2013-03-30

待ち遠しい・・・。

日本ではもうイースターの礼拝が終わっているんでしょうね。
でも、こちらはまだ土曜日。
イースターの朝が待ち遠しく感じます。

そして、今日も15度くらいまで上がりましたが、
夜にはやはり0度近くまで下がります。

来週前半はちょっと冷えるみたいですが、
再来週にかけて20度を超える日も出てきそうです。
一気に春が進みます。

ってなことで、最近は毎日、どうなったかなあと観察しているのが、
パックのヒラタケ菌床。



2週間前に小さなベビーだったのですが、
やはりこの冷え込みで、あまり大きくならず。
でも、2センチくらいにはなったでしょうか。

ホント、ボチボチです。
昼間の気温が20度くらいになると、ぐっと大きくなるんだと思うのですが・・・。
楽しみに待っています・・・。

さて、木曜日、28日の「日々のみことば」。
ヨシュア記の7章でした。

「立ちなさい。あなたはどうして、そのようにひれ伏しているのか。」10節。

エリコの町よりもずっと小さなアイの町。
エリコで大勝利を収めたイスラエルの人々にとって、
アイの攻略などpiece of cakeだったことでしょう。

でも、彼らは敗れました。

その時に、ヨシュアは神の前に「どうして・・・」とひれ伏して嘆くのです。

でも、ヨシュアがすべきことは、問題を明らかにして取り除くことだったのです。
だから、「立ちなさい」と神は言われたのです。

わたしたちも自分で問題がわかっていながら、
神に嘆いていることがどれだけあるだろうかと思います。

勇気をもって立ち上がること、させていただきたいと思いました。
まず、自分の中の戦いに勝利して、それから出て行かせていただきたいです。

主よ、
どうか、私の内なる戦いに勝利をさせてください。
平安の中に立ち上がっていくことができますように。

イエスの右と左に座る者。

今日は暖かくなりました。15度くらいまで上がったようです。
明日も暖かいようですね。
イースターの朝も朝日を見ることができそうです。

日曜日の夜は雨で、来週の前半は少し寒の戻りがあるようです。

今日はイエスが十字架にかかったGood Friday。
夜には我が家で、レント期間中毎週守って来た学び会の最終回。

今年は「十字架を巡る人々」というテーマで、
十字架に関係のある人々の姿を学んできました。

祭司長/ユダヤの長老たち
ローマから派遣されて来た総督ピラト
イエスを裏切ったユダ
通りかかって無理やり十字架を背負わされたシモン
イエスの弟子ペテロ
ベタニヤの村のマリヤ

そして、今日はイエスの弟子ヨハネでした。

ヨハネは弟子の1人として、イエスによるローマ帝国からの解放を期待していました。
ある日、彼は、兄弟ヤコブと一緒に「あなたが栄光をお受けになる時には、あなたの右と左に座らせてください」と抜け駆けのように、イエスに頼み込みます。

イエスには「それが父なる神が決めることだ」と言われるのですが、
問題はヨハネが「イエスが栄光を受ける」ということをそんなレベルでしか、受け取っていなかったことです。

イエスが「栄光を受ける」と言う時に、それは十字架の中に輝く栄光でした。

「人の子が栄光を受ける時がきた。よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」ヨハネ12:23-24。

ヨハネもやがてそのことに目が開かれていきます。

そして、次のように語ります。

「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。」ヨハネ第一の手紙3:16。

「わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。」同4:19-21。

今日は、この学びを進めがなら、ここに至って、ヨハネはまさに本当の意味でイエスの隣に座る者になったのではないだろうか?と思われました。

イエスが愛されたように、イエスが仕えられたように、わたしたちも仕えていく、愛していく、それを通してこそ、わたしたちはイエスの隣にいることができるのではないかと。

さて、今週末は引き離されないで追いつけるか・・・ですが、
水曜日27日の「日々のみことば」。

ヨシュア記の6章。
「あなたがたは呼ばわってはならない。あなたがたの声を聞えさせてはならない。また口から言葉を出してはならない。ただ、わたしが呼ばわれと命じる日に、あなたがたは呼ばわらなければならない」。10節。

