2007-12-22

おっさん

今日は全然暖かくならないで、
最高気温も3度くらい。
一日中どんよりとしていました。

今、夜の11時前ですが、やっぱり3度。
今夜はこのまま行くみたいです。

明日は気温はぐっと上がって12度くらいまで行きそうですが、
雨がちょっと本格的に降るようです。

24日のイブ、25日のクリスマスはスッキリ晴れるようです。

今日は夕方、ユースグループ(BIG)のクリスマス会がありました。
いつもBIGの集まりはそうなんですが、
帰る頃になって盛り上がってきます。
いつもはバスケで、家でやる時はジェスチャーゲームなんですが、
今日は会場の都合でバスケができなかったので、円陣バレーが盛り上がりました。

バスケの場合は私はちょっと技術的に体力的に参加できないのですが、
バレーの場合は何とかなります。

私の時代の東京の中学は「球技大会」と言えばバレーでしたからねえ。
下町で、グランドがそんなに取れない。
いっぺんにたくさんの人数が参加できなければいけない。
だから、だいたいバレーだったんです。
もちろん「9人制」。
高校で、世田谷の学校に行ったら、田舎でグランドが広いので、
球技大会は「サッカー」でしたね。ハイ。

で、バレーだったら、ユースのメンバーの中に入っても、まあ、何とかなる。
でも、年の差30歳はやっぱり大きい。
自分の3分の1しか生きていない、
っていうか、自分が彼らの3倍生きてしまっている。

技術的にまだ通用しても、足腰が・・・。
途中で疲れがたまって、足が前に出ない。
それに加えて、一生懸命前に出ようとすると、
膝が「ぴきっ」って痛くなる・・・。

でも、どうにかこうにか、汗をかきかきプレーしました。
連続での最高記録は54回だったね。
次回は100回を目指してがんばろうと。
メタボ対策にもこれはいいかも・・・。

さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書1章1-18節でした。

「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」
5節の言葉です。

これは本当だろうかと思いました。
闇は光に打ち勝たない。
物理的にはそうでしょうが、
私たちの人生における光と闇は本当にそうなんだろうかと思いました。
光が無視され、ひどい目に遭い、
だんだんその光が弱くなって、消えてしまうことはないのだろうかと、
そして闇の力の方が、その勢いを誇っていることはないのだろうかと。

なぜ、こんなに不条理があるんだろうかと。

この世ではそう見える、
一時的にはそう見えることもある、
でも、究極的にはそのようなことはない、

いや、そのような暗闇のような中だからこそ、
イエスは私たちの所に来てくださったのです。

そして、今も光として輝いてくださっている。
イエスは光であって下さっている。

今日もこの光を証する者となりたいと思いました。
そして、この光をいただいて、
私も輝くものでありたいと思いました。
もっともっと神様のことで心いっぱいにして頂いて、
心からあふれるものが伝わっていく者でありたいと思いました。

主よ、
どうか、あなたがわたしを照らしてください。
あなたのことで心がいっぱいになりますように。
そして、あなたのことを伝える者とならせてください。
あなたの輝きをいただいて、
私も輝くことができますように。

クリスマスまであと3日。

闇と光

ということで、気持ちよく目覚めました。
昨日は一日どんよりした天気で、
気温も1度から2度くらいをうろうろ・・・。

今朝も1度です。

今日はもう少し暖かくなるようですが、
やはりどんよりした一日のようです。

そして明日の日曜日は雨。

今回は雪の心配は全くありません。
でも、雷が鳴るかもしれないようです。

クリスマスが近づくにつれて、
クリスマスの意味をいろいろ考えさせられます。
その中でここ2-3日思わされているのは、
「いつから、クリスマスは『幸せ』な人の祭りになったんだろうか」
ということです。

今朝、読んでいたインタビューの中で、
三浦綾子さんのご主人の光世さんが、こんな話をしておられました。
三浦家では40年以上、子供クリスマス会をして来られたそうです。
(その記事は5年くらい前のでしたので、今はどうされているかわかりませんが)

