昨日は朝から28度。夕方には40度を超えました。
ホントにあつくて、多分体力を吸い取られていたんでしょう、
おかげで夜10時には睡魔に襲われ、11時には沈没していました。
今朝、5時半に起きたのですが、疲れはイマイチ取れず。
今朝の最低は26度。
ちょっとマシでしたが、2晩続けての熱帯夜。
昼間は37度止まり。
昨日より、ずいぶん楽でした。
夜の11時で29度。・・・うーん、どうなるでしょうか?3晩続けての熱帯夜・・・。
明日からはちょっと楽になるようです。
期待しつつ。
昨日はノルウェーでのテロには本当にびっくりしました。
首都での爆弾もそうですが、その後の虐殺。
犯人は・・・例によってイスラム過激派か?と多くの人が思ったかもしれませんが、今朝あたりの報道では「キリスト教原理主義者か」という文字が踊っていました。その後、そちらもトーンダウンしているようですが、いろいろ考えさせられてしまいました。
原理主義とはfundamentalism。
根本主義という訳を使われることもありますね。
9-11の後、イスラム原理主義が取りざたされたので、「こわい」「ひどい」というイメージが強いですが、元々、過激派でもなく、暴力主義でもありません。それは近代主義/世俗化/既得権を持った「宗教組織」へのアンチテーゼとして、根本に帰ろう、原理に帰ろう、という運動です。
近代主義へのアンチテーゼとして原理主義があるならば、そして、それが「原点に戻れ」「原典に戻れ」ということを標榜していると考えるならば、私自身も原理主義的な考えを持っていると言っていいでしょう。「徹底的にイエスに従う」「聖書をそのまま神のことばとして受け入れる」「世俗化による堕落を捨てて、最初の教会のように生きる」ということを大切に思っています。
9-11のときもそうでしたが、今回も恐らく、多くの人々が「私たちはあの人とは違う」「あのグループのような極端なことはしない」と、自分はそのような人々は関係ないと言って自分を守ろうとするだろうな、と思います。それが、私はとても悲しく思うのです。
もちろん、自分の信条のために人を殺してでも・・・ということを肯定しようとは思いません。そんなことは考えることもできません。
でも、人間である以上「彼らとは全然関係ない」とは言い切れない、自己中心性や、罪深さを持っていると思うのです。まして、信仰者として、宗教は皆同じ・・・なんて決して思いませんが、一つの信仰を持つ者として、自分自身、それによって自分を絶対化し、他人を否定する危うさを持っていると思うのです。
神の前にひざまずくこと。
ひとりの罪深い者として、迷いやすい、自分を絶対化しやすい存在として、神の前にひざまずくこと。それが、本当に大切だと思うのです。
宗教はコワイ。
オウムが事件を起こした時に、多くの日本の人は思いました。それから今も、ずっとその風潮は続いていると思います。
クリスチャンの多くの人々は「私は宗教を信じているのではない、イエスとの関係に生きているのだ!」と言われます。すばらしいです。本当にそう思います。
でも、やはり、外側から客観的に見ると、社会学的にキリスト教は宗教ですし、やっぱり「コワイ」と思われても仕方がない、危うさを持っているのです。信仰者たちが、それを自覚しないことこそが、ほんとうに「コワイ」ことなんじゃないかと、私は思うのです。
ある牧師は言いました。
「宗教はコワイ、と言われる。コワイです。変なのに引っかかったら大変、だから、ちゃんと調べてください。調べてもらっても全然大丈夫なものだと、わたしは信じているから、そう言えます。そして、納得して信じてください。」と。
そうだな、と思います。
・・・そして、どこかで「納得」だけではなくて、「自分が砕かれる」「神に身をゆだねる」ことが必要なんだとも思いますし、その「大丈夫」の危うさをも自覚しながら、信じることの大切さも感じるのです。
また、誤解を恐れないで言うと、
社会で「あいつらヤバいんじゃない?」と思われるものが全くないものでいいのかな?とも思います。新約聖書の使徒行伝では最初の教会の人々が「疫病のような奴ら」「社会をひっくり返している」と呼ばれていたことが書かれています。
愚直に聖書のメッセージに生きる者となれますように。
明日は元ヤクザの伝道者/井上薫先生と奥様の比呂子さんが礼拝で神様からのメッセージを取り次いでくださいます。これもすごいですね。ヤクザやっていた人が、覚せい剤で廃人になりかけた、自殺未遂を繰り返していた人が、今は世界中を回って、神様の話をしているんだから。幸いな礼拝となりますように。
2011-07-23
