2010-03-27

JOYJOYイースター感謝!

今日は寒かったです。
朝の最低気温は-3.5度。
昼間も本当に寒かったです。


その中で、JOYJOYイースター!
50人を超える子供たちが集まってくれました。
今日は去年と違って、補習校が休みだったので、
週末出かけておられる方々もいて、
少ないかも・・・と思ったのですが、
結構賑やかになりました。


補習校の入学式にぶつかった去年は76人だったので、
それよりは少なかったですが。


でも、プログラムも充実していて、
お話もみんな静かに聞いてくれて、
JOYJOYシンガーズもよかったし・・・。


エッグハントが寒かったのだけが・・・。
でも、本当に楽しかったです。
子供たちも大喜びでした。


さて、24日水曜日の聖書。
水曜日はマタイ26:17ー25でした。


「主よ。まさか私のことではないでしょう。」22節。

みんな、「私は大丈夫」と思っていた。
まさか私が主を裏切るはずがないと思っていた。
でも、どうしても「私じゃないですよね」と聞かないではいられなかった。

まさか・・・だった。

私もまさか、私は主を捨てないと思っている。
まさか、大きな罪は犯さないと思っている。
まさか、主の与えられる使命を投げ出したりはしない、と思っている。

でも、本当に自分の弱さを忘れてしまうのは恐ろしいことだと思う。
自分の危うさ、自分の決意のもろさ、それを忘れてしまうのは恐ろしいことだと思う。

主の守りの中で、主の支えの中で、
初めて歩んでいける者であることを忘れないでいたい。

主よ、
私を守ってください。
あなたに従っていけるように。
あなたと共に歩めるように。
自分の弱さを見逃してしまうことがないように。
主よ、守ってください。

2010-03-26

しもべであり続けること。

昨日は、祈祷会とキッズクラブと続いて、
その後、帰りに一軒訪問をして、
8時頃に夕食。その後、買い物を頼まれて、
行って帰ってきたら、もうみんな寝てて、
自分もそのままバタンと倒れて、夜中の1時で、
そして、その後、少し何かしようと思ったのですが、
やはり、何もできなくて、朝までぐっすり。
でも、午前中はまだ「いまいち」でしたが、午後からよくなってきました。


はい、昨日の更新ができなかった言い訳・・・。


ここまで書いたのですが、やらなければいけないことに気がついて、
書きたいことは、たくさんあるのですが、
またこんど・・・ということで。


しもべに徹することの難しさを感じています。
今日語りながら、本当に自分のために主が語ってくださることを感じました。

2010-03-24

モーセとアロンとホルとヨシュア。

今日は晴れましたが、朝とか、夜とか、ちょっと肌寒かったですね。
薄手のコートを着てちょうどいいくらいでした。


やはり土曜日は「晴れて寒い」ですね。
土曜日の朝は氷点下に下がりそうです。


やはり今年の合い言葉は「暖かくしてJOYJOYイースターへ!」です。


今日はNYでの祈り会。
幸いなひとときでした。
聖書は出エジプト記の17:8ー13。


戦いに出て行く人がいる。
祈りの手を挙げる人がいる。
そして、それを支える人がいる。


まさにそんな祈りのひとときでした。
Daylight Saving Timeが始まって、1時間時間が前にずれてから、
朝がきつかったです。疲れも覚えていました。


でも、それでも、支えてくださる方々がいる。


それが大きな力でした。


そして、実際に出て行って社会の中で戦いを覚えている人たちがいる。
だから、祈る。祈って支える。


もっともっと祈りたい、そう思わされた祈り会でした。


さて、昨日、23日の聖書。
マタイ26:1-16。


「何のために、こんなむだなことをするのか。」8節


自分はそんなことをしたことがあるか、
イエスのために、神様のために、
「もったいない」と周りの人に言われるようなことがあったか。

「何でそんなむだなことをするのか」と言われるようなことをしたことがあっただろうか?

主は私のために「もったいない」ことをしてくださった。
主は私のために、油の瓶どころじゃない、
命を投げ出し、注ぎだしてくださった。

もったいないことをしよう。
主のために。

主よ、
あまりに保守的に、あまりにおとなしく、なってしまったように思います。
どうか、あなたのためにもったいないことができるものでありますように。

2010-03-23

寒くなるかなあ。

今日は雨もだいたいあがりましたが、
どんよりとしていて、肌寒い一日でした。


明日は晴れそうです。


でも、やっぱり先週の暖かさを経験した身には
ちょっと寒く感じそうです。


そして、JOYJOYイースターまであと4日ですが、
もうだいたい決まりましたね。


天気は大丈夫。
でも、一度25度を経験した身には
「めちゃくちゃ寒い」日になりそうです。


みんな暖かい格好でJOYJOYイースターに集合です!!


