2008-08-09

JOYJOY準備

今日は朝16度くらいでした。
15度以下、行きませんでしたね。
そして、昼間ももっと涼しいかと期待しましたが、
それほどでもなく、
日差しが暑いせいか、
それともこれくらいの気温になれてしまったのか、
期待したほど涼しくありませんでした。

でも、とりあえず気持ちのいい一日。
今、夜の11時半で、外は18.7度。
明日の朝も15度くらいでしょう。

そして、明日は雷雨。

あさってには「すかっ」といってほしいですが、
どうなるでしょうか。

今日はとにかく、JOYJOYキャンプの準備。
もう朝から夕方まで、ずっと準備していました。
でも、個人的には今日はそれほどきつくなかったです。
毎年のことですが、アート系は結構「見ている」時間が長く、
自分から手を動かすことは多くなくて、
後から、写真とか見ると、
あんまり仕事していなくて、
「見ている」写真が多い・・・。
ああ、自分は仕事してないよねえ、と思うんですよね。

でも、年によってはなんだか疲れる。
でも、今年は元気みたいです。

また、年によっては、「どうなるんだろう?」という感じなのですが、
今回はもしかしたら危機感が足りないのかもしれませんが、
とても順調に思えます。

決まっていないこともいろいろあるから、
明日、あさって、ばたばたするかもしれませんが、
今日でエネルギーを使い切った、という感じじゃないので、
大丈夫だ!と思います。

さて、今日の聖書。
今日はエステル記の4章でした。
「私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」  16節。

いつもはこの言葉のあまりの重さに、
自分と関係あるとはあまり思えなかったのですが、
今日はなぜか、このエステルの決意を心から尊敬する気持ちになりました。
自分から近づくことは死を意味する王様のところへ、
召し寄せられていないのに、近づいていかなければならない。
そして王妃の立場で、政治のことに口出しするとなると、
どんな風に言われるかわからない。
本当にこの時代命がけだったんだろうと思う。


まさに自分がそこに生かされているのは、
このためだったんだと。


今、自分が今ここに生かされているのは何のためなのか。


明日の説教のことも思いながら、
一瞬一瞬がクリティカルな時なのだ、
と思わされます。


一瞬一瞬に真剣に歩むように招かれている、
そのために生かされているですね。

まだ、明日の朝も説教の準備をしなければいけないと思います。
お祈りください。


主よ、
どうか、私の今日生かされている意味を、
わからせてください。
ああ、このために、私はここに置かれていたんだと、
わかるようにしてください。
そして、その使命に生きる者としてください。
あなたの守りと導きに感謝しつつ。


明日の礼拝を祝福してください。
あなたを礼拝する喜びを満たしてください。

2008-08-08

キラリンピックだ!

今日は夕方から本当に気持ちよくなりました。
さわやかな夜です。
今ちょうど、夜の12時。18度。
明日の朝は15度以下に下がりますね。
秋の気配です。

今夜はちょっと短めに深夜祈祷会を切り上げて、
11時半ごろには帰宅しました。

なんだか、この時間じゃないと祈れないというよりも、
「もっと早いほうがいいんだけどなあ・・・」という人たちが集まるので、
無理はしない・・・という感じでした。
確かに今日はとてもいい思いで帰ってきました。

明日はもっと過ごしやすい一日だと思います。


今年のJOYJOYキャンプのテーマは
「キラリンピック」。
熱い熱い5日間が待っています。

そして、その前哨戦とも言える北京オリンピックが今日開幕しましたね。
夜、放送されていたやつをチラッと見ましたが、
かなり力が入っていました。


本命のキラリンピックも、
楽しく、そして神様のことが本当に伝わるように、
祈りながら、備えていこうと思います。
明日から会場の設営が始まります。


さて、今朝の聖書。
今朝はエステル記の3章7-15節。


「このとき、王とハマンは酒をくみかわしていたが、シュシャンの町は混乱に陥った。」15節。

この対照が心に留まりました。
混乱している町と、酒を飲んでいる二人。
その二人も、一人は腹に一物持っている。
でももう一人は何も考えていないお気楽な人。


王様の悲劇を感じました。
国を治める立場にいながら、
何も知らないで、一番信じてはならない人を信じていた。
そして、その人と酒を酌み交わしていた。

そのとき、街は大騒ぎになっていたのに・・・。

一方でエステル記のキーワードにもなる
「くじ」によっては虐殺の日にちが12月に決まる。
1月にくじを引いて、ターゲットは12月。
もしもそのくじが2月とか、1月とかに出たら、どうなっていただろうか。
そこに神の御手を見ないではいられない。

