2008-02-02

日曜日は雪?

さて、日本は、土曜日が終わりました。
もうあと10時間ほどで礼拝の時間です。

早く休まなければ・・・。

今日も寒~い一日でした。
朝は2度くらい。昼間は7度くらい。

でも、何なんでしょう。

絶対にNJより暖かいはずなんですが、
ダメなんですよねえ、寒いんです。

ヤバイです。3日目で。

ああ、情けない。NJで甘やかされていたのでしょうか。
たぶん、慣れなんでしょうね。
帰る頃には「こんなの屁でもない」と豪語していたりするんでしょうか。

日曜日は雪の予報。
今、夜中の1時頃ですが、外を見たら、雨が降っています。
気温は3度くらいのようです。
朝には雪に変わっているでしょう。

でも、明日、深川までこられる方々の足が守られますように。

今日は午後は田町で、夜は中野でそれぞれ集会がありました。
子供たちも含めて、あわせて20人くらいの方々が集まられました。

一人一人の御様子をお伺いして、
本当に日本に帰られた方々のために
祈り続けることの大切さを思わされました。

「この方は教会につながっているから大丈夫」
「この方は信仰がしっかりしているから大丈夫」

そんなことは決して言えないのだと。

本当に祈りで支えることの大切さ、
また、聖書を中心とした交わりにつながることの大切さを思わされます。

今日の2つの集会を守り祝福してくださった、
神様に心から感謝。

たくさんの、「来られなかった方々」にも守りを祈ります。

さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書9章51-62節。

「イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ・・・」51節。

昨日と同じようなことですが、
イエスの目が十字架に向かって
まっすぐ向いていたことに感動を覚えます。

人々の賞賛の声、
こちらに来てほしいという期待の声、
それがかなえられなかった時にそれが非難と変わった声、
それらすべてにイエスは振り回されることなく、
まっすぐに十字架を見ていたのでした。

私もそのような者でいたいと思いました。

どこまでも主の僕、
どこまでも、自分の十字架を負って従っていく、
そのような者でありたいと思います。

主よ、
どうか、私の見るものを導いてください。
私の目の焦点がいつもわたしに与えられた十字架に合っていますように。
どうか、そこに顔を向けて歩むことができますように。
どうか、見るべきものを見ていくことができますように。

一人一人の歩みを守ってください。
どうか、必要な励ましを与え、
必要な出会いを与えてください。

明日の日曜日の礼拝を豊かに祝福してください。

2008-02-01

イエスの見つめていたもの

今日はさむーい一日でした。
朝は1度くらい、昼間も8度くらい。
絶対NJの方が寒いんでしょうが、
外を歩く時間は長いし、
建物の中でも、人がいるところは暖房が入っていても、
「廊下」は寒かったりします。
だから、印象としては、「助けて~」と思うくらい、寒い。

そんな中で、気がついたこといくつか・・・。

冬は「着ぶくれラッシュ」。
冬の日本はたぶん7年ぶり。
夏に帰った時よりも電車が混んでいます。
でも、たぶんこれは「着ぶくれラッシュ」。
本当に夏よりも2-3割体積が大きいですよね。
胸が押しつぶされるかと思いました。

忘れていた日本・・・ってかんじですが、
今日、木場の駅前で、ポケットティッシュをもらってしまいました。
日本ではポケットティッシュって買わなくていいんですよね。
これは助かります。
「ああ、忘れてた」って、一人でにやにやして、怪しいおじさんをしていました。

今日、東村山の教団本部に行って、
いろんな方にお会いしたのですが、
そのあと、
結構近くに住んでおられる
元JCCNJの方にお会いしました。

とてもいい一時を持ちました。

皆さんの祈りが聞かれていることを感じます。

さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書9章37-50節でした。

『人々はみな、神のご威光に驚嘆した。 イエスのなさったすべてのことに、人々がみな驚いていると、イエスは弟子たちにこう言われた。 「このことばを、しっかりと耳に入れておきなさい。人の子は、いまに人々の手に渡されます。」』43-44節

人々が驚いている時に、
イエスは弟子たちに向かって、
まるでタイミングを計ったかのように、
人々が驚嘆しているからこそ、という感じで、
「私は人々の手に渡される」と語られたかのようです。

