2006-10-28

ローマでも

今日の大嵐は、恐れていたほどではありませんでしたね。
家も全く停電しませんでした。

でも、まだまだ油断はできません。
昼間収まっていた風が夜になってから強くなってきました。
明日が一番風が強いみたいです。

明日は寒くて風の強い日
(体感温度で5度くらい)になりそうですが、
月曜日、火曜日は穏やかで暖かい日になりそうです。

ちょうどハロウィーンのころが暖かいみたいで、
子ども達にはよかったですね。

さて、今夜、Daylight Saving Timeが終わります。
今夜は1時間余分にあるので、助かります。
春はこの1時間早くするのがとてもきついのですが、
1時間おそくするのはとってもいいです。
なんか、自然と「早起き」できちゃうんですから、うれしいです。
日本に行って以来、朝がちょっときついまま1ヶ月経ってしまったので、
これを機会に早起きマンに戻りたく思っています。

でも、夕方がもう5時にはとっぷりと日が暮れるのが、
ちょっと寂しいかな。

ちなみに、今日ずっとニュースで言っていましたが、
このDaylight Saving Timeの期間が来年から長くなるんですね。

今までは4月の第1日曜日から10月の最後の日曜日だったのが、
3月の第2日曜日から11月の第1日曜日というちょっと覚えにくいパターンになります。

ほとんど1ヶ月長くなるんですよね。
サマータイムじゃないのが11月から2月まで+ちょっとの4ヶ月余り、1年の約3分の1です。
サマータイムを「サマータイム」と呼ぶのを止めて、
反対に11月から2月を「冬時間」とか「寝坊時間」とか呼べばいいのに。

今日の聖書は使徒の働きの23章でした。
いよいよ神様がパウロに語りかけます。

「勇気を出しなさい。
あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、
ローマでもあかしをしなければならない。」(11節)

ローマ行き!
パウロがずっとずっと願っていたことでした。
でも、彼が囚人として行くのだということを、
誰が想像していたでしょうか?

おとといのあのヤコブのことをまた思い出します。
「今大変だから、人々に誤解をされないように、私の言うとおりにしなさい」
とヤコブはパウロに言います。

でも、それも空しく、逆にその手が裏目に出て、
パウロは投獄されてしまいます。
でも、神様には神様のご計画がありました。
神様には神様のお考えがありました。

パウロは逮捕されることによって、
そうでなければなかなか話を聞いてくれないような人々にも証をすることができました。


そして、パウロは囚人となってローマに行って、
人々に証をすることができたのです。

すべて神様のお考えでした。

わたしたちには納得がいかないこと。
でも、主はそれをも用いてくださって、
すばらしいことをしてくださるのです。

私はどこに遣わされていくのだろうか?
私は今ここに遣わされて、語ることを使命として与えられている。

だったら、もっともっと大胆に、もっともっと多くの人々に、
神様のことを伝える働きを、
お証をする働きをさせて頂きたいと思いました。

主よ、
今日の一日を感謝します。
明日の朝、早く、よき目覚めを与えて下さい。
そして、明日の礼拝において、
多くの方々にあなたのことを指し示す働きをさせて下さい。
多くの人々に、あなたのことを伝えることができますように。
証をすることができますように。
出ていった先々で、あなたを伝える者としてください。

2006-10-27

「行きなさい!」

今朝はかきごおり家の温度計で初マイナス。
-0.7度Cでした。

家のガレージは高さの問題でミニバンが入らないので、物置になっています。
で、車はDrivewayということで、
今朝は車のフロントガラスはばっちり凍っておりました。

学校への道、フロントガラスの氷をばっちり取っておかないとダメです。
長男の高校への道も、
長女の中学への道も、
次女の小学校(って幼稚園だけど)への道も、
みんなばっちり朝日が前から当たります。


朝、慌てて子ども達を送っていこうと思うとパニックになる、
そういう季節が始まったんですね。

今夜から明日にかけて大嵐みたいです。
雨と風に注意が必要。
特に風がすごいみたいです。

今から10年くらい前、
まだJCCNJの牧師になる前、
やっぱり10月の土曜日でしたねえ。
教会で役員会をしていたら、大嵐で、停電して、
それでもやってましたね。
途中まで、廊下の非常灯がついていて、
その明かりで。
そのあと、ろうそくの明かりで・・・。

