2007-01-20

今日はホントにお休み

今日はまだ12時前ですが、思いっきり眠いので、
更新はあした・・・かな?

めっちゃ寒い夜です。

ではでは。

2007-01-19

満ち足りる心

今日は遅くまで集まりがあったので、
お休みします。
ホントはもう12時回っているので。

明日の朝(たぶん)更新・・・。

ではでは・・・

と思ったのですが、やはりあまり眠くなっていないので、今更新。

今朝は起きたら雪が降っていました。
そして雪化粧。2センチくらい積っていたでしょうか?
今年初めての景色でした。
その後、太陽が出てきて、とてもまぶしかったですが、
とても懐かしいまぶしさでした。
やはり冬はこうでなければ・・・と思いました。
もう午前中にほとんど融けてしまいましたが・・・。

今度の雪のチャンスは月曜日ですが、まあ何もないでしょう。
その次は木曜日、その次は火曜日、そして次の土曜日と続きます。
12月から1月前半、全く雪の気配がなかったのとはほんとうに対照的です。

今は夜の1時半で、-1度。
今、ゴミを出しに外に出たら、小雪が舞っていました。
明日の朝は-4度くらいかな。
そして昼間も氷点下で風も強い、寒い日となるでしょう。

今日の朝も、昨日の夜も、自分のキリストに出会った時の「証し」をするチャンスがありました。
何か、その時の話を始めると、心が震えてきて、
喜びが湧いてきて、押さえることができません。
今でも、それから20年以上経っているのですが、
その喜びが自分を支え、自分を生かしていることを感じます。

今、このページを読んでくださっている方々は教会の方々が多いかと思い、
もう、何度もお話ししていることとは思いますが、
またいつか、何回かのシリーズにして、ここにアップしたいかな、と思います。

そして、今日の聖書。
今日はテモテへの第1の手紙の6章。
この手紙の最後のところです。

「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」
6節の言葉です。

10年前は私費の留学生でした。
ですから、貯めたお金を、大切に使うこと、できるだけ減らさないことが大切なことでした。
のんちが働いてできたお金と、借りたお金がかなりの部分でした。
時間を見つけて翻訳をしたり、大学の仕事をしたり、補習校の代教をしたり・・・。
自分で作れるものはほんの少しでした。
そして、奨学金が出ても、自費で支払う授業料が半年で数千ドル単位でした。
ですから、毎月の出費はほんとうに少なかったです。
600ドルだったか、700ドルだったかの寮費(アパート代)がめちゃくちゃ高く感じました。
その前、アトランタにいた頃、またその前、サンディエゴにいた頃、もっともっと、
財布は小さかったと思います。「次のステップに進むために」と必死でしたから。

でも、今、定期的な収入のある生活になって、
一度大きくなった財布はなかなか小さくなりません。
そして、また大きくしようと思ったら、いくらでも大きくなります。

「満ち足りる心を伴う敬虔」・・・どんな感じなのかな、と思います。
口語訳では「信心があって足ることを知るのは、大きな利得である」とあります。

与えられていることを感謝して歩む生活、
そして、「ほんとうに必要なものは主が与えて下さる」という信頼の中での生活。

そこに歩んでいきたいと思います。


2007-01-18

明らかにされる

今日は予想よりも早く、3時頃から小雪が降っていました。
そして予想通り、大したことはありませんでした。
明日の朝まで、大したことがなく終わることと思います。

良かった。

でも、また明日から寒くなります。
風も強いので、寒さ対策は万全に・・・。

今日の朝の祈り会はほんとうに幸いな一時となりました。
御言葉によって支えられたお証を伺うことができて、
「こういう時を待ち望んでいた・・・」と思いました。
ますます、このような交わりが教会の中に広まり、
神様をたたえる賛美があふれますように。

心を開いて祈りの課題を挙げて、祈り合う交わりが広まりますように。

「教会が教会となる」一時でした。

そして今日の聖書。
今日はテモテへの第1の手紙の5章を読みました。

「ある人たちの罪は、それがさばきを受ける前から、だれの目にも明らかですが、ある人たちの罪は、あとで明らかになります。 同じように、良い行ないは、だれの目にも明らかですが、そうでないばあいでも、いつまでも隠れたままでいることはありません。」24-25節。

怖いような気もしますし、
また慰めでもあります。

「自分のほんとうの姿すべてが明らかになってしまったら、どうなるんだろうか?」
という恐れです。でも、いいんでしょう。それでも憐れみによって生かされているのですから、
憐れみによって、主のしもべとならせていただいているのですから。

それよりも、今日心に感じたのは、
どう思われていても、いい。
ほんとうのことはやがて明らかにされるのだから・・・という慰めです。

自分で騒がなくても、
自己弁護をしなくても、
ほんとうのことはいつか明らかにされるのです。
いや、別に今、誤解されて困っていることがあるわけではないです。念のため・・・。

