2007-03-03

万物を支配される主

そしてとうとう追いついた今日の聖書。
今日はヨハネの黙示録に入って、第1章。

「神である主、常にいまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである。』」8節。

神様は、すべての支配者。
すべてを持っておられる方。
ビル・○イツでもなく、
トランプさんでもなく、
NYの市長でもなく、
神様がすべてを持っておられる方。
だから、この方に信頼していこう。
この方を信頼して歩んでいこう。
この方に求めていこう。

私たちの目を主に合わせて、
すべてを支配しておられる方に合わせて歩んでいこう。

「万物の支配者」
すべてのもの、全部が、主の御手の中にある。
だから、恐れないでいこう。
主に求めていこう。

主よ、
あなたがすべてを持っておられる方であることを、
忘れることがありませんように。
それを信頼して歩んでいくことができますように。
わたしが勘違いをすることがありませんように。
ただ、あなたの支配を信頼して、すべてがあなたの御手の中にあることを
信頼して歩んでいくことができますように。

聖霊によって祈る

今日もあっという間に時間が過ぎていきました。
朝は-2度だったのですが、
昼間はほんとうにポッカポカになりました。
15度くらいまでいったでしょうか?

でも、今は夜の11時半で、3.8度。
明日からは寒い日が続きそうです。

火曜日水曜日あたりは-10度以下まで下がるようです。

今日は一日祈らされていました。
御言葉を待ち望みながら祈りました。

今週一週間に与えられた御言葉。
「あなたがたの手で食物をやりなさい」
「わたし自身が共に行くであろう」
「静まってわたしこそ神であることを知れ」

やはり伝道したいと思いました。
思いっきり伝道したいと思いました。
5000人の人が5つのパンと2ひきの魚で満腹した記事を思い出して、
ほんの少しの手の中にあるものを主にささげて、
その主の祝福によって、多くの人が満たされるような御業を見せて頂きたいと思います。

昨日(金曜日)の聖書の言葉。
ユダの手紙でした。
「聖霊によって祈り・・・」20節。

聖霊によって祈るというのはどういうことなのだろうかと思わされました。
聖霊様によって導かれる歩み、
聖霊様が教えてくださること。

ほんとうにその世界をもっともっと知りたいと思います。
聖霊様の助けを頂いて、
聖霊様に満たされて歩みたいと思います。
「知識として知っている」じゃなくて、
「聞いたことがある」じゃなくて、
「後で振り返ると」ではなくて、
聖霊様によって祈ることを教えて頂きたいと思いました。

「求めてくる者に、聖霊を下さらないことがあろうか」と言われたイエスの言葉を信頼して、
聖霊様を求めます。

主よ、
聖霊によって祈る、祈りへわたしを導いてください。
聖霊様に満たして下さい。
どうか、教えて下さい。
経験させて下さい。
聖霊様、あなたを求めます。
わたしを満たして下さい。
私のうちにあふれて下さい。
わたしのすべてを支配して下さい。

2007-03-02

真理そのものの証言

今朝はすごい雨でしたね。
川がごうごう流れていました。

でも、昼頃には晴れ間も出てきて、
暖かくなりました。
13度くらいまで上がって、
春の陽気です。
これからは毎日ではなくても、こんな日々が出てくるのだと思います。

明日までは暖かくて、
その後、また火曜日、水曜日くらいを底にして、
冷え込むみたいです。
朝晩は-15度、昼間も0度以下の日があるみたいです。

そして10日を過ぎると、また暖かくなるでしょう。

来週は教会の方の結婚式があります。
私自身の司式ではないのですが、
新しく築かれる家庭に祝福がありますように祈ります。

姉妹の存在が周りの方々にとって、
神様の祝福の流れていくポイントとして用いられますように。

結婚式当日が、
「大雪」とかになりませんように。

あの"Superstorm"は3月半ばでしたからねえ。

昨日の聖書。
昨日はヨハネ第3の手紙でした。
その中で心に留ったのは、
「デメテリオはみなの人からも、また真理そのものからも証言されています。」という12節の言葉です。

真理から証言されている。
声を大きくして言わなくてもいい。
真理が証言する、ということ、
それのすばらしさを思わされた。

焦ることがある。
でも、焦らなくていい。
真理は自ずから明らかになるのだから。

自分たちの結婚式の時に、
恩師がひいてくださった聖書の言葉。
「アロンの杖からは芽が出た」
という言葉。
一生懸命論証しなくていい。
それがホンモノならば芽を出すのだから。

神様ご自身が明らかにしてくださるのだから。

安心していいのだと思わされた。

主よ、
あなたの御手に委ねます。
あなたがすべてを導いてください。
あなたが真理を明らかにしてください。
杖から芽を出させてくださる
あなたの御手に委ねます。

2007-03-01

キリストに留まる

今日も暖かい一日でした。
でも、夜は雨。9時半現在、まだ大したことはありませんが、
「大雨」だそうです。

明日の昼頃までは雨が降るようです。

もう今日から3月。
暖かな日も多くなってくるでしょう。

今日、聖書を読んでいたときではなかったのですが、
心に響いてきた聖書の言葉。

「人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。」
ルカ9:25

「自分自身を失う」という言葉がほんとうに心に深く深く響いてきました。
自分は今「自分自身」を失っていないだろうか、見失っていないだろうか、
主に問われたように感じました。

