2009-05-29

心の隅までも。

今朝は「早く」とはいきませんでしたが、
いつも通りの時間に、気持ちよく目が覚めました。


今日も教会のカレンダーには予定がありませんが、
時間の使い方には知恵が必要な一日。
予定表に何もないとき、牧師は何もしていない、
と勘違いされる方もおられますが、まあ、そんなことはありません。


ヨーロッパの悪いジョークでしょうか、
「牧師は週6日姿が見えず、姿が見える1日は何を言っているかわからない」
という意味のものがあるそうですが、
そんなことにならないように、気をつけなければいけませんね。


大きな予定は午前中と夜ですが、
その隙間でなすべきことをしっかりやっていくことと、
ちゃんと息をつくべき時に息をつくべきこと、
そのバランスの難しさを思わされます。


さて、おととい(水曜日)の聖書。
出エジプト記23:20-33
「これらを徹底的に打ちこわし、その石の柱を粉々に打ち砕かなければならない。」24節。

この聖書の言葉を、おとといは自分の心の中の問題として受け取った。
心の中の偶像を徹底的に打ち壊す。
粉々に、どこまでも、「そこまでするのか」と思われるくらい。

自分の中にある偶像、それは何だろうか?
自分だろうか?
または頼りになる「人」だろうか?

両方ともしつこい偶像だと思う。
どちらかというと、自分にとっては、
「仲間」だったり「人」だったりする。

神様ではなく、人の言葉に従ってしまったり、
自分では「おかしい」と思いながら、
誰かが強い言葉を使うと、妥協してしまったり、
本当に主を第一とする、
神様の願っておられること、
求めておられることに耳を傾け、
そこに従っていく者でありたいと思いました。

主よ、
あなたを主とします。
あなたを王とします。
どうか、心の中の偶像を一つ一つ、隅々までも、
粉々に砕いて、あなたに従う者とならせてください。

2009-05-28

やっぱり夜は眠い。

まだ夜の10時なのですが、
またいろいろメールが入ってきて入るのですが、
教会のニュースレターの原稿を今夜中に書こうと思っていたのですが、
どうにも睡魔が襲ってきていて、集中力を失いつつあるので、
おとなしく休みます。

ParamusにもSwine Fluの脅威が来ているようで、
高校ではたくさん休んでいる子がいるとか、
まだ確認された症例はないのですが、(隣の町では4例ほど出た)
夕方「fluみたいな症状が出たら、必ず休ませてください」って、
一斉電話がありました。

なので、別に風邪も引いていないし、熱もないし、
でも、集中力がないので、休んで、明日の朝早く起きます。・・・たぶん。

2009-05-27

明日はNJ。


朝よりは帰りの方が暖かでした。
明日もまだ寒いみたいですが、
週末に向けて、だんだん暖かくなるようです。


明日は一日NJです。(たぶん)


午前中は教会で祈り会。
午後はLeoniaでキッズクラブです。


今日も何回か、PCのスイッチが入りませんでした。
ヤバイかも・・・。(^_^)
壊れても「ま、しょうがないなあ・・・4年半よく頑張りました。」(^_^)
壊れなければ「大感謝!あと3年くらいは、どうかよろしく頼むよ」(^_^)


さて、今日2回目の更新。
昨日は出エジプト記23章1-19節。


「あなたの土地の初穂の最上のものを、あなたの神、主の家に持って来なければならない。」19節。

初穂の最上のもの。
余ったものではなくて、
余裕があったらではなくて、
使い古しではなくて、
新しいのを買ったからではなくて、

最初のもの、最高のものを主に。

そのような姿勢で生きているだろうか?
具体的にそのような生き方をしているだろうか?

自分が最初になってしまいやすいわたしたち。
いや、「わたしたち」なんてごまかしちゃいけない。
自分をどれだけ最初にすることが多いことか。
主を最初に、主に最高のものを。

主よ、
あなたを第一にします。
あなたに最高のものをささげます。
時間も、財も、そして、何よりも心も。
その意味をもっともっと具体的に表していけますように。

いろんな世代が共に歩むこと。

今日はとっても肌寒い一日です。
長袖を着てもまだ寒い。
土、日、月、火、水と
5日連続でNYに出てきていますが、
「今日寒いから、風邪ひかないように洋服買ったら?」なんて暖かい声をのんちにかけてもらったので、もしかしたら、NYのブチックで服を買ってしまうなんてセレブっぽいことをしてしまう(もちろん人生初)かもしれません。でも、マンハッタンには我らがKmartはないんだろうか?


