2006-04-01

主が建てられるのでなければ

昨日は24度。
今日は25度まで行きました。
朝も12度。
本当に暖かかったです。

そして、昼頃に雨。
ざーっと降って、あっという間に終わってしまいました。
もう終わりみたいですね。
今午後3時半。
明日も暖かいようです。
でも、昨日、今日みたいにはならないと思いますが・・・。
そして、火曜日はまた寒い日が帰って来るみたいです。
お気をつけて。

あ、明日からサマータイム。
今夜は1時間短いですね。
みんな礼拝に遅れなければいいけど。

で、聖書。
今日は詩篇120-136篇を読みました。
その中で心に留ったのは、127篇1節の言葉。
「主が建てられるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい」という言葉です。
主が建てられるからこそ、
主がその中心だからこそ、
それがすばらしい、ということ。
最近、どこかで読んだのか聞いたのか、
それとも夢に出てきたのか、
会堂を建てることよりも、
教会を建てることを大切にしよう、
ということを思わされています。
建物のためにももっともっと祈りたいと思います。
でも、それだけではなく、
いやそれ以上に
教会を建てあげていくことに心を配っていきたいと思います。
教会が教会である、
つまりキリストを頭とした一つの体として、
立てあげられていくために心を砕きたいと思います。
主がそれを守ってくださるように、
主がそれをささえて下さるように祈っていきたいと思います。

主よ、
教会を守ってください。
あなたの体として育ててください。
キリストの体としてください。
一つの体として、
血の通った体として
建て上げて下さい。
そして、教会堂を与えて下さい。
あなたが私たちの教会に会堂を与えて下さい。
あなたのご栄光を表し、
人々に仕えていくための、
人々に福音を伝えていくための
会堂を与えて下さい。

2006-03-31

御言葉が開かれる

いやあ、ほんとうに、NJに春が到来ですねー。
今日は最低気温が3度。
最高気温が24度でした。
昨日の最高が22度ですから、
ホントぽかぽかです。
家の中よりも外の方が暖かいです。

この調子で地面も暖かくなって、
水も温かくなってくれるといいですね。
ガス代。

この間芝生の種を部分的に蒔いた時に、
水をやっていて思ったのですが、
この時期の水道って、本当に冷たい。
種がびっくりするでしょうって。

そして、この冷たい水を温めて、
シャワーとか浴びているんだから、
ガス代かかるよなあ、って。

だから、早く水が温かくなって欲しいと思います。

今晩から明日はにわか雨や雷雨。
1週間ぶりの雨、
何週間ぶりかのまとまった雨でしょう。

雨の前には芝生の種を蒔くこと。
あんまりじゃーじゃー降っちゃうと流れちゃうから微妙なんですが、
今回は大丈夫でしょう。

で、聖書。
今日はお約束の詩篇119篇です。
この詩は詩篇の中でダントツに長い詩です。
176節まであります。
その中で今日、私の心に留ったのは、
130節の言葉です。

「御言葉が開かれると、光を放つ」

神様が御言葉を語ってくださる時に、
それは私たちの光となって、
私たちの目を開き、
私たちに希望を与えてくれます。
また生きる力を与えてくれます。
喜びを与えてくれます。

だから、もっともっと、
「御言葉が開かれる」
「御言葉が語られる」
「目が開かれる」
そのような経験をさせて頂きたいと思います。
そのためにもっともっとゆっくりと御言葉を味わって、
祈る時を持ちたいと思います。
時を聖別して、
待ち望んで、
語って頂いて、
立ち上がっていきたいと思いました。

主よ、
あなたが語ってください。
いつも聞く耳を持っていることができますように。
そして、時を聖別して、
聖書を開いて、
待ち望んで、
祈って過ごす時をもっともっと持つことができますように。
語る前に、
行動する前に、
とにかく聞く者としてください。




2006-03-30

隅の親石

今朝も冷え込みました。
0.7度でした。
まだ霜の危険がありますね。
でも、10時前で15度もあります。
昨日は19度まで行きましたが、
今日は20度超えるのは確実でしょう。
一気に木が芽吹いてきます。

でも、3月は雨が少なかったですね。
芝生を少しひっかいて新しく蒔く種が地面に届きやすくなるようにしたら、
はげているところはもう砂埃が立ちます。
このままもう遅霜はないと信じて、
芝生の種も蒔いてしまいます。
そして水まきです。

