2008-06-07

あつい。

言いたくはないですが、
暑いです。
予想されていたとおりですが、
本当に暑いです。

でも、今朝は6時半にハドソン川沿いだったので、
それはそれは涼しかったです。
長袖が必要でした。

でも、その後、どんどん暑くなって、
ガレージセールだったので、
めちゃくちゃ汗かきました。

で、この先数日間の天気。

月曜日のところは真っ赤な太陽が・・・。
最高気温は98度F。
つまり37度Cです。
体温です・・・。
お体には気をつけて。

Yankeesの試合も熱かったようですね。
12-11で勝ったから、まあ盛り上がったでしょうねえ。
でも、こんな暑い日のデーゲームはホント、大変だったことでしょう。

さて、今日の聖書です。
今日はサムエル第一17章28-40節でした。

「こんなものを着けては、歩くこともできません。慣れていないからです。」39節。

どんなに他の人にとって助けになることでも、
どんなに客観的にそれが防御に意味があるとしても、
自分がなれていなかったら、何の意味もない。
何の役にも立たない。

他人のまわしで相撲は取れない。
自分のなれているのものでなければならない。

御言葉を「消化する」という言葉を使うことがあります。
今日も、明日のために消化することの、大切さを思わされていました。
自分の経験として、
自分が神様から取り扱われたこととして、
備えて、語ること、
どんなにか大切なことかと思います。

借り物の恵みでは勝負はできない。
神様にもっともっと取り扱っていただきたいと思います。

神様、
どうか、私をいつもいつも御言葉によって取り扱ってください。
そして、あなたに語られたことを、
自分が取り扱われたことを、
語る者とならせてください。

明日の礼拝を守り、祝福してください。

2008-06-06

ホントに熱波がくる?

今日は昼過ぎまで曇っていたから、
あまり暑くなりませんでしたが、
明日は35度くらいまで上がる予報がでています。

朝はもやっていて、
「これが暑くなるのか?」と思うかもしれませんが、
朝、もやっているのは暑くなる日なのです。

明日は今年初めての野外早天祈祷会。
ハドソン川のほとりに集まって、祈りの時を持ちます。

その後は、先週のGarage Saleで残ったものと、
うちにあるいろんなものを、
うちの庭でSaleです。

今まで知りませんでしたが、
うちの町でもGarage Saleは許可がいるんですね。
15ドルも町に払わなければいけません。

なんとか、たくさん売れてほしいものです。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一17章12-27節。

「この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。生ける神の陣をなぶるとは。」26節。

どうでもいい話ですが、
私は日本の教会で「なぶさん」と呼ばれていました。
「まなぶ」だったので、「なぶさん」
どうでもいい話ですがね。ハイ。

自分が侮辱されることよりも、
神が侮辱されることに怒るダビデ。

今日はこの感覚を自分は持っているだろうかと、
思わされました。

私たちは自分が侮辱されることにはものすごい怒りを覚えます。
なんだか、「そんな風に言われる筋合いはない」とか、
「そんな風に思われていたのか・・・」なんて感じたりします。
またそんな声を聞くことがあります。

侮辱というのは耐えられない。
自分に対する侮辱はね。

でも、自分に対する侮辱はいい、
侮辱を受けても、それをイエスもうけられたものだから、
と平静に受け止めることはできないだろうか。

かえって、神様に対する侮辱に対して、憤りを覚えるか?

そんなことを思わされました。

自分ではなく、神への侮辱に怒る者でありたいと思います。

神様、
自分に対しての侮辱に耐える力を与えてください。
あなたに対する侮辱に怒る心を与えてください。
熱い思いを与えてください。

2008-06-05

熱波がやってくる。

今日は涼しかったですねえ。
でも、もうすぐ熱波がやってきます。
明日は今日よりぐっと温度が上がりますが、
30度くらいでしょう。
熱波はそのあと、土曜日から月曜日にかけてです。
ばっちり晴れて、最高気温は35度くらい。
いや、37-8度までいくと思います。
夜は熱帯夜ということはなく、22度くらいまで下がりますから、
まあ、大丈夫でしょうけれども、
お体には気をつけて・・・。

