2008-10-25

「捨てる!」

今日はすごい嵐でした。
私はうちにいなかったのですが、
うちの近所500メートル圏くらいは停電もあったようです。


実は今日のストームの水蒸気は数日前は
メキシコのユカタン半島付近にあったもので、
熱帯からのしめった暖かい空気だったんですね。
それが、北からの冷たい空気にぶつかって雷雨になったようです。


明日はミシガンとか、オハイオとかの、
Lake Effect Snow Area(日本の「日本海側」みたいなもん)は、
雪が降るほどの冷たい空気です。


この空気がこっちに来るのは月曜日から火曜日にかけて。
明日は晴れて熱帯からの空気の置きみやげで、
久しぶりに暖かくなりそうです。


先週の日曜日、教会のオフィスの片づけを始めました。
といっても、私はいろいろミーティングがあったので、
「片づけが好き」というとっても貴重な賜物をお持ちの方々に、
お任せして、私は時々、「ちらっ」「ちらっ」と見に行くだけ、
というか、冷やかしに行くだけだったのですが、
まあ、それだけでも、「え、それ捨てちゃうんですか」って声を出したくなるほど。
つくづく、自分は捨てられない人なんだなあと思いました。


何年か前に、Book Off, NYで“「捨てる!」技術”という本 を買ってきて、
読んだのですが、そこには、


「とりあえずとっておく」は禁句、とか、
収納法、整理法で解決しようとしない、とか、
見ないで捨てる、とか、
その場で捨てる、とか、
使い切らなくても捨てる、とか、


うーん、めちゃくちゃ心当たりのある「Don't」と、
あー、これできないよねえ、という「Do」のオンパレード。


でも、今朝、弟子訓練のグループで、
聖書の中で、イエスの弟子になるなら、「自分を捨て・・・」と書いてあるところを、
読んだのですが、その中で教えられたのは、
自分が捨てるのがいたいモノをこそ、捨てることが大切、ということ。
捨てても何ともないモノを捨てるのは、なんでもない。
でも、捨てたら、ちょっと痛い、そういうモノをこそ、
捨てることを神さまは求めておられる。
たとえば、プライドだとか、
自分がこだわっていることだとか、
そういうもの。


でも、それは霊的、精神的なモノだけじゃなくて、
物理的なモノもそうでしょうね。
ちょっと痛みを感じるようなモノを含めて「捨てる!」時に来ているのかな、
と思います。


机の周りも「なんとかしなきゃ」がもう半年くらい続いています。


さあ、思い切って、痛みを伴う「捨てる!」生き方をしたいと思います。


さて、今日の聖書。
25日(土)は詩篇の58篇でした。


「彼らを、流れて行く水のように
  消え去らせてください。」(7節)

今日は「敵」を私たちの究極的な敵であるサタンとして読みました。
サタンが私たちを攻撃してくる。
でも、そこに神さまが介入してくださって、
敵は打ち破られる。

それを本気で求めていくべき時なんだと思いました。

今日、中高生の集会で、「ただ、願っているだけじゃなくて、本気で祈って、本気で求めているか?」
と問いかけましたが、それは子供たちへのメッセージである以上に、
自分に対する問いかけでもありました。

「時間の使い方を上手にしたい」
「もっと本が読めるようになりたい」
「やらなければいけないことを後回しにしないようになりたい」
子供たちの口から出てくる「オレもそうだよ!」と感じないではいられない言葉を聞きながら、
「みんな、本気でそれを神さまに祈って求めているか?」とチャレンジしながら、
自分はどうかな、と思っていました。

