2009-04-17

暑いくらい。・・・だけど。

いやあ、今日は汗ばむくらいでしたね。
最高気温は23度を超えました。
でも、でもですよ。
今朝、車のガラスには霜が降りていました。
最低気温は0.7度。
この温度差にはカラダがおかしくなりますよね。


今、夜中の1時前ですが、
外はまた冷えてきました。
でも11度。
明日の朝は7-8度はあるでしょう。


だとすると、スタートが今日よりもかなり高いから、
昼間は25度突破は確実です。
半袖ですね~。


でも、でもですよ。日曜日からまた冷えてきて、
月曜日は一日10度以下です。
カラダ、気をつけて下さい。


今日も朝と夜、集会がありました。
どちらもどちらかというといつも来られている方々が、
集われました。


それぞれに集会を愛して、
その時間を楽しみにして集ってくださる方々がおられるのは
とてもうれしいことです。
それ故に毎回が真剣勝負です。
でも、先日のみことばが、私を支えます。
自分のがんばりではなくて、
神様の導きに従って、網をおろしていく。


これからも、主に祈って答えをもらっていこうと思います。


明日の午後、ハジをアトランタに行かせます。
日曜日は向こうの日本語教会で礼拝を守り、
月曜日には大学のOpen Houseです。
もしも、そこで特に不安になるようなことがなければ、
その大学に進みたい、と思っているようです。


主がその心に語ってくださり、
どのような決断をしたとしても、
平安と確信を与えてくださいますように。


さて、4月13日(月)の聖書。
月曜日にはヨハネ20章11-23節を読みました。


「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」21節。

神がイエスを遣わしたような遣わし方で、
わたしたちを遣わしてくださる。

私たちを主は用いようとされている。
この一週間そのことを強く感じさせられた。
主は私たちがこの世に対して、
出会う方々に対して、インパクトを与える者となるようにと、
願っておられる。

そして、父なる神がいつも子なるイエスと共におられたように、
主が、私たちと共にいてくださる。
いつもともに行ってくださる。

場が盛り上がるかどうかが大切なのではない。
どんな会話がそこでされて、心に触れる働きができるかどうかだ。

主が用いてくださることに感謝。

主よ、
どうか、私をあなたの僕として用いてください。
あなたのことを伝える者としてください。
本当に魂に触れる働き人とならせてください。
あなたの御業を見せてください。
遣わしてくださることに感謝します。

2009-04-16

春ですね~。

予報通り一気に春になりました。
今日は朝から晴れて、
朝は1度まで下がったのですが、
昼間はぐんぐん気温が上がって、
19度まで上がりました。


一気に春です。


いっぺんにいろんな花が咲き競っています。
写真が撮れればいいのですが、
今日はできませんでした。


でも、ホント、気持ちがいいです。
私が花粉症で苦しんでいる木の花はまだ咲いていないので、
この数日はなんとか、春を楽しめそうです。


今夜は冷えて、今、夜の11時ですが、6度。
明日の朝はまた2-3度まで下がりそうです。


でも、明日の昼間は確実に20度を超えます。
いいですね~。


今日は我が家での家庭集会の2回目。
今日はまた、たくさんの方々が来られました。
特に小学生の子供を持つお母さんたちがたくさん。
皆さんのお話を聞いているだけで、
いろんなことを考えさせられます。


皆さん、こちらに来られて、
子供たちが学校に行き始めて、
苦労しながら、がんばっておられる。


教会の存在が、わたしたちの存在が、
少しでも助けになれば、
そして、神様のことをお伝えすることができれば、
と思います。


昨日の、「網をおろしてみなさい」との言葉、
深く心にとどまっています。


さて、戻って、イースターサンデー、4月12日の聖書。
4/12はヨハネ20章1-10節。


「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」2節。
マグダラのマリヤにとっても、
イエスの復活は簡単には信じられなかった。
まず、石がどかされているのを見て、
「誰かがイエスのからだを持っていった」と決めつけた。

イエスが復活するなんて、考えられなかったのだった。

そう、イエスの復活は人間の常識を越えている。
「普通そうは考えないだろう」というレベルのこと。
マリヤの思いこみの方がずっと常識的だった。

でも、それが常識的だろうが何だろうが、
本当に起ったことではなかった。

本当に起ったことは、復活だった。

そのわたしたちの考えを超えたことをしてくださる主の力を感じました。
主の大きさを感じました。

わたしたちの頭で思いつくことではない、
わたしたちが一生懸命考えて、出る結論を超えることを、
主はしてくださる。

その復活の力が、わたしの内に与えられている。
その復活の力が、教会にも注がれている。

明日も2つの集会があります。
主が本当にわたしたちの考えを超えたことを、してくださいますように。

主よ、
あなたのなさることは、わたしたちの考えを超えています。
復活はその頂点です。
その力が、今も、わたしたちのうちに注がれていることに感謝します。
明日の集会一つ一つにも、そこに集う一人一人にも、
私の考えを超えた、不思議なことをしてくださいますように。

2009-04-15

網を下ろしてみなさい。

今日の雨は午前中、ちょっと降っただけで、
午後には明るくなってきて、ずいぶん暖かくなってきた。


明日は15度、あさっては20度、そして土曜日は夢の25度。
ほんとにそうなるでしょうか?


