2008-09-19

戸別訪問に弱いかもしれない。

今朝は8.8度まで下がりました。
昼間はそこそこ暖かかくて、
昨日の「晴れている割には肌寒い・・・」というのは外れました。
でも、夜にはまた冷えてきました。
夜になって、今12時をすぎましたが、
10度くらいまで下がってきています。


明日の朝も8-9度ですね。


うちのテレビは室内アンテナではうまく写らず、
まあ、ヤンキースやネッツの試合も見たいし、
ケーブルに入っているのですが、
最初はUS Cableでした。
そしてインターネットもそのケーブル経由でしたが、
電話をVOIPにして、安上がりにと思ってから、
問題が起こりました。


よくインターネット接続が切れる。
そうすると電話もつながらない・・・。


ということで、4年くらい前にCablevisionに乗り換え。
切り替えてからは全く問題なく、快調でした。


しかし・・・
ある日、Verizonの人が戸別訪問に来ました。
正確に言うと下請けの会社の人でしょうが・・・。


そして、ここにはFiber Cableが通るようになった、
そして、今より安い!


この言葉に負けて、1年9ヶ月前にVerizonで
ケーブルテレビとインターネット接続をするようになりました。


しかし、1年が過ぎ、ちょっと値段が上がって、
割安感がなくなり、その上、インターネット接続は問題なくても、
VOIPが切れる。
なんか相性が良くないみたいです。
VerizonとVonage。
ググルといくつかそのような問題が指摘されています。


で、どんなもんかなあ、と思っていたところに、
またCablevisionの方が戸別訪問


今度はなんと、今のVerizonのサービスよりちょっと安い値段で、
電話のサービスも含まれていて、TV録画のサービスもつくし、
そして、何と1年間はTV Japanも無料で着いてくる。
このTV Japanは普通25ドルするもの。
ずっと「いいなあ」と思いながら、
そんなに見れないし・・・と取っていませんでした。
それに普通はその安いサービスは特別なプロモーションで、
HPを見たり、時々来る手紙を見たりすると、
1年経つとどかんと50ドルくらい値上がりするようなのですが、
今回、2年間はその値段でサービスするという確約付き。


で、思わず飛びついてしまいました。


本来、「Cablevisionはこんなサービスをするそうだよ。
それで、自分はそっちに換えようと思うんだけど、
おたく、どうする?」とVerizonに交渉して、
Verizonのサービスを安くしてもらうべきなんでしょうが、
今回、VOIP電話であるVonageとVerizonの相性があまり良くない、
ということで、Cablevisionにあっさり再乗り換えです。
家族のメールアドレスとか、Verizonなので、
こちらの変更は面倒なんですが、背に腹は代えられないし、
家族の同意も取り付けました。
これからはGmailとかHotmailとか、
接続のプロバイダーを換えても大丈夫なサービスを利用すべきですね。


図書館とかからでも、問題なくメール発信できるし・・・。


で、手紙読んでるだけ、HP見ているだけでは決断できないこと、
最終的には2回続けて、戸別訪問で決断しました。
自分は戸別訪問に弱いんだな、と思います。
というか、「いつかやりたい」ということがあるときに、
戸別訪問で声かけてもらうと、踏ん切りがつきます。
興味がなかったら、戸別訪問されても、「迷惑」です。


エホバの証人の人たちの訪問、多くの人たちには「迷惑」でしょうが、
聖書に興味はあるんだけど・・・という人たちはぐっと引き寄せられてしまうんでしょうね。
たぶん、教会は戸別訪問はあまりしないと思いますが、
チラシを配っているだけではダメ、
ポスターを貼っているだけではダメです。
戸別訪問はしないとしても、他の方法でも、
人々とのつながり、出会いの場を作っていくことの大切さを思います。


さて、なかなか追いつけないですが、
9月17日、水曜日の聖書。
水曜日はサムエル第二10章。


「そこでハヌンはダビデの家来たちを捕らえ、彼らのひげを半分そり落とし、その衣を半分に切って尻のあたりまでにし、彼らを送り返した。」4節。

この侮辱。この屈辱。
どんなに悔しかったか、
どんなに怒りがわいてきたかと思います。
その侮辱を受ける中でも、
ダビデは感情的に反応することはありませんでした。
彼らが敵として、戦闘態勢に入ったときに、
それを受けて立ちました。

