2009-11-28

大きな神様。

今日の夕方は中高生の集り。
どこから話をしようかと思っていたところに、
思い出した一つのビデオ。


日本の方に「中高生のために」と頂いておきながら、
紹介することがなかなかできずにいました。


探したら、YouTubeでも見つけることができるのですが、
今日のDVDは日本語の字幕も入っています。





上のビデオは最初の10分で、
全体は45分くらいですので、5つくらいのパートに分けられているんでしょうか。


本当に感動しました。
神様がどれほど大きな方で、
どれほど、わたしたちのことを愛しておられるか、
本当にパワフルなメッセージだと思いました。


銀河系の中にある星の数を数えるだけで2500年もかかる、
それほど大きな銀河系は、またたくさんある銀河の中のほんの小さな銀河に過ぎない、
神様の大きさはわたしたちが今まで考えてきたこととはレベルの違う大きさなのだということを思わされます。


その大きな大きな神様がわたしたちに目を留めておられる。
明日のNJでの日本語礼拝にも目を留めておられる。


ワクワクしてきます。


さて、11月25日(水)の聖書。
エズラ9:1-8でした。


「しかも、つかさたち、代表者たちがこの不信の罪の張本人なのです。」2節。

どきっとしますね。
自分が神様に従えないこと、
従えきれないでいること、
それが教会全体に与えているダメージはどれほど大きいか。

もしも、私が個人的なことで、
誰も知り得ないことでも、
また、自分の心の中だけのことで、
誰かに分かち合うほどのことでもない、と思うほどのことでも、
神様に背いていることがあるならば、
それがどれほど教会全体にダメージを与えるか、

そのことを思うと、
本当に神のあわれみなしには立つことができませんし、
主の守りなしには、その罪から守られることもありません。

ただ、真実に主に従う者でありたいと思いました。
祈りのサポートもどれほど必要かと思いました。

主よ、
どうか、私の歩みを守ってください。
私の心を守ってください。
心の奥底まで、きよめられて、
主に従っていくことができますように。

久々の・・・。

27日の夜は
NYフィルでした。






何年ぶりでしょうか・・・。


ムーティ指揮のNYフィルにお招き下さった方がいて、
のんちと3人で、NYフィルというか、ムーティというか、
楽しんできました。
もう、彼はかっこいい。「千秋先輩」よりずっといい。(笑)


ずっと思い出そうとしていていて、
やっとだんだん思い出してきたのですが、
ムーティを聞きに行くのも久しぶり。
そう、日本に彼が来た時、たぶんフィラ管を連れてきた時に、
奮発して聞きに行ったと思うんですよね。


そう、あれは、確か高校生の時。
アルバイトしてお金を貯めて、
行ったような気がする。
チャイコの6番「悲愴」。
華やかでした。そう、華があるって感じ。
重厚さとか、重々しさと言うよりは、華。
今日もそう思いました。


たぶん、日本人の感覚からすると、
ベートーベンはムーティじゃないんでしょうね。
でも、今日は3番。「英雄」。
元々ナポレオンを頭に描きながら作曲したのでしょうから、
華のある彼の指揮はまたそれでいいのだと思います。


そして、音楽もそうなんですが、
前をまっすぐ見据えて、
少し上を向いて歩く、姿勢の良さが、
とてもいい印象です。


今度シカゴの首席になるんですね。


でも、ナマプロオケも本当に久しぶり。
本当に楽しませて頂きました。
感謝。


ちょっとクラッシックがマイブーム(死語?まだ大丈夫?)になりそうです。

さて、11月24日(火)の聖書。
エズラ8:21-36。


「そこで、私はその所、アハワ川のほとりで断食を布告した。それは、私たちの神の前でへりくだり、私たちのために、私たちの子どもたちと、私たちのすべての持ち物のために、道中の無事を神に願い求めるためであった。私は道中の敵から私たちを助ける部隊と騎兵たちを王に求めるのを恥じたからである。」21-22節。

すごいですよね。
王に助けを求めることを恥じて、
神に助けをもとめて、へりくだって出た人々。

王の助けをもらうことが何で恥なのか。
どうして、そこまで神に頼れるのか。

本当に彼らの真実と、強さを感じます。

でも、彼らは王の助けを断ったが故に、
真剣に断食して祈りました。

それくらい、神に真剣に求めることの大切さを思わされます。

わたしたちは人に甘えて、
神に求めないことがどれだけあるでしょうか?

