2013-02-16

音楽を楽しむ。

今日は朝起きたら、うっすらと雪化粧。
ちょっとだけ、降ったみたいですね。

そのあと、一日はほぼどんより。
気温も3度くらいまでしか上がらなかったのでは。

そして、今は夜の12時前で-1度C。
小雪が舞うかも・・・とは言っていますが、
低気圧は大きくサウスカロライナ、ノースカロライナに雪を降らせた後、東海上を迂回して北上中。

今回ももっと東の方では積もるところあるらしいですが、
こちらはほぼ何もないでしょう。

でも、明日は寒くて昼間も氷点下みたいです。

さて、今日は、シンガーズの練習を他の方にお任せして、
下の娘のオケのコンサート。
この周辺の30の学校から推薦で100人以上が集まって、
弦楽のみですが、大きなオケで、コンサートがありました。
いつも学校の中でキコキコやっているので、
(個人レッスンも受けてない、4年生から始めて2年あまりの子が第1バイオリンのトップに座っているんですから・・・)
うまい子達の中に入ってやらせていただけるのは本人にも刺激になったはず。

と思っていたのですが、なんだか、まだまだ「親の方が一生懸命」のみなさんが多いみたいで、写真撮影、なんか、誰のためにやってるの?って感じでしたけど。
娘は全然見えないし、写真も何もないんですが、ま、それでいいかなと。

で、聞きながら、自分が高校とかでオケをやっていた時のことを思い出していました。
親とかどうでも良かった。高校生だったからだろうけど。
で、自分がどうだとか、そんなこともどうでも良かった。
一つの音楽に溶け合って、その中に自分がいることがただ気持ちよかった。
トロンボーンだったから、もちろん、バイオリンと違って自分と同じ音を出す人は誰もいない。
確実に決めないといけない。(あ、もちろんバイオリンもそうでしょうが)
たくさん外しましたが、でも、本当に自分がそこにいることが気持ちよかった。
そして、本当に有能な方々によってすばらしい演奏になっていた。自分はそこに貢献できたよりは、足を引っ張る方だったと思うけど、でもそこにいることがたのしかった。

そんなことを楽しんでほしいなあと思いました。
写真とか、ビデオとか、そんなのよりも自分が仲間たちと一緒に音楽を作っていることを楽しんでほしいなあと。(と言いながら、自分の昔の写真を探しているのでした、見つからないけど)

さて、今日の「日々のみことば」。
今日は創世記の47章。

「ヤコブはパロを祝福し、パロの前を去った。」10節。

これなんだかすごいですよね。
一介の老人に過ぎないヤコブがあの強大なエジプトの王パロを祝福するだなんて。
普通は反対ですよね。社会的な地位を考えたら反対ですよね。

でも、ヤコブがパロを祝福した。

神様は「あなたがたは祝福の基だ」と言われました。
上から目線になってはいけないと思うのですが、
でも、神様が「あなたは周りの人に祝福を与える存在なんだ」と言われたことを軽く見てはいけないですよね。

いつも神様から満たしていただいて、その祝福が周りに流れて行くような歩みをさせていただきたいです。

主よ、
わたしもこの世で、「祝福の基」であることを忘れることがありませんように。
そして、そのような生き方ができますように。肩の力が入って、がんばる、のではなく、自然と、祝福が流れて行くような、そんな生き方ができますように。


2013-02-15

レント集会スタート。

今日は一日天気がよくて、昼間は12度くらいまで上がったのですが、
これから雨、そして、明日の朝には雪になりそうです。
今は12時前ですが、4.4度C。

このあと、気温もぐっと下がって、日曜日は朝は-10度Cくらい。一日氷点下。

寒い週末になりそうです。

ただ、雪はまた大したことないみたいです。

明日の昼間にはもう上がっているのでは、と思います。

今夜から「レント集会」がスタートしました。
これから7週間、イエスの十字架への道を辿っていきます。

去年はバッハのマタイ受難曲を手がかりに十字架の箇所を読んだのですが、
今回は、十字架を巡る人々。イエスを取り巻く人々の思惑と、十字架に向かって行ったイエスの思いとを対照的に学んでいきます。

