2008-09-13

夏の終わり。

今日は昼から雨。
結構よく降りましたね。


今、まさに今、
ハリケーン・アイクがテキサスのガルベストンに上陸するところです。
ラジオでは、この低地の町には避難命令が出たけれども、
それを無視して残った人たちで、
2階までの普通の家に住んでいる人はまず助からないだろうと言っています。


なぜかというと、高潮。
高潮は2つの理由で起こります。
一つは気圧が低くなっているので、
海面が引き上げられること。
もう一つはハリケーンの進行方向右側では、
南風が吹いて、海の水が陸地側に寄せられること。


今回は7メートルの高潮が予想されています。


天気は決して甘く見てはいけません。


こちらは明日、日曜日と蒸し暑く、30度を超えそうです。
そして、月曜日にアイクの残骸が来て、雨が降りそうです。


さて、今日の朝、潤君たちが日本に帰って行かれました。
そろそろ成田に着く頃でしょうか。


本当に夏が終わったなあ、と思います。
思い返せば、8月8日から1ヶ月間、
いつも誰かが一緒にいました。
こういう日々、子供の頃からの夢でした。
楽しかったです。


ホント、心にぽっかり穴が空いてしまったかのようです。


潤君たちは初めてお会いしましたが、
もうずっと知り合いだったかのように感じています。
日本で、さらに豊かに用いられますように。
今回録音されたCDができるのも楽しみです。


Paramusのスタジオもすばらしかったようです。
特にピアノとの相性が最高だったみたいです。
ジャズのミュージシャンが結構録音しているみたいです。
そんなところが同じ町にあったとは・・・。
おかげで、家からスタジオに通うのも楽で、
神さまがすべてを導いてくださったことを感じました。


夜はNYで人にお会いして、(道が混んでて行きは2時間!)
帰りは直接教会に行って深夜祈祷会。
滑り込みセーフでした。


幸いな一日に感謝。
ぽっかり空いた穴を楽しんでいる場合じゃありません!


さて、11日(木)の聖書。
11日はサムエル第二6:1-11でした。


「ウザによる割りこみに主が怒りを発せられたからである。」8節。

運び方を間違えたダビデ。
でも、ダビデよりも、祭司の家系にいる者たちの責任なんだろうか?
本当は棒を穴に差し込んで担いで運ばなければいけなかった契約の箱を、
牛に引かせた。

だから、荷車が揺れて箱が落ちそうになったときに、
ウザは思わず手をさしのべた。
それが神の怒りを買った。

神は私たちが支えるべき方なのではなく、
私たちを支えてくださる方なのだ。

いつの間にか、私たちの生活の中でも、
また教会の役員会の話の中でも、
私たちが神さまを支えているかのような勘違いをすることがある。

でも、そうじゃない。
神さまは私たちに支えられなければいけないような方ではない。
私たちが神さまに支えられて歩んでいる。
そのことを謙虚に認めることの大切さを思わされました。

神さま、
わたしもウザと同じように、
あなたを支えているように勘違いをすることがあります。
とんでもないことですね。
あなたがわたしを支えていることを
決して忘れないように、
いつもいつも思い出させてください。


この夏に感謝します。
秋にすべきこと、一つ一つ確実に進めていくことができますように。



2008-09-12

祝福。

日付はとっくに変わっていますが、
自分にとってはまだ9/11です。
ですから、「今日」と書きますね。


今日は予報ではすかっと晴れるはずだったのですが、
どんよりで時々日が差す、という程度の天気でした。


今夜は大丈夫ですが、
明日は夕方にはにわか雨。
その後週末にかけて、不安定な天気となりそうです。


今日は3ヶ月ぶりのJOYJOYキッズクラブ。
久しぶりの30人の集まりとなりました。
とても久しぶりに来てくれたみんなもいました。


ゲームに工作に、絵本に、聖書のお話に、
みんな一生懸命でした。


少人数もいいですが、
今日くらい集まるとまた楽しいです。


またこれからもよろしくお願いします。


そして、夜は潤君たちのフェアウェル・ホーム・コンサート。
楽しい中にも深く慰めをいただく一時でした。


特に9/11だったので、そのことを語り、共に祈ったとき、
またそれについての歌を聞いているとき、
本当に心に触れる一時でした。
今までの7回の9/11の中で、わたしにとって、一番幸いな夜だったと思います。