2011-07-21
熱波真っ最中。
はい、暑いです。
今日の最高気温は38.4度Cでした。
華氏だと101度。しっかり3桁行きました。
で、もっときついのは、夜になっても外の気温が下がらないこと。
今は、夜の11時20分ですが、外はまだ32度Cあります。
これはほぼ確実に熱帯夜でしょう。
そして、明日、あさってと3桁の日が続いて、
日曜日からちょっと落ち着くようです。
今日、父が来た時に日本から持ってきてくれた
桃井和馬さんの「妻と最期の十日間」を一気に読みました。
氏の奥様ヘの深い愛情に感動するとともに、
理屈を超えた心の痛みの中で、起こることを、自分はわかっていなかったな、と思わされています。
そして、もう一つ。
奇跡に対する氏の態度。
奥様がくも膜下出血に倒れて1週間あまり。
人々がメッセージを送ってきてくださる中には「奇跡を祈る」「祈りに応えて神は奇跡をしてくださるだろう」という励ましもあったそうだ。
でも・・・、
「祈れば神は必ず応えてくださる」というのは「神を矮小化することだ」という。それは、神を自動販売機にしてしまうことであり、人間の思考の中に閉じ込めてしまうことだという。神は本当はもっと大きい方なのだと言う。
そして、絶対に「奇跡」など求めない、とまで言い切られるのだ。
自分はどうかなあと思いました。
多分、やはり奇跡も祈るのではないだろうか。
教会に病を負う方が起こる時に、
私たちの健康をも支配しておられる神に祈るのではないだろうか。
でも、その一方で、氏の言われるように、
「祈った通りになる」と言うならば、それは神をふりまわすことであり、
神を自動販売機にする事であり、神を自分の頭で完全に理解できる存在に引き下げることだと思う。
神を自分の頭に閉じ込めることだ。
そして、氏の究極的な祈りに心を合わせたいと思わされた。
「あなたの判断のすべてを受け入れさせてください。それを受け入れるだけの力を自分に与えてください」
主よ、
私にあなたが備えていることを、
受け入れることをさせてください。
その中には「受け入れるのがむずかしい」こともあるでしょう。
ただ、奇跡を求めたくなることもあるでしょう。
もしも、あなたのみこころならば、奇跡をなしてください。
でも、あなたを私の人生の王として迎え、
あなたに従って行く者とならせてください。
今日の最高気温は38.4度Cでした。
華氏だと101度。しっかり3桁行きました。
で、もっときついのは、夜になっても外の気温が下がらないこと。
今は、夜の11時20分ですが、外はまだ32度Cあります。
これはほぼ確実に熱帯夜でしょう。
そして、明日、あさってと3桁の日が続いて、
日曜日からちょっと落ち着くようです。
今日、父が来た時に日本から持ってきてくれた
桃井和馬さんの「妻と最期の十日間」を一気に読みました。
氏の奥様ヘの深い愛情に感動するとともに、
理屈を超えた心の痛みの中で、起こることを、自分はわかっていなかったな、と思わされています。
そして、もう一つ。
奇跡に対する氏の態度。
奥様がくも膜下出血に倒れて1週間あまり。
人々がメッセージを送ってきてくださる中には「奇跡を祈る」「祈りに応えて神は奇跡をしてくださるだろう」という励ましもあったそうだ。
でも・・・、
「祈れば神は必ず応えてくださる」というのは「神を矮小化することだ」という。それは、神を自動販売機にしてしまうことであり、人間の思考の中に閉じ込めてしまうことだという。神は本当はもっと大きい方なのだと言う。
そして、絶対に「奇跡」など求めない、とまで言い切られるのだ。
自分はどうかなあと思いました。
多分、やはり奇跡も祈るのではないだろうか。
教会に病を負う方が起こる時に、
私たちの健康をも支配しておられる神に祈るのではないだろうか。
でも、その一方で、氏の言われるように、
「祈った通りになる」と言うならば、それは神をふりまわすことであり、
神を自動販売機にする事であり、神を自分の頭で完全に理解できる存在に引き下げることだと思う。
神を自分の頭に閉じ込めることだ。
そして、氏の究極的な祈りに心を合わせたいと思わされた。
「あなたの判断のすべてを受け入れさせてください。それを受け入れるだけの力を自分に与えてください」
主よ、
私にあなたが備えていることを、
受け入れることをさせてください。
その中には「受け入れるのがむずかしい」こともあるでしょう。
ただ、奇跡を求めたくなることもあるでしょう。
もしも、あなたのみこころならば、奇跡をなしてください。
でも、あなたを私の人生の王として迎え、
あなたに従って行く者とならせてください。