自分はどこにいるだろうか。
神が良くしてくださるから気にするな、と言いながら、
結局この王様と同じおろかさに陥っていないだろうか。
神様は確かに働いておられる、導いておられる。
でも、問題の所在を知らずに、
またはあえて無視して、それで
「神様はよくしてくださる」と言っていていいのだろうか。

神様を信じながら、信頼しているからこそ
問題の本質を見抜き、
勇気を持って解決に立ち上がっていく、
そのような者でありたいと思う。

主よ、
逃げないで、問題を見据える者となれますように。
そして立ち上がっていく者でありますように。
あなたを信じているから、信頼しているから、
立ち上がっていく者でありますように。

初収穫。

昨日は、気温の高さよりも、
日差しが強くて、暑く感じました。
でも、やはり夜は肌寒く感じるくらい・・・。 
今朝の7時の段階で18度。


今日は昨日よりもちょっと涼しく、

明日からはまた一段と涼しくなるようです。
本当に助かります。


昨日の朝は、やっと、ズッキーニ初収穫。
こんな風になります。


昨日の夜、焼いていただきました。
でも、新鮮なのは生でも大丈夫なくらいです。

食べきれなくなるほどできる、
と言われているのですが、雌花はちらほら。
それに、このあと、涼しくなったら、終わりでしょうからね。
あまり期待しないで待つことにします。

さて、昨日はJOYJOY買出しに走り回ったあと、
夜には夏休みで親元にきていた大学生と一緒にごはん。
楽しくて、純粋で、しっかりしている青年。
一生懸命、信仰のことについていろいろ話をしてくれました。
周りの人への感謝と尊敬にあふれた、いまどきっぽくない青年。

私ものんちも、鋭い質問に、
自分の信仰が問われるような気持ちで、
でも、神様のことをたくさん話せる幸いを感じていました。
二つ年下のハジとも、かなり意気投合。
「大学に聖書を持っていこうと思う・・・」と言っていました。
神様が続けて触れてくださるようにと祈ります。

さて、昨日の聖書。
昨日はエステル記の2章19節-3章6節。


「彼らは、毎日そう言ったが、モルデカイが耳を貸さなかった」3章4節。

モルデカイの強さを感じました。
気をつけたほうがいいよ、
という周りの人々も好意で言っていたのだと思います。
きつく言う人もいたでしょうし、
やさしく諭すように言う人もいたでしょう。


でも、モルデカイはその声に耳を貸さなかった。
ハマンにおもねるようなことはしたいと思わなかった。


何度も出てくるテーマですが、
神に従うか、
神を恐れるか、
それとも人の顔色を見て生きるか?


先日、父親を殺してしまった高校生が、
「人の顔色を見て生きるのに疲れた」
と言っていると報道されていますが、
何があったのかはわかりません。


でも、親を殺すまでいかなくても、
そんな思いにとらわれている人はたくさんいるのでは・・・。
その言葉に共感する人はたくさんいるのでは・・・。



そして、普段はそれを、つまり、
「人の顔色を見て生きる」ってことを、
まったく自然に、
何の疑問も持たずにやっていたりする。
でも、どこかで行き詰りますよね。



信仰に生きる。
単なるわがままではなくて、
神への信頼と、
人への愛を持って生きる、
そのような強さを持ちたいと思いました。


神様、
あなたを信頼します。
私を人への恐れから解放し、
あなたを恐れる者としてください。
人を恐れるのではなくて、人を愛する者にしてください。



2008-08-07

睡魔に降参。

今日はまだ日付が変わっていないし、
いろいろあるんですが、
睡魔が襲ってきていますので、
おとなしく降参します。

また明日の朝。

好意を得させるもの。

日付変わってしまいましたね。
でも、6日のつもりで書きます。

今朝はすごい雨でしたね。
車で15分くらい離れた町では、
microburstという現象で、
木がたくさん倒れたそうです。


うちの周りは雨だけでしたが、

道路が冠水しているところもありました。
そう、朝教会にお祈りに行った帰り、
雨は小止みになっていたのですが、
途中、車が渋滞しています。
「あ、事故かなあ」と思ったのですが、
どうやら大きな水溜りを避けて走っていたようです。
こういうときはあの燃費の悪い「SUV」なんかが、いいですよね。
乗用車が「そろそろ」と進むところ、
大きな車は楽勝。


