2012-12-31

JCCNJ版「日々のみことば」スタート。

今まで、日本から「日々のみことば」誌を取り寄せていましたが、
今年、思い切って、自分でJCCNJ版「日々のみことば」をスタートします。

とりあえず、元旦から毎日創世記を1章ずつ読んでいきます。
よろしかったら、ぜひご一緒に。
明日、元旦は創世記1章です。

2012年の感謝。

クリスマスの後、ちょっと長い休みになってしまいましたが、
本当に時間に追われて過ごしていました。

実際、走ることができたのもクリスマスの日以来、今日が6日ぶり。

でも、大晦日に、休日返上でやるべきことをやっていて、
なんとか、時間を取って、一年を振り返る時も持てました。

家族で夕食を食べながら、
どんなことがあったかねえと話している中で、
思い出すのは我が家においで下さったみなさんの数々。

お一人一人、本当に楽しいひと時でした。

その中でも、大きかったのは岩手の宮古から来られた岩塚先生ご夫妻。
こんなにゆっくり聖書学院時代の仲間とゆっくり過ごすことができたのは初めてでした。


これは先生ご夫妻とウチの夫婦で4人で行った6月のハドソン河の遊覧船。
夕日がNJ側に沈んでいきます。
先生は宮古に戻られて、また忙しく支援活動をしておられます。
そして、このクリスマスには仮設住宅から教会に通う2人の方々が洗礼を受けられたとのニュースも御伺いしました。感謝。

そして、お泊まりと言えば、7月の教会ミニキャンプもめちゃ楽しかったです。
10人くらい泊まったんでしょうか?
夜は帰る・・・と言っていた子達も楽しくて「泊まりたい」ということで。


東海岸合同ファミリーキャンプのためにお泊まり下さった「摂さん」から聞いた話、個人的には大ヒットでしたね。

ある日本の方が飛行機の中で、ドリンクのサービスにきた客室乗務員の人から、「What would you like?(何にいたしましょうか?)」と聞かれて、「I am orange juice.」と答えたそうです。説明したくはないですが、念のために説明すると「私はオレンジジュースです」です。それだけでも、爆笑ものなんですが、その隣に座っていた同僚の方、「Me, too!(オレも!)」と続いたそうで・・・。



もちろん、ハリケーンサンディーの6日間の停電も本当に大事件でした。
月曜日の夕方、「停電にならないかね、大丈夫かね」と言いながら、作ったアップルムース。カラメルで焼いたリンゴがベーコンにしか見えないと笑われていましたが・・・。
それから間もなく電気が落ち、それから日曜日まで停電が続くとは思ってもいませんでした。ガソリンの行列もすごかったです。




亡くなった方々もおられ、浸水の被害があった方々もおられた訳で、比べるならば、ずっとマシだったのですが、やはり停電が長引く中で、それなりにしんどかったです。準備の大切さ、また電気なしでも生き延びれる強さを持ちたいと思わされました。


そして、今年、別れも経験しました。
篤い信仰に生きた大切な方を天に送りました。
神様が背中を押してくださって、葬儀の会場までの10時間のドライブは全然長く感じなかったです。


故人の思い出の品が飾られたテーブルを見た時には、「彼は死んだが信仰によって今も語っている」(ヘブル11:4)の言葉が心にひびいてきました。

そんなこといろいろ思い出しながら、やはり大きな感謝は、今年教会やまた他の場所で与えられた新しい出会いです。神様が導いてくださる一つ一つの出会いに感謝。

そして、神様ご自身に感謝。
年末にかけて本当に深くそれを思わされています。

「その力があなたにあり、その心がシオンの大路にある人はさいわいです。」(詩篇84:5)

番外編ですが、今年の5月にSonyのミラーレスカメラを買ってもらって(買わせてもらって)、楽しんでいます。直後にカルフォルニアに行った時にハミングバードに遭遇。初心者の一枚。

2012-12-25

二人の王さま:アドベント聖書日課12/25。

メリークリスマス!

昨日のキャンドルサービス、すばらしい音楽と踊りでイエスの誕生をお祝いしました。
本番は写真が撮れないので、リハーサルから。

こちらは2時からのバレエの賛美のリハーサル。
まだ外が明るいので、ステンドグラスがよく見えます。



そして、こちらは直前のコワイアのリハーサル。
すっかり暗くなってステンドグラスは見えなくなりました。



本当にすばらしいキャンドルライトサービスでした。
聖歌隊の賛美もすばらしかったです。
そして、バレエも1曲だけの賛美だったのですが、とても美しく、神様に心を向けさせられるひと時でした。