2011-07-20
新しい任期に備えて。
今日も暑かったです。
そして、明日からいよいよ、警報ものの熱波です。
気温は36度くらい、体感気温は43度Cくらい、
だそうです。
無理はしないでください・・・ってことですね。
今夜はまだましなのかな、外の気温も9時半で27.2度C。
熱帯夜はどうにか免れる予報が出ています。
さて、実は、今の教会の牧師に就任したのが、
1997年の7月20日。
日本からホーリネス教団を代表して、ひとりの先生がおいで下さって、
按手礼という、正教師としての資格をいただくお祈りをしてくださいました。
それから14年。そんなに経ったんだ、早いな、という気持ちです。
牧師としてまだまだ駆け出しのような気持ちで、
少しずつ、大切なことがわかってきたかな、というところなので、
ちょっと数字の大きさに気持ちが焦ります。
でも、いつもいつも、私自身が聖書学院に入る時に平安をいただいた言葉、
「あなたの弱いところに、わたしの力は完全にあらわれる」
というイエスの言葉を信頼して、歩んで行こうと思わされます。
そして、今の任期は7月末まで。
8月1日からは新しい任期が始まります。
そんなことを考えながら、今日手にしたのが、
「牧会ジャーナル」
もう十数年前から発行されている小冊子ですが、
初めて、実物を手にしてみました。
存在は知っていたのですが、
どこに頼んだらいいのかわからず、
まあ調べればすぐにわかるのでしょうが、
また海外で購読するコストを考えると、
二の足を踏んでいました。
今年の春に、牧師としての働きのために、
教会のこれからの歩みのために、
祈っている時に、近所の教会の牧師が、バックナンバーを貸してくださったのでした。
その中にある牧師のこんな言葉が、心に留まりました。
「牧師会で、何となく比較されるようで出るのが億劫」
わたしは正直なところ、そこまでは感じたことはなくて、NY地区の日本語牧師会をいつも楽しみにしているのですが、
確かに、目に見える成果のようなことを披露し合うような場になりかけた時に「何か違うんじゃないの?」と思ったことはありました。
でも、ホントのところは、
自分が自分で比較しているんでしょうね。
もちろん、回りの人々に比較される場合もあります。
「あっちの教会のメッセージの方が恵まれる」といって去って行った方々もいました。
(逆のことを言われると愚かにもまた舞い上がったりするわけで・・・)
でも、どんなことがあっても、どんなことを言われていても、
結局のところ、自分がしっかりと立つべきところに立っていれば、
いいんですよね。人が比較する言葉にもびくともしなくなる。
そのことを本当にこの新しい任期の始まる時に、
改めて、確かにさせていただきたいと思いました。
あと、英語の本で「Unnecessary Pastor(必要とされない牧師)」(Marva J. Dawn, Peter Santucci, Eugene H. Peterson)という本のことが紹介されていて、すげー題!?と思って、アマゾンで中古の本を注文してしまいました。ちゃんと読んでみないといけないんでしょうが、「一般に『こんな牧師が必要とされている』という牧師になるなよ」「ホントの牧師というのは世が求めているものとは違うんだよ」という警告と、じゃあ、牧師はどうあるべきか、ということを書いてある本のようです。この著者のひとりのピーターソンの書いたものにはいろいろ教えられることが多く、今回も楽しみにしています。邦訳じゃなくて、原文というのがハードル高いですが。
いつもいつも主に聞いて、聖書に聞いて、
そこに答えをいただいて、立ち上がって行く、
そのようなものとならせていただきたいと思わされます。
でも、ちゃんと投資すべきところには投資しないといけないですね。
もしももっともっと早くこの「牧会ジャーナル」を購読していれば・・・という気持ちです。
反省。
でも、それでなくても、日本語/日本文化の中での研修の機会の限られている海外の牧師のためには電子図書版もあればいいなと思います。
ホントはそっちの方が皆さん助かるのだろうと思うのですが・・・。
さて、今日の聖書。
今日は列王記第二9章27-37節でした。
「エフーがイズレエルに来たとき、イゼベルはこれを聞いて、目の縁を塗り、髪を結い直し、窓から見下ろしていた。」30節。
聖書を読んでいて、
時々、「どうしてこんなことを丁寧に書いているんだろう?」と思うところがあります。
ここもそうです。
イゼベルがお化粧直して、髪を結い直したこと、
わざわざ書くことの意味は何?
