2006-05-06

誰が造ったのか

今日も暖かな一日でした。
でも、夕方から風が出て、
今はもう10度を切りそうな勢いです。
明日の朝は冷え込みそうです。
キュウリの苗を家の中に入れておこうかな。
今本葉が2枚。
あと1週間くらいポットで育てて、
その後植えようと思っています。

それから家の前の街路樹のoak treeがたくさんの花をつけていたのですが、
今日の午後の風でガンガン落ちています。
ほとんど「積っている」という感じです。
これが大変なんですよね。
掃除も大変です。
これを片づけていると、花粉症にならない人がいること自体が不思議なくらいです。
oak treeの花粉症は日本ではシラカバ花粉症と言われていて、
これとフルーツアレルギーは因果関係がある様なんですね。

この街路樹何とかして欲しいです。マジで。

でも、今年もトンネルの出口が見えてきました。

で、JOYJOYキャンプ申し込み受付中。
現在のところ、申し込み殺到。11名。
「申し込み少ないじゃん。大丈夫、入れるじゃん」と思っている皆さん。
まだまだこれからですよ。
まだ申込書を送っていないみなさん、20日必着。遅れないでくださいね。

で、聖書。
今日はエゼキエル書の22-29章を読みました。
考えさせられたのは29章の9節の言葉。
エジプト人の言葉で
「ナイル川は私のもの、私が造ったものだ」という言葉です。
日本人だったら、やっぱ、富士山でしょうかねえ。
本当に誇りに思います。
アメリカだとどこでしょう。
グランドキャニオン?ヨセミテ?ナイアガラ?
でも、それは私たちが造ったものではない。
たまたま、本当にたまたま、自分がそこに生まれただけ。
誇りに思うのはいいんだけど、自分がエライのでも何でもない。
どちらかというと、自分がそこに生を与えられたことを、
神様に感謝したらいい。
仕事だってそう。才能だってそう。
与えられていることを感謝したらいい。
よくスポーツで活躍している人とかが、
「夢を捨てないで欲しい」なんてことを言ってくれたりします。
いいことだと思います。子ども達へのすばらしいメッセージだと思います。
でも、それと共に、あまのじゃくな私は思います。
その活躍、その名声の陰に、
たくさんの「夢をかなえられなかった人たち」がいることを。
「自分は夢を捨てなかったから、ここまで来れた」と思うのもいいでしょう。
でも、それだけではなくて、そのような才能が与えられたことを、健康が与えられたことを、
いいコーチや家族、仲間が与えられてきたことを、感謝したらいい、と思います。
神様に感謝したらいい、と思います。

そうだよ、自分。
そうだね、感謝。

主よ、
あなたに感謝します。
今この場が当たられていることを、
教会が与えられていることを、
仲間が与えられていることを、
家族が与えられていることを、
祈ってくださる方々が与えられていることを。
感謝します。

2006-05-05

どちらが正しい?

今日もJOYJOYキャンプ受付中
今年は例年よりも1週間早いので、
都合が悪くなる方も多いかも。
逆に都合がよくなる方もね・・・。

今日は午前中、人にお会いして、聖書を学び祈りました。
午後は生まれたばかりのベビーを訪問。
その合間を縫って、印刷屋に行ったり、
デスクワークをしたり、
電話をしたり。
でも、こういう個人的な働きが本当に大切だと思います。
「集会」も大切。
でも、それだけではなく、個人的にお会いして、
いろんな話をする中で見えてくることもあります。

今朝は12.5度、
昼間は28.5度。
とても暖かな一日でした。
そして、今晩はanniversaryの私たちは二人で出かけました。
本当に久しぶりです。
でも、息子が大きいので、
もう子ども達だけで留守番もできます。
詳しくは書きませんが、
ウケたのは、食べに行ったレストランで勧められたデザートの数々。
いっぱい食べたあとに、
これは無理でしょう、というものばかり。
チョコレートの固まりの様なケーキや
ピーナッツバターの固まりの様なケーキ。