サタンに対する勝利を本気で祈っているのか、
サタンが介入してくることに対して、
本気で、「彼の働きを止めてください」と祈っているだろうかと。

ダビデが敵に対する裁きを本気で祈ったように、
私たちもサタンの働きが封じられるように、
本気で祈っていきたいと思いました。

主よ、
どうか、サタンの働きを止めてください。
一人一人がその犠牲にならないように守ってください。
主よ、あなたが守ってください。


明日の日曜日、
ほんとうの礼拝をささげることができますように。
あなたご自身が語ってくださいますように。


2008-10-24

久しぶりの雨。

前に雨が降ったのっていつでしたっけ?
ちょっと久しぶりの、ちょっとまとまった雨です。


明日の朝には降り出して、午後からは本降り。
日曜日の未明には上がるでしょう。


おかげで冷え込みはぐっとゆるんで、今は夜の11時40分ですが8.5度。
この後はもう下がらないでしょうし、
明日もそれほど冷たい雨ではありません。
日曜日は雨が上がってもしばらく暖かく、
寒気が入ってくるのは月曜日になってからです。
どれくらい強い寒気か?


うーん、どうなんでしょう。
少なくとも、来週も今朝並の冷え込みの日はあるでしょう。


あ、ちなみに今朝は-1度ちょうどまで下がりました。
霜はガリガリしなければならないほどではなかったですが、
「カリカリ」くらいはしました。
真冬は「ガリガリ」が当たり前になったりするんですよね。


今日の夜も忘れ物しました。
集会の時に持ってきてください、と言われていたものを、
しっかり忘れて、家を出てから、「あ」と思ったのですが、
結構ぎりぎりの時間だったので、取りに戻ることができずに、
集会の後に、わざわざ取りに来て頂くことに・・・。


うーん、脳トレソフト使って忘れ物を減らすとかできないかなあ。


ちなみに、今日も本は帰ってきませんでした。
もうだめかなあ。


さて、今日の聖書。


今日は詩篇の57篇。
「神よ。あなたが、天であがめられ、
  あなたの栄光が、全世界であがめられますように。」5節。

4節にも6節にも敵が囲んでいることが出てくるのに、
その真ん中に、神さまを見上げる言葉が出てきます。

それがほんとうにキーなんだと思います。
敵に囲まれて、にっちもさっちもいかない時に、
まさに、そのただ中にあって、
彼は神さまがあがめられることを求めました。

いいことがあったら、
祈りが聞かれて、道が開かれたら、
じゃなくて、
ほんとうに最初から、
苦しみの中から主を見上げ、主を求める。
いや、主を賛美してしまう。

そこに祝福があふれるのだろう。

主よ、
あなたの御業を感謝します。
あなたのみ力を感謝します。
苦しみの中でも、
敵に囲まれて苦戦している中でも、
あなたを賛美します。
あなたをあがめます。


あなたは最高のことをしてくださる方だから。

2008-10-23

氷点下来るよ。

昨日の本は出てこないですねえ。
ホント、一瞬の出来事なんですが、
気をつけなきゃいけないですね。


まあ、何を隠そう子供の頃からの忘れ物魔で、
何度東西線の中野駅に忘れ物を取りに行ったことか・・・。


今でも、「これ持っていって」と言われたもの玄関先に置いていってひんしゅくを買うこともしばしば。
買い物をしようとリストを作って、机の上に置いていったり。
今週の月曜日も朝、寒い日に、教会の鍵を持たずに教会に行って、
入れなくて、車の中で、暗くて寒い中、時々エンジンをかけて暖を取って祈りの時を守ったり。


ホントにこれからどうなっていくんだろうと思うと、ちょっと不安。
でも、子供の頃から忘れっぽい人は、結構しぶといかもね。


「自分は忘れ物はしない」と自負をしている人の方が、
年を取って忘れ物をするようになると、
「こんなはずはない」という戸惑いもあり、
ゴロゴロと坂道を転がっていくかも。


でも、今日は昨日のイライラも晴れて、ずいぶん元気になりました。


あ、でも、ちょっとまたすごい出来事があって、
怒っちゃいましたが・・・。
最終的にはハッピーエンド。


というのは今日来た、AT&Tの携帯料金の明細。
300ドルを超えていて、びっくり!
夫婦と子供二人、4本入っていて、
私のデータ料金とか、
子供たちのText Messageとかいろいろあるので、
まあ、そこそこの値段になるのですが、
それでも2倍以上。


