限られた時間の中で、何をするのか、優先順位が問われる。
だいたい、締め切りのある仕事は、締め切りのない仕事よりもどうしても先にする。
というか、大切なことでも、締め切りがないと、のばしのばしになってしまう。
たとえば、今日、久しぶりに訪問した方がある。
近所の老人ホームに入っている方。
本当はもっともっとご訪問したいと思う。
今日も、最初は話しかけてもなかなか反応がなかった。
でも、話している間にだんだん元気になってきた。
日本語、香港の中国語、台湾の中国語、英語、全部しゃべれる、元産婆のおばあちゃん。
それは、やっぱり、同じことを何回も聞かれたりする。
「何歳?」って聞かれて、「46歳!」と正直に何度答えたことか。
でも、おばあちゃんの方は娘が20歳だなんて言うんだから、やられた!(70歳で娘を産んだんかい?)
帰る時には手を握って、嬉しそうに、そして、寂しそうにする。
だから、帰り道にはまたすぐに訪問しようと思う。
でも、締め切りのない、このような働きはどうしてもどうしても、後回しになってしまう。
今日は、ある意味締め切りを感じていた。
クリスマスまでには行きたいと思っていた。
でも、行けなかった。
でも、どうしても年内には行きたい。
別に義務はない。
でも、人となって来て下さったイエスさまを覚えるクリスマスの時、
「行ってあげる」なんて言うと、おこがましいし、偉そうだし、
ちょっと違うんだけれども、
そして、そうやって訪問することが「免罪符」みたいになるのも嫌なんだけれども、
でも、どうしても、行かなければ、イエスさまを裏切っているような気持ちになった。
んー、書いてみるとそれも違うかな。
とにかく、そばに行きたかった。
イエスさまが来てくださったように。
そんな感じ。
でも、行ってよかった。
あえてよかった。
喜んで迎えてくれて、ありがとう、おばあちゃん。
締め切りのないこと、もっともっと大切にしていきたいと思う。
本当は締め切りのないことなんて何もない、
ただ、自分が締め切りがないと思っているだけ。
本当は今日でなければならないこと、本当にそうだったのかもしれない。
ここで00zのGFSを見ると、
元旦の朝から、3日の朝まで雪の予報だ。
ハジはなかなか貴重な経験をすることになるかも知れない。
ま、寝袋持参だから、ちょうどいいかも・・・。
さて、今日の聖書。
今日は詩篇の79篇。
「なぜ、国々は、『彼らの神はどこにいるのか』と言うのでしょう。あなたのしもべたちの、流された血の復讐が、私たちの目の前で、国々に思い知らされますように。」10節。
ここでも、詩人は復讐を神の手に委ねていますが、
それは新約聖書ではもっともっとはっきりと書かれています。
わたしたちが人に復讐するのではない、
神様の御手に委ねて、わたしたちは「善をもって悪に報いる」のだというのです。
ローマ人への手紙の12章に出てきます。
そのように生きたいと思います。
徹底的にそのような歩みをしたいと思います。
すべては主の御手にある。
だから、主を信頼して、わたしたちはただただ、善を行うこと、
それをしていけばいいのだと思います。
もちろん、ネヘミヤ記で学んだような、
「霊を見分ける」ことの大切さも忘れてはいけないでしょう。
敵の働きに対して鋭く見極めていくことも大切でしょう。
でも、本当に主を信頼して、
自分で何か復讐をするのではなく、
善をもって悪に答えていく、
そのようなものでありたいと思います。
主よ、
御言葉に感謝します。
徹底的に、この生き方ができますように。
妥協なく、この善をもって悪に報いる生き方ができますように。