2009-10-31

神様のTreat

今日は本当になま暖かい天気でした。
そして、時々雨となりました。
風も強く、木々がどんどん葉っぱを落としていきます。


明日は雨も上がり、気温も今日よりは落ち着きそうです。
でも、火曜日くらいまでは暖かめの日が続きそうです。
助かります。


今夜は年に1回の1時間長い夜。
助かります。
調子に乗って夜更かししたら元も子もないのですが、
明日の朝が1時間遅いのは本当に嬉しいです。
毎日が25時間だったらいいのになあ・・・。


さて、今日は、Treat & Treat Party。
ハローウィンは元々、
「聖人の日」である11月1日の前の夜に、
次の日はおとなしくしていないといけない悪霊どもが、
最後の夜に大騒ぎをする、みたいな感覚の日。


なので、教会では時々、その代わりになる、
安心して楽しめるプログラムを考えます。


今年は、土曜日に練習のあるJOYJOYシンガーズの父兄の有志が発案。
私も準備の1週間日本にいたので、
完全お任せモードで楽しませて頂きました。


急に決まった企画だったこともあり、
決していつものJOYJOYプログラムと比べても、
参加者は多くなかったのですが、
楽しい集まりでした。


でも、trick or treatという決まり文句をもじった
このネーミングいいですね。


神様はいつもいつもわたしたちを豊かにTreatしてくださる!


さて、相変わらず1週間遅れですが、
先週土曜日、10月24日の聖書。
エレミヤ24:1-10。


「わたしは、良くするために彼らに目をかけて、彼らをこの国に帰らせ、彼らを建て直し、倒れないように植えて、もう引き抜かない。また、わたしは彼らに、わたしが主であることを知る心を与える。」6節。

バビロンに連れて行かれたイスラエルの人々。
それは本当に屈辱的であり、
また悲しいことであっただろう。
きついことであり、
神に見捨てられた、と感じたことがどれだけあっただろうか?

しかし、神は見捨てられていなかった。
いや、かえってバビロンに連れて行かれた者たちこそが
守られ、支えられ、その後に回復を与えられたのだ。

回復の約束が与えられている。

自分が経験する試練、痛み、困難、
このイスラエルの人々が経験した困難に比べると、
どれほど小さいかと思う。
でも、同じように、「どうして・・・」と思う。

主を信頼することを教えて頂きたい。
主を信頼して、回復を与えてくださることを、信頼して、
歩んでいこう。

主よ、
どうか、私が困難や試練の中でも、
あなたを信頼して歩むことができますように。
あなたの意図を信頼して、お任せして歩むことができますように。

2009-10-30

忠実であること。

今日はまあまあのいい天気でした。
10月の末ですから、寒くても全然文句は言えないのですが、
ちょっとジャケットを羽織れば大丈夫な、天気。


でも、これも後数日のようです。
明日は南風が入って暖かなにわか雨。


そして、来週の後半からはぐっと冷え込みそうです。


ここは「お金に糸目はつけない!」という人には関係ないのですし、
「だいたい、そんなのは使わない」という方にも関係ないのですが、
検索しても、完全に同じようなケースは少なかったし、
私も経験しないとわからないこともあったので、
自分の備忘録を兼ねて記録。
「関係ない!」と思う人は黒い字までスキップ。


さて、今回、1週間という短い滞在、そして、滞在先でEmailがどれほど見れるか、わからない状態だったので、AT&Tで契約している米国のiPhoneを日本で使ってみることにしてみました。


そうです。これは、アメリカで契約しても日本で使える便利なものなのです。
日本の電話番号にも、アメリカの電話番号にも国際電話であることを意識しないで電話することができます。(011)とか使わなくていいのです。
それにデータ通信もできますから、メールもネットもし放題です。
道に迷っても地図で自分の居場所がわかりますし、電車で行く時も、どこで乗り換えて、何時に着くか、簡単に調べられます。すごい、便利です。
でも、そこには恐ろしい落とし穴があります。


日本語でも「iPhone 高額請求」でググれば、たくさ~んヒットするのですが、
英語でも、このような記事があります。あとこちらは画像付き


そう、海外で使えるので、「便利、便利」と丸腰で使うと、あっとゆうまに何十万円(何千ドル)の請求書が来ることになります。交渉次第では減額してもらえることもあるようですが、それでもかなりの出費になります。


もちろん、電話でも長電話をしたらアウトです。
丸腰だと1分2ドル以上、少し安くなるサービス(有料)をお願いしても1分1ドル70セント取られます。
でも、そんなのはまだ序の口。


