2008-05-24

感謝。

今日はスカッと晴れて、
暖かくなりました。

明日はまたスカッと晴れて、
「暑く」なりそうです。

NJ補習校の運動会ですが、かな~り焼けそうです。
関係者の皆さん、くれぐれもお気をつけて・・・。

私も午前中は行くのですが、
昼前には失礼して教会です。

で、問題なのは娘のサキ。
それほど足が早いほうとは思えないのですが、
たまたま、その日の調子のせいか、
リレーの選手に選ばれて、練習していたようです。
でも、プログラムを見ると、一番最後。
どう見ても、教会に行ったら出られません。
で、日曜日に雨が降って、月曜日に延期だったらいいのにな、
と思っていたわけです。

でも、そうもいかないようで、
今日、「パパとママは教会行くけど、
サキは運動会最後まで出るよね」と話したら、
やっぱり一人置いて行かれるのはいくら友達がいても
いやみたいで、「サキも教会行く」と言って聞きません。

先生にお詫びの連絡をして、選手は辞退。

そこまで教会を愛してくれているのはうれしいような、
でも、根性がないみたいで、ちょっと残念なような、

うーん、でも、やっぱり、一緒に礼拝を守れるのはうれしいです。

今日、中高生の集会がありましたが、
その中で、一人の女の子が話をしてくれました。

先週子供たちの前で「感謝をしよう」という劇をしたんだけど、
自分は日頃、どれだけ感謝をしているか、
考えさせられたそうです。

その話を聞きながら、自分もそうだなあと思いました。
一日に何回「ありがとう」を言っているだろうかと。
彼女は数えてみた、と言っていましたが、
私もそうだなあ、数えてみよう、と思いました。

感謝をして、こころから感謝をして、
感謝を言葉に表して、
行動に表して、態度に表して、
伝えていくことの大切さを思いました。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル第一10章1-16節。

「主の霊があなたの上に激しく下ると、・・・あなたは新しい人に変えられます。」6節。

聖霊様が与えられると新しい者に変えられる。
今日はこの聖書の箇所を読んで、そのまま、いのりました。
私にも聖霊様を激しく下してください。
神さま与えてください。

そのように祈った時に、
「あなたは本当にもっと具体的に祈ったことは、求めたことはあったか?」と語られました。

それで、具体的に祈り始めました。
コリント第1の12章を開いて、
「癒しの力も与えてください、預言も与えてください、霊を見分ける力を与えてください。信仰的な状態を見極める力を与えてください。」そして、「ソロモンのような知恵を与えてください」と祈りました。

どんどん、具体的な求めが出てきました。そして、「ああ、今まで自分はこのように求めたことはなかった」と心の飢え渇きが起ってきました。
その時に、「ああ、自分は聖霊様ご自身をもとめていただろうか、聖霊様の結果をもとめていないだろうか」そして、最後には「いろんな賜物があるけれども、それらを超えて、すべての人が求めるべき、最高のものは何だろうか、それは『愛』だ!と言うところにまで導かれていったのです。愛すること、それが他の何物にまさって神が求めて折られること。その愛を与えてください、愛を下さい、そのように祈りました。

かみさま、
聖霊様を与えてください。
私のうちに満たしてください。
そして、そこから溢れる愛をもって、
人々を愛していくことができますように。

明日の礼拝を祝福してください。

そして、その通りに祈りました。

2008-05-23

かわいい子には旅をさせろ第2弾。

今日は晴れて暖かくなりました。
でも、教会のオフィスも
牧師館の私の勉強スペースも
共に半地下なので、めっちゃ冷えます。

外は22度くらいだったと思いますが、
ここは何度か知りませんが、とにかく暖かいズボンをはいて、
長袖の厚手のシャツの上に、フリースの長袖を着て、
それでも、足が冷えて、じっとしてられません。

とうとう電気膝掛けで、何とか生き返りました。

未だもうちょっと花粉が怖くて外も余り歩きたくないし、
めちゃくちゃ不健康なオヤジ化しております。

JOYJOYキャンプの申し込みは昨日が2名、今日が1名で、54名。
だいたい、去年並になりました!
申し込みは明日まで。
さて、どうなるでしょうか?

