2009-02-07

なんだかあったかい。



そうなんです。
今夜は暖かいんです。


さっき、あと1時間で終わる、というタイミングで、
1パウンド=99セントの豚肉をもう一度買いに
24時間営業のShopriteに行ってきたのですが、
ずっとこのところ「さみい」と肩をすくめながら、
ポケットに手を突っ込んで買い物していたのですが、


今夜は何だか暖かかったです。


そこで気温を見ると、夜の11時半現在、5.7度「も」あります。


明日の予想最高気温は・・・ん?10度。
昨日の段階では13度くらいと言っていたので、
ちょっとトーンダウンですね。


まあ、あと1週間くらい暖かい日が続くようです。
でも、15日頃からはまたぐーんと寒くなるようです。
春の足音も聞こえますが、
まだまだ冬将軍も元気みたいです。


で、月曜日に買った豚肉は「ほぼ」昨日までに食べ終わりました。
あと、みそ漬けにしたのが3枚くらい残っていますが・・・。
結構食べるんですね。
一日「5人で」1キロくらい。


今日買ったのは19日までに食べるか冷凍しなさい、と書いてありました。
今日はまだ7日ですから、
あと10日くらいは大丈夫。
まだまだ豚肉が主食の毎日が続きます。

来週の、というか、あと15分くらいで始まる新しい週のShopriteのお買い得は、
たぶん、「卵」。12個で1.49ドル。
1年半前くらいまでは、それが当たり前の値段ですが、
今では、この値段は貴重なチャンスです。・・・たぶん。


さて、昨日の聖書。
昨日は伝道者の書1章12-18節。


「実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり・・・」18節。

だよねえ。
考えれば考えるほど訳わからなくなることや、
悩んでしまうことも多いと思う。

で、どうしても考えるのが面倒になってしまうことも多い。
で、理詰めで攻めてくる人に上手に説明できなかったりする。
そうすると、どうしても負けず嫌いの性格がむくむくと姿を現わす。

反対に、自分が「理詰めで攻めてくる人」になることもある。
そして、理詰めで押し切ったりすることもある。

でも、それがまた悩みの種になる。
本当にそれで良かったのかと。

何だかよくわからない。
「考えた方がいいのか、あんまり考えない方がいいのか」

この伝道者の書は考えることを勧めているのかなあ。
でも、やっぱり「考えて、何かがわかったり、知恵が増えることも、最終的にはむなしい」というのです。
これもやっぱり・・・

神さまを計算に入れないならば、
神さま抜きの人生ならば、

考えて、何かを極めることもむなしい。

でも、反対に、
神さまと共に歩むならば、

考えて、何かを極めることはすばらしい。

って、ことなんでしょうね。

主よ、
あなたがいてくださることに感謝します。
考えることも、
ものごとを極めることも、
意味を持つ、意味が生まれる、あなたと共に歩む歩みの故に感謝します。

早朝祈祷会に備えて・・・。

金曜日も寒かったです。
朝は-10.3度、最高気温は何とかプラスになって、0.8度。
でも、夜また冷えています。
今、午前1:45ですが、-8.6度。

あと5時間足らずで早朝祈祷会ですが、
寒い朝になりそうです。

でも、明日の日中はちょっと暖かくなるようです。

で、日曜日の説教の原稿が仕上がったので、
更新は後に回して、早く(・・・もないけど)休みます。

ではでは~。

2009-02-05

むなしく・・・ない。



今日はホントに寒かったですね。
朝はバリバリ寒くて、車の中で、手がかじかんでたいへんだったんで、
ポケットに入れたまま運転しました。(・・・なわけない。)


いやあ、ホント、「さみ~~~」と叫びながら、走りましたよ。(これはホント)


で、昼間も-5度くらいでしたよねえ。
今、夜の10時前で-9.5度です。


明日の朝も-10度を下回るのは確実です。


でも、寒さも明日の朝が峠。
昼間は0度くらいまで上がり、
土曜日、日曜日と暖かくなります。


さあ、春がやってきます。
・・・ちょっとだけ。


今日はJOYJOYキッズクラブの作戦会議。
今後の働きのためにいろんなことが話し合われました。

何よりも私たちの願いは、
一人でも多くの子供たちとの出会いであり、
神さまの愛を伝えることであり、
子供たちの心が守られることであり、
それはまたお父さんお母さんたちの心が守られることでもあります。


今年もたくさんの出会いが与えられますように。


今まで愛し、支えてくださった皆さんに感謝しつつ、
また新しい広がりが与えられるように願っています。


2月も楽しい、Exitingなキッズクラブとなりますように。


さて、今日の聖書。
今日から伝道者の書という旧約聖書の書物を読みます。
ヨハネによる福音書、続けて読みたかったような気もしますが、
予定表では3月8日までお預けのようです。