・・・あ、見つかってしまった・・・。Penn Stationのすぐそば。


でも、さっきから日が出てきました。


今日は1年ほど前にご主人を亡くされて、
お一人でお子さんたちの家のそばの「いざとなったらヘルプ→介護をしてくれるアパート」に引っ越して行かれたご婦人とお電話で話しました。
住んでおられるのは、そのようなある意味、
「安心」のあるところでありながら、
環境的にも恵まれているところでありながら、
なんだか、やはり寂しさを感じられるようです。
一つの世代の方々だけが集って生活することが、
やはりわたしたち人間にとって、とても不自然なことなんでしょうね。


日本の「ニュータウン」などでは、それを意図していなかったにもかかわらず、
今、一つの世代の人だけが集る(というか、残された)街があるといいます。


誰もがやがて迎える問題。
いろんな世代の人たちが共に過ごせるコミュニティーを作って行くにはどうしたらいいか、真剣に取り組むべき時が来ていることを思わされました。


さて、おととい、月曜日の聖書。
月曜日は出エジプト記22:16-31でした。


「あなたがたは、わたしの聖なる民でなければならない。」31節。

聖なる者。
それは特別に取り分けられた者。
主のためだけに用いられる者。

この時間は神様の時間で、
この時間は自分の時間・・・ではなく、

この分野は神様の支配で、
この分野は自分の考えでやる・・・ではなく、

わたしたちの存在自体が神様のもの。

だから、どっぷりと主の御手の中で歩もうと思います。

かみさま、
食べるのも、考えるのも、楽しむのも、休むのも、
TVを見るのも、スポーツを見るのも、
誰かと話をするのも、
すべてあなたの御手の中で、
あなたの喜ばれることを求める中で、
させてくださいますように。
生活のすべての分野をあなたにささげます。

2009-05-26

6年目の記念日。

今日は午前中、思いの外天気が良かったのですが、
それでも気温は低めで、
夕方からは冷えてきました。


あの年も、今日みたいに寒かったです。
そして、雨が降っていました。
そう、今日は6年目のマツイ記念日です。


思い出すたびに、よくまあ、飛んできたもんだ、と思います。
いつか、「なかなかくじは当らない」と書きましたが、
考えてみたら、これはものすごい確率ですよね。


でも、もっとすごいのは、日本の社会にあって、
神様に出会えたこと。
子供の頃から、神様の話を聞いて過ごせたこと。
これもものすごい確率ですよね。


感謝。


さて、今日は夜、NYに行って、ある方とお話しをするチャンスが与えられました。
ゆっくりお話しをするのは初めて。
そして、間もなくNYから引っ越して行かれます。
そんなことで、「何で今までもっともっと声をかけてこなかったんだろう」と反省しますが、
このようなときが与えられて感謝。
自分がやはり「伝道者」なんだということを、再確認させられた夜でした。


これからも、引っ越して行かれた先で、
主が導いてくださいますように。


さて、ちょっと休んだので、おととい、日曜日の聖書。
日曜日は出エジプト記の22章1-15節。


「その双方の言い分を、神の前に持ち出さなければならない。」9節。

わたしたちは互いで心を割ってとか、
人々の前で、とかいうが、
聖書は「神の前に持ち出す」と言っている。

人の前ではなくて、神の前に、共に出る。
それが大切なことなのだろう。

神の前に出るときに、本当に自分の動機が問われる。
心が探られる。
そのことさえなくなってしまったら、信仰者としておしまい。
だから、わたしたちは神様の前に出ることが本当に大切だと思う。
そして、神様の前で心探って頂いて、
本当のことが明らかにされることを経験していきたい。

主よ、
わたしたちが人に裁かれることではなくて、
あなたに裁かれて、本当のことを明らかにするような者であることができますように。
あなたの前に出るときに本当に真実であることができますように。

感謝と祈り。

元気でやっているのですが、
お客さんもおられるので、
どうしても、このブログの更新は優先順位が下がります。
このような機会が与えられていることに感謝しつつ、
これからの歩みが主に守られるように祈りつつ。

明日も更新できるかどうか、あまり自信はありませんが、
元気でやっておりますので・・・。