自分は侮辱、屈辱に対して、
どのように反応しているだろうか、
どのように対処しているだろうか、
そのことを思わされました。

自分が馬鹿にされることは許し難いことです。
本当に怒りがわいてきます。
でも、そのことに、心が支配されないように、
そのことに振り回されないようにと思います。

神さま、


侮辱されたときに、
屈辱を感じたときに、
そのことに感情的に反応することがないように、
わたしの心を守ってください。
怒りや復讐心に支配されないように、
わたしの心を守ってください。

2008-09-18

キティちゃんの逆襲。

今日はかなり暖かくなりました。
でも、今夜はそれにだまされてはいけません!
冷えます。
今、夜の12時頃ですが、12度まで下がってきています。
確実に10度は切ります。
8度くらいまでは下がります。
ですから、ほんと、暖かくしてお休みになることをお勧めします。


明日もせいぜい20度止まり。
晴れている割には肌寒い一日でしょう。


晴れ続きの1週間ですが、
この先1週間くらい天気がよいようです。
で、1週間後、来週の週末あたり、
東海岸を南から低気圧が上がってくる可能性が出てきています。
要注目です。


潤君たちが帰って1週間。
帰る前に、いろいろ家のインテリアのために、
「こんなのはどう?」と置いていってくださったり、
買ってきてくださったりしました。
たとえば、このランプ。(カメラの電池が切れて、これは携帯カメラ)
hand blown glassなんだそうです。




潤君は本当にそのようなことが大好きみたいです。
いろいろ気の利いたものを置いていってくださいました。


その一つがファミリールームの暖炉の上のスペース。
そこにはキティちゃんの時計が飾ってありました。
女の子のいる家ですからね・・・。


でも確かに暖炉の上のスペースには、ちょっと浮いているかも・・・
ということで、キティちゃんは子供部屋に行ってもらって、
そこにぴったりの額を買ってきてプレゼントしてくださったのです。


その写真がこの潤君のページの一番下にあります。


ですが、つい2、3日前に見ると、
その下に、新しいキティちゃんの忍び寄る姿が・・・。

拡大してみますね。




ほらね。


ウルトラマンのように、星飛雄馬のように、時効警察のように、
帰ってきます。


恐るべし、キティちゃん。


いつまで経ってもスマートなインテリア・・・とはならないでしょう・・・ハイ。


さて、火曜日、9月16日の聖書。
16日はサムエル第二9章。


「サウルの家の者で、まだ、だれかいないのか。私はその者に神の恵みを施したい。」3節。

この章はダビデがサウル王の一族、
特にヨナタンの家族によくしてやりたくて、
メフィボシェテを王宮に召し入れたときのことです。

ここを読みながら、いくらヨナタンのことを考えているとはいえ、
サウル王家のもの、を受け入れて、サポートしたということが、
どうしても受け入れられないと思いました。

彼はサウルによって与えられた痛みを忘れてしまったのでしょうか?
どのように乗り越えたのでしょうか?

彼の強さを思いました。
あれほどまでひどい目に遭わされて、
いのちをねらわれて、
自分は特別に敵対しているわけではないのに、
そのような扱いを受けて、
どうしてその家族を受け入れられるのだろうか?

それはやはりサウルが油注がれた者だという信仰。
それが否定されてしまったら、サウルの一族をないがしろにするならば、
自分も同じような扱いを受ける、
彼はそのことがわかっていた、
そして、本当に神さまを信頼していた。
わたしもそのような強さを与えられたいと思いました。

主よ、
あなたの選びを感謝します。
自分の選びを尊重してもらう以上に、
人の選びを尊重します。


自分の選びは振り回さない。
人の選びも信頼していくものでありますように。

2008-09-17

冷え込みますよ!