本当に主に求め、主から与えられて歩んでいく者でありますように。

主よ、
わたしたちはどれだけ人に甘えて、
あなたに真剣に求めていないことが、あるでしょうか?
あなたに求め、あなたが与えてくださることを、
見ていくものでありますように。

2009-11-27

敗北宣言。

はい、金曜日の昼前です。
今日の「雨のち雪」の予報ははずれです。
気象庁のスーパーコンピューターも、
AccuWeatherのHenryさんも、
お天気オヤジ・かきごおりも、
常識派に敗北しました。


今日は「曇りのち曇り」みたいです。


あとで、「日々のみことば」も更新しますが、
今は、「月報の原稿」と「礼拝説教」の準備中です。

2009-11-26

感謝、感謝。

トンネルの中で15分ほど待たされましたが、小さな事故があつたようで、その後は順調。

4時からのディナーは、
サンクスギビングとしては、
最高の40人。
たのしくすごしました。

感謝。


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Lincoln tunnel

中で完璧に止まってしまった。
3:10pm
すでに10分くらいこのまま。


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Thanksgivivgといえば。

Tのつくものですよね。




そう、「たこ」。
たこやき準備中。
1.5kgのをゆでました。

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2009-11-25

「自分でちゃんと言え!」

今日は一日どんよりとしていて、
午後からは霧雨が降り始めました。


この霧雨、英語ではdrizzle。
うまく発音出来ませんが、
なんだか、それっぽい音ですよね。
霧雨って、drizzle, drezzleって音で降ってきますから・・・(笑)


明日は雨も上がり、ソコソコ暖かくなりそうです。
そして、あさっては、「雨のち雪」・・・きっとね。
まだ、どの天気予報も私の説を採用していません。ハイ。
みんな後悔すると思う・・・。


今日の午後からは、明日のThanksgivingのために、
郷里に戻る人も多かったのでは・・・。
夜にNYから帰るバスはガラガラでした。


今回、たった3日なので、ハジは帰ってこないで、
アトランタの教会の牧師さんのお宅でお世話になることになりました。
同世代のお子さん達もいて、本当によくして頂いているようです。
クリスマスから新年の休暇は帰ってきます。
12月15日です。あと3週間。
ま、素直に「楽しみにしている」と認めておきましょう。


さて、感謝の第2回目。


今日は「自分でちゃんと言え!」事件。


小学校1年生と2年生の時の先生には、
本当にお世話になりました。
おじいちゃんの先生で、
鞭を持っていて、
忘れ物をしても、
宿題をしてこなくても、
漢字テストで間違えても、
音のするおならをしても、
おしりを鞭で打たれます。


ですから、いつも緊張感がありました。
そして、とても、楽しいクラスでした。


とても面倒見のいい先生でした。


ある日、学校に行こうと思って、教科書をそろえていたのですが、
どうしても音楽の教科書が見つかりません。
時間が来て、結局見つけられじまい、
母が「音楽の教科書が見つかりません。よろしくお願いします。」と連絡帳に書いてくれました。


それを持って、学校に行きました。
連絡帳を見た先生、音楽の時間に「この『よろしくお願いします』ってどういうことだ?おまえはどうして欲しいんだ?何をよろしくなんだ?」と聞いてこられました。


