2007-02-03

1週間の氷点下期間に突入

「一日一章」は2連敗。
今日はそろそろ休みます。
ここの御言葉を支えにしておられる方には申し訳ないのですが、
また明日の朝、時間ができたら更新します。

昨日の夜から氷点下に入り、
そのまま来週の金曜日くらいまで0度Cは超えないでしょう。
寒い日が続きます。

皆さんしっかりパッチを履いて
寒さを乗り越えましょう!

2007-02-02

Groundhog Day

今日はグランドホッグデー。
グランドホッグが自分の影を見るか、見ないかで、
冬があと2週間で終わるか、6週間続くか、わかるという、
そんなこと分るわけないじゃん、という日です。

詳しくは去年の今日の記録へ

ちなみに、今年は「あと2週間」だそうです。
そんなわけないじゃん、と思いつつ、そうだったらいいな、と期待してしまいます。

今日の夜は雪が降って、
うっすら雪化粧しています。
路面がうっすら凍結しています。

さっき帰ってきたばかりですので、
そして、明日の朝は早いので、「一日一章」もお休み。
また明日。

2007-02-01

敬虔さ

今日も寒かったですねえ。
昼間はプラスになりましたが、
朝は-4.8度。
今も夜の11時前で-0.5度。
この後雪になるようです。

でも、大したことはないみたいです。

明日も朝と夜に教会の集会があるので、
大したことはないと助かります。

今日はちょっともう遅くなってきたので、
「証し」はお休みして・・・たぶん明日も土曜日も難しいと思うので、
たぶん日曜日か月曜日。

そして、さっそく聖書。
今日はヘブル人への手紙5章。
7節の言葉が心に留りました。
キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」

イエスの祈りは「敬虔さのゆえに」聞き入れられたという。
敬虔さ、という言葉に今日はものすごい語りかけを感じました。
私には「敬虔さ」があるだろうかと。
主を畏れる思い。
主の前にひざまずく思い。
主を利用するのではなくて、
主を主として、あがめ、そこに従っていく決意。

その主との関係の中に歩んでいきたいと思いました。
主を主としてあがめる歩みをしていきたいと思います。
いろんな物事が周りに起ってくる中で、
それを整理していくだけで、
自分の仕事をこなしていくだけで精一杯のところもあります。
でも、そんな時にも、
何よりも主を主としてしたがっていきたいと思います。

主よ、
あなたが私の主です。神です。
私の人生のリーダーです。
教会のリーダーです。
どうか、あなたの導きの元に謙虚に歩んでいく者としてください。
敬虔さを身につけさせてください。
一つ一つの決断をするときにも、
あなたを見上げつつ、
あなたがどのように願っておられるかに注目しつつ歩ませてください。

2007-01-31

おりにかなった助け

今日も寒い一日でした。
朝起きたら-6度。
昨夜の雪も、coatingですみました。
昼間も1度くらいかな。

今は夜の10時で、-3.7度です。
そして、明日の朝から金曜日にかけての雪ですが、
やっぱり大したことはないようです。
集会があるので、雪が大したことがないのはうれしいですが、
何だか、今年の冬は寒くなっても雪は降らない、って
ちょっと変な冬ですね。

そして、来週はほんとうに寒いみたいです。
その寒さが抜けたら、いよいよ春近し、って感じですよね。
楽しみです。

さて、
「証し」の第6章。

中高生時代の問題、その2は、
露骨に書くとフィルターソフトを使っている人が
読めなくなってしまうので書きませんが、
男としての誘惑との闘いでした。

いやあ、遅かったのかもしれませんが、
そしてオヤジになったから恥ずかしげもなく書けますが、
中学生になってから、自分の頭はおかしくなってしまったのかと思いました。

難しいですよね、中高生にとって。
どこまで健康的な成長の過程で、どこからが「罪」となるのか、
私の場合は、自分の心の中の葛藤のレベルでしたけれども、
「どこまで行っていいのか」なんてことも中高生向けの雑誌を見ると、
書いてありましたね。早熟の子はそんなことで悩んでいたのかも・・・。

