2006-06-10

力の源

もう6月10日になってしまいましたね。
でも、6月9日のことを「今日」にして書きます。

今日、朝起きたら、すかっと晴れているじゃないですか。
すごい久しぶりのいい天気です。
すごく気持ちのいい朝でした。
夜になって雷が鳴って雨が降りましたが、それもまたいいこと。
昼間は一日いい天気でした。

そしていよいよ明日はバザーの日。開店まであと9時間足らず。
天気は大丈夫みたいですね。
でも、風があるので、テントは大丈夫かなと心配。結構涼しそう。

でも、とにかく、楽しみです。
何がって、皆さんとの出会いが楽しみです。店番します。たくさんの方々にお会い出来ますように。
(2回目、3回目の方にも「初めてお会いしますかねえ」と言ってしまうかもしれませんが・・・)

さて、話はお天気の話に変わりますが、
早くもメキシコ湾にハリケーンの卵発生の予感です。
GFS(Global Forecast System)というコンピューターモデルではそれがフロリダを横切って、
東海岸の沖を進みます。
一方NAM(
North American Mesoscale)と言うモデルの方では、
ミシシッピー州からテキサス州の方に向かう予報が出ています。
うーん、ということは、結局とにかく「まだよくわからん」ということでしょう。
大きな被害が出るようなことがないようにと願います。

今朝は10時から集会があって、
その後個人的にお会いする方がいて、
その後バザーのための荷物運びをして、
その後教会でバザーの準備をして、その後家に帰る時間もなく、
その後10時から深夜祈祷会で、
さっき帰って参りました。

うーん、充実した一日でした。
それぞれ幸いなときでした。
時間を忘れてしまいそうでした。
それで10日になってしまいました。
でも、本当に心から心地よい忙しさです。

そんな中で、読んだ聖書は
ヨハネによる福音書の1-4章。
心に留ったのは、4章34節の言葉です。
「私の食べ物とは、私をお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである」
というイエスの言葉です。
「食べ物」とは、力の源ですよね。
それによって養われているというか。
父なる神に従い、その使命を全うすることがイエスの力の源だったんですね。
これは私たちにも当てはまることだと思います。
今日の一日の心地よさはそこから来ているのだと思いました。
御心を行い、使命に生きる。そこに力の源があるんだなあ、と思います。
明日も、そのような一日となるように祈りつつ、明日の8時教会集合のために、
休みます。

天のお父様、
私もイエスさまのように、
あなたの与えてくださった使命に生きるときに、
力がわいてきます。
どうか、日々の歩みをお守り下さり、
あなたの与えられる使命をしっかりと見つめながら、
歩む者としてください。
他のことに目が奪われることがありませんように。

2006-06-08

神が授ける言葉

今日も結構雨が降りました。
昨日は約30ミリの雨が降ったそうですが、
今日もそれくらい降ったのでしょうか?
でも、今日より明日、あしたよりあさっての方が天気がよくなっていくようです。
完全に回復するのは日曜日だそうです。

でも、何とか土曜日はrain freeであって欲しいと思います。
何て言ったって教会初のバザーですから。

冷たい雨で、野菜の生育も足踏み。
ただ、レタスだけはこの天気がいいみたいで、やたら元気みたいです。
毎朝、子ども達のサンドイッチのために数枚摘んでいますが、
十分足りています。

今日の聖書はルカによる福音書21-24章です。
ルカによる福音書が最後まで行きました。
その中で心を捕らえた言葉が、
「どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたに授ける」
という21:15の言葉です。

言葉も、神様が与えてくださる。
そう感じるときがあります。
自分が語っているのではない、
神様が語らせてくださっているんだなあ、と思うときがあります。

一生懸命勉強します。
一生懸命説明します。
でも、人が神を知るようになるのは、
神様ご自身がその方に触れてくださるとき。
それは私の短い牧師としての働きの中でも、
知ることができます。

だから、この言葉はものすごい励ましです。
「私が言葉を与えるから・・・」
だから恐れなくていいです。
だから、落ち込まなくていいです。
主が用いてくださるから、
主が言葉を与えてくださるから。

主よ、
あなたの約束に心から感謝します。
あなたの言葉を与えてくださることに感謝します。
どうか、私に与えてください。
あなたの与えてくださる言葉を語らせてください。
そして、一人一人の心に語ってください。


2006-06-07

神をどんな方だと思うか

ムジナ、みなさん知っていました?
何だと思っていました?
(ってしつこい?・・・でも知りたい。)

今日は本当に冷たい雨でした。
一日15度。パターン的に、もしもこれが冬だったら「大雪」のパターンでしたね。
なんだか天気がおかしいです。
この傾向、20日頃まで続くみたいです。
そして、それからやっとパターンが変わって、夏らしくなるような・・・。

