2009-05-09

花粉峠を越す!?

JOYJOYキャンプの受付申し込み殺到中。
現在定員50名のところ、12名。
でも、郵便が届き始めたのが昨日ですから、
2日で12名。あと2週間です。
できれば、お断りする方々が出ないように、
ぴったり50名となりますように。

今日も朝は雨が残っていましたし、
雲も多い時間帯もあったのですが、
とてもいい天気になりました。


夕方、北の方では雷雨もあったようですが、
こちらは素通り。


明日は風が強いものの、いい天気になりそうです。


さっき、教会帰って北のですが、
Oakの花がどんどん散っていました。
もう、Oakの花粉も終わりですね。
これで、一雨、ざっと降って、すべてを流してくれるといいのですが・・・。


でも、これからはイネ科の花粉症はひどくなるのでは・・・。
お大事に。


今日、中高生の祈り会があったのですが、
そこで、中高生に、「何時頃に寝てる?」と聞いたら、
結構みんな早い。健康的。10時とか11時とか。
そして、朝はみんな6時台だったりする。
たっぷり寝ているなああ。と思いながら、
自分も早く寝ようと思った。
だから、これからは9時更新を目指します。
そして、早くできなかったら、更新パス+翌日あっさりと、で行こうと思います。


さて、昨日の聖書。
昨日はエペソ4:1-16


「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。」11節。

キリストご自身が私を牧師として立てたことの重さを感じました。
「キリストご自身が」この言葉です。

他の誰かではない。
勿論形の上では、教団本部があったり、
教会の総会があったりする。
でも、究極的に、私を牧師として招き、召し、立たせたのは、
イエス・キリストご自身。

そのイエス・キリストご自身が建ててくださったのだから、
私の使命はキリストに対して、あると言える。
それがいつの間にか、人間の間の取り決めばかりに目がいってしまって、
主の召命が、どこかに行ってしまっていないだろうか?

主に対しての責任を果たし続ける者でありたいと思う。

主よ、
あなたが私を牧師として立ててくださったことの意味を思います。
どうか、あなたの使命に対して忠実な者とならせてください。
あなたの御言葉に、あなたの導きに従っていく者とならせてください。

2009-05-08

朝日。

今朝は、ちょうど6時前に東の空から真っ赤な太陽が昇ってきていました。
とてもきれいでした。
久しぶりの晴れの一日。
夕方から夜にかけては雷雨の予報が出ていましたが、
もちましたね。


本当に気持ちが良かったです。
でも、ちょっと外に出ると、くしゃみの10連発。
急に暖かくなって、一番花粉が飛ぶ時に、雨が続いて、
一気に、飛んで、一気に雨で流されるという最高のパターンで、
今年は結構楽をさせてもらっているように思います。
でも、さすがに花粉症の季節はまだ終わっていないようです。


このあと、少しずつ、天気が安定してくるようです。


さて、昨日の聖書。
昨日はエペソ3:13-21。


「どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。」16節。

神様が何よりも、わたしたちの内なる人を強くしてくださるようにと、パウロは祈ります。
そのなかで、「その栄光の豊かさに従い」という言葉が心に留まりました。
神様の豊かさに従って、わたしたちは力を与えられる。

ただ、神様に力を与えられるのではなくて、
そのゆたかさに「従って」与えられるのだ。

だから、豊かに与えられると信じていい。
それはすごいことだと思いました。
私が考える豊かさに従う場合と、神様の豊かさに従う場合では全然違います。

神様の豊かさが、昨日も、今日も、わたしの内に注がれていたこと、
自分では、あまり気がついていなかったと思います。
明日も、主が、私の自覚を超えて、豊かさを与えてくださることを、感謝しつつ。

2009-05-07

福音へのこだわり。

今日はまた雨でした。
でも、朝と午後一時にわか雨で、
昼間と、夕方から夜にかけてはいい天気でした。


気温もソコソコ上がりました。


明日も今日みたいな天気のようです。


今日は隔週の我が家での家庭集会。
今日も、いろんな方々が来られて、とてもよい集まりでした。
今日来られたお一人一人に神様の語りかけがありますように。
今夜も、主が心に語ってくださいますように。







この部分は、音声認識メールというソフトで入力しています。



iPhoneに向かって話すと、それを文字にしてくれます。うまくいくときは面白いくらい上手くいきます。でも、うまくいかないときは、何度やっでもうまくいきません。

それがまた面白いです。

時々使ってみようと思います。

ここからはPC。でも、この数行の認識ほぼ100パーセント正解。


なかなか優秀です。

さて、昨日の聖書。
昨日は、エペソ3:1-12。
「それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。」6節。



