2011-07-28

明日からカナダへ。

明日から、トロント郊外での
「北東日系クリスチャン修養会」の講師として
ご奉仕してきます。
修養会自体は明後日土曜日から、1日の月曜日まで。


Twitter上で大騒ぎをしていましたが、
昨日まで、「パスポートがいる」ということをすっかり忘れておりました。
もちろん、期限切れ、等ではないのですが、
危なく、ウチに置いて行くところでした。

そんなことでやっていますが、

どんな修養会なのか、
去年の報告がこちらにありました。
1ページ目の右側です。

http://www.jgct.com/newsletters/CJMReporterFall2010J.pdf

今回は25回目だそうです。
記念すべき25回目、ということも恐れ多いですが、
集う一人一人が神様によって語っていただけるようにと願います。

お祈りください。

では、寝不足で行くのは申し訳ないので、
ちゃんと早めに休みます。

ではでは〜。

2011-07-26

あと2年あるけど・・・。

暑ーい日が続きましたが、
日曜日あたりからマシになって、
昨日は雨も降って、楽になりました。
今日は33度くらいまで上がりましたが、
一度40度を経験しているので、
「ま、普通はこうだよね・・・」位の感覚です。


夜になって雷雨があり、気温ももう22度くらいまで下がってきています。


湿度があるので、ちょっと蒸し暑い感じもしますが・・・。


明日はスッキリ晴れそうです。


さて、おとといは、元ヤクザで今は牧師をしている井上先生ご夫妻をお迎えしてとても幸いな時を持ちました。特に、礼拝のあと、夜、BBQをしながら、時間と体力のある皆さん、うちに来ていただいて、楽しく話をしていたのですが、この時間に先生の人柄とイエスさまのことばかり考えておられる姿にみんな励まされていました。


私はというと・・・もちろん、野菜や肉を焼いていたりしたわけですが、
あと、夜、暗くなった頃に、こどもたちがセミの幼虫を発見。




で、観察してしまいました・・・。




背中がぱくっと割れて・・・




見る見る割れ目が大きくなって、




パコッと出てきました。



そして、全身出てきたかと思うと、



だんだん羽が伸びてきました。



あ、でも観察はここで終わり。
そのうちにちゃんと羽が伸びて、
飛んで行ってしまったみたいですよ。


セミの羽化・・・久しぶりに見ました。
そう、久しぶり。


実は今から15年前。1996年6月。
それはそれはたくさんたくさんセミが発生。
夕方になると、幼虫が列をなして羽化する場所を探しに行きます。
踏みつけないように歩くのが大変なくらい。


そして、あちらこちらで羽化を始めます。
中には適当な木が見つからないで、芝生の中や、歩道の上で羽化を始めるヤツもあらわれます。


ですから、最初は「すげえ」と感動していたセミの羽化も、
もう、あっちでもこっちでもですから、珍しくも何ともないわけです。


そして、数日のうちに、木の根元には積もるくらいのセミの抜け殻。


これは何でかわかりませんが、
日本にはない現象ですね。


その名も17年ゼミ。17年に1回大発生します。
つまり、17年間幼虫で地下で過ごし、
地上にあらわれてきます。
ですから、大発生は2年後です。
乞うご期待。


あ、それはウチの近所の場合です。
場所によって大発生の年は変わります。


こちらには年によってどこの地域で大発生するか、地図を見ることができます。
ちなみに今年は17年ゼミではなく、13年ゼミだそうです。南部が中心。
来年はバージニア州の山の中、
再来年が、ここら辺からずっと東海岸NCくらいまでです。


さて、最近の聖書から。
ここのところ、列王記第二を続けて読んでいます。
日曜日に読んだ12章からの言葉。


「ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間はいつも、主の目にかなうことを行なった。」2節。

ヨアシュがエホヤダがいなくなったら、もう主に従わなくなったその信仰の中途半端さを非難するのか、それとも、私たちにとって、このヨアシュにとってのエホヤダのように、信仰を支えてくれる人の存在の大切さを覚えるのか・・・。

私は特に後者の方、信仰を支えてくれる人の存在の大切さを思わされています。

もちろん、自分も誰かにとってそのような存在になりたいと思います。

でも、それとともに、自分にもそのような存在がどれほど必要か思わされます。

昨日の牧師会にはハワイに長くおられた黒田先生ご夫妻がおいで下さり、若い(?)私たちに大切なアドバイスをたくさんくださいました。

先生のブログはこちら。

本当に明るく楽しい先生方でした。
そして、先生方のお話を伺いながら、
本当に私も楽しく伝道したいと思わされました。

最近、自分にちょっと欠けてしまっているものを、
先生のうちに感じました。

先生は昨日の牧師会を「励まし会」と書いておられますが、本当に励まされました!

そのように励まし手が自分にとってどれほど大切かと思います。

主よ、
あなたが私に励まし手を与えてくださっていることに感謝します。
信仰の目をしっかり主に向けて行くために、必要な助けを与えてくださっていることに感謝します。
これからも、助けてください。必要な支え手を与えてください。
私も誰かにとって、励ましとなる者となれますように。