2006-02-04

小さい春


昨日が節分だったから、
今日は「立春」?
ですよね。
で、小さな春を探してみました。
チューリップの芽が出ていますねえ。
球根?4年くらい前に一回植えたでしょうか?
そのままで、毎年ここら辺に生えてきます。
ちゃんとやっていると大きな花が咲くのでしょうか?
ちゃんとやっていないので、
「いくつか花が咲く」程度です。
ちょっと調べてえさやってみようかな。


どうして・・・

今日も暖かい日です。
今朝は6時半から早朝祈祷会だったので、
その前に温度計を見たら、
2.5度C。
今、もう11時前ですが、8.6度Cです。
本当に春みたいです。
とっても寒い日が続く冬だったら、
こんなに暖かい日が続いたら、
「ああ、春が来たなあ」って思うでしょう。
でも、ここまで暖かい日が多いと、
どうでも良くなってきますね。

今日はこれから雨。
明日の朝には上がります。
そして、冬が帰ってきます。
その冬はしばらく続きます。
ですから、今日の暖かさは、大切にしましょう。

どれくらいの寒さになるかは、
たぶん、平年並みでしょう。
朝が-5度から-10度。
昼間は5度から0度くらい。
今まで暖かかった分だけ、
寒く感じるかもしれませんが、
今のところ、
まとまった雪が降る気配はありません。
でも、急に2日前くらいになって、
「大雪です」みたいな予報が出るのが、
天気予報の世界ですから、
楽しみにしています。

で、今日の聖書。
士師記9-11章でした。
「どうして・・・」というのは、11章に出てくるエフタが、
主の霊をいただいていながら、
主に用いられていながら、
なんで、「帰った時に最初に帰ってきた者を焼き尽くすささげ物とします」
なんて軽薄な、恐ろしいことを言ったのだろうか、と言うことです。
一人娘が出てきたから、こんな事件になっていますが、
最初に迎える人が娘や妻だというのは、普通じゃなかったのでしょうか?
これが召使いの子供だったら、どうだったのでしょうか?
どうせ召使いだろうから・・・という思いでこんな誓いをしたのだろうか?
本当に、「どうして・・・」と思う。
それも、神に用いられる、
神の霊をいただいた人が・・・。

でも、自分のことを振り返ると、
もちろん、こんなことは言わないかもしれない。
でも、完全な者ではないことは、
自分が一番よく知っている。
士師記を読んでいると、本当に神に用いられる人が、
他のところでは、「なんだこりゃ」みたいなことをしている。
人のことを裁くのは簡単だが、
自分はどうだろうかというと、
やはり、完全ではなくて、
失敗もあり、弱さもある。
ただ、ただ、神様の憐れみによって、
使命をいただいて歩んでいるだけなのだ。
主の守りを今日も祈りたい。

神様、
どうかわたしの歩みを守って下さい。
過ちから、誘惑から守って下さい。
あなたの憐れみによって支えられている者です。
どうか、今日も、支えて下さい。

明日の日曜日、あなたのすばらしさをいっぱいに経験出来ますように。


2006-02-03

迷うことと信じること

今日は暖かい雨。
なんだか春みたいですね。
一度上がって、
また明日も雨みたいです。
日曜日の雪の可能性もなくなりました。

でも、来週は寒くなるみたいです。
どれくらい寒くなるかはわかりませんが、
冬らしくなります。

今日はお天気の話題はこれくらい。
早速聖書の話に行きます。

今日から士師記。
士師記の1-8章を読みました。
今日はギデオンがなかなか神様の導きを信じられなくて、
迷いがあって、不安があって、
でも、そのギデオンに神様はいろんな方法で導きの確かなことを示されたところが
心に留りました。
本当にこれは私たちの姿、
いや「私たち」なんて一般化出来ない、
わたしの姿だと思います。
この羊の毛のところなんか、
羊の毛だけ濡れているようにして下さい、
地面だけ濡れているようにして下さい、
と2回もお願いして、
でも、主はそれを聞いて下さった。
何か、この神様の姿にほっとさせられた。
わたしが神様に従っていこうとする時に、
本当にこれが道なのだろうかと、
思わされて、
考えさせられて、
でも、なかなか進み出せない時にも、
主は忍耐をもって、
いろんな方法で、示して下さってきた。
これからも、その様にして下さるだろうと、
信じている。
これからも、また迷うだろう。
でも、主はその時その時、
これでもか、と思うほどに、
いろんな方法で道を示して下さるだろう。