そして、私はいつも感動するのですが、聖歌隊とみなさんとの歌が前と後ろから、一つに溶け合う会衆賛美。賛美の中に浸っている・・・という感じでした。

子供を入れて80人くらいの方々が来られていたと思いますが、もっともっとたくさんの方々とお祝いしたい、そんな夜でした。

さて、クリスマスの朝のアドベント聖書日課

今日はマタイ2:1-12。
「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。」2節。

昨日のキャンドルライトサービスでの聖書箇所でもありました。

その頃、その地域を支配していたヘロデ王と、幼子イエス。
二人の王がここにはいた。

一人は恐れで人々を支配していた。それは彼自身が恐れでいっぱいになっていたから。
もう一人は愛で人々を支配している。それは、彼自身が愛でいっぱいになっていたから。

一人は自分を守ろうとした。そして、まわりの人々を殺していった。
もう一人は自分を与えた。そして、まわりの人々を生かしていった。

一人が死んだとき、彼の支配は終わった。そして、人々は解放された。
もう一人が死んだとき、彼の支配は明らかにされた。そして、その彼の支配によって人々は解放されていった。

一人の支配は、パレスチナ地方の小さな地域にとどまった。そして、わずか50年ほどで終わった。
もう一人の支配は、世界に広がっていった。そして、2000年を超えて更に永遠の世界にまで続いている。

イエスの愛が私を満たし、私からあふれていきますように。
イエスの愛がお一人一人の心を満たし、お一人一人からあふれていきますように。

プチホワイトクリスマス:アドベント聖書日課12/24

クリスマスの朝、青空がきれいです。
外は1.6度C。
昨日のキャンドルライトサービスが終わったとき、外に出たら、雪が舞っていました。
そしてうっすらと白くなって、ちょっとだけホワイトクリスマスのプレゼントをしてくれて、夜遅くなって、帰りの道がすべらないようにと、雨に変わってくれました。


なんだか身勝手かもしれないけど、大雪は大変なんですが、やっぱりクリスマスにはちょっと雪があった方がいいですね。

昨日のアドベント聖書日課。ルカ2:8-20。

「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」15節。

羊飼いたちはクリスマスのメッセージを聞いて、ベツレヘムまで走っていった。
今、私たちは羊飼いよりもたくさんのものを聞かせてもらって、見せてもらっている。
旧約聖書から全部、神様の救いの歴史を見せてもらっている。
イエスの生涯も、イエスの十字架も、イエスの復活も、そして、その後の教会の歩みも。

でも、この羊飼いたちのような情熱を持って、クリスマスのイエスにお会いして来ただろうか、そんな思いで、イエスの誕生に思いを馳せた。

ありがとう、イエスさま。
ありがとう、神様、イエスさまを送ってくださって。

2012-12-23

平和の主:アドベント聖書日課12/23

今日はいい天気でしたが、気温は低め。
夜、きれいな星空のもと走りましたが、9時半頃で-2度。
今は真夜中の12時で気温は-3度Cです。

明日の夜の雪は、結構微妙っぽい。
そんなに降らないし、雨も混じりそう。

そして、今週の水、木あたりも雪の予報もあったんですが、
結構気温が上がりそうで、雨かもしれません。

なんだか、冬らしくないですね。

今日はクリスマスの直前の日曜日の礼拝。
私たちの教会では「クリスマス礼拝」として祝います。
帰省したり、旅行で来られたり、また久しぶりに来られた方もあり、
本当に多くの方々とともに礼拝を守りました。

今日のメッセージはイエスが「平和の主」としてこられたというメッセージ。
皇帝アウグストゥスの時代から200年間「ローマの平和」と言われる時代が始まる訳ですが、それはやはり皇帝の権力、軍事力による平和で、例えば、ユダヤ人たちはその「ローマの平和」の時代に反乱を起こして、エルサレムは徹底的に破壊されてしまう訳です。その後、ユダヤ人国家は1900年近くこの世界に存在しなくなります。そのような犠牲の上に存在する「平和」。何なんだろうと思います。

でも、本当に、私たちのまわりにある多くの平和がそのような平和ではないだろうかと思います。大きな声を出す人がいて、周りの人は面倒だから、その言うことを聞いているが故の平和。経済力のある人の言うことを聞いて、従っているが故の平和。でも、それは人の内側に平和ではないものがくすぶり続ける、表面的な平和なんじゃないかと思います。

そんな時代のただ中に、そんな状況のただ中に、イエスは「平和の君」として来られました。

私たちの内側に神との平和をもたらして、それによって私たちのまわりに平和を広げていこうとする平和の主です。

そのためには「見せかけの平和」を壊す場面もあります。
イエスは「私は平和をもたらすために来たのではありません。私は剣を投げ込むために来たのです」と言われたのです。血がつながっているから、同じ民族だから、なんてそんなことでつながっているような平和ではなく、私たちが神様との関係の中で生かされているが故に生み出していくような平和を与えようとしてくださるのです。

そんなメッセージでした。

終わった後に、一人の久しぶりの方が、「本当に私に必要なメッセージだった」とレスポンスをくださいました。おいでになった一人一人にイエスによる平和が生まれますように。