そして、中高生のころは、このような葛藤は
大人になったらなくなるのだと思っていました。
結婚前は結婚したらなくなるのだと思っていました。

でも、そんなことはない、みたいですね。
いつもいつも神様に守られていなければいけないと思います。

時々、こともあろうにその分野で失敗をして
牧師を続けられなくなる同労者がいます。
気をつけなければいけないと思いますし、
神の守りを祈って頂きたいと思います。

さて、今日の聖書。
今日は早く目が覚めて、
神様からの「祈りなさい」コールだと思って、
早く起きて聖書を読んで祈りました。

その中で与えられた言葉。
「さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」14-16節です。

長いですが、その中の特に「おりにかなった助け」という言葉に心が留りました。
主は私のために「おりにかなった助け」タイムリーな助けを与えて下さるというのです。
今、自分に必要な助け、
今、教会に必要な助けを
主は与えて下さることがおできになるのだというのです。

これはとてもうれしいことです。
今朝、私は神様の助けを必要としていました。
神様の答えを必要としていました。
祈っている中で、
平安が与えられました。
ほんとうに必要な助けが与えられたなあと思います。

神様がいつも守って下さるのだという
確信を持って進んでいきたいと思います。

主よ、
どうか、私に今必要な助けを与えて下さい。
あなたがそれを与えて下さる方であることに心から感謝します。
どうか、あなたの助けを私に与えて下さい。
タイムリーな、まさに今必要な助けを与えて下さい。

2007-01-30

励まし合う

今日の朝は寒かったです。
でも-8度くらい。
昼間は2度くらいまで上がりました。
そして夜は雪が舞っていました。

今、夜の11時半ですが、
ちょうど0度くらいで、小雪が舞っています。
外はうっすら雪化粧です。

そして、問題は木曜日の夜から金曜日の朝。
少なくとも、少しは雪が降るみたいですが、
金曜日の朝には暖かい空気が入ってきて、
雨に変わるかもしれません。
金曜日、さて、学校がDelayed openingになるでしょうか?

「証し」の第、えーと、5章。

中学校の1年生、13歳の時に、洗礼を受けました。
毎年、夏にいろんな教会から同世代の仲間が集まって、
「キャンプ」をしたのですが、
毎年、悔い改めるべき課題を持っていったような気がします。
小学生の頃は、「弟をいじめてしまう自分」がイヤでしょうがなかったのですが、
中学校にはいるとちょっとそれが変わってきます。
楽しいキャンプなのですが、やはり楽しいだけでは終わりません。
自分の心が探られるのです。

相変わらずよくケンカはしたんですが、
それに加えて、2つのことで悩むことになります。
今日はその1つ目。

それは、「ねたみ」でした。

自分はほんとうに無口でした。
恥ずかしがり屋で、いつも誰かにくっついて、
それでみんなの仲間に入れてもらっていました。

男兄弟で育ったので、
女の子にどのように接していいかも分らず、
自分から女の子に声をかけることなんか絶対にできませんでした。

時々、声をかけてくれる子がいると、
それだけでまたカーッと赤くなって、
しどろもどろで答えていました。

だから、自然に女の子に優しくできるヤツとか、
なれなれしく、声をかけられるヤツとか、
かっこいいヤツとか、スポーツのできるヤツとか、
もてるヤツとか、
うらやましかったです。

極めつけは、ある年のバレンタインデー。
親友の水泳選手のヤツと一緒にいました。
そこで、突然女の子に声をかけられるかきごおり君。
「かきごおり君、ちょっとちょっと・・・」
と呼ばれて、「お、おれか?○○じゃなくて・・・」
と舞い上がって、照れながら、一人でその子のところに行くと、
「かきごおり君ちょっとこっちおいでよ、かきごおり君がいつも○○君と一緒にいるから、△△ちゃんが○○君にチョコをあげられないじゃない・・・」

・・・

まあな、言われてみればそうだよな・・・。
今考えるとなんて「配慮の足りない」自分だったかと・・・。

ま、そんな中学生だったのです。
黒ブチめがねに坊主頭(これは校則)だったし・・・。

何とか、自分も勇気を出して誰とでも話せる人間になりたいと思いました。
気軽に誰にでも声をかけられるようになりたいと思いました。
そして、それができるヤツをうらやましく思いました。

