2012-12-14

暗闇の中の光:アドベント聖書日課12/14

今朝は-5度Cまで下がりました。
昼間は昨日よりはまだ暖かかったですが、
冬らしい、底冷えのする日でした。

明日までは天気がもちそうですが、
日曜日からはまたしばらくぐずつきそうです。

今日は私たちのいるところから車で1時間半くらいのコネチカット州のNewtownという小さな町の小学校で惨劇が起こりました。若者の銃の乱射で20人の子供を含む26人が亡くなったというのです。

昼にそのニュースに気がついて、その後ずっと心が捕われていました。
怒りや悲しみ、やりきれない思いで、涙が止まりませんでした。
朝は元気に家を出て行った子供たちの身にこんなことが起こるとは。

コロンバインの時の遺族の方が、親でごった返したホールで子供たちと再会して、ほっと胸を撫で下ろして帰っていく家族が続く中で、ほんの一握りの親だけが残る。そして、そこで、一番聞きたくないニュースを聞かなければいけない家族の思いを書いているのを読んだことがあります。今日も、そのようなことがいくつもの家族に起こったかと思うと、胸が張り裂けそうです。
オバマ大統領も会見で涙を拭いていましたが、みんな同じ思いだと思います。

今日は礼拝説教の準備をしていました。
「光はやみの中に輝いている」という聖書の言葉から準備をしていました。
まるでそれをあざ笑うかのような今日の出来事。

祈らされています。

お祈り下さい。



今日のアドベント聖書日課。今日はマルコ2:1-8

「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの道を整えさせるであろう。」2節。

今週のテーマは「救い主を迎える準備」・・・でも、繰り返し繰り返し思わされるのは、この準備を一番しておられたのは神様だったのだということ。

今年のクリスマスのための準備も、神様が私たちの準備を導いてくださることを信頼して歩もうと思います。

流星群の夜2:アドベント聖書日課12/13

きれいに晴れて、-3度ですが冷え込みもまあ、それほど厳しくなくて、
流星群を見ていました。
1時半過ぎに外に出て、2時半前まで見ていたのですが、
10個くらいかな。もっと流れているのかもしれませんが、
写真撮りたくて、カメラ見たりしていたので・・・。

でも、ちょうどいいタイミングで明るいのがちょうどいいところに流れてくれました。



明るいのが木星。
その右下のたくさん星が集まっているのがすばる。
そして、その右にかなり長く、明るく流れました。

さて、アドベント聖書日課の12/13日分。
ルカ 1:57-80でした。

「また、そのあわれみによって、日の光が上からわたしたちに臨み、暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ導くであろう。」78-79節

これはバプテスマのヨハネのお父さんだった、ザカリヤが、口がきけるようになって最初に語った賛美の言葉。
本当に神様の救いのすばらしさを歌っている姿に、心動かされました。
彼が口がきけなかった間、どんなことを考えて、どんなことに心を向けていたのか、本当によくわかります。
私が口を開く時に出てくる言葉が、私の心の中にあることを表しているんですね。
いつもいつも神様の恵み深さを思っていることができますように。
それから力をいただいて歩んでいくことができますように。

2012-12-13

流星群の夜:アドベント聖書日課12/12

昨日はNYへ行って、行きもそうだったのですが、
帰りのバスで久しぶりに車酔いをしたようで、
帰って来て、そのまま休んで、更新できませんでした。

で、今は13日ですが、今夜はふたご座流星群のピークです。
日本でもずいぶん見れたみたいですね。
こちらもそろそろ夜半にさしかかるので、
ちょっと様子を見て来ようと思います。今頃はふたご座は東から天頂に向かって昇って来ていますから、そっち方面の空をずっと見ているといいです。

で、10分後に復帰。
真上を見ていたので、首が疲れましたが、
1個見えました。
ちなみに今は-1.8度C。
この時期にしては冷え込みが厳しくなくて救われます。
北海道の友人は-15度Cで見たみたいですから。

でも、やっぱりここら辺の空は明るすぎ。
ピークは2時以降みたいなんで、
もうちょっと後でもう一度行ってみます。

さて、昨日のアドベント聖書日課。ルカ1:39-56。

「力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。」49節。

マリヤはエリサベツのところに急いで行って、再会(?多分・・・)を喜びます。
それ以上に、同じ神様の御業を経験する者として、主のはしためとしての役割を果たす思いを共有するのです。

その中で、マリヤは「ああ、心配だ」とか、「いろいろ大変だけど、しっかりしなきゃ」なんて言わないで、本当に心から「神様の恵み」「神様の力」「救いの御業のすばらしさ」を歌うんですね。

そこには、私なんかが心配するようなこれからの困難に対する恐れとか、大きな使命に対する戸惑いとか、表れてないんですよね。

主の恵みを絶対的に信頼している姿を見ます。そのように主に目を向けさせてくれる関係、ってすばらしいなあと思います。そのような交わりを生み出す者となりたいと思います。

主よ、
あなたに目を向けて歩めますように。
私に出会った人たちが、自然と、神様、あなたに目を向けることができるような、そんな者にしてください。

2012-12-12

アドベント聖書日課12/11

今朝にはすっかり雨も上がっていて、
今日は気持ちのいい晴れの日になりました。
そして、夜になってからは久しぶりに冷え込んでいます。
今は11時過ぎで2.8度C。
明日の朝は久しぶりに氷点下になります。
朝、車のフロントガラスを「ガリガリ」です。