去年のウガンダに続いて、
明日から月曜日まで、2泊3日で息子を一人でシカゴに送ります。
JCFNというクリスチャンの団体の中西部地区の集会です。

去年のウガンダは本人がその気になって、
アルバイトまでして、行ったのですが、
今回はどちらかというと、私の方が行かせたくて、
かなり勧めてしまいました。

待っていたら、たぶん「行く」なんて言い出さないと思ってましたから。
とにかく、親のいないところで、
信仰の仲間や先輩たちから学んだり、
人間関係を広げていったりすることって、
本当に大切なことだと思っていますから・・・。
牧師の息子である私自身の経験から、
なんとか、こういう経験を持って欲しいなあと思っているわけです。

高校時代から、親に反対されても、
教会に行っていたのんちからすると、
「やりすぎ」と言われそうですが、
まあ、ここまでお膳立てをしてあげるのも、
これが最後。(ちょっと決意)

ウガンダの経験があるので
親も本人も全然、緊張感ありません。
ただ、国内線、帰りの便がキャンセルになったら、
大変だなあ、と思います。
翌日学校あるし・・・。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一9:15-27

「主は、サウルが来る前の日に、サムエルの耳を開いて仰せられた。」15節。

サウルを導かれた神さまは、
その前から、サムエルにも語り、道を備えておられたのです。

それから、ここで「サムエルの耳を開かれた」というところも、
目が留りました。

主の導きがわかる目、
主のみ声が聞こえる耳、
それを与えて頂きたいと思います。
そして、そこに確信を頂いて、
進んでいきたいと思います。

主と親しくすごしている中で、
目が開かれ、耳が開かれていくのでしょうか。
本当にそのような経験を与えて頂きたいと思います。

主よ、
ひとつひとつの出会いがあなたの導きであることに感謝します。
どうか、あなたの導きを見る目を、
あなたのみ声を聞く耳を与えてください。
私の目と耳を開いてください。

2008-05-22

あと2日。

さて、きょうも午前中は結構寒かったですね。
雨も降りました。
あと、午前中集会をした教会が寒くて、からだが冷えてしまいました。

でも、午後は暖かくなった+JOYJOYキッズクラブだったので、
半袖で元気にがんばりました。

明日から月曜日までは晴れ。
補習校の運動会はばっちり日曜日ですねえ。

あと2日。JOYJOYキャンプの申し込み。
今日、とうとう定員の50人を突破。
今朝、教会に行ったら、郵便で届いていたのが、5人分。
キャンセルが2人出たので、
51名かな。

でも、今日の郵便は未だ見ていません。
うーんどこまで増えるんだろう。

今日、おそくなりましたが、
その理由の一つは「料理」。
昨日の夜10時頃、Shopriteで、「今夜中に売る!」ということで、
2ドル引きになっていた挽肉を買ったんですが、
昨日はそのまま寝てしまいました。
今日は朝から夜9時頃までずっとあっちこっちに行っていたのですが、
さすがに今日中に料理しないとねえ、ということで、
さっきまで料理していました。

2キロの挽肉、ほとんどのんちが料理したのですが、
私も一品。「韓国風肉みそ」。
エッセの「夕食ばんざい・肉のおかず262」(1993年)の中に入っているヤツです。

10年くらい前に作って、おいしくて、また作りたいと思っていたんです。


なんと、挽肉200グラムにみそ1カップ、砂糖2カップ入れるんですよ。
(日本のカップです・・・念のため)
さすがに「どうしようかな」と迷いましたし、
「ほんとかよ」と何度も何度も確認してしまいました。
砂糖2カップ・・・。
入れた時には「失敗したかも・・・」と思いました。

確かに甘いですが、唐辛子やみそ、山椒、ネギなどもたくさん入っているので、
ぴりっと辛くて、おいしいです。
レシピ欲しい人、こっそり教えますので、ご連絡下さい、って、
まず一度味見してみないと、ですよね。
でも、ホントにめちゃ甘くて、めちゃ辛いです。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一9:1-13

