2009-03-20

サッカー伝道青年に出会う。

金曜日の夜です。


海外で信仰を持って日本に帰られた帰国者クリスチャンのための
All Nations Returnees Conference
に参加しています。何だかものすごい申し込みが多かったようで、
いろいろ混乱もあり、スタッフの皆さんはてんやわんや(死語?)です。


集会もいろいろ思わされることがありますが、
やはり一つ一つの出会いに主の導きを感じます。


今日の夕食の時にたまたま隣に座った、若者。
Billyさんという白人の方でした。。


話をしてみると、今、タイでサッカーのコーチをしながら神様のことを伝えるミニストリーをしているらしい。


今回、日本に来たのは、日本でサッカーキャンプをするためというのと、あと、日本人のスタッフをタイに連れて行くため、だそうだ。その日本人のスタッフという若い子がその向かいに座っていた。


「どれくらいうまいとスタッフになれるの?」
「誰でもなれる」
「え?」
「サッカーができなくても、いろんな働きがあるから」
「でも君は?」


そこで、すかさず向かいの日本人の若者。
「彼は全米NO. 1だったんですよ。」
「え?それはチームとして?個人として?」(一応本人に聞こうと思って、英語で聞いた)
また日本人の若者が代弁。
「チームとして全米ナンバー1になったチームのキャプテンだったんですよ、そして、決勝戦のMVP。」
「わお。どの学校だったの?」


そこ出てきた名前が、P州のM大学。
マジですかあ?
NJの教会には卒業生も現役の大学生もいるおなじみの大学じゃん。


「いつ卒業したの?」
「4年前。だから、今はそのころほど上手じゃない。」


うーん誰ともかぶっていないかなあ、と思いながら・・・。


そこで、突っ込んで信仰の話も聞いてみた。
「いつ救われたの?」
「高校を卒業する1年くらい前」
「どうして?」
「サッカーのチームメートが神様のことを紹介してくれたんだ。それで、聖書を読んだ、1年、ずっと読み続けた。そして、『これだ!』と思ったんだよ。」
・・・すごい、やっぱとにかく伝えるべきだよねえ。


「ふーん、で、クリスチャンカレッジのM大学だったんだね。」
「そうだよ、神様のために働く準備ができて、サッカーも強い、もう、no other choiceだね。」とビリー君。
知らなかったなあ。その大学がそんなに強いサッカーチームを持っているなんて・・・。


他にもいろいろ話しました。
今のタイでの経験とか、将来のビジョンとか。
すばらしいですね。スポーツを通したミニストリー。
NJでも、日本でも必要ですよね~。

さて、昨日、木曜日の聖書。
木曜日はヨハネ12章34-43節。


「彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである。」43節。

どきっとする言葉です。
神からの栄誉よりも、人からの栄誉を愛した、と。
自分はどうだろうかと思わされます。
自分は神様からほめられることを、本当に大切にしているだろうか?
人からほめられることを求めていないだろうか?

人からそっぽを向かれても、
主に単純に、従っていくことができるだろうか?
そのような生き方をすることができますように。
主が喜ばれること、それを単純に求めていくことができますように。
人の反応に振り回されてしまうことがありませんように。

主よ、
私の心を探ってください。
あなたよりも人を大切にすることがありませんように。
あなたを第一とさせてください。
あなたの喜ばれる歩みをさせてください。

2009-03-18

あやまるなよ。

日本にいて、すごい違和感のあることがある。
それは電車の車内放送。


今日も大阪から新大阪に行く電車の中で、
こんな放送が流れていた。


「大阪駅におきまして、
車内で急病の方の救護をしておりましたので、
この電車は4分ほど遅れて大阪駅を出発しました。
皆様、お忙しい中、大変ご迷惑をかけて申し訳ありません」


正直言って、「何で謝る!?」と思う。


胸を張れと。


急病の方の介抱をしていたなんて、
謝るべきことではない。
たとえ、それで電車が遅れても、
絶対に謝るべきことではない。
正しいことをしていたし、
するべきことをしていたのだから。


文句を言うヤツがいたら、
そいつがおかしい。


電車の中で倒れている誰かを介抱することよりも、

自分の時間の都合の方を
優先させろと文句を言うヤツがいたら、そいつはおかしい。
そんなヤツの言うことは聴く必要はない。


簡単に謝るな。


「お待ち頂き、ありがとうございます」
「皆さんのご理解に感謝します」
くらいにしておいて欲しい。


そういえば、
東京でも、こんな放送があった、
「この電車1分半ほど遅れております。お急ぎのところ、大変申し訳ありません」


おいおい・・・そんなの遅れたうちに入るか?