主よ、
一つ一つのことについて、
なかなか確信を持って進むことのできない者です。
どうか、あなたの道を示して下さい。
あなたの導きを示して下さい。
ギデオンに対してもっておられた忍耐を、
わたしのためにもとっておいて下さい。
そして、ギデオンに与えて下さった勝利を、
わたしにも与えて下さい。

2006-02-02

グランドホッグデー

で、朝できなかった
グランドホッグデーの話。
Candlemasの日(2月2日)に、
グランドホッグが自分の影を見たら、
あと6週間冬が続き、
見なかったら、2週間で終わる、という言い伝え。

今日も盛大にグランドホッグデーを祝った町があります。
ペンシルベニア州の
Punxsutawneyという町(読み方はわかりません。パンクスストーニー?)。
ここのフィル君というグランドホッグが、オフィシャルな予報をするみたいです。
これは1800年代から続いているみたいです。

そして、今日の結果は、影を見た、ということで、
あと6週間冬が続きます。
でも、オフィシャルページを見ると、
「あと6週間の暖かい冬」だそうです。
結局それって、「春」ってこと?

だけど、グランドホッグといえば、
去年の夏ですよ。
うちの庭の日本キュウリを全滅させたのは奴らです。
おととしもやられましたが、
去年は全滅ですからね。
さすがに参って、かご型のわなをかけました。
本当はlicenseをもった業者以外はしてはいけないのかもしれません。
でも、調べないで、とにかくわながHome Depotで売っていたので、
買ってきて、10匹くらい捕まえました。
そしてちょっと離れた林や山の中に連れて行って放しました。
マジでホントは業者以外はいけないのかもしれませんよ。
通報しないで下さいね。
まねもしないで下さいね。
でも、かかるかかるわ、ホントにどんどんかかる。
1日に2匹かかった時もありました。
でも、かわいかったです。

スカンクに比べれば・・・。

実は、2回ほど、うっかり夜までワナを開けといて、
(グランドホッグは昼行性です)
夜行性の動物がかかっていたことがありました。
1回目はオポッサムだったと思います。
これはなんていうことはなかったです。
でも、2回目は、そう、スカンク。
こわいですよー。
ちょっとでも近づこうものならば、
さっとしっぽを高く上げて、
お尻をこっちに向けて、
臨戦態勢ですからね。

こわかった、こわかった・・・。

ま、この続きはまた今度。

神を主として歩む・・・

今朝の最低は-0.8度C。
今日も大体晴れて、10度近くまで上がるようです。
そして今晩から明日の朝が雨。
そして週末にかけて、
雨か雪の予報。
ちょっと注目中。

今日はグランドホッグデー。
今年の冬はいつ終わるか、ということをグランドホッグくんが、
占ってくれる日だそうで・・・。
いろいろ書きたいこともあるんだけど、
夜、時間があったら・・・。

ということで、時間もないので、早速聖書。
今日はヨシュア記15-24章。
一気にヨシュア記を読み終わってしまいました。
地名とかが多くて、あまりゆっくり読むところも少なく、
一気に進みました。

心に留ったのが、
24章14節で、ヨシュアが民に
「他の神々を捨てて、主(ヤハウェ)に真実に仕えなさい」というところ。
神を「主人」として歩むことですよね。
昨日、アーネスト・ゴードンという人が自分の書いた、
「クワイ河収容所」を読みました。
第2次世界大戦中に
日本軍の捕虜になって、収容所で過ごした人です。
最初は日本軍のひどい扱いと、
それに人間性を失っていく捕虜仲間達の中で
「地獄」を味わうのですが、
ある人との出会いから、
クリスチャンになり、
自分も用いられて、
収容所の中に、
人を思いやったり、寄り添ったり、
希望を持ったりする「天国」を味わっていくのです。

