2011-07-02

修養会に行ってきます。

下の書き込みにもありますが、
今日から修養会です。
明日のMaywoodでの礼拝はありません。

場所はこちら。
http://www.eddyfarm.com/
明日の礼拝の時間は午前10時からです。

昨日の夜、サンディエゴからパスターマックが到着。
語り合う中にあっという間に時間が過ぎて、
日付が変わっていました。

今書きかけのこともあり、たーくさん書きたいこともあるのですが、
たぶん、帰ってきてから。

2011-06-30

忘れるなよ。


今日は「ひがきゃん」最終日。
迎えに行ってきました。

すごーくよかったようで、
みんな大興奮、特に、初めて「ひがきゃん」に参加した子たちが大喜びしていました。
迎えにいって、その後、しばらく我が家で休んでいたんだけど、
賛美大会になっていました。(笑)


自分もむかーし、よくやっていました。
うれしかったです。

そんな彼らとも話したのですが、
今朝Twitterで書きながら思い出していたこと。

自分が牧師になるための訓練を受けるために聖書学院で学んでいたとき、
同級生に目の不自由な方がおられました。
彼は奥さんと二人三脚で勉強をされていました。
ホントにおしどり夫婦って感じでした。

いつもは、ご主人が奥様の肩に手を置いて、
奥さんは一歩前を、ご主人は一歩後ろを、一緒に歩いておられました。

そんなご夫妻ですが、クラスによっては、夫婦別々なので、
私がその奥様の代わりに、ご主人と一緒に歩く時がありました。

私が彼の一歩前を、彼は私の肩に手を載せて一歩後ろを歩きました。
なんだか人の役に立っている・・・という満足感もちょっと心に持ちがながら・・・。

でも、そんなある日、一歩後ろを歩いていたはずの彼が、ゴツンと柱にぶつかったじゃあないですか。

そう、いつの間にか、彼の存在を忘れていたんじゃないんですが、
自分のことしか考えていなくて、柱に彼がぶつからないように注意していなかったんですね。

これは、自分が、夫として、牧師として、自らを省みる原点となっています。
忘れているわけではないんだけど、自分は自分のことばかり考える傾向がある。
だから、みんな柱にぶつかっていないか、と立ち止まって回りを見る必要があるんですよね。

はい、もっともっと人のことを大切にする者となれますように。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の112篇。


「彼は悪評を立てられても恐れない。その心は、固く主に信頼している。」7節。


この言葉は4月の11日の日記でも触れたのですが、
多くの訳で「悪い知らせ」と訳されている。
英語の訳を見ても、ほとんどが同じように訳されている。

でも、共同訳では「悪評を立てられても」と訳されている。
英語ではThe Messageがそうだ。

そんな時にも恐れない。

そんな強いものを自分は持っているだろうか。

それは「神を信頼しているから」なんだ。
やはりどこを見ているか、誰を見ているのか、それが問われているのだと思う。

主をしっかりと見て歩ませていただきたい。
主を見上げて歩んでいきたい。

主よ、
あなたのことをしっかりと見上げて歩めますように。
人のことばかり見ることがありませんように。
悪評をも恐れない強さを与えてください。

2011-06-29

中高生キャンプ最後の夜。

どうなっているんでしょうね。
土曜日から明日までの東海岸の中高生キャンプ(通称ひがきゃん)。
今夜は最後の夜なので、まだまだ、みんな起きているんでしょうね。


うちの上の二人は大学生のスタッフと、キャンパーとして滞在しています。
ウチの教会のイベントとしてやる時には、私も参加するのが基本でしたが、
最近は他の教会と合同でやるので、子弟のいる私はしばらく、「おまかせ」モードです。


おかげで、ウチが静かなこと。
本音を言うと、もうちょっと行っていて欲しい・・・。(笑)


でも、自分も小学生時代から、大学生まで、ずっと教会のキャンプで育ててもらいました。
楽しかったし、本音トークも、大声賛美もいっぱいした。


毎年課題は違ったけど、
なかなか、日頃、向き合えないことにも向き合った。
涙と鼻水で悔い改めの祈りをしたり、
仲間のために本気で祈ったりもした。


だから、ホントに、今夜も尊い夜となりますように。


で、上の二人がいないと、牛乳が減らない。
こちらではガロンサイズ(3.8L)のを買っていますが、
いつもは2日もつかどうか、のが、
何日も冷蔵庫に入っています。


でも、これは最初はびっくりしましたが、
今では、日本に行くたびに、「なんでこんなに小さいの」と思います。


そんなものがいっぱいありますが、
今回、のんちが日本に行く時に、
「物が足りない、と困るから・・・」といろんなものを持っていきました。
JALに電話して、「援助に行くんだけど、荷物をもう1つ持っていってもいい?」と聞くほど、いろんなものを詰め込んでいきました。


