2008-04-12

春全開!

今日も、予想されていたよりも天気は良く、
20度を超えて、とても暖かな一日となりました。

庭に出てみると、ニラの新芽が伸びていて、
また注意深く見てみると、
アスパラガスが芽を出しています。

これは植えてから4回目の春。
本格的に収穫出来るかな、と楽しみにしています。


今、夜の10半ですが、まだ16度あります。

明日はぐっと温度は下がって、
最高は12度くらい。
今日の暖かさを経験したあとだと、
ほんとうに肌寒く感じるでしょう。
雨もちょっと降るかもしれません。


そして、今日はNJ補習校の新学期の初日。
一番下のサキが、1年生で入学しました。


友達が行ってて、補習校のはなしをするので、
自分もどうしても行きたくて、
どうしてもと言うので、行かせることにしました。

上の息子が2年生の時以来ですから、
私たちにとっても、9年ぶりの補習校経験です。

入学式の「起立、礼、着席」が、
言葉は「どうぞ立ってください、礼、それではお座り下さい」なんですが、
それでも、なんだか、「礼」自体に違和感がありました。

もう、日本とは感覚が違っているんですね・・・自分。

たくさん日本人の方がおられて、
ちょっと新しい世界です。
ちょっと楽しみです。

あ、実は昨日の夕方からpastor@jccofnj.or....のメールアドレスで、
メールが届かない状態が続いています。

もしも、昨日の夕方以降メール下さった方、
また用事の方は
mnishikori@gmail.コム...か、ujikintoki@gmail.コム...か
(もちろん、アドレスは、最後まで打ってくださいね)に、
ご連絡下さい。

さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記10章21-29節。

「しかしイスラエル人の住む所には光があった。」23節。

暗闇がやってきた時に、
それは手で触れるんじゃないかという
深い深い闇でした。

でも、その中でもイスラエルの人々の住むところには光があったといいます。

私たちにとってはイエスが光。

その光を今日、ちゃんといただいているかな、と思いました。

イエスがいるから大丈夫。
イエスがいるから前に進んでいける。
イエスがいるから、恐れる必要はない。

そんな歩みをしているだろうかと思いました。

ただ、今日も、神さまを知りたい、
神さまと共に歩みたい、と思いました。
もっともっとpersonalに、
もっともっと深く、イエスを知りたいと思いました。

その光に照らされて歩みたいです。

主よ、
あなたがわたしの光です。
他の存在ではなくて、
あなたが、私の光です。

どうか私を照らしてください。
私にあなたを感じさせてください。

あなたの光に照らされて歩むことができますように。
あなたと共に歩む喜びに満たしてください。

2008-04-11

次に進んでいく時。

昨日は、とにかくつらくて10時には休んでいました。
で、7時間寝たら、スカッと・・・アレルギー以外は・・・。

で、今日起きたら、NOMOが投げてたんじゃん・・・。

実はYankeesとRoyalsで3連戦だったので、
毎日「今日は出ないかなあ」と思っていたのでした。

でも、昨日は9時半過ぎの段階で「雨で中断」・・・。
いつ再開されるかもわからないし、
とにかく「もうダメ・・・」と寝てしまったのでした。

1000日ぶりのメジャーのマウンドだって、
日本語のニュースではやっていました。

でもすごい、と思います。
だいたい今のメジャーリーグの日本人の多さはすごいですが、
NOMOは開拓者でしたからねえ。
もう10年以上前ですよねえ。こっちに来たの。

16年前、日本にいた時に、西武球場まで
近鉄-西武、見に行きましたよねえ。

最近はベネズエラだったかどっかにいってやったり、
ホント「あきらめない」という感じ。

でも、クワタ君もそうでしたが、
やがてNOMOもボールを置く時が来る。

先日もQちゃんがまだ走ることを宣言していましたが、
「あきらめない」人が「次に進んでいく」時は、
どんな気持ちなんでしょうか・・・。

・・・とここまでは9時半。

教会に行って月に1度の「深夜祈祷会」に行って、
帰ってきました。いい祈祷会でした。

昨日はJOYJOY Kids Clubもあったんですよね。
昨日の工作はストローと紙皿と竹ひごと画用紙を使って、
「花からテントウムシが出てくる」という工作だったのですが、
子供たち、それぞれ、オリジナリティーがあるのにはびっくり。

「野球場からボールが出てくる」
「海からたこが出てくる」
「ちょうから青虫が出てくる」
「地球や月からUFOが出てくる」
・・・・といろんな作品が・・・。

私は子供の頃から、まねっこばっかりでしたから、
昨日はびっくりしながら見ていました。

今日はもっと雨が降るかと思っていましたが、
大したことはありませんでした。

あ、でもレーダーを見ると、どうやらこれから降ってくるようです。
明日はどうやら暖かくなるようです。
南風が入って生ぬるい天気になりそうです。
そして、雨は朝のうちがメイン。
そして日曜日はぐっと寒くなると思います。

