2006-12-31

キリストの苦しみにあずかる

今日も、穏やかな日でした。
今、夜の9時ですが、
5度くらいあります。
でも今夜は雨。
新しい年のスタートは雨になりそうです。

今年の1月の分を読み返してみると、
去年の大晦日は雪が降って、
暖かい1月だったようですが、
それでも、何回か雪が降ったりしたようです。

この12月はほんとうに暖かかったです。
そして、この暖かさが1月も続くようです。

助かります。

でも、やっぱりちょっと寂しいところもあります。
冬は冬らしくないと・・・。

1年を振り返ってどんなことがあったかなあ、と思い出していました。
一つ一つの出会いにほんとうに心から感謝。
1月にはまだ出会っていなかった人たちの中からも洗礼を受ける方が起されたり、
もう出会っていたけれども、まだ信仰をもっていなかったけれども、
今はバリバリのクリスチャンの方もあり。

ほんとうに不思議だなあ、と思います。

そして、とてもうれしかったのは、
3人の子ども達が、今回のバケーションの行き帰りの車の中で、
3人並んで座って、じゃれ合っていたこと。

今まで、一人っ子を3人育てているような気分でいました。
ケンカにもならないのですが、
あまり兄弟で遊んだりしている光景もありませんでした。

15歳の男、12歳の女、5歳の女で、みんな見てる方向が違ったんですね。
それでしょうがないと思っていました。

でも、長男が成長したのか、
はたまた、下の2人が成長したのか、
今回は3人がケラケラ笑い合っているのを見て、
とてもうれしかったです。
これはほんとうに感謝。

個人的に自分のことで、ちょっと心配しているのは、
short memoryがひどくなっていることかな。
牧師としてはかなりまずいよな、ってくらい忘れていることがあります。

時には言われて「ああ、そうだった・・・」という時もあるのですが、
時には言われても「え、そうだったっけ?」みたいな時もあります。

脳の中のどこかの引き出しに入っているんだけど・・・
ということもあれば、
え、そんなのあったっけ?ということもあります。

自覚症状がない方がいいのか、ある方がいいのか、
分りませんが、とにかく心配しながら、
受け入れることも必要か、と思いはじめています。

やっぱりもっとメモをとることが大切ですよね。
高校生の頃の記憶力を今でも持っているつもりでいることが大体間違いなのかな?

さて、
今年最後の聖書。

今日はピリピ人への手紙3章を読みました。

「キリストの苦しみにあずかることも知って・・・」10節の言葉です。
苦しむことはあんまり好きではありません、
というか、嫌いです。
苦しいことからは逃げたいし、
目を背けてしまいたいところもあります。

でも、苦しむことも私たちには必要なのだと聖書は繰り返し繰り返し語っているのです。

キリストの復活の力を知るためには
キリストの苦しみをも感じることが必要だと
聖書は語っているのです。

だから、苦しみがやってくる時に、
それによって、
神様が私たちに復活の力を教えてくださるのだろうと思います。

その時にはそんなことを考えている余裕はないのですが・・・。

主よ、
心から感謝します。
一年間を感謝します。
これから歩んでいく道の中で、
想像できないような苦しみに出会うかもしれません。
そんな時、御言葉によって養ってください。
御言葉によって導いてください。

キリストの苦しみをあずかることによって
キリストの復活の力をも知ることができますように。

No comments:

Post a Comment