さて、9月10日の聖書。なかなか追いつきませんが・・・
9月10日水曜日はサムエル第二5:11-25。


「ダビデは、主が彼をイスラエルの王として堅く立て、ご自分の民イスラエルのために、彼の王国を盛んにされたのを知った。」11節。

ダビデは前から神さまに王として選ばれていることを知っていた。
神さまが祝福してくださることも約束として与えられていた。
でも、ダビデがここで確信を持って、主の祝福を知ったのは、
やはり、ダビデが実際に王になってからのこと。
やはり一歩を踏み出したときに、見えてくるものがあるんだと思いました。
踏み出さないときに、私たちはそこまでは気がつかない。
気がついても、それが自分のものになっていない。

だから、大胆に求めて、
大胆に歩んで、
時には主に怒られて、
そんな風に自分が整えられることをうれしく思います。

主よ、
この一日の深い祝福を感謝します。
痛みを覚えるときも、あなたがいてくださるから感謝します。
どうか、痛みの中にいる人々に癒し主として訪れてください。
そして、わたしがあなたに従って歩めるようにしてください。

2008-09-11

7年。

今年もこの日がやってきました。

今朝、祈りの中で導かれて、
日本に帰られたご遺族のお一人にお電話しました。

神さまの守りがありますように。

時はいつもいつも前に進んでいて、
後戻りはしないはずなのに、
暦というシステムがあるから、
毎年毎年、ここに引き戻されます。

そして、あのとき、たくさんの日本人犠牲者のほとんどが、
私たちの教会とつながりがなかったことに痛みを感じたこと、
いつもいつもコミュニティーの中に生きることの大切さを教えられたこと、
もういちど思い出しました。
http://www.jccofnj.org/main/pastorsroom/pastor_1101.html

主よ、
どうか今日の一日をお守りください。
特に大切な方を亡くされた方々のために、
守りを与えてくださいますように。

2008-09-10

歩いた歩いた。

歩いたと言っても、
マンハッタンを歩き回ったのではないです。
今日の夜は高校のBack to School Nightで、
2人の子供たちがいるので、夫婦で手分けをして、
ひとりずつの子供のクラスを回ったのですが、
高校は時間ごとにクラスが違うので、
2時間くらいかけて、8つのクラスを回ります。


わたしがユキの方を担当したのですが、
歩く歩く。
迷路のような学校の中で、
あっちのクラス、こっちのクラスと歩き回ります。


いつもこんな感じなのか・・・と思います。
でも楽しかったです。
今年、High Schoolに入ったユキにとって、
本当に楽しい一年になってほしいなあと思います。


こちらはとても涼しい夜ですが、
南の方、メキシコ湾のハリケーンアイクは発達しながら、
西北西に進んでいます。
土曜日にはテキサスに上陸するでしょう。
ヒューストンのような大都市を直撃しないように祈るのみです。


また、日本でも沖縄の南に
非常に強い台風が北上しています。
こちらも要注意です。


さて、後1日で追いつきます。
昨日、9月9日火曜日の聖書。


火曜日はサムエル第二5:1-10でした。


「万軍の神、主が彼とともにおられた。」10節。

結局のところ、
ダビデの王権の確立は、
神さまがいてくださる、ということにかかっていたわけです。

私たちの祝福もそうなんですよね。
主が共にいてくださる、
主がそこにいてくださる、
それが私たちの祝福の土台です。

私たちが堅く立っていくための必要条件です。

神さまが共にいてくださることに心から感謝します。

神さまはいつも共にいてくださるのに、
聖書は時々、「神が共におられたので」という表現をしている。
そのレベルが違うときがあるんだろうかと思います。
私たちの罪故に、神が悲しんで去られるときもあるのかなあと思います。
悔いた砕けた心に住んでくださるとも書かれています。

