今日は本当に暖かくなりました。
夕方ちょっと庭仕事をしたのですが、
あっという間に汗をかきました。
今は夜の11時ですが、16度あります。
今朝までは一ケタまで下がりましたが、
明日の朝は12度くらいでしょうか。
明日もまたいい天気で暖かくなりますように。
昨日の礼拝では、最後の晩餐の中で、
イエスが新しい時代のために、
「新しい契約」「新しい秩序」を宣言されたのに続いて、
弟子達を「新しい人々」として立てられたことを語らせて頂きました。
主がその新しい時代を担うわたしたちのために今も祈ってとりなしておられるのです。
サタン(悪魔)はこれから用いられようとしている人々、
用いられようとしている教会を攻撃してきます。
大体、メッセージを語った後には、
その内容について、自分自身が問われるものですが、
今日もそれを感じていました。
朝から心が騒ぐようなことがあり、
午後にも攻撃を感じました。
落ち込ませようとする攻撃を感じました。
その中で、ただただ、イエスが祈っていてくださること、
そのような試練の中でも守られるように祈ってくださること、
それが支えです。
今日は休日。
すっかり食欲も戻って、
順調にリバウンド中です。(笑)
週末、「今日は無理・・・」と、ずっとお預けになっていた
「ゲームをしよう・・・」というサキの誘いに
やっと答えて、今日はカードゲームをしました。
はい、もちろん手加減なしです。
これはハジの子供の頃からの、私の主義です。
「大人げない」と言われてもかまいません。
私が本気でも勝てない子供を育てようということで・・・。
17年前、日本を出てくる直前のこと、
主任牧師の7歳くらいのお嬢さん相手に、マジでやってしまって
泣かれてしまったときには、さすがに、ちょっとやりすぎたかな、と反省しましたが、
自分の子供だとそれは容赦はしません。
はい、今日ももちろん圧勝でした。v(^^)
問題は、負けてばかりで、本人のやる気が続くかどうかですが・・・。
ちなみに、ハジはウルトラ負けず嫌いな大人になってしまいました。
そして、ユキはこちらが誘っても、決して遊んでくれません。
・・・ん?これって、私の「子供相手でも本気でやる」という主義が間違っていた、ってこと?
さて、土曜日、9/19の聖書。
エレミヤ7:29-8:3。
「それらを、彼らが愛し、仕え、従い、伺いを立て、拝んだ日や月や天の万象の前にさらす。それらは集められることなく、葬られることもなく、地面の肥やしとなる。」2節。
私は、子供の頃から教会で育って、
日の出を拝むとか、大木や立派な滝や
そういうものに神が宿る、とか、そういう感覚は全くないのですが、
でも、そのようなものに畏れを感じると言う感覚はちょっとわかります。
ですから、大きな木にしめ縄がつけられていても、
立派な滝の前に神社があっても、
「そういう気持ちになるよなあ」というのは思います。
でも、この聖書の箇所は、そんな態度にもNOと言っています。
どうしてなんだろうなあと思います。
そのような人間を超えたモノ、それが自然界の中のものであっても、
神ではないものであって、見当違いであったとしても、
自分より大きな存在の中で、膝をかがめたくなる気持ちは、
神様は尊重してくださらないのかなあと。
でも、それほど、神以外のものを神とすることが、
深刻な罪なのだ、ということを聖書は語っているんですよね。
その見当違いがたいへんな結果を生み出してしまうのだ、ということなんだと思います。
自分よりも大きな存在がすべて神で、・・・つまり神々がたくさんいる、
というのではなくて、
本当にわたしたちが拝み、膝をかがめ、礼拝すべきなのは、
祈りを捧げるべきなのは、この天地を造られ支配されている主、
お一人なんだと、もう一度主の前にひざまずかせられました。
主よ、
あなたを、あなただけをあがめるものでありますように。
人や、能力や、力や、お金や他のものを拝むことがありませんように。
何よりも自分を主とすることがありませんように。