1時間話しても100ドル台です。


何千ドルにもなってしまうのは、データ通信をしてしまうから。
アメリカでは30ドル払ってデータ通信し放題。
そんな中で生活していますから、海外でも、同じノリで使ってしまう方がおられるんでしょうね。
地図を見ても、メールを読んでも、かな~りの量のデータ通信をします。
メールも文字だけならいいですが、
いろんな図が入っているメールとか、
また、ビデオ見たり、音楽をダウンロードなんかしたら、
大変なことです。


ですから、何千ドルだろうが、何万ドルだろうが、そんなの全然OK!というあなたは別として、
基本的に、海外に行く時には「データローミング」はオフ。
電話も受けない、住所録だけという時には「フライトモード」が基本で、
Wifiだけは使いたいなあという場合はWifiだけをオンにします。
(今年の3月の日本訪問の際はそのようにしました)
どうしても電話を使う時だけ、フライトモードをオフにすることになります。


でも、今回は、もうちょっと積極的に使おうと思っていたので、
電話のローミングが安くなるプランに入り、
またデータローミングのプランも検討しました。


4つのプランがあります。




  • $24.99/month: 20 MB 
  • $59.99/month: 50 MB 
  • $119.99/month: 100 MB 
  • $199.99/month: 200 MB 


それで、いろいろ自分の使い方を検討して、メールの受け取りは「手動」(これは絶対)、メールも「画像オフ」になるようにして、ちょっと高いと思いましたが、1週間で50MBあれば、あまり神経質にならないで使えるかな、と思い、それで契約をしました。


しかし、契約をしてわかったのは、契約は「月割り」ではなくて、「日割り」だったのです。
19日に契約をしたのですが、月の半ばだったので、金額も約半分ならば、データが使えるのも約半分。23MBしか使えません。23MBを超える分はもちろん、ものすごく高くなりますから、気軽には使えなくなります。帰ってきて、すぐに解約したら、また「日割り」になって、もっと少なくなってしまうでしょうね。ですから、今月の締めの日(11月5日くらいだったかな)までは、解約しないで待っています。でも、また締めの日にかちっと解約しないと来月分がまた請求されてしまう・・・ということなんだと思います。こんなことになるのだったら、もう一つ上の契約で、19日出発直前契約~27日帰国後即解約にしておくんだった・・・


でも、ホントにどんなことになっているかは請求書を見てみないと・・・です。来たら報告します。「え~!?」ということになっていなければいいのですが・・・。


あ、くれぐれも、すべては自己責任と言うことで・・・「あなたのブログを見て、こういう契約をしたけど、こんだけ請求された。コレはあなたのせいだ」みたいな話はなしにして下さい。念のため。



さて、先週金曜日、10月23日の聖書。
エレミヤ23:23-40。


「夢を見る預言者は夢を述べるがよい。しかし、わたしのことばを聞く者は、わたしのことばを忠実に語らなければならない。麦はわらと何のかかわりがあろうか。」28節。


神様の言葉を忠実に語る。
主が導かれたように、主が語られたように語る。


派手に語りたいという誘惑もあるだろう。
反対に、人々の顔色が怖くて、はっきりと語れない時もあるだろう。
だから、だからこそ、忠実さが問われているんだと思う。
何の誘惑も、何の恐れもないような状況の中では、
忠実さなんて、そんな問題にもならない。


でも、わたしたちの歩みの中で、
いや、わたしたちと言うよりも、私自身の歩みの中で、
どれだけ誘惑があり、
どれだけ恐れるような場面があるか、
性格的に、何の誘惑にも揺るがない、
何の恐れも感じない者だったら、
「忠実さ」なんてのは、当然のことだっただろう。


でも、そこに闘いを感じる者だから、
そこに闘いを感じる状況だから、
「忠実さ」が問われているのだと思う。


ここ一番の御言葉に対する忠実さ、
持ちなさい、と言われているように感じました。


主よ、
あなたの御言葉に忠実な者とならせて下さい。
あなたが語られたことを勇気をもって誠実に語らせて下さい。
恐れを感じる時にこそ、誘惑を感じる時にこそ、
「忠実」という言葉を思い出させて下さい。





    2009-10-29

    政治ってのは難しいんだろうなあ。


    今日はいい天気になりました。
    やっぱり太陽の光は嬉しいものです。


    そういえば、今度の日曜日にDaylight Saving Timeが終わります。
    1時間時計を戻します。
    つまり、今の7時が、日曜日からの6時。
    夕方が暗くなるのが早いですが、
    朝が明るくなるのは嬉しいです。