と思って読みました。
飾ったということ?
そして、特に皇太后としての、
威厳を表そうとしたということ?
ああ、でも、自分もそういうことあるかなと思いました。
飾るとき、威厳を表したいとき、
結局は自信がないんですよね。
恐れている。
イゼベルも結局そうだったのかなと思います。
強い女性のように思われているのでしょうけれども、
ホントは自信のない、恐れに縛られていた人だったんじゃないかと。
低くなって出ること、
真実になって、裸になって出ること、
本当に大切だと思います。
主が受け入れて、支えてくださるのですから。
神様、
わたしも虚勢を張りたい時があります。
自信がないとき、恥ずかしい時です。
でも、そんなとき、ありのままを受け入れてくださる
あなたの存在を目に留めて、
真実であることができますように。
あなたから答えをいただいて歩むことができますように。
明日からの暑さの中で、
一人一人が守られますように。
そして、明日からいよいよ、警報ものの熱波です。
気温は36度くらい、体感気温は43度Cくらい、
だそうです。
無理はしないでください・・・ってことですね。
今夜はまだましなのかな、外の気温も9時半で27.2度C。
熱帯夜はどうにか免れる予報が出ています。
さて、実は、今の教会の牧師に就任したのが、
1997年の7月20日。
日本からホーリネス教団を代表して、ひとりの先生がおいで下さって、
按手礼という、正教師としての資格をいただくお祈りをしてくださいました。
それから14年。そんなに経ったんだ、早いな、という気持ちです。
牧師としてまだまだ駆け出しのような気持ちで、
少しずつ、大切なことがわかってきたかな、というところなので、
ちょっと数字の大きさに気持ちが焦ります。
でも、いつもいつも、私自身が聖書学院に入る時に平安をいただいた言葉、
「あなたの弱いところに、わたしの力は完全にあらわれる」
というイエスの言葉を信頼して、歩んで行こうと思わされます。
そして、今の任期は7月末まで。
8月1日からは新しい任期が始まります。
そんなことを考えながら、今日手にしたのが、
「牧会ジャーナル」
もう十数年前から発行されている小冊子ですが、
初めて、実物を手にしてみました。
存在は知っていたのですが、
どこに頼んだらいいのかわからず、
まあ調べればすぐにわかるのでしょうが、
また海外で購読するコストを考えると、
二の足を踏んでいました。
今年の春に、牧師としての働きのために、
教会のこれからの歩みのために、
祈っている時に、近所の教会の牧師が、バックナンバーを貸してくださったのでした。
その中にある牧師のこんな言葉が、心に留まりました。
「牧師会で、何となく比較されるようで出るのが億劫」
わたしは正直なところ、そこまでは感じたことはなくて、NY地区の日本語牧師会をいつも楽しみにしているのですが、
確かに、目に見える成果のようなことを披露し合うような場になりかけた時に「何か違うんじゃないの?」と思ったことはありました。
でも、ホントのところは、
自分が自分で比較しているんでしょうね。
もちろん、回りの人々に比較される場合もあります。
「あっちの教会のメッセージの方が恵まれる」といって去って行った方々もいました。
(逆のことを言われると愚かにもまた舞い上がったりするわけで・・・)
でも、どんなことがあっても、どんなことを言われていても、
結局のところ、自分がしっかりと立つべきところに立っていれば、
いいんですよね。人が比較する言葉にもびくともしなくなる。
そのことを本当にこの新しい任期の始まる時に、
改めて、確かにさせていただきたいと思いました。
あと、英語の本で「Unnecessary Pastor(必要とされない牧師)」(Marva J. Dawn, Peter Santucci, Eugene H. Peterson)という本のことが紹介されていて、すげー題!?と思って、アマゾンで中古の本を注文してしまいました。ちゃんと読んでみないといけないんでしょうが、「一般に『こんな牧師が必要とされている』という牧師になるなよ」「ホントの牧師というのは世が求めているものとは違うんだよ」という警告と、じゃあ、牧師はどうあるべきか、ということを書いてある本のようです。この著者のひとりのピーターソンの書いたものにはいろいろ教えられることが多く、今回も楽しみにしています。邦訳じゃなくて、原文というのがハードル高いですが。