公立学校で、ソーダが売られなくなるとニュースで言っていましたが、
うーん、この国、ちょっと食生活狂ってるかなあ。

14年も住んでると、こっちのケーキの甘さにも慣れて、
日本のケーキが物足りなく感じたりするんですけどね。
それでも、今日のデザートの数々にはウケた。

花粉症、きっと峠を越えたのだと思います。
きっと。
でも、いろいろ考えさせられます。
花粉症は「もう少しで、終わる」という先が見えているもんですよね。
これが、先が見えなかったらどうなんだろうと思います。
今日は一日「目の玉を出して洗いたい」って感じです。
でも、こんな程度じゃない、本当につらい体の不調が、
「先が見えない」「どんどん進行する」ような病気だったら・・・。
病の方々のことを思わされます。祈らされます。

今日はエゼキエル書の17-21章を読みました。
心に残ったのは18章29節の言葉です。
私たちは「神は不公平だ」「神がいるならどうしてこんなことが・・・」と言うけれども、
それが身勝手なのではないか、正しくないのは私たちの方ではないか、との言葉です。
私も、いろいろな出来事の中で、
納得のいかないことがあります。
「こんなに祈ったのに・・・」ということもあります。
神様が何を考えておられるのか、わからない時があります。
でも、それでいいのかな、と思います。
わかったら、私たちの頭でわかったら、神様もその程度のお方ということでしょう。
私たちにはわからない様なお考えがあるのだろうと思います。
ただただ、謙虚に歩んでいきたいと思います。

主よ、
あなたの思いは私の思いを超えています。
それを受け止める謙虚さを与えて下さい。
それを受け入れる強さを与えて下さい。
そして、あなたの御心を求める熱さを与えて下さい。

今日はもう休みます。
明日は6時半から教会で祈り会。

2006-05-04

本当の平和

今日もJOYJOYキャンプ受付中
そして、元ヤクザの牧師が教会に来るまであと3日。
日曜日の午後1時半からです。

今日の朝の集まりもたくさんの方々が来られました。
新しい方々、いつも大歓迎です。
みんな最初は「初めて」です。
「ずっと来てます」みたいな顔をしている方々も、最初はやっぱり「初めて」でした。
私たちにもとても刺激になります。
うれしいです。

で、明日はとくに集会はありませんが、
個人的にお会いする方や、訪問するところ、行くところ、とかいろいろです。

そして、16回目の私たち夫婦のanniversaryです。
「こどもの日でしょ」と一番下は申しておりましたが、
我が家はこどもの日ではなく、夫婦の日です。
主役は子供ではなく、夫婦です。

やっと16年という感じです。
今年、教会には50周年の方がおられましたが、
「16年の3倍かぁ、どんなんだろうねえ」と、カミさんとしみじみしていました。

で、今日は今年初めて30度記念日でした。
我が家の温度計で最低が10度、最高が30度ちょうど。
昼夜の差がちょうど20度。
明日も暖かいようです。
でもそれも明日までで、
また涼しくなるみたいです。


庭でイチゴが咲いていました。

この花の真ん中の部分がイチゴになるんですよね。
そして、そこに付いているぶつぶつしているのが、
イチゴの実についているぶつぶつになるってわけ。
このイチゴ、4年くらい前に苗を買って、植えて、それが増え広がったもので、
ろくに手入れもしていませんが、厳しい冬を生き延びて、毎年5月にはプチイチゴ狩りができます。
今年は結構花芽がついているかな。

で、今日の聖書。
今日はエゼキエル書の12-16章を読みました。
心に留ったのは13章の「偽りの預言者が平和ではないのに平和だと言っている」という神の言葉です。
平和って何だろうと思いました。
あの9/11の朝のことを、それに続く日々のことを思い出していました。
私もあの朝、「平和」な朝だと思っていました。
他の多くの人々と同じように、そう思っていました。
でも、本当は平和なんかじゃなかった。
表面的には平和に見えたけれども、
世界の多くの人々の中に憎しみが満ちていた。
富める国の人々への憎しみが満ちていた。
自分たちの文化を一方的に輸出してきた人々に対する怒りが、
人々の中に満ちていた。
そして、ほんの一部だったかもしれないけれども、
その怒りを、憎しみを、人々を無差別に殺すことによって、
表そうとしていた人々がいた。
何年もかけて準備した計画を実行しようとしていた人々がいた。

