2006-01-07

神はそれを善に変わらせた

今日は今年になって一番寒い朝。
-5.5度Cまで下がりました。
でも、昨日も書いたけれども、
平均が-7度Cだから、これでも、まだまだ平年並み。
またもっと寒くなるのかなあ。
今日はすかっと晴れました。
今日は晴れてもあまり暖かくならないようですが、
明日からはまた暖かな日が続くようです。
お天気的には、ちょっとスローライフですね。
いろいろな天気予報を見ても、この先しばらくは強い冷え込みや、
大雪が降るようなことはないようです。

今日の聖書は創世記46-50章。
ヨセフのところに家族が引っ越してくるところです。
最後の最後、お父さんのヤコブが亡くなった後に、
お兄さん達は心配になるのです。
ヤコブはまだ私たちのしたことを恨んでいるのではないか。
もしかしたら、今頃になって仕返しをされるのではないか、と。
でも、そんなのは杞憂でした。
神様と共に歩んでいたヨセフにとって、
それはもう乗り越えた問題でした。
お兄さん達のしたことは、確かに「悪」だった、
でも、神はそれを「善」に変えてくださった。
自分が売られたから、今のこの歩みがある、
もちろん、その時のお兄さん達のねたみは「悪」であるし、
お兄さん達のしたことも「悪」であるけれども、
神は「善」のために、そんなことさえも用いることのできるお方なんだ。
これはものすごい励ましであり、癒しであると思う。
人を恨んだり、憎んだりすることはほんとうにエネルギーを吸い取られることだ。
だから、憎んだり、恨んだりしたくない。
でも、そうしないではいられない時もある。
わかっていてもどうにもならない時もある。
そんなとき、その「悪」をも神様の御手の中では、
「善」のために用いられるのだ、と知ることができるのは、
なんという慰めだろうか?

神様、私の歩みの一つ一つの出来事、
それらをすべて「善」にして下さっていること、
そのことに私の目を開いてください。
あなたの導きの御手を見ていくことができますように。
あなたの御業に気がついていくことができますように。

2006-01-06

神が私をここに遣わされた

今日はまた穏やかな朝。
2.9度Cもある。
外は曇り。
今日の天気は曇り時々晴れくらいかな。
ただ、今夜から明日はちょっと寒いみたいです。
でも、この時期の最低気温が平均で-7度Cだから、
ほんとうにあたたかい1月ですね。
12月はちょっと寒かったですが。

今日の聖書は創世記37-45章。
ヨセフの生涯です。
ヨセフが兄たちに売られて、その後も苦労して、ぬれぎぬを着せられたりするのだけれども、
エジプトで大臣に任命されて、兄たちと再会した時の言葉が心に留まった。
「神が私をここに遣わされたのです」と。
兄たちへの恨みもあっただろうに、
彼は「神が私をここに導かれた」と信じた時に、
恨みを超えるものがあったのではないだろうか。
私の場合は、人を恨まなければならないような経験はない。
でも、道がこのように開かれてくる時には、
痛みもあり、悩みもあった。
でも、はっきりと今、「神が」私をここに遣わされた、と言うことができる。
それが感謝だ。

神様、私をここに遣わしてくださったことに心から感謝します。
どうか、今日の出会いを導いてください。
あなたが出会わせてくださることに心から感謝します。
今日も私にあなたの御言葉を聞く耳を与え、
人の心の叫びを聞く耳を与えてください。
今日の家庭集会を豊かに祝福してください。

2006-01-05

神様からの答えをいただくまで

今朝は2.7度C。天気は曇り。
これから数日、お天気的にはあまりexitingなことはない日が続きそう。
それはそれでいいんだけど。
日本の日本海側は大雪のようですね。
世界的にも有数の豪雪地帯だそうです。
冷たい空気が日本海で水分をたっぷり吸って、
山に沿って上昇気流となり、雪が降ります。
アメリカでも五大湖の南や東側で、同じことが起ります。
でも、こちらのWeather Channelで言っていましたが、
日本の方がもちろん、スケールが大きいそうです。
それでも、一日に1メートル降る時があるそうですが…。
また、湖は凍って、水蒸気の補給がストップすることがあるけれども、
日本海は凍らないですからね。
心からお見舞い申し上げます。


