2011-08-27

ニュージャージー日本語キリスト教会は8月28日のすべての活動をお休みします。

ニュージャージー日本語キリスト教会は8月28日の教会でのすべての働きを中止します。
聖歌隊練習、The BRAVE, BIG, 成人科クラス、礼拝後の予定等すべてありません。

それぞれのご家庭で礼拝をお守りください。
聖書はどこを開かれても結構ですが、
新約聖書のヘブル人への手紙の11章1-16節を読んで、
思いめぐらし、また家族で守れる方は語り合い、
祈る時を持ってください。

かなりの風雨が予想されています。
このような時には、くれぐれも冒険をなさらないで、
主の許で安らぐ日曜日を送られるようにとお勧めします。

2011-08-26

ハリケーン来るから。

今日はハリケーン接近のニュースで持ち切りです。
明日の夕方から、風雨が強まって、
明後日の夕方まで続きそうです。
もしかしたら、昼頃に峠を越すかもしれませんが、
今日の段階でそれを断定的にいうことはできません。

今回、本当に思わされているのは、
クリスチャンは、このような時に、
「最悪のために備えをすべき」と言われているのでは、ということです。

どこかで、「祈れば、ハリケーンからも守られる」
と思っているのかもしれません。
でも、それは単なる希望的な観測であり、
今までそのようなことがあったから、これからもそうだ、
と思い込んでいるのではないだろうかと思います。

ノアの方舟のところを今度の日曜日に話そうと思っているのですが、
(だいたい、礼拝ができるかどうかも・・・かなりむずかしいかと思いますが)
ノアは神様のメッセージを聞いて、
人々が「そんなことは起こりっこない」という洪水に備えて箱船を作りました。

今回の震災のこともあるからでしょうか。
本当に人々の力になったのは、
最悪を想定して、その中で自分のなすべきことをした人々でした。

今回、私はNYの市長の判断は正しいと思います。
何も起こらなかったら、それは喜ぶべきこと。
最悪を想定して、準備をしておこう、そのように思います。

2011-08-25

ハリケーン接近中。

今日は曇りで時々雷雨。
ちょっと蒸し暑かったです。


先週も結構雨が多かったようで、
庭の芝生にはキノコがニョコニョコ生えています。
これが食べられれば、それで食費が節約できそうなほど。


で、注目は今フロリダ沖を北上しているハリケーン・アイリーンです。
今はカテゴリー3。最大風速50m/s以上の大型ハリケーンが、
このあとノースカロライナの東端に上陸、日曜日には
NYC付近をカテゴリー2または1のハリケーンとして通過して行く予報が出ています。


NYC付近に来る時には、特別に強いハリケーンではなくなっているでしょうが、
何よりも直撃コースは珍しいので大騒ぎです。


大雨も、強風も、高潮も心配なようです。
詳しいことは明日にはわかってくると思います。


さて、今日は早速聖書。
今日は使徒行伝4章32節−5章11節。
「そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた。」5章11節。

ここは神を欺こうとしたアナニヤとサッピラが裁かれたところでした。
神を甘く見てはいけない。
これは新約聖書の時代の、
イエスの十字架の赦しが高らかに証しされている時代の、
出来事でした。

どんなに神様の赦しがあるからと言って、
神を甘く見るようなことがあってはならない。
神を欺くかのような、
神の僕を欺くようなことがあってはならない、
そのことを思わされます。

神の前に恐れを感じるから、
罪を自覚しないでは、自分の弱さを自覚しないではいられないから、
初めて神様の愛がわかる。

神の前の恐れをいつもいつも持たせていただきたい。

主よ、
あなたの前の恐れを忘れることがありませんように。
あなたの前に、また人の前に、
真実に歩むことができますように。

2011-08-24

日常へ。

今日もいい天気でした。
でも、夜になっても今夜は涼しい感じはしません。
夜の12時前になっても23度。
明日は蒸し暑く、午後から雷雨になりそうです。


そして、ハリケーン・アイリーンですが、
ちょっと深刻な感じになって来ました。
強い勢力のまま、NYの東を通過し、ボストン方面を直撃しそうです。
ここら辺も日曜日は暴風雨になるかもしれません。
NYで珍しい地震の後は、NYで珍しいハリケーンです。


あまりひどいことにならないといいのですが。


12年前、フロイドが来た時には、もうハリケーンからトロピカルストームに格下げになっていて、強い風は吹かなかったのですが、大雨で電話交換機の施設が浸水して電話が通じなくなりました。


地震とは違って準備のできるハリケーンの襲来。
何があっても動じない、準備をしておかなければ・・・と思います。


さて、ここしばらく、あり得ないくらいたくさんのものが見つからなくて閉口していたのですが、今夜、集中して探したら、次々と見つかりました。トロントの修養会あたりからずっとバタバタしていたので、ゆっくり探すことができなくて、それでなんだか落ち着かない日々を送って来ていたのでホッとしています。でも、片付けはまだまだ・・・。日常へに一歩ずつ近づいているとは思うのですが。


