2012-01-05

不条理なこと、理不尽なことの中でも。

今日はぐっと冷え込みが緩んで、
朝起きたら、昨日の夜よりも気温が上がって-2度C。
そして、昼間は氷点下を脱出。
今は夜の10時半ですが、ちょうど0度C。


明日の朝は-4度Cくらい。
また寒い朝でしょう。
風が弱いので、霜も降りるかな。


でも明日の日中は10度くらいまで上がるそうです。
ちょっと暖かいですね。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇の125篇。


「主に信頼する人々はシオンの山のようだ。ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。」1節。

この詩人を取り巻く状況は不条理なこと、理不尽なことに支配されていた。
だから、3節以下では、正しい人が守られて、悪を行う者がさばかれることを求めている。それはやはり現状はそのような正義が守られていない状況だったのだ。

理不尽なことはわたしたちのやる気をそぐ。
無力感に襲われる。正直者が馬鹿を見るみたいなこと起こる。

だからこそ、主を信頼することが大切。
朝読んだ時にはわかっていなかったんだけど、
今日、今度の礼拝のために、「信仰って・・・」ということを調べている時に、ある人が「神の約束を真に受けること」と言っていた。

なるほど、そうなんだろうと思う。

ヤコブの手紙では「神が存在すること」を「信じること」のたとえで使っているが、それは信じることだけじゃダメで、それに伴う行動が必要なんだと言うヤコブの考えをサポートする議論の中での言葉。

聖書の他のところでは、「信じる」ということは、「神の存在」を信じるよりも、「神の約束」を信じることだ。

だから、理不尽なことに振り回されない。神の約束を真に受けているから。
これからも神様の約束を真に受けて歩んでいこうと思う。

主よ、
あなたの約束を真に受けますから、よろしく導いてください。
時々、その約束、「ホントかなあ」と思う時もないわけじゃないです。
そんなとき、「バシッ」と締めて下さい。

2012-01-04

寒かったねえ。

今日は寒かったです。
朝は-12度C。予想通りでした。
昼間も-3度C止まり。


今は夜の11時半ですが、やっぱり-3度C。
今夜はこのままで、明日は3日ぶりの氷点下脱出です。


このあとも天気は崩れず、
どちらかと言うと冷え込みも緩んで、
過ごし易い冬が戻ってきそうです。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇124篇。


「もしも主がわたしたちの味方でなかったなら。」1節。

これはつまり、「主はわたしたちの味方である」ということ。
天地を造られた方が、私の存在を造られた方が、
今も私の味方であってくださること。
たくさんの失敗や、未熟さや、愚かさにも関わらず、
私にとって最高のことをしてくださるということ。
(私の願い通りという意味ではなくて・・・)

なんだか力が湧いてくる、
わくわくしてくる気持ちになりました。

反対を言うと、いつも、萎縮したり、
「どうせ神様は私にはそんなに良くしてくれないんだよなあ」といじけ気味なんだろうな、と思います。

そういうところから解放していただいて、主の恵みにどっぷりと浸かって歩みたいです。

主よ、
今日もあなたのみことばに感謝します。
あなたがわたしの味方であって下さることに感謝します。
これは私が聞くべき言葉でした。
もっともっと、あなたの愛の中に、歩ませてください。
あなたの愛を信頼して歩む者でありますように。

2012-01-03

どこに目を注ぐか。

新しい年の3日目。
今朝は、目覚ましを止めたところまでは覚えているんだけど、
次に気がついたら、6時半になっていた。
朝6時から、祈りに来た方がいたら、ごめんなさい。
新年3日目にして、早くも、初寝坊。
また、明日からがんばります・・・。


ということで、今日は寒かったです。


昼間も氷点下のママ。
そして、今、夜の11時過ぎですが、
いよいよ氷点下二桁。-10度Cです。


明日の朝の予想最低気温は-12度C。
うーん、朝6時に教会行くの、ちょっときついかも。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇の123篇。


「奴隷の目が主人の手に向けられ、女奴隷の目が女主人の手に向けられているように、私たちの目は私たちの神、主に向けられています。」2節。

自分の目はどこに向いているんだろうなあ。
このあと、詩人は自分がどんなに人々にひどい目にあっているかを訴えている。
そんな状況に置かれたら、自分の目はどこに向くだろうなあ。
次に何をされるか、どんな目に遭うか、を恐れたり、
どうやったら一矢報いることができるかと考えたり。

神様の御手に目を留める。
神様のなそうとしていることに目を留める。
今日も、そのような一日にしてくださいと祈った。

そして、教会の人々の多くも今日から仕事が始まる中で、
一人一人の目が主の御手に注がれるようにと祈った。

神様、
あなたのなさることを見せてください。
あなたの御手に心を向けることができますように。
どんな状況の中でもあなた期待することができますように。

2012-01-02

「さあ、みんなで」

新年、二日目。
昨日の夜にちょっと雨が降って、
それで、今朝はまだ暖かさが残っていたのですが、
夕方からだんだん冷えて来て、
今は夜の10時半ですが、氷点下に下がってきました。
明日、あさってと、真冬日が続きそうです。
やっと冬らしい日となりそうです。