今日の聖書は創世記29-36章。

ヤコブの生涯でした。
その中で一番心に留ったのは、ヤコブが神の使いに
「あなたが祝福してくださるまで、あなたを離しません。」
と言ったところです。
20年前にだまして逃げてきた兄の元へ帰ろうとする時に、
彼はいろんな方法で何とか平安を得ようとしました。
何とか兄をなだめようとしました。
また逃げる道も考えました。
八方手を尽くして、平安を得ようとしました。
しかし、それでは彼はダメだったのです。
神様が与えてくださる平安が必要だったのです。
そして、神様が祝福してくださるまで祈ったのです。
私もその様に祈って平安をいただいたことがどれほどあったか、思い出します。
もう一度そこに連れ返されたような気がします。
そして、このことを一人一人に経験して頂きたいと思いました。
牧師としての働きはそこに人を導くこと、
結局のところ、他のものによってはほんとうの平安を与えられることはない、
ということを示し、
そして、神によって平安が与えられたという経験に導くこと、
が、大切なんだと思いました。

主よ、私もあなたから答えをいただくまで祈ります。
あなたが祝福を与えてくださるまで祈ります。
どうか、あなたの答えを下さい。
人の答えではなく、あなたの答えを与えてください。
教会の一人一人をこのヤコブのペニエルの経験へと導いてください。

今日の家庭集会、キッズクラブの準備ミーティング、
そして、夜の大使公邸での懇談会と、
一つ一つのプログラム、出会いを祝福してください。

2006-01-04

「祝福」その2

まだ日本にいる時、ペデルセンという人の書いた「イスラエル」という本を買いました。
旧約聖書の世界観を詳しく書いている本です。
当時絶版で(たぶん今も)、元々3800円の本が、1万円くらいしたと思います。
でも、なかなか出ない本だったので、いい買い物をしたと今でも思っています。
(今、ちょっと探したら、1万5千円で売っていました。)
その中の「祝福」というところにこう書いてありました。

「たましいは、力がたっぷりしみこんだ一つの全体である。
たましいが及ぼす範囲に関する限り、その中心やその周辺に働くのは、
いずれも同じ力なのである。
その力は、自らを維持し、この世に自らの働きをするために、
たましいを成長させ、栄えさせる力である。
いかなる生きものも、それなくしては存在し得ないこのような活力を、
イスラエル人は祝福と名づけた。」
(ペデルセン著「イスラエル」255ページ)

やはり、「祝福」はモノ、ではなくて、
私たちの内側に与えられるものなんですね。
何となくそうかな、と思っているものが、このように学問的に確認されると、
確信を持って語れるようになります。感謝。

神の「祝福」って?

昨日は一日氷点下に下がることなく、
みぞれが降っていました。
東京ではよくあることですが、
こちらでは、あそこまでずっと一日「雨なのか、雪なのか…」というのは珍しいことです。
クリスマスの後、何かずっと暖かめです。
それはとてもいいことなのですが…。
今朝はちょっと冷えて-2.5度C。
今日の天気は晴れのち曇りといったところでしょうか。
最高気温は5度くらいまで行くようです。

今日は創世記24-28章。
イサクの生涯とヤコブとエサウの確執です。
今日心に留ったのは、「祝福」という言葉。
母親リベカが「私が呪われてもいいから…」と言って、ヤコブに父をだましてでも、得させたかった、得させなければいけなかった「祝福」。これはいったい何なんだろうか?
この後、ヤコブは家を出て行かなければいけなかった。
親から何かを相続したような様子もない。
ただ、おじラバンのもとで苦労して多くの財産を持つようになったのだ。
まだ答えは出ていない。今日一日いろんな本を読んで探ってみたいと思う。
でも、ここで、一つヒントになったのは、28章で石の枕で寝ている時に、神が「私はあなたと共にいる」と語られたこと。
神様が共にいて下さる、それ自体が祝福であるのだろう。
物質的に祝福されることよりも、主がそこにいて下さること、
状況が願い通りに進んでいくことよりも、主が共にいて下さること。
この後のヤコブの苦労を思うと、主の祝福は、そういうものなんだろうと思わされる。
経験していきたい。これからの歩みの中で、
今年の教会の歩みの中で、「ああ、これが主の祝福なんだ」というものを。