いつもいつも主に聞いて、聖書に聞いて、
そこに答えをいただいて、立ち上がって行く、
そのようなものとならせていただきたいと思わされます。
でも、ちゃんと投資すべきところには投資しないといけないですね。
もしももっともっと早くこの「牧会ジャーナル」を購読していれば・・・という気持ちです。
反省。
でも、それでなくても、日本語/日本文化の中での研修の機会の限られている海外の牧師のためには電子図書版もあればいいなと思います。
ホントはそっちの方が皆さん助かるのだろうと思うのですが・・・。
さて、今日の聖書。
今日は列王記第二9章27-37節でした。
「エフーがイズレエルに来たとき、イゼベルはこれを聞いて、目の縁を塗り、髪を結い直し、窓から見下ろしていた。」30節。
聖書を読んでいて、
時々、「どうしてこんなことを丁寧に書いているんだろう?」と思うところがあります。
ここもそうです。
イゼベルがお化粧直して、髪を結い直したこと、
わざわざ書くことの意味は何?
と思って読みました。
飾ったということ?
そして、特に皇太后としての、
威厳を表そうとしたということ?
ああ、でも、自分もそういうことあるかなと思いました。
飾るとき、威厳を表したいとき、
結局は自信がないんですよね。
恐れている。
イゼベルも結局そうだったのかなと思います。
強い女性のように思われているのでしょうけれども、
ホントは自信のない、恐れに縛られていた人だったんじゃないかと。
低くなって出ること、
真実になって、裸になって出ること、
本当に大切だと思います。
主が受け入れて、支えてくださるのですから。
神様、
わたしも虚勢を張りたい時があります。
自信がないとき、恥ずかしい時です。
でも、そんなとき、ありのままを受け入れてくださる
あなたの存在を目に留めて、
真実であることができますように。
あなたから答えをいただいて歩むことができますように。
明日からの暑さの中で、
一人一人が守られますように。
2011-07-19
熱波来るよ。
今日も暑かったです。
34度くらい。
でも、夜、12時前ですが、ちょっと外からの風が涼しいかな。
外は25.8度C、湿度も61パーセント。
それほどでもない・・・暑さに慣れてきたのかな。
でも・・・明日からは、夜も暑い、昼も暑い、
熱波が来ます。
週末にはちょっと落ち着くようですが、
明日の夜から金曜日にかけて、暑さに注意です。
日本の台風。
少し弱くなったみたいですが、
まだまだ注意が必要です。
でも、今日の朝(日本では夜)、
気象庁が「四国ヘの上陸はなくなった」と発表しましたが、
それあらわずか数時間後、
こちらのランチタイムに日本時間の午前1時頃のデータを見た時に、
「あれ、これ四国に上陸してるんじゃないの?」と思って、
Tweetしました。
まだニュースや気象庁の発表もない頃。
日本では真夜中だったこともあり、
注目している人たちも少なかったんでしょうね。
同じように感じている人もほとんどいませんでした。
で、1時間くらい後に、「徳島に上陸」とのニュースが流れました。
ちょっと、自慢したい気分でした。
「言ったでしょ」という感じ。
夏台風は秋のように進路がはっきりしていません。
迷走することもあります。
この時も、四国の南でほぼ直角に東に進路を変えた台風が、
室戸岬の南で、またほぼ真北に進路を戻して、
徳島県に上陸、ちょっと内陸まで入った後、
ほとんど停滞、その後、南東に動き始めて、
紀伊半島に向かいました。
ちょっとした迷走だったみたいですね。
今は順調に東進しているようですが、
もうちょっと迷走するかもしれません。
関東はまだまだゲリラ豪雨の危険があります。
お気をつけて。
今日はお天気ネタのみで失礼!