私は立たされて、なんて答えたらいいのかわからなくて、
べそかきながら、一時間、立っていました。


授業が終わったときに、
先生は「バカだなあ、『隣の人に見せてもらえるようにしてください』だろう?」とおっしゃいました。
「な~んだ」と思ったのですが、それまで、自分は「何でも親が言ってくれる、連絡帳に書いてくれる」と思っていたんでしょうね。自分のことは、自分で言わなければいけない、ということを先生は教えてくださったのです。


大人になっても大切なことだと思います。
誰かが気を回してくれる・・・気を配ってくれる・・・のを待っていることがどれほどあるでしょうか?
そして、誰も気を回してくれないと、「なんだ!」と怒ってしまったり、「愛がない」とか裁いてしまったり・・・。
その最たるものは例の「KY」ってヤツですよね。
空気を読め、なんて甘えです。
「以心伝心」「あうんの呼吸」も、私の嫌いな言葉です。
そんなことあり得ない。言わなくてもわかってくれ、なんて、甘えです。
まだ、日本の社会はそんなのが甘えが通用するのかと、びっくりします。
まあ、「言ってくれないとわからない」というも「甘え」なんじゃないか、っていう考えもあるんでしょうが、やっぱり「自分のことは自分で言え」というのは、この先生に教わった大切なことだと思っています。


自分のことは自分でちゃんと言う。
気を回してもらうことを待っていない。
大切なことを教えてくださった先生に本当に感謝しています。


さて、11月23日(月)の聖書。
エズラ記8:1-20。


「私たちの神の恵みの御手が私たちの上にあったので、彼らはイスラエルの子、レビの子、マフリの子孫のうちから思慮深い人、シェレベヤと、その子たち、およびその兄弟たち十八名を私たちのところに連れて来た。」18節。

この日も、「神の御手がわたしたちの上にある」シリーズですね。
この時は、神の御手があったので、
出会いが与えられている、ということでしょうか?

神様の与えてくださる出会い、
それを受け止めることの大切さを思わされます。
明日のThanksgiving Dayのディナーにも、
いろいろな方々が来られます。
私も初めての方もおられると思います。

その出会いの中に、
神様の御手があるのだと思うと、それだけでワクワクします。

主が与えてくださる出会いを、
思いっきり受け止めることができるようにと願います。

主よ、
一つ一つの出会いの中に、あなたの御手を信じます。
どうか、明日のそれぞれのThanksgivingの一時の中で、
その出会いが祝福されますように。
また、教会の一人一人が、その場その場で「祝福の基」となりますように。

Thanksgiving・・・。

今日(火曜日)は朝ちょっと雨がぱらついていましたが、
子供が学校に行く頃にはもう晴れてきていました。
晴れると、やっぱり暖かいですね。
でも、そういえるのも後2日。
その後はぐっと冬らしくなって来るみたいです。


金曜日の予報はかきごおり的には変わっていません。
「雨のち雪」。たぶんね。でも気温は高めなので、
やっぱり積もるような雪じゃないと読んでいます。はい。


さて、あさってというか、もう日付が変わっているので、
明日なんですが、木曜日はThanksgiving Dayです。
我が家も4時から「どなたでもどうぞ」のディナーです。
だんだん人数も増えてきました。
ホントにどなたでもどうぞですから、
このブログの読者の方でも、是非どうぞ。
お問い合わせは、左のコラムのcomplete profileから、その中のEmailをクリックして、メールください。


そんなことで、先週あたりから、
「感謝したいこと」をいろいろ考えています。
今年は今年一年ではなくて、
子供の頃のことから一つ一つ思い出しています。


照れくさいのですが、
今日から、いくつか、感謝を込めて紹介していこうと思います。


今日は「トロンボーン買ってくれ3階立てこもり事件」。
と思ったら、もうこれも2年半くらい前に一度書いているんですね。


コピペして、ちょっとペンを入れます。


中学でブラスバンドに入ってトロンボーンを始めました。
最初はどうでもよかったのですが、
やはり2年生、3年生と進んでいくうちに、
「マイ楽器」を買ってもらう仲間が増えてきました。
ドラムのヤツ、トランペットのヤツ、ホルンのヤツ、
そして、フルートの子、クラリネットの子。
伝統・・・っていうか、歴史が長いというだけなんですが・・・
がある学校だったので、
学校の楽器は古い。
でも、実績はないので、部には新しい楽器を買うお金はない。
学校の楽器は凹んでいたり、さびて、使っていると緑青が手につくような、
そんな楽器でした。