パウロの「奥義」はユダヤ人と異邦人が、イエスにあって一つになること。
やはり「イエスにあって」というのがポイントなんだろうと思う。
今「イエス」にこだわることが、人々にとってのつまずきになることがある。
「そんなに、『イエス』を強調しなければ、もっと多くの人々に受け入れられる」と言うことが言われたりする。でも、私にとって、「イエス」を抜いてしまうのは、神様の愛を安っぽいものにすることなのだろうと思う。
あえて、イエスの十字架がわたしたちの救いなんだということにこだわること。
狭いと言われようが、排他的だと言われようが、
イエスがなくなってしまったら、イエスのことにこだわらなかったら、
それは聖書への裏切りだし、神の愛を安っぽく提供することになるだろう。
どんなにそこに人が集っても、それはむなしい。
どんなに仲良くやっていても、むなしい。
どこまでも、イエスにあって、わたしたちが神に結ばれ、
お互いに神によって、近づけられる関係に生きていきたい。
主よ
イエスに、十字架に、福音に、こだわります。
このイエスによって、私はあなたの愛を知りました。
この十字架によって、愛を知りました。
どうか、この福音の力を大胆に語る者としてください。

2009-05-06

キリストにつながって一つ。

今日は昼間はずいぶん暖かくなりました。
でも、夜になって冷えてきて、
またNYを歩いていたら大粒の雨が降ってきてあせりました。


明日も今日みたいな天気かな。


どんより、時々晴れ、それから雨も降るって感じ。


さて、昨日の聖書。
昨日はエペソ人への手紙2章の後半、11-22節でした。


「しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。」13節。

聖書の「和解」はやはり、まず神との和解があって、
その神との和解故に、お互いに神との関係に生きるが故に、
互いの和解が与えられる、ということのようだ。

互いの人間通しが仲良くすると言うのが先にあるのではなくて、
まず、神と私、そして、神とあなた、その向こうがわに、
あなたと私の関係が作られる。

だから、まず自分と神様との関係が正されていくことが大切だ。
まず、神の前に砕かれて、癒されて、新しく作りかえられて、
神様との関係がしっかりと造り上げられて、
その上で、その中で、周りの人との関係が癒されていく、
すぐに癒されなくても、恐れない強さ、
すべての人とうまくいかなくても、動じない強さも持ちながら、
でも、いつもいつも謙虚に歩んで行かせて頂きたいと思います。

主よ、
あなたと共に歩むことができることを感謝します。
どうか、その中で、あなたとの歩みの中で、
周りの人々との関係も、豊かなものにしてください。
豊かな歩みをさせてください。



2009-05-05

もっともっと大切なものを。

今日も雨。
そして、今日は暖房も入れました。
ホント冷えました。


でも、明日は晴れてきて、
気温も20度を超えそうです。


今日はわたしたちの19年目のAnniversaryでした。
で、今年は息子が大学に行くこともあり、
来年が区切りの年で、まあ、今年はそれほどでも・・・ということで、
何とか安上がりにこの日を過ごそうと思いました。


で、一生懸命考えたら、
もう10年くらい前ですが、
BENIHANAの創業者のご令息の結婚式の司式をしたことがあり、
その関係で、何年か前に、汚職事件お食事券を頂いたことがありました。
それを思い出したのです。確か・・・まだ残っているはず・・・。


ありました、ありました。1枚。・・・2名様。
おお、ぴったりじゃないですか。
でも、発行日が2005年。
裏を見ると、1年間有効・・・。
つまり、もう2年以上も前に切れているじゃないですか!


あ、だめだ、と捨てようとしたところに、
「いや、ここはアメリカ、すべては交渉次第」と、
心に炎が燃え上がり、
最寄りの店に電話しました。


「あの~、手元にお食事券があるのですが、ちょっと古くて、2005年発行で、1年間有効って書いてあるんですが、なんとか、これでお食事ができませんでしょうか?」って、書いてて恥ずかしいようなことですが、イチかバチか、いや、ダメもとで、聞いてみたんです。


そしたら、「まあ、1年間有効だと言うことはもう切れていますよね」と、ちょっとつれない。


でも、そこで引き下がったら、男がすたる・・・ということで、もう一押し。「そこを何とか・・・」
「誰からもらったんですか?」・・・お、来た来た!それを聞かれたらもうこっちのもの・・・「創業者、そう、R. A.さん(2回しか会ってない・・・)の息子さんのKさん(こちらも2回かな)の・・・」と、小さなつながりを、一生懸命アピール。「結婚式の司式をした牧師です」までは言わなかったのですが・・・。