一人がなんだかやたらお金を使っていたのですが、
本人は全く気がつかなったようで。
結局何が問題だったのか、わかりません。
電話で苦情を言ったら、今後そのようなことが起こらないように設定を変えてくれて、
その分は全額返金してくれることになりました。


「なんてあこぎな商売してるんだ!」とぶつぶつ言いながら電話したのですが、
つながってみると、いつものことですが、AT&Tのカスタマーサービスはちゃんと対応してくれます。
そういうことがあると、何もなくて苦情も言わなくてすむ時よりも、印象はよくなります。
不思議ですよね。


大切なのは苦情を言われた時の対応だよなあ・・・
とつくづく思わされる経験でした。


でも、泣き寝入りしている人も結構いるんでしょうね。
「払えない額じゃないから・・・」と。
請求はAT&Tではなく、急成長の会社からの使用料の請求だったのですが、
もしかしたら、この会社はこういう事をしてもうけているのかもしれない・・・。


今朝は1度くらいまで下がりました。
でも風が強かったので、まだ霜は降りていませんでした。
今夜は冷えます。今、夜の12時ちょっと前ですが2度。
明日の朝は確実に氷点下です。


早く出る方で車を外に置いている方は、
フロントガラスからガリガリと霜を落とす時間を
計算に入れておかなければダメです。


そして、土曜日は夕方から雨。
結構まとまった雨になるでしょう。


そして、来週の29-31日はやはり寒気が入ってきます。
そこで来月まで待たずに10月中に早くも、
snow stormの可能性があります。
ちょっと注目です。


今日の朝のエステル記の学びはよかったです。
詳しくは明日と、日曜日に学びに出られる方のために取っておきますが、
今まで、エステルの捨て身の進言によってユダヤ人が救われたと思ってきましたが、
今日は、神さまのなさることのすごさに目が開かれる思いでした。
日曜日が終わったら書きますね。


さて、今日の聖書。
今日から10月中は詩篇。
今日は詩篇の56篇でした。


「どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。」8節。

ダビデの苦しみを思いました。
屈辱、孤独、無理解・・・。
その中で、神さまが覚えておられること、
神さまが知っていてくださることが、
どれほどの慰めであったかと思います。

私の涙も主はそれを覚えておられる。
知っていてくださる。
だから、それでいい。

主に覚えて頂くことほどの、
すばらしいことはないじゃないか、
そんなことを自分に語っている自分がいました。
それはちょっとだけ人の慰めや励ましを期待しているからかもしれません。

でも、大切なのは主が知っていてくださること。
主の慰めをいただいて歩んでいきたいと思いました。

主よ、
あなたの慰めを感謝します。
あなたがいつも私のことを覚えていてくださるから感謝します。
どうか、明日も元気に歩むことができますように。
いろんな事に振り回され、
感情的にもアップダウンがあります。
どうか、あなたにある平安と喜びに歩ませてください。

ああ、情けない。

緑の字の部分、
読まなくてもいいですよ。
しょうもない話ですから。マジで。

こいつ、しょうもないヤツだなあ、と思いますから。

聖書の言葉を読みたい方はここから緑の字のところをとばして、
黒の字のところに行ってくださいね。


今日はというか、昨日はというか、
もう木曜日の未明になっていますが、
水曜日のつもりで書きますが、
最後の最後が自分が情けなくて、
もうその余韻でかなりイライラしてしまっています。


もうすぐ寝た方がいいのか、
もう誰かに話してすっきりしたいのですが、
この時間では・・・ということで、
ここに書きますけど・・・。


事の起こりは2日前にさかのぼりますが、
月曜日の夕方にハジからFort Leeの歯医者に来ていた自分に電話があって、
教科書をEdgewaterのBarnes & Nobleで探して欲しいと、
そういうことで、探しに行きました。
でも、品切れで、周りの店舗を探してくれるということで、
Hackensack店(うちに近い)にあるということで、そこに出向くことに。
でも、行ってみると、レジの後呂の棚に取ってあるはずのその本がない。
それでそこで「どこ行った?」と30分くらい待たされて、結局、
行き違いで、やはりその店にもなかったみたい。