さて、昨日は元旦で日曜日。
メッセージは33分。
http://www.jccofnj.org/main/message_mp3/mn_010112_1a.mp3
もう少し短いはずだったんですが、
神様が、わたしたちに対してどんなに熱い思いを持っておられるかを伝えたいと思って、長くなってしまいました。
神様はわたしたちに大切なものをシェアしたい、という思いを本当に強く持っておられる。
でも、わたしたちの方は、「お金」「仕事」「人」「健康」・・・そっちの方をシェアしてほしい。そりゃあ、みんな大切なもの、必要なもの。でも、神様が熱い思いでシェアしたいものはそんなもんじゃない。もっともっと深いもの。ホントありがたいですね。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇122篇。


「主の家に行こう」1節。

わたしは、どこまで、勇気をもって、情熱を持って、人々を誘っていただろうか。「主のもとに行こう」と。

「よかったら、どうですか?」とか、「こんなのがありますよ」程度のことが多かったのではないだろうか?それは、自主性を重んじたかったし、自分もあんまりしつこくされるのは好きじゃない方だし、何よりも、必要ならば、神様がその人のうちに「行きたい」という思いを与えてくださるから・・・、と思っていたから。

それはそうだろうけれども、でも、ホントのところ、自分の心の中にあるのは恐れだったり、どう思われるかを気にしていたり、ナイスでいたかったり・・・信仰ではなかった。

本当にすばらしいものだと思っているなら、もっともっと、言おうと思う。「主のもとに行こう!」と。「礼拝をしよう!」「聖書を読もう!」「祈ろう!」

この時代、わたしたちが経験しているよりも、もっともっと「主に家に行こう!」というのは勇気のいることだったと思う。近所の教会に行こう!というのとはレベルが違う。時間もお金もかかる。仕事もしばらく中断しなければならない。でも、それでも価値のあることだった。「主の家に行こう!」と、人々は語り合った。

だから、私も勇気を出して言おう。「すばらしいから、あなたを満たすから、あなたを生かすから、主のもとに行こう!」と。

明日から、仕事に戻る皆さんにも言おう。「祈って、新しい年の仕事を始めよう!それがあなたを生かすから!」

主よ、
ありがとうございます。
私の弱さを示してくださって感謝します。
すばらしいものを、勇気と自信と愛をもって、
人にも勧めることができますように。
「さあ、主のもとに行こう!」と。

2012-01-01

あけましておめでとうございます。

2011年の最後の日。
昨日は土曜日だったこともあり、
いろんなことを考えさせられ、祈らされました。
教会の創立記念日を前にして、
今まで、教会と共に歩んだ17年間、
牧師として仕えさせていただいた14年半。
そして、この一年。

それぞれに感謝なこともあり、
楽しかったこともいろいろ思い出すのですが、
一番心に残っているのは、
「神様、どうしてこの祈りを聞いてくれなかったんだろうかな」と思うこと。

まだまだ答えが見えない部分もあるのですが、
でも、そこに特別な神様のメッセージが込められているのだと思います。

でも、そのあと、昨日の夜、家族で夕食を一緒にしながら、
一年どうだったかを語り合っている中で、
たくさんのことを思い出させられました。

正月に遊びに来たハジの大学の友人、
彼から、3月19日にメールをもらって、
「明日、洗礼を受けます」と書かれていたこと。
その中に書かれていた、NJに滞在している時に起こったこと。

日本で、トロントでお会いした方々が洗礼に導かれたこと。
もちろん、NJで出会った多くの方々。

そして、神様からの答えをもらって、勇気をもって踏み出したいくつかのこと。

「そうでもないでしょ」と、ある親友にストレートに言われたりもしたのですが、どちらかと言えば、「みんなが納得することをしたい」という気持ちが働く自分の今までの歩みの中で、去年は「神様の前に祈って答えをもらったこと」を伝えていこう、わかってもらう努力をしよう、と踏み出したことがいくつかありました。なかなか伝えていくのにはもっともっと情熱と根気と忍耐と愛が必要だな、と思わされていますが・・・。

そんな話をしているうちに感謝が湧いてきました。

そして、迎えた新しい年。
ものすごい穏やかな年明けです。
気温も一晩中プラス。
今朝、家を出る時にちょっとだけフロントガラスが凍っていましたが、
こんなにあたたかな新年は珍しいです。

新しい年、もっともっと神様と親しく、そして、周りの人とのコミュニケーションを大切にする歩みをさせていただきたいと思います。

ということで、新しい年、「日々のみことば」誌を読みながら、また思わされたことを分かち合っていこうと思います。

今日は詩篇120−121篇
「主はあなたを守る方」121:5


昨日の夜、カウントダウンをして、
さあ、休もうかと思っていた時に飛び込んで来た日本の地震のニュース。
震源がかなり深かった、かなり遠かったのですが、
それでも広い範囲で震度4だったようで、
年が改まって、さあ、という時に、きつかった方々もおられたのでは。
祈らされるとともに、
本当にわたしたちが何もないことを願い、
もう、しばらくは安心して歩めるようにと願うのですが、
そうなるとは限らない現実がそこにあることも思わされます。

そんな中でも与えられる守り、
そんな中でも与えられる平安、
それを信頼して、そこに希望を持って歩むことが
どれほど大切かと思わされます。

何もないことに中に平安を見るのではなく、
嵐の中でも、主の元に安らぐ、
そのことを経験させていただきたいと思わされます。

主よ、
新しい年、あなたと共に歩ませてください。
何もないことの中にではなく、
あなたとともにあることに、平安を知ることができますように。