「ついこの先におられます。今、急いでください。きょう、町に来られました。」12節。

今日のところは、もう、先に進まないで立ち止まるのが難しいところでしたねえ。
つい先に進んでしまいたくなります。

このサウルが王様にされるために主が導かれた一つ一つのことを読みながら、ああ神さまは今日もわたしたちにこのことをしてくださるんだなあと思いました。

ロバがいなくなったこと、
ここまで探しに来たこと、
この町に預言者がいるのだと気がついたもう1人の若者の存在、
そして、またその町にたまたま預言者のサムエルが来たところだと、
町の人々は言うのです。

本当に一つ一つが不思議ですね。
でも、主はしばしばそのようなことをされる。

一つ一つの出会いが偶然ではない、
そのことを思わされます。
NJに来ることができたこと、
そしてこの教会に出会えたこと、
そして、お一人一人に出会えたことに心から感謝します。

主よ、
あなたの導きの一つ一つに感謝します。
一つ一つの出会いに感謝します。
どうか、これからも導いてください。
あなたの思いのままに導いてください。

そして、いつもいつもあなたの導きに
敏感な者であることができますように。

2008-05-21

あと3日。

今日も朝は冷え込んで、
昼間は晴れてそこそこ暖かくなったのですが、
家の中はひんやりしていました。

メモリアルデーからはプールがオープンになったり、
「夏」が始まるはずなんですが、
全然そんな感じがしません。

明日もまた雨が降りやすく、
結構肌寒いかと思います。

今日、久しぶりにサンディエゴのO倉先生のところに
ご訪問したら、先生、アメリカ人になっちゃったんですね。

そして、「え~、すごい!」とびっくりしたのが、
この記事。

「ヤマアラシのジレンマ」で有名な
ヤマアラシですが、こんなにすごいんですね。
見ているだけで痛々しい。
絶対に近寄ってはいけないですね。
ここら辺にもいるのでしょうか。
スカンクもたいへんですが、
こんなのに遭遇したら、ホント、逃げるしかないですね。

先生の「引き下がることも立派な勇気」には、
心から、本当にそうだなあ、と思わされました。

あと3日、というのは、
JOYJOYキャンプの受付もあと3日・・・ということです。
昨日届いたものまで入れて、48名。
水、木、金、土と4日分ですから、
たぶん定員は超えるでしょう。
なんとか、抽選しなくてもすむことを祈ります。

今日の聖書。
今日はサムエル記第一の8章。

「どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」5節。
「私たちも、ほかのすべての国民のようになり」20節。

この民の願いは、「他の国のように」だったんですね。
それが一番の問題だったと思います。

でも、これは子供の時代ははっきりと、
大人になってからも「流行」につられる時に、
わたしたちの中にいつもあることですね。

「みんなもっている」「みんなやっている」
「ないのは私だけ」「どうして私だけこんな目に?」
「みんながやるなら・・・」

そんな言葉をよく聞きます。
また自分もそういう考えに捕らわれる時もあります。

でも、神さまは一人一人に特別な人生を与えてくださった。
神さまとの関係に生きるように招いてくださっている。

だから、人と違っていい。
周りと違っていい。
それの方がいい。

周りに振り回されない、動じない神さまとの関係による「強さ」を
持っていたいと思います。

神さま、
どうか、あなたの私に対する使命を教えてください。
そして勇気を持ってそれを引き受けて歩む者でありますように。
周りに振り回されない強さを与えてください。

JOYJOYキャンプに来たい子たちがみんな来れますように。


2008-05-20

祈り続けなさい


さて、2回目の更新は今日の聖書。
今日はサムエル記第一7:3-17でした。

「私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。」8節。

今日はストレートに、
これが主からの語りかけだと思いました。
祈るのをやめない、
祈り続ける、
それを主は求めて折られるのだと。

これからも祈りが必要な人々、
その方々のために祈り続ける、
途中で祈ることをやめてしまわない、
そのように主が命じられました。

祈っていこうと思います。

神さま、
今日もあなたの招きに感謝します。
あなたが祈り続けなさい、と言ってくださいましたから、
祈り続けます。
どうか、あなたと共に歩ませてください。
祈り続け、支え続けさせてください。