主よ、あなたの祝福を求めます。
私を祝福してください。
私の周りの人々を祝福してください。
家族を、教会の一人一人を、教会全体を。
祝福を運ぶ器として用いてください。
今日の一日の出会いを祝福してください。
そして明日、明後日と続く家庭集会の備えを祝福してください。
あなたご自身が私の心に語ってください。

2006-01-03

イサクをささげたアブラハム

朝起きたら、外は雪。気温0.7度C。
天気予報当たりましたねえ。
でも、どうやら我が家周辺が境目くらいで、
場所によってはまだ雨のようですね。

今日は創世記17-23章。
アブラハムの生涯の後半、主にイサクの誕生にまつわる話のところでした。
イサクは待ち望んで待ち望んで、与えられた子供。
そして、神様の約束の子。
なのに、22章で、彼をささげなさい、と主は言われる。
あまりにひどくないだろうかと思う。
でも、神様は彼に祝福を備えておられる。
アブラハムはイサクをほんとうにささげたのだ。
もうささげきっていたのだ。その彼に主は備えを与え、祝福を与えられた。
自分は神様に大切なものをささげて従っているだろうか?
自分のわがままに捕らわれていないだろうか?

主よ、私の心を探ってください。
私の生活を探ってください。
そして、あなたをいつも第一にして歩む者としてください。
今年も、主よ、私が何かに心が捕らわれてしまった時に、そのことを教えてください。
「あなたのそれを私のところに持ってきなさい」と。
今日の一日を守り祝福してください。
なすべきことをなさせてください。

2006-01-02

Wintry Mix

今、夜の11時現在、2.5度Cで、雨。
この後明日の夜にかけてみぞれや雪になる予報。
ここ数時間は2度前後。
さて、明日の朝はどうなっているか。
今日の最低気温は-0.2度C、最高は7.1度C。
結構気温的には暖かい日でしたが、一日どんよりしていたので、ちょっと肌寒い日でした。

ずっと気になっていたのですが、
オハイオの方から進んできた低気圧が、東海岸に近づくと弱くなって、
新しい低気圧が海沿いに発生して、急速に発達することが良くあるのですが、
どんなメカニズムでそれが起るのか、Accuweather.comのElliot Abramsのブログに説明が乗っていました。ちょっとマニアックな話ですが、納得。
でも、お天気キチガイは私以外にもいるんですね。

明日の朝は教会で祈り会です。

ハガルへの「戻りなさい」との語りかけ

朝6時45分。
外の気温は1.1度C。余り冷え込みませんでしたね。
まだ夜明け前でよくわからないけれども、
たぶん曇り。
日本では(というか、東京では)曇りの夜は冷え込まない、というのがあたりまえでした。
雲がないと、地表の熱が宇宙に逃げていく放射冷却が進んで、「ああ、今朝は冷えたなあ」となるけれども、雲が広がっていると、冷えない、そんな印象があります。
ニュージャージーではそうとは限りません。もちろん、放射冷却はあるのですが、大陸だからか、とにかく冷たい空気が流れ込むと、数時間のうちに一気に10度も温度が下がったりします。
今日の予報は曇りのち雨。
明日にはみぞれや雪になるかも、だそうです。

今日は創世記10-16章。
バベルの塔から、アブラハムの生涯の前半。
その中で心に留ったのが、16章で、ハガルに神様が「女主人のもとに帰って仕えなさい」と言われたところ。
女主人に利用されるようにその夫のところに行かされて、
妊娠したところで今度はその女主人にいびられて逃げ出したハガル。
だれがハガルのことを責められるだろうか?
自分だったらそこで耐えられるだろうか?
しかし、神は逃げ出したハガルに「戻りなさい」と語られて、
そして、神様の守りを保証するかのように、
「私はあなたを顧みているから」と示された。
逃げ出したくなることがこれから起ってくるかもしれない。
余りそんなことは考えたくないけれども、
でも、そんな中でも主が私たちのことをごらんになっておられるから、
心にかけておられるから、主を見上げて、信頼して行こう。
主が「行きなさい」と言われるところで、主に、そして、人に仕えていこう。