ですから、神さまがいつも共にいてくださるように、
と祈ることは本当に必要なんだなあと思います。

主よ、
わたしと共にいてください。
あなたが共におられる、思いを与えてください。
そして、あなたの臨在を覚えて歩む者でありますように。

みことばに聞く。音楽に聞く。

今日はNYの日。
朝は寒いくらいでしたが、
とてもいい天気です。


最高気温は23度くらいの予想。
昨日の雷雨は湿った空気が乾いた涼しい空気に押しのけられて起こった雷雨。
一年の中で一番いい季節を迎えました。


昨日は朝から火曜礼拝、午後は家庭集会、
そのあと、JOYJOYキッズクラブの準備の買い物、
と走り回っていましたが、
朝の火曜礼拝には、
小さな子供を連れてこられたお母さん。
今までなかなか子供にてがかかって、
ゆっくりと座り込んでメッセージが聞けなかったけれども、
今、何とか、そのようなチャンスを作って、
メッセージを聞こうという思いが与えられているようです。


わたし自身も日曜日の朝、月曜日の夜、と、
ゆっくり座って聞くときが与えられました。
何を置いてでもみことばに聞く、その姿勢の大切さを思います。


きのうは、潤君たちは同じ町の中にあるスタジオで録音。
そこに先週の水曜日のNY日系人会でのコンサートでサックスを吹いてくださった
北守さんがこられるということで、
普段NYでひとり暮らしの北守さんにも夕食に来ていただきました。


そして、その場で日系人会でのコンサートで演奏してくださった曲を
2曲再演してくださいました。
すばらしかったです。


こちらはビデオからのクリップ。
そう、ビデオも撮らせて頂きました。


この北守さん、ちょうど4年前に日本からこちらに来られ、
今は教会での働きやレストラン等でのライブなど、
こちらでプロとして活動しておられます。
「北守一生」でググルとたくさんヒットするんですよね。
たくさんの熱狂的なファンを持つサックス奏者です。


で、サキとかにも気さくに声をかけてじゃれてくださる楽しい方です。


ホント、specialな一時を与えて頂きました。

さて、9月8日月曜日の聖書。
月曜日にはサムエル第二4:1-12を読みました。


「私のいのちをあらゆる苦難から救い出してくださった主は生きておられる。」9節。

サウルの息子で王であったイシュ・ボシェテを殺害し、
その首をもって、手柄を報告したつもりだったこの2人。
しかし、ダビデは自分の味方であることをアピールしたこの二人を処刑しています。

それは徹底的にダビデは「自分は神によって選ばれて油注がれた者だ」と受け取っていたからです。
同じように油を注がれたサウルの地位を尊重して、
サウル王家に属するすべての者の地位を尊重したのです。

神さまの導き、神さまの選びを尊重する生き方、
わたしに与えられた人生、
他の人とは全く違って、
うらやましがったり、軽蔑したりしてはいけない、
する必要がない、ひとりひとりの特別な人生。

どうして?と思うことがないわけではありません。
でも、与えられたモノを、「これがわたしに与えられているんだ」と
心から受け取る思いをもっていたいと思います。

主よ、
あなたのわたしに与えられた人生を感謝をもって受け取ります。
あなたが支配しておられ、あなたが導いておられるから感謝します。
どうか、自分の人生だけではなく、
周りに与えられているひとりひとりの人生を尊ぶ者とならせてください。

Specialですが沈没。

最近、毎日がspecialなんですが、
今日もすごい、specialなことがありました。
でも、もう遅いので、今日は沈没。

明日NYに行く日なので、
NYからアップします。

2008-09-09

きょうだい。

何とかして追いつきたいので、
朝のうちに一回更新しておきます。


もう3年ほど前になりますが、
夫婦関係を取り扱う本の中で、
兄弟の中で何番目かが性格や行動に
大きく影響するという説を読みました。


簡単に分けると、こんな感じです。


一番上の子・・・完全主義、行動力あり、正しいことをする。リーダー。
中間子・・・調整役。要領がいい。ピアプレッシャーに弱い。
末っ子・・・エンターテイナー。周りが助けたくなる。


そして、一人っ子は、この一番上の子と末っ子の両方の特質を兼ね備える。


その中の末っ子についての部分。


末っ子は好き放題をやっても無事にすむ傾向があります。人生のどんな場面でも、たとえば貧しい環境でも、また離婚法廷でも笑って進んでいけるタイプの人間です。ビリー・クリスタル、エディー・マーフィー、ジム・キャリーズなどはその典型です。とても愉快な人たちなのです。
言い換えれば、とても責任感が強いとか、とても信頼出来る、というタイプではありません。助けが必要で、人を上手に操り、チャーミングで、周りの人が手を焼いてくれるようにし向けるのが上手です。言ってみるならば、その生まれた時から、「おおとりを務める」特別な存在なのです。それが彼らが得てして両親から大切に扱われてきた理由の一つです。彼らはいつも一番小さくて、一番幼くて、お父さんもお母さんもいつも彼らを助けてくれました。たとえそれがビル・ゲイツに10ドルをめぐんであげるようなレベルのことであったとしても・・・。親が末っ子に甘い理由をもう一つ挙げると、それは、ただ、他の子達を育てることに疲れ果ててしまっているということでしょう。
"Sex Begins in the Kitchen." by Kevin Lemanより(私訳)