さて、今日のアドベント聖書日課。
今日はルカ2:1-7でした。

「ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。」4節。

これを読むと、本当に勘弁してほしかっただろうなあと思う。

そして思い出す、2年前の「想定外のクリスマス」のメッセージ。
そして、その後に経験した、想定外の出来事。そして、状況がどうなっていったか
そして、結末

でも、本当に想定外の出来事、自分の願いとは全然違う出来事の中で、語ってくださること、それは本当に大切なメッセージだと思わされます。

明日のキャンドルライトサービスは午後6時から。
神様の祝福があふれますように。


2012-12-22

かみさまのプレゼント:アドベント聖書日課12/22

今日は時々小雪の舞う風の強い寒い一日でした。
明日も寒さが続きそうです。
そして、クリスマスイブからクリスマスにかけての雪ですが、
降っても大したことはないのですが、
やっぱりホワイトクリスマスは楽しみですからね、
ちょっと注目です。

さて、今日は3日連続のクリスマス集会の初日。
中高生のクリスマス会でした。



歌を歌ったり(教会の歌も、そうじゃないのも)、
みんなでピザを焼いたり、
プレゼント交換をしたり・・・。

楽しく過ごしましたが、その中で、私も聖書の話をしました。
クリスマスと言えば「プレゼント」。
ワクワクしながら、いろいろ悩みながら、プレゼントを考える。
そして、もったいないと思わない。
喜んでくれる顔を思って、楽しみにする。

神様は私たちにイエスさまを与えてくださった時に、
どんな気持ちだったんだろうかと。
ワクワクしながら、喜びにあふれて、私たちのためにイエスを贈ってくださった。

それは私たちと神様との関係を回復するため。

中高生たちに話をしながら、自分の方が胸がいっぱいになってきました。
かみさまありがとう。

「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」ヨハネ3:16

さて、今日のアドベント聖書日課
今日はマルコ14:3-9。

「この女はできる限りの事をしたのだ。すなわち、わたしのからだに油を注いで、あらかじめ葬りの用意をしてくれたのである。」8節。

イエスのもたらした喜び・・・今日の箇所で、他の人が「もったいない」と思うことをした、この女の人の愛について、いろいろ考えさせられた。今まで、この女の人の一途さ、一生懸命さ、犠牲を厭わない姿に目が留っていたが、今日は、この聖書の箇所から、この女の人は、単に一生懸命だっただけじゃなくて、イエスを良く見て、イエスにとっての一番ふさわしいことをしたんだなあと思いました。

私も自分のことではなく、相手のことを考えられる愛を持たせていただきたい、そのように思いました。ハイ、教会でも、家庭でも、その他の場所でも・・・。

主よ、
イエスによって救われて、イエスのことをいつも思っていたこの女の人、そのような愛を与えてくださいますように。自分のことで精一杯の私の心にあふれ流れ出る愛を、相手のことを考える愛を与えてください。




2012-12-21

話に聞いていたことが・・・:アドベント聖書日課12/21

今日は一日雨かと思っていたら、夜は雨風共に強かったですが、それも朝のうちに上がって、ちょっと晴れ間も出ました。
でも、あとはどんより。今は夜の11時半で、外は2.3度C。レーダーを見ていたら、これから小雪が舞いそうです。

今まで、日本時代を含めたら20年以上、そして、アメリカでも、15年以上、そしてポイント魔なので、10枚以上をジャグルして使っているクレジットカード。聞いたことはあったのですが、今日初めて、「不正使用」に出会いました。

それも、それほど遠くないお店で400ドルほど・・・。

すぐにカード会社の担当者から「怪しい使い方がありました」と連絡があって、ストップしたので良かったのですが、地球の反対側のアフリカとかじゃなくて、生活圏の地域で。ちなみにカードは紛失していません・・・。あるんですねえ。これ、30ドルとかだったら、なかなか気がつかないかもしれませんね。最近、あんまりちゃんとレシートとの付け合わせもちゃんとしていないし。(汗)

悪いヤツがいるもんだと思います。私たちは互いの善意を信じて生きたいのですが、そうとも限らないのが世の常。先日の銃乱射事件を挙げるまでもなく、悪意を持った人のいる世の中で、自分を守ることの大切さ、悪意を持った人もいることを前提にしたリスク管理、リスク回避の知恵の必要も感じました。

さて、今日のアドベント聖書日課。
今日はルカ19:1-10。イエスが与える喜び・・・ザアカイの救いのところでした。

「そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。 」6節。

ザアカイは喜んで降りて来た。
そして、イエスを迎えた。
何が彼の喜びだったんだろうか?