帰り道、あちらこちら木が倒れていて、
道があちらこちら通行止めになっていました。

そんなことにならないようにと祈りながら・・・
でも、皆さん停電の備えはばっちりやっておいてください。

で、今日の聖書。
今日は使徒の働きの22章です。

今日はパウロの証しの言葉の中で、
21節の神様の言葉が心に留りました。

「行きなさい!」

このパウロと神様とのやりとり、会話になっていません。

神様が
「急いで、早くエルサレムを離れなさい。」と言われたのに対して、
パウロは
「人々は私がクリスチャンにどんなひどいことをしていたのか知っています」
と答えます。「そんな私が生まれかわった証しをしたら、人々は聞くのではないでしょうか」と
言おうと思ったのではないかと思います。

でも、神様はそのパウロこの言葉に何か答えを与えようとはなさいませんでした。

ただ、「行きなさい!」と言われました。
そして、異邦人への伝道という使命を与えられました。

時々、わたしたちと神様との関係は「会話」ではないなあ、と思います。

神様が命じられること、
それが与えられたら、もう何もいらない。

何か疑問に対する答えが与えられなくてもいい。

疑問が全く晴れなくてもいい。

ただ、主に語って頂ければ、それでいい。

そう思いました。

わたしたちの考えを遙かに超えた方が、言われるならば、
もうそれだけで十分だと思います。

それが、「みことばが与えられる」ということだと思いました。

主よ、
あなたのみことばに感謝します。
あなたが語ってくだされば、それで十分です。
丁寧に疑問に一つ一つ応えてくださらなくても、
ただ、あなたが語ってくださったという確信が与えられたら、
それで十分です。

みことばを行う者へと、
みことばに従う者へとしてください。
聞くだけの者になるのではなく、
「ああ、いい言葉だなあ」で終わるのではなく、
真剣にそのみことばに人生をかけていく、
その様な歩みをさせてください。

2006-10-26

誰の言うとおりに?

今日はキッズクラブの日でした。
Leonia。
うーん、もっとたくさんの仲間に来て欲しかったなあ。
14人?
もっともっとPRして、もっともっといいプログラムをして、
でも1人1人を大切にして、
でももっともっとたくさんのみんなに神さまの愛を伝えたいです。

夕方には教会用の売り物情報を得て、見てきました。

いよいよ山が動くでしょうか?楽しみです。

今朝は3度くらい。
明日の朝は0度くらいまで下がるみたいです。
今、夜の11時過ぎで、もう3.4度Cまで下がっています。
今夜が今朝よりも冷えるのは、
何といっても天気がいいからです。
雲があるとちょうど毛布を掛けた時のように、
熱がこもります。
晴れると、どんどん熱が放射されていきます。
で、冷え込むのです。
明日の朝は、初氷点下になるかもです。

そして土曜日には大雨です。
ご注意を。

あ、それから今晩、日本は明日になっていますが、
両親と初テレビ電話をしてみました。
母の誕生日だったもんで・・・。
お互いコンピューターがあれば、
Webカメラ買って、Skypeを入れて、簡単なんですね。
子供のころは「21世紀になったらテレビ電話ができてて・・・」みたいな話が、
「将来の予想」みたいな記事にありましたけど、
ホント、当たり前の時代がやってくるのでしょう。

今日は眠い+仕事がまだある
・・・もう寝てしまうかもしれませんが・・・のであっさりと
聖書の話に入ります。

今日は使徒の働き21章を読みました。
ここでパウロが人々に誤解されているから、
それを解くためにと、ヤコブはパウロに一つの方法を勧めます。
でも、それに従ったのにもかかわらず、パウロは誤解されて、やっぱり拘束されてしまいます。

もちろん、ヤコブは善意で、また一生懸命考えて、
手を打ったのでしょう。
でも、神さまには神さまのお考えがありました。
それはパウロを囚人としてローマに送り込む、というお考えでした。

「ですから、わたしたちの言うとおりにしてください」というヤコブの言葉(23節)
が心に留りました。

わたしたちはいろいろな考えを巡らし、
よかれと思うことをします。

でも、神さまには神さまのお考えがあるんですよね。

だからといって、「なるようになるさ」みたいなのも無責任でしょうか?

うーん、自分の考え、自分の計画、
それを押し通そうとするのではなくて、
大きな大きな神さまの御手の中で、
一つ一つの決断をしていく、
そのような歩みをしたいと思いました。

主よ、
どうかあなたの御手の中で、
安心して歩む者としてください。
どんな困難の中でも、
願っていたのと反対方向に導かれていっても、
あなたの御手の中にいるなら、安心です。
あなたの守りの中で歩む者としてください。

何でも自分で決めているような気にならないように、
あなたの御手の中にあることを覚えながら、
歩む者としてください。

2006-10-25

受けるより与える

今日は月に1度のNYDAYです。
9月は日本に行っていましたので、
2ヶ月ぶりです。
前回は8月で、半袖でいいんだけど、

バスの中が寒いので、ジャケット必要、ってかんじだったのですが、
今朝はオーバー着て出かけました。

けさのNYでびっくり!
おじさんたちがビルの壁から落ちそう!
と一瞬焦りました。


やられました。
そして、こんなところで紹介したら、広告を考えた人の思うつぼではないですか!
・・・と分かっていながら、はまってしまっています。

悔しい!