確かに、自分も高校の時とか、
「この時間のこの電車の何両目に乗って、茅場町で降りて走ると、日比谷線の日吉行きがちょうどホームに入ってくる」と決まっていて、東西線が遅れたりして、日吉行きに乗り遅れると、「ヤバイ」と思ったりした記憶がありますが、そんなのも、考えてみたら、いつもあんまり正確すぎるから、それが当たり前だと思っちゃうんですよね。でも、その感覚、「あたりまえだ」と思わない方がいい。


ちょっとくらい遅れても気にしない、
そのたくましさをこの国も持って欲しい、と思います。


とにかく、そんなことで謝らないで欲しい。
悪いと思っていないなら、「申し訳ありません」なんて言わないで欲しい。


誰かの機嫌を取るようなことを言わないで欲しい、
本当に、そう思いました。


さて、今日、水曜日の聖書。
水曜日はヨハネ12章20-33節。


「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。」25-26節。


自分はいったい何を愛しているのだろうか。
自分のいのちを愛していないだろうか?
自分の安楽や安定や楽しみを愛していないだろうか?
自分の利益を愛していないだろうか?

心の奥底まで見つめて、そんなことはない、と言えるだろうか?

主が自分をわたしたちに与えてくださったように、
自分のいのちをわたしたちに与えてくださったように、
イエスの弟子である私は、
自分のいのちを、人々に与える生き方ができますように。
そのような愛にあふれて歩むことができますように。

主よ、
あなたの歩まれたように、
歩むことができますように。
私が何を愛しているのか、
探ってくださってありがとうございます。
与える生き方をさせてください。

関西はすごいかも。

今日は本当に暖かかったです。
20度を超えたところも多かったようですね。


NJも暖かいようですね。


でも、NJの方は明日にはまた寒くなってしまうようで・・・。


さて、今は水曜日の夜ですが、
昨日、火曜日の夜は、夜の9時頃に宿泊先に着いたのですが、
その泊めて頂いた牧師ご夫妻が、
夜10時頃から「グンゼタウンセンター・つかしん」 の「湯の華廊」に連れて行って頂きました。
温泉です!気持ちよかったです。


グンゼの創立者はクリスチャンですから、
そこには教会もあります。


月曜日の「ガーデンズ」といい「グンゼタウン」といい、
関西は結構すごいかもですね。
もっと探検してみたいです。


関東にはどんなのがあるんでしょうか?


東京駅を使うことが多いので、
東京駅にある「キャラクターストリート」は結構楽しいかも・・・と思いますが、
規模がちょっと小さいです。


火曜日は午後神戸市北区の家庭集会。
NJ関係の方のお宅で、集っておられる教会の家庭集会で、
みことばを語らせて頂きました。
十数名の方々が集まっておられて楽しい集まりでした。


夕方には一つのお宅を訪問。


今日の朝はNJのかたがたのための集会だったのですが、
皆さんご都合が悪く、
先生方との祈り会になりました。
特に体調を崩されて来られなかったご高齢の姉妹のことが心にかかります。


夜は東京に戻って、
大学時代の友人と会食。
経済の専門家と日本とアメリカの話、大いに盛り上がりました。


明日からは帰国者のためのカンファレンスです。
400人くらい集まるみたいですね。
たくさんの方々との新しい出会いが与えられて、
たくさんの充電の時となりますように。


更新できるかどうか、わかりませんが、
帰ってくるのは日曜日の夜です。


さて、昨日、火曜日の聖書。
火曜日はヨハネ12章12-19節。


「恐れるな。シオンの娘。見よ。あなたの王が来られる。」15節。

「恐れるな」という言葉。
そして、「あなたの王が来られる」という言葉。
本当にありがたく読みました。

この方が、私の王となってくださるから、
私の王として、来てくださるから、
だから、安心して、この方に信頼して、
歩んでいきたいと思いました。

恐れないで、この方の導きに信頼して、
この方が語られること、示されることに、
従って歩んでいきたいと思いました。

主よ、
あなたが私の王となってくださることに感謝します。
あなたに信頼して、歩んでいくことができますように。


2009-03-16

日本のトイレ。

昨日は、西宮のショッピングモールで会食。

ほとんどアメリカのショッピングモールです。
でも、お食事するところはずっといい。


そして、トイレもすごいです。
こんな記事もありますが、ホントにそうです。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0903/16/news087.html



このショッピングモールのトイレも水で洗ってくれるトイレ。


また、つい、この間まで、日本に行く時には
ハンカチを忘れて、手を洗った後、困ってしまっていたのですが、
今や、ほとんどそんな場面はありません。
そう、今回もハンカチを持ち歩いていませんが、
困りません。


こんなので、吹き飛ばしてくれます。


あと、余りアメリカにはないのが、
このベビーに待っていてもらうシート。
そう、自分が用を足している間、
子供をどうするか、で困ってしまうパパたちのための
(もちろん、婦人用トイレにもママ用があるでしょうが・・・)
暖かい配慮ですね。
あちらこちらのトイレにあります。
まだ、使っているお父さんを見たことはありませんが・・・。


さて、月曜日の聖書。
月曜日はヨハネ12章1-11節。


「マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。」7節。

昨日は、このマリヤの霊的な敏感さについて考えさせられました。
十二弟子が自分のことで、心の中がいっぱいだったのに対して、
このマリヤはイエスのことで心がいっぱいでした。