人々の「すごーい」という声の中で、
その声を喜ぶのではなく、
全く違った方向を向いておられたイエスの姿を
思わされます。

十字架を見つめておられたイエスの姿を思わされます。

自分は何を見ているだろうか、
どこに視線を向けているだろうか、

見るべきものを見ていきたいと思いました。

主よ、
あなたを見つめて歩ませてください。
私が違うところに目を向けるのではなく、
十字架を見つめて歩ませてください。
恐れるのではなく、愛する者としてください。

2008-01-31

いのり。

いやあ、やっぱりね、という感じです。
だいたい、日本到着の最初の夜はこんなもん・・・。
12時に寝て2時半には目が覚めてしまいました。
そして、布団の中に入っていられなくて、ごそごそ・・・。

昨日、滞在拠点の木場深川キリスト教会のに着いたのが、
5時過ぎ。
そのあと、メールをチェックして、
夕食をいただいて、
そのあと、木曜日の夜なので、祈り会。

日本の教会は特に新しい教会を別にすると、
余り元気がないとか、閉塞感があるとか、よく言われますが、
どうしてどうして、祈り会が元気な教会には励まされます。

昨日も、昼間も10人くらいご婦人が集まられたようですが、
夜も自分を入れて8名。
毎回帰るたびに、新しい方が増えています。
来週伺う大阪一麦教会も、祈り会の元気な励まされる教会です。

アメリカで、「新しい方々に開かれた教会」を意識している教会に人が集まり、
伝統的な教会には高齢化が進んでいるといわれますが、
そんな中で、「祈り中心」という一見伝統的なスタンスを貫きながら、
多くの人が集っているのが、よくここにも出てくるBrooklyn Tabernacle。

ここの牧師さんは祈り会のことを「Spiritual ER・・・霊的な救命救急」と呼びます。

そこで取り扱われるのは、命に関わる問題だからです。
「永遠の命」に関わることだからです。

そして、麻薬中毒やアルコール中毒の人たちも、
ふらふらと教会の祈り会に引き寄せられて、
何の「新しい方への配慮」みたいなものもない、そのような集まりの中で、
救われていくのです。

そのような主の御業を見せて頂きたいと思いました。

そう、祈りということで、この間の礼拝の中で、
祈って頂きましたが、(2部の方だけでした。1部の方は初めての話ですが)

聖書学院時代共に学んだ、水戸の高橋泉先生が、
この間の日曜日に倒れられたと
ニュースが入ってきました。
私と同年代の牧師夫人です。

その時は「倒れて、意識不明」としかわからなかったのですが、

シドニーの小林献宣教師のブログに詳細が載っています。

第1報
第2報
第3報
第4報

最初は心拍停止の危機的な状況で、
脳へのダメージも心配されましたが、
回復に向かっておられるようです。

お祈りに感謝します。続けてお祈り下さい。

さて、1月31日、昨日の聖書。
ルカによる福音書9章28-36節。

「彼の言うことを聞きなさい」35節。

栄光に輝くイエスの姿、そしてモーセとエリヤの姿を見て、
ペテロは「ああしましょう、こうしましょう」とはしゃいでいました。

でも、そんな彼に対する神のメッセージは、
「聞きなさい」でした。

自分にとってもそれがいかに大切かと思わされます。
今回もバタバタと走り回るようなことにならないようにと、
戒められたように思いました。

主の前に静まり、
主に聞きながら、導きを求めながら
進んでいきたいと思います。

落ち着いて、前進していこうと思います。

主よ、
御言葉に感謝します。
戒めの言葉に感謝します。
どうか、あなたに聞きながら歩む者でありますように。
あなたの前に静まって聞く者でありますように。

とうちゃく。

無事着きました!
何年ぶりでしょうか、東京の冬。
今日は冬らしい、北風の吹く、寒い日でした。
10度くらいなんですが、風のせいか、
気分のせいか、寒く感じます。
明日はもうワンランク寒くなるようです。

このあとは30日、機上でのコメント・・・。

夕方の5時。
出発してから6時間が経ちました。
そろそろ中間地点です。
だいたい、飛行機では眠れないのですが、
今日もここまでであわせて30分くらいだと思います。

今回初めて近くから出ているNewark Airport行きの
Shuttleというのを使いました。
ラクチンですね。
ちょうど子供たちが学校に行く時間帯なので、
Airportまで送ってもらうのも難しいし、
リムジンの3分の1くらいの値段ですむし・・・。

そして、着いたのは出発の3時間前。
航空会社のHPにそう書いてあったから、なんですが、
そんなに必要ありませんでした。
もう1時間ゆっくりできたかなあ、という感じです。