もうあと2週間で「夏至」。一番昼間が長い日がやってきます。

明日はもう少し持ち直して、一時雨くらいで、気温も20度くらい。

土曜日は20-30パーセントの雨の確率ですが、
何とか、雨が早く通り過ぎて、
朝から「大丈夫!」って天気になって欲しいものです。

今日読んだのはルカによる福音書14-20章。
やっと一気に進みました。
その中で心に留ったのは、
19:22「その言葉のゆえにあなたを裁こう」というたとえ話の中の主人の言葉。
裁かれる僕は、主人が蒔かないところから刈り取り、散らさないところから集める酷な人、
だと思っていた。
そしてびくびくしていた。
逃げていた。
そして、主人からあずかったものをしまっておいた。

そして、主人に面と向かって言った。
「あなたは蒔かないところから刈り取る人だから・・・」と。
その時主人が言った。
「あなたの言ったようにしよう」と。

神様をどんな方だと受け取るか、
どんな方だと見るか、
それによって私たちの歩みが決まってくる、
私たちが「神様は厳しい方で・・・」と思っているならば、
それを恐れて生きる生き方しかできなくなる。
でも、私たちは知っている。
神様は私のために、私たちの罪のために、
ひとり子さえも与えてくださるほどの、
大きな大きな愛をもっておられるお方なのだ。

そのことを信頼していこう。
そう、「信頼」。
この僕は主人を信頼していなかったんだね。

信頼していこう。主のなさることはいつも最高のことなのだと・・・。

主よ、あなたの最善を信じます。
あなたがいつも私を愛し、
私に最高のものを、
私に必要なものを与えてくださる方であることを信頼します。
ですから思いっきり、歩むことができますように、
思いっきり生きることができますように導いてください。

2006-06-06

求めなさい

今日は2006年の6月6日だったんですね。
「666」ということで、
朝7時前に教会に行く車の中でニュースをつけたら、
そんなことをやっていました。
これは聖書の黙示録に、世の終わりに起ることとして、
666をシンボルとする反キリストの勢力が、
世界を支配して、従わない者は買い物もできなくなる、
と預言されていることから来ています。

この666をどう理解するかですが・・・諸説あって、
どれも決め手を欠いて、何とも言い難いです。
とにかく意味はこんな感じです。
聖書では7が完全数、神の数字です。
で、それに1足りない6は神に近いが神でない、という意味で、
一番危険な存在なんですね。
だから、立派な人間、カリスマ性のある指導者、人々から賞賛されるリーダーが、
神に取って代わろうとしていくようなイメージです。
具体的に誰か、それはまだこの世に登場していない人物だと、私は理解しております。

私自身、どんなことを考えて一日を過ごしたかというと、
私は全然、そんなことを意識しておりませんでした。
朝は教会に行ってお祈りして、
いつものように午前中は人にお会いして、
午後は事務や電話や勉強をしておりました。

「もし明日、世の終わりが来ても、私は今日もりんごの木を植え続ける」
という言葉があって、何年か前にドラマで紹介されたり、どっかの知事さんが紹介したり、
ということがありましたが、(一説にはルターの言葉とも・・・)
666だから、と大騒ぎすることよりも、
今日が自分にとって最後の日であっても、後悔しないような、
今日を送ることの大切さを思わされます。

今日は天気予報が外れて、
午後少し雲が広がってきた、くらいでした。
最高は25度。ちょうどよかったです。
東の方が「どんより」感が強かったかもしれません。
レーダーを見ると、東から西に雨雲が入ってきています。
明日はやはり雨になるでしょう。

そして、今日になって、土曜日に、
「一時にわか雨」という予報が出始めました。
バザーの一部は外でやりたいので、
これは痛い。
ちょっと降る、というのは一番大変、
「大丈夫だと思って外に出したと思ったら、降ってきた」
というのが一番混乱しますからね。
明日以降、この天気予報が変わっていくことを願います。

火曜日の夜は
こちらのフジテレビの日本語放送では、
10:30から日本語の使い方の間違いを指摘したり、
知らないで使っている言葉の意味を教えてくれたりする番組をやっています。
朝1時間、夜1時間の日本語放送ですから、
「日本にいたら絶対見ないよね」みたいな番組もついつい見てしまったりします。
それでも、「これはもう見ない方がいいや・・・」という番組もあります。
でも、火曜日は、基本的に、勉強になる、と思って余裕のある限り見ています。

でも、今日の放送には頭に来ました。
クイズの問題に不正解だった人たちに、子ども達が
「バカだ」「しょうがない」「こんなのもできないの」と
バカにする言葉をかけていきます。
番組の本筋とは何の関係もない演出です。
いや、正しい日本語を伝えよう、ということを番組が意図しているなら(いや、ただの娯楽番組かな)、
何でこんなことを企画するのかと思いました。
そして、どうしてこんなことを子供にやらせるのかと・・・。
出演している子ども達の心に何が残ると思っているのでしょうか?
番組を見た子ども達に、どんな影響があるか考えないのでしょうか。
冗談だからいい、ということなのでしょうか?
たぶん、学校でもこんなことが半分冗談で、でも半分本気で、
やられる方の子の気持ちなんかあんまり考えないで、
「冗談だからいいでしょ」というノリで、なされているんでしょう。
マジで頭に来ました。
その番組をわざわざNYにまで持ってきて、
一日2時間だけの日本語放送の中に組み込むことの意味は何なんでしょう?
日本だったら、「くだらない」と言って、チャンネルを変えるでしょうが、
こちらでは、一日の中のたった30分の日本の娯楽番組。
だから、是非いいものを送って欲しいですよね。
ま、こんなところでなんだかんだいっていないで、直接伝えた方がいいですね。