で、その店長とおぼしき人物「本部に電話して聞いてみる」とこちらの連絡先を聞いてくれました。まあそこまで行けば、何とかなる!しばらくして、「とにかく、おいでください」との連絡あり。ヤッタネ。


はい、おいしく頂きました。もちろん、エキストラの注文もして、チップも弾んで・・・。


アメリカ人向けにアレンジされた日本食ですから、余りそういうお招きでもないと行こうと思わないのですが、「もうこれは紙切れだ」と思ったものが、交渉で、なんとか、価値を取り戻すと、なんだか、とてもおいしく感じます。いや、ほんと、おいしく頂きました。


でも、そんな「求めて、交渉して、道が開かれる」アメリカ社会の中で、すぐにあきらめない、何とか、道が開かれないか、求めてみる、という姿勢が身に付いてしまいました。


でも、果たして、自分は同じことを神様にしているだろうかと思いました。求めなさい!とおっしゃる神様に、「いえいえ、私にはこれくらいがちょうどいい」とか、「そんなずうずうしい求めは・・・」なんて、簡単にあきらめていることがたくさんあるのではないかと思ったのです。変に物わかりがいいというか、あきらめが早いというか、お食事券の有効期限を3年間延長してもらうために交渉する情熱の何倍もの情熱をかけて、神様に祈る者でありたいと思います。

さて、昨日の聖書。
昨日はエペソ人への手紙2章1-10節でした。


「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって・・・」1節。

金、土、日とエペソ人への手紙を読んでいて、
1章はずっと、「神がどんなに豊かなものを与えてくださってきたか」について、
書かれていました。
本当に心奮い立たせられる思いがしました。
どんなにすばらしいものを自分がいただいているかを感じました。
でも、2章に入っていきなり、「罪」の話です。

でも、がっかりはしませんでした。
嫌な気持ちもしませんでした。

かえって、そんな者に対して、この神様の豊かなものを与えてくださっている、
そのすばらしさを感じました。
そのありがたさを感じました。
罪のことが語られて、本当に神様の愛を感じました。

罪がわかると、愛がもっとわかる、そのことが実感できました。

主よ、
あなたが、この罪に死んでいた者を、
生かしてくださったことを、生きるようにしてくださったことを、
こころから感謝します。
この喜びを、もっともっと多くの方々と共有できますように。

2009-05-04

雨が続きます。

今日は一日雨でした。
夕方には庭に出て、ニラを刈って、
ギョーザの材料に。


春の雨に打たれて、
心なしか、ニラも柔らかく感じました。


去年、潤さんが作ってくれた、
お天気の歌を思い出します。


わたしたちの歩みの中では、
雨が続くような日もある。


でも、そんな時も神様の御手の中にあるんですよね。


ギョーザ、ちょっとしょっぱくなっちゃいました。
いや、涙じゃなくて、塩と醤油入れすぎ。(笑)


明日も肌寒い雨が続きそうです。


さて、昨日、日曜日の聖書。
昨日の箇所も心励まされました。
エペソ1:15-23。


「また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」18-19節。

神様の全能の力がわたしたちのうちに働いている。
全能の力がです。
その力がどんなに偉大なものか、それを知って欲しい、とパウロは祈っているのです。

イースターの時に、イエスを復活させた神の力がわたしたちのうちに働く、
ということのすばらしさを感じました。

そして、ここでは、全能の神の力。
それがわたしたちのうちに働いている、とはなんというすばらしいことかと思います。
その力を見失わないようにしたいと思います。
それをもっと知らせて頂きたいと思います。

主よ、
あなたの全能の力が、わたしの内にも注がれていること、
こころから感謝します。
どうか、わたしの内に働いているあなたの力を100パーセント知ることができますように。

2009-05-03

脱帽。

何を隠そう、かきごおりの父も牧師です。
ここまでは知っている人も多い。
でも、もう一つあるんです。
何を隠そう、彼はブロガーなんです。


はい、75歳。現役です。
去年の秋から始めたようです。


今まで紹介しないで来たのですが、
最近、本当にこの親父の牧師としての姿勢に脱帽しているので、
紹介してしまいます。


http://blogs.yahoo.co.jp/nishi4005/



5月3日(日)の記事には、
20年ぶりに教会に帰ってこられた方の話が書いてありました。
20年前、ちょうど、私が聖書学院にいた頃でした。
ご夫妻で来られなくなった方々。