それは受け入れられたことだろう。
「あいつが?」と思われるような者が受け入れられたことだろう。

自分がそのような者であるのに受け入れられていること、
それを知ることが大切だと思った。
私も、ザアカイなのだ、私こそが、ザアカイなのだ、とわかると、
本当にうれしい。

そして、私も同じように人を受け入れる者とならせていただきたいと思った。

神様、
あなたが私を受け入れてくださったことに感謝します。
あなたに受け入れられなくて当然の者であったのに、受け入れてくださったから感謝します。どうか、私も同じように、人々を受け入れる者でありますように。

2012-12-20

受けるより与える方が:アドベント聖書日課12/20

今日は中西部は暴風雪に襲われたところもあるようですが、
こちらは今日も穏やかな一日でした。
朝はさすがに-3度Cまで下がり、車のフロントガラスをガリガリしましたが、午前中は晴れて、午後には曇り、夕方には雨が降り始めました。

明日も雨のようです。

来週はクリスマスの日にちょっと、
そして、27日はもっと、
雪が降るかもです。

今日はいつもお借りしているMaywoodの教会ではなくて、
LeoniaにあるPresbyterian Churchで、JOY JOY キッズクラブ。

またまた、楽しいひと時でした。



この中、私も入って、競争に参加しましたが、ホント、キツかったです。

そして、工作。キャンディーで作ったリース。


最近、ここのキッズクラブ、毎回のように新しい方が来られます。
どんどん盛り上がって来ています。

いつも礼拝や他の集会にも使わせていただているMaywoodの教会も本当にそうなんですが、このLeoniaの教会も、快く私たちのために場所を提供してくださいます。そして、時々、様子を見て、応援してくれます。

私たちも「自分たちの会堂を与えてください」と祈りつつ、献金を募り、積み立てていますが、もしも、私たちがやがて会堂をもてるようになった時には、それはそれは本当に大切な大切なものだと思うんですよね。ですから、他の方々にお貸しするのには、ちょっと勇気がいるんじゃないかと想像します。多くの祈りと多くの犠牲がささげられて、やっと建て上げられた教会堂、気持ちがこもっていればいるほど、いろいろなこだわりがあるんじゃないかと思います。それを貸していただける、愛に感謝します。

私たちもやがての日、会堂が与えられた時には、そのように「受けるよりは与える方が幸いである」というイエスの言葉の通りにできますように。

さて、今日のアドベント聖書日課。
今日はマタイ13:44-46。

「喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。」44節

イエスを信じる喜びは、すべてを投げ出してもいい、と思えるような喜び。
本当だなあと思う。
これがあればいい、それだけでいい、と、今朝は思った。

そして、なによりも、まず第一に、イエスさまご自身が私たちを手に入れるために、すべてを投げ出してくださったんだなあ、と。もう一度そのことに感謝。

この喜びを原動力に歩ませていただけることに感謝。

主よ、
あなたの与えてくださる喜びのゆえに感謝します。
この喜びに生きる者とならせてください。

2012-12-19

夜は寝る:アドベント聖書日課12/19

今日はちょっと風があったので、肌寒かったですが、
まあ、12月のニュージャージーとしては、かなりマシな、冬の一日でした。
今は夜中の12時で1.2度Cなので、今夜はさすがに氷点下に下がると思いますが、本格的な冷え込みは土曜日の夜からになりそうです。その先はちょっと冬らしい天気になりそうです。

ここ数年、朝の目覚ましは携帯を使っていました。
特にこの4年間はiPhoneだったのですが、
最近気がついたのは、夜中に目が覚めると、どうしてもメールを見てしまう。
そして、場合によってはニュースまで見てしまう。
そうすると、なんだかちゃんと夜寝ていない・・・と気がつきました。

これはよくない、と一念発起。
ずっと電池が切れていた目覚ましの電池を替えて、
携帯は枕元におかない。
・・・ということにしました。

そしたら、今朝の気持ちのいいこと。

簡単なことなんですし、
多くの方々には当たり前のことなんですが、
夜はちゃんと寝る、って大切ですね。

「携帯があったら、もう目覚ましいらないじゃん」なんですが、
意外と落とし穴でしたね。反省して、今後目覚まし使います。

ということで、今日のアドベント聖書日課
今日はマタイ9:14-17。

「だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出る」17節。

イエスがもたらした喜び。
今日もそのテーマですぐに思いついたところです。
イエスの福音はまだ発酵中の生きている新しいぶどう酒のよう。

内側からあふれて外に流れ出る。

今日もある方とお話をしている中で、
本当にそうだと思わされていました。

その力はどこにあるんだろうなあと思いました。
聖霊様の力。十字架の愛の力。
神様と共に歩むという本当の人間のあり方に戻った時に内側からあふれてくる力。
そのどれもなんでしょうね。

「わたしが与える水を飲む者はいつまでも渇くことがないばかりか、わたしが与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命への水がわき上がる」ヨハネ4:14

その命の水が与えられていることに感謝。

主よ、
今晩ぐっすり眠れますように。
そして、あなたの命によって、明日も元気に歩むことができますように。


祈りと御言葉に:アドベント聖書日課12/18

今日は久しぶりに青空も見えた。
やっぱりうれしい。
雨も降ったし、夜になって冷え込んで来たけれども、
やはり、晴れるとうれしい。

今は真夜中の12時頃で5.9度C。思ったよりも高い。
明日の朝は0度くらいかな。

明日は一日晴れて、あさってはまた雨。(涙)