今考えると、そんな楽器でも使い込むといいのかもしれませんが、
そのころは「マイ楽器」を買ってもらったみんなのピカピカの楽器がうらやましくてしかたありませんでした。

カタログを見ては「欲しいなあ」とため息をつく毎日でした。
そして、ある時、親に言いました。
トロンボーンが欲しい、と。
「無理だ」と言われました。
泣きました。

そして、教会の3階に立てこもりました。
確か、日曜日の午後。

あんまりいじけて出てこないので、
部屋に親父がやってきて
「いくらくらいなんだ?」と聞いてくれました。

それで嬉しくなって、かな~り期待してこう言いました。

「一番安いので5万円・・・でも、ボクが欲しいのは10万円」
それを聞いて親父は「バカ!」の一言を残して部屋を出て行ってしまいました。

泣きました。
思いっきり泣きました。

そして、あきらめました。
無理だと思っていました。

うちは、よその家とは違うんだ、
小学校の時にオレに向かって、
「貧乏人には用がない」といったヤツがいたよなあ、
ホントにその通りだ。
オレは買ってもらえないんだ。
しょうがないんだと・・・。

でも、数ヶ月後、
親父に「中古の楽器があるけど見てみるか?」と聞かれました。
「バカ!」とだけしか言わなかった父ですが、

宣教師の先生に聞いてくれたみたいです。

そして出会ったのがマイトロンボーン1号。
親父が2万5千円で買ってくれたのです。



今考えてみると、
自分も中学生の子供に1000ドルのモノが欲しい!といわれたら、
「バカ!」と言うだろうなあ、
と確信を持って言ってしまいます。


感謝。


さて、11月22日(日)の聖書。
エズラ7:11-28。


「私の神、主の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、私といっしょに上るイスラエル人のかしらたちを集めることができた。」28節。


ここら辺は何日か続いて、
「神の御手が私の上にあったので」シリーズですね。
神の御手があると、
元気が出てくる。


神様はそういう方。
神様の御手があるから、「元気が出ない」とか、
神様の御手があるから、「もうだめだと思う」ということはないと思う。


神様の御手がある、という確信は、
勇気を与え、元気を与える。


今、主の御手が私の上に置かれている。
そのように確かに言うことができる。


だから、安心して、勇気を出して前進していくことができる。
ありがとう。神様。


主よ、
あなたの御手が私の上に置かれていることに感謝します。
そのことを覚えると、そのことを知ると、
元気が出てきます。
どうか、私の歩みを守り導き、
愛と勇気にあふれさせて下さい。
これからも、いつもいつもあなたの御手を見ていくことができますように。



2009-11-23

主の御手が・・・。

さて、夜になりました。
雨が少し降っているようです。
この後、一週間ずっと余りスッキリしない天気のようです。


夜のコンピューターモデルでも、
金曜日の午後から夜は雪の予想ですが、
まだ、どこの天気予報を見ても、
雪を打ち出していませんね。


NY周辺のお天気キチガイたちは、
気象庁モデルに「いいぞJMA!」「行け!行け!」と声援を送っています。(もちろん英語・・・)


AccuweatherのHenryさんのページ


はい、先週の水曜日ですが、NYに行った時に、
タイムズスクエアのあたりでこんな看板に出会いました。
(赤信号でとまっている時ですよ、念のため・・・)



iPhone(一世代前)のカメラなので、
たぶん、拡大しても解読できないかも知れませんが、
真ん中の街灯のところに付いている看板読めますか?