綾子さんが亡くなった年、1999年のことです。
10月になくなられたのですが、
「今年は子供クリスマス会はしませんよね、あんなことがあったから」
と言ってくださった方がおられるそうです。
もちろん、その方は光世さんを心配して言われたのだと思いますが、
やはり、身内に不幸があると、新年の挨拶と同じで、
クリスマスの祝いもするもんじゃないという感覚が
私たちのうちにあるかもしれません。
でも、イエスは平和な、家族がみんな元気な、
「幸せな」人たちに歓迎されるために、
来られたのではありませんでした。

暗闇に輝く光として来られたのでした。

そんなことを考えていると、教会のあり方も、
問われているように感じます。

痛みや悲しみの中にいる方々に届くクリスマスとなりますように。

ちなみに、光世さんはその年もクリスマス会をされさそうです・・・。

さて、昨日の聖書。
昨日はテトスの手紙2章11-15節でした。

「良いわざに熱心なご自分の民」14節。

イエスがこの世に来られたのは、
私たちを救うためだったけれども、
私たちが救われた後も、好き勝手に生きるためではなくて、
「良いわざに熱心な者」として生きるために、
来られたのだと、
もう一度思わされました。

そして、自分はそうだろうかと・・・。

良いわざに「熱心」だろうかと思わされます。

「縁があれば・・・」「出会いがあれば・・・」
そして、
「時間があれば・・・」と。

「熱心」とはほど遠いように思います。

行いよりも信仰だと、私たちは言います。
「私は良いわざをしている」と、
傲慢になってはいけないと思います。
「いい子」になってはいけないと思います。

でも、それが良いわざに熱心であることを
妨げてはいけないと思いました。
そして言い訳に使ってもいけないと・・・。

主よ、
あなたが私たちの所に来てくださって、
ありがとうございます。
あなたの愛を味わって、
熱い思いを持って、
人々の所に行くことができますように。

出会いを見つけ、
機会を見つけ、
時間を見つけて、

良いわざに熱心な者とならせてください。

2007-12-21

また明日。

今日はさっきまで集会があって、
たくさんの初めて会う方も来られて、
良かったです。

で、明日の朝、ちゃんと起きたいので、
今日はもう休みます。

アドベント期間中、「翌朝に・・・」はなかったと思うのですが、
明日の朝、ゆっくり書こうと思います。

ではでは~。

2007-12-20

祈られていること

今朝はちょうど0度くらい。
でも、またこれくらいの温度が、つるつる滑るんですよね。
昨日の夜ちょっと降った雨が凍って、つるつるしているところがたくさんありました。

昼間は7度くらいまで行ったでしょうか。
ほんと、だんだん寒さはゆるんでいますが、
それでも、底冷えのする一日でした。

今は夜の11時半ですが、1度です。
明日の朝は-2度くらいでしょうか。
「寒さがゆるむ」のも一段落。
風はないですが、昼間も2度くらいの寒い一日になるようです。

クリスマスがあと5日に迫ってきて、
クリスマスカードやレターが届くのですが
また自分たちも住所録の整理をしています。

普段、ちゃんとやってればいいのですが、
毎年、この時に「・・・この人引っ越したよねえ」「結婚したんじゃなかったっけ」と、
一生懸命Eメールの山を探して、「ああ、そうだった、そうだった」という再発見があります。

そんな風にして、クリスマスのお便りだけではなくて、
一年間のいろんな方々のお便りやEmailをもう一度読む中で、
多くの方々に自分は祈られているんだ、
NJの教会は祈られているんだ、と感じます。
忘れているんですよね。普段は。
でも、本当に多くの方々が愛してくださって、
祈ってくださって、
それで守られている教会であり、
自分なんだと思います。