ここのところ、いろいろ大切な祈りの課題が寄せられて、祈らされています。
「祈っていますよ」とメッセージを書いて、直接話して、電話で話して、それだけにならないように、本当に祈ります。自分のことも「神様、どうしたらいいんでしょうかね。」「困っちゃいました」「わかりません」「なんとかしてください。信じています」と、祈るのですが、他の人のために祈る時には、もうちょっと集中して、手を合わせて、祈ります。いえ、聖書の中でイエスは「祈ることなんて見せるもんじゃない、戸を閉じて隠れたところを見ておられる神様に祈りなさい」と言われたので、「私はほんとに祈っているんですから」なんて言うのは違うんでしょうね。そりゃ自慢なんかするもんじゃない。

でも、なんで、そんなこと書くかというと、こんなことを感じたんですよ。
一つ一つ、丁寧に祈っていたら、すごい時間がかかるよなあ、でも、私はこのためにここにいるんだろうな、と。

牧師の働きも活動的な見える部分ではかられる時もあります。スケジュールが詰まっているとか、何件訪問したとか、何回集会があって、何人集まったかとか、何人洗礼を受けたかとか・・・。

でも、使徒行伝の中では伝道者の働きは「祈りと御言葉」なんだとあります。

だから、あんまり活動は見えないし、書斎に閉じこもっているかのように見えるかもしれないし、発信もちゃんとしていないように感じられるかもしれないけれども、もっともっと祈ることに、もっともっと聖書の御言葉に聞くことに時間を使っていく、それを大切にしていこうと思います。

明日は今のところ、3人の方に個別にお会いする予定がありますが、それも幸いな時となりますように。共に神様の前に出ることができますように。

さて、アドベントの聖書日課
ヨハネ2:1-11。

あんまりアドベントらしくないところですが、
イエスが私たちに与えてくださった喜び、ということを思う時に、真っ先に思い出すのがこの聖書の箇所です。

「それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」10節。


喜びの象徴としてのぶどう酒。
その最高のものを、神様はとっておかれた。
他のものによってはえられない喜び。
混ぜ物でごまかそうなんてのとは全然違うレベルの喜び。
それをイエスは与えてくださるのだとう。

イエスの喜び、もっともっと味わわせていただきたい。
イエスがくださると約束してくださっている喜びをもっと味わい、そして、まわりの人々にもそれを分かち合う者でありたい。

主よ、
あなたが私に与えてくださった祈るという使命に、もっともっと生かしてください。
あなたと共に歩む喜びに満たしてください。
そして、あなたのことを伝える者とならせてください。

2012-12-17

時を取り分ける:アドベント聖書日課12/17

今日の朝、ある方の葬儀に参列してきました。

最近、葬儀を司式することがしばらくないのですが、
自分が一参列者として参列することが今年になってから、確か3回目。

いつも思うのですが、このように参列して、そこで語られるメッセージからは本当に教えられることが多いです。今日もカトリックの教会だったのですが、とても明るい会堂で、音楽も、とても暖かい音楽を使っていました。賛美歌のリードを専門になさっているんだろう、という方がおられて、そのリードもすばらしかったです。その中で語られたメッセージの中に、このような言葉がありました。「姉妹の召天によって、私たちはこの忙しい、慌ただしい時間の中で、ひと時、このように集められて、愛し合い支え合うことの大切さを思い出させられています。」本当にそうだなあと思いました。あえて時をとり分けることの大切さ、無理やりにでも、そのような時をもつことがどれだけ大切だろうかと思わされます。私もそのようなところに導かれて感謝しました。

でも、やはり、ご遺族の方々の痛みや寂しさは、喪失感はこれからも引いては押し寄せ襲ってくると思います。主の慰めがありますように。


今日のアドベント聖書日課
ピリピ2:1-11。

「おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。」7-8節。
(プリント版、PDF版では「1:8」と書かれていますが、これは「2:8」の誤りです。

イエスがこの世に来られた。その喜びは、一つはやはり、昨日の記事のところに書いたように、私たちと共に歩まれた、それも、私たちの成功の場所を歩まれたのではなく、失敗と見えるような、軽く見られるような、侮辱されるようなところを歩まれた、ということ。

そして、なによりも、イエスが私たちのために十字架の上で罪を背負ってくださったこと。それによって私たちは罪赦され、義と認められること。

もう一度イエスのしてくださったことを思わされました。

今回の銃乱射事件で、命を失った先生方は、自分の命をもって、子供たちを守ろうとしました。自分はできるだろうかと思わされました。イエスはそれをもっと大きなレベルでしてくださったのです。軽く喜べることではなく、感謝をもって受け取ることだと思います。

主よ、
イエスが今日も、そして、明日も、私と共に歩んでくださることに、感謝します。


JOY JOY クリスマス:アドベント聖書日課12/16

昨日は子供たちのためのJOY JOY クリスマスでした。
もっともっとたくさんのみんなに来てほしかったですが、
それでも、初めての子や、楽しみにして来た子達が何人もいて、うれしかったです。
ゲームも楽しかったし、サンタもよかったし。
シンガーズもがんばりました。



