2008-11-01

豊作。

昨日はハローウィーンでしたが、
ほんとうに暖かくなりましたね。
たくさん子供たちが歩き回っていました。


でも、ハローウィーンに紛れて、強盗に入る悪いヤツもいれば、
どんな事情があったのかわかりませんが、
やってきた若者を射殺した、という事件もありました。


子供たちが仮装するのはかわいくていいのですが、
大人がそれに便乗して悪魔的な格好をしたり、
馬鹿騒ぎをするのは勘弁して欲しいです。


今日はまたそこそこ暖かくなるでしょう。


昨日の夜はまたNYで弟子訓練があったのですが、
その中で気がつかされたこと。


ルカによる福音書の5章で、
イエスがこれから「あなたを人間を取る漁師にする」と漁師たちを招く時に、
先に豊漁を見せてくださったことの意味を思わされました。


豊漁を見せられないで、「あなたを・・・」と言われるのと、
豊漁を見せられて、「あなたを・・・」と言われるのと、
弟子たちの心に起こったイエスに従う者たちの歩みの将来に対するイメージは
どんなに違っただろうかと。


考えてみたら、
イエスの収穫のイメージはいつも豊か。
この場面でも、
水を葡萄酒に変える奇跡でも、
5つのパンと2匹の魚の奇跡でも、
4つの種のたとえでも、
羊飼いのたとえでも、
いつもいつも豊漁、豊作、豊かさ、必要以上、が強調されている。


それに対して、自分が神さまに期待するのはどうだろうかと思わされました。
ほんとうにその神さまの豊かさを信頼しているだろうかと。


もちろん、十字架を負う道であり、
自分の弱さを見せつけられる道です。


でも、それと同時に、
もっともっと神さまの豊かさを経験させられる道なのだと。


もっともっと大きく、豊かに神さまに期待し、信頼していこうと思いました。


さて、昨日、11/31の聖書。
昨日は詩篇の64篇でした。


「だれに、見破ることができよう」5節。

そうですよね。
私たちはそう思います。
「わかりはしない」と。

そして、被害を受ける時も、
「わかってもらえない」と。

でも、主は必ず隠れたことを明らかにされる。

だから、畏れ、
だから、安心して、
だから、信頼して、
歩んでいくことなんだと思います。

どんな状況になっても、
自分の芯がぶれない、
そのような歩みが必要だと思います。
主に目を向けると、そのような歩みをさせて頂けるんですね。
感謝。

主よ、
あなたの与えてくださる平安、
すべてがあなたの御手の中にあるんですよね。
だから、安心して、あなたに任せます。
すべてを守り、導いてくださいますように。







2008-10-31

すり込み。

投票ありがとうございました。
28-29日に初雪を見た、という方が2人。見ていないという方が5人。
サキとハジの友だちを入れて4人は見たというのですから、降ったんでしょうね。たぶん。
まだ締め切っていないので、今からでも投票お願いします。


でも、マイ初雪がまだの方、私を含めてですが、たくさんおられますので、
また次回を楽しみにしましょう!


昨夜も「無理は禁物」モードで、
12時ちょっと前に帰ってきて、
おとなしく休みました。


でも、寒かったですね。
帰った時の気温が1.5度。
今朝起きたらー1度でした。


今日は昨日より暖かくなって、15度くらいまで上がるようです。
そして、今夜も冷え込みは弱くて、明日の朝は楽そうです。


自分のヒアリング力のなさをばらすようで、
恥ずかしい話なのですが、
最近テレビやラジオで流れている、
TOYOTAのCM、こ~んなにたくさんの車が0% financingだよ~というヤツ。
最後になんて歌っているか聞き取れますか?