久しぶりのPurpose Driven Life。
21日目は「教会を守る」ということ。


ここも弱いですよね。


教会がMarket Placeと化している現代、
多くの人々が教会から教会へと渡り歩きます。
(もちろん、悩み抜いて祈り抜いて、どうしてもそのような決断に至ることもあるでしょう。)


集う人々は消費者になってしまう危険もあります。
教会を建て上げる者ではなく、
礼拝スタイルを評価し、メッセージを評価する者になってしまいます。
主の前にひれ伏す礼拝ではなくて、満足させてくれる礼拝になります。


そんなところで、
ちょっと人間的な問題が出てきたとき、ひとたまりもありません。


牧師の立場で、ここを強調すると誤解されるかもしれませんが、
本当に大切なことだと思うので、あえて書きます。


「あなたの牧師や指導者たちを支えること」
牧師も誰も同じ・・・ということが言われることも多いです。もちろん、同じ部分も多いでしょう。でも、主が与えられた使命と賜物はやはりあると思います。自分自身、甘えの気持ちで「みんな同じ」という気持ちがあったと思います。でも、主のCallingに本当に忠実であることが大切だと思わされます。


「教会の一致を守るというあなたの責任を真剣に受けとめてほしいのです。そのために全力を注いでください」


「私たちが教会の中に置かれている一つの理由は、私たちが自己中心とは逆のことを学ぶためなのです。共同体において私たちは『私』ではなく、『私たち』を、そして、『私の』ではなく、『私たちの』と言うことを学んでいきます。」


さて、昨日、3月22日の聖書。
マタイ25:31-46。


「わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え・・・」35-36節。

先日、「与えられた時間の十分の一を主に捧げる」ということを話された方がいて、
自分はどうだろうかと思わされていました。
牧師は「全部捧げているよ」と思っているかもしれません。
でも、そういう意味だったら、どんな仕事でも主への献身なんですよね。
だから、起きているときも寝ているときも、みんな主のための時間。
だから、本来クリスチャンはみんな十分の十、全部主に捧げている。
人生全体を主に捧げている。

でも、その象徴として、特別に取り分けて捧げ物をするのが十分の一ですよね。
そこには痛みがあるし、戦いもある。でも、もっと深いところにあるのは、感謝だし、喜び。

ある人は聖書を読んで祈る時間が2時間24分という方もおられます。
神様とだけ時間を過ごす。
まあ、そういう考えもあるでしょう。

でも、この聖書の箇所を読んだとき、「これかも・・・」と思わされました。
「これらの最も小さき者の一人にしたのは私にしたのである」と言われたイエスの言葉。

仕える者とならせていただきたいです。

空腹な者に食べさせ、
渇いた者に飲ませ、
旅人に宿を貸し、
裸の者に着せ、
病気の者を見舞い、
投獄されている者を訪ねる。

具体的な一歩・・・何だろう?

主よ、
あなたが私に与えてくださっている時間、
これはすべてあなたの時間です。
どうか、私のなすべきことを教えてください。
最後の投獄されている者を訪ねる、という言葉が心にとまっています。
どうか、主よ、あなたが出会いと導きを与えてください。

2010-03-22

神様と一緒に海辺で夕日を見る。

昨日までの晴天が終わって、
今日は雨。
ほんとに暖かい1週間でした。
でも、今週は現実に引き戻されています。
雨は明日には上がりますが、
その後、ひんやりとした日が多くなりそうです。
特に後半は冷え込むのでは・・・と思います。




土曜日のJOYJOYイースターの5日前の予報。
「晴れだけど寒い。」
んー、これが当たりそうだなあ。
でも、雨じゃなければいいですよね。エッグハント。


休日の今日、ある方と話をしていて、
神様の許に休むことの意味を語り合っていました。


私は1年半くらい前にも書きましたが、
「神様と一緒に海辺で夕日を見る」というのが、
神様の許に休む、というイメージです。
別に海辺に行かなくてもいいです。
行ったらもっといいでしょうが。
祈りの中で、その風景を思いながら、
神様に語りかけるのです。


「何それ?」という反応をいただくことも多いのですが(笑)、
今日、話をした方は、「いいですねえ、それ」と
心から同意してくださいました。
共感、してもらうと、それだけで、休みになります。


神様からのプレゼントでした。


感謝。


さて、昨日休んだので、昨日3月21日の聖書。
マタイ25:14-30


「主人の喜びをともに喜んでくれ」21節、23節。

この言葉、すごくいいですね。
共同訳の方では「主人と一緒に喜んでくれ」で、
日本語として、とても自然なのですが、
このごつごつした、こんな日本語あるかい!と突っ込みたくなるような、
「主人の喜びをともに喜んでくれ」って、この新改訳の訳、
私は心にじーんときました。
神様が私に「私の喜びをおまえの喜びにしてくれ」って言ってくださっているなんて。

それに対して、もう一人の人。
1タランとを隠しておいた、その理由。
「あなたは意地悪だから」「あなたはひどい方だ」と思っていた。

イエス様の喜びを喜びとして、歩んでいける幸いを感謝します。

主よ、
あなたが、あなたの喜びに私を招き入れてくださっていることに、心から感謝します。
あなたを信頼します。
あなたの喜びの中に飛び込みます。
あなたの喜びの中で歩み幸いを楽しませてください。