そして、それがいつの間にか「ねたみ」や「憎しみ」に変わることもありました。

そんな自分の心を神様に探られて、
悔い改めて出ました。
ちょうどキャンプに来ている仲間に対してそんな思いを持っていた時があって、
その友人のところに行って、悔い改めの祈りをしたこともありました。

貴重な体験だと思います。
宝物のような体験でした。
今でも、あのころの「キャンプ」がどれだけ自分に大切だったか、
よく思い出します。

スタッフの皆さんがどれほどの情熱と体力でぶつかって下さったか、
考えると、ほんとうに感謝の気持ちが湧いてきます。

今の中高生達にも、そのような経験が与えられるようにと祈らないではいられません。

今日の聖書はヘブル人への手紙3章でした。
「『きょう。』と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。」13節の言葉が心に留りました。

「互いに励まし合って」と言うことの大切さを思わされました。
私たちの信仰は個人的なものです。
一人ひとりの信仰が大切なのです。
でも、私たちは「惑わされやすい」。
だから、励まし合う、ということが大切なのです。
決してもたれ合うのではありません。
自分の信仰は人を頼りにして守っていくことはできません。
でも、自立した信仰者同士が、
互いに励まし合っていくときに、
強くされ、支えられ、守られていくのです。
お互いに「神様を見上げよう」と神様との関係に立たせてくれるような、
そのような励まし合いが必要なのです。

お互いを見るのではなく、
お互いに神様を見上げるように、
神様の方に心が向くように、
励ましていくような関係。
そのようなお互いでありたいと思います。
そのような関係を支えていく牧師でありたいと思います。

主よ、
どうか、
「励まし合い」、それも「神様を中心とした励まし合い」の
輪を広げて下さい。
そのような関係が教会の中にあふれますように。
それによって支えられ、守られ、強められる教会でありますように。
心を開いて、語り合い、祈り合う時を与えて下さい。

2007-01-29

主の兄弟

今日は寒かったですね。
朝は-6度。
昼間も-2度くらいまでしか上がらなくて、
夜の9時ですが、もう-6度まで下がっています。
ずっと暖かくて、「冬らしくない」とか言っていましたが、
2週間で、「もう十分」という感じです。

明日の夜も小雪。
そして、木曜日の夜から金曜日の朝にかけて10センチくらいの雪になるかもしれません。

来週も寒いみたいです。


早く春になって欲しいです。
花粉症は勘弁して欲しいですが・・・。

月曜日なので、ちょっと息抜き。


実は先週の月曜日、久しぶりに時間ができて、
「買い物行く!」と言って、一人でチャイニーズの食料品店に行きました。
そこに行ったら楽しみなのは、「どんなものが売ってるのかなあ」と見ること。

いろいろ見ました。
何よりも楽しいのは、楽しい日本語の書いてある商品。
今、日本の製品も結構日本語変わっていると思いますが、
どこかのちょっと日本語の分る方が、
「ボクに任せて・・・」と日本語を入れたんじゃないかなあ、

という商品の数々。

読んでると、腰砕けになるくらい力がぬける日本語。

その中で、かきごおり的に「気に入った!」「食べてみたい!」と思ったのが、


これ。


「にぱんのラーメン」???

んー、っと考えて、

「日式拉麺」を読んで、
「ああ、にっぽんのラーメンて、書きたかったのか」
とわかりました。

お昼にいただきました。
4食入って1.99ドルですから、
高くもなく、さりとて「めちゃくちゃ安く」もなく、
「うーん、うまいねえ」って感じでもありませんでしたが、
まあ、いけましたよ。
満足はしました。

もう一回買うか、と言われたら、???