これ、私にはずっと「しまじろう!しまじろう!」  と歌っているように聞こえていたんです。
もちろん、空耳なんですが、どうしても英語がわからない。
車のCMなので「See ??? on the road!」かな?とも思って集中して聞くのですが、
そうじゃないみたい。でも、わからない・・・。








で、ある日、プライドを捨てて、子供たちに聞いたら、
"saved by zero"だって教えてくれました。
そう思って聞いたら、なんだ、簡単じゃないか、って思うほど、はっきり聞こえるんですね。


80年代の歌を宣伝に使っていたみたい。


でも、それくらい、すり込みって言うか、先入観って大きい。


「しまじろう!」はちょっと無理があったけれども、
そう思って聞くと、そう聞こえてしまうことってありますよね。


ほんとうのことを聞くと、もう迷わない。


人間同士のコミュニケーションの問題もそこにあるんだろうなあと思います。
「あの人はこういう人だから・・・」ってすり込みをされると、
またそういう先入観を持って人と接すると、
ほんとうのコミュニケーションができなくなってしまったりする。
人の言葉を、間違って受け取ってしまったりする。
そして、そちらの方を思いこんで、すべてのことをそのラインで受け取ってしまう。


気をつけなければいけませんね。


さて、昨日、10月30日の聖書。
昨日は詩篇の63篇でした。


「ああ、私は床の上であなたを思い出し、
  夜ふけて私はあなたを思います。」6節。

実は昨日の明け方、夢を見ました。
自分の左手の手のひらに穴が空いていました。
三角みたいな四角みたいな穴が空いていて、
向こう側が見えるんです。

どうしてこんな穴が空いているんだろうかと、考えていたら、
「ああ、そうだ、庭仕事している時に、杭を打って、そのときに、間違って手に穴開けちゃったんだな」と思い出したのです。(たぶん、最近キッチンで爪そいだり、指切ったりしているから?)

そしたら、そばにいたおばちゃんは、「私は二つ空いているわよ」とやはり左手に空いた二つの穴を見せてくれました。

それだけなんですが、妙にリアルな夢で、
目が覚めた時に(時計を見たら4時頃だったのですが)、
一生懸命左手に穴を捜して、「あれ、ない!どうしたんだろう?」と思ったほどでした。

でも、目が覚めた時に、イエスさまのことを思い出しました。
今も、イエスのその手には穴が空いている。
十字架の時に釘を打たれたその手。
穴の空いた手を今も私たちにさしのべてくださっている。
そんなことを寝ぼけた頭で考えていた時に、
心の中に喜びが湧いてくるのを感じました。

そして、昨日の朝、教会に行って祈る時に、
この聖書の言葉を読んで、
あの夢も、神さまからのプレゼントだったんだなあと思いました。

感謝。

イエスよ、
あなたが私のためにしてくださったこと。
あなたが払ってくださった犠牲の故に心から感謝します。
主よ、
あなたが夢を通しても語りかけてくださって、
ありがとうございます。
寝ている時も、覚めている時も、共にいてください。

2008-10-29

初雪ふったらしい。

うーん、今日も雨がぱらぱら降ったり、晴れたり、
の一日で、初雪が降るかなあ、という一日だったのですが、


サキの情報によると(ここら辺がちょっと情けない・・・)、
ランチタイムには雪が降ったそうです。


それで、ユキのことはユキに聞けと、ユキに聞いたら、
「知らない・・・」と素っ気ない返事。


夜になって、ハジに聞いたら、自分は見てないし、信じてないけど、
友だちが「降った」と言っていたらしい。


で、総合的に判断すると、やっぱり降ったんでしょう。
・・・ちょっと歯切れが悪いけど・・・。


で、右のコラムに投票コーナーを作っておきましたので、
NY周辺の皆さんは、「見た」「見なかった」に是非、一票を!