34度くらい。
でも、夜、12時前ですが、ちょっと外からの風が涼しいかな。
外は25.8度C、湿度も61パーセント。
それほどでもない・・・暑さに慣れてきたのかな。
でも・・・明日からは、夜も暑い、昼も暑い、
熱波が来ます。
週末にはちょっと落ち着くようですが、
明日の夜から金曜日にかけて、暑さに注意です。
日本の台風。
少し弱くなったみたいですが、
まだまだ注意が必要です。
でも、今日の朝(日本では夜)、
気象庁が「四国ヘの上陸はなくなった」と発表しましたが、
それあらわずか数時間後、
こちらのランチタイムに日本時間の午前1時頃のデータを見た時に、
「あれ、これ四国に上陸してるんじゃないの?」と思って、
Tweetしました。
まだニュースや気象庁の発表もない頃。
日本では真夜中だったこともあり、
注目している人たちも少なかったんでしょうね。
同じように感じている人もほとんどいませんでした。
で、1時間くらい後に、「徳島に上陸」とのニュースが流れました。
ちょっと、自慢したい気分でした。
「言ったでしょ」という感じ。
夏台風は秋のように進路がはっきりしていません。
迷走することもあります。
この時も、四国の南でほぼ直角に東に進路を変えた台風が、
室戸岬の南で、またほぼ真北に進路を戻して、
徳島県に上陸、ちょっと内陸まで入った後、
ほとんど停滞、その後、南東に動き始めて、
紀伊半島に向かいました。
ちょっとした迷走だったみたいですね。
今は順調に東進しているようですが、
もうちょっと迷走するかもしれません。
関東はまだまだゲリラ豪雨の危険があります。
お気をつけて。
今日はお天気ネタのみで失礼!
2011-07-18
神が導いたことなら。
今日は本当に暑かったです。
36度くらいまで上がっていました。
夜になってちょっと雨が降っています。
ここのところ雨が降らずに芝生が茶色くなり始めているので、少しまとまった量が降って欲しいところです。
明日も蒸し暑い日になりそうです。
そして、今週後半は熱波です。
101度F・・・38度Cまでいくようです。
さて、ちょっと前ですが、土曜日の聖書から。
土曜日は列王記第二8:1-15でした。
「彼女の物は全部返してやりなさい。」6節。
神様が命じられて、この女性は出て行った。
そして、7年の後に帰ってきた時に、
すべてを返してもらった。
そして、それだけではなくて、
エキストラで、その不在の期間の収穫さえも与えられた。
命じられたことに従って、出て行く。
心配するな、
そうすれば、帰ってきた時に、主はすべてを返してくださる。
なんだか、信頼しなさいって語られた気がしました。
のんちが日本に行く時に、仕事を辞めて行きました。
帰ってきてから、まあ、JOYJOYキャンプもあるし、
また、その後も、見つからなかったらそれはそれでいいから、
と言っているのですが、
まあ、心配するなよ、と主がcomfirmしてくださったことを感じます。
主よ、
あなたの御言葉に感謝します。
あなたに信頼して歩んでいく時に、
主がすべてを元に戻してくださること、
一切を返してくださることを信頼します。
あなたを信頼することができたことに、感謝します。
どうか、守ってください。
36度くらいまで上がっていました。
夜になってちょっと雨が降っています。
ここのところ雨が降らずに芝生が茶色くなり始めているので、少しまとまった量が降って欲しいところです。
明日も蒸し暑い日になりそうです。
そして、今週後半は熱波です。
101度F・・・38度Cまでいくようです。
さて、ちょっと前ですが、土曜日の聖書から。
土曜日は列王記第二8:1-15でした。
「彼女の物は全部返してやりなさい。」6節。
神様が命じられて、この女性は出て行った。
そして、7年の後に帰ってきた時に、
すべてを返してもらった。
そして、それだけではなくて、
エキストラで、その不在の期間の収穫さえも与えられた。
命じられたことに従って、出て行く。
心配するな、
そうすれば、帰ってきた時に、主はすべてを返してくださる。
なんだか、信頼しなさいって語られた気がしました。
のんちが日本に行く時に、仕事を辞めて行きました。
帰ってきてから、まあ、JOYJOYキャンプもあるし、
また、その後も、見つからなかったらそれはそれでいいから、
と言っているのですが、
まあ、心配するなよ、と主がcomfirmしてくださったことを感じます。
主よ、
あなたの御言葉に感謝します。
あなたに信頼して歩んでいく時に、
主がすべてを元に戻してくださること、
一切を返してくださることを信頼します。
あなたを信頼することができたことに、感謝します。
どうか、守ってください。
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