でも、考えてしまいました。

私なんか、英語での会話は苦手だけど、
まあ、書く方がいいかな、と思ったりします。

でも、日本語に置き換えて考えると、
片言の日本語が話せる方がおられた場合、
会話だったら、ちょっと間違っていても、
「ああ、こういう意味なんだろうなあ」と先回りをするし、
分らなかったら確認します。
そしてコミュニケーションを取ろうとします。
でも、印刷されていたり、書かれていたものだったら、
「なんだこりゃ」となってしまいます。
そして、笑える場合は笑いますし、
笑えない場合は、困ってしまいます。
いずれにせよ、コミュニケーションは難しいですよね。

だから、自分ももっともっと勇気を出して、どんどん会話の方をしていったらいいんですよね。
その中で、伝わっていくものがある、それを大切にしたい、と思いました。

今日はヘブル人への手紙の2章を読みました。
心に留った聖書の言葉は、
「主は彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで・・・」
という11節の言葉です。

私のことを「恥ずかしい」と思わないでいて下さる。
主は私のことを受け入れて下さって、私のことを、
恥ずかしい、とは思われない。
とてもうれしく思いました。

自分の姿を見ると、
イエスさまに「恥ずかしい」と言われてもしかたがないような者です。
でも、その私のことを主は「恥ずかしい」とは思われない。

「兄弟」として迎えて下さる。
あの放蕩息子の兄のように、
「あんなヤツ」と思われても誰が文句を言えるだろうか?
でも、主は、私を「弟分」として受け入れて下さる。
ありがたいです。

イエスさま、
あなたが私を「弟」として受け入れて下さって、
恥としないで、喜んで受け入れて下さることに感謝します。
あなたがお兄さんであることは、私にはものすごい喜びです。
これからもよろしくお願いします。
どうか、こんな弟ですが、かわいがってやって下さい。
一緒に楽しいところに行ったり、心が躍るような、すばらしいことをたくさん経験させて下さい。

2007-01-28

キリストは変わることはない

今日は暖かくなりました。
最高気温は6.7度。
でも、夜は雪が降ってちょっと雪化粧。
今も夜の11時ですが、0度で小雪が舞っています。
もうちょっと降るようですが、
まあ大したことはないでしょう。
学校も普通通りあると思います。

「証し」の第4章。

イエスさまの十字架を信じて、罪を悔い改めて、
晴れてクリスチャンになった、小学校二年生の学少年ですが、
その日から、二度と弟をいじめませんでした・・・
なんてことはありませんでした。

ちょっとは優しくできるのですが、
やっぱりちょっと生意気なことを言い出したり、
自分の方の虫の居所が悪いと、
すぐイヤなことを行ってしまうんですねえ、これが。

それで悩みました。
もう自分はダメなんじゃないかと。
せっかく悔い改めたのに何も変わっていないじゃないかと。
こんなんじゃ神様に天国に入れてもらえないと・・・。

そう、小学生の頃の罪意識のほとんどは、
この弟との間のことでした。
なんてイヤな兄貴なんだろうと自分で思っていました。

でも、それでも、イエスを信じたときに神の子とされているのだということを確信したのは次の言葉との出会いからでした。

「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。」ヨハネによる福音書1章12節

聖書には「二度と罪を犯さなかったらあなたがたは神の子である」と書かれているのではありませんでした。「イエスを受け入れた者、その名を信じた者」が神の子とされると書いてあるのでした。
だから、私は神の子なんだと分りました。

そう、私たちは完璧にならなくても、
罪を全く犯さない人間にならなくても、
神の子とされているのだ、
ただ、信じるときに、内側は神様が造りかえて下さるのだから、
ただ、信じるときに、神の子とされるのだ、と分りました。

それから、今の子ども達にも、とにかく、悔い改めて、イエスを信じることの大切さを伝えていきたいと思わされています。

そして、今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙に入って第1章。
イエスについて書かれているところですが、
その中で心に留った言葉が、
「あなたは変わることがなく・・・」というイエスに対していわれている言葉です。

私は変わってきました。
これからも変わっていくだろうと思います。

時代も変わってきました。
世界の常識も変わってきました。
何が良くて何が悪いことなのかも変わってきました。

でも、イエスは変わることがない。
いつまでも変わることがない。

この聖書の言葉は
いつもいつも新鮮で、私たちを生かしてくれる、
そのことにいつも驚かされています。

主よ、
どうかあなたの御言葉によって、
あなたの語りかけによって、
私を支えて下さい。
私たちの土台となって下さい。
私たちの力の源となって下さい。
この移ろいやすい世の中にあって、いつもいつも変わりない土台であって下さい。