2010-02-19

何によって動かされているか?

夜です。
昨日は今回では始めてオリンピックを一生懸命見てしまいました。
男子のフィギュアを一生懸命見るなんて初めてですよね。


でも、とても面白かったです。
安全策をとって確実な線を狙うか、
失敗してもいい、と大胆にチャレンジするか?


見てて気持がいいのは後者ですが、
自分はどちらを取るか、と言われると、
後者で行きたいと思いながら、
結局は前者のようなことをして、
自己嫌悪になる・・・かな。(いやあ、しょうもないですねえ)


さて、Purpose Driven Life の3日目。
「あなたを動かしているのは何か?」です。


この何に動かされているか・・・で、Purpose Drivenというのが、
この本の立場ですが、私の場合はどうしてもこの表現に引っかかります。
Gospel Driven であるべきなんじゃないかと・・・。


そう、福音に押し出されるように動かされる、
それが、本当だと思うんですが・・・


でも、今日のところで、本当に心がドキッとする言葉がありました。


「人の期待に応えていたら、きりがありません。あなたには、神のみ心を行うのに十分なだけの時間が与えられています。」


そう、彼がいう、目的がハッキリしないと、
いろんなことをやって、収拾がつかなくなってしまう。
それは時々感じます。


だから、Purpose Drivenという言葉が適当かどうかは別として、
目的意識をハッキリ持つことは、大切なんだと思いました。


そして、与えられた時間の中で、本当に自分がなすべきことをちゃんと見極めること、
それが本当に自分には必要なことだと思わされました。


さて、2月13日土ようびの聖書。
マタイ15章21-28節。


「ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」27節。

この女の人は、
パンくずでも、パンくずでも、
それでも、自分の娘は癒されると、信じていた。

それくらい、イエスの力を信じていた。
そうだ、パンくずでも大丈夫。
ほんの少しでも、主が私たちに恵みを注いでくださったら
それだけでも、本当に満たされる。
それくらい主は豊かな方だ。

だから、大切なのは素直さ、
ストレートであること。
本当に単純であること。

いろいろ考えすぎるのかな。
毎日書いているように思うけど、
バカのように単純に、
神様を信頼して歩んで行きたい。

主よ、
あなたの大きさを信頼します。
あなたの好意を信頼します。
だから、大丈夫です。
安心してあなたに従って行きます。
どうか、すべてを導き、与え、満たして下さい。

素の自分を受け入れているか?

日本から戻ってちょうど1週間。
やっとリズムができ始めてきたでしょうか。
久しぶりの朝の更新です。


昨日の朝、今朝と、それほど冷え込まずに、
ちょうど0度くらい。
たくさん雪が積もっていますから、
雪解けが待ち遠しいですが、
一昨日、「庭でフキノトウが採れた」という方がいました。
春はそこまで来ているんでしょうね。


来週の月曜日の夜から、火曜日にかけてはまた雪になりそうです。


昨日はPurpose Driven Lifeの第2日目を読みました。
テーマは「あなたは偶然に存在しているのではない」。
神様のご計画の中で私たち一人ひとりがこのように造られた、ということです。


そして、最後のQuestionですが、
「自分の性格、生い立ち、容姿などで、受け入れられないものはないですか」という問い。


実は、のんちと同じところを読んで、
夜休む前に、それについて分かち合い始めたのですが、
結構自分は、自分で受け入れていない部分があるんだなあと、自覚。
容姿もそうですが、性格も、
「ああ、もっとこうだったらいいのになあ・・・」という部分が結構あるんです。


「もっといろんなことを気にしない人間だったらいいのに」とか、
「もっと強い人間だったらいいのに」とか、


神様がこのように造られたのに、
それを受け入れられないでいる・・・。


それっていろんなところに出てきているでしょうね。
主が与えてくださった自分を
素で受け入れることが出来ますように。


さて、11月12日金曜日の聖書。
マタイ15:10-20。


「しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。」18節。

心から出るもの。
そうなんですよね。
結局、自分の内側にあるものが問われている。
どうやって生きるのか、
そんなことを考えてどうするか、ではなくて、
内側にあるものがどうしても自然に出てくるんですよね。

