2009-12-04

自分で言わなければ・・・。でも・・・。

1週間くらい前に、小学校の経験から、
「自分のことは自分でいうことが大切」ということを、
書いたばかりなのですが、
「気持ちを読んで欲しい」というのは日本人の甘えだ!みたいに断言したのですが、
ある本(英語)に、「女性は気持ちを読んでくれると愛されていると感じる」とか、
upspoken languageに耳を傾けて欲しい、とか、
書かれているを読んで、そうかあ、と反省中。


自分に対しては「気持ちを読んで欲しい」と思わない方がいい。
でも、周りの人に対しては、愛をもって、
言葉にならないものに心を向けることの大切さを思わされます。


出来るか?というと、ちょっと難しいんですがね。
でも、それもまた甘えないで、
言葉にならないものにこそ、心を向けていきたいと思います。


さて、明日の雪ですが、
はい、本当に降りそうです。
今日はテキサス州のヒューストンで降ったみたいです。
明日の昼過ぎにはこちらでも降り始めるでしょう。
降り始めは雨かもしれませんが、
夕方には雪に変わって、
5-10センチくらい積もるかもしれません。


さて、11月30日(月)の聖書。
月曜日はネヘミヤ2章1-10節でした。


「すると、王は私に言った。『では、あなたは何を願うのか。』そこで私は、天の神に祈ってから、王に答えた。」4-5節。

王に「何を願うのか?」と聞かれたネヘミヤは、
その場でとっさに神様に祈ったという。
祈ってから、王様に答えたという。
とっさの祈りだったんだろうと思う。

私たち、時間があったら祈ろうと思っているかもしれない。
でも、現実の生活の中で、答えを出すまでに、
そんなに時間がもらえる場面は多くない。
短い時間で答えなければならないことが多い。

だから、うっかりしていると、
神さまに求めることも、聞くこともしないで、
自分の考えだけで、自分の目先の利益のことだけ考えて、
答えている場合がどれだけあるだろうかと思う。

どんな時でも、とっさに祈り、
短くでも、目を開けたままでも、
他のことをしながらでも、
一時、主を見上げて、答えを出す、
いつもそのような姿勢を持ち続けたいと思う。
いつもそのように主に従っていきたいと思う。

主よ、
どうか、いつもいつもあなたに聞いていく者とならせてください。
あなたの導きに従って歩むことができますように。
あなたがともにいてくださることをいつも覚え、
いつもあなたに聞きながら、決断をしていくことができますように。
あなたの導きに支配されて歩むものであることができますように。
日曜日の礼拝の準備のために、
あなたの特別な導きがありますように。

2009-12-03

元気の素は?

昨日の夜の雨も、今朝にはすっかり上がり、
朝から15度を超える暖かい日でした。


夜になってどこまで冷えるでしょうか?
10時過ぎでまだ10度近くあります。


土曜日の雪ですが、
たぶん降るでしょう。
午後から夜にかけて。


でも、あと42時間後くらいなんですが、
今だにコンピューターモデルによって、
東にそれるか(晴れる)、北に上がってくるか(雨から雪)、
予報が違っています。


明日の朝にはだいたいわかっているんでしょうか・・・。


火曜日のトークショーなんですが、
最後の方にこんな話をされていました。


「自分が元気になる言葉を5つ見つけてください」と。


・・・うーん・・・


何だろう、と考えました。
すぐに出てきたのは、恥ずかしながら、
「かっこいい」(笑)


いやあ、子供の頃からのあこがれというか、
あまり言われないから・・・というか、


そんな話をしたら、
「ホントに、心から『かっこいい』と思っている相手にはそんな言わないもんです」という意見もありましたが、そうなんでしょうか?だとしたら、どうして自分は言われないんだろう?という子供の頃からの疑問が解決するんですが・・・(笑)。


でも、その後2日間くらいずっと考えていますが、


「信じてるから・・・」(プレッシャーじゃなくて、心からの言葉として)とか
「最近、どう?」(特に遠くにいる人とか、余りそういう話をしない人から言われると覚えていてくれたんだなあと思う・・・)とか、


でも、この言葉、って訳ではないのですが、
自分が受け入れられているんだなあと思う時には、
元気が出ますよね。


お話をされた方のポイントは、
それを誰かに言ってもらうことを期待するのではなくて、
自分で自分を元気にする。
自分で自分にそのように語りかけて、元気を出す、
そのことの大切さでした。


そこで、私は、神を信じる者たちが、
聖書から、元気をもらっていることの意味を覚えました。


自分で自分を元気にする必要がない、
まして、人にそれを期待して、がっかりする必要もない。
主が、神様がわたしたちにこの言葉を語ってくださって、
元気を与えてくださる。
受け入れてくださり、
「大切な存在だ」と言ってくださり、
その証拠に、イエスを与えてくださり、
十字架でわたしたちの罪をあがなってくださった。