今日の聖書。
今日は出エジプト記10:1-20

「また、雹の害を免れて、あなたがたに残されているものを食い尽くし・・・」5節。

雹が降った時には、害を逃れた麦があった、
だから、パロは「大丈夫だ」と思った。

でも、イナゴが来た時に、残ったものもすべて食い尽くされた。

わたしたちは何か、頼るものがあると、
神さまよりも、そちらを頼りにしてしまうのではないだろうか。
そちらを大切にしてしまうのではないだろうか。

「私にはあなたしかありません」と言えるまで、
頼りにしているものは取り去られるのではないだろうか。

ほんとうに神さまに「あなたを求めます」と言う者、
言い続ける者でありたいと思いました。
神さまだけを頼りにして、
神さまに信頼して、歩んでいきたいと思いました。

たぶん、私の場合は、「人」です。
頼りにできる人を頼りにしてしまうのです。
そう、もちろん、人を信じることは大切なことだと思います。

でも、それも神さま以上になってはいけない。
だから、一人、また一人と、主は取られるのだろうか。

もう勘弁してください、と言いたいところですが・・・。

とにかく、人ではなくて、神さまを第一に信頼して、
神さまの御業を、聖霊様の働きを、
見せて頂きたいと思いました。

主よ、
あなたを愛します。
あなたをもっと知りたいです。
あなたの力を経験したい。
どうか、あなたご自身が私のうちにあふれてください。


2008-04-10

主の言葉を恐れる

今朝、すごい霧でした。
コワイくらい・・・。

でも、その霧も8時頃にはずいぶん晴れて、
昼間は暖かくなりました。

朝、霧が出ている日って、
その霧の原因にもよるでしょうが、
かなりの確率で暖かくなります。

今日は23度くらいまで上がりました。
レンギョウは満開になり、
今日はたんぽぽも咲き始めました。

でも、これから雨が降ってきて、
月曜日まで雨です。
そして気温も月曜日の夜まで下がっていきます。

今日はたぶんアレルギーで、
結構しんどいですが、週末は風邪に注意です。

今日は、ほんとにしんどいので、
早速、聖書。今日は出エジプト記9章13-35節です。

「パロの家臣のうちで主のことばを恐れた者は、しもべたちと家畜を家に避難させた。」20節。

パロの家来の中でも、
もう、ここまで来ると、神の力を恐れる人々が起こって来た。
そして、彼らはそれに従った。

それに従わない人々はいた。
彼らはその結果を刈り取ることになった。

御言葉を恐れること、
その大切さを思わされた。
本気で従うこと、
その大切さを思わされた。

そして、本当に神さまだけに信頼すること、
最終的に「神さましかいない」ことに気がつくこと、
そして、そのことを言葉にして祈ること、
聖霊様によって力をいただくことを求めること、
それがどれほど大切かと思います。