でも、本当は水溜りは
「大丈夫」なんて思っちゃいけないそうですね。
アメリカで洪水の犠牲になる人の多くは、
「車に乗っていて流された人」です。


「大丈夫だ」と思って水の中に入っていって、
でも、途中で意外と深くて立ち往生。
そのまま水位が上がって流されるというパターンです。

ここら辺では流されることはなくても、
エンジンが止まったら、
レッカーで引っ張ってもらわなければいけません。
よく水溜りのできるところは、
雨が降るとレッカー車が待っていると言います。
多少高い値段を吹っかけられても、
助けてもらわなければなりませんから・・・。


あと、今日初収穫が期待されていたズッキーニですが、
16センチまで成長しました。
でも、目標の20センチには届かず、
今日の収穫は断念。
明日の収穫になりそうです。


午前中はクロッキー教室。
2回目なので、
ちょっと「上手に書きたい」という色気が出て、
「まずい、まずい」とブレーキをかけながらの、
練習になりました。
「上手に書こう」と思うと、なんだか、面白くなくなります。


そして、今日は積み木も題材になりましたが、
「幾何学的なのは大丈夫」と思ってなめてかかっていましたが、
それがよくない。
ちゃんと見てみるといろいろ新しい発見があります。
角のほうがちょっとつぶれていたり、
凹みがあったり。


注意深く観察する力、いろんな場面で大切だな、と思いました。
なめちゃいけません。

今日の聖書。
6日はエステル記2章1-18節。

「こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。」15節。

 9節では宦官ヘガイの好意を受け、
15節では、すべての人から好意を受け、
そして、16節では、王から愛を受ける。

このエステルの魅力は何だったのだろうか?
美しい人だったのだろうけれども、
ここで集められた人はみんな美しい人だっただろう。

そんな中で、このエステルの魅力は何だったのだろうか?
王様にって、宦官にとって、すべての人にとっての決め手は何だったのだろうか?
エステルのほかの美人たちとの決定的な違いは何だったのだろうか?
やはり「品性」だっただろうと思う。
  

ペテロの手紙の中にも、
アクセサリーや髪を飾ることよりも、
内なる人を飾りなさいと、
書かれています。

私自身、内なる人が輝くように、
そのような品性を身につけることができるようにと祈りました。

主よ、
あなたの輝きを私のうちに与えてください。
内なる人が輝いて、
周りの人に喜びを与えることができるように、
慰めと癒しを与えることができるようにと、
願います。
「品性」の面で、本当に整ええられますように。

2008-08-05

いよいよJOYJOYキャンプモード。

今日は暑くなりました。
そして夜になっても、昨日よりちょっと蒸す感じがします。
気温は夜の10時45分で24度。
決して暑い訳じゃないのですが、やっぱり湿度でしょうね。

今夜はこれから雷雨になるという予報。

そして週末に向かって、涼しくなるようです。


週末から、来週の天気を見ると、
何よりも気温が、いいです。
最高は27度止まり。
そして10度近くまで下がる朝も。


もう、秋の気配ですね。


JOYJOYキャンプ中が暑くならないのは、
本当に助かります!


今日はすっかりJOYJOYキャンプモードで、
使うものを買いに行ったり、
案内や領収書を送ったり、
キッチンの手伝いで、問屋さんに登録に行ったり。


この問屋さん、合羽橋までは行かないですが、
楽しいですよ~。
大きな倉庫に、食材から、トレーから、ゴミ袋から、何でもあり。
それがまた「素人さんお断り」なので、
空いているんですねえ。
あ、私たちも「素人」なんですが、
「教会」というと、ちゃんとメンバーシップを作ってくれました。


最近大きな倉庫に移って、きれいになって、大きくなったようです。


いよいよ、JOYJOYキャンプって感じです。


でも、やはり、それと共に、
毎日の中で、人に会い、人と祈るのが、幸いだと思いました。
今朝の火曜礼拝にも
日曜日来られなかった方々が数名来られて、
共に祈りました。


大きな課題を負っておられる方もおられますが、
主が守ってくださいますように。

明日も、あさっても、お会いする方がおられることに、
心から主に感謝します。


最近、あちらこちらから、「コーディネーター」とか、
「アメリカ東地区のまとめ役」とか、
話があるのですが、祈らされます。
お声をかけて頂けるのはうれしいですし、

必要とされている働きをすることは、
「役に立っている」という気分になりますから、
それ自体は決して悪い気持ちはしないのですが、
いや、だからこそ、

本当に自分がなすべきことは何か、
それを見失わないようにしないといけないと思います。


さて、今日の聖書。
今日からエステル記。
今日はエステル記の1章を読みました。

「 七日目に、王は酒で心が陽気になり、アハシュエロス王に仕える七人の宦官メフマン、ビゼタ、ハルボナ、ビグタ、アバグタ、ゼタル、カルカスに命じて、王妃ワシュティに王冠をかぶらせ、彼女を王の前に連れて来るようにと言った。それは、彼女の容姿が美しかったので、その美しさを民と首長たちに見せるためであった。」10-11節。

この王様、困ったもんですね。
まあ、自分の奥様があまりきれいなもんで、
みんなに自慢したかったって!