今、教会では教会堂のことを真剣に祈り、求めています。
でも、教会も「自分自身を失う」ということがないように、
何よりも、御言葉によって取り扱われ、
御言葉によって生かされて歩んでいくことができるようにと祈ります。

「教会の本質」を失うことがないように、祈ります。
「なくてならぬものは多くはない、いや一つだけである」とイエスが言われたように、
一生懸命な奉仕でもなく、楽しさでもなく、多くの人が集まることでもなく、
もちろん、立派な建物でもなく、
ただ、御言葉に聞き従うということが、「なくてならぬもの」として、
堅く立っていくように、祈ります。

さて、昨日(水曜日)の聖書。
ヨハネの第2の手紙です。

心に留った言葉は、
「だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。」9節の言葉です。

キリストの教えに留まること。
目新しいことや一般ウケしそうなことに心を奪われたり、
何か派手なことを求めたりすることでなくて、
単純に、愚直に、
キリストの教えを大胆に語っていくこと、
それが自分の使命だと思わされました。

私も人の影響を受けやすい人間です。
どこかで成功している教会の話を聞くと、
派手な、目新しいことを、
まねしたくなることもあります。

でも、
ほんとうに真実に、
単純にキリストの教えを語っていくことが
大切なのだと、
私の使命なのだと再確認させて頂きました。

教えられました。

主よ、
ただ、福音に生きる者としてください。
単純に福音を信じて、
福音を伝える者としてください。
御言葉の力をもっともっと経験させてください。
そして、御言葉によって取り扱われる方々を
次々と起してください。
transformationが一人ひとりの歩みの中に
起されていきますように。


みこころにかなう願い

順調に礼拝説教の準備が進んで、
原稿を通訳の方にお送りしました。
1時過ぎに更新できるなんて・・・。

水曜日はNYに行く日。
暖かい日で助かりました。
正確には分りませんが、10度くらいあったのでは・・・。

木曜日の夜・・・今日の夜は「大雨」だそうです。

ドライブは気をつけて・・・。

今日も何人かの方々とNYでお会いしましたが、
やはり私の仕事はそのお一人一人が神様の方に目を向けることを
サポートすること。
焦点がずれていたら、「ずれていますよ」と言わなければいけない。
それをまっすぐ受け取る人はぐんぐん成長する。

それも勇気がいる仕事。
でも、ほんとうに報われる働きだなあ、と思います。
聖書によって取り扱われた証しを伺うことほど、
うれしいことはありません。

そして、その「お互いが神様の方に目を向けることをサポートする」
ということは、牧師だけしかできないことではない、と思います。
そのようなことがお互いの中でできていくときに、
教会は元気になって、成長していくのかな、と思います。
期待しつつ。

火曜日の聖書。(なかなか追いつけないですね。読んではいるのですが・・・)
火曜日はヨハネ第1の手紙の5章を読みました。
その中で心に留ったのは、
「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」14節の言葉です。

「みこころにかなう願いをするなら・・・」という言葉。
ここがポイントなんだろうなあと思います。

だったら、どのように御心を知ることができるか?
聖書。
やっぱり聖書を読むことなのか、
聖書から教えられることなのか。

いろんな試練の中でも、神様に近づけられる。
だったら、試練も必要なのだと思う。
そう、ヘブル人への手紙の12章を読んだら、試練によって、
「神のきよさをshareしてもらえる」という。

もっともっと神様に近く歩みたい。
もっともっと神様と共に歩きたい。

そう思いました。

主よ、
もっとあなたの御心が知りたいです。
あなたの御心を教えてください。
私にあなたのきよさをshareしてください。

明日の出会いも祝福されますように。

2007-02-28

あとで・・・

今日はNYDayで先ほど帰ってきましたので、
これから日曜日の礼拝の原稿を作るので、
明日の朝までのどこかの時間に更新します。

ではでは。

2007-02-27

恐れからの解放

今朝はやっぱりうっすらと雪が降っていたみたいですが、
学校はもちろん、平常通りでした。

そして、昼間には8度くらいまで上がりました。
いいですね。

そうそう、今朝起きたら、何だか変なにおい。
またまたスカンクのにおいです。
こんな季節に・・・。
一日中なんかスカンクのにおいが取れません。
どこで一発こいたのでしょうか?