1時間以上無駄足を食って疲れ果てたのですが、
それで、まあ、しょうがないということで、
私がNYに行く水曜日に買ってくればいいか、ということになったのでした。


で、今日ミッドタウンのB & Nで「な~んだ」と、簡単に見つけて、
夕方の6時頃に買って袋に入れて持っていたのでした。


で、今日の夜の予定も終わって10時頃。
10時20分のバスには間に合わないので、11時20分のバスに乗ることに。
でも、同じ時刻にLincoln Tunnel発とGeorge Washington Bridge発があるので、
10分ほど早く教会に着く(朝教会に車で行って、お祈りして、そして、車をおいてバスでNYに行っています)GWB発のバスに乗ろうと地下鉄に乗りました。


A Trainの急行電車の最終便くらいのヤツに乗って、
途中で水泳選手に襲われて、


zzz


気がついたら168丁目。


お、これ、乗り過ごしたらヤバイ、と思って降りたら、


あ、バス停は175丁目駅で降りるんだった・・・。


10分くらい待って次の電車が来なかったので、
電車が来ないと11時20分のバスに乗り遅れる、
それは大変だ、一駅分くらい歩こう・・・と立ち上がった時、
次の地下鉄が来た音がしました。


「おお、セーフ!」


ここまではよかったのです。


で、この後無事、一駅乗って、
GWB発のバスに乗って25分くらいで教会だ!と思っていたのですが、


気がついたら、


え、もう教会の前を通り越して、
500メートルくらい走ってしまっているじゃないですか。


今度はマジで乗り過ごしていました。
あわてて降りて、「しょうがないなあ、教会まで歩いて戻らなきゃ」と思った瞬間に気がついたのです。


買った本の袋がない・・・。


確かにバスに乗るまでは持っていました。


バスの中だ!


気がついて手を振って大声で叫びながら(夜の11時45分)追いかけたものの、
追いつくはずもなく、声が聞こえるはずもなく、真っ暗な中、サイドミラーに映る訳もなく、
無情にもバスは走っていってしまいました。


あわててうちに電話をして、
何とか、バスを捕まえてもらおうと思うも、
電話に出る人がいるわけもなく・・・。


「ああ、なんて馬鹿なんだ・・・」
とぼとぼと教会までの道を歩いていると、向こうから
Lincoln Tunnel発のバスが来るじゃないですか。
ああ、あっちに乗っていたら本を忘れることはなかったかもしれない・・・。


ま、明日の朝、NJ Transitに電話してみようとは思いますが、
まあ、たらい回しにされて、「ないよ」といわれるんじゃないかと、
かなりあきらめムードです。


火曜日からそのテキストを使っているそうです。
かわいそうなハジ。
でも、元はといえば、火曜日から使うテキストを月曜日の夕方に「探して!」と言ってくるアイツが悪い!ああ、あのバスの運転手とばしすぎだったよなあ!ああ、何で電話した時にだれも起きていないんだ!と、「まあ、よくここまで思いつくなあ」というほど次々と責任転嫁をしている自分にまた自己嫌悪。


まあ、なくなってしまっても、
また買い直すことができる18ドルの本だからそんなに大騒ぎすることでもないのですが、ホント情けなかったです。2時間経ってもまだため息が出ます。いつもは「神さまを見上げて!」ってみんなを励ましていますが、こんなことでイライラしてしまうなんて、そこでまた自己嫌悪です。


そうですね。日曜日にメッセージで語らせて頂いた通りですね。
自分のダメさ加減にばっかり目を留めていないで、
そんなわたしたちをも受け入れてくださって、
ひとり子を与えてくださった主に目を向けないといけないですね。


でもね~。あ~あ。


きりがないですから、

水曜日の聖書。
水曜日はサムエル記第二の最後。
24章の18-25節。


「費用もかけずに、私の神、主に、全焼のいけにえをささげたくありません。」24節。

「何でも使ってください」というアラウナの申し出は、
やはりうれしい話だったと思う。
でも、ダビデは神さまの前に悔い改め、礼拝をささげるために、
自分が痛みを覚えないで、
人の好意に甘えていて、
ささげものも何もないと思った。