うまい!


今日のNYでは、何人かの方々と個人的にお話しして、
お祈りする時が与えられました。
感謝。

みんながんばっていますよね。
NYのみなさん。
今日はバスターミナルがダイヤの乱れで混んでいて、
30分くらい行列に並びました。

やっぱりNJに帰ってくるとちょっとホッとします。

知り合いの若い男の子がこちらから日本に帰って、
とんでもない場面に出くわした話。

こちら。

いやあ、ひどいですねえ。
もちろんこんな人ばかりではないでしょうが、
こわいですねえ。

今日の聖書。
今日は使徒の働きの20章を読みました。
その中で心に留ったのが、

「あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」(34-35節)

パウロがエペソの教会の長老達に
教会を頼むよ、と挨拶をした時の言葉です。

ここには書けないような
チャレンジしてみたいことも考え、祈りました。

それと共に
「受けるより与える方が幸い」
このことを本当にそのとおりだと感じました。

与えることの喜び。
そのことをもっともっと経験したいと思わされました。

主よ、
もっともっと与えることの喜びを教えてください。
思い切って与えることの祝福を教えてください。
大胆に与え、
大きく満たされますように。
信仰を与えて下さり、
あなたへの信頼を与えて下さい。

2006-10-24

人々が恐れる聖霊の働き

今日は、30年前に油壺の海岸で洗礼を受けた記念日です。
洗礼槽のなかった教会だったので、
いつもは頭に水をたらす滴礼だったのですが(JCCNJもこれです)、
年に一回、野外礼拝を持って、そこで全身水に入る浸礼をしていました。

私はその時、雨の中だったのですが、決行された野外礼拝の後、
海で洗礼を受けました。

それで、今、Google Earthで湘南にある油壺海岸を捜してみました。


でも、さすがにAburatsubo, Japanでは出てこないので、

いろいろ捜しました。

朝日新聞の地図では、「油壺」が町の名前ではないので、
出てこないし、
Googleで「油壺海岸」で検索すると、
やたら「写真撮影会」ばかり出てきます。
そういう名所なのでしょうか?

でも、「油壺マリンパーク」のサイトで地図を見つけて、場所が分かりました。


東京湾の地図で、右が千葉県、房総半島で、上が東京、左下が神奈川県の三浦半島ですが、
その先っぽの西側、そこに油壺があります。


拡大すると下の写真になります。

下向きの湾が油壺湾で、右向きの黄色の矢印のところに油壺マリンパークがあります。

もっと拡大することもできますが、そうやってみると、
不思議な感じがします。
自分がここで30年前に洗礼を受けたんだなあと。

このGoogle Earthすごいですよね。

自分の住んでいる家、住んでいた家、行っていた学校、みんな見れるんですよね。


左下の左向き矢印が2年前までの深川キリスト教会。
右上の上向きの矢印が移転して名前も変わった木場深川キリスト教会。

もうこれ以上アップしませんが、
幼稚園も、小学校も、中学校も、高校も、大学、聖書学院も一通り見てしまいました。
一番難しかったのが、高校かな。あっちの方、土地勘がないので・・・。
渋谷駅を見つけて、東横線らしい線路を見つけて、駅を見つけて、どうやって歩いたかな、
と20数年前の記憶をたどって見つけました。

30年間、神さまが守り導いてくださったことを心から感謝して・・・。

(どうでもいいことですが、この東京の首都高速、やたら車が少ないです。
たまたまお盆休みだったのか・・・。
ん、それとも日曜日?実家の近所のイトーヨーカドーのパーキングはいっぱいです。)

今日の集会もたくさんの方々が来られて、
またいろいろなお話ができて、
また伺うこともできて、
よかったです。

ここでは「聞く」ということを学んでいます。
本を読みながら、「聞く」ということを学んでいます。
今日はその中で、「寄り添う」気持ちで聞くことを考えさせられました。
神さまが私たちに寄り添ってくださっている。
そのことを感謝すると共に、
また自分が人の言葉に耳を傾ける時に、
その様な思いで聞くことができるだろうかと。
聞く耳を持つものでありたいと思います。