うちの床下にでも入り込んだのだろうか・・・。

今夜も一時小雪とか言っていますが、
明日は、晴れるみたいです。
4日ぶりの太陽。
暖かくなって欲しいです。

昨日(月曜日)の聖書。
昨日はヨハネ第1の手紙の4章を読みました。

「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」18節。

ほんとうに自分の課題。
人に対して恐れを抱くのではなくて、
愛を持つこと。

読む度にどきっとするし、祈らされる。
「愛を持って真実を語る」ってできるだろうかと思わされる。

主よ、
私に愛を与えて下さい。
人を愛する愛を与えて下さい。
恐れを締め出す愛を与えて下さい。
そして、愛を持って真実を語ることを教えて下さい。

明日はNYDayです。

2007-02-26

憎まれても・・・

今朝は5時半に電話が鳴って
・・・鳴ると分っていたんですが・・・
子ども達の学校は2時間遅れスタート。
子ども達は「えー!」、大人も「休みでもいいのにね」。
でも、確かに雪は朝に上がって10センチくらい。
お休みにするほどではありませんでしたから・・・。

それで、一番早い長男の予定に合わせて、
8時から雪かき開始。
8時45分には終わって、
シャワー+朝飯+身支度で、
9時20分のバスに乗っていきました。
次が長女で10時15分に学校。これは歩けるけど、
雪の時は車で送ります。
次が次女で11時に学校。
こちらもがんばれば歩けるでしょうが、
幼稚園児に20分の、雪の道や、
寒い朝はちょっと大変なので(大人は往復だし)、
送りました。

なんだか、一日がとても短く感じます。

学校から帰って、娘達はsnowman作りを楽しんでいました。
snowmanとは訳すと「雪だるま」なんですが、
ちょっと違うんですね、このsnowmanと「雪だるま」。
「雪だるま」は雪の玉を2つ重ねますが、
snowmanは3つなんですね。
今日も「手伝って」と言われて、
2つ積み上げて「できたできた」と言ったら、
「もう一個」と要求されました。
日本で育った私にとっては
2つで当然なんですが、
こちらで育っている彼女たちにとっては、
3つないとダメなんですね。

勉強になりました。

今夜も小雪。

今は小雨が降っていますが、後で雪になるみたいです。
でも、今夜は積っても1-2センチだそうで、
学校は普通通りでしょう。

昨日(日曜日)の聖書。

昨日は第1ヨハネの3章を読みました。
「兄弟たち。世があなたがたを憎んでも、驚いてはいけません。」13節。

もちろん、「自分の不徳の致すところ・・・」というケースも多いと思いますが、
必要以上に「憎まれたくない」という気持ちが働くことがあります。
幼児経験があるのでしょうか?
それとも持って生まれたものでしょうか?
そして、気に入られようと思ったり、ご機嫌を取ったり。

でも、私たちが見ていくべきなのは神様であり、
主の喜ばれるところを歩んでいくことが大切なんですよね。

しっかりと主を見つめながら、
主のみ声に焦点を合わせながら、
歩んでいきたいと思います。

恐れないで歩んでいきたいと思います。

主よ、
どうかあなたを見つめて歩ませて下さい。
あなたのみ声を聞きながら歩ませて下さい。
あなたのみ声に焦点を合わせます。

2007-02-25

罪から離れる

昨日からPAのブリンマー日本語教会に行って参りました。
このHPの一部はエンコードを韓国語(EUC-KR)にすると日本語が文字化けしない、という不思議なページなのですが、「教会紹介」は日本語(Shift-JIS)で読めます。

2000年に始まった新しい教会ですが、30人くらいの方々が集まる教会になっています。
元気な先生と元気な皆さんの教会で、
こちらが元気をもらって帰ってきました。

それで昨日は更新はお休みしました。

そして、今は外は雪。
ちょっとまとまった雪になるそうです。

学校は休み、かな?・・・まだ発表、連絡はありません・・・。

そのブリンマーの教会の牧師の李先生と夜、話しながら、
先生が教会でいつも言っておられる言葉を伺いました。
「それ、もらった!」と思いました。

「みことばはinformationではなく、transformation」

うまく言うなあ、と思いました。

私も最近そのことを強く思わされていました。
「御言葉の根が心の内側に食い込んでいく」なんて言い方をしていましたが、
それより、ずっと、この先生の言い方の方がすっきりしていてわかりやすい。

聖書のみことばは「知識」を増やすものではなくて、
あなたのことを、あなたの内側を造りかえるもの。

あなたが料理するものでも、
それで人を料理するものでもなく、
自分がそれによって料理されるもの。

「みことばはinformationではなくて、transformation」

このページを読まれたあなたにも、
そのことが起こりますように。
ただ、informationとして、聖書を読むのではなくて、
それによって、あなたのうちにtransformationが起こりますように。

昨日、土曜日の聖書。
第1ヨハネ2章でした。

「私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。」1節。

罪から離れること、
罪を犯さなくなること。

そんなことを意識していたら、おかしくなってしまうのでは、と思う自分がいます。
でも、さっき書いたように、この御言葉によって、
私のうちにtransformationの御業が起こるようにと祈ります。
自分の思いもこだわりも打ち砕かれるようにと祈ります。

「怒っても罪を犯してはならない」という言葉もあります。

罪から守られるようにと祈ります。
神様が私を罪から守って下さるようにと祈ります。

故意の罪からは完全に離れたいと思います。

誘惑に負けない強さが欲しいと思います。

そして、感情的な波に押し流されて、
罪を犯してしまうことがないようにと思います。

御言葉にいつもいつも守られて、「罪を犯さない」者でありたいと思いました。

主よ、
御言葉によって、私を罪から守って下さい。
私を御言葉によってtransformして下さい。
私をきよめてください。

教会をきよめてください。