今回、ちょっと準備不足でフルで劇をするのもなあ、ということで、この人形を使って、少しずつ人形を動かして、ビデオを作りました。

ちょっとだけ紹介すると、こんなの。5秒のクリップですが。




何人か登場人物は人間に登場いただいて、劇をしました。
準備をしている私は楽しかったのですが、見ていた子供にはどうだったんでしょう?
子供たちの心に、イエス様を私たちのために与えてくださった神様の愛が届きますように。

さて、昨日、12月16日のアドベント聖書日課。
ヨハネ1:1-18。
礼拝の中でも、この箇所からお話ししました。
礼拝の説教はこちらから。
http://www.jccofnj.org/main/message/message.html

「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。」14節。


暗闇の中に輝く光。
本当に絶望的な闇の力。
私は先週、何かに取り憑かれたかのように、
過去のいくつかの凶悪事件の記事を読んでいました。
その中で、本当に心の闇を見せつけられるような思いがしました。

そのタイミングで起こった今回の銃乱射事件。

闇の深さを見せつけられました。

そして、その中で輝く光として来られたイエス。
それは決して、私たちの苦しみや悩みとは無縁の超越した光として来られたのではなく、私たちと共に歩むことによって、私たちの重荷を担うことによって、私たちの罪を身代わりに背負うことによって、私たちの光となられたのです。

だからこそ、光なのです。

主よ、
あなたの光を私に照らしてください。
私のうちにあなたの光を与え、私も光として輝かせてください。

アドベント聖書日課12/15:自分の使命への徹底

今日は月曜日。雨が一日降ったりやんだり。
明日にはこの雨も上がるようです。
なかなか雪にならないですね。
金曜日も雨のようです。

さて、おととい、12月15日のアドベント聖書日課
ヨハネ1:19-28。

「彼は告白して否まず・・・」20節。

バプテスマのヨハネが、「あなたはキリストか」と聞かれた時のこの姿勢は、本当にはっきりしていた。つまり「私はキリストではなく、キリストを紹介する、指し示す者だ」と。

私達の使命も同じだ。

自分ではなく、イエスを証しすること。
自分の名前がどうこうではなく、
イエスが崇められること、それが私たちの願い、私たちの使命。
そこにはっきり立っていくことができればと思う。

ヨハネと同じ明確な使命感をもって、歩みたいと思う。

2012-12-16

今日はちょっとお休み。

昨日も、遅くまで準備をしていて、
今日も一日だったので、ちょっと、2日連続のお休み。

今日のJOY JOY クリスマスにおいで下さったみなさんと、
表で裏で、奉仕してくださったみなさんと、
お祈り下さったみなさんと、
神様の祝福に感謝しつつ。

2012-12-14

暗闇の中の光:アドベント聖書日課12/14

今朝は-5度Cまで下がりました。
昼間は昨日よりはまだ暖かかったですが、
冬らしい、底冷えのする日でした。

明日までは天気がもちそうですが、
日曜日からはまたしばらくぐずつきそうです。

今日は私たちのいるところから車で1時間半くらいのコネチカット州のNewtownという小さな町の小学校で惨劇が起こりました。若者の銃の乱射で20人の子供を含む26人が亡くなったというのです。

昼にそのニュースに気がついて、その後ずっと心が捕われていました。
怒りや悲しみ、やりきれない思いで、涙が止まりませんでした。
朝は元気に家を出て行った子供たちの身にこんなことが起こるとは。

コロンバインの時の遺族の方が、親でごった返したホールで子供たちと再会して、ほっと胸を撫で下ろして帰っていく家族が続く中で、ほんの一握りの親だけが残る。そして、そこで、一番聞きたくないニュースを聞かなければいけない家族の思いを書いているのを読んだことがあります。今日も、そのようなことがいくつもの家族に起こったかと思うと、胸が張り裂けそうです。
オバマ大統領も会見で涙を拭いていましたが、みんな同じ思いだと思います。

今日は礼拝説教の準備をしていました。
「光はやみの中に輝いている」という聖書の言葉から準備をしていました。
まるでそれをあざ笑うかのような今日の出来事。

祈らされています。

お祈り下さい。



今日のアドベント聖書日課。今日はマルコ2:1-8

「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの道を整えさせるであろう。」2節。

今週のテーマは「救い主を迎える準備」・・・でも、繰り返し繰り返し思わされるのは、この準備を一番しておられたのは神様だったのだということ。

今年のクリスマスのための準備も、神様が私たちの準備を導いてくださることを信頼して歩もうと思います。

流星群の夜2:アドベント聖書日課12/13

きれいに晴れて、-3度ですが冷え込みもまあ、それほど厳しくなくて、
流星群を見ていました。
1時半過ぎに外に出て、2時半前まで見ていたのですが、
10個くらいかな。もっと流れているのかもしれませんが、
写真撮りたくて、カメラ見たりしていたので・・・。