わたしたちの献身もそうだと思いました。

痛みを感じないようなものは、
ほんとうにささげる意味があるんだろうかと思いました。

でも、いつも忘れてはいけない。
わたしたちの献身が神さまに喜ばれるものだなんて当たり前に思っちゃいけない。
そのためには神さまの方がひとり子イエスをわたしたちに与えてくださっている。
神さまの方が痛みを持ってわたしたちのために救いの道を開いてくださっている。

だから、わたしたちも自分の身に痛みを感じるような
ささげものをすることができる。
それを主が喜んで受け入れてくださることができる。
ただ、イエスの十字架の故に。

感謝。

主よ、
今日の夜の出来事では、ほんとうに自分の弱さを思わされます。
一つのことにイライラしてしまう自分の弱さを見せつけられます。
どうか、主がすべてを支配して、導いておられることを、
信頼して進んでいくことができますように。

2008-10-22

週末Stormと月末寒波。

今日はNY Dayです。
今朝は気温はそれほど低くなかったのですが、
風が強かったので、
ああ、これからこういう季節になるんだなあと思わされました。

週末のStormと月末の寒波、
両方とも微妙な予報が出ていますが、
25日土曜日夜を中心に雨で、
その後一度天気は回復するのですが、
28日の火曜日に寒気が入ってきて、
30日まで寒い、というシナリオを
GFSというコンピューターモデルが出してきています。


11月2日の「S word」は今のところ消えていますが、
このころ、Stormと寒気が両方来そうなので、
ありえない話ではないようです。


月曜日の夜だったでしょうか、
NHKの「プロフェッショナル」で、
小三治師匠が取り上げられていました ね。


お、100回目の拡大番組だったんですね。
確かにふさわしい内容でした。


お客さんを大切にしながら、
でも、お客さんに媚びない。
古典落語は本来面白いものが歴史を超えて残っているのだから、
面白くしようとしない。
淡々と語る中に、落語が本来持っているおもしろさが
表れるようにする。
ウケようとする、奇をてらうと、リズムが崩れる。


すごいな~と思いながら、
自分の生き方や、教会の礼拝のことも、
いろいろ考えさせられました。


もちろん、教会の礼拝のことは
「聖書に聞け!」なんですが・・・。


本来、一人一人が神の前に礼拝者として引き出される
そのような礼拝にお一人一人を招くのが、
牧師の使命であり、司会者、奏楽者、ソングリーダー、
そのほか奉仕者の使命なんですよね。


水谷せんせーのこの記事 にもいろいろ考えさせられ・・・
2週間ほど前から リトリートや礼拝、祈りの時の意味についても考えさせられ、


毎日が礼拝といわれますが、
その中心である日曜日の礼拝が、
真実な礼拝となりますようにと、祈らされています。


帰っていく人々の口から出る言葉が、
「今日のメッセンジャーはすばらしかった」ではなくて、
「神さまはほんとうにすばらしい」である時が
集会が祝福されたしるしだというお話をよくします。


そう、礼拝では人ではなく、神さまがほめたたえられることが大切です。


そういう話を教会の方々にして、「ああ、人をほめちゃダメだ、こういう時には『神さまはすばらしい』って言わなきゃ」と気付く方が起こされるのもいいのですが、それ以上に、そういう話はしなくても、いつの間にか、「ああ、神さま感謝します!」という心からの神さまへの賛美のあふれる礼拝となりますようにと願います。そのように人々を招くことができる牧師でありたいと思います。


さて、昨日の聖書。
昨日はサムエル記第二24章1-17節。


「ところで、王さまは、なぜ、このようなことを望まれるのですか。」3節。

人口調査をする、ということが、
どうして神の御思いに背いたことだったのか、
考えさせられました。

やはり王としての自分の実績を確認したかったのだろうか、
それによって軍事的に安泰であることを確認したかったのだろうか。

自分の教会の統計的な部分に対する思いをも探られているように感じました。
礼拝出席人数や洗礼を受けた人数によって、
自分の働きをはかってみたり、
教会会計の繰越残高の多さで経済的な安定感をはかってみたり、
いったいわたしたちは何を誇りとしたり、何を頼りにして、
歩んでいるのでしょうか?