その中で、
イエスを「主」とすることは、
どこまでもイエスに従い、
人を愛し、赦していくことなのだ、
その収容所の状況に支配されないで、
どんなひどい仕打ちを受けても、
それに支配されないことなんだ、
ということを感じました。

自分もそうありたいと思いました。
人の言葉や、
自分の中のあまり気持ちの良くない感情、
そういうものに支配されない、
ただ、神様に愛されている喜び、
神様に使命をいただいている喜びに生きていきたいと思いました。

昨日、一人の方がイエス様を救い主としてお迎えしました。
その輝いた顔を見ていると、本当にこの神様にはその力がある、
と思わされました。

感謝。

神様、
どうかわたしを守って下さい。
いつもいつもあなたに繋がっていることができますように。
あなたを悲しませるような思いや言葉、行動から、
わたしを守って下さい。
あなたを主としていくことができますように、
そして、イエス様がして下さったように、
人を愛し、受け入れ、
それが、自分も、自分も周りの人々も造りかえていくような、
その様な生き方をさせて下さい。
今日の家庭集会も、
キッズクラブのためのミーティングも
導いて下さい。

2006-02-01

神の御思いを求めながら・・・

昨日は一日はっきりしない天気でした。
雨もたいしたことなかったし、
温度も4度C程度で、暖かくもなく、
雪が降るほどでもなく・・・。

今日はすかっと晴れました。
温度もそこそこひんやり。
冬の「穏やかな日」という感じです。
最低気温が1.5度。
9時で3.0度。
最高も8度くらい、という予報が主流です。

金曜日くらいから週末が雨。
そして、来週頭にかけて、
雪になっていく、という予報ですが、
さてどうなるか。
特にGFSというコンピューターモデルは、
日曜日にsnowstormを予想しています。
でも、誰も信じていないみたいです。
このコンピューターモデル、
つい2日くらい前は、
Super Bowlの行われるDetroitで
Super Snowstormの予想を出していたのに、
昨日の夜は「東海岸」ですから・・・。

興味のある方はこちら

だんだん長くなるお天気のコーナー。
(おい、勝手にコーナーにするな・・・)

で聖書のお話。
今日はヨシュア記の8-14章。
今日は、14章のカレブの言葉の中で、
「わたしは、見たまま、感じたまま伝えましたが、
一緒に行った者たちは民の心をくじきました」という言葉が
心に残りました。
神様から、もう与えられるとわかっていたところ。
でも、人々は恐れたのでした。
カレブは神の御思いを知り、
神がおられるなら、どんなに自分たちが弱くても大丈夫、
と思い、感じるままを話したのです。

自分が感じるままの方がいいのか、
それとも人々の声も聞く方がいいのか、
どうなんだろうと思いました。

人の声なんて聞かないで、
自分の直感を信じた方がいいのか、とさえ思いました。

わたしは神様から「牧師」という責任を与えられています。
そして、教会全体からもそれを任されています。
そんな中で、人の声に振り回されてはいけない、と神様は言っておられるのか?
そう思いました。

でも、思いめぐらしているうちに、見えてくるものがありました。
それは、直感か、人の意見か、ではなく、
わたしが直感で感じた時に、何を見ているか、
本当に神様が共におられ、
導いておられ、
私たちに最善のことをしようとしておられることを信じている中で、
感じたことなのか、
そうでないのか、
そして、周りの人の意見も何を見て出てきた意見なのか、
神様を見上げる中で出てきた意見なのか、
そうでないのか、
そこを見極めること、それが大切なことなのだと思わされました。

大切なのは、自分の直感を信じるか、人の意見を聞くことか、
なんて単純なことではなくて、
一つ一つのことが、神様の御思いを求めている中で出てきたことかどうか、
を見極めることだと思わされました。

感謝。

神様、
わたしがあなたを見上げて、
カレブとヨシュアのように、あなたを信頼して、
進んでいくものでありますように。
いつもいつも、あなたの御思いに集中して、
あなたの喜ばれることに集中して、
歩んでいくことができますように。

