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。」

15節の言葉です。

エマオへの道を歩いていた2人、
エルサレムを後ろに、
とぼとぼと歩いていた2人。

希望に溢れて、
やる気に満ちていた訳ではありませんでした。

どちらかというと、
失望して、困惑して、肩を落として歩いていたのでした。

イエスはそんな彼らを叱咤激励したのではありませんでした。

共に歩いて行かれたのです。

その中で、彼らの目が開かれて、
彼らが走り出すまで、
ずっと一緒に歩まれたのです。

ありがたいなあ、と思いました。
この方は「成功者」の神ではない。
調子に乗っている者たちの救い主ではない。

落ち込んでとぼとぼと道を歩む者と共に歩み、
でも、どこかで彼らの目を開いて、力を与えて、
走り出すようにしてくださる。

今の私とも、共に歩んでくださる。

それが感謝。

主よ、

あなたが共に歩んでくださること、
元気な時だけではなくて、
確信に溢れた時だけではなくて、
とぼとぼと歩む時にも、
共に歩んでくださることに感謝します。

どうか、私の目も開き、走り出すことができますように。

今日の1日もお守り下さい。

2006-09-13

きょう!

今日はまた昨日よりももう一歩肌寒い日になりました。
日曜日には34度くらいあったそうです。
それが今日は19度。雨がしとしと降っています。

今日は、東村山にある私の出身母体の教団の本部にご挨拶に行って、
お世話になった先生にお会いしてきました。
父の世代の先生で、2年前にはNJにもおいでいただきましたが、
楽しくお話をして、あっという間に2時間がたってしまいました。
昨日連絡して今日お会いできないかとずうずうしいお願いにもかかわらず、
温かく迎えてくださった先生に感謝。

そのあと、ちょっと予定が空いたので、
日本で副牧師をしていたときの若者で、
今は奥さんになった方ですが、ずっと寝たきりの生活をしておられる方を、
ご主人に連れて行っていただいて、病院に訪問しました。

とても喜んで迎えてくださって、
語り合い、お祈りしてきました。

どんなに大きな闘いがあるか、私の知らない部分がたくさんあると思います。
でも、彼女は笑顔を絶やさず、「うれしいねえ」と何度も繰り返しながら、
話をしていました。
日本に着いてまだ24時間。
でも、とてもいいときを過ごさせていただいています。

あと、マツイ君は、12日の復帰戦で4打数4安打だったそうですね。
今日の7時からのNHKニュースでも、
トップはさすがに「ひさひとちゃま」にゆずりましたが、
2番目のニュースでした。
NYではどれくらい騒がれてるんだろうなあ、と思いながら、
日本でのフィーバーぶりにはちょっと驚き。
でも、マツイファンの我が家にとってはちょっといいニュース。

今日の聖書はルカによる福音書23章でした。
イエスの十字架のところです。
今日心に留まったのは34節の

「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

というイエスの十字架上の言葉でした。

「あなたが御国の権威を持ってこられるときには・・・」といっていた、
イエスと一緒に十字架にかけられていた強盗のひとりに対して、
イエスは「あなたはきょう・・・」と言われました。