聖なる神

今日はまた寒かったです。
朝起きたら6度。
そして、昨日と違って、今日は冷たい雨。

明日はもうちょっと天気が良くなって、
もうちょっと暖かくなると思います。
でも、本格的な回復は週末のようです。

やっぱり日曜日は晴れのようですね。

さて、昨日の聖書です。
昨日はサムエル記第一6:1-7:2

「だれが、この聖なる神、主の前に立ちえよう。」20節。

神さまのきよさ、
そして、その前の恐れ、
それをいつまでも忘れないでいたいと思う。
いつも覚えていたいと思う。

神の箱の中を除いたのは、決して悪気があったことではなかったと思う。
でも、それは神を恐れない、愚かな行いであった。

愛の神、わたしたちを抱きしめる神、
でも、それはあくまでもイエスの十字架があったからで、
本当はこのきよい、恐るべきお方であることを、
忘れないでいたいと思いました。

そうじゃないと、愛がわからない。
犠牲の大きさがわからない。
イエスの払われた大きな犠牲に心から感謝。

神さま
今日の一日も心から感謝します。
今日も、一人一人をお守り下さい。
今夜も神さまが共にいて下さい。

そして、あなたのきよさをもう一度教えてくださってありがとうございます。
そのあなたがわたしたちを抱きしめてくださることに、感謝します。
その陰に、イエスの十字架があったことを、感謝します。
その払われた犠牲に心から感謝します。

どうか、愛されている喜びに溢れて歩ませてください。

2008-05-19

Watoto

今日の夕食後、
お茶が飲みたいかなあ・・・ということで、
電子レンジでお湯を沸かそうと思って、
コップに水をくんでスイッチを入れたら、
電子レンジの下の方からものすごい煙がもくもく。
電気の線が焼けるようなゴムが焼けるようなにおいで、
すごい臭かったです。

ま、これはもう壊れた、ということで、
ホントは原因を知りたくて分解しようとしたんですが、
特別な工具が必要なようで、断念。

でも、とにかく何事もなくて良かったです。
私の4×年の人生の中で、
家の中であそこまで煙がでたことは初めてでした。

もしも家の中で一人で、
スイッチを入れてそのままその前を離れたら、
火事になっていたかもです。

電子レンジのない生活は考えられないので、
すぐに買いに走りました。
こちらではだいたい100ドル以下ですから。

そういえば、アトランタで何もない時に、
最初に必要になったのがこれでしたね。

私が子供の頃はなかったんですよね。
いやあ、想像出来ません。

そんな「文明の奴隷になっているかな?」という生き方に
チャレンジを与えられるような話ですが、
今、日本にWatoto Children's Choirが来ていますね。

ウガンダのAIDSやゲリラによって親を失った子たちのための
働きの中で生まれたコワイアです。

このビデオ、とっても子供たちの表情がいいです。
その背後にはどれほど過酷な人生があるか、
そんなこと、全く感じさせないものです。

去年の夏、ハジがウガンダに行って、
この団体に触れて、ものすごい大きなインパクトを受けて
帰ってきました。

東京は未だこれからですね。

アメリカには来ないのかなあ、と思ってこちらを見たら、
結構あちらこちらを回るんですね。

今年の11月ごろこちらにも来るみたいです。

Brooklyn Tabernacleとかも予定に入っています。
近所では11月22日(土)のCeder Groveなんかはねらい目でしょうか?
是非、みんなで行きましょう!