今日第1回目の学びをした中で、思わされた言葉。

「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」ルカ9:23

7週間にわたって、イエスの後を着いていけるような学びとなりますように。

さて、今日の「日々のみことば」。
今日は創世記の46章でした。

「イスラエルはその持ち物をことごとく携えて旅立ち、ベエルシバに行って、父イサクの神に犠牲をささげた。 」1節。

息子ヨセフが生きていた、そのニュースを聞いて、
飛んでいきたかったヤコブでしょうが、
まずは神様の前に礼拝を守るのです。

どんなに気持ちが急いていても、
どんなに思いが走り出しても、
立ち止まって、まず神に聞く。
そこに私たちは招かれていると思います。

私もそのように主に聞く者でありたいです。

主よ、
私も時々、気持ちが走り出す時があります。
思いが先に進みたくなる時があります。
そんなとき、静まって、あなたの声を聞くことができますように。

2月のキッズクラブ。

日付が変わって15日になりましたが、もう一気に追いついてしまいましょう。

昨日14日は今月のキッズクラブ in Maywood。

今月は何を作ったかというと、手作り入浴剤。ぶくぶくと泡が出るヤツ。

こういうのね。

http://orangesky.jp/2010/03/handmade_basubomu0304.html

でも、本当にたのしいのは、
これでお風呂に入った時だねえ。

ぶくぶく泡が出て、気持ちいいだよ。

アメリカでは重曹は簡単に手に入るけど、
クエン酸がなかなか見つからない。
今回はAmazonで探して、見つけました。
もう、こんにゃく粉だろうが、クエン酸だろうが、
英語でなんて言うかわかれば、何でも見つかります。

あ、話がそれましたが、
来週の木曜日、21日はLeoniaでのキッズクラブです。
みんな来れるといいなあ。

で、昨日(2/14)の「日々のみことば」。
昨日は創世記の45章。

「それゆえわたしをここにつかわしたのはあなたがたではなく、神です。」8節。

これはすごい言葉ですね。

神が私をここに遣わした。だから自分を責めないでほしい、と。

でも、これがヨセフの生涯のすべてを解く鍵だったんですね。
一つ一つの仕打ち、困難、理不尽な扱い、濡れ衣・・・。
本当に辛いことが続く中で、
神が私をここに導いたと。

この日のために。

ああ、そういうことがわかる日が来るといいなあと思う。

でも、本当に心から思うのは、

わかる日が来なくてもいい。

わからなくても、私は神を信頼しているから。

主よ、
あなたを信頼して歩める幸いを感謝します。
わからなくても、私の痛みの意味とか、苦しみの意味とか、理不尽な扱いを受けることの意味とか、わからなくても、あなたの御手の中にあると信じているから、感謝です。

明日も、あなたの御手の中で歩めますから、大丈夫です。感謝。

2013-02-14

花よりコンニャク辛し酢みそ添え。

今夜も冷えてきています。
今は夜の11時半ですが-0.9度C。

晴れた夜なので、放射冷却で、明日の朝は-5度くらいまで下がるでしょうか。

明日はまあまあ暖かい穏やかな一日となります。
雪が降るとしても夜になってからです。

で、今日はバレンタインデー。

Facebook上でもいろいろ盛り上がっていましたねえ。

でも、もうねえ、「女の子が男の子にチョコを」とか「男は女にお花を」とか、商業主義に踊らされませんよ。大体お財布一つだし、お花なんか、この日はべらぼうに高いんですから。っていうか、花粉でのんちがぜんそく出ても困るし。

でも、何かをしないとねえ。

ということで、できたてコンニャクでハートを作って、からし酢みそを添えて、プレゼント。喜んでいただきました。「これが私には必要だったんだよ」と。

のんちの方はやっぱりケーキ作ってくれましたけどね。ハイ。感謝。(あ、普通はその写真を載せるのか・・・でも食べちゃったよ・・・トホホ)


話はそれますが、このコンニャク作り、これ3回目ですが、しっかり空気が入って、恥ずかしくらい、穴だらけですよね。
で、あちらこちらの作り方を見ると、この空気が入らないようにするのが大切で、空気が入るとスポンジみたいで美味しくない、というのですね。でも、私は、さすがにスポンジはどうかと思いますが、適度に空気が入った方が、切った時にデコボコができて、味がからんでいいんじゃないかと思います。