今日は昼間は少し暖かくなって、
ちょっと庭の片付け・・・野菜畑の片づけ・・・をしていたら、
汗ばむくらいでしたが、
夜はやはり涼しいです。


そして、明日は昼間はまた暖かくなりますが、
明日の夜は、かなり冷え込みそうです。
ニュージャージーも北西の方では、初霜になりそうです。
ここら辺でも7度くらいまで冷えそうですよ。


お風邪などお召しになりませんように。

あと、日本は台風13号ですね。
台風としては決して強い方ではありませんが、
大雨には注意です。


今日は久しぶりのクロッキー教室で心のマッサージの日。
絵を描くのがこんなに心地よいとは思っていませんでした。
本当に嫌いだったんです。
どのように評価されるか、
ダメダメの評価が怖くて、
絵は本当にいやだったんです。


でも、教会のクロッキー教室では、
いいんですよ、個性ですから、と言われて自由でいられます。
それで、子供の頃の劣等感で凝り固まっていた心が、
少しずつ、少しずつ、解きほぐされてきています。


そして、最後に聖書の話ってのがいいですね。
わたしの心が解きほぐされていますから、
思い切って、自由な気持ちでお話ができます。
今日は初めてこの教室に参加される方々も多くて、
また新鮮ないい日でした。


さて、月曜日9月15日の聖書。
月曜日はサムエル第二8章でした。


「このように主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。」14節。

ダビデは主によって勝利を与えられた。
ここでは、「日々のみことば」誌の左のページにあるように、
自分の「霊的な戦い」のことを思わされました。

「連戦連勝」ですよね。

でも、私たちの実感として、
そんなことはあるんだろうかと思います。

イエスを信じる者は、霊的な戦いに勝利する、
と信じています。
でも、実際の生活の中で、それを実感することがどれだけできるでしょうか?

もちろん、実感がすべてを決めるわけではありません。
でも、「実際にどう感じるか」ということも大切です。
そのことを本当に経験させて頂いて、
心から、「主はわたしに勝利を与えてくださった。」
そのようにはっきりと言うことができる者になりたいと思います。


主よ、
私たちの「霊的な戦いにおいて、わたしは、私たちは勝利している」
そのように感じることができますように。
それが単に言葉だけではなく、
信じて、受け取るものであり、
また実際の生活の中でもそれを感じることができますように。

あと3ヶ月。

今日の夜は、高校で、大学への受験準備の説明会。
受験といっても、こちらは大学へ願書を送って、
向こうが書類審査をして、2-3ヶ月経ってから
合否を通知してくる。


そのための親の心構えや、
子供がすべきことを聞いてきた。


なかなか面白かった。
わくわくしてきた。
自分の受験のような気持ち。


帰ってから、「どうだった?」と息子の方が聞いてきて、
「たのしかったよ、やる気になった。」(って誰が?)と答えた。


ちなみに、親が全部願書を書いて、
本人はどこに送ったか、全然知らない、というケースもあるようです。
日本も、アメリカもだんだん親が熱心になって、
本人は「親任せ」というのが出てきているみたいですね。
ちょっと怖い。


いろいろ将来のことも祈りながら考えているみたい。
自分がいつもいつもやっていて喜びを感じるのは
どこかって、わかってきているみたい。


結局そこなんだよねえ。
使命感も大切。適性も考えるべきと思う。
でも、一番喜びを感じる分野で生きていってほしい、
そのように思います。


願書の締め切りはだいたい1月1日だそうです。
あと3ヶ月ですね。早い。


今日は晴れませんでしたね。
一日曇っていました。
ちょっと肌寒いくらい。
昼間も20度あったでしょうか?


明日は晴れて昼間は25度くらいまでいくみたいです。


さて、日曜日9月14日の聖書。
日曜日はサムエル記第二7:18-29でした。


「神、主よ。あなたが、約束されました。」29節。

神さまが約束してくださっている。
私たちも約束をすることがある。
そして、約束をしたら、必死でそれを守ろうとする。
力を尽くして、なんとしてでも、その約束を守ろうとする。

でも、ある時には、残念なことに約束を守れないときもある。

でも、神さまが約束される。
全知全能の神が、
世界を造り、今もそれを治めておられる神が、
約束をしてくださっている。
だから、神は約束を守れないことはない。

そして、神は、ご自分の約束を守らないことはできない。
そう、神は神でおられるがゆえに、
約束を守らない、ということはない。

私たちは人間の弱さと限界の故に、
約束を守れないときがある。
でも、神にはそれは不可能だ。
そう、神は全能だけれども、
不可能なこともあるのだ。
それは、約束を守らない、ということ。

その神の真実を信頼して、
歩んでいこうと思いました。
私たちに対して、最善以下のことはなさらない方に信頼して、
歩んでいこうと思いました。

主よ、
あなたの約束を感謝します。
あなたの約束を信頼します。
信頼して、歩みます。

テスト。

これはテスト。
ちゃんとできるか?