明日は一日NYの日です。
幸いな日となりますように。

今日の聖書。
今日は使徒の働きの19章。

聖霊様が豊かにエペソの教会に働いておられる様子が書かれています。

特に、その後半13-20節くらいのところが心に留り、いろいろ考えさせられました。

聖霊様が働かれる中で、人々の中に恐れの念が生じて、
18-19節にはこのように出てきます。

「そして、信仰にはいった人たちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白した。また魔術を行なっていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった。」

そういう徹底的な悔い改め、
神の前の畏れ、
それが聖霊様の働きの結果なんですね。

聖霊様が私のうちに働いておられることは確かです。
でも、このような顕著な働きを私たちは見ることができるだろうかと思いました。

もっともっとご自由に、
もっともっと明らかに働いて頂けるように、
聖霊様を求めていきたいと思いました。
もっともっと聖霊様の大きな御業を見たいと思いました。

聖霊様、
あなたにもっともっとご自由にお働き頂きたいと思います。
どうか、私を満たし、教会を満たし、
私たちを生かしてください。
そして、人々があなたを畏れ、
悔い改めに導かれ、
愛に満たされて、出ていくことができますように。
主よ、
今日お会いした1人1人に、
あなたの豊かな祝福がありますように、
明日の一日を豊かに祝福してくださいますように。
30年間の守りに感謝します。
これからもあなたが導き手でいてください。

2006-10-23

黙っているな!

今日も、もう日付が変わりそうです。

11時頃、15歳の息子がやってきて、
将来のこととか、いろいろ話して、一緒にお祈りしました。
成長したなあと、思いました。
ここまで守られたことを神さまに感謝すると共に、
もっともっと祈って支えていかなければいけないなあと思います。

そう、先日、自分の子供の時の交通事故を思い出す時がありました。
5歳の4月10日かな?とにかく、1年保育の幼稚園の入園式の午後。
それも、その幼稚園、始まった最初の年。
今年37年目を迎えた「江東区立平久幼稚園」の歴史の、記念すべき第一日目に、
交通事故に遭ったのでした。(先生達ごめんなさい)

自分は車が来ると分かっていました。
でも、思い切って飛び出しました。

分かっていたのに、飛び出さないではいられなかったのです。
一緒に遊んでいた兄弟や、近所の仲間がみんな向こう側に渡ってしまったからです。

東京の下町。
材木問屋の町。
道路のあちらこちらには材木屋さんのトラックが止っています。
トラックが走っています。

その中で自分たちは遊んでいました。
材木置き場で「かくれんぼ」や「たかおに」をしました。

今では考えられませんが・・・。

その1台のトラックの陰に私はいました。
ちょうど、もう1台のトラックが遊んでいる子ども達にクラクションを鳴らしながら、
走ってきていました。

どうしよう・・・。

みんなが道の向こう側に渡って、車が通りすぎるのを待っていました。
ひとり、こちら側に残り、「車が来る」と分かっている中で、
「どうしよう、どうしよう・・・みんな行っちゃった・・・どうしよう・・・えい、行っちゃえ!」
そう思って、飛び出しました。

今、自分が運転する立場になって考えると、とても怖いです。
子供の考えること、コワイです。

トラックのおじさんも止りきれなくて、
自分は轢かれました。
でも、幸い、足だけでした。
たぶん、車にぶつかる瞬間に足を投げ出すように転んだんでしょう。

歩こうとしました。
でも、どうにも痛くて歩けませんでした。
骨折していたのです。

でも、そのことを思い出すと、
自分は今、何か目的があって、生かされているんだということを、
はっきりと感じます。

同じように交通事故に遭って、
亡くなった子ども達もいます。

なのに、車が来ると分かっていて飛び出した自分が生きている。

どうして、私が生かされて、
他の子が亡くなったのか、それは分かりません。
どうして神さまがそれを許されたのか分かりません。

でも、分かっていることがあります。
私は生かされた。そこには何か特別な意味がある、ということです。

自分が40代になって、
社会的にも一番中心的な役割を果たす世代になっていますが、
もう、これからは、次の世代のことを考えながら歩んでいくんですね。

それがまたまた楽しみにもなってきました。

今朝はそこそこ暖かかったのですが、
だんだん寒くなってきて、
今は5度Cです。

今夜はまた2度くらいまで下がるでしょう。

今日の聖書は使徒の働きの18章です。
パウロがコリントに進んでいくところです。

コリントの町で、神さまがパウロに言われた言葉、
この言葉が私にも語られました。

「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。」(9節)