もちろん、保存のためには空気が入らない方が、ということもあるかもしれませんが、みんなが「空気を入れないように」「空気が入らない方が美味しい」というから、それがいいんだと思わないで、自分の感性、自分の感覚で美味しい物は美味しい、と言い切る強さも欲しいです。

で、ホントに美味しかったです。

さて、昨日2/13の聖書。
昨日は創世記の44章でした。

「どうか、しもべをこの子供の代りに、わが主の奴隷としてとどまらせ、この子供を兄弟たちと一緒に上り行かせてください。」33節。

ヨセフの兄たちは、ベニヤミンに疑いがかかったとき、自分の身を差し出して、ベニヤミンを守ろうとしました。その姿の中に、ヨセフは自分自身の過去の痛みが溶かされていったのでしょう。

イエスもいわれました。「人がその友のために自分の命を捨てること、それ以上に大きな愛はない」。ヨハネも言いました。「主は私たちのために、命を捨ててくださった。それによって私たちは愛ということを知った。それゆえに、私たちもまた、兄弟のために命を捨てるべきである。」

自分の身を投げ出すこと、自分にはそこまでのものがあるだろうか。

そのような情熱を、熱心さを、熱さを持たせていただきたいと思った。

主よ、
あなたの愛を、私にも少し分けてください。
私も、誰かのために、自分を差し出すことができるような、愛と勇気を持つことができますように。

チョイ雪シリーズ。

昨日は夜NYから帰ってくるバスの中で
気持ちが悪くなってしまったんで、
これはヤバいなあ、と、既に1日ビハインドなのに、
更新もせずに寝てしまいました。

でも、おかげで、今日はすっかり元気です。

昨日の夜は帰りの車の中でみぞれが降り出して、
朝起きたら、うっすら雪化粧。

気温もそこそこ下がったので、車の窓をガリガリでした。

で、次のチョイ雪が、もしかしたら土曜日かなあ、というところです。
本格的な雪になる可能性も秘めているのですが、
多分、チョイ雪だと思います。
また、例によって、全然降らないかもです。

さて、火曜日の「日々のみことば」。
火曜日は創世記の43章でした。

「どうか全能の神がその人の前であなたがたをあわれみ、もうひとりの兄弟とベニヤミンとを、返させてくださるように。もしわたしが子を失わなければならないのなら、失ってもよい」14節。

ヤコブはとうとう決心をして、ベニヤミンを兄たちと一緒に送り出すのです。
その時に、彼は神を信頼して祈ります。
そして、それと共に何があっても、それを受け入れる覚悟をするのです。

神を信頼しながら、というか、神を信頼しているから、
「たとえそうでなくても・・・」ということができたのだと思います。

神様が守ってくださる。それは神様にはおできになる。
でも、その中で、神様が子供(ここではベニヤミン)を失うことを許されるならば、それを受け入れよう、ということです。

私たちは日々、神の守りを祈ります。
しかし、それでも、災難が襲ってくるならば、
それは神様のお考えがあるのだから、と、受け入れることができるのです。

本気で、主を信頼しよう。

主よ、
あなたのことを信頼しています。
でも、本当に嵐が襲ってきたら、私は大声で騒いでしまうのでは、と思います。
どんな状況の中でも、あなたを信頼して歩めますように。

2013-02-12

気がつかないうちの導き。

今日は朝から3度くらいで、昼間も10度近くまで上がりました。
暖かな、穏やかな一日。
今は夜の11時で-0.5度C。
明日の朝は-4度くらいまで下がりそうですが、
昼間はまあまあ暖かくなって、夕方から、雨か雪。
夜は雪になりそうです。

でもゆるゆるの雪で、積もっても5センチくらい。

木曜日の朝には上がっています。
学校は休みになりません。
多分、始まりも遅くもなりません。

そして、週末の雪は、なさそうな感じです。まだわかりませんけど。

さて、昨日の「日々のみことば」。
昨日は創世記42章。

「ヤコブはエジプトに穀物があると知って、むすこたちに言った」1節。

誰も知らなかった。

ヤコブも、ヨセフも、ヨセフの兄たちも。
この後何が起こるのか。

でも、神様は静かに、確かに、彼らを再会に導いておられた。
彼らが知らないうちに。

今も、私たちが知らないうちに、
気がつかないうちに、
神が静かに、働いて導いておられることがある。
何かわからないだけで、
私たちが気がつかないだけで、
神様が進めておられることがある。