ここは「黙っている」ということが大切だったんだろうと思う。
声を出したら、「どうして?」「何のために?」ということだっただろう。
神はただ従うことを求められた。

従うことが求められていた。

今、時代はそのようなことには「盲従」とか、「カルト的」とか言って、または「パワハラ」かもしれませんが、ダメ出ししてしまうんでしょうが、結局は「従う」ということを見失っているのだと思います。

私自身そう。

「とにかく従う」ということが苦手。

「納得したら従う」って、ホントは従っていないんでしょうね。

「従う」ということを経験することも大切だと思わされました。
主の最善を信頼して。今はわからなくても、信頼していたら従える、そう思います。

主よ、
従うことを教えてください。
従うことの祝福を経験させてください。

2013-03-28

仕えること。

今日も朝は0度くらいまで下がりましたが、
昼間は10度を少し超えました。
朝は晴れていたのですが、昼間はどんよりでしたね。
ちょっと雨も降りました。

明日もそんな感じかと思います。
土曜日は気温がもう少し上がりそうです。

今日は最後の晩餐の夜。
イエスが弟子たちの足を1つ1つ洗われた夜です。
そして、弟子たちに言われました。

「あなたがたも互いに足を洗い合いなさい」と。

もちろん、文字通り足を洗いあう方々もおられるわけですが、
大切なのは文字通り足を洗うことよりも、「仕える」ことだと思います。

当時のイエスと弟子たちと、わたしたちとでは文化も気候も違います。

当時、その地方ではいつも奴隷/下僕が足を洗っていました。
当時、その地方では埃っぽい道をサンダルをはいて歩いていました。

今、わたしたちは靴を履いて歩いています。
特別なことがない限り、足は自分で洗います。

だから、イエスが弟子たちの足を洗うことと、わたしたちが年に1回儀式のようにして足を洗うこととは全然意味が違います。もちろん、誰かの足下にひざまずく、ということだけでも意味があるとは思いますが・・・。

では、イエスが弟子たちの足を洗ったのを、現代のわたしたちに当てはめるとどういうことをすることなんだろう?と思っていました。

そして、もっと日常が問われるのかな、とも思いました。

自分に当てはめると、家庭の中では家事一般とか、
教会の中では、もっと人の言葉に耳を傾けることとか、もっと声をかけることとか。

陰の奉仕がちっとも苦にならない、自分にとっては、もっともっと直接人に仕えていくことなのかなと思います。

もっと仕えることを学ばせていただきたいです。

さて、火曜日、3/26の「日々のみことば」。
火曜日はヨシュア記の4章。

「いや、わたしは主の軍勢の将として今きたのだ」14節。

ヨシュアはここでエリコ攻撃の準備をしています。
それは神の前に備えることだったと思います。
人々は割礼を受け、過越の祭を祝います。

しかし、何よりも大切な備えは、
神の前に主導権を差し出すこと。

ここで、主の軍勢の将がやって来た時に、
ヨシュアは「我らの味方か?向こうの味方か?」と問いますが、
彼は「いや、わたしは主の軍勢の将として今きたのだ」と答えます。

自分勝手なわたしたちは、「じゃあ、味方なんだな」と思うのですが、
そんなこと一言も言っていないわけです。

この「いや」をある英語の訳では「neither」と訳しています。
「こっちの味方?」NO!
「あっちの味方?」NO!

神様のみこころをなすために来たのです。

わたしたちもこの視点が大切です。
自分の思う通りにならないかもしれない。
でも、主のみこころがなされる時に、それを喜んで受け取る。

それが必要です。

主よ、
あなたを主とします。
あなたのなさることを喜ぶ者とならせてください。
そして、人に仕えることを教えてください。

2013-03-27

来た来た来た!