2008-09-15

恐るべしTylenol PM。

昨日は早く沈没してしまいましたが、
それは久しぶりのプチ頭痛。
ほんと、健康守られているんだな、と思いますが、
頭痛も本当に久しぶりでした。それもホントにプチ頭痛。


で、タイレノール信者である私は、
タイレノール飲んで寝よう・・・と、
キッチンの棚を探してみると、
「タイレノールPM」が・・・。
飲んだことなかったと思うのですが、
ちょうど寝る時間だから、ぴったりだ、と、
2錠飲んで寝ました。
おかげでぐっすり眠れました。
頭痛もすっかり治りました。


でも、起きるのがつらい。
"PM"の部分がばっちり効いていたようです。


何とかはい出して教会に行くも、
鍵を忘れた・・・。
昨日のんちに預けたままだったんですよねえ。
がっくりしながら、駐車場で
とろとろしながら、祈りの一時。
今、朝6時は結構暗いんですねえ。
聖書が暗くてよく読めない。
めがね外して、目を聖書から5センチくらいのところにくっつけて、
やっとこさっとこ読みました。


で、家に帰って、一休みしたいところでしたが、
今日は9時から子供たちの健康診断でお医者さんに連れて行かなければいけない日。
もう、待っている時間も、椅子に座ってうとうと・・・でした。


10時半に帰って、ばたりと倒れて、
何度か「もう起きなければ・・・」と思いながら、
何とか普通に戻ってきたのは午後2時半頃。
薬を飲んでから16時間が経っていました。


日本人は欧米人と肝機能が違うから、
薬もまともに飲んじゃダメ、と聞いたことがありますが、
これからはあれ1錠にしないといけませんね。


いやあ、参りました。

今はすっかり元気です。
ゆっくり休んだおかげで、ホント元気になりました。


さて、今日は朝は蒸し暑かったですが、
昼間から、湿度が下がって、夜は涼しくなってきました。
明日から、朝は13度くらい。昼間は23度くらいで、
毎日晴れ。
気持ちよい日が続きそうです。


さて、9月13日、土曜日の聖書。
土曜日はサムエル第二7:1-17でした。



『主はあなたのために一つの家を造る。』11節。

これは本当に考えさせられました。
土曜日の男の弟子訓練のところでも書きましたが、
私たちは「主のために」「主のために」と思う。
でも、主の方が私たちのために必要を与え、
助けを与えてくださる。

その恵みがやはり私たちの信仰の土台であり、中心でなければならない。
恵みがあるから、献身がある。
礼拝の中でも語る時間がなくなってしまったけれども、
福音があるから、「そういうわけで」
私たちは神さま第一の生活を送る。

神さまが私の人生にどんなことをしてくださるか、
あとどれくらい与えられているかわからないけれども、
楽しみにしながら歩んでいこうと思いました。

神さま、
私があなたのために一生懸命になるよりも、
あなたが私たちのために必要を与え、
助けと力を与えてくださる方ですから、
感謝します。


あなたの私に対してもっている計画に、
喜んで参加し、従っていくことができますように。



2008-09-14

あっさり沈没。

もうすぐで追いつきそうなんですが、
今日はちょっとだけ頭痛がするので、
早めに沈没。
蒸し暑い一日でしたね。
シカゴの方は大雨で大変なようですが、
こちらは雨は北の方を通っていくようで、
ただただ、蒸し暑い天気、もう一日続きそうです。

「インドでの迫害」メール。

ここに来られる方々の中でもたくさんの方々が受け取っておられるでしょうが、
9月11-12日にかけて、「インドでの大迫害」についてのメールが3通届きました。

あまりに短い間にいくつものルートから回ってきましたから、
チェーンメール化しているな、と思いましたし、
本当のことだろうかとも思いました。

どうやら、本当のことらしいですし、
祈りの必要性を感じますし、
自分たちはこのような状況に対していかに無知であっただろうかと思います。
情報発信源の陣内さんのページ。
http://ameblo.jp/shunjinnai-kingdomcome/