一人一人を大切にする働きをさせて頂きたいと思いました。
そして、経済的にはやはり何よりも、
神さまご自身を頼りにして、
すべての必要を満たしてくださる神さまを信頼して、
歩んでいきたいと思いました。

主よ、
あなたを信頼します。
多くの人々を導いてくださることも祈りますが、
それ以上に、一人一人が神さまによって生かされ、
守られ、支えられていきますように。
そして、すべての道であなたを信頼して歩ませてください。
すべての必要を満たしてください。

また後でNYで。

今朝はなぜか1度で霜ではありませんでした。
ちょっと雲が広がったのでしょうか?

そして雨も、昼間ぱらぱらと降りました。
夜の予報だったんですがね。
で、その後風が強い一日でした。

明日はもうちょっと寒い、一日になりそうです。
昼間でも10度くらい。
東京の真冬です。

いろいろ書きたいこともあるのですが、
明日はNYなので、
早く寝て(あまり早くもないけど)、
NYの図書館から書きます。

2008-10-20

初霜だよ〜。


今朝の気温は何と0.2度。
しっかり車や芝生に霜が降りておりました。


これは朝6時前の車のサイドミラーに降りた霜。
ウィンドシールドっていうか、
フロントガラスっていうか、
車の前のガラスにもしっかり霜が降りていて、
ガリガリはがさなければいけません。






面倒くさがり屋の私は、
あんまり寒くないから大丈夫だ!って、
ウィンドウォッシャー液をかけながらワイパーを動かして、
逆に凍り付いちゃって、いつも後悔するんですよね。
今朝もそうでした。

でも、昼間にはまあまあ暖かくなりました。
今、夜の1時過ぎですが、3.3度。
明日の朝も霜ですね。


明日はちょっと暖かくなりますが、
夜にはにわか雨で、水曜日からはまたぐんと冷えます。


そしてついに天気予報に"S" wordが踊り始めました。早!
Accuweather.comでは11月2日にSnowが出ています。


11月2日といえば、教会では特別な礼拝。


楽しみにしております。
ニューヨークマラソンの日でもありますが、
すべてが守られますように。


さて、今日の聖書。
20日はサムエル記第二23:18-39でした。


「 あの三十人の中には次の者がいた。・・・」24節。

ここに名前の挙げられている30人あまりの者たち。
その働きは何だったかはあまりわからない人々が多いけれども、
それ以上に、無名の人々がいた。

いろんな事を考えさせられた。
自分は神さまにとってこの30人に入れて頂けるのだろうかとか、
いや、そんな名前が出なくてもいい、そう思わされたり、
また自分は自分を支えてくれている30人がいるだろうか、
そして、その人たちのことを覚えているだろうかと、
そして、また、そこには名前も覚えられない、表に出ない多くの人々がいる。

ほんとうにそのような名もない人々の働きこそ、大切なのだと、
そのような名ものない一人、でも忠実に仕える人の一人に入れて頂きたいと思わされました。

主よ、
感謝します。
たくさんの祈り手を与えてくださっていること。
多くの方々が支えてくださっていること。
そして、私もあなたに仕える者、
誰かに仕える者とならせてください。
だれにも注目されなくても、
クレジットの中に自分の名前がなくても、
喜んで仕える者とならせてください。

2008-10-19

絶対初霜宣言!