で、今日は伝道者の書1章1-11節。


「先にあったことは記憶に残っていない。これから後に起こることも、それから後の時代の人々には記憶されないであろう。」11節。

人がこの世を去った後も、
その人の存在が、周りの人々の心の中に、
そして記憶の中に生き続ける、ということが、
慰めになることがある。

それを慰めにして、支えにして歩む人もいるだろう。

でも、今日の聖書箇所は、
そんな私たちを淋しい気持ちにさせる。

「すべてはむなしい」
「やがては忘れ去られる」

この伝道者の書は最後の結論を知らないで読むと、
ちょっといたたまれなくなる。
「空の空、一切は空である・・・」
読んでいるのがつらくなる。
だから、12章を前提にして読むことにしている。
もしも、12章がなかったら・・・という仮定で・・・。

「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」12章1節。
「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」12章13節。

もしもこれがなかったら、むなしいし、恐ろしい。

自分の存在が誰かが覚えてくれていたら、
それはありがたい。
でも、それもやがて忘れられていく、
何もなかったかのような日常が続いていく。

でも、神さまが私の創造者として、わたしを造り、
ここに生かしてくださったことを覚えると、
生きる意味があると思う。
そして、この世を去る時はその使命を負えて、
主のもとに召される時。

だから、人生は「空の空」ではない。

主よ、
あなたが与えてくださった時。
感謝します。
この与えられた時を、用いさせて頂きます。
どうか、明日も、あなたが与えてくださった時を、
あなたが願われるように、用いることができますように。

何事も無駄にはならない。



昨日はものすごい水泳選手が来て、
別世界に連れて行かれました。
夜中の2時頃と4時頃には一度戻ってきたのですが、
間もなく、また引きずり込まれて、
更新まではできずに、朝になってしまいました。


昨日は神さまの御業を見ることができて、
本当に感謝することがありました。


人間の力ではなくて、
私たちの努力ではなくて、
神さまが働かれる時ってこうなんだなあと思いました。


もちろん、主に従って歩んでいく中にも、
「何だかうまくいかないなあ」という時もあります。


でも、聖書にあるように、
「だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」(コリント人への第1の手紙15章58節)


すべては無駄にならない。
水の上にパンを投げるように感じる時にも、主は「無駄じゃないよ」と言ってくださる。


感謝。


昨日は寒い一日でした。
朝は氷点下10度。昼間も氷点下の真冬日。


でも、今朝はもっと寒かったです。
-12.6度。
最高気温もー5度くらいの予報が出ています。


さて、昨日の聖書。
昨日はヨハネ9章35-41節。


「イエスは、彼らが彼を追放したことを聞き、彼を見つけ出して・・・」35節。

イエスが、癒された人を人々が共同体から追放したことを聞いて、
それを聞いて、彼を捜し出したことが心に留まりました。
何度も呼んでいるところですが、
昨日は新鮮にそれを感じました。
主の愛を感じました。

私たちも探してくださる。
私たちが寂しさを感じる時に、
私たちが孤独を感じる時に、
共同体から切り離されたと感じる時に、
主は私たちを捜してくださる。
見つけ出してくださる。

主よ、
あなたが私たちを捜してくださることに、
私たちを見つけ出してくださることに感謝します。
私もまたあなたの僕として、あなたがしてくださったように生きることができますように。
教会が「キリストのからだ」として、あなたがなさったように歩むことができますように。

2009-02-03

豚肉祭り。

今日はやはり5センチくらいでしたね。
気温も高めで、大したことではありませんでした。


でも、気温が下がってきています。
今は夜の11時過ぎですが、-3.8度です。
この後、明日、あさってと真冬日が続き、
次に気温が氷点下を脱するのは金曜日です。


でも、それを過ぎると、1週間くらい暖かい日が続くようです。
春はもうそこまで・・・かな。


昨日、中間試験で早く帰ってきていた高校生の2人に、
「何が食べたい?」と聞いたら、ハジが「豚のショウガ焼き」だって。
かわいいもんです。
そこで「うにいくら丼」とか「トロ」とか言われたらどうしようかと思いますが、
そこら辺はわきまえているようで・・・。