昨日というか今日というか、
6月5日の朝日新聞のHPにDVのことが書かれていましたね。
夫から妻への暴力の問題(リンクはすぐに切れると思います。悪しからず)です。
「あなたのせいではない」「がまんしなくていい」
一言一言うなずきながら読みました。

日本でも暴力を使うと刑事事件になるので、
暴力を使わないけれども、虐待を続けるケースが多くなってきたそうです。

牧師としてどのように対応したらいいのか、いろいろ考えさせられます。
「怒らせるおまえが悪い」・・・だから、怒らせないように気をつける。
それが大切だと思ったときもありました。

丸く収めることが使命だと思ったこともあります。
だいたいはご夫人方に我慢を強いてきたと思います。

もちろん、そんな時は「我慢」だなんて言葉は使いません。

「愛」という言葉に置き換えて・・・。

でも、それは本当に「愛」なんだろうか、
「恐れ」じゃないだろうか。

それでは解決しない。
はっきりとした態度をとることの方がずっと大切。
被害者も放っておいたら、虐待に身を捧げてしまう。
優しいときの彼が本当の姿だと思ってしまって、
その彼を逆上させる自分が悪い妻だと思ってしまう。
だから、厳しく思えるようなサポートが大切。
「本人が頼ってくるまで様子を見よう」なんてやったら、手遅れになる。

そして、被害者のサポートが大切だけれども、
その一方で、加害者の癒しへのプロセスも大切。
癒されなければ、また次の被害者がでてしまうだけ。
こちらの方がまた難しい。
これからの時代、こういったことを真剣に学ぶ必要を感じます。

無知は怖い。
丸く収めようとする気持ちも怖い。
「完全な愛はおそれを取り除く」
愛と勇気を与えてほしいと思いました。
アンパンマンのテーマソングはすごい、と思います。
(愛と勇気だけが友だちさ~♪)

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一17:1-11。

「サウルとイスラエルのすべては、このペリシテ人のことばを聞いたとき、意気消沈し、非常に恐れた。」11節。

ダビデとゴリアテの一騎打ちの箇所の一番最初の部分です。
大きな大きな強そうなゴリアテがやってきたときに、
そして、イスラエルの人々を脅しにかかったときに、
人々はおそれて、意気消沈してしまったのです。

自分も、大きな問題が立ちはだかるときに、
思ったようにことが進まないときに、
逃げたくなります。

でも、その必要はない。逃げなくていい。
戦えばいい。
主に祈って戦えばいい。
主を信頼して戦えばいい。

主よ、
あなたがともにいてくださるから、戦えます。
困難な問題、圧倒されるような状況、
それに対して、恐れないで、戦う者としてください。
明日の集会も祝福してください。
あなたのメッセージを伝えることができますように。

2008-06-04

旅人。

今日は雨がしとしと降る、一日。
肌寒いわけではなく、ちょっと蒸すけど、
蒸し暑い、というのはいいすぎかな、
という微妙な天気でした。

明日も今日と同じような天気が続きそうです。

松尾芭蕉が奥の細道の旅に出た歳になりました。
出発のときに、芭蕉は深川にいましたから、
なんだか、親近感があります。

私たちはこの世では旅人、寄留者。
天のふるさとを目指して歩く者。

この家に住むようになってもう8年。
大人になってから一番長い住まいになりました。
どこにいても、旅人の気持ちを失わないで、
歩いていきたいと思います。

私の存在をその人生の片隅にでも受け入れてくださっている皆さんに心から感謝。

また今日は、日本に帰られた仲間から、
先週、無事男の子を出産されたとのニュースが入りました。
感謝。

新しく生まれてくる子供たちのために
私たちができること、私たちが遺せるもの、
何だろうかなあと思います。

地球にやさしい・・・とはありきたりの言葉ですが、
本当に、もう、できることはなんでもする、
ということが求められていると思います。

そして、信仰。
時代は変わっても、変わらない確かなものを受け継いでいく、
これからの与えられている日の限り、
そのことに情熱をかけていきたいと思います。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一の16章でした。

「主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った」13節。

「激しく下った」とはどういうことだったのだろうか。
やはり熱い思いで立ち上がったのだろうと思う。
この後に出てくる、ゴリアテとの戦いでも、
人々が「どうせだめだ」と思っているところで、
彼は堅く立って戦った。