その中には、もちろん、「なんだ、日本で調達すればいいじゃん」というものもたくさんあったのですが、その一つがラップ。


でかいの持っていったら、そんなの持って歩けない。
日本のやつはこんなにちっちゃいんです。




すごいですね。
私的には「大は小を兼ねる」という気持ちなんですが、
幅が小さい方がムダが少ないんでしょうね。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇111篇。


「主を恐れることは、知恵の初め」10節。

ホントに神様の前に謙虚になる、
それは大切なことだと思う。

そして・・・
自分は知恵をどこに求めているんだろうか?
いろんな知恵を与えてくれる書籍はたくさんある。
でも、その中で、まず、聖書に聞いているだろうか?

そこに知恵の源があると思って読んでいるだろうか?

まず、主の前にへりくだり、
主に聞いて、それに従っていく者でありたい。

主よ、
バカみたいに単純に、
あなたに聞いて、あなたに従っていく者でありますように。
それが一番の知恵であることを忘れることがありませんように。
気の利いたことを言うことを求めるのではなく、
あなたの御言葉に愚直に従う者であらせてください。

2011-06-28

自分はちっちぇえけど。

今日は蒸し暑かったですね。
でも、どうにかエアコンなしでしのげる一日。
30度くらいまで行きましたが、
ウチの中は28度止まり。
夕方には外も温度が下がって、
ギリギリセーフという感じでした。


そして、今(火曜日の夜10時半)、25度ですが、
雷雲が西の方から近づいてきています。
このまま、消滅しないで進んでくると、夜12時頃にここにも到着かな、です。


明日からはまたカラッと晴れそうです。
何より朝晩が涼しいのが助かります。


今日は「今日しかない!」思い立って、
2ヶ月近くお預けになっていた結婚記念日の「ランチ」に行ってきました。


当日はのんちは山元町にいたので、
電話で一言だけだったので、
帰ったらお祝いしようと言っていたのですが、
それなりにバタバタしていて、
今週、この後もちょっと難しいので、
今日行ってきました。


ちょうど、「奥さんとランチでも・・・」とギフトをいただいていたので、
それを活用させていただいて・・・感謝。


レストランで祈りながら思わされたのですが、
ここでこのように生かされて、共に21回目の記念日を祝うことができるのは当たり前のことじゃない。特別なことなんだと。


だから、その共有するようにと与えられた時間を、
共に歩んでいくようにと与えられている使命を大切にしていこうと思わされました。
二人になると自然と、会話は被災地のことになります。
ぽつりぽつりですが、新しい話が出てきます。


そして、今、蒸し暑い季節を迎えて、
虫の発生や、熱中症など、
新しい困難に出会っている方々のために祈らされます。


今日の聖書。
今日は詩篇の110篇。
これは、イエスについての預言となった詩です。


「あなたの敵の真中で治めよ」2節。

昨日は自分のちっちゃさを思い知らされた日でしたが、
今日は朝から、「そんなの当たり前だ、そうじゃなくて、私が世に勝っていることに目を留めるんだよ」と言われたような気がしました。

そう、イエスは世に勝っている。

敵の攻め寄せる中で、イエスは「恐れることはない、私は既に世に勝っている」と言われるのです。

その方に身を寄せながら歩んでいくことがどれだけ大切かと思わされます。

教会の皆さんは、昨日の私なんかお話しにならないくらい、「持っていきどころのない思い」にとらわれる、状況に置かれているかと思います。

祈らされます。

お一人一人が、イエスによって勝利と平安をいただくことができますように。

主よ、
あなたの勝利を感謝します。
あなたの勝利の許に身を寄せます。
どうか、私にも勝利を味わわせてください。
あなたがおられるから大丈夫、ということを知ることができますように。





2011-06-27

ちいさいな。

一番の失敗は先週の金曜日に、
「月曜日の朝に修理に行っていいですか?」という電話に、
「Sure.」と答えてしまったことだった。


実は1ヶ月前からコピー機が、2つあるトレーのうち、
1つからの紙を上手にfeedできなくなってしまっていたのだった。
1回見に来て、「これは部品が必要だ」と言われ、
「来週の初めに電話するから・・・」と言っていたので、
待っていたのだが、全然電話が来ない。
こっちもそんなに時間が取れないので、
コピー自体はその残った1つのトレーから給紙して取れるもんだから、
こちらから電話もしていなかったのだけれども、
さすがに1ヶ月近くたって、「どうしたの?」と電話した。