イエスが死を目前にしていることを敏感に感じたのではないかと思います。
いや、もしかしたら、そこまで意識していなかったかもしれません、
でも、イエスにこれをささげるのは今だ、今しかない、と思ったのではないでしょうか。

その時を見る目、
その時を見極める、信仰、
私も与えて頂きたいと思いました。

そのためにいつもいつも神様に目を向け、
自分のことではなく、神様と神様の愛してる人々のことに
目を向ける者でいたいと思います。

今日もこれから集会があります。
神の語られるみことばを求め、
神が何をわたしたちに求めておられるのか、
そこに目を向ける者でありたいと思います。

主よ、
あなたに目を向けて、
あなたの願われることに敏感な者とならせてください。
あなたの導きを敏感に読みとる者とならせてください。
それを私の喜びとしてください。

神の言葉を告げる人。

日本は火曜日の朝です。
昨日から明日まで関西です。

とてもいい天気で暖かくなりました。
途中、新幹線の窓からも日本一の富士山が、きれいに見えました。
ちょっと雪が少ないような気がしますが・・・。


関西も神戸の南の方とか、海沿いは花粉が少ないようです。
今日はちょっと山の中に入りますので、
要注意ですね。


昨日お会いした方々も、
1年ぶりの方も、数年ぶりの方もおられました。
神様の守りと導きに感謝します。


さて、日曜日の聖書。
日曜日はヨハネ11章45-57節。


「ところで、このことは彼が自分から言ったのではなくて、その年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。」51-52節。

この聖書の箇所はイエスに敵対していた大祭司が、
イエスの死の意味を預言していた、ということを言っているところです。
これはまたいろいろ考えさせられます。

説教者の人格を見て、わたしたちはその言葉を聞いたり、聞かなかったりします。
あのような人の話は聞きたくないとか、
どうしても素直に聞けないとか・・・。

もちろん、説教者として語る時はそのことを忘れないでいたいと思います。
つまり、生活のすべての側面が問われる、
みことばに従って生きることが語ることよりも大切、
ということです。

でも、自分が聞く側に立った時に、
神様は、その人の人格を超えて、
神様がこの人を通して語る、と決められた人を通して語られる、
ということを忘れないで聞く者でありたいと思います。

今週の後半、そして、来週も、
どちらかというと充電の時、
学びの時が与えられています。

その時に、主が何を私に語ろうとしておられるのか、
それを本当に素直に聞く者でありたいと思います。

主よ、
あなたのみことばを素直に聞く者でありますように、
斜に構えて聞くのではなく、
主の語られることとしてまっすぐに聞く者でありますように。
主よ、人を通して語られるあなたの言葉に、
従順な者であります用に。

2009-03-15

おりかえし。

日曜日の夜です。
今日は関東・茨城でしたが、
とてもいい天気でした。
花粉を恐れましたが、
やはり、花粉の宝庫、秩父・奥多摩から離れていたせいか、
それほどきつくありませんでした。


たとえば、ここ で花粉の飛散の様子を見ても、
ちょうど、今日行ったあたりは花粉の量が少なめです。


今日も、守られて感謝。


今日お招き頂いたのは、
のんちの郷里の教会。
義姉夫婦が集っていますが、
その一家、義母も礼拝に出席してくれました。
おいやめいとも久しぶりに楽しく話をさせてもらいました。
感謝。


午後には茨城県内にいる10年前に帰国されたメンバーが
1年ちょっと前に結婚された奥さんと一緒に来訪してくれて、
幸いな語り合い、祈り合いの一時を持ちました。


日本も折り返し地点まで来ました。
ちょっとホームシック気味ですが、
(家族というより、教会なんですがね・・・ハハハ。)
ここまでの歩みに感謝しつつ、
これからの後半戦に大きく期待しつつ・・・。


さて、昨日、土曜日の聖書。
土曜日はヨハネによる福音書11:28-44でした。


「霊の憤りを覚え・・・」33節。

イエスは人々の悲しみを前に、
人々の涙を前に、
死の前の無力感を前に、
霊の憤りを覚えられたという。

今日も墓参をしながら、私自身も、
いろいろ考えさせられた。
死の力について、その前の人間の無力感について。

罪の力、死の力は人を絶望に追いやる。
でも、主はその死に勝利された。
死に対して勝利を宣言されて、
本当に死に勝利された。

感謝。

主の憤りを、私の憤りとし、
主の勝利を、私自身の勝利とさせて頂きたい。
「わたしはよみがえりであり、いのちである」と宣言された、
イエスの力によって歩んでいきたい。

主よ、
どうか、私にあなたの憤りを教えてください。
私があなたが憤りを感じるポイントで、
へらへら笑いながらいい加減に過ごしてしまうことがありませんように。
あなたが憤りを感じるポイントで、
私も同じ憤りを感じますように。
そして、あなたの勝利を私の勝利とさせてください。


今から始まろうとしているJCCNJの礼拝を祝福してください。