我が家の末っ子もまさにその通りで、
愉快な子です。天真爛漫です。
で、おねだり上手です。
最近はブランドにも敏感。
親も兄弟も全然そんなの関係ないのですが
(あ、私の電気製品と、ハジのスポーツ用品は少しありますが・・・)
サキは、靴は今はやりのSkechersがいい、と聞かなかったそうです。
学校のカバンもこっちはバックパックが当たり前なのですが、
今年はなんだか、ショルダーバッグがいい、と言って、
みんながバックパック背負って行く中、
ひとりでショルダーバッグです。


面白いですね。


で、わたしとのんちは、
4人兄弟の2番目と、5人兄弟の4番目、
そして共にすぐ下は年子、という中間子夫婦。
おかげで、うちは5人中3人が中間子。
最初の子と末っ子がひとりずつ、という家族なんですが、
今、我が家には長女と末っ子というゲストがおられるので、
とっても面白いです。


つまり今我が家は7人中一番上2人、中間子3人、そして末っ子2人。


なかなかいいバランスです。


特に、ゲストのお二人は
堅実なお姉さんと、エンターテイナーの末っ子。
中間子夫婦に必要なものをたくさん教えてもらっているように思います。


これも神さまの特別な配慮。
感謝です。


今日は朝からどんよりしています。
予報より早く、昼前から雷雨になりそうです。


さて、日曜日、9月7日の聖書。
日曜日はサムエル記第二3:27-39


「この私は油そそがれた王であるが、今はまだ力が足りない。ツェルヤの子らであるこれらの人々は、私にとっては手ごわすぎる。」39節。

ヨアブが王の意志に反してアブネルを殺してしまったことに、
王は不快感を表しながらも、彼を敵に回すと王国を確立できないという思いから、
彼に対してはっきりとした処罰を与えられなかった王。

この後、ヨアブは王の側近でありながら、
王を形の上ではサポートしながら、
たくさんの問題を起こしていきます。

ダビデの中にあった恐れ、弱さ、
とてもよくわかります。
でも、だからこそ、「神が油を注がれた」ことに
堅く立って、与えられた使命を果たすことの大切さを思います。

人を見るのではなく、神を見上げる。
どれほど大切なことだろうかと思いました。

主よ、
あなたが与えてくださった立場、
あなたが与えてくださった使命、
そこに忠実に歩む者でありますように。
恐れから解放してくださって、
大胆にあなたの導きに従っていく者でありますように。

終わらせたくないなあ。

レインボーミュージックのコンサート、
今日って言うか、昨日って言うか、
月曜日の夜のNYが最後でした。

この集会JCCNJの主催ではなくて、
VIPーNYという団体の主催。
自分は一参加者ということで、
ゆっくり聞かせて頂きました。


楽しい曲、心に語りかけられる曲、
いろんな曲がありましたが、
最後から2曲目、十字架の歌を歌ってくださったときに、
目をつぶりながら聞いていたら、
十字架の情景が浮かんできました。


そして、その十字架にかかってくださったイエスの愛を
心からほめたたえたい、と思いました。
十字架って苦しい、痛い、そういう印象が強いのですが、
その十字架が輝いて見えました。
ここに希望があるんですよね。
感謝。


ああ、これでコンサート終わりだなあ、と思うと、
本当に寂しくなります。
あと4泊で日本に帰国されると思うと、
心にぽっかり穴が空くんじゃないかと思います。


木曜日の夜は我が家で賛美大会かな~なんて考えています。
1枚目のCDの曲から新曲まで、みんなで歌いたいと。


今日は気持ちよく晴れました。
でも、9月にしてはちょっと暑かったかな。
でも夜はやはり涼しいです。
明日はもうちょっと蒸し暑くなって、
夕方には雷雨です。
かなり激しい雷雨になるところもあるようです。
お気をつけて。