でも、気をつけなければいけませんね。
デマも同じスピードで広がるってことですし、
チェーンメールはあっという間に何万通に増えるわけですし・・・。

この件について、水谷牧師が示唆に富んだコメントを。
http://blog.chiisana.org/?eid=901931
この方は周りで起こっていることに対応される迅速さがすごい、といつも思わされています。
・・・わたしは「まずいよな~」と思いながら、3日間もほったらかしにしておりました。

祈ってもらいたいことを仲間に回す、
それはすばらしいこと。
でも、それがチェーンメール化しないようにする配慮。
数年前、私たちの教会の祈祷課題に「インターネットやメールが正しく使われますように」という項目がリクエストされて、追加されました。
今も、わたしの切実な祈りの一つです。

主に仕える。

今日は一日天気は守られて、
蒸し暑いながらも、暑すぎず、いい天気になりました。


夜になっても22度くらい。
ちょっと蒸し暑い夜です。
明日は夏の最後の一がんばりでしょうか、
30度を超える暑い日になると思います。
雨は大して降らなさそうです。


今朝未明にテキサスに上陸したハリケーン・アイクですが、
駆け足で北上して、残骸になりつつあります。
昨日書いた高潮、英語ではstorm surgeといいますが、
予想されたほどひどくはなかったようです。
それでも何人かの方々は亡くなっているようですが・・・。


でも、それで避難しなくても、助かった人たちが
We are survivors!なんて騒いでいるのを見ると、
怒りを覚えます。


そして、次にまたハリケーンが襲ってきたときに、
「前も大騒ぎしたのに大丈夫だったから・・・」
なんて人が出ないようにと祈ります。


警告を出す方も、「言われていたほどじゃなかったじゃないか」
「避難しなければよかった」と言われるのは心外だと思いますし、
頭にくるでしょうが、これからも是非、恐れないで警告を出して頂きたいと思います。


今日の夜は男性の弟子訓練会。
今、2-3人のグループが4つがあって、またこれから増えそうですが、
男性のグループは今のところ1つ。


内容についてはプライベートなことについては絶対口外禁止なんですが、
本当に今日はいろいろなことを考えさせられました。


イエスの弟子として生きる中で、
「仕える」ということはどういうことを求められているのか?
そんなことが話題になりました。


人に見られなくても、認められなくても、
集会の最後に「こんな方がこんな奉仕をしてくださった」と
みんなの前で言われなくても、
個人的に、言われなくても、
誰も気がつかなくても、
誰ひとり気がつく人がいなかったとしても、
主が与えてくださった奉仕を感謝してできるだろうか?


また「主のために」ってがんばっているときって、
本当は主のためじゃなくて、「自分のため」何じゃないかって。
本当に主を愛していたら、
「主のために」なんて力が入ることはないんじゃないかって、
そんなことを話しました。


仕えること一つとっても奥が深いですね。


「同様にあなたがたも、命じられたことを皆してしまったとき、『わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません』と言いなさい」。ルカ17:10。


さて、金曜日、9月12日の聖書。
金曜日はサムエル第二6:12-23


「ダビデは、主の前で、力の限り踊った。」14節。

ダビデには人の目にどう見えているかはどうでもよかった。
神さまの前に踊りたかった。力一杯踊りをもって神さまを賛美したかった。

人の目が気になるときがある。

人のことを考えて、手を挙げて歌ってくださいと言われたこともある。
人のことを考えて、手を挙げないでください、と言われたこともある。

結局人のことを考えていたら、どっちも難しい。
神さまとの関係の中で、
神さまへの礼拝を心からささげて、
神さまとの関係に集中して、
生きていきたいと思います。

人への配慮も大切だと思います。
でも、それはわたしを振り回したり、
わたしがそれに支配されてはいけないですね。

このダビデのように、
「わたしは神さまに賛美をささげたんだ!」と言いきることができるような、
本当の賛美をさせて頂きたいと思います。

主よ、
心からのあなたへの賛美をささげさせてください。
明日の礼拝で、まずあなたの前に出て、
ささげる賛美が真実なものとなりますように。
人の目ではなく、あなたの目を気にするものでありますように。