でも、安心していい。
ほんとうのことはいつか明らかになるんだからと・・・。
そう思うと何も怖くなくなります。
ただただ、主に信頼して、
主が導かれる道を歩んでいきたいと思います。

感謝しつつ。

主よ、
今日もあなたの約束のゆえに感謝します。
あなたの御言葉によって支えられているいくつもの人生のゆえに感謝します。
あなたをたたえる証が教会の中にあふれますように。
また心からの願いを祈り合う祈りが教会の中にあふれますように。

2007-01-17

模範となる

今日の朝は-8.4度C。
ほぼ予報通りでした。
昼間は-1.5度まで上がって、
風も収まって、ずいぶん暖かく感じました。

今、真夜中の12時で、-6.7度C。
明日の朝は今朝以上に冷えそうです。

そして、明日の夜の雪の予報ですが、
大したことはない。ことは確かなようです。
降っても2-3センチ。
たぶんそこまでも行かないでしょう。

来週も、月曜日、木曜日、土曜日あたりにそれぞれチャンスはありますが、
全く何もないかもしれません。

今日はもう遅いので、
早速聖書に行きます。

今日はテモテへの手紙の第1、4章でした。
その中で、「ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい。」という12節の言葉が心に留りました。

ほんとうにそのようにありたいと思いました。
そして、今日一日祈っていて示されたこと。

今教会堂を取得したいと祈っていますが、
その中で、「必要ならば神様が与えて下さる」と信じて、
またそのように語っています。

でも、教会としてそれを信じるようにと励ますならば、
どうして私個人の私生活、というか、家族の生活の中で、
「これくらい蓄えがないといざというときに困る」とか、
「老後のことも考えなければ・・・」なんて考えるのでしょうか?

私を信頼しなさい、と主は言われます。
「神の国と神の義を先ず求めなさい。そうすればそれらのもの(日々の必要)はすべて添えて与えられます」と言われます。

でも、ほんとうに信じているのは、「蓄え」であったり、
第一に求めているのは神の国と神の義ではなく、「日々の必要」の方だったりするのではないかと。

だから、今、本気で主を信頼するとはどういうことなのか、祈っています。
具体的にそのように生きたいと思います。

主よ、
私に愛をもっと与えて下さい。
私にあなたを信頼する思いをもっと与えて下さい。
あなたを何よりも求めて、あなたにチューニングを合わせて歩めますように。

2007-01-16

temperate, self-controlled, respectable,

今朝起きた時は4度くらい。
でも風があったので十分寒く感じました。

その後、気温はゆっくり下がっていって、
夜になって下げ足を速めています。
今は夜の9時半で-4.3度C。
最低気温は-8度くらいまで下がるようです。
もう少し低くなるかな、と個人的には思っています。

でも、見事に15日を境に寒くなりました。
私は元々1週間以上先の予報は信頼していません。
でも、今回は見事でしたね。

明日は一日中氷点下です。

テキサスのヒューストンも、町の北半分はFreezing Rainです。
南半分も0.5度まで下がってきています。

こちらの金曜日の雪は、降っても学校が休みになるほどではないでしょう。
集会も予定通りできそうです。

最近、不思議なくらい、
「御言葉によって支えられました」「こんなことを神様から教えられました」という声を、
聞くようになりました。
うれしいことです。
日曜日の信仰に導かれた方も・・・。

教会で大きなイベントがあって、多くの方々が喜んで集ってくださる時にも、
皆さんの輝いた顔を拝見するのもうれしいことです。

でも、やはり、何よりもうれしいのは、心が触れ合うようなお話を伺う時、
神様がお一人一人の心に触れてくださったことを知った時。

そういうことのために、私は使命を頂いているのだと思います。

今日の聖書。
今日は第1テモテ3章でした。
今日のところは「監督」の資質と「執事」の資質について書いてあるところです。
「監督」は私たちの教会では「牧師」であり、
「執事」は私たちの教会では「役員」です。

自分が牧師のため、
「監督」の資質について書いてあるところが心に留りました。
特に、2節の「自分を制し、慎み深く、品位があり」の部分です。
日英対訳版を読んでいたのですが、
英語では"temperate, self-controlled, respectable,..."となっています。

ただ、ただ、そのようになりたいと思いました。
それ以上でもなく、それ以下でもなく、
ただ、単純に、品位のある、慎み深い、自分をよく制する者となりたいと思いました。

主よ、
どうか私に品位と慎みと自制とを与えて下さい。
平安と確信の中に慎み深くあることができますように。
あなたと共に歩んでいる平安の中に生きる者であることができますように。
あなたの与えて下さる平安の中に歩むことができますように。