それでも、私は「平和」だと思っていた。
もし、あの「終身刑」を言い渡された被告が、
計画を当局に自白していたら、
そして、FBIとCIAが、テロの計画を未然に防いでいたら、
今も、たぶん、私は何も知らずに「平和」だと思っているだろう。

平和って何だろうと思う。

ホントに。

人間関係だってそう。
自分の夫婦関係だってそう。
一方に無理強いをして、
黙らせて、
ある時には大きな声を出して、
ある時には理屈で説き伏せて、
平和な家庭に見えるものを作っているなら、
それは何だろうと思う。

ホントの平和を求めていきたい。

平和でもないのに、「平和だ」と言うのはやめよう。

主よ、
あなたが与えてくださる平和。
あなたが与えようとしてくださる平和。
それを教えてください。
それを経験させてください。
無理矢理の平和。
人を黙らせての平和。
一部の人だけが自分の願い通りに物事を進められる平和。

・・・ではなく、本当に喜びの溢れる平和を与えてください。
明日の一日が喜びに溢れた日となります様に。

2006-05-03

新しく力を与えられて

JOYJOYキャンプ受付中
今度の日曜日は元ヤクザの牧師さんがJCCNJに来られる。
そして、その次の週の火曜日、16日はリサイタル@カーネギーホール
僕がやる訳じゃないけど・・・。あたりまえか。
でもいろいろある。
楽しくもあり、また、追われるのは心配でもあり・・・。
うっかりしていることがあって、「あっ」と焦ったりすることもあったりする。
生まれつきの(・・・って責任逃れ?)泥縄性格なので、しょうもない。

今日の朝も一つ集会。
そして、そのあと、一つ学び会。
明日はまた朝に一つ集会。
午後はキッズクラブの作戦会議。
今月も楽しくするぞおってやつ。
「脱力系」牧師を目指しているのだから、あんまり気合いを入れてはいけないんだが、
どうしても、子供向けプログラムでは、肩に力が入る。いかんいかん。
子供の肩をつかんで「これでも楽しくないかぁ!」みたいな感じになってはいかん。

そういえば、去年の秋には、
「来年こそ、JOYJOYお茶のみ『まったり』系キャンプにするぞ」
と思ったものだが、つい、力が入ってしまいそうだ。
ま、いいか。

今日は朝も10度、昼は23度、そして夜にはパラパラ雨が降ってきた。
ひさしぶりの雨。
もっともっと降って、花粉を全部流してしまえばいいのに。
明日は暖かい日になりそうです。
それで、かなり花粉が飛びそうです。
そうそう、どんどんとばして早く花粉の季節を終わらせて欲しいものです。

今日から聖書はエゼキエル書に入りました。
1-11章を読みました。
これはまた難解な書物ですよね。
わからないことだらけです。
そんな中でほっとする言葉がいくつかあります。
11:19には「わたしは彼らに一つの心を与え、彼らの中に新しい霊を授ける」
という言葉がありました。
新しい霊。新しい内実ってことでしょうか。
新しい力ということでしょうか。
私たちに与えられると。
内側から新しくされて、
燃やされて、立ち上がる、そのような歩みをさせて頂きたいです。
この御言葉通りに私の中に、教会の中に、
「新しい霊」が注がれるようにと願います。
今まで通り、いつもそのようにやってきたから、
これが慣例だから・・・ということではなく、
freshな思いで歩んでいきたいと思います。

神様、
私に新しい力を与えてください。
新しい思いを、
新しい情熱を与えてください。
そして、あなたの力をいただいて、
立ち上がっていくことができますように。
明日の集会で出会う方々にも祝福があります様に。