では、今日の聖書。
詩篇の115-118篇を読みました。
もう少し読みたい勢いだったのですが、
119篇にはいるとなかなか終わらないので、
明日にとっておきます。
心に留ったのは、
118:22の「家作りらの捨てた石が、隅の親石になった」という言葉。
新約聖書にもイエスのことを預言した言葉として、引用されている言葉だけれども、
それと共に、神様の目と私たちの目がいかに違うか、
ということを思わされた。
私たちの目で見て、役に立たないと思うようなものも、
主は用いてくださる。
自分の目で、自分などは役に立たないと思ったとしても、
主は用いてくださる。
主は私たちを用いて御業を行ってくださる。
だから、それを信じて、
大きく、大きく用いて頂きたいと思った。
大胆に用いて頂きたいと思った。
そして、私も大工の立場になったときに、
そのような目で人々が用いられていくのを期待していきたいと思った。
主の御業を見せて頂きたいと思った。
自分の目や、社会常識の目、そのようなものによって見ていくのではなく、
神様の目で見せて頂きたいと思った。

主よ、
私にあなたの目を与えてください。
あなたがごらんになっているように、社会を見る目を、
自分を見る目を、そして人々を見る目を与えてください。
そして、あなたの大きな御業を見る者としてください。
用いてください。
私を用いてください。
私の家族を用いてください。
教会の一人一人を用いてください。
一人一人につながっている多くの人々を用いてください。

2006-03-29

岩から流れ出す水

今朝は久しぶりの氷点下。
-0.4度まで下がりました。
でも、8時には6.3度。
15度を超えて、暖かい日になりそうです。

いろんなものが芽吹いてきました。
少しずつ花も咲いています。

おととい、昨日と、
レタス、なす、えんどう、ブロッコリーなどなど、
いろいろ種を蒔いて、
苗を作ろうとしていますが、
今年一番乗りで、芽を出した野菜が、
上の写真です。
これは何でしょう?
引っ越して来た時から自生していました。
もちろん、前に住んでいた方が、育てていたのでしょうが、
もう5年も毎年毎年芽を出します。
種が飛び散って広がってきているようにも見えます。
今年もたくさんお世話になることでしょう。

で、聖書。
朝が明るいので、
早く起きるのが全然苦ではありません。
でも、こんなことが言えるのは今週だけ。
今度の日曜日から、時間が1時間先に進んでいくので、
今の6時は5時ですよね。
来週は結構きつそうです。
で、今日読んだのは、詩篇の104-114篇。
114篇の最後の言葉が心に留りました。
「岩から水が流れる」
岩のような、水が出てくるわけがない、と見えるところから、
水が流れ出てくる。
私たちの歩みの中でも、
どうしてこんなことが起るのだろうという状況の中に、
本当の泉はあるのではないだろうかと思いました。
本当に豊かな泉というのは、
涙の中にあるのではないかと、
痛みの中にあるのではないかと。
でも、痛みの真ん中にいる時には、
「どうか、神様これを取りのけてください」
「早くトンネルを抜けさせてください」
と一生懸命なんですが。
でも、そのような祈りの中にこそ、
そのような真実な祈りの中にこそ、
ホンモノがあるのではないかと思います。
人間弱いもので、物事が順調な時には、
なかなか本気で祈らないんですよね。

問題が出てきた時に、
岩が前に立ちふさがった時に、
神様に本気で祈る。
本気でぶつかっていく。
そこで本当の私たちの命の泉である方に生かされることを経験する、
そうなんだと思います。

今、祈りの課題があります。
そのこと自体に感謝して、いきたいと思います。

主よ、
あなたを求めます。
あなたを待ち望みます。
あなたに祈れることを感謝します。
あなたが私の泉です。
私の喜びの源です。
どうか、私を満たしてください。
私を生かしてください。
あなたの喜びに、
あなたの与えてくださる豊かな命の水に、
生かされる者としてください。
私の祈りに答え、御業をなしてください。

2006-03-28

賛美する存在

今朝も朝は2度くらいまで下がったけれども、
もう朝の9時には10度近くまで上がっています。

昨日は結局あまりはかどりませんでしたが、
芝生の一部に生い茂った苔をはがして、
隅っこの方にたまった落ち葉を片づけて、
芝生の種まきの準備しました。

苔の庭とかもいいと思うのですが、
やはり周りから見ると、
「ちゃんと手入れしていない」となってしまうのでしょうか?
いや、苔もちゃんときれいに生やかそうとするなら、
やっぱりちゃんと手入れしなければいけないのでしょう。