今夜は冷えています。
今10時半ですが、2.7度。
明日の朝は氷点下に下がるでしょう。


昨日の優先順位の話の続きなんですが、
じゃあ、自分の優先順位の中で最初はなんだか、と言うと、
やっぱり、自分自身が神さまから取り扱いをいただくこと、
聖書の御言葉によって養われていくことを第一としたい、
と思ったのでした。


今、それができているか、ということを問われた時に、
昨日は9時過ぎに速攻で寝るべきだと思ったわけです。


今朝も、祈りながら、
決して「豊かな祈りの時間」とまでは行かない
自分にもどかしさを覚えながら、
でも、この時間を大切にしていきたい、
眠くて仕方がなくて、
「神さまごめんなさい、眠いから休みますね」
とは言いたくない、と思っていました。


今日、元気だったのですが、
やろうと思っていたことの何分の一もできなかったことに、
ちょっとフラストレーションを感じてはいますが、
それも、「自分がこの時間の中でできること」への期待が大きすぎたんだと思います。
自分が5時間かかることを、3時間くらいでできるような勘違いをしていたのだと思います。
それとも、3時間、何もハプニングがなく、何も電話への応対や、メールへの返信とかが、
必要がない、絶対集中すればできることを、ハプニングや電話やメールへの応対をしながら、
3時間に収めようとするから、いっぱいいっぱいになるんでしょうね。


3時間でできることを5時間でやるつもりのゆとり、
いつ、予定を変えなくてはならなくなった時にもあわてない心・・・
特にいつでも必要とされる時に対応することの要求される牧師の働きには、
必要なことだと思いました。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇の62篇。


「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。」1節。

黙ること。
主の前に黙っていること。
訴えることにまさって、
助けを求めたり、
不満を訴えたり、
叫び声を挙げたりすることも大切。

でも、その中で最終的には「黙って」、
主から答えをもらっていく、
主に聞いていく。

そう、一方的に訴えをぶつけ続けるのではなく、
ぶつけたら、黙る、ぶつけたら、聞く。

黙って聞く。
神さまの前以外のところ、
共に祈ってくれる友との間以外のところでは、
がたがた騒がないで聞く。

その平安を与えて頂きたいと思いました。

主よ、
あなたの平安をお与えください。
私があなたの前で黙って、聞く、
黙って待ち望むことができますように。


人々の間で、がたがた騒ぐことがないように。
黙って、主の前に出て、聞く者であることができますように。

優先順位。

昨日、降ったんでしょうかねえ、初雪。
西に10キロとか行ったところでは確実に降ったのでしょうが、
うちのあたりはどうだったんでしょうか?
私が気がついた範囲では、「もう少し!」って感じでしたね。

まあ、この「雪」も、あと2ヶ月くらい経ったら、
「また雪か・・・」となるんでしょうから。
たぶん今年は・・・。

今日は晴れても10度までいかない、寒い日になるでしょう。

でも、明日からはぐっと暖かくなるようです。

次の寒波は11月半ばくらい。
それまでは、「ちょい暖か」「ちょい寒」が交互にやってくる
晩秋らしい季節になりそうです。

毎年、隣の家の木(Mapleかな)が真っ赤に燃えるので、
とてもきれいなのですが、今年はどうしたんだろうと思っていました。
そしたら、今朝、かなり紅葉していることに気がつきました。
あと2-3日でピークでしょう。
その真っ赤な紅葉が終わったら、
最後に街路樹のOakが色づきます。

昨日はまた更新をさぼって寝てしまったのですが、
ここ数日、2-3時間睡眠の日が続いていて、
月曜日も牧師会と翻訳しなければいけないものとがあって、
ちゃんと休めなかったので、
恥ずかしいことに、昨日の集会中に、睡魔に襲われて、
居眠りをしそうになってしまいました。

で、昨日のその集会で、
「優先順位を決める」ことの大切さを学んだので、
「これはいくら何でもまずい」ということで、
夜9時過ぎには夢の国に行ってしまっていたのです。