    明日も晴れて気持ちのいい天気になりそうです。


    昨日はマンハッタンの日米合同教会の地下で持たれている
    原爆展を見に行きました。
    このようなものをNJの教会でもできればいいのですが、
    さすがに借りている教会では難しいだろうなあと思います。


    主にその悲惨さをアピールするものだったのですが、
    いろいろな記述の中には、
    アメリカの立場も書かれていました。


    つまり、
    開発の段階・・・研究で先を進んでいたナチス・ドイツの手で開発される前に。
    使用の段階・・・戦後の日本にソ連の影響力が及ぶようになる前に。
    やむを得ない決断だったのだ・・・


    ということがあったようです。
    また、「沖縄戦に決着がついた段階でもポツダム宣言を受諾しない日本に対して、原爆を用いないと日本本土での地上戦に進み、日米双方に大きな犠牲を産むことになりかねない」という懸念もあったというのもよく聞きます。沖縄戦の悲惨さを考えると、それもあながち杞憂ではなかったのでは・・・と思わされます。


    政治家は本当に難しい判断を迫られる場面があるんだと思います。
    単なるPopulismではどうにもならない、
    嫌われようが、非難されようが、決断しなければならない時がある。


    でも、その一方で、その政治的な決断の狭間で、
    何十万人の人が、今の自分たちと本質的には余り変わらない生活をしていた、
    もちろん「アメリカが攻めてきたら竹槍で応戦する」と息巻いていた人々もいたでしょうが、それは、また日本の政治家達にそのように教えられてきたわけで、本質的にはわたしたちと変わらないそんな人々があっという間に命を落とした、そのことの大きさにも心が痛みます。


    でも、ここの国に住んでいると、
    あまりに知らされていなさすぎる。


    ちょうど、日本で、日本軍がどれほどのことをアジアの国々の人々にしてきたかということが余り知られていないように、ここでも、同じことが起こっているように思います。数年前に最後に家族で日本に行った時には子供たちもみんな連れて、広島に行って来ました。アメリカで子育てをしているからこそ、どうしても彼らを連れて行かなければいけないと思ったのです。


    別に日本で生まれ育った私には原爆故にアメリカを恨んだりすることは考えられません。戦争の悲惨さは感じますが、「どうしてこんな兵器を使ったんだ」と怒りを感じたことはありません。反対に、ここまでアメリカの国がやらなければならないほど、日本は愚かだったのか、という風に感じることが多かったです。(そういう感じ方が正しいのかどうかはわかりませんが・・・)


    だから、価値判断は別として、誰に責任が・・・みたいな話は別として、とにかく、どんなことがその原爆が落とされたところでは起こったのか、知って欲しいと思います。


    世界が小さくなったこの時代、もっともっといろいろな情報が、スムーズに流れたらいいのに、もっと規模の大きな展示ができればいいのに・・・あまりにも来訪する人々が少ない(私がそこにいた30分くらいの間に他に一人の日本の方が来られただけでした)会場でそんなことを思わされました。


    11月8日まで。
    1:00-5:00pm
    但し火曜日は休み。
    だそうです。


    でも、それでは余りに来れる人が限られているのでは、
    という話で、もう少し夕方の時間が延びるかもしれません。


    長くなりましたが、10月22日(木)の聖書。
    エレミヤ23:9-22でした。


    「もし彼らがわたしの会議に連なったのなら、彼らはわたしの民にわたしのことばを聞かせ、民をその悪の道から、その悪い行いから立ち返らせたであろうに。」22節。

    趙先生も礼拝メッセージの中で言われていましたが、
    わたしたちが神様との会議に出席することの大切さ、
    つまり、祈りの生活の大切さを思わされました。

    人間同士の会議は延々とするわたしたち。
    でも、主との会議は「起きられなかった」「眠くなった」「そんな気にならなかった」「忙しかった」といとも簡単にキャンセルしてしまうことがどれほど多いことでしょうか?