単純に、この言葉が私に語られたように感じました。
「語り続けなさい」「黙っているな」と。

だから、これからも語り続けたいと思います。
この地で、語り続けたいと思います。

神さまの愛を、できるだけたくさんの方々に、伝えたい。
できるだけたくさんの方々に出会いたい。

NJに赴任したのに、
JCCNJを知らないで駐在期間を過ごしてしまう、という方が1人もいなくなるまで、
大胆に、広く、語っていきたいと思います。

主よ、
今日の一日を感謝します。
どうか、あなたのみことばを語り続ける、
あなたの愛を語り続ける者としてください。

黙っていないで、
語ることができますように。
そのために、あなたがいつもいつも私にみことばをお与え下さい。

2006-10-22

「世界中を騒がせてきた者たち」

今日の日曜日、
また皆さんと共に礼拝を守れて、感謝でした。
また、今日はカルフォルニアのノブ先生もご夫妻で来られて、
お二人で賛美して下さいました。
感謝。

それから、今日は礼拝後、特に会議とかもなかったので、
皆さんとお話をするチャンスもあって、よかったです。

会議も悪くはないのですが、
こうやってゆっくり日曜日の礼拝後を過ごせるのは、
とても大切なことだなあ、と思います。

日曜日の夜なので、ちょっとゆっくり書きますが、
8月31日に文字化けした投稿がありましたが、
あれは確かに携帯メールを使ったものでした。

アメリカでは携帯で日本語のメールをやりとりするのは、
結構無理があります。
普通の携帯はもちろん日本語は読めませんし、
書けません。

私のように10年以上前にこちらに来た者たちにとっては、何てことないのですが、
最近、駐在とかでこちらに来られた方々にとっては、
携帯メールでコミュニケーションができないのが、ストレスになっているかもしれないですね。
(それがいいのか悪いのかは別にして・・・)

有料サービスはあるんでしょうが、
そのためだけにまたお金を払うのはねえ・・・ということで調べてもいません。

で、元々Palm使いなので、Treoなんかもいいんだと思うのですが、
それも調べたのですが、TreoをAmazon.comをとおしてCingularで使うと、
本体にちょっとお金がかかるのに加えて、
最低で月々40ドルの料金が通話代にプラスで必要になります。

で、最終的に選んだのが、

Nokiaの6682

なぜかというと、8月の段階では、Amazon.comで、新規契約の場合、1セント。
というか、10ドルリベートが送られてくるので、-9.99ドル。
(今はもう取り扱ってないみたいです)

月々通話料に20ドル足せば、データ通信は無制限。
追加オプションなしでアドレス帳とかもコンピューターと同期できる。
そして、これはSymbian OSを使っているので、
50ドルくらいで日本語化ソフトを買うと、
日本語でメールを受けたり、送ったりできる。

という代物なんですね。

一番安いFamily Planで4台で通話料金は80ドル=1台20ドルで、
550分なんですが、絶対、使わないです、そこまで。
夜はタダだし、同じ会社の携帯同士はタダだし。

でも、まあ、考えてみれば、
他の携帯に日本語メール打っても、
読める訳ないですから、
日本の皆さんみたいに、
携帯メールでコミュニケーションというわけにはいかないのですが・・・。

で、今日の聖書。
今日は使徒の働きの17章。

6節の言葉が心に留りました。

「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにもはいり込んでいます。」

これはパウロとクリスチャン達を人々が非難して語った言葉ですが、
その言葉にいろいろ考えさせられました。

私たちはその様に言われることがあるだろうかと。
余りにも「ふつう」になりすぎて、
余りにも妥協的になりすぎて、
また逆に余りにも世の中との接点がなさ過ぎて、
「世界中を騒がせてきた者たち」
なんて言われなくなっているのではないだろうかと・・・。

そんな風に言われるのを意識的に避けようとしているのかもしれません。

もっともっと世の中にインパクトを与えるような、
「あそこでは何が起っているんだろうか」と思われるような、
大きな主の働きを見せて頂きたいと思いました。

また、それと共に、私たちが、
福音をオブラートに包まないで、
ストレートに多くの人々に語っていく使命を感じさせられました。

主よ、
私たちは生ぬるくないでしょうか?
本当に真剣に福音に生きているでしょうか?
本当に純粋に福音に生きているでしょうか?
大胆に歩ませて下さい。
人にどう言われるかを恐れないで、
あなたのメッセージを語る者としてください。
社会に何の影響も与えないような者ではなく、
世の光、地の塩として、歩む者としてください。