普段も、忘れないでいたいと思いました。

いつの間にか、自分のがんばりとか、
自分の努力や能力とか、
そんなものでやってきている様なつもりになっていることが、
どれだけあるだろうかと。

とにかく、感謝。

さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第2の手紙8章1-15節を読みました。

「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。」
9節の言葉です。

この言葉を思いめぐらしている中で、
イエスが言われた、「富んでいる者が神の国にはいるのはなんと難しいことか」という言葉と、
それに対して「じゃあ、誰が救われるのでしょう?」と驚いた弟子たちに対して、
「神には何でもできる」というイエスの答えが心に浮かんできました。

まさにイエスが自分を与えられたことも、
また「なんと難しいことか」と言わなければいけないことだったのだと思わされたのです。

イエスが富んでおられたのに、つまり天国で富んでおられたのに、
私たちのために人となって、貧しさを味わってくださった。
それはとても難しいこと、とてもあり得ないことなんだけれども、
神様には不可能はないんだと、そのことをイエスの生涯全部が語っているのだと、
そう思わされたのです。

神様には不可能はない。
私はこの社会の中では決して「富んでいる」と言うほどではない。
でも、必要はいつも与えられている。
そして、世界全体を見るならば、
やはり、自分は「富んでいる」者なんだろう。

私ももっともっと主の力によって、神の力によって、
貧しい歩みをさせて頂きたいと思わされました。
人の力ではなくて、がんばりではなくて、
主の奇跡によって、主の力によって、
もっともっといろいろなことから解放されて、
自由にされたいと思います。

節約のことばかり考えていて、
そのことに捕らわれてはいけないと思います。
そうではなくて、イエスさまがそのようにされたように、
その足跡を歩みたいのです。

清貧が理想なのではない、と最近の教会ではよく言われます。

でも、本当に必要なものは決して多くない、
そのように思わされました。

主よ、
あなたは私たちのために貧しくなって下さいました。
それは神であるあなたが人となり
人から侮辱され、ののしられて、
捨てられたことの中に表されています。

私はそのような歩みに耐えられるのか、
全く自信はありません。
ですから、あなたの奇跡が必要です。

物も、プライドもささげる勇気を下さい。
あなたの奇跡で生かしてください。
捨てる自由、ささげる自由を与えてください。

2007-12-19

車の中で凍えた

今日は昨日よりもまたワンランク暖かくなりました。
朝は-2度くらい。
昼間は5度くらいまで上がりました。

今、夜の12時前で0.6度あります。
明日の朝は0度くらい。

週末に向けて、どんどん寒さはゆるみそうです。

大歓迎。

で、今日は夜NYで集会があって行ってきたのですが、
なんだか、車がおかしい。
とにかく寒い。

いつも車で動いているので、
スーツを着たら、もうオーバーも持たないで、車に乗って、
目的地に着いたら、そのまま走って建物の中に入るという生活をしています。

でも、今日はもしかしたら、近くに車を止められないかもしれない、と、
出かける間際になって、オーバーとマフラーを手に取って、車の中に積み込みました。
それが正解。

というか、もしも、これを持ってきていなかったらどうなっていただろうと思うとゾッとします。

とにかくヒーターを入れても全然暖かくならない。
エアコンを入れても涼しくならない・・・だったらまだわかるのですが、
ヒーターを入れても暖かくならないのは初体験。

でも、なんだか早く走ると暖かくなってくる。
たぶん、ラジエーターのファンが回っていないんですねえ。
で、渋滞にはまって、ノロノロ走っていると、
車の中は寒くなってくる+ラジエーターの水温が上がってくる。
走り始めるとラジエーターの水温がみるみる下がる+車の中が暖かくなる。

ということで、とにかく、行きが渋滞に次ぐ渋滞で、
凍えながら走りました。
マフラーを巻いてオーバーにくるまって、運転していました。

帰りは最初やっぱりどうなるかと思いましたが、
途中からすいすいになって、暖かくなりました。

明日の朝にでも車やさんに見てもらわなければ・・・と思います。

それから、これからは、冬、車に乗る時は、何かがあっても大丈夫なように、
ちゃんと暖かい格好をしようと思いました。
今の格好じゃあ、パンク一つで凍えてしまいますからね。