で、もう一つ、2週間ほど前に、お金を払って交換してもらったMacbookのパワーコード。昨日、クレジットカードの「保証期間延長」のプログラムを調べて、電話をしてクレームをしておきました。そしたら、今日Emailが届いて、「承認」されたとのこと。早い!これもうれしかったですね。


明日は我が家でのんちのスモールグループ。片付けは「開かずの間」を作って、なんとか格好はつくかな。


さて、ちょっと飛びましたが今日の聖書。
今日は使徒行伝の4章13-31節。


「みなの者が、この出来事のゆえに神をあがめていたので・・・」21節。

自分の祈りの姿勢を考えさせられるところ。
私の祈りはこの神の栄光ということに集中しているだろうか。
人間的な慰めとか、人間的な成功とか、
表面的にうまく行く、ということを祈っていないだろうか?

誰かの癒しを祈る時に、
主の慰めを祈る時に、
それを通して、主の栄光を求めているだろうか?

また自分の人生の必要のために祈る時に、
家族のために祈る時に、
教会の誰かのために祈る時に、
それを通して、究極的には「神がほめたたえられること」を求めているだろうか?

自分の祈りの態度、祈りの姿勢、生きる姿勢、求めるもの、
すべて問われているなと思います。

神様、
私の人生の出来事、一つ一つを通して、
神様があがめられますように。
祈りをするときに、何よりもあなたがあがめられることを
真剣に求めるものでありますように。


週末のハリケーンで大きな被害が出ることがありませんように。
礼拝も予定通り、共に守ることができますように。
すべてがあなたの栄光のために用いられますように。

2011-08-23

ちょっとびっくり。

今日もさわやかな一日でした。
夜も昨日ほどは冷えずに、夜の11時に19度。
でも、このいい天気も明日まで。
明日は今日ほどはさわやかでなくて、
南風も入って、ちょっと汗ばむほどになりそうです。


そして、週末のハリケーン。
かなり現実味を帯びて来ました。
もうフロリダ上陸の可能性は小さくなって来て、
ノースカロライナに上陸して、NYの近くをほぼハリケーンの力を保ったまま、通過して行く可能性が大きいです。
ちょっと注目です。


今日はここら辺では珍しい「地震」が起こって、
大騒ぎになっています。
NJに来てから私自身が感じた地震は1回もありませんでしたし、
今までも起こっても「局地的」な地震でした。
でも、今回はバージニア州で起こった地震で、
言ってしまえば、東京で起こった地震を大阪で感じているようなもの。
そんなに広い範囲で感じる地震のニュース自体も19年間のアメリカでの生活で初めてだったと思います。


そのとき、家にいましたが、私は「あ、地震だ。珍しい。まだ揺れている、震度2止まりだな」と思っていました。日本で震度4までは何度も経験していましたから。でも、子供たちにとっては初めての地震。「何これ?」と結構慌てていました。


でも、その後の余震は全く感じませんし、
平常に戻っている感じです。
震源地から近いDCの方では被害のあった建物もあるようですが、
けが人もいず、日常が進んでいます。


日本の震災から5ヶ月あまり。
まだまだ日常が戻らないというか、あの震災の前の日常には戻ることはあり得ない、その多くの方々のことを思わされた午後でした。


さて、先週の聖書から。
使徒行伝の1章から読み始めています。


「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、・・・」8節。

イエスが復活されて、弟子たちは「いよいよ・・・」と思っていた。
そんな彼らにイエスは「待ちなさい」と言われた。
そして、聖霊が臨む時に、あなたがたは力を受けて、私の証人になる、と言われた。

聖霊様を待ち望む姿勢、
聖霊様に信頼する姿勢、
問われていると思います。

自分の準備や自分の知恵に頼り易い自分。
そうではなくて、聖霊様の導きに従順で、
聖霊様に信頼して歩ませていただきたいです。

主よ、
私も聖霊様を待ち望みます。
いえ、もう既にこのペンテコステの日以来、
教会に聖霊様が満ちあふれてくださっていることに感謝します。
聖霊様の導きに、信頼して、歩む者でありますように。

2011-08-22

10年。

昨日はすごい雨でしたが、夜のうちにすっかり上がり、
今日はとてもいい天気でした。
カラッとした、気持ちのいい晴れの日。
夜には気温もぐっと下がって来て、
今11時前ですが、18度くらい。
明日の朝は12度くらいまで下がるようです。
秋の気配ですね。