根性のある方は解読して頂きたいのですが、
意味的には、「アイドリング3分で2000ドルですよ~」という警告です。
(英語忘れました・・・)


すごいですねえ。
2000ドルですよ。
絶対文句言う人いるでしょうね。
というか、これって請求された人いるんでしょうかね。
かなり脅かしみたいな感じです。


でも、こうでもしなければ、みんな規則を守らない、
というのは、本当にわたしたちが「お金に支配されている」ってことなんでしょうね。
私自身「本当に私の生活は神様に支配されているのだろうか?お金に支配されてはいないだろうか?」と考えさせられます。


交通違反で捕まっても、
罰金を払わされなければ、
なかなか懲りない。
それって、なにが自分の心を支配しているんだろうか?
「車を運転する者の責任感」ではなくて、
「お金」なのかなあと・・・。


「神の国と神の義とをまず求めなさい、そうすればすべての必要なものは満たされます」とのイエスの言葉を本気で信じていきたいです。


でも、この警告、いいことだと思います。
無駄な渋滞、無駄な大気汚染が、
だんだん好きになってきたNYCから駆逐されることを願います。


さて、11月21日(土)の聖書。
エズラ7章1-10節。


「彼の神の恵みの御手が確かに彼の上にあった。」9節。

主の御手が彼の上にある。
結婚の決断に導かれた聖書の言葉を思い出します。

主の御手がある。
主の守りがある。
だったら、恐れることも、逃げることも必要ない。
主は豊かに祝福して下さるから。
そして、多くの人々が、自分の人生を通して、
この結婚を通して、主のもとに導かれるから。

そのことをもう一度確認させて頂きました。
その使命をもう一度受け取って真剣に求めていきたいと思いました。

土曜日に読んだので、日曜日の祝福も祈りました。
今日、これを読みながら、日曜日だけではなくて、
一日一日の祝福を祈ります。

主よ、
あなたの御手が、わたしたち夫婦の上にあることを感謝します。
そして、教会の上にもあることを感謝します。
どうか、約束通りに御言葉を成就して下さい。
信頼しています。

祝福の基。

今日は何だか肌寒い。
暗くて、今にも雨が降りそう。
でも、気温は10度近くあるんですね。


今週の金曜日のsnowstormですが、
うーん、まだわからないのですが、
私は「木曜日の夜から雨で、金曜日の昼頃雪に変わる」かなあ、
と思い始めています。
コンピューターモデルは「ずっと雨」というのもあり、
「大雪」(実は日本の気象庁の全地球モデル)というのもあります。


わかりません。


4日後の天気が簡単にわかってたまるものですか!


でも、その夜メータ指揮のNYフィルにお誘い頂いていて、
たのしみにしているので、「大雪」はやめて欲しい・・・。


さて、今日は落葉かき(何回戦か忘れた・・・)。
今日集めに来るか、と思っていたのですが、
結局来ませんでした。


落葉かきながら祈っていました。
今日は、私は休日を頂いていますが、
今日も、多くの方々はお仕事に行かれているわけで、
時々、職場の人間関係や、仕事自体の内容に、
困難を覚えておられるお話をいろんな方々からお伺いして、
ずっと「守られますように」と祈っていました。


でも、今日はもっと積極的に祈ろうと思わされました。
ただ、いろいろな闘いから「守られますように」だけではなくて、
教会の一人一人がそれぞれの職場で、また会社全体で、
「祝福の基」となるように。
創世記の12章のところで、
アブラムに神様が約束して下さったこと、
今もわたしたちへの約束です。


「あなたは祝福の基となる」
(ハジの名前はここからとった。英語でも日本語でも「ハジ」だけど、ホントは「はじめ」で、漢字は「基」。)


今週はアメリカ在住の皆さんは、たぶん皆さん半分くらいしか仕事に行かない方が多いと思いますが、その中で、お一人一人が神様の祝福が流れ出す拠点になりますように、そのように祈らされました。


あなたがいるから、職場に笑顔があふれ、あなたがいるから、みんな気持ちよく仕事ができる、そんな歩みが、あなたの力ではなくて、神様の奇跡によって、実現しますように!


