2006-11-27

何とかして幾人かを

今日はほんとうに暖かくなりました。
18度くらいまで上がりました。
明日は、東風が入ってくるので、
今日ほどは行かないようですが、
それでも、15度くらいまで上がるでしょう。

今日は先週亡くなられた方の葬儀に参列してきました。
ご高齢だったのですが、Heart Attackで急に亡くなられたとのこと。
印象に残ったのはお嬢さんがお父さんの思い出を語られたところ。
お父様はunconditional loveを与えてくれた。
だから、私は天のお父様のunconditional loveを素直に受け入れることが出来た。
と仰っていました。
英語の方で、私たちの教会には年に1度か2度来られる程度でしたので、
その信仰を余り深く知ることはできませんでしたが、
思い出を語られる皆さんの言葉の中に、
故人の人柄と信仰を感じさせられました。

最近、いろんなことから、人の生き死にについて、考えさせられ、
また当然、自分の問題としても考えさせられています。

ほんとうにいろんなことを考えているんですが、
やっぱり自分の今の願いは、次の世代を担っていく子ども達に、
出来るだけたくさんの子ども達に、聖書のメッセージを伝えたい、
そう思っています。
そのために出来ることを一日一日していくこと、それを考えています。

そして、しょうもない話に聞こえるかもしれないのですが、
もしも、今、自分が神様に召されて、この世を去るとしたら、
自分が主人公である「葬儀」という場では、
私のことを知っている子ども達はもちろん、
初めての子達も、たくさん来てもらって、
思いっきり子ども達のためのプログラムを取り入れて欲しいのです。
簡素にとは思います。棺桶とかは一番安いヤツがいいです。
でも、プログラムは思いっきり楽しく派手にして欲しいです。
これは、その場では自分で指示を出せないので、
今のうちにみんなに言っておかなければいけないと思っているんですが、
子供のためのメッセージを葬儀ではして欲しい、
そして、思いっきり、この世で神様の愛を感じながら生きることのすばらしさを、
そして、天国の希望を語って欲しい、と思います。
故人は天国でイエスにお会いして喜んでいるのだということをはっきりと伝えて欲しいです。
子ども達にもわかる歌をたくさん入れて、
踊りも入れてくださったらいいと思います。

自分が主人公の集まりはそんなにないから、
そんなわがままを是非許してください。
自己顕示欲強すぎ?
でも自分のためじゃなくて、神様のためだから、許してやってください。

これ読んだ方、覚えててくださいね。
もしかしたら、今日明日かもしれないけど、
もしかしたら、何十年も後になってからかもしれないし、
実際自分が死に直面したら、こんなことも言っていられないかもしれないので、
覚えててください。

さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙9章を読みました。

「それは、何とかして、幾人かでも救うためです。」(22節)

よく知っている言葉ですが、
今日また大きなインパクトで私の心に響いてきました。
何とかして幾人かを救うために、いろんなことをしてきたパウロ。
力を尽くしてきたパウロ。
自分もその様に歩みたいと思いました。
これからも人が救いに導かれることを祈り求めていきたいと思いました。
もっともっとそのために出来ることをしていきたいと思いました。

そのための方法をもっともっと真剣にいろいろ考えていきたいと思います。
そのことで頭がいっぱい、みたいな日々を送りしたいと思います。

主よ、
あなたの愛を知ることができた幸いを感謝します。
どうか、あなたの愛を伝える方法をもっともっと教えてください。
もっともっとどのようにしたらいいか、考える力を与えて下さい。
知恵を与えて下さい。
そして、ひとりでも多くの方にあなたの愛を伝えることが出来ますように。
私自身をあなたの愛で満たして下さい。


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