また聖霊様に満たしていただきたい、激しく下っていただきたいと思わされました。
私のうちにあふれ、教会のうちにあふれ、
周りの人々に伝わっていくような、
聖霊様の「激しく下る」ことを、与えていただきたいと思う。

主よ、
どうか、聖霊様が激しく下る、とはどういうことなのか、
見せてください。
私を強め、私に情熱を与え、
熱い思いであなたのことを伝えていく者としてください。

ここまで、いつも守ってくださってありがとうございます。
一つ一つの出会いに感謝します。
どうか、これからの歩みでも、
次の世代に、確実にあなたの愛と恵みを伝えていく、
そのことに熱い者でありますように。

2008-06-03

神の国の大使

今日は暑くなりました。
32度くらいまで上がりました。
でも夜はすごしやすいです。

12時で22度。

これから雨になるようです。
明日は雨。

ここ3日間くらいちょっと晴れて乾燥してきたので、
ちょうどいいと思います。

今日は最近、いうことを聞かなくなってきたノートブックの
クリーンインストールを1年ぶりくらいにしています。
何が大変って、ソフトのインストールとかアップデートとか・・・。
まだ始まったばかりです。

さて、今日は早速聖書。
今日はサムエル記15:16-35でした。

「あなたは、自分では小さい者にすぎないと思ってはいても、イスラエルの諸部族のかしらではありませんか。主があなたに油をそそぎ、イスラエルの王とされました。」17節。

自分は小さい者に過ぎない、というのは謙遜な感じがするかもしれないけれど、
本当はそうじゃなくて、無責任、責任逃れ、なのかもしれない。
本当は逃げているだけなのかもしれない。

私たちは一人一人が神の国の大使。
神の国の代表として、ここに生かされている。

私個人のことを言えば、牧師としてここに立てられている。
小さき者であることには変わりないけれども、
それとともに主に責任を与えられて、主に従うことを命じられているのだ。

今日も、本気で主に従う者でありたいと思いました。
何でも事なかれ主義で、「いいでしょう」というのではなくて、
一人一人の霊的な状態を心に留めて、
話ができるものでありたいと思います。
逃げないで、人を愛するものでありたいと思いました。

主よ、
どうか、私を守ってください。
あなたに与えられた使命を果たすものでありますように。
あなたに与えられた使命に生きるものでありますように。
日々、それをリマインドしてください。

2008-06-02

「便利」がやがて「支配される」に。

今日もいい天気で暑くなりました。
暑いと言っても湿度がそれほど高くないので、
気持ちがいい暑さです。
30度くらいでした。

明日ももう一日今日のようにいい天気でしょう。

今朝は車で教会に行って祈ってきました。
やはり平日、車が多い時に自転車はコワイかな。
でも、NYとかでは当たり前のように自転車の人いますよね。
怖くないのかなあ。

でも、運転する方も、NYだと、
歩行者や自転車になれているんですよね。
こっちは滅多に見ないから、慣れていない。
人が歩いていたり、自転車が走っていると、
「何だろう?」と不思議に思ったりします。

で、帰りに車のエンジンをかけながら、
本当に「便利」だけど、「支配されている」よなあ、と思いました。
電気もそう。インターネットもそう。
これがなかったら、どうしよう、という生活ですよね。
世界の何割かの人たちは電気なしでもちゃんと生きているのに。

自転車で、まだたった一往復ですが、その時、
「なるったけ荷物を少なくしよう」と思いましたからね。
車で、甘やかされて、荷物も増えて・・・。

今日は私が子供の学校の送り迎えだったのですが、
行きも帰りも、歩きました。
往復で1マイルくらいのたった20分なんですが、
それでも車が楽。時間も往復で5分くらい。
15分が本当になくて大変かというと、そんなことはないはず。
気をつけて時間を作れば、往復20分なんて簡単なはず。

でも、ガソリン燃やして体脂肪燃やさない。
変な社会。それで体脂肪が余ったから、
「ジム」というのが町に溢れ、
そこまで車で行って、
駐車場も一番近くに停めて
機械に乗って・・・その機械もかなりの割合で、電気で動くヤツ。
つまり、何か体脂肪以外の燃料を燃やして作った力で動くヤツ。
その力で体脂肪を燃やして、筋肉を維持しようとしている。

アメリカに来たばかりの頃、
人々を見て、大きな上半身と貧弱な下半身のアンバランスさに驚きましたが、
自分もそうなり始めているのかな、と思います。

運動をやっているハジさえ、ウガンダの子供にかなわなかったといいます。

最低限のことはやらないと!