2007-01-15

内なる飾り

今日も予想通り「ちょっと冷たい雨」でした。
それほど降りませんでしたが、
それでもmistyな一日でした。

今は夜の11時ですが、7度もあります。
でも、今夜半からどんどん温度は下がるでしょう。
あと、風も強くなってかなり寒く感じると思います。

明日からは冬です。
次の雪のチャンスは木曜日の夜から金曜日あたりです。

教会の集会がいろいろあるので、降らないで欲しいですが・・・。

あと、こちらも寒くなりますが、
何とテキサスのヒューストンでも、
ice stormのようです。
ダラスくらいならしょっちゅうあるのですが、
ヒューストンは珍しいと思います。
10年ぶりだそうです。
でも10年に1回あるのか・・・。

今日は地域の日本語牧師会がありました。
同じ使命を持った者たちが、
語り合い、励まし合い、祈り合う一時を持ちました。
いつもいつも元気を与えられます。

そして、いつもいつも「もっと話したい」と思うのですが、
あっという間に時間が過ぎていきます。

感謝。

今日の聖書。
今日は第1テモテ2章を読みました。

この8節の言葉はいつも心に留ります。
「男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。」

でも、今日はそれだけではなく、それに続く、女性に対する語りかけを自分への語りかけとして受け取りました。
「同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行ないを自分の飾りとしなさい。」9-10節。

子供の頃、自分のルックスってコンプレックスでした。
「ああ、ああゆうかっこいい友達みたいになりたいなあ」とよく思いました。

大人になって、
一人の妻の夫になると、
これがまた、モテ男ではないことが、助かると言えば助かります。
「イケメン牧師」なるものが存在するのかどうか知りませんが、
ルックスのいい牧師に比べると、いらない苦労がなくて助かります(^^)
「誤解されることが少ない(ない?)」「誘惑が少なくて(なくて?)すむ」という意味で・・・。

だからと言うわけではないのですが、
ここで女性に言われていること、すべての人に言われていることかなと思います。

「外見ではなくて、内側を磨きなさい、良い行いを飾りとしなさい」ということ、

ほんとうに自分の内なる人の美しさ、内なる飾りを身につけたいと思いました。
良い行いという美しさを身につけたいと思いました。

ま、外見も最低の身だしなみはしなきゃいけないんでしょうが・・・反省。

主よ、
私の心を守り、
良い行いという美しさを身につけさせて下さい。
そこに目を留め、そこに心を遣う者とならせてください。
「宝があるところに心もある」とあります。
内なる人を自分の「宝」とすることができますように。

2007-01-14

私を強くして下さる方

今日は予想通り、「ちょっと冷たい雨」でした。
昼間は7度くらい。今は夜の12時で4度。

明日ももうちょっと暖かくなるかもしれませんが、
「ちょっと冷たい雨」が続きます。
そして、火曜日から本格的な冬になります。
それがずーっと続きます。

ですから、これからしばらくは「降ったら雪」という
パターンになるのでは、と思っています。

まあ、今までの経験では2回くらい雪が降ったら、
「もう充分」って思うんですが、どうなることでしょうか?

今日の礼拝もたくさんの方々と共に礼拝を守ることができました。
そして、礼拝の後に、一人の方がイエスさまを受け入れるお祈りをされました。
ハレルヤ!

これからも教会がたくさんの方々がイエス・キリストに出会う場として用いられますように。

今日の聖書はテモテへの第1の手紙の1章です。
このテモテはパウロのもとで、
一つの教会の指導をしていた人です。
その人にアドバイスを送ったのがこの手紙です。

「私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。」12節の言葉です。

主は「私を強くして下さる方」です。
私も根性なしですから、
この方なしでは、マジでここまで来ることもなかったでしょう。
周りの人の顔色ばかり気にして生きてきたでしょう。

でも、今は「私を強くして下さる方」を持っているのが、
ほんとうに大きなことだなあと思わされます。

勇気を持って決断をすることができます。
大胆に進んでいくことができます。

ピリピ人への手紙には、
「私を強くして下さる方によって何事でもすることができる」
と書かれています。

そうだなあ、と思いながら、
この言葉は一つ一つの出来事に出会っていく中で、
「ほんとうだなあ」とほんとうの意味が分ってくるのだと思います。

「私を強くして下さる方」を知っていくことのできる1週間となりますように。

神様、
あなたに感謝します。
あなたが私を強くして下さること、
私に勇気を与えて下さること、
私にチャレンジする力を与えて下さることに感謝します。
でも、言葉だけではなくて、
経験として、「私を強くして下さる方」としてあなたのことを
感じることができる1週間を与えて下さい。

今日、あなたを受け入れて、
新しい歩みを始められた方に、
主の守りがありますように。