さて、今日の聖書。
今日はピリピ人への手紙2章1-11節でした。

「死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」
8節。

徹底的に父なる神に従った、イエスの姿を見ました。

主に従うことが難しいこともあります。
でも、従わないでいるのは、つらいです。

自分は人とうまくやっていこうと思う気持ちが
強すぎるように感じることが多いです。

それも、その「うまくやっていこう」というのが、
しばしば、人を思う気持ちではなくて、
自分を守る気持ちだったりするので、また問題です。

本当に主に従う者でありたいと思います。
主を信頼して主に従う者でありたいと思います。

このところずっと、
マリヤの信仰に学ばされています。
ヨセフの理解が与えられたから神様に従ったわけではなかった。
反対に、マリヤが主に従った時に、
ヨセフの理解が与えられた。

でも、マリヤはヨセフを失うことをも覚悟で、主に従った。

結果として、ヨセフは良き理解者となってくれたのだが、
そうなる前にマリヤは神に従ったのだ。
もしも理解されなくても、主に従ったのだ。

主よ、
わたしもあなたに従いたい。
あなたに従って歩みたい。
どうか、マリヤの様な信仰を持って歩めますように。

2007-12-18

国際電話

今日は朝は昨日より寒くて-6.5度。
でも、風がなかったので、
「ぴーんと空気の澄んだ気持ちいい寒さ」でした。
そして、昼間は3度くらいまで上がりました。

おかげでドライブウェーの氷割りはほぼ終わりました。
昨日とは大変さが大違い。
こんなに違うなら、昨日何もしないで休んでいれば良かった、
なんて思ってしまいます。
(なんて考えていると、春まで放っておこうか、って気分になってきます・・・)

あ、ちなみに、あの氷を割るヤツは、
メーカーのサイトを見ると、
"Ice Scraper"になっていますね。
感覚としては「scrape」しているって感じじゃないんだけどねえ。

まあ、いいですけど。

今夜は今10時半ですが、-1度くらい。
そして、明日の朝も-3度くらいでしょう。
ぐっと寒さがゆるみます。
そして、昼間は5度を超えてくれるようです。
氷はどんどん融けてくれることでしょう。

さて、そうやって昼間氷割りに2時間くらい使ったおかげで、
夜、やるべきことがたくさんたまっています。
で、まず電話。
今夜は気になっていた日本の方々何人かに連絡をしました。

でも、今から15年前、日本から来た時は、
ふつうにかけたら、一分間1ドル半くらいしたでしょうか?
そして、プロモーションで安い時間帯とかあって、
「何時から何時まではなんと1分間75セント!」という宣伝があったような。

今、いつかけても一分間4セントとか、5セントですもんね。
Skypeとか使ったら、テレビ電話でもタダでできてしまう。

さっき書いたメールへの返事がすぐ来てしまう。

ちょっと「楽しみに待つ」というのがないのが残念ですがね・・・。

ですから、この季節、クリスマスカードや年賀状を「楽しみに待つ」って感じ、いいですよね。

さて、今日の聖書。
今日はマタイによる福音書1章を読みました。

「恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。」
20節。

一昨日も書きましたが、
マリヤが従った時に、
神様はヨセフにまで手を回してくださっている。
マリヤがどんなに説明しても、
たぶんヨセフは納得しなかっただろうし、
説得されなかっただろう。

マリヤがどんなに自分の正しさを、
自分の身の潔白を主張しても、
信じてもらえなくて、傷つく一方だっただろうと思う。

だから、神はヨセフに直接語られた、
そして、ヨセフが翌朝、すぐに行動したような、
はっきりとした確信を与えるような仕方で語ってくださった。

この神様を信頼して歩んでいきたいと思いました。
この神様の信じて、
ヨセフにも語ってくださった神様を信頼して、
自分自身が神様に従って歩んでいきたいと思いました。

主よ、
平安と確信を感謝します。
あなたはわたしがあなたに従うことを求めておられることがわかりました。
他の誰かではなくて、
わたし自身があなたに従うことの大切さを教えられました。