いつかそれを見せていただける、教えていただける、
それはなんとすばらしいことかと思う。

何を明日は見せていただくことができるんだろうか?
楽しみに歩んでいきたい。

主よ、
あなたが今進めておられること、
私は未だ気がつかないこと、
楽しみに待ち望みます。
あなたを信頼して歩めますように。

2013-02-11

力はどこから?

今朝は起きたら、freezing rain。
大したことはないかな、と甘く見ていたら、
娘を学校に連れて行こうと思って外に出て、ズリッとすべるし、車はガリガリだし、結構焦りました。昼前にはすっかり融けましたが。

今週は水曜日の夜がちょっと降るかな、という感じで、

あと、注目は週末です。2週続けてデカいのが来るか、何もないか、という感じです。

さて、昨日の「日々のみことば」。
昨日は創世記の41章でした。

「いいえ、わたしではありません。神がパロに平安をお告げになりましょう」16節。

パロの夢を説くようにと召し出されたヨセフの言葉。
自分ではなくて、神様が語られるという信仰だった。

自分の力ではなくて、神の力を信頼して歩んでいた。

もちろん、自分の言葉を「神の言葉です」という危険は気をつけなければいけない。でも、その危険をわかりながら、でも、神様がなさることを「自分ではなく、神様です」と言い切れるくらいに、神様との深い関係の中に生かされたいと思った。

そして、すべてが神様からくるんだ、という謙虚さも持ちたいと思った。

主よ、
あなたが与えてくださる力を信頼して、
「私を強くしてくださる方によってどんなことでもできる」ということを証しさせてください。

2013-02-10

雪の後の青空。

昨日は、朝起きたら既に雪はやんでいました。
多分30センチをちょっと越えるくらいの積雪。

そして、間もなく広がってきた青空。




もっといっぱい青空を撮ったら良かったですね。

とっても気持ちのいい一日でしたが、
前の夜、家族で22歳になった息子の子供時代のビデオで爆笑していて、
やることがたまってしまっていたので、
朝飯前の雪かきを8時から10時半までやったあとは、
夜中の11時までデスクワーク+礼拝の準備。

でも、その礼拝の準備の中で、
神様がいつもいつも必要(物質的にも、霊的にも)を与え続けてくださったことを思わされて、本当に感謝。

これからも、主を信頼して歩もう、と思わされました。

さて、昨日の「日々のみことば」。
昨日は創世記の40章。

「ところが、給仕役の長はヨセフを思い出さず、忘れてしまった。」23節。

どんなにがっかりしただろうか。
暗闇の中で。
今日か、明日か、と良い知らせを待っていたのが、
結局何の知らせもなく、1週間が過ぎ、2週間が過ぎ、
忘れるはずはないと、給仕役の長のことを信頼して、
過ごしてきたのに、どうして?と。

想像に過ぎないけれども、
きっと、「もしも出たら・・・」と話した時に、
「わかった、きっとそうするよ」「絶対するから」「忘れないから」と、喜びにあふれて、約束しただろう、その給仕役の長の言葉を信頼して、楽しみにしていただろう。

でも、給仕役の長は、自分の喜びでいっぱいになって、
ヨセフのことは忘れてしまっていた。

そうとも知らず、ヨセフは待っていただろう。

がっかりしただろうなあ。
暗闇の中で途方に暮れただろう。

期待していた自分が馬鹿のように思えたかもしれない。

でも、その時にも神様は働いておられた。
御業を進めておられた。

ヨセフはそれを知らなかっただけ。

人が忘れることがあるだろう。
でも、神は忘れられることはない。
心に留めておられる。

感謝。

主よ、
あなたのことを信頼して、お待ちしています。
人が忘れても、あなたは忘れられない方であることを感謝します。
あなたの時を待って歩んでいけますように。