主よ、
御言葉を恐れます。
御言葉に従って歩みます。
どうか、あなたの力を与えて下さい。

そして、あなただけを頼るものでありますように。
あなただけを頼って参ります。

2008-04-09

父の学校

今日の朝のNYへのバスの中から
「お父さん、愛しています」という本を読み始めました。

これも2月に買ってきて教会図書に入れてある本です。

「父の学校」という働きをしている韓国の方の本ですが、
本当に大切なことが書かれています。

一つのエピソード。

結婚して5年になる女性のはなし。

ある日、同じアパートに引っ越してきた新婚夫婦が
「家にゴキブリが多い」と言ったそうです。

それを聞いたこの人の夫、頼まれたわけでもないのに、
その家に行ってゴキブリを一生懸命に退治してあげました。

そこで、この女性、夫にこう言いました。

「あなた、うちにもゴキブリがたくさんいるのよ!」

するとその夫、

「うちのゴキブリはおまえが退治しろ!」

だって・・・

男の私が読むと、「あるある!」と失笑してしまうことですが、

この女性は、考えれば考えるほど、
夫が自分のことを愛してくれているのか疑わしくなって、
こんな夫と一緒にすごすのは悔しいと思うようになったそうです。

そう、私も「うちのゴキブリは・・・」まで言うかどうかは別として、
自分の家のゴキブリは何にも気にしないで、
新婚夫婦のうちのゴキブリは退治してしまいそうです。

著者自身も夫として、そういうところがあることを認めているのですが、
それを「メンツ文化」と呼んで、それに甘んじるこことなく、
妻を大切にしようと訴えるのです。

それだけじゃなくて、この本、本当にいいです。
自分と父との関係、
父なる神様との関係も考えさせられました。

それはまた今度・・・。

でも、このプログラム、是非ともここら辺で持たれたらいいなあと思います。
「夫塾」「親父塾」なんかやりたいなあ、と思います。

今日はNYは思ったより寒かったです。
みんな厚手のコートでしたね。

もちろん半袖のおねえちゃんもいましたが。

私は「もっと厚着してくるんだった・・・」でした。

10時前に帰ってきた時には小雨も降っていました。

でも、明日は晴れて20度まで行きます!
春到来宣言します。

でも、週末はまた冷えますよ~。
風邪ひかないでくださいねえ。

でも月曜日からちょっと風邪気味orアレルギー・・・自分。

さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記の9章1-12節。

「それでも、パロの心は強情で、民を行かせなかった。」7節。

この時たくさんの家畜が死んだわけですよね。
でも、パロは強情だった・・・。

どうしてだろうか。
自分の身が痛くなかったから?

だろうなあ。

じゃあ、自分はどうだろうかと考えてしまいました。

自分もやっぱり自分の身が痛くなる時に、
一番焦るんじゃないかと。

愛を下さいと祈りました。

神さま、
どうか、私に愛を下さい。
あなたの愛で満たしてくださって、
自分のことで精一杯にならないようにしてください。

愛をもって人に接することができますように。

明日のKIDS CLUBにも、子供たちを、送って下さい。

2008-04-08

塵も積もれば・・・

ちょっとずつ暖かくなってきました。
今日は晴れて15度を超えました。
今、夜の9時前ですが、9.2度。
明日の朝は3度くらいまでは下がるでしょうが、
明日は今日よりまた一歩暖かくなると思います。

ピークは木曜日。
20度も夢ではありません。

いよいよ春到来のようです。

アメリカの男性用の財布には
だいたい、小銭入れがついていません。
それで、私は小銭を持ち歩きません。

今時、こちらでのだいたいの支払いはクレジットカードですが、
それでも時々現金が必要になります。

小銭は持ち歩かないようにしているのですが、
お札で払って、おつりが来る時に、
さすがに「小銭はいらないよ」とは言えません。
って言うか、言いたくありません。

学生の頃は、コピー用に必要だった時もありましたし、
NYで車を停める時に25セントコインが必要だった時もあります。

でも、今はほんとに小銭は使わないんですね。

で、机に貯金箱を置いておいて、
おつりでもらった小銭がポケットにじゃらじゃらしていたら、
すぐにそこに入れるようにしています。

そして「これがいっぱいになったら会堂献金!」と決めました。
なんだか、いかにも「余り物をささげている」みたいで、
神さまへのささげものの精神とは違うような
気もしないわけではありませんが、
まあ、月々のささげものは、ちゃんと最初に分けておく、
ということで、それとは別にすればいいかな、と。

どれくらいかかったかわかりませんが、
小さな貯金箱がいっぱいになりました。

でも、小銭のまま会計担当さんに渡すのは・・・と思いつつ、
どうしようかと思っていました。
もちろん、銀行に持っていけばいいんでしょうが、
それではあまりに芸がない・・・と、
Coinstarを使ってみよう!と思いました。

まあ、簡単に言ってしまうと、小銭を自動で数えて両替してくれる機械。

でも、ここで現金をもらってしまうと、
1ドルあたり8.9セント(も!)手数料として取られてしまいます。
でも、ギフトカードに換える・・・と手数料はかかりません。
どこで使えるギフトカードにするか、いくつか選択肢があります。

今回はAmazon.comのeCertificateに換えてもらいました。
それはそれでAmazon.comで使って、
その金額分のチェックを会堂基金に入れました。

コインの数では500枚を超えているんですが、
まあ、1セントコインもたくさんありますし、大した金額ではありません。
会堂のための必要の何万分(何十万分?)の1ですが、
主がこれをも祝福して用いて下さいますように・・・。

さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記8:16-32

「さあ、この国内でおまえたちの神にいけにえをささげよ。」25節。

パロはモーセに妥協の提案をします。
「国の中でもいいだろう・・・」と。
もちろん、モーセはそれをキッパリと拒否しますが・・・。

わたしたちもいつもいつも信仰的妥協を迫られます。
妥協するように声をかけられます。
妥協すればいいだろうと、提案されます。

そして、それはしばしば非常に魅力的です。

そんな中で、信仰を貫くことは、
本当に難しいことだと思います。
神さまの守りがあるように祈りました。

神さま、
私を守って下さい。
妥協した方がどんなに楽だろうかと思うことがあります。
でも、あなたの導かれる御手に従う勇気と忍耐を、
あなたのことを見つめ続ける信仰を与えて下さい。