    でも、人間同士の会議をちょっと休んででも、
    神様の会議に出席しなければならないことがどれほどあるかと思います。

    主の前に、人間同士の会議を持ち出さなければいけないと思います。
    主の会議の素晴らしさを知ることができますように。

    主よ、
    あなたとの会議を何度も何度もすっぽかしてごめんなさい。
    どうか、あなたとの会議で決めなければならないこと、
    そこで決めることができますように。
    あなたのみ思いを知ることができますように。

    2009-10-28

    銀杏。

    今日は一日雨でしたねえ。
    夕方止んだのですが、また夜に降ってきました。
    でも、明日は大丈夫でしょう。
    たぶんいい天気になると思います。


    今日はNYの日だったので、
    朝から夜までNYに出ていました。
    PCを持ち歩くのはちょっとしんどいので、
    今日はPCなし・・・。
    で、更新が遅くなりました。


    今週から来週いっぱいのNYでの原爆展、行ってきたのですが、
    また明日にでもゆっくり書きます。


    今日の午後は、珍しいことなのですが、
    Brooklynに用事があって行ってきました。
    そして、駅までの帰り道、
    雨の中で、持っていたものをうっかり落として、
    ついでにそれを自分で踏んづけるという、
    ありがちな、「踏んだり蹴ったり」のへまをやらかしたところが、
    なんと、アメリカでは滅多に出会わない、銀杏の木の下。
    折しも秋10月末、芳香を放つ銀杏の実が落ちているところ。
    思いっきり臭くなりました。


    「泣き面に蜂」というか、「弱り目に祟り目」というか、
    広いNYで、確率的にあり得ないだろう・・・みたいなことがあるんですよねえ。


    雨の日+銀杏+手に持っているものを落とす+自分でそれを踏む
    なんて、すごいですよね。
    でも、思いっきり飛躍しますが、
    だいたい、自分の存在自体が、ものすごい低い確率なのに、
    ここに存在していることがすごい。
    両親が出会う確率。
    そして、両親の中にある二つの自分の元になる遺伝子が合体する確率。
    「金八先生」みたいですが、
    本当に特別な特別な者として、ここにいることに、心から感謝します。


    でも・・・これで、たとえば車で来ていたら、
    銀杏の実を拾って帰って、
    「ただでは転ばない」という根性を見せたかったのですが、
    さすがに、銀杏拾ってNYの地下鉄に乗る勇気もございませんで。


    でも、いいことを知りました。
    今度行く時は是非、車で、それもビニール袋持参で参りましょう。


    さて、昨日うっかりとばした先週の火曜日、20日の聖書。
    20日はエレミヤ22:20-30。


    「あなたが繁栄していたときに、わたしはあなたに語りかけたが、あなたは『私は聞かない』と言った。わたしの声に聞き従わないということ、これが、若いころからのあなたの生き方だった。」21節。

    すべてが順調に思えたころ、
    神に聞くことが少なかった。
    今ほど真剣に聞いてはいなかったように思う。

    問題が起こって、初めて、神様の声を必死で聞く。
    困った時の神頼みは、決して、クリスチャンも無縁ではない。

    苦しみにあったことは、私にとってとてもよいことでした。
    そのように詩篇の119篇を歌った人は言っています。
    本当にそうだなあと思います。

    苦しみがなかったら、
    こんなに人生に対して真剣だっただろうか?
    神様に対して真剣だっただろうか?
    周りの人に対して真剣だっただろうか?

    だから、これから襲ってくるだろう、もっとシビアな、
    もっと重大な苦しみに対しても、
    同じように言える者でありたい。

    そして、平安がある時にも、
    いつもいつも主に聞いて歩んでいく者でありたい。

    主よ、
    あなたの試練に感謝します。
    あなたが与えてくださる苦しみの故に、
    私はあなたに対して、
    人生に対して、
    周りの人に対して、
    真剣に歩めるのだと思います。
    どうか、いつもいつもあなたの声を聞いて歩む者でありますように。

    2009-10-27

    縁もゆかりも・・・。

    台風一過の青空の東京を後にして、
    雨のNJに帰ってきました。
    明日も一日雨のようです。
    最高気温も10度止まり。
    寒いくらいの一日になりそうです。


    今回、燃料費が加算されるタイミングの問題で、
    ものすごい久しぶりにJALを使いました。
    よかったですよ。
    Landingも見事でしたし、
    サービスも気持ちよかったですし・・・。


    そして、機内映画、今は一人一人
    タイミングを自分で決めてみることができるのですが、
    日本語での選択の幅が広いですね。
    行きは眠れなくて、何本も見てしまいました。