さて、土曜日、9月6日の聖書。
土曜日はサムエル記第二3:17-26


『アブネルはイスラエルの長老たちと話してこう言った。「あなたがたは、かねてから、ダビデを自分たちの王とすることを願っていたが、今、それをしなさい。主がダビデについて、『わたしのしもべダビデの手によって、わたしはわたしの民イスラエルをペリシテ人の手、およびすべての敵の手から救う』と仰せられているからだ。」』17-18節。

ここでアブネルをどう評価するか、考えさせられました。
アブネルがダビデに着こうとしたことは正しいことだったと思います。
神さまの導きだったと思います。
でも、そのきっかけは、アブネル自身が傲慢になって、
サウルの側室を自分のものにしたのを、
サウルの息子であり、王であったイシュ・ボシェテにとがめられたからだと思うと、
結果はOKだけど、動機がねえ、と思います。

ここで神さまの名前を出していますが、
本当はイシュ・ボシェテに見切りをつけただけだったのです。

でも、このアブネルの決断は王国統一のために大きな一歩になりました。

人間の世界の権力闘争がごたごたしている、
でも、それを遙かに超えたところで、神さまが御心のままに
すべてを導いてくださる。

そこには愚かな決断や愚かな行動もあるだろう。
でも、神さまはそれらをも用いることのできる方。

そう思ったら人間の世界のごたごたばかりに気を取られないで、
神さまの導き、神さまのなそうとしておられること、
そして、神さまの御心に目をとめることが大切だと思わされました。

神さま、
なんだかよくわかりません。
ダビデが正しかったのか、ヨアブが正しかったのか、
アブネルは悪意はなかったのか、
アブネルは傲慢じゃないだろうか、
いろんなことを思わされます。
でも、あなたは彼の決断を通して、
すべての国民が一つになるように、導きました。


私たちのごたごたを超えて、
あなたは御業をなしてくださることを知っています。
あなたのなさることは人間の現実や、
人間の努力とかを遙かに超えています。
どうか、今の私の生活の中にも、
そのように臨んでくださって、
人の心を超えた神さまの方法で導いてください。

2008-09-07

副大統領候補。

牧師として、政治的な発言をすべきなのか、
控えるべきなのか、いろんな意見がありますが、
あんまり政治的な話じゃなくて、
政策とかを比較して何かを言うのではなくて、
ただ、ひとりのオヤジの正直な印象の話。


民主党のオバマがベテランのバイデンを選び、
共和党のマケインが無名のペイリンを選ぶ、
対照がとても際だつ副大統領候補選びでした。


私は2週間ほど前、マケインがペイリンを選んだとき、
すげー、と思いました。
44歳の女性。5児の母。
一番下の子は今年の4月に生まれている。
夫は漁師。自分も漁師だったこともある。
正直言って、私はマケインには全く興味はありませんでした。
選挙権がないので、まあ、どうでもいい部分もあるのですが、
マケインには全く興味がなかったのです。


車の中で高校生の息子とニュースを聞きながら、
すげーと思ったと共に、
この共和党の選択は得点高い、と二人で合意しました。


マケインの魅力ってよくわからないんだけど・・・
なんだかわからないけど、共和党ってお金持ちの見方なんでしょ、
戦争ばかりやっているし・・・軍需産業を盛り上げたいわけ?
そんな印象が共和党に対してあると思うんですよね。


なんだかわからないけど、庶民の気持ちわかってくれそうだ、
それに、中絶や同姓婚に反対の立場も好感が持てる、
そんな同世代の女性が共和党の中にいる、というだけで、
ものすごいインパクトがあるわけです。


それに対して、オバマの選択は何のおもしろみもない、
まあ、別におもしろみで政治やられても困るんですが、
当たり前の人が出てきて、何か変わるんだろうか、ってかんじです。


こちらもバランスを取っているだけなんでしょうが。
オバマの若さやマイノリティーの立場がわかる、
ということが新鮮味を失っていく中で、
共和党のこの選択は、本当にインパクトがあるでしょうね。


ま、一つの大きな懸念は、大統領に何かがあった時にその任務を受け継ぐこと。
さすがに、「大統領になることもあり得る」と思うと、ちょっと苦労するだろうな、と思います。