そこで、Shopriteの広告を見ると、豚のかたまり肉が1パウンドで、99セント。


1パウンドはだいたい450グラムくらいですから、
100グラム22セントくらい。
円に直すと20円くらい。


早速買ってきました。
最低で5キロくらいですが、
それでも10ドルです。
100キロ買っても220ドル。


いえ、勿論買ったのは5キロくらいのですが・・・。


で、ショウガ焼きを作りましたよ。
いや、準備だけしてNYに行って、
夜帰ってきて食べました。


おいしゅうございました。
そうそう、ショウガの酵素はタンパク質を分解してくれるそうで、
柔らかくなっていました。


で、今日はトンカツ。(byのんち)


食べ過ぎはいけませんが、ビタミンBもたっぷりの豚肉。
まだ5キロのかたまり、半分くらい残っています。
10ドルでこんなに楽しめるなんて・・・。


今週ずっと特売でしょうから、
また買って、しばらく豚肉祭りになると思います。
Thank you, Shoprite!


さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書9章24-34節。


「もしあの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできないはずです」33節。

腰が引けていた両親に対して、
この癒された人は、はっきりと自分の信仰の姿勢を表しました。

彼はこの言葉が決定的になって、
会堂から追い出されてしまいます。

でも、彼はそれを甘んじて受けました。

そうとわかっていても、
彼は自分の信仰の姿勢を表しました。
自分の立場を、
自分の旗幟を鮮明にしました。

私たちも、人からどう思われるかに縛られないで、
神さまから頂いた恵み、
神さまから受けた喜びを、
大胆に証するものでありたいと思います。

主よ、
あなたがしてくださったこと、
あなたが与えてくださったこと、
ありのまま、そして、大胆に語る者でありますように。

2009-02-02

最後まで微妙。

明日の雪ですが、
最後まで微妙ですね。
「何もない」からBig Surpriseまでいろんな可能性があります。

月曜日の夕方の段階で、
2-7センチ位の幅で予報を出しているところがほとんどです。

でも、つくづく予報の難しさを感じさせられます。
これを仕事としてやっている方々がうらやましくもありますが、
やはり、かなりのストレスなんだろうなあと思います。

今やコンピューターモデルに頼った予報が主流ですから、
コンピューターが出した結果がぶれると、
予報も振り回されます。
「大騒ぎしておいて、何だ!」という気持ちから、
かなり人を傷つけるようなメールを送りつけている人たちがいるみたいです。
「もうWeather Blogにはしばらく何も書かない・・・」とだんまりを決め込んでいる方もおられるようです。

どこの世界もネットでのエチケットが問題ですよね。

まあ、プロだったら、そんなことでめげないで頂きたいですが・・・。

というか、素人予報ファンにとっては、やはりプロの皆さんの予想を見て、
あーだ、こーだ、いうのが楽しい、というのもあるんで・・・。

で、明日はどうなるかわかりませんので、ドライブの方は気をつけて。

学校もEarly Dissmissalの可能性が全くないわけではないですから、
きをつけて・・・。

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と、ここまでが5時頃。

そして、NYで集会があって、
10時半頃帰ってきました。

帰り道で雪が降ってきました。

「なにもない」という選択肢はなくなりました。

たぶん10センチくらい。
内心Big Surpriseを期待しているのは変わらないんですが・・・。

さて、今日の聖書。
・・・いいですねえ、この「今日の聖書」という響き。
しばらく、「今日」じゃなくて、「昨日」でしたから・・・。

今日はヨハネによる福音書9章13-23節。

「すでにユダヤ人たちは、イエスをキリストであると告白する者があれば、その者を会堂から追放すると決めていたからである。」22節。

イエスのことを「悪霊」と呼んだユダヤ人たちは、
イエスを信じる者を排斥することを決めていた。

それを両親は恐れていた。
共同体から追い出される。
どんなに恐ろしかっただろうかと思う。
当時の文化の中で、
会堂がすべてであるかのような当時の文化にあって、
どんなに恐ろしかったことだろうかと思う。

でも、10章に出てくるように、
イエスこそ、私たちが頼るところ。
共同体ではなくて、
イエスこそ、私たちが頼ることのできるところ。
私たちを養ってくださる方。

この主が受け入れてくださる、
この主が私を支えてくださることを信じて、
主に従っていく者でありたい。

そして、その主が支えてくださることを、
人々に語っていきたい。伝えていきたい。

共同体から追い出されることを恐れているが故に、
主に従えないでいる人々に、
主が支えてくださることの祝福を伝えていきたいと思わされた。

主よ、
あなたがいてくださるからありがとうございます。
あなたが守ってくださるからありがとうございます。

私を支えるのは共同体ではなく、
あなたです。
あなたの信頼して歩むことができますように。

2009-02-01

GFS 00Z



GFS 00Zも出てきました。
うーん、こっちもなんだか、ぱっとしません。
やはり火曜日の昼ごろから、ちょっと降るかな、という感じですね。


3月4日から27日の予定で日本を訪問します。
日本の予定がこれからどんどん決まっていくと思います。
集会等の予定、右の「日本の予定」というリンクで見ることができます。