さて、昨日、日曜日の聖書。
昨日はサムエル第一5章でした。

「ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。」3節。

イスラエルに裁きを下された主は、
だからと言って決してペリシテの味方ではありませんでした。
ペリシテもまた神の裁きの下に置かれたのです。

神さまはわたしたちの味方とか敵とかというよりも、
すべてを越えておられる。
そこにわたしたちがひれ伏すのだ。

この文章を読んで痛快に思っている自分がいる。
ああ、このペリシテの神は愚かだ、神さまにはなにものもかなわない。

そう思って、痛快に感じている時に、
私は自分を神と同じところに置いている。

でも、本当は、このイスラエルの民やペリシテの民と同じように、
神の前にはひれ伏すべき者であるのだ。

主よ、
私もあなたの裁きの下にあることを思い出させてくださって、
ありがとうございます。
どうか、あなたの下にひれ伏し、
あなたの憐れみによって生かされていることを、
忘れることがありませんように。

どうやって・・・。

今日は寒い一日でした。
朝起きたら6度。
そして風が強くて、
昼間も15度止まり。

もう5月も半ばまで来ているんですけどね。

今度の日曜日は補習校の運動会。
なんで、日曜日に運動会やるかなあ?
土曜も月曜もあるだろうに。
って自分の都合ですよね。

でも、10年前は土曜日だったんですよ。
長男が2年生の頃まで。
でも、どういった事情か知りませんが、
日曜日に変ってしまったんですね。

でも、雨が降ってくれたら、
月曜日に順延なので、
そうしたら、1日でれるから、いいかな、
ととても身勝手に考えています。

でも、予報はかなり自信を持って「晴れ」みたいです。

昨日、お友達のことを話した後しばらくしてから、
サキが、ふと、「ねえ、天国ってどうやっていくの?」
と聞いてきました。

「イエスさまが迎えに来てくださるんだよ」
「見えるの?」
「そうだね、普通の人には見えないんだけど、天国に連れて行ってもらう人には見えると思うよ」

ひざの上に乗ってきた娘に話しながら、
子供たちがこのことをどのように受け取るのか、
それも、神さまが特別な時を与えてくださっているのかなあと思いました。

こわいことではなくて、
神さまのところにいくんだから、
大丈夫なんだよ、と伝わるといいのですが、
サキよりももっと仲の良かった子たちもいるので、
祈らされます。

おととい、土曜日の聖書。
土曜日はサムエル記第一の4章12-22節。

「栄光がイスラエルから去った」21節。

この聖書の箇所つらいですよね。
エリも、その嫁も神の箱が奪われたことに
大きな痛みを感じたままこの世を去りました。

でも、実際のところ、
それよりもずっと前から、イスラエルの人々の方が、
神さまを捨てていました。

エリの嫁はエリの息子である彼女の夫が、
他の女性、神殿で奉仕している女性と関係を持ったことに、
どんなに傷ついていたことでしょうか。


エリは自分のむすこたちが愚かなことをしていることに、
どれほど心を痛めていたのでしょうか。
もちろん彼は心を痛めるだけではなくて、
何とかして、彼らを悔い改めに導かなければいけなかったのですが・・・。

神の箱が奪われた、というのは、
結果でしかなく、
その前から、イスラエルは神に背いていました。

外側のことではなくて、
内側の問題として、
神さまに従っていく、
イエスさまの後に従っていく者でありますように。

神さま、
今日も痛みの中におられるお一人一人に、
あなたの慰めと守りを与えてください。

外側のことではなくて、
心の底から、
あなたに従う者でありますように。

2008-05-18

いのり。

先日から与えられている、

「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」

その言葉が与えられたのは、このためだったのだろうか。

内側から、そのような者に変えてくださいと祈らされたのは、
このためだったのだろうか。

今日、教会から帰ったら、
日本から、教会を挙げて祈っていた、
5歳の女の子が主の許に召された知らせが入っていました。

6歳のサキが泣きました。
わたしたちも泣きました。

どうして、今、主がそのお嬢さんを召されたのか、わかりません。

でも、今日、私は礼拝で、
天国がどんなに素晴らしいところなのか、
お話ししたところでした。

今、主の御許で安らいでおられることを、
思わされています。

ご一家に、何物にも換えられない主の慰めがありますようにと、祈ります。