人の声を聞く時にも、
その言葉が、あなたを見上げている中で
あなたを信頼している中で、
出てきた言葉なのか、
それを見分ける力を与えて下さい。

今日の一つ一つの出会いを祝福して下さいますように。

2006-01-31

何のために自分はこんなことをしてるんだろう

なんてことを感じたことはありませんか?
その話はまた聖書のところで。

昨日の夜は久しぶりに勉強で夜更かしをしました。
勉強して、書き物して、2時頃だったかな。
でも、それからしばらく興奮していたのか、
寝付けず。3時。
mid-termの最中の息子の方が、
ずっとのんびりしていることに、「なんだこりゃ」でした。

今日は雨。
朝の最低気温は3.5度C。
冷たい雨ですね。
で、今は10時前で4.4度C。
夕方は冷えて雪が混じるかもです。
特にMahwahやWyckoff方面。

でも、昨日は暖かかったですね。
3時頃まで。我が家周辺は17度Cくらいまで行きました。
その後、Back door cold frontで、
急に寒くなりました。
これは普通は冷たい空気は北や北西の方から
流れ込んでくるのですが、
今回、北東の方から、
つまりボストンの方から冷たい空気が入ってきました。
これをBack doorっていうんですね。
昨日の場合は一気に16度Cから9度Cくらいまで下がりました。
今夜はそこそこ冷えます。
風邪にはご注意を。

今日の聖書ですが、ヨシュア記の5-7章を読みました。
またまたスローダウンしています。
で、今日は、6章のイスラエルの民がエリコの町の周りをただただ7日間に渡って、
だまって、回り続けたところに心が留りました。
表題にあるように、
「なんのために自分はこんなことをしているのだろう」と思うことありませんか?
意味がわかったら、もっともっと生き生きとできるのに・・・と思うこと。
この神様の命令もそうだったと思います。
なんのためにこれをしているんだろうか?
そんな疑問を感じた人々がどれだけいたでしょう。
でも、彼らはそれに従った、
そして神の奇跡が起った。

だから、今日は思いました。
与えられた状況を積極的に受け入れようと。
意味はその時にはわからないかもしれない。
でも、それが神様が与えて下さった状況であるならば、
意味はわからなくても、自分の方から受け入れていこうと。
そして、その中で、自分のなすべきことをしていこうと。
幸い、今は「何のために」と深刻に悩むような状況にはないのかもしれません。
だから、そんなことを気軽に言えるのかもしれません。
だから、今願います。
次にその様な状況に追い込まれた時に、
今日の祈りを思い出しますようにと。

神様、
私たちはどうしても納得いかないことがあります。
でも、そんなときに「靴を脱ぐ」気持ちで、
あなたの前にひれ伏して、
与えられたものを引き受ける勇気を与えて下さい。
わからなくても、
意味がわからなくても、
引き受ける勇気を与えて下さい。

2006-01-30

神の恵みの記念として

昨日も、幸いな日曜日でした。
多くの方々が共に礼拝を守りました。

総会も、皆さんはどうだったかなあ。
前向きな総会になったと個人的には感謝しています。
50人おられたら、中には
言いたいことを我慢された方もおられるかも・・・。
でも、日々の歩みの中で、その様な声もいつも聞きながら、
進んでいこうと思います。



今日の朝はすごい霧。
今はすかっと晴れて温度も上がってきました。
どうして霧が出るのか?
私もよくわからないのですが、
たぶん今朝のは、南からしめった暖かい空気が入ってきたけど、
空は大体晴れてきたので、熱が逃げて
ちょっと冷えて(最低気温が3.9度Cでした)、
空気が水分を含めなくなってしまって、
空気中に水滴として出てきてしまったのでしょう。

説明、まどろっこしいですか?