2006-05-02

心を挙げよう

ちょっと雲が多かったですが、
それでも23度まで上がりました。
朝は6.7度。高原の朝の様でした。

今日は気をつけて、
花粉に実をさらさない様に一日おとなしくしておりましたが、
ずいぶんましになりました。

どんどんいろんな花が咲きます。
一気に咲いています。
まだチューリップがいくつか残っているのに、
もうツツジが満開になっています。


あと、アスパラガスがお約束の2週間になってしまいました。
昨日2本収穫して合計21本でした。
うーん、先週ちょっと寒い日も多かったので、
これから!という感じですが、まあ、おとなしく、マニュアルに従いましょう。
夏に新しい芽が出てきたらそれをいただくことにして・・・。

あと、ナスが発芽している様なんですが、
まあ、どれがナスでどれがピーマンかわからない状態なんです。
それで、本葉が出てこないことにはどうにもなりません。

で、あのナスはやっぱりかなり高温が必要な様で、
それも温度変化も必要な様で、
夜が20度、昼が30度がいいようです。
今頃昼間日に当てて、夜は中に取り込むと、
ちょうどそんな感じなんでしょう。

今日の聖書。
今日は哀歌を読みました。
エルサレムが新バビロニア帝国によって滅ぼされてしまう中で、
エレミヤが嘆いて祈った言葉です。
特に心に留ったのは、3章41節の言葉です。
「天にいます神に向かって、両手を上げ心も挙げて言おう。」
御言葉通りに手を上げて祈りました。
声を挙げて祈りました。
心を挙げて祈りました。
いつもは頭を垂れて祈るので、
いつの間にか、神様が下の方にいるかの様な祈り方をしていた様に思います。
でも、手を上に挙げると、神様が上におられる様な思いになります。
形から入るのではないのでしょうが、
手を上げるのは、心も挙げる助けになりますね。
神様が聞いてくださることを思い出す助けになります。
特に大きな問題があって、
神様に訴えなければいけないことがある時には、
そうなります。

神様、
私はいつも手を組んで祈っています。
頭を垂れて祈っています。
でも、時には手を挙げて祈りたい。
どうしても手を上げないではいられない。
今日もあなたに手を挙げます。
どうかわたしの挙げた手が清い手であります様に。
心から祈ることができます様に。
そして、主よ、あなたが祈りにこたえてくださいます様に。

2006-05-01

うわさを恐れるな

いやあ、きついです。
花粉症。
今日の夕方ちょっと水まきしただけなんですがねえ。
それからガンガン来ています。
まずいかも・・・。

今日はまた暖かかったです。
温度計の設定を忘れていたので、
最高はわかりませんでしたが・・・。
でも、夜はまた涼しいです。

今日は我が家で地区の日本語教会の牧師が集まりました。
ミーティングもよかったのですが、
その後の、語り合いが、本当に励まされるものでした。
みんな、教会を愛し、人々を愛しているんだなあ、と思いました。

いよいよJOYJOYキャンプの申し込み受付が始まりました。
ここに申込書があります。
「早い者勝ち」というのもむずかしいので、
今回は申し込み多数の場合は、「抽選」と考えました。
賛否あるでしょうが、
「電話を1時間かけ続ける」というのはなくなったので、
ちょっと負担が軽くなったかな・・・と。

目がかゆくて、鼻が詰まっているので、
今日はあっさりと聖書へ。
エレミヤ50-52章を読みました。
51:46には、「噂を恐れるな」という言葉があります。
私たちは噂に振り回されることもあります。
「みんな言ってたよ」・・・これは怖い言葉ですね。
大体、そういうことを誰かが言う時には、
その人自身の意見なんでしょうが、
自分でその言葉に責任を負うことが恐いので、
「みんなが言っているよ」と言ってしまうのだと思います。
大体3人くらいから「みんな」が始まるのでしょうが、
その3つくらいのルートをたどっていくと、
結局は一人の人に行き着いてしまう時もあります。

頭で考えるのは簡単なんですが、
やっぱり私たちはいろんな言葉に振り回されやすい。
だから、神様にしっかりと目を向けていきたいと思います。
聖書の言葉から学んでいきたいと思います。