ですから、本当に主に求めます。
私の内側をきよめて下さいと。
内側から変えて下さいと。

結局のところ、
それしかないんですよね。

ただ、それを求めます。

主よ、
あなたの御業を求めます。
私の内側をきよめて下さい。
あなたの与えてくださった私の人生、
あなたが与えてくださった私の容姿や性格、
本当にあなたのみ手の中にあります。
ただ、私をきよめて、あなたのことを証する者として下さい。

2010-02-18

JOYJOY KIDS CLUB

久しぶりのJOYJOYキッズクラブ。
今週一週間は、学校が休みのところも多くて、
いつもよりもちょっと少なめ。
でも、最後は15人くらいの元気なみんなが集まりました。





毎回のことですが、
工作はみんな一生懸命。
全然時間が足りません。


最後に神様のことを語ります。
子どもたちの心に届くことを祈りながら。
子どもたちが辛いことや苦しいことに出会った時に、
助け主である方に目をむけることができますように。


さて、2月11日木曜日の聖書。
マタイ15:1-9


「こうしてあながたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしてしまいました。」6節。

人の言い伝えと神の言葉。
たしかに今も、どちらを大切にしているのか、
問われている場面もあるかと思う。

人の都合と、神様の御心、
どちらを大切にしているか、問われている場面もあると思う。

徹底的に、単純にみことばに従って行くものでありたいと思う。
バカのように単純に。
小賢しいことを考えることがありませんように。

主よ、
あなたのみ心を教えてください。
あなたのみ言葉に従うことを教えてください。
人の考えに振り回されることがありませんように。

Ash Wednesday 2010

昨日は更新出来ませんでしたが、
Ash Wednesdayでした。
イースターまでの日曜日を除く40日間、
イエスの十字架の苦難を覚えて過ごす日々を送ります。


今年は、イエスの苦しみに目を留めながら、
でも、そのイエスの苦しみを通して開かれた世界の祝福の方にもっともっと集中したいと思います。


去年の1月に読み始めようと思って見つからなくて読めなかったPurpose Driven Lifeですが、
今年はちゃんと日本語版があるので、昨日のAsh Wednesdayから、読み始めました。40日間かかって読んでいきます。


昨日のところから一言。


「自己啓発は、実際のところ助けにはならない。自己犠牲こそが、自分を、本当の自分を、発見する唯一の道であり、それがわたしの方法である。」


これは、マタイ16章25節の言葉のThe Messageという訳ですね。


かな〜り思い切った訳をしているこの英語の聖書を、
さらに思い切って日本語に訳しているので、ちょっとやりすぎかな、と思わなくもないですが、なるほど・・・と納得してしまいます。


自己啓発という訳もまた大胆ですが、私は、「自己実現」の方がピンと来るかな、と思います。


さて、2月10日水曜日の聖書。


マタイ14:22-36でした。


「群衆を帰したあとで、祈るために、一人で山に登られた。」23節。

このイエスの祈りの姿。
私自身もそこに従っていく者でありたい。
主との交わりの中にいつもいつもあって、
その中で力をいただいて歩んで行こうと思う。

主が私の力の源であり、
心の平安の源であり、
癒し主であり、
導き手であり、
支えてくださる方なのだから、
そのお方との時間を大切にしよう。

そのお方とともに歩んで行くことが、
私の一番の願いなのだから、
具体的にそれを実行しよう。

人々が帰った後で、一人で祈る者でありたいと思う。

主よ、
あなたと共に歩める幸いを感謝します。
どうか、あなたと過ごす時間がもっともっと充実した時となりますように。
喜びと感謝にあふれた時となりますように。
エキサイティングな時となりますように。



2010-02-16

結構降った。

今日の雪ですが、
大方の予想を裏切って、結構降りました。
一日降っていました。


朝、起きたときは「大したことないじゃん」だったのですが、
その後、降り始め、夕方までに20センチくらい降りました。


やはり予報は難しいですね。
人によっては心の準備が足りなくて、
驚かれた方々もおられるでしょう。
昨日の予報だと、昨夜のうちが中心だという話でしたから。
予報は「予防」だから、悪い方に考えていて損はしない。
でも、あんまり「雪だ〜、雪だ〜」って騒いでおいて、
ふらないと、「狼少年」と言われてしまいますから、悩ましいところですが。