2日間、夜ちゃんと眠れて、
今日はずいぶん、調子がよくなりました。
一気にほぼ100パーセント。
お祈りくださった皆さんに心から感謝します。


でも、無理は禁物だと思うので、
明日(木曜日)の夜の予定をキャンセルさせていただき、
週末に備えます。


さて、順番からすると、日曜日の聖書の箇所の番なのですが、
今日、与えられたところから、本当に励まされ、力を与えられたので、
4月15日(水)の聖書。


今日はヨハネ21章1-14節。
「イエスは彼らに言われた。『舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。』そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。」6節。

弟子たちは夜通し働いたけれども、
一生懸命働いたけれども、
何も取れなかった。
そんな彼らに、疲れ果てた彼らに、
右側に網を下ろしなさい、と主は言われて、
それにしたがって、網を下ろしたら、
たくさんの魚が獲れた。

私も、今日までの1年間、がむしゃらに主に仕えてきた。
十分であったかというと、不十分だったと思うけれども、
でも、夜通し漁をしていた弟子たちと同じように、
力を尽くしてきた。

でも、昨年の受洗者は一人。
今年もまだ与えられていない。
だから、夜通し働いて何も獲れなかった弟子たちの気持ちがわかる。
もちろん、伝道は決して牧師一人でするものではない。
だから、「こんなにがんばったのに・・・」というのはおかしな話だという感覚もある。
でも、それでも、この弟子たちの夜通し働いて何も取れなかった姿に、
今の自分が重なって見えた。

今朝、主がそんな私に「お前ががんばっても、何も獲れない。私に任せなさい。私の言うとおりにしなさい。」と言われたように思いました。

もう一度、主から力をいただいて、
主が導かれるままに語らせていただきたいと思います。
仕えさせていただきたいと思います。
主に御手で用いていただきたいと思います。

主よ、
あなたに語られたとおり、網を下ろしてみます。
どうか、あなたの御心をなしてください。
祈りつつ、あなたに聞きつつ、従っていくことができますように。
一生懸命がむしゃらに自分の力でがんばるのではなくて、
神様、あなたの御手の中で、あなたに使っていただくことができますように。

2009-04-14

弟子として。

まだ、10時前なので、もう一つ更新。
眠くなる風邪薬を飲んだので、
眠くなったら終わり。

4月11日土曜日の聖書。
11日はヨハネ19:31-42でした。


「イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取りかたづけたいとピラトに願った。」38節。

恐れて今まで隠していたことを非難すべきか、
それとも、ここで恐れずにピラトの前に出て行ったことをほめるべきか。

アリマタヤのヨセフはひそかに弟子になっていた、という。
イエスの弟子としての歩みは、
それを隠すようなものではない。

イエスは言われた。
「あなたが人々の前で、私のことを恥ずかしく思うならば、私も天使たちの前であなたのことを恥ずかしく思う」と。

恥というよりは、恐れかもしれない。
それによって人々が持つ反応に敏感になりすぎているのかもしれない。
わかっているけど、ことさらそんなこと言わなくても・・・というのもあるだろう。

だからこそ、聖書は何度も言っているんだろう。
私のことを隠すなよ・・・と。

主にあって、大胆に証しをしていく、
もちろん、言葉にならない証しもすばらしい。
でも、それはもちろんだけれども、
言葉でも、はっきりとイエスを告白していきたい。

主よ、
ヨセフがここで大胆にカミングアウトしたように、
私もイエスの弟子としてカミングアウトすることができますように。
教会の一人一人にも立場を明確にする勇気を与えてください。
あなたご自身がとりでとなってくださいますように。

大丈夫かも。

昨夜は熟睡できて、
今日はかなり元気になりました。
60パーセントくらい。
でも、ここで飛ばさないように、ちょっと慎重になっています。

今日、また一つ新しい集会が始まりましたが、
守られて、多くの方が集まり、
とても励まされる集まりでした。
またこれから、主がこの集会を用いてくださいますようにと、
祈らされます。

さて、今日2回目の聖書。先週の金曜日、4/10の分です。
4/10はイエスの十字架の日。
ヨハネ19:28-30、たった3節ですがいろんなことを考えさせられるところです。

「完了した」30節。

イエスは私たちの救いの道を完成してくださった。
それは単に十字架上の6時間のことでもなければ、
裁判からの12時間でもなく、
最後の一週間でもなく、
33年間の生涯、ずっと続いていた道。
それを、イエスは完了された。