今度の日曜日はJOY JOY クリスマス。
ちょっと遅れ気味ですが、クリスマスのお話の準備中。




子供たちの心に神様の愛が届きますように。

さて、今日もアドベントの聖書日課

今日はルカ1:5−25です。

「時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから・・・」20節。

子供が与えられるようにと祈っていたザカリヤとエリサベツ。
しかし、神は彼らに子供をお与えにならなかった。
「この祈りはかなえられなかったんだなあ」と思っていたザカリヤに、もうとっくに諦めていたザカリヤに「あなたの祈りは聞かれています」と天使ガブリエルが告げる。

信じられない彼が口がきけなくなってしまうのは「罰」のような印象を受ける。

リビングバイブルはそういう解釈で、「罰として」と書かれている。

「私のことば」を信じなかったから「言葉が話せなくなる」。
確かに罰であったと言ってもいいかもしれないけれども、
でも、もっと意味がありそうな気もする。
彼が言葉を語れない中で、何を学んだだろうかと思わされる。

自分がもし語ることができなくなったならば、
どうやって過ごすだろうか。

語ることができる自分は何を語っているだろうか。

神の言葉を聞き、神の言葉を語る者として、整えていただきたいと思った。

神さま、
このクリスマスの時、
もっともっとあなたの声に耳を澄ませて、聞く者とならせてください。
そして、あなたに聞いたことを、感謝して語る者とならせてください。




2012-12-10

アドベント聖書日課12/10:「関係」

今日も雨。
午前中は霧も深かったですね。
午後は霧は消えて、気温も上がりました。

この雨も、間もなく寒冷前線が通過して、終わり。
明日は、だんだん晴れてくるでしょう。

さて、クリスマスまであと2週間ほど。



我が家も、のんちががんばって、ツリーが飾られました。
「ああ、あれも」「これも」と焦る気持ちもだんだん募ってきました。

でも、本当に一番大切な心の準備をさせていただきたいですね。

で、今日もアドベント聖書日課ニュージャージー日本語キリスト教会版から。

今日はマタイ1:18-25でした。

「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。」20節。

やはり、同じ男として、ヨセフのことが気になります。
どんな気持ちだっただろうかと。
マリヤからどんなことを聞いていたのだろうか、
何を聞いても信じられなくて、「何言っているんだこの人は」と思っていたのではないだろうか、
それとも何も聞いていなくて、絶望的になっていたのだろうか、
そんなことを思います。

そんな彼らを救ったのは、コミュニケーションではなく、
腹を割っていろいろ話したからではなく、
神様ご自身がそこに介入されたからでした。

神様ご自身との関係でした。

最近、互いの信頼関係の構築のために、
正しいコミュニケーションの大切さを思わされることが多いです。

でも、それとともに必要なのは、同じ神様を信頼して、
その神様の前に出て、神様の声を聞くこと。

本当に主を信頼していくこと。
神様を神様としてそこに従っていくことなんだと思います。

主よ、
互いの信頼関係のために、
あなたの声を聞いていくことができますように。
互いの声を聞くことだけでは乗り越えることのできない問題が出て来た時に、
あなたの声を聞くことができますように。

2012-12-09

アドベント聖書日課12/9:「信頼」

今日も雨が続いています。
これで3日目。
もう一日、明日まで雨が続きそうです。
気温は明日は高め。その後は雨が上がって、平年並みか、ちょっとゆるめの冷え込みになりそうです。

さて、今日のアドベント聖書日課
今日はルカ1:26-38。

「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように。」38節。

今週は「準備」に目を留めます。

マリヤの準備、それはもうこの言葉に尽きます。
自分を神様のservantとしてその身を差し出しているその言葉。
最初は戸惑い、信じられない気持ちでいたマリヤが、
最後にはこのように「お言葉どおりにこの身になりますように」と祈っています。

でも、それを支えたのは神様ご自身。
今日の礼拝の中でもそのことを分かち合わせてくださったのですが、
マリヤの心の準備を導き、支えたのは神様ご自身。
その方が今も私たちと共にいてくださる、それが感謝。

神様、
今週のクリスマスのための準備を導いてください。
どうか、あなたのみこころに従う者とならせてください。


アドベント聖書日課12/8:「ほんとのものが見えてくる」

ついに更新できないうちに日付が変わってしまいましたが、
12月8日(土)のアドベント聖書日課
今日はルカによる福音書2:22-38でした。

「この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています。そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです。」34-35節

イエスの存在は、人々を居心地のいいところに置いておくものではなかった。イエスによって、人々は心の中にあるものがあばかれることになった。
それまで立派に見えていた人々が単なる偽善者であったことが明らかになった。

人々は救い主を待っていた。
でも、ほとんどの人々は自分にとっての都合のいい救い主を求めていた。
しかし、神が準備して送られた救い主は、人々の心の中にある思いが現れてくるようになるために送られたのだった。シメオンにはそれがわかっていた。

クリスマスを待ち望む思い。
居心地のいい、気のおけない仲間や家族とのクリスマスを思い見るのもいい。
でも、神が一人子を送られたのは、私たちの安穏とした歩みにくさびを打ち込むためだったのではなかったのだろうか?

神さま、
あなたが送られる救い主、それを心から待ち望む者でありますように。
自分の願い、自分の都合、そのようなものを救い主に押し付けることがありませんように。