でも、おかげで、チェックインの時に
「席替えますか?一番前の席が空いていますよ」と言われました。
もちろんエコノミーの一番前ってことですが、
ここは前に座席がないから、足の周りがとっても広々としています。
通路側に座ったのですが、奥の方が出たい時にも、
立ち上がる必要がありません。
前の人のが席を倒して、圧迫感を感じることもありません。

すぐ前がビジネスクラスで、うらやましく思うかと思いましたが、
そんなに気になりません。

ビジネスといえば、何年か前にこの時期に日本に行った時に、
帰りの便が日本の大学生の卒業旅行らしい若者たちでいっぱいで、
ビジネスに回されたことがありますが、
その快適さと言ったら、もう空の旅のイメージが100パーセント変わってしまうモノでした。

でも、今日のこの席もいいです。

ラッキーです。

それでも、余り眠れませんが・・・。

さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書の9章18-27節でした。

「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。」24節の言葉です。


自分を捨てる、自分の命を失う・・・ということに心が留りました。
どういうことなんだろうかと。

コロンバイン高校銃乱射事件の犠牲者レイチェル・スコットのお父さんは、
娘は文字通り、信仰ゆえに命を奪われたけれども、
ふつう、私たちはこれを「installment plan」で払っていると、言っていました。
訳すと「分割払い」。

その分割された中で大きなモノは、「プライド」なのかな、と。

屈辱的なこと、侮辱されること、
本当につらいことです。
でも、そこに捕らわれていては、
そこにこだわっていては、
主に従っている者とは言えない。

そこにこだわっていては命を得ることはできない。

そのことを痛切に感じました。

そして、自分が進んでそうすることができないから、
主はその訓練を与えられるのだと思います。
必要な訓練を与えられるのだと感じました。

「ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分をあらわしている。」(第2コリント6:8)と言える者となりたいと思いました。

主よ、
あなたは私のために屈辱を受けて下さいました。
人々は考えられる最大の侮辱をあなたに与えました。
そのおかげで、私は今生かされているのに、
救われているのに、
何と、自分のプライドにしがみついている者でしょうか。
どうか、あなたの足跡に従っていく者でありますように。
自分を捨てる、ということがどういうことなのか、
もっともっと経験することができますように。

2008-01-29

主によって満腹。

今日は朝は-5度くらいとやはり寒かったですが、
昼間はぐっと冷え込みがゆるんで、
過ごしやすい一日でした。
午後からは雨がパラパラ。
でも、本降りになることがなく、夜になりました。

明日は朝は雨で、
そのあと晴れてきますが、
風が強いでしょう。

と、ちょっと投げやりな天気情報ですが、
明日の朝、日本に出発するので、
赦してください。

明日の東京は晴れで夜は1度まで冷えるそうです。
でも、日本って、思ったより寒く感じるんだろうなあ。

お祈りお願いします。
一つ一つの出会いの中に、
語り合い、祈り合いの中に、
主の祝福が豊かにありますように。
「ああ、聖霊様が働いてくださったなあ」ということが起こりますように。

今日の火曜礼拝は、7人の方々が集まりました。
そのうち、私以外の6人の方々は、いろいろな事情で、
日曜日に来られなかった方。
始まって4ヶ月なのですが、その場が用いられていることに感謝。

さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書9章1-17節。

「人々はみな、食べて満腹した。」17節の言葉です。

そんな、5つのパンと2匹の魚で5000人の人が満腹するなんて、
そんなことはあり得ない。

ちょうど、私たちの手の中にあるもので、
多くの人々が満たされることが「あり得ない」ように。

私のような存在が用いられることが「あり得ない」ように。

ただ、主の恵みであり、
主のご自由な働きであり、
主の御力なんですね。

そのような御業を見せて頂きたいと思います。
主が私たちがささげるものを用いて、
多くの人々を満たしてくださるのを、経験したいと思います。

そのために、私が主の元に持っていくべき、
5つのパンと2匹の魚は何だろうかと思いました。

思いめぐらしました。

自分自身なんだろうと思います。
砕かれ、整えられることを恐れないで、
自分の「夢」として「私を用いてください」ではなくて、
神様のご自由に私を用いてください、というのが大切なんだろうと思います。

主よ、
私自身をささげます。
自分の夢の実現を求める者ではなくて、
あなたのなされるところに従順に従っていく、
そのような思いで歩めますように。
本当の意味で自分をささげることができますように。