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一15:1-15。

「サウルはカルメルに行って、もう、自分のために記念碑を立てました。」12節。

サウルはアマレクを破った時に、
自分のために記念碑を建てたという。

その同じサウルが、サムエルに「どうして牛や羊を取っておいた?」と詰問されると、
「民がやったのです」と逃げた。

ああ、みっともない!

手柄は自分のものにして、
失敗は部下の責任にして。
なんてヤツだろうと思いました。

でも、そう思いながら、いや、自分はどうだろうかと思いました。

人のことはよくわかる。
サウルの姿を見て、みっともないと思う。
でも、自分も同じことをやっていないか、
同じことをやってきていないかと問われました。

自分のことってわからないものだと思います。
気がつかないんだなあと思います。

本当に、主の前にへりくだり、
人の間でもへりくだる者でありたいと思います。
無理してそれをするのではなく、
そういう品性を与えて欲しいと思いました。

主よ、
人を見ると、傲慢な人は、
自分の手柄を誇り、人の責任を追及する人は愚かだと思います。
みっともないと思います。
でも、私はどうでしょうか?
私の心を探ってください。
そして、あなたの前に、人々の間で、へりくだった品性を持つ者としてください。



2008-06-01

聖徳太子になりたい。

今朝は一念発起して、というか、
前々から考えていたのですが、
朝の祈りに教会に行く時に、
ガソリンではなく、自分の体脂肪を燃やそうと、
自転車で走ってみました。

5マイルだから、大体8キロ。
たっぷり30分。
結構かかるもんだなあ、のどが渇いたなあ、
脚が痛いなあ・・・と教会に入ろうと思って気がつきました。

あ、・・・鍵がない。

いつも車で来るので、車の鍵と教会の鍵を一緒にしておけば、
こういうことはない、と思っていたのですが、
今日は自転車だったので、うっかりしていました。

自分はホントにいっぺんに一つのことしか考えられない人間みたいです。

人によっては、テレビを見ながら、アイロンをかけながら、みんなと話をする、
ということが出来るといいます。
でも、私は絶対無理。大体一般的に男性はダメみたいですが、
聖徳太子は10人の人に話しかけられても、ちゃんと聞き分けたといいます。

ああ、そんな人間になりたいなあ、と思いました。

そんなことを思いながら、でも、教会の入り口に座り込んで、
聖書を読んでお祈りをしました。

空がとっても青かったです。
それはそれでとってもいい経験でした。

帰りは行きの数倍きつかったです。
やっとの事で家に帰って、また、玄関先で座り込んでいたら・・・
(別に鍵は閉められていませんでした、念のため・・・)
バラがきれいに咲いていました。


ちょっと忘れかけていたものを思い出させてもらったような、
そんな朝でした。
毎朝、これをやったら、絶対やせると思います。
でも、ちょっと自信はありません。

とりあえず、明日はまたガソリンを燃やすことになりそうです。

明日も気持ちよく晴れそうです。

今日、2月に日本で初めてお会いした方が、
信仰告白に導かれたことをお伺いしました。
本当にハレルヤです。
神さまがすべてを御手の中でアレンジしてくださったことを思い出して、
主に感謝しました。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一14:36-52

「しかし祭司は言った。『ここで、われわれは神の前に出ましょう。』」36節。
勢いに乗って、「さあ、追っていこう」と言っていたサウル。
そして、「あなたのいわれることは何でもします」と言った人々。

でも、その時に、祭司は「神の前に出ましょう」と言います。
ある意味、勢いをそぐ一言だったでしょう。
こんなことを言うのには勇気がいったと思います。
でも、そのようにした祭司たち。
そのような勇気に生きる者でありたいと思いました。

人ではなく、神を見る、
神の御心を求めながら歩む、
そんな者でありたいと思いました。

主よ、
いつも御心を求めて歩む者であらせてください。
人ではなく、人々ではなく、
神さまの御声を聞いて歩む者であらせてください。
あなたに目を向けます。
どうか、あなたが答えてください。
わかるように導いてください。