「電話したんだけど通じなくて・・・」と見え透いた嘘をつかれたのですが、
まあ、それは笑って赦して、で、「月曜日に修理に行っていいか?」となったわけです。


ま、いいか、と思って、今日、休日にも関わらず、
ちゃんと休まずに、教会オフィスでコピー機の修理屋さんを待った。
「なかなか来ないなあ」と思いつつ待つこと1時間半。
そして、それから昼を挟んで、作業が終わったのが3時間半後。
それで、ろくな説明もなく「部品変えたんだけど、ダメだった」と帰っていった。


9時から2時まで・・・、気持ち的には休みモードなんで、
ぼーっとしていたのですが、寝ることもできず・・・。


直さないで帰られた折には、さすがに行き場のない思いを持て余しておりました。別に彼が悪かったわけでもなく、エアコンもない部屋で汗びっしょりになって作業してくださったわけで、責める気持ちにもなれないんですね。


帰って、一人で「スタ丼」作って食べました。


なんだか、そんなことでイライラしたり、腹を立てたり、時間を有効に使えなかったり、なんだか、もう自分の小ささを思いっきり感じさせられる休日でありました。


さて、今日の聖書。
そんな一日、朝一番には何を思わされていたかと言うと・・・。
聖書の詩篇の109篇を読んでいました。


「祝福することを喜ばなかったので、それは彼から遠く離れました。」17節。


朝にはこの聖書の箇所を読んで、
「ああ、人を祝福しない人は、自分も祝福を失っていくんだな」と思わされていたのです。

自分は人を祝福する歩みをしているだろうか?
人に出会った時に、その人を祝福する祈りを心の中でしているだろうか?
その人を祝福する言葉をかけているだろうか?

そして、周りの人一人一人に、教会の一人一人に祝福を祈っているだろうか?

そう思って、「祝福を与える人、祈る人になろう」と思ったところだったのでした。

御言葉を読んでいるのに、
そして、語られているのに、
そのように生きられない、小ささを思い知らされたのでした。

神様、
祝福を祈るものとならせてください。
祝福を与えるものとならせてください。
教会の一人一人、出会う一人一人の祝福を祈ります。

2011-06-26

諸行無常を思う。

今日は気温は上がりませんでしたが、
湿度は一日85パーセント以上。
梅雨のような一日でした。
でも、明日から少しずつよくなるようです。

日曜日はカラッと行くみたいです。

・・・とここまで書いたのが、金曜日の夜。
その後、バタバタしていて、更新ができないでいました。

金曜日の夜は実は、ボストンの方に引っ越されるご一家と一緒に、
ゆっくり楽しく過ごしておりました。

で、思ったんですが、今まで、大体、お別れになる皆さんは
なんとか、できる限りお招きして、個人的にお話をするチャンスを持っているのですが、
なんだか、お別れになるよりもずっと前から、こうやってもっともっとお話をするチャンスを持っていれば、どんなによかったかな、と思ったわけです。

もっともっと皆さんと一緒に時間を過ごすことを大切にしたいな、
と思わされた、日でした。

今日はまた気持ちのよい夜を迎えています。
火曜日だけはちょっと蒸し暑く、雷雨もありますが、
その他はカラッとしたいい天気になりそうです。

今日発送作業をした月報ですが、
のんちが日本で経験したこと、感じたこと、書いてくれました。
おかげで、昨日、土曜日は夜遅くまで、夫婦で原稿書き+推敲。

その現実の重さ、痛みの大きさを思うと、
文章にする事の難しさを感じながら、二人で産みの苦しみを経験していました。

祈らされます。

先週読んでいたナホム書から。
「彼らは安らかで、数が多くても、
刈り取られて消えうせる。」1章12節。

このナホム書に出てくるのは、
当時の世界の中心であったニネベに対する神の裁き。

大きな町、滅びるなどは考えられない、その町が滅ぼされることが預言されている。

諸行無常・・・。
どんなに強いもの、大きなものも、
いつまでもその力を持ち続けることはない。

ニネベを首都としたアッシリアも、
バビロンも、
ペルシャも、
ギリシャも、
ローマ帝国も、
衰えていった。

今、自分はアメリカがいつまでも栄えると思っているかもしれない。
でも、それもわからないことを忘れないでいたい。

自分自身が与えられているものも、
いつ取り去られるかもしれないことを、忘れないで、
一瞬一瞬を大切に歩んでいきたい。

主よ、
あなたの大きさの前に、
謙虚に歩んでいくものでありますように。