「いつの日にか」ではなく、「やがての日に」でもなく、

「今日」と言われた。

今までは、「御国の権威を持ってこられるとき」ではなくて、「今日」だと思っていました。

でも、今日は思わされました。

「御国の権威を持ってこられるとき」=「今日」なのではないかと。

イエス様が十字架にかかられたとき、
それこそがイエスが御国の権威を持ってこられるときであり、
パラダイスの門が開かれたときなのではないだろうかと。

主の恵みの注がれる日は「いつか」「やがて」ではなくて、
「今日」なんだ、と思わされました。

与えられている恵みを感謝して、
今すでに与えられているパラダイスのあゆみをこの地上でさせていただきたい、
とそのように思いました。

主よ、
あなたの天国の門が大きく開かれていることに感謝します。
イエス様の十字架によって開かれていることに感謝します。

どうか、あなたの与えてくださっている天国の歩みをこの地上でもすることが出来ますように。

今日の一つ一つの出会いに感謝しつつ。
明日の一日の祝福を大きく期待しつつ。

2006-09-12

勇気

あれから、5年。

月曜日の朝のその時間はNewarkの空港のロビーで
CNNを見ながら、黙祷に心を合わせながら、一つ一つ読み上げられる名前を聞きながら、
過ごしました。

名前を読み上げるだけで3時間。
そして、その名前の一つ一つに特別な、他の人とは違った、人生があった。
そのことを考えるともう私の頭の中がいっぱいいっぱいになります。

そして、生きている私たちの中でもあの出来事のストーリーはひとりひとり特別なもの。

まだ、そのストーリーをここに書けるほどにはなっていない自分があります。
個人的に聞いて下さる方、がおられたら、お話しできるかも、です。

今回、飛行機が上昇していく中で、
5年前のある飛行機の中では、
ほんとうに恐ろしい出来事が起っていたのだ、
ということをも考えていました。

私も「まさか自分の乗った飛行機で・・・」と
思って、乗っていました。
数え切れないほどの飛行機が飛び交う中で、
自分が乗っている飛行機がそんなことにあう確率はものすごく低いものです。

でも、
人生は確率で生きていくモノではありません。

99%大丈夫です、と言われても、
自分がその1%になることもあります。

私たちの人生、いつもいつも危険や困難と隣り合わせであることを、
いつもいつも忘れないでいたいと思います。

普通はそんなこと考えて生きていったら、重くて、暗い歩みになってしまう、でしょう。
でも、神さまがそんな中でも共にいて下さるから、
どんなに大きな試練が襲ってきても、
この方がおられるから大丈夫、と思います。

今日の1日も与えられた特別な1日。
今日本時間で朝の3時ですから、
ちょっと長い1日になりそうですが、
それも神さまの祝福。

感謝して過ごしたいと思います。

火曜日の聖書。
ルカによる福音書22章です。
イエスが逮捕されて裁判を受けます。
その中で、イエスは堂々と自分が神の子であることを語ります。
それが「死」を意味しているのに・・・。
イエスは十字架に向かって進んでいたのです。

その一方で、ペテロは自分がイエスの弟子であることを、
否定してしまいます。

この対比が心に留りました。

イエスの大胆さ、イエスの勇気に心から感謝しました。
それがなかったら、私たちの救いはなかったと。

しかし自分はどうかというと、
やはりペテロかと思います。
逃げる。
失敗したペテロに自分が重なり合います。

でも、そのペテロのためにイエスは祈って下さった。

「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

ペテロは失敗して終わらなかった。
失敗で終わることはなかった。

イエスもゲッセマネの園でお祈りになってから、十字架に進んで行かれた。

私も祈りが与えられていることに感謝。
祈りによって力を与えられて進んでいきたい。

神さま、
あなたに祈れることを感謝します。
祈りによって力を頂いて歩んでいくことができますように。
あなたの力によって歩んでいくことができますように。

今日も、祈ることを教えてください。

わたしがあなた方に与える

日本です。

NJは寒いくらいの朝だったようですが、
こちらもちょっとひんやりする夜です。雨がしとしと降っています。
やっぱり雨男かな。

今火曜日の夜になりました。
NJ時間だと火曜日の朝ですね。

すぽっと月曜日の夜が抜けた感じですね。

今回のフライトは、

映画のストーリーがわからなくなるくらい、
ウトウトしたり、目が覚めたり・・・でした。

いつもはばっちりで、寝ても1時間とか2時間とかで、
機内の映画をぜーんぶ見て、
訳のわからない番組まで見て・・・
(以前、コンチネンタルで、「風雲○○○城」やっていましたね。そこまで見てました。今は変な編集したものをアメリカでもやっていますが・・・)
それでも、時間が余っていたのですが、