従います。

あなたを見上げて歩んでいきます。

導いてください。

2007-12-17

雪割り

今朝は-4.4度まで下がりました。
風も強くてホント寒かったです。
昼間も1度くらい。

昨日のシャーベットはがちがちに凍って、
今日も余り気温が上がらなかったので、
ぼちぼち雪割り。
凍ってしまった雪を割るための専用の、
なんて言うんでしょうねえ、勝手にice breakerと呼んでいるのですが、
それで検索すると「雰囲気を和ませるために・・・」というのばかり出てきます。

「雪割り」とか「雪割りバール」
「氷割り」とか「アイスピッケル」とか
「スノーカッター」とか、
日本語ではいろいろな呼び方が出てきます。

まあ、ガンガンやってもまだまだ途中なのですが、
握力がなくなったので止めました。

で、コンピューターのキーボードも打ちづらい・・・。

明日の朝はもっと冷え込みそうです。
-6度くらい。

今11時過ぎでもう-3.3度まで下がっています。

昨日はJOYJOYクリスマスがあったので、
帰ってから重いシャーベットをかく元気がなかったですが、
やっぱり降った日にかいておく、これ、鉄則ですよね・・・。

さて、今日の聖書。
今日はルカ1章57-80節。

「すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた。」
64節。

ザカリヤは口がきけるようになって最初に出てきた言葉が、賛美だった。
神をほめたたえる言葉だった。

自分はどうだろうかと思わされました。

人は心にあることが口に出てくる。

心を守って頂きたい。
心を聖霊様に満たして頂きたいと思いました。
そして祈りました。

とにかくわたし自身を聖霊様の支配の中に守って頂きたい。
そして、一人、また一人と、聖霊様の支配の中に入れられていく人々を
起こしてください、と祈りました。

私たちの心がどこに向いているか、
自分の心が何に満たされているか、

賛美があふれ、祈りに導かれる日々を過ごしたいと願います。

主よ、
わたしの心があなたへの賛美であふれますように。
わたしの心が聖霊様に満たされますように。
そして、一人、また一人と、聖霊様によって導いてくださいますように。

マリヤのために、ヨセフに夢まで使って語ってくださった主が、
今日も、お一人一人の心にみことばを通して語ってくださいますように。

2007-12-16

教会のクリスマス

今日は本当に天気が守られて、
大雪になることなく、
道が大変になることなく、
JOYJOYクリスマスが持てました。

帰ってきたら、ドライブウェーはシャーベット状で
グジャグジャでしたが・・・。

とにかく守られて、感謝。

今は夜の10時過ぎですが、
まだ0.8度あります。

明日、ドライブウェーの除雪をすることを考えると、
あんまり冷え込んでほしくないのですが・・・。

さて、今日の礼拝。
中学生以上の人数で80人以上の方々が集まりました。
子供が40人近かったと思いますから、
全部で120人くらいだったでしょうか。
年によっては、礼拝後のJOYJOYクリスマスに間に合うように
来られる方々がほとんど、と言う年もあるのですが、
今年は礼拝から来られる方々が多かったです。

そして、洗礼式。
本当にうれしいですよね。
一人の人が悔い改める時に、
天国ではものすごい歓声が上がっている、と言いますが、
今日も、本当にうれしかったです。

洗礼を受けられたのはご婦人だったのですが、
ご家族で礼拝に来られました。

そして、礼拝後のJOYJOYクリスマスは子供だけで約50人。
自分が子供の頃は、小さな教会堂に100人すし詰めでしたから、
まだまだだなあと思いますが、
JOYJOYキャンプやキッズクラブで会ったことのある子たちを中心に、
たくさんの子供たちが集まってくれて、
そこで中高生たちが、ストレートに福音を伝える劇をやってくれる、
という理想的な展開でした。