イエスが完了してくださったがゆえに、
私たちはそれを受け取ればいい。

でも、やはり、いつもいつも、
それが完了されるためには、
どれほどの汗と涙と血が流されたかを忘れないでいたい。

あたりまえだなどと思わないで、
感謝の気持ちをいつもいつも持ち続けたい。

主よ、
あなたの十字架の血潮を感謝します。
あなたの33年間の完成までの道のりを感謝します。
「赦される」ということの意味を履き違えないように、
「赦される」ことの大きさを忘れないように、
守ってください。

これからのTAX。

明日はアメリカではTAXファイルの締め切り。
日本と違って、勤めている人も含めてみんなファイルしなければいけません。


牧師が免税だなんて、無責任なことをのたまわった方もおられますが、
日本でも、アメリカでも「まさか」です。
確かに、一部優遇されているかも・・・というところもありますが、
ちゃんと払っております。


今年は大学のFinancial Aid申請のために早くファイルでしたのですが、
息子が17歳になっていたことを計算に入れていなくて、
かなり後から払わなければいけない羽目になりました。
(16歳までの扶養家族一人当たり1000ドル税が引かれる)

多くの牧師の場合は天引きではなくて、
自分でEstimate Tax(見込み税)を払います。
ですから、見込みが甘いと、ファイルする段階で、
足りない分、たくさん払わなければいけなくなります。


今年は、Education Credit等が、
どうなるのか、わかりませんが、
最低限のものは納めておかなければと、
今日、1-3月分を納めました。


オバマさんになって、どうなるんでしょうか?
16歳までの扶養家族一人当たり1000ドルの税金減額はブッシュさんが始めた時限処置。
これがなくなってしまうと、一気に2000ドルも税金が上がります。
日本のように少子化が問題になっていないアメリカなので、
日本ほど至れり尽くせりになることはないとは思いますが、
何とか配慮してほしいものです。


今朝はそれほど冷えなくて暖かいと感じたのですが、
やはり午後から雨で、ちょっと肌寒く感じます。


明日も雨。


木曜日からは晴れて暖かくなるようです。
いやあ、もう、いいかげん、春らしくなってほしいですよね。


さて、先週木曜日、4月9日の聖書。
4/9はヨハネ19:17-27


「女の方。そこに、あなたの息子がいます」26節。

自分のことで精一杯の人々の中で、
一番、苦しんでおられたイエスが、
母親のことを心に留めて、
母親をヨハネに託した。

イエスはいつも自分のことではなくて、
周りの人々、そう、私たちのことを心に留めていた。

「父よ、彼らをお赦しください」と言った時も。
「すべてが完了した」と言われた時も。

イエスは十字架の上で、人々のことを思っていた。

自分の小ささを思い知らされる。
自分がいかに自分ばかり見つめて、
自分のことばかりを考えているかを。

イエスがそうされたように、
私も人々のことを思い、
人々のために祈り、
人々に仕える者とならせていただきたい。

主イエスよ、
あなたが十字架で祈られた祈りを、
私自身の祈りとさせてください。
あなたが十字架で思っておられたことを、
私自身の思いとさせてください。

2009-04-13

そろそろ復活しないと・・・。

今朝は冷えましたねえ。
氷点下1.8度。
でも、昼間は15度を越えました。
やっぱり春は春なんでしょうねえ。


でも、明日の朝は1度くらいまで下がり、
夕方からはまた冷たい雨になってしまいそうです。


イースターの写真、アップされましたね 。
みんな楽しそうです。
JOYJOYシンガーズもよく撮れています。


で、今日は夜眠れなかったのと、風邪の症状がちょっと出てきたのとで、
週に一度のお休みをいただいていることもあり、
ゆっくり休ませていただきました、というか、
朝、教会に祈りに行って帰ってきてからは、
ずっと休んでいました。5時ごろには復活して夕食の準備。
でも、腰がどーんと痛いです。

今夜は眠くなる風邪薬を飲みました。
粉末になっていて、お湯に溶かして飲むやつ。
おいしかったです。それだけで幸せな気持ちになっています。


さあ、今夜はぐっすり寝て、明日はフルで復活を目指します。


さて、先週の水曜日、4月8日の聖書。
4/8はヨハネ18:39-19:16でした。


「そこで、ピラトはイエスに言った。『あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。』イエスは答えられた。『もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。』」19章10-11節

ピラトは自分が十字架につけることもできるし、赦すこともできる、と思っていました。
しかし、本当はそうではなかった。
イエスを十字架につけるのはピラトではない。
神が御子を十字架につける。
イエスが自ら、十字架への道を歩む。