でも、ちょうどいいタイミングで明るいのがちょうどいいところに流れてくれました。



明るいのが木星。
その右下のたくさん星が集まっているのがすばる。
そして、その右にかなり長く、明るく流れました。

さて、アドベント聖書日課の12/13日分。
ルカ 1:57-80でした。

「また、そのあわれみによって、日の光が上からわたしたちに臨み、暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ導くであろう。」78-79節

これはバプテスマのヨハネのお父さんだった、ザカリヤが、口がきけるようになって最初に語った賛美の言葉。
本当に神様の救いのすばらしさを歌っている姿に、心動かされました。
彼が口がきけなかった間、どんなことを考えて、どんなことに心を向けていたのか、本当によくわかります。
私が口を開く時に出てくる言葉が、私の心の中にあることを表しているんですね。
いつもいつも神様の恵み深さを思っていることができますように。
それから力をいただいて歩んでいくことができますように。

2012-12-13

流星群の夜:アドベント聖書日課12/12

昨日はNYへ行って、行きもそうだったのですが、
帰りのバスで久しぶりに車酔いをしたようで、
帰って来て、そのまま休んで、更新できませんでした。

で、今は13日ですが、今夜はふたご座流星群のピークです。
日本でもずいぶん見れたみたいですね。
こちらもそろそろ夜半にさしかかるので、
ちょっと様子を見て来ようと思います。今頃はふたご座は東から天頂に向かって昇って来ていますから、そっち方面の空をずっと見ているといいです。

で、10分後に復帰。
真上を見ていたので、首が疲れましたが、
1個見えました。
ちなみに今は-1.8度C。
この時期にしては冷え込みが厳しくなくて救われます。
北海道の友人は-15度Cで見たみたいですから。

でも、やっぱりここら辺の空は明るすぎ。
ピークは2時以降みたいなんで、
もうちょっと後でもう一度行ってみます。

さて、昨日のアドベント聖書日課。ルカ1:39-56。

「力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。」49節。

マリヤはエリサベツのところに急いで行って、再会(?多分・・・)を喜びます。
それ以上に、同じ神様の御業を経験する者として、主のはしためとしての役割を果たす思いを共有するのです。

その中で、マリヤは「ああ、心配だ」とか、「いろいろ大変だけど、しっかりしなきゃ」なんて言わないで、本当に心から「神様の恵み」「神様の力」「救いの御業のすばらしさ」を歌うんですね。

そこには、私なんかが心配するようなこれからの困難に対する恐れとか、大きな使命に対する戸惑いとか、表れてないんですよね。

主の恵みを絶対的に信頼している姿を見ます。そのように主に目を向けさせてくれる関係、ってすばらしいなあと思います。そのような交わりを生み出す者となりたいと思います。

主よ、
あなたに目を向けて歩めますように。
私に出会った人たちが、自然と、神様、あなたに目を向けることができるような、そんな者にしてください。

2012-12-12

アドベント聖書日課12/11

今朝にはすっかり雨も上がっていて、
今日は気持ちのいい晴れの日になりました。
そして、夜になってからは久しぶりに冷え込んでいます。
今は11時過ぎで2.8度C。
明日の朝は久しぶりに氷点下になります。
朝、車のフロントガラスを「ガリガリ」です。

今度の日曜日はJOY JOY クリスマス。
ちょっと遅れ気味ですが、クリスマスのお話の準備中。




子供たちの心に神様の愛が届きますように。

さて、今日もアドベントの聖書日課

今日はルカ1:5−25です。

「時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから・・・」20節。

子供が与えられるようにと祈っていたザカリヤとエリサベツ。
しかし、神は彼らに子供をお与えにならなかった。
「この祈りはかなえられなかったんだなあ」と思っていたザカリヤに、もうとっくに諦めていたザカリヤに「あなたの祈りは聞かれています」と天使ガブリエルが告げる。

信じられない彼が口がきけなくなってしまうのは「罰」のような印象を受ける。

リビングバイブルはそういう解釈で、「罰として」と書かれている。

「私のことば」を信じなかったから「言葉が話せなくなる」。
確かに罰であったと言ってもいいかもしれないけれども、
でも、もっと意味がありそうな気もする。
彼が言葉を語れない中で、何を学んだだろうかと思わされる。

自分がもし語ることができなくなったならば、
どうやって過ごすだろうか。

語ることができる自分は何を語っているだろうか。

神の言葉を聞き、神の言葉を語る者として、整えていただきたいと思った。

神さま、
このクリスマスの時、
もっともっとあなたの声に耳を澄ませて、聞く者とならせてください。
そして、あなたに聞いたことを、感謝して語る者とならせてください。




2012-12-10

アドベント聖書日課12/10:「関係」

今日も雨。
午前中は霧も深かったですね。
午後は霧は消えて、気温も上がりました。

この雨も、間もなく寒冷前線が通過して、終わり。
明日は、だんだん晴れてくるでしょう。

さて、クリスマスまであと2週間ほど。



我が家も、のんちががんばって、ツリーが飾られました。
「ああ、あれも」「これも」と焦る気持ちもだんだん募ってきました。

でも、本当に一番大切な心の準備をさせていただきたいですね。

で、今日もアドベント聖書日課ニュージャージー日本語キリスト教会版から。

今日はマタイ1:18-25でした。

「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。」20節。

やはり、同じ男として、ヨセフのことが気になります。
どんな気持ちだっただろうかと。
マリヤからどんなことを聞いていたのだろうか、
何を聞いても信じられなくて、「何言っているんだこの人は」と思っていたのではないだろうか、
それとも何も聞いていなくて、絶望的になっていたのだろうか、
そんなことを思います。