そして、明日の「雪」ですが、
ほとんどなくなりましたね。
降っても雨。
もしかしたら、そんなに降らないかもしれません。
そして、午後から夜は北西の風が強くなるでしょう。
夜はそこそこ冷え込むかも・・・。

そして、今お天気の世界で話題になっているのが、
「いつ冬が来るのか」ですが、
10日後くらい、という説が出てきました。

2月8日から10日間くらい、
冬が「いたちのさいごっぺ」のようにやってくるかも。

大体今年は寒くなると見ていて、
本当に12月前半は寒くて、雪も降って、
この冬は大変だなあ、と言っていたのですが、
12月後半から1月いっぱい、暖かいですね。
助かりますが、
拍子抜けです。

先週あたりは、この火曜日に雪が降って、
それからパターンが変わって寒くなるかも、
と言っていたのですが、
今日みたいな日はまたしばらくないとしても、
今週いっぱいは暖かいと思います。

しゃきっとする冬や
snowstormが好きな方は来週に注目ですね。

長くなりました。
今日の聖書です。
今日は申命記1-4章。
ヨシュアが新しいリーダーとして立って、
ヨルダン川を渡っていくところです。
今日はそのヨルダン川の石を集めて塚を造って、
記念とするところが心に留りました。
私はどちらかというならば、「?年を振り返る」のに抵抗を感じる方です。
(なんて言いながら、スライドショートか作っちゃうんですが・・・)
なぜならば、
古くからいる人だけが、「懐かしいなあ」と盛り上がって、
新しい人は取り残されてしまうように感じるからです。

でも、今日のところを見ると、
神様の恵みを記念とすることは次の世代にも大切なことなんだ、
ということが出てきます。
神様が、私たちの歴史にどんなにすばらしいことをしてくださったのか、
それを知って、それを語り継げていくこと、
それは大切なことなんだなあ、と思いました。
そして、自分の姿勢を正されたような気がします。

神様が導いてくださった道を感謝して振り返る、
そして、前に進んでいく、
その様な歩みをしたいと思いました。

主よ、
あなたのしてくださった、すべての良いことを、
忘れることがありませんように。
そして、そのことをただ懐かしむだけではなくて、
あなたの御業として語り継げていくことができますように。
私自身のここまでの歩みの中でも、
あなたがどんなにすばらしいことをしてくださったか、
それを語ることができますように。
そして、周りにおられる方々に起った神様の御業を
「聞いていく」ことが出来ますように。

2006-01-29

天から注ぐ雨のように

今朝の最低気温は-0.2度C。
昨日は本当に暖かでしたが、
今日も暖かい一日になるでしょう。
でも、午後か夕方からは雨。
また「雨」。

で、火曜日の「雪」ですが、
確かに、月曜日の夜から、
ニュージャージーの南、
デラウェア州の東の海上で、
低気圧が発達するようです。
でも、それが北に上がってくるか、
東に出ていくか、
それが大きな分かれ目になるようです。

後1日半先のこともよくわからない、
それが本当のところなんですよね。
確かにここ数年でコンピューターの性能が上がって、
ずいぶん予報が詳しくなったし、
当たるようになってきたと思います。
でも、やはり神様の造られた自然界は、
それを遙かに超えているんだと思います。

「期待しないで注目する」と言っていましたが、
結構期待してしまっている自分がいます・・・。

で、聖書の話。
今日は申命記を読み終わりました。
32-34章。

いろいろ心に留ったのですが、
一番祈りに導かれたのは、
32章のモーセの言葉の最初の部分。
「わたしの言葉は雨のように降り注ぐ」という言葉。
今、私が求めているのは、まさにこれ。
聖書の言葉を分析して、
「何か心に留る言葉はないかなあ」と探して読むのではなくて、
「雨のように降り注ぐように語られる言葉」、それを求めている。
そう、自分が御言葉を上から見下ろすのではなくて、
料理するのではなくて、
御言葉に語られて、
自分が料理されて、
神様の前に引き出されるような、
その様な毎日の聖書通読になっていけば、
と思わされる。

神様、
どうかわたしに語って下さい。
私の心に、私の存在に語って下さい。
そして、御言葉によって取り扱って下さい。
私を造りかえて下さい。
私を砕いて下さい。
あなたのことで私の心をいっぱいにして下さい。
御言葉を求めます。

今日の日曜日のプログラム、
一つ一つを導いて下さい。
礼拝、教会学校、
そして、教会総会。
主が最高に祝福して下さいますように。