はい、いよいよ春ですよ〜。
って、まだまだ薄着はできないですけどね、
肩をすぼめて歩かなくても大丈夫になりました。

そして、今年も咲きました。

でも、今年はあまりにも春が来るのが遅かったので、飢えたウサギかリスか、鹿かわかりませんが、つぼみが食われまくって、2つと上半分を食いちぎられた下半分1つしか咲いていません。クロッカス。


でも、ホントこれが咲くと、「お、春かな」となります。

これから一気にいろんな花が咲きそうです。

さて、月曜日25日の「日々のみことば」。
月曜日はヨシュア記の4章でした。

「これはあなたがたのうちに、しるしとなるであろう。」6節。

過去のことは過去のこと。
でも、過去に神様がされたことは、今もなさることができる、と信じて歩むことができる。
それは踏み出した時に水がひいたということ。
そのことをなさった神様を子孫にまで伝えていきなさい、と神はイスラエルの民に伝えた。ちょうど、今、ユダヤ人の方々はPassoverを過ごしている。
神様が先祖になさったことを今も、子孫に伝えようとしている。

わたしたちはどうだろうか?
神様がわたしたちの人生にしてくださったこと、わたしたちの歩みの中にしてくださったことを次の世代の人々に伝えようとしているだろうか?

まず、聞くことだ。
先輩たちに聞くこと。
神様がどんなことをしてくださったのか。
そして、わたしたちの経験も合わせて次の世代に伝えていくこと。
今、時代はちょっと前のものは「もう古い」と言うかのような勢いで新しいものを求めている。
でも、もっともっと、歴史の中で、神様がどんなことをしてくださったのか、わたしたちの先輩の世代に、わたしたちの世代にどんなことをしてくださったのか、ちゃんと学んで伝えていきたい、そんなことを思わされた。

神様、
あなたがわたしたちの歴史の中にどんなことをしてくださったのか、
それをしっかり学んで、自分たちの世代にどんなことをしてくださったのか、しっかり消化して、次の世代に伝えていくことができますように。どうか、知恵と実行力を与えてください。

2013-03-26

はい、もう冬は終わりました。

昨日雪が降らなかった段階で、
もう冬のような気持ちにはならなくていいと思いました。

寒い日もあるかもしれません。
冷えこんで-3度とかになる日もあるかもしれません。
薄着で外に出られる日はまだ先でしょう。
でも、日も高くなって来て、昼間の時間も長くなって来て、
冬のような気持ちになることはもうないと思います。

どんどん春らしい場面が出てくると思います。

今は夜の11時半で1.7度。
早速明日の朝は氷点下だと思いますが、
日中は10度くらいまで上がりそうです。

土曜日はJOY JOYイースターでした。
寒い日でしたが、たくさんのみんなが集まってくれました。

教会のHPのアルバムから1枚。


ホントに寒かったんですが、
子供たちはやっぱり外でエッグハントをするのが大好き。
大人は「寒い寒い」と凍えていましたが、
子供たちは元気いっぱいでした。

イエスさまが復活されたことをお祝いするのがイースター。
今年は今度の日曜日、31日です。

教会では、心からイエスの復活をお祝いします。
お近くの方、ぜひお出かけ下さい。

さて、まだなかなか追いつけませんが、
日曜日(24日)の「日々のみことば」。
日曜日はヨシュア記の3章。

「箱をかく者がヨルダンにきて、箱をかく祭司たちの足が水ぎわにひたると同時に、-ヨルダンは刈入れの間中、岸一面にあふれるのであるが、- 上から流れくだる水はとどまって、はるか遠くのザレタンのかたわらにある町アダムのあたりで、うず高く立ち、アラバの海すなわち塩の海の方に流れくだる水は全くせきとめられた」15−16節。

紅海を渡るとき、紅海はモーセが杖を差し伸べると二つに分かれて、
その間を民は進んでいくことができました。

でも、ヨルダン川を渡る時には、
祭司たちはまだ水が流れていた川に踏み出す必要がありました。
川に足を踏み入れるまで、水は止まりませんでした。

わたしたちが歩んでいく時にも、
神様はしばしば、道を大きく開いて、「さあ行きなさい」と導かれます。
しかし、ある時には、まだ道は開かれていないのに、
「さあ行きなさい」と言われます。
そんなときは、まず、足を踏み出した時に、一歩踏み出した時に、
神様が道を開かれるのです。