去年同様、たくさんのすばらしい出会いがありますように。


さて、今日、日曜日の聖書。
そう、2月になって「日々のみことば」も2月号になりました。
今日はヨハネ9章1-12節。


「そこで、彼は行って、洗った。」7節。

イエスの言葉に従って、
彼はすぐに言って、目を洗いました。
そして、彼の目は見えるようになりました。

彼がすぐにそれに従ったことが心に留まりました。

自分はどれくらい、神様の導きに単純に、すぐに従っていることだろうか、
そのことを考えさせられました。

信じたように行動していないことがどれほどあるだろうかと。
信じても行動までにものすごい時間をかけていることがあるだろうかと。

信じて、すぐに従う信仰を与えていただきたいです。
信じて、従うものでありたいと思います。

主よ、
あなたのみ声にすぐに従うことができますように。
あなたの導きに素直に従うことができますように。

NAM 00z



夜10時ごろにNAM 00Zが出てきました。
火曜日の昼間では何にもなくて、
午後から、ちょっと雪、という感じです。
10センチ以下ですね。


おお、Super Bowl、大変なことになっていますね。
最後3分くらいでArizonaが逆転したんですが、
終了40秒前くらいにPittsburghが再逆転。


・・・そして、試合終了。


最後の最後、かなり盛り上がりましたねえ。


まだまだ火曜日の天気わかりませんねえ。
あと1時間くらいで
GFSの00Zが出てきますから、

それでどうなることか。


さて、土曜日の聖書。
土曜日はヨハネ8章52-59節。


「あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜びました。彼はそれを見て、喜んだのです。」56節。

イエスよりも1500年以上も前の人であるアブラハムが
イエスを楽しみにして、イエスを見て喜んだという。

わたしたちはイエスを知っているのに、
どれほど、それを感謝しているだろうか?
そのことの意味をどれだけ知っているだろうか?

ペテロの手紙を見ると、
ほかの預言者たちもみんな知りたかったのだったと書いている。

この歴史を超えたイエスの価値、
イエスを知った恵みを、
もっともっと感謝していきたいと思いました。

もっともっと、祈りのときも豊かなときとなりますようにと、
願いました。

主よ、
あなたのすばらしさをもっと教えてください。
イエスを知ったことの価値をもっと感謝できますように。
もっともっとそれを伝えることができますように。

何にもないかも?



日曜日が終わって、Super Bowlのハーフタイムです。

早速いろんな天気予報や、コンピューターモデルをチェックしていますが、
NAMもGFSも、「なんにもない」という可能性を示唆しています。

各天気予報ももう24時間先の話なんですが、
確率が60パーセントだと出しています。
つまり、何も起らない確率が40パーセント。

ちょっと笑っちゃいます。

これで何も起らなかったら、この1週間は何だったんだ?という感じですし、
10センチくらいでも、「何だったの?」ってかんじですよね~。
天気予報の世界に対する不信感が募ってしまうと心配です。

もう、私もお手上げです。
でも、期待して裏切られるとつらいので、
もう「何にもない」つもりですごそうと思います。
(天気キチガイの中では、そういう人、きっと多いと思います!)

3日分もたまってしまいましたので、
今日は一気に更新です。
まず、金曜日、1月30日の聖書。
ヨハネ8:42-51でした。

「私たちが、あなたはサマリヤ人で、悪霊につかれていると言うのは当然ではありませんか。」48節。
これはイエスと話をしていた元々「イエスを信じた」人々の言葉。
彼らはイエスがはっきりと自分の使命について、
また彼らの罪について、
語り始めると、今まで「信じていた」のに、
がらっと態度を変えて、イエスのことを「悪霊につかれている」という。
そのきっかけは、イエスが「真理はあなた方を自由にする」と言ったことだった。
イエスが「あなた方は自由にされなければいけない」と言ったことで、
彼らはカチンと来たのだった。
カチンと来る信仰、
本当のことをいわれてカチンと来るならば、
それは結局自分中心の信仰だということなんだろう。
自分はどうだろうか、
自分がカチンと来るポイントはどこだろうか?
自分の信仰が探られる。
主よ、
あなたの語りかけを、
サタンの働きにしてしまうことがないように守ってください。
私がカチンと来るところ、そこに持っているプライドを、
あなたが砕き、溶かし、取り除いてください。