10日くらい前の土曜日、雪の予報が出ていたのですが、
予報よりもホンの少しだけ、北の高気圧の力が強くて、
ここら辺は全くふらなかったのですが、
ほんの少し南に降りて行くと、
予想以上の大雪だったのです。


ちょっとした低気圧の進路の違いで、
高気圧の強さの違いで、
雪の範囲が50キロとか、北に南にシフトする。
たぶん、空から見ると、大きな違いはない。
でも、近視眼的に、自分の目からしか見ていない私たちには、
「大外れ」に見えてしまうんですよね。


人生もそうかも知れません。
神様から見たら、本当に小さなことなんですが、
私たちの近視眼的な目で見たら、
大きな大きな問題に見えてしまう。


神様の見方でモノを見る、そんな訓練を受けているように思います。


さて、2月9日(火)の聖書。
マタイ14:13-21。

「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」16節。

「いつか、神様が与えてくださる」
それは、信仰のことばであることは間違いがない。
でも、主はある時には「あなたがたで・・・」と言われる。
その時に、自分たちの手の中にあるものを見る。
神様の手の中にはどんなに大きなものがあるか知っているけれども、
「あなたがたの手で」と言われたときに、どうしても、
自分の手の中にあるものを見るから、
やっぱり焦る。

現実はそうだ。

5つのパンと2匹の魚。

それしかない。

「これだけある」という気持ちが大切だと言われるけれども、
やっぱり、ないものはない。

5つのパンと2匹の魚しかない。

でも、そこにとらわれない。
主を見上げる。

それが主の訓練。

すべての必要の供給者である、主に目を向ける。
「それをここに持ってきなさい」という主の声に耳を傾ける。

主よ、
私たちが、あなたの訓練から逃げることがありませんように。
どんな現実を見ても、それに縛られることなく、
あなたの御手を見ていくことができますように。

2010-02-15

引き込まれるもの。

雪の夜です。
9時頃から小雪が舞い始めていますが、
まだ大したことはありません。


明日の朝起きたらどうなっているでしょうか?
予報では5-10センチとなっていますが、
もしかしたらそこまでも行かないかもしれません。


先日、日本でお会いしたRainbow Music JapanのJunさんから、
新しいCDをいただきました!
一昨年に我が家に滞在されている時にレコーディングされたものです。
満を持しての発売。
どれほど待ったことか!


その中の一枚が「お天気の歌」が入っている「GENTLE BREEZE」。


でも、歌はおまけトラックで、メインはpiano instrumentalです。
そのピアノが引き込まれてしまうものなんです。
だいたい、このような耳に優しい音楽は、
何かをやりながら、聞き流してしまうことが多いのですが、
このCDは何かをやりながら聞こうと思っても、
いつの間にか、引き込まれて、仕事が進まない・・・。


そういえば、今日は地区の日本語牧師会だったのですが、
その後、ちょっと残って話をしていた皆さんの話。
神学校時代の音楽の先生なんですが、
その先生が指揮をすると、いつの間にか、みんな声が出ている、
いつの間にか、楽器になっていると。


そうですよね。
「歌いなさい」「聞きなさい」と言われなくても、
引き込まれる世界がある。


礼拝も「礼拝しなさい」と言われなくても、いつの間にか引き込まれている礼拝。
「聖書に聞きなさい」と言われなくても、聖書の前に立たせられている礼拝。


そんな礼拝の導き手、そんな説教者とならせていただきたい、と思わされます。


さて、2月8日(月)の聖書。
マタイ14:1-12。


「それは、ヨハネが彼に、『あなたが彼女をめとるのは不法です。』と言ったからである。」4節。

これは、バプテスマのヨハネが最終的に命を落すことになるきっかけとなった出来事。
王様に対して、彼は「それはおかしい」と言い続けた。

別に黙っていることもできただろう。
中立を装うこともできただろう。
でも、ヨハネは語るべきことを語った。
逃げないで、語るべきことを語った。

この勇気、この大胆さ。

自分にとって何が一番大切なんだろうか。
いのちだろうか?
名誉や評判だろうか?
安寧だろうか?