そんな彼らを救ったのは、コミュニケーションではなく、
腹を割っていろいろ話したからではなく、
神様ご自身がそこに介入されたからでした。

神様ご自身との関係でした。

最近、互いの信頼関係の構築のために、
正しいコミュニケーションの大切さを思わされることが多いです。

でも、それとともに必要なのは、同じ神様を信頼して、
その神様の前に出て、神様の声を聞くこと。

本当に主を信頼していくこと。
神様を神様としてそこに従っていくことなんだと思います。

主よ、
互いの信頼関係のために、
あなたの声を聞いていくことができますように。
互いの声を聞くことだけでは乗り越えることのできない問題が出て来た時に、
あなたの声を聞くことができますように。

2012-12-09

アドベント聖書日課12/9:「信頼」

今日も雨が続いています。
これで3日目。
もう一日、明日まで雨が続きそうです。
気温は明日は高め。その後は雨が上がって、平年並みか、ちょっとゆるめの冷え込みになりそうです。

さて、今日のアドベント聖書日課
今日はルカ1:26-38。

「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように。」38節。

今週は「準備」に目を留めます。

マリヤの準備、それはもうこの言葉に尽きます。
自分を神様のservantとしてその身を差し出しているその言葉。
最初は戸惑い、信じられない気持ちでいたマリヤが、
最後にはこのように「お言葉どおりにこの身になりますように」と祈っています。

でも、それを支えたのは神様ご自身。
今日の礼拝の中でもそのことを分かち合わせてくださったのですが、
マリヤの心の準備を導き、支えたのは神様ご自身。
その方が今も私たちと共にいてくださる、それが感謝。

神様、
今週のクリスマスのための準備を導いてください。
どうか、あなたのみこころに従う者とならせてください。


アドベント聖書日課12/8:「ほんとのものが見えてくる」

ついに更新できないうちに日付が変わってしまいましたが、
12月8日(土)のアドベント聖書日課
今日はルカによる福音書2:22-38でした。

「この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています。そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです。」34-35節

イエスの存在は、人々を居心地のいいところに置いておくものではなかった。イエスによって、人々は心の中にあるものがあばかれることになった。
それまで立派に見えていた人々が単なる偽善者であったことが明らかになった。

人々は救い主を待っていた。
でも、ほとんどの人々は自分にとっての都合のいい救い主を求めていた。
しかし、神が準備して送られた救い主は、人々の心の中にある思いが現れてくるようになるために送られたのだった。シメオンにはそれがわかっていた。

クリスマスを待ち望む思い。
居心地のいい、気のおけない仲間や家族とのクリスマスを思い見るのもいい。
でも、神が一人子を送られたのは、私たちの安穏とした歩みにくさびを打ち込むためだったのではなかったのだろうか?

神さま、
あなたが送られる救い主、それを心から待ち望む者でありますように。
自分の願い、自分の都合、そのようなものを救い主に押し付けることがありませんように。

2012-12-07

アドベント聖書日課12/7:「自由への招き」

今朝起きたら、日本でまた大きな地震があったことがニュースに。
心配しています。今回はそれほど被害はないようですが、
フラッシュバックをはじめ、精神的なダメージを受けておられる方もいるのでは、と。

どんなことがあっても大丈夫なように準備することも大切でしょうが、また大きな地震が起こりませんように、と祈ります。

今朝は-4度Cまで下がりました。
これで予報どおり雨が降って来たら、iceが怖いな、と思ったのですが、9時頃に雨が降り始める時には、もう0度を超えていて、freezing rainにはなりませんでした。

よかったです。

そして、この雨は降ったりやんだりで、火曜日くらいまで続きます。
なんだか、クリスマスが近いというのに雪ではなくて雨。

その先を見ても、しばらくは雪の予報はありません。
喜んでいいんでしょうが、ちょっとさびしいかも。

さて、今日のアドベント聖書日課はイザヤ書61:1-3。

「捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ・・・」1節。

イエスは自由を与えるために来られたという。
解放を告げるために。

でも、解放をしていただくためには、自分を縛っているものを知らなければいけないのだろうと思う。
私を縛っているのは何だろうか?
人がどう思うかということだろうか?
「こうあらねばならない」という気持ちだろうか?
人の期待に応えたいという気持ちだろうか?

本当にイエスにある自由を満喫させていただきたい。
主が与えてくださる自由の中に歩みたいと思う。

主よ、
あなたは私を自由にするためにイエスを送ってくださいました。
私を自由にしてください。あなたの願われる自由を与えてください。