    その中で、やばかったのが、
    「ALWAYS・三丁目の夕日」。
    飛行機の中にもかかわらず、
    危なく嗚咽を漏らしそうになりました。


    いえ、私が知っている東京よりも10年以上古いんで、
    「ああ、そうだったよねえ」みたいなのは、
    都電くらい(自分の頃は20円だったと思う)です。
    「テレビが来る」と大騒ぎしたこともないですし、
    ナマの力道山も知りません。
    SLが走っていたのはもう地方だけだったような・・・。


    でも、DR. コトーでおなじみの吉岡君の
    「縁もゆかりも・・・」のセリフにはぐっと来ました。
    「やばい、制作者のねらいにはまっている・・・」と思いながら、
    声が出るのを押さえるのに必死でした。


    主がわたしたちを愛してくださっていること、
    受け入れてくださっていること、
    それはどれほど大きなことなのかと思います。
    わたしたちは神様に造られ、生かされているのですから。


    今度「続」も見なきゃ、です。


    さて、先週火曜日、21日の聖書。
    エレミヤ23:1-8。


    「しかし、わたしは、わたしの群れの残りの者を、わたしが追い散らしたすべての国から集め、もとの牧場に帰らせる。彼らは多くの子を生んでふえよう。わたしは彼らの上に牧者たちを立て、彼らを牧させる。彼らは二度と恐れることなく、おののくことなく、失われることもない。」3-4節。

    主の与えてくださる回復。
    それは恐れることもない、おののくこともない、失われることもない回復。
    主の守りの中に入れられて、
    支えられ、生かされる回復。
    それが与えられていること、
    約束されていることがどれほど幸いなことかと思う。

    確かに、自分はこれが与えられていると思う。
    そのように言うことができる。
    主が支えてくださっているから、生きていける、歩んでいける。
    いろいろな悩みや痛みの中でも、
    立っていくことができる。
    その幸いにもっともっと生きていこうと思う。

    主よ、
    あなたがいてくださるから、
    あなたが守ってくださるから、
    あなたが支えてくださるから、
    ありがとうございます。
    そこに立っていくことができますように。
    これからもずっと立っていくことができますように。


    それを証していく者でありますように。

    2009-10-26

    台風一過。

    昨日は台風が南海上を通ったので、一日雨でしたが、今日はすかっと晴れ
    ていい天気になりました。

    あと一時間ほどで、飛行機です。

    今回は、本当にあっという間の一週間でした。

    守ってくださった主に感謝。

    かきごおり

    2009-10-25

    人を愛することと神を愛すること。

    いつから通常の更新に戻れるかわかりませんが、
    とりあえず、少しずつ追いかけていこうと思います。

    土曜日の夜から昨日の昼頃までは雨。
    そして、今日も雨です。
    南海上を台風20号が駆け抜けていきますので、
    時々、雨脚が強くなると思います。


    NJも戻る火曜日は雨みたいですね。
    そして、翌水曜日は一日NYですが、その日の予報も雨。
    一週間守られた分だけ、雨が着いてきそうです。


    さて、先週月曜日、19日の聖書。
    エレミヤ書22:10-19。


    「彼はしいたげられた人、貧しい人の訴えをさばき、そのとき、彼は幸福だった。それが、わたしを知ることではなかったのか。」16節。

    人を愛すること、
    声を挙げられない人の叫びを聞くこと、
    それが神を知ることなのだとエレミヤは言うのです。

    わたしたちは神を愛することと人を愛することを、
    対立的に受け止めることがあります。
    もちろん、人ばかりに目がいって、神様が見えなくなってしまう危険はあるでしょう。
    昨日のメッセージのように、
    人と話し合うことばかりに時間と精力を使って、
    神様と語り合うことをおろそかにしてはいけないと思います。

    しかし、ここでは、人を愛することが神を知ることなのだと言われるのです。

    やはり人のいないところでは神を知ることはできない、
    人との関係を大切にしない中で、神様を経験することはできない。

    もっともっと人を愛し、人と関わることを大切にしたいと思いました。

    主よ、
    人を大切にする者でありますように。
    人に仕える者となれますように。
    その中であなたとの関係がもっともっと豊かにされますように。

    今日の礼拝から。

    「人との会議を大切にして、神との会議(祈りの一時)をキャンセルしていないか?」(趙南洙師)

    無事終了。

    皆さんのお祈りに感謝します。
    5日間のセミナーを終えてほっと一息です。

    主がここに導いてくださったことを思わされます。

    特に、今日の礼拝後、ひとりの方とお茶を飲みながら、
    お話ししたこと、伺ったお証し、
    伝道者としての歩みにものすごいインパクトを与えるものでした。

    NJに戻るのが本当に楽しみです。