それによって元気を与えられて生きていくことができる。
これは特権だなあと思います。


元気の素が与えられていることに感謝。


さて、11月29日(日)の聖書。
ネヘミヤに進んで1:1-11。


「ああ、主よ。どうぞ、このしもべの祈りと、あなたの名を喜んで敬うあなたのしもべたちの祈りとに、耳を傾けてください。」11節。

しばしば、主は、一握りの祈る人々を与えてくださる。
一握りの祈りだからということで、
共同体が一致して祈っていないからということで、
御業を留められることはなさらないで、
祈りに応えて、素晴らしい働きをしてくださる。

あのギデオンの300人のように、
一部の人々であっても、
真剣に主に従う者たちを通して、
勝利を与えてくださる。

ある人は、「みんなが一致しないと・・・」と言う。
でも、聖書は必ずしもそのような例ばかりを挙げない。

聖書は人々の一致の麗しさも記している。
でも、一握りの、霊的な世界のわかる人々を通して、
主の御業が進んでいく、
主が祈りに応えて、勝利を与えてくださる、
そのような例を記している。

一人また一人、主の前に進み出る人々が起こされますように。

主よ、
どうか、あなたの勝利を与えてください。
祈ります。私をその祈りの勇士の一人にしてください。
みんなで横一列になって、スタート出来なくても、
不安を覚えることがないように、私の心を守ってください。

感謝。

今朝、いや、日付が変わったので昨日の朝は、久しぶりに共に祈ってくださる方が与えられました。
励まされます。

外は雨です。
明日は雨も上がり、暖かくなるみたいです。
夜からは冷え込みます。

土曜日の雪はまだビミョウです。

では、更新はまた夜にでも。

2009-12-02

「起」から「企」へ。


日付が変わってしまいましたが、
いよいよ12月が始まりました!
「大変だ~」と思いますが、
「大変は『大きく変わる』チャンス」ということで、
大きく変わらせて頂きたいです。楽しみです。


で、これも1日夜のトークショーの受け売りなんですが、
ムーティ、銀杏に続いて、1日はトークショーへの参加をプレゼントしてくださる方がいて、
「人材育成」の話(もちろん日本語)ということで、かな~り興味があり、
夕方からNYに行って参りました。
帰ってきたのが、夜の12時3分前。
でも、楽しい一時だったので、夜の1時になっても何だか元気です。


ああ、自分ももっともっと勉強しなきゃなあ、と思った夜でしたが、
心に残ったことを一つだけ、ご紹介。


起業から企業へというところに壁がある、という話。
(ちょっと自分の解釈も入っていると思いますが・・・)
「起」業はその漢字の通り、己が走る、自分が走っていればいい、
志を同じくする人がそれに加わって一緒に走ってくれる。
みんなで一つの目標のために燃えて前進していく。


でも、それを「企」業にするときが来る。
ある程度軌道に乗ってくると、「企」業、また、漢字の通り
「人を止める」ことが必要になってくる。
「それはちょっとまずい」「それはやめておいて」ってことが出てくる。
そういうことを言うのは楽しくない。言われる方も楽しくない。
それが壁なんだ。それを超えるのが大切。
そこに必要なのはコミュニケーション。


本当にそうだなあと思いました。


教会でも一番燃えているのは開拓期でしょう。
牧師も時々「開拓伝道をしたい」という思いに駆られる時があります。
でも、それが「逃げ」でそう思っている時はホンモノではない。
私はいつも自分に対してはそう思いますし、
「開拓伝道がしたい」という仲間の牧師にはそれをいつも問いかけます。


本当に大切なのは、開拓期を過ぎた、先ほどの例では、
「企業」になろうとしている時の歩み方でしょう。
私自身、神様からの責任を果たさせて頂きたいです。
壁を越えて、進んでいきたいと思います。


で、1日は急に寒くなりました。
風も冷たかったです。
まあ、12月ですから、当然といえば当然なのですが・・・。


週末、土曜日の夜、雪が降るかも、という話が出てきています。
でも、いつものように、何もないかもしれません。
NC沖に低気圧が進んでくるのですが、
それが北に上がってくるか、東にそのまま進んでいくか、
それによって、全然違う予報になります。
まだ4日も先のことです。要注目です。


さて、11月28日(土)の聖書。
エズラ10:9-44。


「こうして、すべての民は神の宮の前の広場にすわり、このことと、大雨のために震えていた。」9節。

自分のしたことについて震える、という感覚。
その感覚を自分は今も持っているだろうか。
自分の弱さを当たり前のこととして、
主に甘えて、何でも赦されるという感覚で、
何とも思わなくなっていないだろうか?

主の前に震えているだろうか?

主よ、
あなたの臨在を感じさせてください。
あなたの前に震える者とならせてください。
甘えから解放し、あなたの前に真実に出ることができますように。

2009-11-30

すご〜い!