だから何?
といわれそうですが、
明日の朝は確実に初霜がおります。


今朝は予想を裏切って5度くらい。
でも、今夜は風も弱く雲もないので、
ぐんぐん下がってきています。


夜の11時で4度です。
ですから明日の朝は0度くらいまで下がって、
確実に「初霜」になります。


霜なんて、冬になったらほぼ毎朝、
車のフロントガラスをガリガリやらなければいけないので、
別に興奮するようなもんでもないのですが、
やっぱり「初物」は特別ですよね。


江戸っ子が「初鰹」を粋とするように、
「ボジョレ・ヌーボー」がもてはやされるように、
「初孫」がおじいちゃん、おばあちゃんに甘やかされるように、
「ドラクエIIIの発売初日」に1万人の行列ができたように(古っ)、
お天気ファンは「初霜」「初雪」「初氷」に熱くなります。


NYのマンハッタンとかはたぶんヒートアイランドで、
まだ霜は降りないのでは、と思いますが、
郊外の皆さんは見逃さないでくださいね。「初霜」。


今日の聖書。
今日はサムエル記第二23:8-17でした。


「すると三人の勇士は、ペリシテ人の陣営を突き抜けて、ベツレヘムの門にある井戸から水を汲み、それを携えてダビデのところに持って来た。」16節。

今日はこの3人の勇士の勇気と決断と、
王に対する命がけの愛と尊敬を思いめぐらしました。

私は私の王である神さまに対して、
このような勇気と決断を持って仕えているだろうか、
愛と尊敬を与えているだろうかと思いました。

命がけで、神さまに従っていないだろうか。

結局のところ、快適なところ、
Comfortableなところに逃げていないかと。

文字通り、神さまのために、いのちがけでしたがっていきたいと思います。
でも、そこまで考えた時に、今日の礼拝の中でも話しましたが、
ペテロの「あなたのためなら命でも捨てます」といいながら、
イエスを裏切ったことを思い出しました。

結局人間のがんばりはむなしい、限界があり、打ち砕かれる。

「あなたのためなら、命かけます」と言いながら、
ほんとうにそのようにできるかというと、
やっぱりペテロみたいに逃げ出してしまうかもしれない。

主よ、
わたしは弱い者です。
あのペテロみたいに、自分を守るために、
逃げ出すような者です。
でも、今日はダビデの三勇士の姿を読みながら、
私もそのように歩みたいと思いました。
あなたを見上げます。
自分の弱さの中であなたを見上げます。
私を強くしてくださるあなたの力によって、
何事でもすることができます。
感謝します。

今夜こそ初霜か!

今朝は結局、予想通り5度を切って、4.7度。
明け方になってぐんと冷えたんですね。


そして、今夜は今、夜の12時を回ったところで、すでに5.7度。
この秋最低は確実です。
そして、明日の朝はというか、今日の朝というか、7時間後の朝の気温は
3度以下に下がって、初霜になるのでは・・・と思います。
懸念は風。
ちょっと北東風が入るかもしれません。
だとすると初霜はまたお預けです。


明日もよく晴れますが、15度止まり。
決して暖かくはないですが、
秋晴れの気持ちのいい一日になるでしょう。


明日(というか、今日というか・・・)は日曜日ですので、
今日は睡魔が来たら、すぐに寝ようと思うのですが、
今日に限ってなかなか来ません。
まあ、まだやることがあるので、別にいいのですが、
あまり遅くなると明日の朝がボーっとしてしまうので、
そこそこで寝ておきたい。
元々朝型なので、朝の方が効率がいいはず。
で、今のうちに更新。


そして、早速土曜日の聖書。
土曜日はサムエル記第二の23:1-7。


「義をもって人を治める者、神を恐れて治める者」3節。

神を恐れて人を治める。
そのように自分もさせて頂きたいと思います。

神を恐れて、神に聞いて、
神から教えて頂いて、
神に学んで、
それで人々に接すること、

その中で人に伝わるものがあることを、
思わされます。

だから、人の知恵によらないで、
聖書を信頼して、
神の答えを求めて、
人に接していこうと思わされました。

でも、すぐ、忘れてしまいます。
どうか、朝与えられた言葉を、
一日心に留めながら歩めますように。

主よ、
あなたを恐れます。
あなたに従います。
人を恐れず、あなたを恐れて歩むものでありますように。