神さまがこの国のこれからの歩みも、御心の中に守ってくださいますように。


さて、金曜日の聖書。
9月5日金曜日は第2サムエル3:1-16


「イシュ・ボシェテはアブネルに、もはや一言も返すことができなかった。アブネルを恐れたからである。」3:11

王であったイシュ・ボシェテはこれは情けない。
アブネルが道に外れたことをしても、
「どこが悪い、俺はあんたを守ってやったのに、そんなこと言われる筋合いはない」とすごまれたときに、もう何も言えなくなってしまった。

情けない。

でも、人のことをそういうのは簡単ですが、
自分はどうなんだろうと思います。
先日もどこかに書きましたが、
悪いことは悪い。
ダメなものはダメ、
そのように言える者でありたいと思います。

どんなにすごまれても、
どんなに脅されても、
泣き落としにあっても、
失望したと言われても、
ダメなものはダメ。
そのように言える強さを持ちたいと思いました。

主よ、
人を恐れるのではなく、
あなたを恐れさせてください。
すごまれたときに、
そんなことを言われる筋合いはない、と言われるときにも、
ひるむことなく、大胆に主の言葉を語る者とならせてください。

秋はどこ?

最近、読者が広がっていて、
それはありがたいことなのですが、
教会のメンバーのチェックが時々厳しい。


特に天気ネタになると、
「先生、ああ書いていたのに、ダメじゃん・・・」
とつっこまれたりする。


で、ハンナが去ったらもうそこは秋、みたいなことを書いたので、
今日は「秋じゃないじゃん!暑い!」と苦情が出ました。


まあ、ほんと、昨日の蒸し暑さに比べると天国なのですが、
確かに昼間はかなり夏っぽかったです。


例年、Labor Dayをすぎると礼拝でネクタイをするのですが、
今年はそれも「勘弁して」という感じでした。


で、今日から秋本番、はさすがにちょっと早すぎましたね。
でも火曜日に雷雨があり、
水曜日からはめっきり涼しくなります。




この後、1週間の予報。
そして、来週はもっと涼しくなるみたいです。


大丈夫、確かに秋は来ます。楽しみに待っていてください。


ハリケーン・アイクはキューバを直撃。
被害が心配です。
その後、メキシコ湾に入ります。
それは最悪のシナリオです。
メキシコ湾は水温が高く、またハリケーンは発達するでしょう。
そして、一度メキシコ湾に入ったハリケーンは、
どこかの陸地を直撃しない可能性はゼロに等しいからです。


今日は潤さんたちがBrooklyn Tabernacleの礼拝に行きたい、
ということで、初めて、私も礼拝に参加してきました。
ほとんどいつも説教をするか、他の奉仕をするかと言う立場ですから、
これは本当に貴重な体験です。


最初から熱く賛美をするのですが、
心がだんだん神さまの方に向けられていきます。


そしてPastor Cymbalaはいつものように
非常に単純でわかりやすくストレートに
心を探られるメッセージをされます。


最後の賛美はThank You for the Crossとか、
Worthy is the Lambとか言われている曲ですが、
泣きました。
主の恵みを覚えて、
十字架の愛を覚えて泣きました。


午後の礼拝のためのよき備えの時になったと思います。


礼拝では潤君たちが賛美をしてくださって、
それで私たちの心が神さまに向けられていくのを感じました。
音楽をなさる方はたくさんおられますが、
それを通して、私たちを神への礼拝に導いてくださる
そういう方は本当に貴重だと思います。


神さまが与えてくださった出会いに感謝します。


さて、9月4日、木曜日の聖書。
木曜日は第2サムエルの2章12-32節。


「彼らがアマの丘に来たとき太陽が沈んだ。」24節。

日が沈んだときに、
彼らは戦いをやめようと思った。
時が助けた、と思います。

時を見る目、
時を見極める目、
時を利用する気持ち、
時を利用する知恵、
持たせて頂きたいと思いました。

今の時はどんなときなんでしょう。
私の人生の中で、
今の時はどんなときなんでしょう。
時を見極める知恵を求めます。

主よ、
あなたが与えてくださっているときの一つ一つを感謝します。
それを見極める目を、
そして、それをちゃんと利用する知恵を与えてください。
利用する行動力も与えてください。