夜中に起きたら、更新かな、と思っていたのですが、
目が覚めても起きあがるところまでも行かず、
目覚ましが鳴るまで休んでおりました。

で、今朝はスッキリ。
8時間寝ましたからね、とても久しぶりで。

今日の一日も優先順位を大切にしながら、
元気に過ごしたいと思います。

さて、昨日(10/28)の聖書。
昨日は詩篇の61篇。

「どうか、私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。」(2節)

私が届かないところにも主が導いてくださる。
自分の力ではどうにもならないことも、
主が助けて道を開いてくださる、
そのことを思わされました。

主はそのことをしてくださる方だ、と。

自分で勝手に「ダメだ」と思っていることがあります。
無理だと思ってしまうことがあります。

確かに背伸びをして疲れてしまうこともあるので、
自分を知ること、大切でしょう。
でも、その上で、主を信頼して、
主に期待して、

私の届かないところにも、
届かせてくださる、そのことを経験させて頂きたいと思いました。

主よ、
あなたが私を私の届かないような、
高いところに行かせてください。
あなたの翼によって、
私を高いところに導いてください。

2008-10-27

野生の勘。

今日は朝もそれほど冷え込まなかったですし、
昼間もそこそこ暖かくなりましたし、
昼頃までは天気も良かったですし、
過ごしやすい秋の一日でした。
でも、今天気は急速に下り坂。


今、夜の1時過ぎですが、雨が降っています。
さっきまで10度あった気温も8度に下がってきています。


明日の午後には止んでくるようですが、
気温が下がって、雪が混じるかもしれないと予報がでています。


西の山の方、Poconoではもうすでに雪になっています。


今日は朝、地区の牧師会。
8月末から9月初めのファミリーキャンプの総括をして、
しばし交わりの時を持ちました。


で、午後は庭掃除。
サキが手伝ってくれたので、
今度は、サキの自転車の練習につきあいました。


<警告・ここからは親ばかサイトです>


今年の夏の目標だったんですけどね。
補助輪なしでの自転車が乗れるようになること。


おっとっと。




おっとっとっと。


おっーとおっ!




幾多の試練を乗り越えて、
とうとう2008年10月27日。


サキ、自転車に乗れるようになる。




親は息が上がって追いつけない・・・。


ホントはヘルメットなしはダメ。
それにここは公道。ちょっと危ない。
車が来たよ~と声をかけて、
心配な時は、道の端に引っ張っていきました。


でも、考えてみれば、私が子どもの頃は、
東京の下町の子たちは
ほとんど自転車は公道で練習。


うーん、練習と言うほどのこともなく、
とにかく実戦で学んでいました。


まあ、事故も絶えなかったのでしょうか、
私の小学校では2年生までは自転車禁止。
まあ、あんまり関係なかったですけどね。


私も2年生の時に乗れるようになりました。


それもただ、「子供用の自転車がなかった」という理由で
乗ろうとしていなかったのですが、
友だちの自転車を貸してもらったら、楽しいの何のって、
すぐに乗れるようになりました。


でもいま考えると、危ないですよね、
子供たちだけで、車道で自転車の練習なんてね。


こちらではほんとうに考えられません。


でも、今日、サキに「危ない、車が来たから端っこによって!」とか声をかけながら、
「自分で判断して、やるようにさせないと・・・」と思い始めました。
車が来るかどうかもちゃんと自分で判断して、
来た時にどのように対応するかも自分で判断しないと、
ほんとうに危ない時に、危険を察知して、それに対応する「勘」というのが育たないのではないかと思いました。


まあ、私も交通事故にあった訳で、
ただ今は生かされているから結果オーライでいいのか、
という意見もあるでしょうが、
でも、そんな危ない中で、何が危ないのか、
危ない時にはどのように対応すればいいのか、
それを訓練されてきたのだと思います。
「勘」を育ててきたのだと思います。


2年生ですから、アメリカではまだ一人で外に出すのは危ないでしょうが、
少しずつ、危険を自分で感知して、自分で対応できるように、
あまり手を出さないことを学ばなければな、と思いました。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇60篇でした。