今回はさすがに眠くなって、ウトウト。
でも、熟睡はできないので、結構退屈感はありました。

「だ・びんち・コード」もやってたので、見てしまいました。寝てしまいました。

うーん、ちょっと論理の展開が「ずるいっ!」って感じでしたね。
「そういう説もある・・・」「こういうことも考えられる」とか言いながら、
結局はイエスには子供がいたとか、教会は大切な秘密を歴史の中で隠蔽してきたとか、
まあ、しょっちゅう耳にするような珍説ですが、それを「えー、ほんとはそうだったの?」みたいに感じさせるように出してくるんですよね。


サスペンスとしても、何だか、いろいろ複雑に絡み合いすぎてよくわかりませんでした。
ま、いいか。でも、もうちょっといい映画はなかったんでしょうか?

そして日本といえば、「コンビニ」でしょう、やっぱり。


日本に来た!って感じはします。
宿泊先(実家)の徒歩圏内に何軒もあります。
ちょっと用事があって寄ったんですが、
いろんなもの売っています。
あんまりゆっくりは見てなかったんですが、
たとえば、カップ麻婆豆腐とか・・・。
そう、カップ麻婆豆腐・・・調べてみたら、カップ春雨の麻婆豆腐味と言ったらいいのか、
「ロングセラー」と書かれていますが、初めて見ました。

ま、そんな話ばかりで盛り上がってもしょうがないので、

月曜日の聖書。
ルカによる福音書21章を読みました。
その中の15節のこの言葉にものすごい力強さを感じました。

「どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます。」

私たちが一生懸命心配して考える言葉よりも、
神さまが与えて下さる、
イエスが与えて下さるその言葉に信頼したらいい、
そのように感じました。

自分の歩み、いつもそうだったと思います。
一生懸命考えて、立派に整えて、お話しすることよりも、

自分が「この御言葉によって語って頂いた」と感じるところ、
主によって自分自身が取り扱われるところ、
そこに力の源を感じます。

そのような語り手でありたい、あり続けたいと思います。

主よ、
どうか、あなたのみことばを語ってください。
私に語ってください。
あなたが語ってくださったことを、
私自身が教えられたことを
分ち合っていくような、

みことばを料理するのではなく、
みことばに料理されるような
語り手でありたいと思いました。

どうかみことばを与えて下さい。

これからの17日間の日本での歩みを祝福して下さい。

一つ一つの出会いを祝福して下さい。


2006-09-11

誰の肖像が刻まれているか

今日もすばらしい日曜日でした。
新しい方々もたくさん来られて、

子ども達もたくさん来て、
JOYJOYキャンプの子達も何人か来て、
とてもにぎやかでした。

いよいよ明日から日本です。
楽しみになってきました。

でも、こちらを3週間近く離れるのはまた心配。
心配以上に、机の周りの整理もできてなくて、
やるべきこともやってなくて、
あとで「あー!」と思うのではないかとかなり心配。
帰ってきた時に、「あー!」と気がついて
その時にはもう遅くなってしまっていることがあるのではないかと、
かなり心配。

でも、出発しちゃったらもうしょうがないから、
ちょっと机の周りを、人に見られても恥ずかしくないくらいにしておこうっと。

今日の聖書の箇所は、
ルカによる福音書20章でした。
24節のイエスの問いかけが、私に対する問いかけになりました。

「これはだれの肖像ですか。」

これが私に対して、
「あなたは誰の肖像を頂いていると思うのですか?」と主が問いかけておられるように感じました。

「神さま、あなたの肖像です」とお答えしました。

神さまの肖像を頂いていることがどれほど光栄なことかと思いました。

だから、次の節に「神のものは神に返しなさい」という言葉も感謝を持って受け取りました。

主よ、
わたしはあなたのものです。
あなたが私の主であって下さることに感謝します。

あなたに私の存在をお返しします。
あなたのご用のためにどうにでも使ってください。

今回の日本訪問にも、あなたが先立っていってくださって、
用いてくださいますように、
あなたの思いのままに用いてくださいますように。

あと少しでDVDの作業がやっと完了。
感謝!