信仰ですね。
信頼です。

道が開かれるのを待っていないで、
とにかく主が導かれるところへ一歩踏み出す。
その時に開かれていく世界。
それを知っている人は幸いです。

主よ、
一歩踏み出す時に、あなたが開かれる世界があります。
ずっと待っていたら、知ることのできないこと。
どうか、これからの歩みの中で、そのことをもっと経験させてください。

2013-03-25

降らなかったですね。

今日は午前中は雪も雨もほとんど降らず、
午後遅くなってから雨が降ってきました。

今も小雨が降っているようですが、全然大したことなく終わりそうです。

そして、この後はちょっと天気がよくて、
日に日に暖かくなりそうです。
来週までは、寒い日もあったりしそうですが、
4月2週目からは本格的な春になりそう!
やっと出口が見えてきました!

毎年、2月初めのグランドホッグデーにはペンシルバニア州のPunxsutawneyという私にはとっても読めない名前の村のフィル君というグランドホッグが春が2週間後に来るか6週間後に来るか、予言をするんですが、今年は春はすぐに来ると予言したグランドホッグのフィル君がオハイオ州の検事に起訴されてしまいました。先週の出来事。うーん、アメリカ!だね。

でも、今日になって、グランドホッグ語を英語に通訳したグランドホッグクラブの会長が、間違えたという証言が飛び出し、この起訴は取り下げられることになりそうです。

さて、遅れていますが、先週土曜日、23日の「日々のみことば」。
土曜日はヨシュア記の2章でした。

「あなたがたの神、主は上の天にも、下の地にも、神でいらせられるからです。」11節。

これは、エリコの町のラハブの言葉です。
元々神を信じていなかったというか、偶像礼拝をしていたエリコの町のラハブですが、彼女は家らエルの人々が信じている神が、彼らを荒野の旅の中で守って来られたこと、またヨルダン川がせき止められて渡ることができたこと、その中に、天も地もすべてを支配しておられる神を見たのです。

ならば、神を信じる者が、本気でそのように生きなければ・・・と思わされました。
信じているならば信じている者らしく、それにふさわしく生きなければ、と思いました。

言葉だけではなく、生活自体すべてで、神を神として、神の全能を信頼して、歩んでいこうと思います。

主よ、
あなたが天でも地でも神であられることを信じます。
信頼します。
信じているのならば信じている者らしい生き方をすることができますように。

2013-03-24

春の雪。

NJに住んでいると3月下旬に雪が降ろうと、何もびっくりすることはない。
4月に降ることだって別に珍しことではない。
ホワイトイースターだってある。
自分は5月の雪ってのは経験ないけど、昔からの方で「5月に降ったことがある」と言っていた方もおられた。

ま、5月はさすがにびっくり、ですが、
明日3月25日の雪はあり得るでしょう・・・

自分が大学生くらいの時、
東京でもそんなことあったし・・・と思って調べてみたら、
1986年の3月23日。ちなみに昭和61年。(昭和は西暦との換算が楽だった・・・)
日曜日でしたね。
自分は大学を卒業して聖書学院に入る直前。

教会は東京地区の合同礼拝で青山学院大学の講堂で礼拝を守っていて、
自分は深川の教会でお留守番。
深川は昼まで雨だったのですが、
テレビをつけたら原宿からの中継が雪。

深川に住んで国立(くにたち)の大学に行っていましたから、そりゃあ、ウチで雨でも三鷹あたりで雪に変わることはしょっちゅう経験していましたが、このときは原宿と深川で雨と雪がわかれるのにはさすがにびっくりしましたね。

そんなことしているうちに深川の雨も大きなぼたん雪に変わり、みるみる雪化粧。

この時、多摩地区では本当に大雪になって西武新宿線は追突事故起こしましたよね。

もう27年前(!)のことですが・・・。

ですから、明日の雪も油断はできません・・・。

さて、金曜日の「日々のみことば」。
金曜日はヨシュア記に飛んで第1章。

「わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」9節。

これはもう励まされる言葉ですね。
いままでずっとリーダーとして民を導いて来たモーセが死んで、
新しいリーダーとして立てられたヨシュア。
神はヨシュアに「私はモーセと共にいたように、あなたとも共にいる」と語られたのです。