カップル同士がすれ違うと、
男は、自分の彼女と、向こうの彼女を比べて、
「勝った!」とか思う傾向があるそうで、
なんだか、男は、女性を持ち物か何かのように考えることが多いようです。
持ち物まで行かなくても、自分の力を誇示するために、「こんなきれいな妻を持っているんだぞ」とやるんでしょうか。この王様、まさにそんな感じだったのでしょう。そして、酒が入っていたから、余計にひどかったんでしょうね。


そして、この後の家来の言葉を読んでも、
「この夫に従わなかった王妃を廃位して、新しい王妃を選ぶなら、世界の女性たちも夫を尊敬するようになるでしょう」なんて、いったい何なんだと思います。そんなわけはないだろうと思います。「夫に従わないとこうなるんだぞ!」と見せしめみたいなことをしたからといって、世の中の女性が「夫を尊敬する」ようなことが起こるなんて、そんなアホなことが起こるでしょうか?

本当に人の愚かさを感じさせられます。

王様、本当はここで、自分のわがままを悔いて、
「愚かなことをしたな・・・」と言うべきなんでしょうね。


でも、でも、です。


その愚かさ故に、エステルが王妃とされて、
イスラエルの救いが与えられたことを思うと、
神様は人の愚かさ、しょうもない、愚かな決断、
そんなものも、用いられる方なんだなあと思いました。


神様のなさることは、私たちの思いを超えている・・・。

主よ、
あなたは人の愚かさも、
私たちの救いのために用いることができるんですね。
私の思いを超えています。
私がいつもいつもあなたの御心に従い、
あなたの御思いを知っていくことができるように。 
謙虚な心で歩ませてください。 

2008-08-04

男らしいって?

さて、今日2回目の更新。
今日はいい天気でした。
最高気温も30度止まり。
夜の10時45分には、22.5度に下がってきています。

明日は今日よりもちょっと暑くなって、
夜には雷雨もあるかもしれません。

ズッキーニも順調です。
今日も予想通り2つ花が咲きましたが、
土曜日に咲いた雌花は、
実が9センチにまで育っています。
水曜日には初収穫となりそうです。



さて、今朝の聖書。
今日は第一コリントの最後です。16章13-24節。


「男らしく、強くありなさい」13節。

「~らしく」ってのは私はあまり好きな言葉でありません。
「クリスチャンらしく」「牧師らしく」そして、この「男らしく」。
そうじゃなくて、内側からわいてくるものが大切。
だから、自分の本質と違う「~らしい」を身につけるのは抵抗があります。


でも、聖書が言っていることは、
自分が好きとか嫌いとか、
得意とか苦手とか、
そんなことはどうでもいいことです。
聖書が言っているんですから、
それは聞くべき言葉だと思いました。

では「男らしく」とはどういうことなんだろうか?
と思って、「日々のみことば」の左のページを見ると、
「男らしく強くなるとは、自分の周りの環境を見て恐れないで勇敢に生きることです。」とあります。

周りの環境を見て恐れない。
確かに聞くべき言葉だと思いました。

何を見ていくか、
本当に主を見つめ、
みことばに聞いていく、
その大切さを思わされます。


キリストにある強さ、
キリストにあって堅く立つ強さ、
与えて頂きたいと思いました。


主よ、
あなたにある強さを持つ者としてください。
あなたを信頼して、
あなたの導きをはっきり知って、
そこに立つ者としてください。


祈られている幸い。祈らせて頂く幸い。

午前中に・・・なんて昨日は書いていたのですが、
気がついたら、もう夕方。
一日寝ていたわけではありませんが、
ゆっくり休ませて頂きました。

今朝もとても気持ちのいい朝。
先週修理したAttic Fanのおかげで、
夜も、午前中も、エアコンなしでも家の中は快適です。

昨日の日曜日、
午前中はコネチカット州の日本語教会の礼拝で、
メッセージをさせて頂きました。


自分が牧師をしている教会では、
「その話、50回目・・・」と言われないかと、
気にしているところはあるのですが、
ゲストで迎えられるところでは、
そういう心配をしなくていいですよねえ。
かなり調子に乗って馴れ馴れしくお話ししていたかもしれません・・・。