今日の夕方も一仕事です。

これからの季節は夕方できた時間とか、
月曜日とかは、庭仕事かなあ。
と、いい夫を宣言して、自分にプレッシャーをかけておく。

で、今日の聖書は詩篇の93-104篇
その中で、心に留った言葉は102篇の19節(共同訳)
口語訳では18節なんだけれども、
訳され方はずいぶん違います。
ですからものすごく新鮮に感じたのだと思います。
私たちは賛美するために造られた。
神様をほめたたえるために造られた。
私を愛し、私のためにすべてを与えてくださった方を
賛美するために、
今も私と共に歩んでくださる方を賛美するために私は今も生かされている。

賛美は天国に行ってからも続くと言われます。
説教も祈りも天国に行ったらもうしない、
伝道もしない、
ただ、神様のすばらしさを賛美するのだといいます。

だから、この地上にあっても、
もっともっと賛美することを覚えたいと思います。
賛美することのすばらしさを知っていきたいと思います。
そのために造られたのですから。

主よ、
今日もあなたを賛美する者としてください。
あなたへの賛美が口をついて出てくるような歩みをさせてください。
あなたと共に歩む喜びを満たしてください。
喜びに溢れさせてください。
無理して賛美しなくても、
心から賛美が溢れてくるような者に、
私をしてください。

2006-03-27

主を賛美することは楽しい

今日は最低気温は2度くらいまで下がったけれども、
8時にはもう7度。
すっかり春です。

もう、何も言うことはありません。
今週は日ごとに暖かくなっていきます。

庭の手入れ日和です。
花粉、ホコリ対策をしっかりして、「やらなければ・・・」です。

今日は詩篇の88-92篇を読みました。
92篇の最初の言葉がいいですね。
「何と楽しいことであろうか、主に感謝をささげることは!」
日々、戦いがあります。
悩むこともあります。
でも、主に向かう時に、
主に目を向ける時に、
平安が与えられ、
目が開かれ、
立ち上がり、進んでいけます。
感謝が沸いてきます。
賛美が沸いてきます。

今までの歩みの中で、
落ち込んだ時に、
苦しい時に、
どれほど賛美で救われたことだろうか。
どれほど祈りの中で解決が与えられたことだろうか。
だから、やはり自分の日々の歩みの中で、
神に感謝をささげたり、
賛美をささげたりすることが、
本当に大切なことであり、
力であるかということを思わされます。

主よ、
今日もこのようにあなたに目を向けることができたことを、
あなたに賛美をささげ、感謝をささげることのすばらしさを
確認することができたことを、
感謝します。
あなたが今日も守ってください。
私は今日も支えられています。
どうか、弱さを覚えておられる方々、
祈る力や賛美する力さえ失ってしまった方々を、
どうか、守ってください。


2006-03-26

命の源

ここのところ、ちょっと更新の時間が遅いですね。
明日から、平常に戻します。

今日もやはり予想より暖かかったです。
11度くらいまでは行きました。
今も6度。
まあまあです。

これから先、どんどん、お天気ネタは、
なくなっていきます。
やはりお天気がエキサイトするのは、
冬ですよ。
春から秋は、まあね、という感じです。
Thunder stormは好きですが、
南部にいた時のようなエキサイトな感じはありません。
東京の方がワイルドでしょう。
バケツをひっくり返したような・・・というのがありますから・・・。

でも、今週はとにかく春めいてきます。
特に土曜日雨が降りますが、その前に南風が入って、
20度くらいまでいくと思います。

芝生の手入れはやはり明日だろうなあ。

今日の聖書は
詩篇の73-87編でした。
87編の最後の言葉、
「私の源はすべてあなたの中にある」
日本語として、あまり美しくはありませんが、
心に留る言葉です。
私の力の源、生きる元気の源は、
神様にある。
神様のうちにある。
他のものではなくて、
神様のうちにある。
他のものを喜びの源とするのではなくて、
神様を源とする歩み。

時々、自分も軸がずれていると感じる時があります。
正直なところ。
そんな時はやはりわかります。
自分でわかります。

そして、軸が戻された時、
神様が元気の源になった時、
ああ、ここに帰ってきたなあ、と思う。

神様、
あなたを人生の軸にして、
元気の源にして、
歩むことができることに心から感謝します。
どうか、あなたの命に、
あなたの元気に生かしてください。

私の軸をいつもいつもあなたに置くことができますように。
いつもあなたに立ち返ることができますように。