日本滞在中は更新は不定期です。
とりあえず、次回は日本時間で木曜日の夜が目標。
・・・つまりNJは昼前かな。

2008-01-28

泣かなくてもよい

今日はちょっとは暖かくなったのですが、
そんなことは余り感じないですねえ。
朝は-4度くらい。
そして昼間は、5.7度まで上がりました。

でもなんだか「暖かい」って言うんじゃないんですよねえ。
さすがに1月下旬です。

今は夜の12時で-2.4度。
明日の朝はまた-5度くらいでしょう。

そして、明日の午後には雨。
そう、雪じゃなくて雨。
不思議ですねえ。

今年は本当に降る時は「雨がメイン」
明後日の朝まで続きますが、雨です。
助かります。
明後日の朝、日本に発ちますので、
雪じゃなくてよかったです。
そして着く日の東京は晴れ!

先ほども、日本に帰国されて3年くらいの方と電話でおはなししましたが、
お会いできるのが楽しみです。
一つ一つの出会いが、神様の方にお互いの目が向けられるような
そんな一時となりますように。

さて、今日の聖書。
今日はルカ8章40-56節でした。

「泣かなくてもよい。死んだのではない。眠っているのです。」
52節の言葉です。

この言葉を読みながら、
先に主の元に召されていった方々のことを思わされていました。

主の元に召された、という感覚が強くて、
眠っている、ということは余り考えたことがありませんでしたが、
今日、ここを読んでいる中で、
また「日々のみことば」の解説を読んでいる中で、
先に主の元に召されて行かれた方々のことを、
「ああ、眠っておられるんだ、休んでおられるんだ」ということを思わされました。

主の復活の勝利によって、死は骨抜きにされて、
力を失っている。
私たちの目には死んでいるように見えても、
それは主にあっては眠っておられるだけなんだと。

そして、「泣かなくてもよい」という言葉が、
主からの励ましとして聞こえてきました。
「泣かなくていいんだ」と思わされました。

私が歩んできた中で、
「どうして・・・」と思わされるいくつもの、あまりにも早すぎる死。
でも、今日「泣かなくてもよい」と主から語られて、
そうだ、「あまりに早すぎる」というのを止めようと思いました。
それさえも、私の主観的な判断に過ぎないんだと気がつかされました。

主のなさることを信頼していこうと思います。

主よ、
「泣かなくてもよい」とのあなたの言葉に感謝します。
あなたの与えてくださる平安に感謝します。
もう、泣くのを止めようと思います。
主よ、眠られた信仰の先輩たちが、
この世の終わりに起きられる時に、私もそれを共に喜ぶことができるように、
私の信仰の歩みを守ってください。


主が帰られる・・・

日付変わってしまいましたが、
27日のつもりで書きます。

今日も寒い一日でした。
なんだか、今年は雪は降らないのですが、
そこそこ寒い日が多いというか、
「底冷え」の日が多いと思います。

「底冷え」って何かといわれると困るような、
主観的なことなんですが、
とにかく足元が冷えるやつですよね・・・。
ま、いつもですが・・・。

今、夜の1時半で-2.1度。
朝はちょっと冷えて-5度くらいだと思います。

で、明日は気持ちよく晴れて5度くらいまで上がりそうです。
助かります。

今日も幸いな礼拝でした。
霊的な自由があります。
あ、これは、ちょっと独特の表現ですよね。
うーんと、「ああ、この自由な解放されている感じは神様から来ているんだよなあ・・・」という礼拝でした。

さて、今日の聖書。
今日はルカ8章26-39節です。

「そこで、イエスは舟に乗って帰られた。」37節。

ああ、なんてもったいない!と思いました。
イエスさまが来られたのに、
大きな御業をなさったのに、
人々はイエスを受け入れられなかった。

そして、イエスもそれに対して、
「そんなことを言わないで・・・」とは言われないで、
去って行かれた、帰って行かれた・・・。

とても悲しいことだと思いました。

私たちが神様に対して、拒否の姿勢を取っている時に、
主は退いて行かれる・・・。

そういうことにならないように、
本当に主に真実に歩みたい、
主と共に歩むことを喜びとしていきたいと思います。

今日、夕方の集会で読んだ、
「主はサムソンを去られたのに、彼はそれに気がつかなかった」
という言葉、本当に悲しく思いました。

そのようにならないように、
主に従っていく歩みをしたいと思います。

主よ、
どうか、私から去らないで下さい。
あなたと共に歩む喜びに生かしてください。
あなたと共に生きる者としてください。
どうか教会を去らないでください。
あなたがいつも共にいて下さいますように。