このいい天気は水曜日くらいまでは続きます。
そして、今ハリケーン・アイリーンがドミニカの北を西進しています。
フロリダに接近する恐れが強いですが、
進路によってはこの週末以降、北東部も荒れるかもしれません。


さて、昨日はサキの誕生日。
10歳になりました。


昨日は忙しかったので、今日お祝いをしました。
実は先週、アトランタで寄らせていただいたお宅でも覚えていてくださって、11日に17歳になったユキと、サキの誕生日をサプライズでお祝いしていただいていたのですが、今日は改めて家族で。






10年前、やっぱりJOY JOY Campが8月半ば。
確か「わくわくタウン」だったかな。


と思って調べていたら、リストがあったのでご紹介。





1996 神さまの船に乗ろう
1997 宇宙は広いぞ
1998 タイムマシン
1999 不思議チャレンジ
2000 宝島探検隊
2001 わくわくタウン
2002 めっちゃ好き!地球。
2003 Galaxy Express
2004 おもかじいっぱい、おもしろイッパイ!
2005 カラダだからダ
2006 ジャングルぐるぐる探検隊
2007 ワンダー博士の大冒険
2008 キラリンピック
2009 Heart Rock Café
2010 おどろき!なぞとき。探偵団。
2011 JOY JOY Facotry

そう、やっぱり「わくわくタウン」。
スタッフ的にはかなり毎日の翌日のための準備が大変だったような記憶があるのですが、教会のジムに街ができて、そこで毎日子供たちが課題をもらって買物をするというものでしたね。そして、『ホントはお金じゃ買えないものが大切なんだよ。そしてその中で一番大切なのは神様の愛なんだよ』という話だったと思います。どっかにビデオがあったので見てみようと思いますが・・・。
で、子供たちにはかなりインパクトがあったみたいで、今の高校生や大学生から「あれは楽しかった」という声をよく聞きます。


で、その「わくわくタウン」の年、出産間近になっていたのんちのお腹に向かって、
「まだだぞ、JOY JOYが終わるまでは出てくるなよ」と言っていました。


で、無事、金曜日にJOY JOYが終わって、「待て、日曜日まではダメだ」ともう少し言い聞かせて、日曜日の夜に「いいぞ〜、いつでも来い!」と言ったら、月曜日の午後に破水。


私は日本から来てくれた助っ人の女の子2人をNY観光に連れて来ていて、「帰ってきて、病院に連れて行ってくれる?破水したみたいだから・・・」と電話がかかって来たので、
「了解、すぐ行く」と駆けつけました。


その時に「何か食べ物買って来て!」と言われたのですが、当然自分のことを言われているのだと思って、「大丈夫、今食べたところだから・・・」と答えて、翌朝日本に帰る助っ人2人に上の子2人を任せて、何も買わずに病院へ。


で、あとで判明したのは「出産前に体力が必要だから何か食べたかったから、お願いした」そうで。


自分のことばっかり考えていた自らを恥じたことでした。


で、火曜日の未明に誕生。


あれから10年です。
サキが生まれて、母が日本から助けに来てくれて、
無事日本に送って、出産3週間経って、
のんちも平常の生活に戻ったその翌朝、
9-11の出来事が起こったのでした。


そう、あれからも10年が経とうとしています。


サキの存在を喜び、主に感謝するサキの誕生日が来るたびに「あれから何年」と思わないではいられない、これはずっと続くんだな、そう思うと、正直とても複雑な思いになります。でも、忘れてはいけない。決して忘れない。人が恨みを持ち、憎しみを持ち続ける時に、どれほど恐ろしいことが起こるのか、それを忘れない、そのために与えられている子なのかも、そう思わされます。


さて、このブログの主な趣旨である「日々のみことば」を読んで「日々の祈り」を書くというのを忘れないように、8月2週目の聖書の箇所から。


「王は律法の書のことばを聞いたとき、自分の衣を裂いた。」11節。

これは8月10日の聖書箇所ですが、
そこを読んだ時に、「自分は聖書のことばを読んで『衣を裂く』ほどの真剣さを持っているだろうか」と問われました。

聖書の基準と自分の生活が全然かけ離れていることに
痛みを覚えたり、衣を裂きたくなるほどの思いになっているだろうか、
もちろん、新約の恵みの中に生きている者であるので、
十字架によって赦されているのだが、
大体、その前に自分はその罪の深刻さがわかっているのだろうか、
もう一度問われたように思いました。

聖書を読んだときに、その基準と自分の歩みのとの間の違いに、衣を裂きたいくらい、罪深さを感じる時に、初めて、イエスの十字架の恵みの大きさ、その愛の大きさがわかるのだと思います。

もっともっと神様の愛を教えていただきたい、そう思います。

主よ、
私の心は聖書のことばを読んだ時に衣を裂くほどに、真剣でしょうか?
御言葉にまっすぐに向き合うことができますように。