だから勇気を出して、強く、雄々しくあれと。

同じ主が、私たちと共にいてくださることに感謝。

神様、
あなたが共にいてくださることに感謝します。
あなたの励ましに感謝します。勇気をもって歩んでいきます。

うーん、まだまだがまん。

今日は、昼頃に教会に行く時には本当にいい天気。
ああ春なのかなあ・・・と思っていましたが、
また、夕方に帰る時にはどんより、冬の空に戻っていました。

そして、明日は雪の予報。
雪は降るんですが、それほどひどくはならなそうな感じです。
多くても10センチ・・・十分多いか。
でも、もしかしたら、ホントほとんど積もらないかもしれません。

そして、その後も、先週ほどではないですが、寒い日が続きそうです。
ああ、早く春にならないかなあ。
去年は3月中に25度くらいまで上がる日もあったのに・・・。
まだまだがまんのようです。

先週の木曜日はJOY JOYキッズクラブ。
今月はバードフィーダーを作りました。



なんだかよくわからない写真ですが、
松ぼっくりやプリッツェルにバードフィーダーとショートニングを混ぜたものを詰め込んだもの。

我が家の庭では、リスが喜んで食べていました・・・。

みんなのうちではどうだったかなあ。

さて、先週木曜日の「日々のみことば」
民数記の21章でした。

「すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう」8節。

何度も何度もつぶやく民たち。
本当に愚かだなあ、と客観的に見たら思いますが、
自分がそこにいたら、どうだっただろうか、ということも思わされます。

その罪を犯した民が蛇にかまれた時に、彼らを救うために青銅の蛇が上げられました。
そして、その蛇を仰いだ者たちが救われたのです。

そんなこと?と思われるかもしれません。
当時の人々も思ったかもしれません。

でも、それが神様の方法でした。
その青銅の蛇と同じように、イエスはご自身が十字架にかけられることを予言して言いました。

「そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。 それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである。」ヨハネ3:14-15

わたしたちも理屈は置いておいて、ん?もうちょっといい言い方がないかな、とにかくイエスが罪を負って下さったがゆえに、信じる者は救われる、と聖書は語っているのだから、理屈的にはよくわからなかったとしても、とにかく、イエスの十字架を仰ぐときに、永遠の命が与えられるのだというのだから、そうすればいい。ただ、仰ぐだけでいい。

本当に単純にイエスの言葉を信じて、信頼して歩んでいこう。

主よ、
あなたが十字架にかかってくださって、
わたしたち罪を負って下さってありがとうございます。
どうか、あなたの恵みを単純に信頼して歩む者とならせてください。

またかい?

はい、先週後半も、また数日更新できてません。
 
はい、この週末も、またタイムマネージメントが今ひとつ上手にできず、遅くまで教会で仕事中です。「しなければいけないこと」と「したいこと」との狭間で、いろいろ考えさせられます。

実は金曜日、教会の集まりのあと、テーブルをちょっと無理に動かそうと思って、壊してしまいました。(いえ、ガタが来ていたのは確かなんですが・・・。)土曜日の朝、それを会堂を貸してくださっている教会の方にお話ししたら、「誰か直すから大丈夫だよ」と言っておられたので、ホッとしたのですが、夜9時頃になって、教会に礼拝の準備のために来たら、そのテーブルが壊れたまま、日曜日を迎えるのが気になって仕方がなくなってしまい、ついつい、直してしまいました。「自分は今夜は明日の礼拝の準備することがプライオリティ」とわかっているのですが、気になってしまってとてもとても、準備どころではなかったので・・・ってな調子です。

はい、日曜日の礼拝がまた、楽しみです。
今週も、御言葉が一人一人の心にとどまりますように。
ひとりでも、心の目が開かれて、神様の愛がより深くわかる経験が与えられますように。
主が触れてくださいますように。

はい、次の月曜日も、また雪です。
どうなることやら。
ひょっとしたら、ヤバい雪になるかもです。