どんなに心が痛んだことかと思います。


その中で、あきらめないで関係を持ち続けて、
祈り続けて、訪問し続けて、20年。


20年前、私はまだ牧師になっていませんでした。


だから、それがどんなことなのか、想像もできません。


人をほめるのは違いますよね。
神様のしてくださったことがすばらしいんだと思います。
そして、これは奇跡だと思います。
でも、その一方で、私は自分の心を問われたように思いました。


さて、昨日、土曜日の聖書。
土曜日はエペソ人への手紙1章7-14節。


「この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。」11節。

金曜日の続きで、神様の祝福がここにも書かれているのですが、
ここでは2回出てきている言葉が、これ。
「御国を受け継ぐ者」。

わたしたちは神の国を相続する者として、招かれている。

先日、ある学びの中で、神がわたしたちに対して持っている思いは、
Aestheticなものではなかったか、ということを思わされた。
この英語に相当する日本語を見つけるのは難しいのだけれども、
美しいものを純粋に楽しむ、という感じだ。

この聖書の言葉にもそれに通じるような印象がある。

神様にとって、わたしたちが神の国の相続人となることは、
とてもうれしい、ことだったのだ。

わたしたちはいろいろ理由を考えたい。
いろんな意味を求めたい。
でも、本当に、神様がわたしたちを喜んでくださり、
相続人としてくださるのは、
本当に神様にとって純粋な喜びなんだと思うと、
とてもうれしくなってしまう。

神様、
ありがとうございます。
あなたが私を喜んでくださる方であることに、
こころから感謝します。
私をあなたの相続人としてくださったことにこころから感謝します。
あなたが与えようとしておられるもののものすごさを、
まだまだわかっていないんだろうと思います。
どうか少しずつでも、その豊かさを教えてください。

経験すること。

昨日は、夜、礼拝メッセージの準備をしていたら12時を回ってしまったので、更新はあきらめました。どうしても週末になってしまいます。追い込まれないとなかなか準備ができない方です。もっと計画的にできれば、と思うのですが、これも神様が与えてくださった自分のpersonalityの一部。焦らず、気をつけながら、でも、自分の神様から与えられているものを肯定的に受け取ろうと思っています。


今日は朝から雨。
結構まとまった雨になりました。
今回の雨は、「花粉を流してくれる」雨になったと思います。
このあと、ぐっと花粉症が楽になってくれることを祈っています。


でも、ちょっと肌寒いです。


明日も、明日の夜も、あさっても雨のようです。
ちょっと3日続くと思うと、
ちょっとどんよりしてしまいますね。
そんな日もあるよね、モードで乗り切ろうと思います。


さて、今日はまた7時前には家に帰っていたので、
たまっていたTVの中からつまみ食い。


今回はProfessionalで行きました。
また衝撃的でしたね。
32歳女性の「武装解除のエキスパート」の話。 


「心の武装解除」という言葉、
本当にそうだなあと思います。
単に平和ぶっているのではなくて、
何とか平和を保っているんじゃなくて、
心の武装解除が大切だと。


ホント、自分の心の中が探られるように感じました。


それから少年兵士たちの話。
2年前にウガンダに行ったハジからいろんな話は耳にしていましたが、
ホントに傷ついている心がたくさんある。
その心が癒されるために、ただ、その話を聞く、
いや、「癒されるために」なんて方向性はいらないのかも、
ただ、人として、当たり前のこととして、その心の叫びを聞く。
その時に、その子供たちの中に起ってくることがある。


決して紛争地域に行かなければ経験できないことではなくて、
私たちの日常にあることだと思います。


まず、私の心の武装解除かな。


さて、金曜日の聖書。
5月になった金曜日からはエペソ人への手紙になりました。
金曜日はエペソ1章1-6節。


「神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」3節。

私たちがどれほど大きなものを与えられているのか、
神様が私たちに与えてくださったものがどんなにすばらしいものなのか、
それを教えてもらいました。

天にあるすべての霊的な祝福を、わたしたちに注いでいてくださっている。
それをもう少し具体的に言ったのが、
4節の「きよい者」にしてくださるということ、
そして、5節の「神の子供にしてくださる」ということ。

それがどれほどすばらしいことなのか、
味わったように思いました。
でも、その幸いな気持ちの中で、
もっともっと教えて欲しいと思いました。

神様からどれほどの豊かさを頂いているのか、
どれほどのすばらしいものを与えられているのか、
エペソ人への手紙を読みながら、
いろいろ教えて頂けそうで、楽しみです。
また実生活の中でももっと教えて頂きたいです。

主よ、
あなたの与えてくださっているもののすばらしさを教えてくださり、ありがとうございます。
でも、まだまだわかっていないと思います。もっともっと教えてください。