「どうか、敵から私たちを助けてください。
  まことに、人の救いはむなしいものです。」11節。

敵の前で、苦しめられている時に、
人ではなく、誰かではなく、
主ご自身から答えをもらうこと、
主ご自身から救いをもらって、
主ご自身から慰めをもらうこと。

それがどんなに力かと思います。

他のところに求めることがどれほど多いか、
他のところから救いを期待することがどれほど多いか。

でも、ほんとうにそのような時、主は待っていてくださる。

「なんで私のところに来ないんだろうか」
私も人との関係でそう思うことがある。
だったら、神さまはどれほどそう思われているだろうか。

神さまはどんな思いで、私たちのことを待っておられるだろうか。
神さまはどんな思いで、他のところに助けを求める私をごらんになっているだろうか。

主が力なんだ。
そのことをもっともっと教えて頂きたいと思いました。

主よ、
あなたを求めます。
あなたが今日も私を待っていてくださったことに感謝します。
どうか、あなたの命で満たし、
あなたの慰めで癒してください。
あなたからの解決を経験させてください。

2008-10-26

礼拝への招き。

今日はほんとうにすかっと晴れました。
気持ちがいい朝でした。


でも明日からは寒くなります。
今は夜の1時半頃ですが、6.5度。
今夜はどんどん冷え込んで、また0度近くまで下がると思います。
そして、火曜日には雨がちょっと降って、
雪が混じるかもしれません。
そして、水曜日にはもっと寒くなります。


今年は冬の足音が早く響いてきそうです。

今日は2ヶ月ぶりにBrooklyn Tabernacleの9時の礼拝に行ってきました。
NYの方がお知り合いの方を誘って行くと言うことで、
私も是非お会いできれば・・・ということもあり、
また自分がメッセージを「聞く」立場に立つことの大切さを感じていることもあり、
楽しみにして参りました。


前回に比べると、賛美の曲も知らない曲が多く、
ちょっと礼拝に心が向くのに時間がかかったのですが、
牧師のJim Cymbalaがメッセージを語ってくださり、
最後の賛美を導いてくださっている間に、
ぐーっと礼拝に導かれていくのを感じました。
最後の曲はほんとうに単純な曲で、
「私はあなたを必要としている、今すぐに」という歌詞だったのですが、
ほんとうに自分自身、今神さまを必要としていることを実感しながら、
賛美しました。


それを経験しながら、
「真の礼拝者の集まる礼拝」の大切さを考える時に、
やはり、牧師や賛美リーダーが人々を礼拝に招き入れていく、
そのことの大切さを思わされました。


一人一人が礼拝者として整えられて、
礼拝に来ることも大切でしょうけれども、
途中でいろんなことがあったり、
ばたばたと家を飛び出してきたり、
という中で、十分に心が整えられていない場合も多いと思います。
またいろんなことで心が乱されている場合もあるでしょう。
その人々の心を神さまへの礼拝へと導いていく、
どんな心で来た人も、ほんの少しでも、
「礼拝に来た」という思いさえあれば、
いや、たとえ反発のようなモノを感じていたとしても、
いつのまにか、礼拝に招き入れられている、
そのような礼拝の奉仕者とならせて頂きたいと思います。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇の59篇でした。



「私の苦しみの日に、あなたは私のとりで、
  また、私の逃げ場であられたからです。」16節。

主のもとに逃げ込む。
他のところではなくて、
主のもとに逃げ込む。

苦しいから、
苦しみの中で、
主のもとに、主のところに逃げ込む。

人にわかってもらうのもいい。

でも、最後は主のもとで解決をいただくこと、
これがほんとうに大切だと思う。

主に語って頂いて、
主からの解決をいただいて、
立ち上がっていきたい。

主よ、
あなたが私の逃げ場であってくださること、
避け所であってくださることに感謝します。
どうか、私を今日も癒し生かしてください。