昨日、愛読者の方から頂きました。








近所で拾ってご自分で果肉を除かれたそうです。
まだほのかにぎんなん特有のにおいがしますが、
この果肉を除く作業はどれほどのにおいだっただろうかと思います。
とても嬉しかったです。


感謝。

今日は一日雨でした。
朝は暖かかったのですが、
夕方にはぐっと肌寒くなってきました。


今は夜の9時半ですが、5.1度。


明日は一日寒い日になりそうです。
でも、今年は厳しい冬になると思っていたのですが、
寒さは何日の続かないで、
寒い→暖かい→寒い→暖かい
という感じの日が続きそうです。


今のところ、雪の予報も出ていません。


さて、11月27日(金)の聖書。
エズラ10:1-8でした。


「立ち上がってください。このことはあなたの肩にかかっています。私たちはあなたに協力します。勇気を出して、実行してください。」4節。

まさに勇気ですよね。
責任ある立場に立つことの意味を考えさせられます。

はい、今日は長い文章は書けないのですが、
自分もやはり決断をしたり、行動をしたりする
責任のあるものとして、
いろいろ考えさせられます。

主にある勇気を持って歩ませて頂きたいです。
そして、はっきりとした芯のある者とならせて頂きたいです。

主よ、
あなたの私に与えてくださった使命に立たせてください。
どうか、あなたの私に託されたことを、
果たすことができますように。

2009-11-29

成長。

日曜日です。
一日が終わって、夜、いろんなことを考えながら、
祈らされながら、過ごしています。
今日は総会で役員選挙もありましたので、
その結果を受けて、
祈りの夜を過ごされている方々も多いと思います。


主がすべてを御手の中に導いてくださることを、
信頼しています。


想像していなかったような、素晴らしいことが、
教会全体に、また一人一人のメンバーに、ありますように。


そんな総会を終えての帰路。
家族4人が2台に分乗。
私は高校生のユキと二人でした。


この子は、神様から与えられたスペシャルな子。
読んだり、書いたりはなんとか・・・ですが、
自分の気持ちを言葉にして伝えることに、小さなハンデがあるようです。
小さい時は「自分もそうだったから」とわたしたち夫婦二人で言っていましたが、
ちょっとそういうレベルとも違うみたいです。
普通の高校生の女の子がするような会話はなかなかできません。


学校でもスピーチセラピーとかやってもらっています。


たぶん、日本の学校だったら、
「おとなしい」とか「恥ずかしがり屋」
「あまり難しいことは理解出来ないみたい」
で片づけられていたと思います。


でも、学校の先生達の努力と愛と、
一人一人を大切にする行き届いた教育で、
少しずつ、話をするようになってきました。
教会のユースグループの先生も、そのように言ってくださっています。


そのユキが、最近は自分から、楽しかったこと、嬉しかったことを話すようになってきました。
今までは、こちらから聞いても「別に」「ふつう」とめんどくさそうにしていたのですが、
今日も、車の中で、教会で起こった「小さな子のかわいかった話」を話してくれました。


ユキとサキが、ちょっとした言い合いをしていたのを見ていた
小さなの女の子。
大きな声で「NO ケンカ!」と英語と日本語チャンポンで言ったとか。
大人はそこで、「いつも誰と誰のケンカを仲裁しているんだろ~?」と突っ込みたくなるのですが、
「かわいかったよ~」ととても嬉しそうでした。


そんな他愛のない話でも、この子とできるようになるとは、
本当に涙が出るくらい嬉しかったです。


神様がわたしたち一人一人の成長をそのように見てくださっているんだろうなあと思います。
わたしたち一人一人は違うんだよ、違っていいんだよ、とは言うのですが、
テストの点を聞くと、やっぱり「みんなはどうだった?」「平均点はいくつなわけ?」と聞きたくなるんですよね。でも、そんなのはどうでもいい。一人一人違った才能を与えられて、違ったものとして造られているんだ、そして、それぞれの成長を喜んでいてくださっている。


それを大切にしていきたいと思います。


さて、11月26日(木)の聖書。
エズラ記9:9-15


「その隅々まで、彼らの汚れで満たされている。」11節。

わたしたちは周囲の影響を受けやすい者です。
ある時には君子危うきに近寄らずで、
近寄ってはならない場面があるのだと思います。

でも、またイエスが弟子達をこの世に遣わします、と祈られたように、
わたしたちもこの世に遣わされるのです。

その中で、どのような関わりをすることが適当なのだろうかと思います。
本当に自分の弱さを覚えながら、人々のために、
仕える働きができるようにと祈らされます。

主よ、
あなたがわたしたちをこの世に遣わしてくださっています。
どうか、あなたの光を輝かす使命を果たさせてください。
その中で、この世の影響を受けてしまうことがないように、
いつの間にか支配されてしまうことがないように守ってください。