神様、
どうか、私の心を守ってください。
噂を恐れることがありません様に。
振り回されることがありません様に。
花粉症、楽にしてください。
また、いろんな病気で苦しんでいる方のことを
考える時としてください。

2006-04-30

神の王座

今朝は昨日より冷え込んで、2.7度。
東京だったら、冬だね。
さすがに昼間の暖かさは助かるけど。
今日は24度。
昼夜の温度差が摂氏で20度を超えた。
今晩もそこそこ冷えそう。
今12時前で8.8度。

今日の日曜日、
出張中の方、旅行中の方、遠足の中高生、が多くて
ちょっと寂しかったかな。
でも、みんな守られているので感謝。

夜は元ヤクザの牧師さんがお話しされたのを聞きに行ってきました。
よかったですよ。
私みたいな「牧師の子供に生まれた」というのも、
守られているなあ、と思いますが、
ああやって、世の中の闇の部分を見てこられた方が
話される言葉にはまた迫力があります。
とってもパワフルでした。
だいたい、歯を見せて笑ってはいけないヤクザさんが、
今は牧師になって、ニコニコして穏やかな顔でお話をされている、

それだけで、まさに奇跡です。
神様のなさることはすごいって思います。

そして急遽、5月7日、私たちの教会の礼拝で説教をしてくださることになりました。
是非是非、たくさんの方々においでいただきたいです。
なかなか聞けないお話です。
5月7日、日曜日の午後1時半からです。

今日の聖書。
今日はエレミヤ書の44-49章を読みました。
その中で心に留った言葉は、49:38の「そこに私の王座をすえる」という言葉です。
主は私たちの心の中でも、
邪魔なものを取り去って、
ご自分の王座をすえてくださる方なんだと思いました。
そして、「王座」という言葉についてずっと思いめぐらしていました。
何日か前にもあったでしょうか?
自分の心の王座は何が占めているだろうかと、考えました。

昨夜遅く、今朝早く、ちょっと目がしょぼしょぼしてきたので、
老眼の入ってきたオヤジはこのくらいで今夜は休みます。

主よ、
あなたが私の心の王座を占めてくださいます様に。
お休みなさい。
明日また新しい力に満たされます様に。



聞き従うことの難しさ

いやあ、昨日中に更新出来ませんでしたね。
とうとう1日穴が空いてしまいました。
今日は教会の子ども達もたくさん出演するダンス・チームの発表会がありました。
すごくよかったです。刺激を受けました。
こんなまとまったことを私自身も「やりたい」と思いました。
いえ、ダンスじゃないですよ。ダンスじゃなくても、どんなことでも、
いいもの、を提供していきたいなあ、と思ったわけです。
ま、「シルバー・ダンス・チーム」もいいですけどね。

今朝は「霜」までは行きませんでしたが、3.4度Cまで下がりました。
そして、昼間はやっぱり20度。何で?と思う昼と夜の温度差です。
そして、今午前2時ですが、4.8度で、今も下がり続けています。
今夜は「霜」かも。

で、今日はあっさりと聖書に入ります。
今日読んだのはエレミヤ書39-43章です。
その中で42章21節の言葉にどきっとしました。
「あなたがたが神の言葉を聞かせてくれと言ったのに、それを聞いても、従おうとはしない」とエレミヤが人々を責めている言葉です。
私たち、人に意見を求めても、それが自分の考えと違ったら、それは聞き流して、自分の考えをサポートしてくれる人々の言葉を聞きたくなるものです。
私たちはしばしば、神様に対しても同じことをしているのではないでしょうか?
神様の言葉を求めておきながら、
実際神様の言葉を聞いた時には、従うことができない。
自分の考えと違う時に、その前にひれ伏すことができない。
でも、自分の考えを超えているから、自分の考えと違うから、
神の言葉には意味があるのではないだろうか?
本当に神の言葉の前にひれ伏すものでありたいと思った。
神の前に謙虚になって出たいと思った。

神様、
どうかわたしが本当にあなたの前に
謙遜になって出ることのできる者としてください。
あなたの御言葉に聞き従うことのできる者としてください。
御言葉をお語りください。
私は聞きます。
従うことを教えてください。