自分たちで考えて台本を作って、演出もやって・・・
練習は大人はほとんどノータッチ。

頼りになります。

そして、彼らがやるとまたいいんですね。
子供たちも、親も、またしーんと見ている。

以前、教会学校の子供たちに劇をやってもらったことがありました。
学芸会か、発表会みたいな感じで・・・。

でも、それをやると、ビデオカメラが並ぶんですよねえ。
誰のためにやっているのかなあ、という感じになる。
いまいち子供の声も小さくて、はっきりと聞こえない、と言うこともありました。

でも、ここ3年くらい中高生がやってくれると、
始めてきてくれた子供たちへのメッセージにもなる。

そして、その中には「自分たちも中高生になったら、ああいう風に劇をやるんだ!」と
楽しみになってくる子もいる。

本当のクリスマスの意味は・・・というテーマで、
主人公の二人組が、クリスマスを台無しにしてやろうと、
みんなのたいせつにしているものを盗んでいく、
プレゼントとか、食べ物とか、音楽とか、お店の品物とか・・・
でも、そんなことでクリスマスの喜びは台無しになんかならない。
みんな喜びにあふれている。

なぜならば・・・という展開なのです。

子供たちの心に聖書の言葉が留まって、
芽を出して、実を結びますように。

さあ、今日の聖書です。
今日はルカによる福音書1章39-56節です。

「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」
45節。

この「信じきった」という言葉が心に留まりました。
どうしてこういう言葉を訳す人が使ったんだろうか、
「信じた」ではなくて「信じきった」なのだろうかと、
原典を見てみました。

「ピスチューササ」と「アオリスト分詞」が使われています。
アオリストが過去に1回の出来事として起こったこと、を表すので、
マリヤが「だんだん信じられるようになった」とか、「いつの間にか信じていた」とか
「何度も信じる決断をしてきた」ということではなくて、
「決定的な信じる決断をした」ということなのだと思います。

信じるって、ある時はそうなんだと思います。
一つの決断であって、「信じよう、信頼しよう」と決心することなのだと思います。

私たちは信じた後も「やっぱりなあ」と心が揺れてしまうことがあります。

でも、マリヤはここで、本当に主が信頼できる方だと、本当に信じた。

わたしも今朝、そのように主を信じようと思いました。

そして、今日礼拝でお話ししながら、
「マリヤが信じて従った時に、神様はエリサベツを備え、また一番の懸念であっただろうヨセフにも夢で現れるまでしてくださって、道を整えてくださった。」ということに目が開かれました。

わたしもそのように信じて、人の心にも働いて道を備えてくださる主を信頼して、
そう、「たとえそうでなくても」・・・つまりマリヤの立場だったら、ヨセフが信頼してくれなくて、ヨセフを失うことになったとしても・・・主を信頼して歩んでいきたいと思いました。

主よ、
わたしもあなたを信頼します。
マリヤの信頼を持ちたいと思います。
ヨセフの理解を得る前から、
神様を信頼したマリヤの信仰を持ちたいと思います。
どうか、あなたが導いてください。
勇気を与えてください。



氷点下脱出

6時 -4.5度
7時半 -1.7度
という気温の上がり方だったので、
すぐにでも雨になるかと思っていたら、
その後、雪に変わって、
しばらく気温は上がりませんでした。

でも、10時に無事に氷点下脱出。

皆さん無事に教会においでになれますように。

storm峠を越える

今朝6時の気温は-4.5度。
正直、朝起きて温度計を見てびっくりしました。
朝にはもう温度が上がっている、と予想されていたのに、
昨日の夜12時よりも下がっていたので・・・。

で、激しくSleetが降っていました。
路面も真っ白。
冒険を楽しみながらアドベントの朝の祈りに教会に行って来ました。

でも、7時半に帰ってくる時にはSleetも小雪に変わり、
路面も主要道路は全く問題ありませんでした。

朝の7時半で-1.7度。

昨日の夜の予想では今朝の6時から9時が一番激しく降る、と言っていたのですが、
どうやら予想よりも早く峠を越えたようです。

多くの皆さんと教会でお会いできますように。