そして、午後はJCCNJに戻って、2回のメッセージ。
8月から新しい任期なので、
初めてのことでしたが、任期の更新にあたって、
改めて就任式をして頂きました。


教会の皆さんに前に出てきて頂いて、
私のために祈って頂いたのですが、
いつもいつも祈ってくださっていることは知っているのですが、
そのように特別に時を作って頂くと、
心から、それを実感することができます。


祈られている幸いを体いっぱい感じておりました。



ですから、今朝、また教会に行って祈るときに、
「ああ、私はこのためにここに置いて頂いているんだなあ」と
思わされて、お一人ひとりのことを祈らせて頂く幸いを感じました。


むかーし、
親父が、「牧師の幸せは、みんなのために祈らせて頂くことだ」と言っていたことを思い出しました。
20歳そこそこの私には余りよくわかりませんでしたが、ここに来て、やっと、ちょっとわかってきたように思います。

さて、昨日の聖書。
昨日はコリント人への第1の手紙16章1-12節。

「しかし、五旬節まではエペソに滞在するつもりです。というのは、働きのための広い門が私のために開かれており、反対者も大ぜいいるからです。」(8-9節)

広い門が開かれていることと、
反対者が大勢いることは、
なんだか正反対のことを言っているようにも思えます。

でも、働きの道が開かれているところでは、
それだけ反対の力も働くということなんでしょうね。

だから、反対者が大勢いるからと、
あきらめてしまったり、
ストレス回避で逃げてしまったりすると、
それは本当に大切な働きのチャンスを逸してしまうことになるんだと思います。

主が導かれるところで、
思いっきり、主を恐れるべきことを語り、
主の恵みと愛とを語る者でありたいと思います。

祈られているから。

主よ、
あなたが与えてくださっている祈り手の故に感謝します。
どうか、私を守り支えてください。
また困難や反対があっても、
すぐにあきらめてしまうことがないように、
逃げてしまうことがないように守ってください。
 

2008-08-03

ズッキーニ開花。

昨日は朝から夜まで、ずーっとだったので、
更新できませんでした。
ま、そういう日もあり、ということで。


で、昨日は朝だけは気持ちよかったですが、
2回も土砂降りがありました。
そして、今日は気持ちよく晴れました。

今は夜の11時で、22度。
気持ちのいい夜です。



明日もいい天気のようです。
でも気温は高いようです。30度台。

今年は野菜ネタがない!という声(そんなの聞こえてきませんが・・・)に応えて、

今日はズッキーニの話。

いや、本当にネタがなかったんです。
インゲンとキュウリとズッキーニを植えているのですが、
全然できない。
インゲン3本だけ。
あり得ないです。


ちょっとさぼりすぎました。
愛が足りませんでした。

でも、やっと最近大きくなってきて、
やっと雌花が咲きました。
上が雄花。下が雌花。
蜂も飛んでいるのですが、
念のために、人工授粉します。

明日は2つ咲きそうです。


これから食べきれないほど収穫があるのでは、と、
ちょっと期待しております。


昨日の聖書。
昨日は第2コリント15:50-58でした。


「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」58節。

私たちの労苦は無駄ではない。
何という励まし、何という慰めかと思います。
私たちの働き一つ一つは本当に無駄ではないんですよね。

時々、「失敗した・・・」と思うこともあります。
また、「どうして成果が上がらないんだろうか」と思うこともあります。
でも、それは自分の勝手な思いこみ、
自分の勝手な決めつけ。

本当は主にあっては何も無駄になるものは何もないんですね。
だから、今日も力を尽くしたいと思いました。
力を尽くして主に従いたい、主に尽くしたいと思いました。


人にもそのようにさせて頂きたいと思います。
でも、その難しさ、独りよがりにならないで
人に尽くしていくことの難しさも思わされます。


主よ、
すべてには無駄がないと。
そのみことばに感謝します。
もっともっと力を尽くして、
あなたに、また人に仕えていくことができますように。


2日分やるのには、ちょっと元気が足りないみたいなので、
明日の午前中にまたアップします。

今日は朝と午後。

遅くなりました。
もう日付が変わりましたね。
今日は午前中はグリニッチの教会で礼拝です。
午後はいつものニュージャージーの教会です。

ですから、そろそろ休みます。
そして、更新はたぶん明日の夜、かな。

お祈りください。