主よ、私が逃げ出したくなるようなところでも、
もしも、戻るべきならば、「戻りなさい」と語って下さい。
あなたが私のことをいつも心にかけてくださっていることを心から感謝します。
その様な場面に出会った時に、この聖書の箇所を思い出させてください。

2006-01-01

日曜日が終わって

今日の礼拝には子供を入れると90人くらいの方々が来られました。
共に一年をスタート出来たことに感謝!
教会のHPの表紙はその時の集合写真。

礼拝の中での賛美、
このところ、ほんとうに心から賛美出来る自分がいます。
「歌いましょう」と言われたから、歌うのではなくて、
心から歌いたいと思う自分がいます。
「もう終わりなの?」と思ったり。
いい大人が…という気持ちもどこかにあったりするんだけど、
それを乗り越えて余りある魅力があるんですね。
魂が共鳴するのでしょう。

夜11時半の気温は1.7度C。
この季節としてはあたたかい方ですね。
今日の我が家(もちろん外)の最低気温は-1.6度C。最高気温は4度Cでした。

明日の朝のWintry Mixの予報は変わって、
明日の夜になったようです。
どうなることやら。

子供達は明日から、振り替え休日もなしに学校です。

神と共に歩んだエノク

朝7時でちょうど0度C。
天気は曇りです。
今日の天気はこれから回復傾向かな。
でも、また明日の明け方にはWintry Mixかもしれないそうです。
つまり雪とかみぞれとか、あられとか・・・。
もう一つこちらで良くあるのが、
Freezing Rain。
雨が、地表や車に当たる瞬間に凍る現象です。
これはこわいです。
スケートリンクのようになりますから・・・。
これにまつわる話はまたいずれそのうち・・・。

そして聖書の話。
今年は1日何章とか決めないで、
毎日どんどん読んでいこうと思っています。
目標は半年以内で最後まで読み通すこと。
でも、ただ読むだけではなくて、その中で心に留った言葉について、
黙想する時を持っていきたいと思っています。

今日は創世記1-9章。
特に5章の21-24節のエノクについての記述に心が留りました。
エノクは「神と共に歩んだ」と述べられていて、
そこを読みながら、自分は、どんな風に言われるんだろうなあ、と思いました。
「天気予報ばかり見ていた」なんて言われるかもなぁ。
でも、天気予報はほんとうに好きだけど、
やはり神と共に歩むことの方が自分の中で本質的なことだと思いました。
そう思っている自分にほっとしつつ、
でもその様に時間を用いているだろうか、などと反省させられます。

神様、今日の礼拝を祝福して、皆さん一人一人を励まして送って下さい。
そして、あなたを中心とした礼拝が守れますように。
私のこの一年があなたと共に歩む、あなたに聞いて歩む一年となりますように。

明けましておめでとうございます。


新年になりました。
真夜中現在、我が家周辺のお天気は曇りです。
気温は-0.3度C。それほど寒くないです。
でも、どんどん気温は下がっています。
土曜日の午後は雪が降っていました。
写真はその時の様子です。
2006年、心に与えられて、握って祈っていく聖書のことば。

「わたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。」第2コリント4章7節

一休みして、午後1時半より元旦礼拝です。
ある教会では「初詣礼拝」と呼ぶそうですが、
それも大胆だなあ、と思います。
日本の文化の中に受け入れられていくための一つの試みだと思います。

ありふれた、もろい、何の飾り気もない、ただの土の器である私たちの中に、
宝物であるイエス・キリストが与えられている、そこに力があることを、
そこに価値があることをおぼえて、もっともっと神様の与えてくださる愛と喜びに満たされて、
歩んでいきたいと思います。
主よ、どうかわたしの心をあなたが満たしてくださいますように。あなたの力が私を通して流れていきますように。