2008-04-07

年に一度の・・・

今日、昼頃まで肌寒かったですね。
どんよりして、昼頃、温度計を見たら7.5度。

でも、そのあと、晴れ間が出てきたら、13度くらいまで上がりました。

この時期、ちょっとでも太陽が顔を出すとぐっと気温が上がることが多いです。

明日は今日よりももうちょっといい天気で、
もうちょっと気温も上がりそうです。

さて、
土曜日にのんちの誕生日だったのですが、
土曜日、日曜日といろいろあって、
今日はお休み。
ちょっと午後、一つ仕事が入ってきましたが、
あとはちょっと時間があったので・・・

今日、ケーキを焼きました。

もうそろそろ娘たちが中心になってやってくれればいいのですが、
なかなかその気にならないようで、
今年も、私が中心になって、子供たちが参加・・・。

今年の作品。

じゃ~ん。



年に1回なので、いつも
小林カツ代さんのケーキの本を開いて、首っ引き。

写真付きで丁寧に説明してあるので、
私のようなマニュアル男にはぴったり。

ただ、自分がアレルギーでいちごがいただけないので、
トッピングはピーチ缶。(桃も生ではダメ)

うまくいきました。

自画自賛ですが、おいしゅうございました。

世の常ですが、料理の後片づけは苦手で、
主賓のはずのんちがかなりやってくれましたが・・・。

さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記の8章1節から15節。

「パロは息つく暇のできたのを見て、強情になり・・・」15節。

モーセに頼み込んで、カエルをいなくならせてもらったパロも、
喉元過ぎれば熱さを忘れる、で、
強情になって、傲慢になって、
前に言ったことを翻した。

よくあることですよね。

自分もそういうところあるかもしれない。

苦しい時には、
「あなたが祈りを聞いてくださったら、何でも従います」
と言っておきながら、
祈りが聞かれた時には、
すっかり誓いを忘れている。 

主の前の謙虚さ、
主に従う姿勢、
それは自分が苦しいから神に祈らなければならない時だけではなく、
それが当たり前になったらいいと思う。

条件付きの従う姿勢ではなく、
当たり前の従う姿勢を持っていきたいと思う。

主よ、
あなたに従います。
条件なしで、あなたに従います。
あなたが主だから。
あなたがわたしのために命を与えてくださったから。
あなたがわたしに命じてください。
あなたがわたしに示してください。

あなたに従います。

朝ごとに

昨日は遅くなったので、
更新をスキップして寝てしまいました。

土曜日の朝の祈り会で、気がついたこと。

出エジプト記の16章を読んだのですが、
そこには荒野を旅したイスラエルの人々のために、
神さまが天から「マナ」という食べ物を与えてくださったことが書かれています。

その「マナ」は神がいつも必要を与えてくださることを表していますが、
もう一つ、主が語ってくださる神の言葉をも表しています。

マナは、「朝ごとに」集めなければいけなかった。
昨日のマナを残しておいても、
今日の朝にはもう食べることはできなくなっていた。
そして、日が昇る頃には溶けてしまっていた。

主が用意してくださる御言葉もそうなのか、と思います。

この3週間、朝の祈り会を毎朝教会でしている中で、
本当に支えられ守られていることを思わされています。

理屈では説明しがたい、朝、何も始まる前に、
あの場に行って、主にお会いすることの祝福をいただいています。

今までの人生をちょっと損したような気持ちになっています。
何でもっと早くできなかったのか・・・。

「神さま、今日のためのマナは何ですか?今日のためのマナを与えてください」

今日も、どんよりでちょっと肌寒い天気のようです。
明日は晴れて暖かくなりそうです。

さて、昨日の聖書。
昨日は出エジプト記7:8-25。

「エジプト人はナイルの水をもう飲むことを忌みきらうようになります。」18節。

エジプトにとって命の源であったナイル川。
そのナイル川を主は打たれた。
主の主権、主の力強さを思わされますが、

またそれと共に、主が主を頼りにするための道のりの中で、
主以外に頼りにしているものを、取り去られることがある、
ということも思わされました。

自分ではまさが「偶像礼拝」をしているつもりはありません。

でも、いつの間にか、それがなかったら困る、と思うようなものが
やっぱりいつも心の何処かにある。

「頼りになる人」だったり、
「才能」だったり、
「お金」だったり、
するわけです。

だから、主はしばしば、それを取り去られる。

本当に何よりも主を頼りにして歩む者でありたいと思います。

主よ、
あなたを頼りにして歩ませてください。
あなたを信頼して歩ませてください。
私が大切に感じているものが取り去られる時、
それはものすごい痛みです。
ものすごい痛みを感じます。

でも、あなたをもっともっと信頼するために、
必要であれば、そのようにしてください。