まあ、それはそれとして、
今夜の我が家の会話から、日本語の問題。
「同じ穴のムジナ」という言葉があります。
この「ムジナ」って何かわかりますか?
多分動物だとは思っていました。
でも、私の頭の中では、「ウツボ」や「ムーミンに出てくるニョロニョロ」みたいな、
細長くて、穴から顔を出している動物、というイメージが焼き付いていました・・・。
全然違うんですね。
皆さん、知っていました?どんな動物だと思っていました?

なんだか、長くなりました。
今日の朝読んだ聖書から。
今朝はルカによる福音書10-13章を読みました。
その中で心に留った言葉は「求めなさい。そうすれば、与えられる」
という11章9節のイエスの言葉です。
願うことと求めることは違う、と思います。
求めることはやはり言葉にして、神の前に祈ることだと思います。
心で願うだけではなくて、
ただ、黙って「こうなったらいいな」と念じるだけではなくて、
口に出して、言葉にして神の前に祈ることだと思います。
そのためにはやはりある程度の「時間」をとって祈ることの大切さも思います。
今日は「求めなさい」と言われたのだから、求めて祈ろうと思いました。
13節にあるように「聖霊」を求めて祈ろうと思いました。

神様、
求めます。
聖霊を私のうちに満たしてください。
聖霊様によって導かれて歩んでいくことができますように。
必要なものを与えてください。
経済的なものだけではなくて、
人の力も、能力も、才能も、一つ一つ必要なものを与えてください。
でも、それ以上に、何よりも、あなたの導きに従って歩むことができることを、
与えて下さい。

2006-06-05

ただ、お言葉を下さい

今日は久しぶりに太陽を見ました。
一日雨が降りませんでした。
最高気温は24度くらい。
朝は14度くらいです。
なんかまるで梅雨ですね。
明日からまた不安定なようです。
でも、教会バザーがある土曜日の予報は晴れ。
それで暖かくなりそう。
当たって欲しいです。

今日はルカによる福音書7-9章を読みました。
心に留った言葉は、7章7節。
でも、これは圧倒的に、口語訳の方がいいです。
「ただ、お言葉を下さい」
イエスさまが来てくださったら、どんなに心強かっただろうか、
でも、この人は「おいでいただかなくても大丈夫です、ただお言葉を下さい」
と言いました。
私たちもそうです。
イエスさまが目に見える形で来てくださったら、
さわれる形でともにいて下さったら、と思います。
でも、お言葉があればいいのです。
ただ、主が聖書を通して、私たちに語ってくださればそれでいいのです。
昨日経験したことですから、これは確かです。
「ただ、お言葉を下さい」
私に対する語りかけとして、聖書の言葉が響いてくる、
そういう経験を求めていこう。

主よ、
お言葉を下さい。
あなたが来られなくても、
あなたが感じられなくても、
ただ、お言葉を下さい。
それがあれば、大丈夫です。
ただ、聖書のお言葉が私への言葉として語られる、
その経験を与えてください。

2006-06-04

侮辱する者のために祈れ

今日は夕方までは何とか天気が持っていましたが、
9時頃からまた雨。
明日からはもう少し持ち直して、
温度が上がるようです。

注目の今週の土曜日、教会バザーの日の天気ですが、
どの天気予報も「晴れ」を出しています。
温度も高すぎず低すぎず。
絶好のバザー日和になりそうです。

今日、また一つ歳をとりました。
今年は特に、神様に感謝したいと思いました。
また、両親に感謝したいと思いました。
両親が自分を喜んで迎えてくれたこと、
神様がこの世に送り出して下さったことに
心から感謝したいと思いました。

なんだか、誕生日は誰かに祝ってもらう日ではなくて、
感謝をささげる日なんだなあと、そんな気持ちになりました。
そして、その気持ちを忘れないうちに伝えようと思いました。
具体的に表したいと思いました。伝えたいと思いました。

今日はルカによる福音書6章を読みました。
今日の礼拝の聖書箇所とその続きです。
その中で一つの言葉に捕まってしまいました。
いえ、本当にズドンと、語られてしまいました。
そして7章に進めなくなってしまいました。
「あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」
という28節の言葉です。

祈りました。
平安が来ました。
それで十分です。
本当に十分です。
感謝。

主よ、
あなたに感謝します。
あなたが私に語ってくださったことに心から感謝します。
これからも御言葉によって私の心を守ってください。