主よ、
語るべきことを語る勇気を与えて下さい。
そして、命さえかけるべき時がもしも来ても、
ひるまない強さを与えて下さい。

2010-02-14

バレンタインだしね。

今日は久しぶりのNJでの礼拝。
ああ、やっぱり「帰ってきた」という感じはする。
共に礼拝出来る喜びを心から感じていた。


でも、もっともっといろんな方々とゆっくりお話をしていたかった。
日本滞在は短かったけれども、
いろいろな方々とお話をするときが与えられて、
本当に幸いでした。


そんなことを考えると、もっともっとこのNJの方々と、
丁寧な関係づくりをして行きたいと思わされました。


心から感謝して。


そして、今日はバレンタインデー。
役員会があったので、帰ったのは遅くなってから、
プラス、とて〜も眠くなったので、
一寝入りしてしまいました。
幸い10分で起きて、元気を取り戻しましたが、
これからでかけるのも・・・という感じで、
ダイニングテーブルにPCを二つ並べて、
それぞれメールを送ったり、調べ物をしたりと、
まったりと、バレンタインの夜を過ごしています。


そんな中で、見つけた写真。
ちょっと前のネタなんですが、この日にちなんでご紹介。






はい、補習校2年生のサキの宿題。
日本語を勉強中の彼女は、時々楽しい例文を作ってくれます。


「親愛」なんてどこでそんな言葉見つけてきたのかわかりません。
だいたい、英語の「Dear 〜」の訳文として「親愛なる・・・」と使う以外、
見たことがない日本語なんですが・・・。


それにちょっと肝心な漢字がビミョウに間違っているし・・・。
「母」は漢字なのに、「ちち」はひらがななところとか、
「ちちと母」じゃなくて、「母とちち」なところとか、
ちょっと気にはなりますが・・・。




ま、気持ちはありがたく頂戴しておきましょう。


はい、サキの「母とちち」は、確かに「親愛」です。




明日、月曜日はPresident Dayは祝日です。
でも、お仕事のある方も多いようですね。
アトランタのハジと話したら、やっぱり休みではないみたい。


私は地区の日本語の牧師会です。


その夜、ちょい雪がありそうです。
多ければ、15センチくらい行くかも・・・と言っています。


先日の雪を逃している自分としては、
ここらへんで、15センチと言わず、今年の思い出に残る雪を経験しておきたいような気もするのですが・・・。


さて、2月7日(日)の聖書。
マタイ13:44-58でした。


「そして、イエスは、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇蹟をなさらなかった。」58節。

不信仰が神様の御業を妨げる、という。
これは大変な問題。
ビクっとした。

不信仰のゆえに、主の奇蹟が起こらなかった、
と言われるようにはなりたくないなあ。

本気で主を信頼する勇気。
主を信頼する喜び。
そこで見せていただく神の御業、
与えていただきたいと思った。

主よ、
どうか、あなたの御業を見せてください。
あなたを信頼して、歩んでまいります。
どうか、信じるものに与えられる祝福を味わわせて下さい。

正座していて急に走ると転ぶ。

みたいな、感じにならないようにと思います。
帰ってきたら、たくさん課題があるので、
気は焦るのですが、与えらえている時間は決まっているので。

でも、そう、帰りの飛行機の中で読んでいた「クロワッサン」に紹介されていた、
「がん哲学外来」の樋野先生の記事、

見出しが
「今の医者に一番必要なのは、暇げな風貌と偉大なるおせっかい」。

「偉大なるおせっかい」については、まだ消化しきれていないのですが、
「暇げな風貌」は牧師についても言えますよね。

忙しそうに見える牧師はダメだよねえ。

だから、正座している足をゆっくりと上げて、
ゆっくりとしびれをとろうと思います。

だから、何が言いたいかというと、
今夜は遅いのでもう休みます。
12時を回って14日になってしまいました。

ではでは。

あ、ちなみに、この樋野先生、NCのTさんのお友達?でしたっけ?
うちの親父と同じ出雲の出身。
クリスチャンの先生ですよね。ハーベストタイムで紹介されていたような・・・。

調べ始めると夜更かしをしてしまうので、
ほんとにここらへんで。