私も何でもできると思っているかもしれない。
でも、本当はそうではなくて、
神の御手の中に生かされている。
神の赦しの中に、神の愛の中に保たれている。

だから、主に祈ろう、
主に祈って答えをもらおう。
主が私の行く道を守り、
健康を支え、そして、御言葉を語るときに、
聖霊様が一人一人の心に触れてくださることを祈っていこう。

主よ、
あなたに祈ります。
いつの間にか、私がしているつもりになっていたことがありました。
でも、本当はそうじゃない、あなたがしてくださっていた。
そのことに気がつきました。
ですから、これから、もう一度祈り始めます。
あなたの御業がなされますように。
あなたの奇跡がなされますように。

2009-04-12

JOYJOYシンガーズ再び。

今朝はまた、気がついたら8時半。
ものすごいショックでした。
イースターの朝だったのに・・・。
まだ時差ぼけ後遺症で、なんだか、変な時間に眠くなったり、
目がさえたりするみたいです。


もしも、もしも、「今朝はイースターだから6時に教会に行こう」とこられた方が、おられたら、ほんとうにすみませんでした。


朝の気温は1.0度。
何とか氷点下にはならなかったんですね。
でも、今夜はなります。
今、夜の10時過ぎ(もう一回うとうとして起きたところ)で、
2.6度。


明日の朝の予報はどこも-3度くらいを出してきています。
BRRRですね。


お風邪など、お召しになりませんように・・・といいながら、
今朝からのどが痛いです・・・。


で、今日はイースター礼拝。
子供たちを含めると100人以上の方々が集って、
礼拝後の愛餐会を含めて、幸いなひと時となりました。


その中で、JOYJOYシンガーズの第2回目の賛美もあり、
みんな日ごろの成果+αくらいのものが出ました。
どうしてでしょうかねえ、
なぜか、本番に強い。
(教会のサイトの写真はまだみたいです。でも、写真だと、どうしても、シンガーズの生き生きとした様子がちゃんと見えてきません。なんだか、くそまじめに見えすぎちゃう、と思います。その場にいないとなかなかわからないんですねえ、あの楽しさは・・・)


程よい緊張感が普段の練習よりも、
いい出来にするのでしょうか?


大学でブラスをやっていたときもそんなことがありました。


でも、今回2回目で、
次は6月ごろを考えているのですが、
同じレベルでは飽きられてしまう・・・ということで、
(まあ、神様は飽きられないのでしょうが)
レベルアップを狙わなければいけません。


今週すぐに練習を再開して、
より心からの歌を、よりすばらしい音楽をめざして、
また楽しいアイディアも入れながら、
やっていこうと思います。


応援お願いします。


さて、先週火曜日、4月7日の聖書。
ヨハネ18:28-38でした。


「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」37節。

今度は総督ピラトに対して、堂々と答えられるイエスの姿。
イエスは王として来られました。
真理を語る者として。

人の反応に振り回されない強さと芯がありました。

そして、そのイエスのメッセージに確実に答える人々がいました。

それに引き換え、
自分は本当にどこまで揺れやすいんだろうかと思います。
どこまで、人々の反応に合わせやすい人間だろうかと思います。
もっともっと神様からメッセージを頂き、
神様の導きに従って歩むものでありたいと思います。

神様、
今日のイースターの礼拝とその後の愛餐会に感謝します。
来られた方々に、来られなかった方々に、
神様の守りと祝福がありますように。
そして、私の歩みが、いつもいつもあなたの導きに従ったものでありますように。

イースター。

イースターの朝の未明になりました。
説教の原稿を仕上げて、休むところです。


イースターの朝は寒い朝になりそうです。
今、未明の1時40分ですが、3.7度まで下がっています。


夜明け前にイエスの墓に行った女性たちにならって、
多くの教会で早朝礼拝が守られるようです。
Brooklyn Tabernacleの早朝礼拝は6時半とかラジオで言っていました。

早く起きて復活のイエスにお会いする気持ちで新しい一日を迎えたいと思います。


さて、4月6日月曜日の聖書。
4月6日はヨハネ18:12-27。


「わたしは世に向かって公然と話しました。わたしはユダヤ人がみな集まって来る会堂や宮で、いつも教えたのです。隠れて話したことは何もありません。」20節。

大祭司の前で、堂々と語られたイエス。
イエスはいつも変わらなかった。
人々の前でも、弟子たちと一緒でも。

自分もそのような者でありたいと思う。
人前でも、一人になっても、また近しい人々の中でも、
いつもいつも真実でありたいと思う。

明日の礼拝でも大胆に神様の愛の大きさ、
救いのすばらしさ、イエスの復活の力を、
大胆に語らせていただきたいと思う。

主よ、
あなたの守りの中で、
いつも大胆に生きるものでありますように。
大胆に歩むものでありますように。
いつも正直に語るものでありますように。
いつも恐れずに語るものでありますように。