さて、11月20日(金)の聖書。
エズラ記6:13-22。


「これは、主が彼らを喜ばせ、また、アッシリヤの王の心を彼らに向かわせて、イスラエルの神である神の宮の工事にあたって、彼らを力づけるようにされたからである。」22節。

この働きの背後におられる主を感じました。
あのエステル記の中で、
ハマンがモルデカイをおとしめようと一生懸命だったのに、
神は王様に眠れない夜を与え、
それで、モルデカイの手柄に報償を与えることを、思いつかせたのでした。

主が働かれるところに、
主が御業をなされるところに、
人間の思いを超えたことが起こる。
神を知らない人さえも主は用いて、
御業をなされる。

もっともっと神様の御業を
私の人生の中でも、
教会の歩みの中でも見せて頂きたいです。

主よ、
あなたがわたしたちの思いを超えて働かれることを、
もっともっと経験させて下さい。
あなたの勝利を見せて下さい。

2009-11-22

鬼のように。

今日もいい天気で、
朝晩はソコソコ冷えましたが、
昼はまあまあ暖かい、
11月にしてはいいかな、という天気でした。


というか、お天気オヤジ的には「つまらない」天気なんですが、
でも、助かります。


明日から水曜日までは大崩はしませんが、
時々霧雨や雨が降る、日が続きそうです。


木曜日の夜から金曜日は・・・???です。


また、明日あたり見えてくるかなと思います。


今日はたくさんの皆さんが教会においで下さいました。
礼拝も聖霊様が自由に働かれているのを感じていました。
いや、いつもそうなのかも知れません、わかりません。
祈って備えた礼拝でした。
求めて、期待して備えた礼拝でした。
でも、大切なのは、わたしたちの目がその働きに開かれつつあることだと思います。
わたしたちのチューニングが聖霊様の語りかけに合ってきているのだと思います。
私ももっともっと形から解放されて、
人の反応を恐れないで、聖霊様の導きに信頼して、
従っていこうと、思わされました。


礼拝後の愛餐会も楽しく、またにぎやかな一時でした。
JOYJOYシンガーズも、久しぶりの舞台+中高生がいない中での初めての舞台。
でも、本番はみんな集中して、心から一生懸命歌います。
楽しい一時でした。


でも、今日の礼拝で思わされたのですが、
やはりThanksgivingは表面的に楽しそうに見える人たちのためにあるのではなくて、
痛みや悲しみの中を通っておられる方々にとっても、慰めと解放を与えるモノとなるようにと祈ります。


そのような奇跡が毎週見られる教会となりますように。
これからクリスマスまでの間が慰めと癒しの満ちあふれる季節となりますように。


さて、11月19日(木)の聖書。
エズラ6:1-12でした。


「また、その必要とする物、すなわち、天の神にささげる全焼のいけにえのための子牛、雄羊、子羊、また、小麦、塩、ぶどう酒、油を、エルサレムにいる祭司たちの求めに応じて、毎日怠りなく彼らに与えよ。」9節。

タテナイがダリヨス王に訴えたことによって、
反対に必要なものが満たされていった。
これは本当に不思議なことだと思う。
神様のなさる不思議。

人間の計算の通用しない世界。
計算してやろうと思っても決してできないこと。

神様の自由な導きなんだろうと思います。
大きな祝福なのだと思います。

ただ、ただ、この主を信頼して、
この神様を信頼して、大胆に歩んで行かせて頂きたいです。

主よ、
すべての必要を満たしてくださるあなたに信頼します。
それも、あなたの不思議な方法で満たしてくださいますから感謝します。
あなたを信頼します。
どうか、あなたの御業を見せてください。
見てから信じるのではなく、見ないで信じる信仰をお与え下さい。