2006-12-09

キリストの僕

今朝は-5度まで冷えましたが、
風も収まり、
昨日の朝の寒さを経験したら、
今日のは「楽勝」でした。

昼間は4度くらいまで上がりました。
明日はもっと暖かくなって10度くらいまで行くようです。

今年の冬は暖冬傾向は確かなようで、
少なくとも、この先2週間は暖かい日が続くようです。
スキー関係の方には申し訳ありませんが、
感謝感謝です。

今朝の祈り会は、
始まってからの最高の5名。
来週はもっともっと広がってくれるように、
ガンガン声をかけていこうと思います。
今週、木曜日から3日連続で来られた方が、
今日の夕方から1週間の出張に出られたので、
ホント、その分、多くの新しい参加者が起されるように祈っています。

で、今日も、聖書の御言葉。
今日はコリント人への第2の手紙の6章を読みました。

「 私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。」3-4節

この言葉を読んだ時に、
自分がどれだけの人々をつまずかせてきたか、
いろいろ思いめぐらされました。
ものすごい悔恨の思いを持ちながら、思い出します。
振り返ります。
イエスさまはすばらしいのに、
神様はすばらしいのに、
自分はその邪魔をどれだけしてきたことか。
そのすばらしさが伝わらないように妨げになったことがどれだけあったことかと。

そのことを思う時に、
「神のしもべ」という言葉が心に語られました。
神の僕として招かれている。
自分の願望や、自己実現や、そんなことを考えていたとは思わないのですが、
でも、いつの間にか、そのようなものが忍び込んできて、
神様の僕に徹し切れていないのでは・・・と思わされました。
「私のしもべになってくれるか?」と語られたように思いました。

徹底的に神の僕になりたいと思いました。
今日は土曜日の夜、
他のことには使わない、
時を聖別して、
神様のことだけ、
翌日の礼拝のことだけを思って、
祈って過ごす習慣を持とうと思っています。
備えて過ごす習慣を持とうと思っています。

主よ、
あなたのしもべとならせてください。
あなたの招きを感謝します。
自分がどう思われるか、
自分が何が出来るか、
自分の夢はどうなるのか、
そんなことではなくて、
あなたのすばらしさが人々に伝わる、
人々があなたを知って感動していく、
その様な場面に、私を出会わせてください。
あなたのしもべとならせてください。
徹底的にあなたのしもべとならせてください。
そのために必要な訓練、試練を、与えて下さい。

2006-12-08

キリストの愛に取り囲まれて

今朝は寒かったですねえ。
最低気温が-8.5度Cで、その上、風がありましたから・・・
ホント寒かったです。
昼間の最高気温も0度なんかに全然ならない-2.0度C止まり。
この冬初めての「真冬日」でした。

今も、夜の9時頃で-3.8度C。
明日の朝も、今朝並に冷えそうです。

明日の昼間から、寒さもゆるんで来るみたいです。

日本ほどじゃないとは思いますが、
アメリカでも、「今年はこれが流行り!」というのがあります。

今年のクリスマス、話題になっているのが、
「TMXエルモ」だそうです。
どれどれ・・・と捜しても、在庫はありません。
でも、はっきり言って、これはすごい。
こちらにデモビデオがありますから見て下さい。

ウチにもTickle me Elmoはありますが、
10年前に発売されたものらしいです。
ただ、笑いながら、からだを震わすだけです。
その単純さからすると、ものすごい進化です。

10年前も定価30ドルのものが、最高1500ドルで取引されたみたいですが、
今回も定価40ドルのものですが、2倍以上の値段で取引されています。

で、何でここで書こうかと思ったかというと、
「企業努力」にプチ感動したからです。
10年前と同じことをやっていてはいけない、
10年前を知っている人がびっくりするようなことを企業はやっているんだ、
教会はどうだろうかと。

別に奇をてらう必要もないですし、
古いものが悪いとは思いません。

でも、それくらいの情熱をもって、
人々に神様のことを伝えていこうという意気込みが必要だなあ、
と思いました。

で、今日も聖書を熱く!
今日読んだのはコリント人への第2の手紙の5章。
よく読むところです。

その中で今日心に届いたのが、
「キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。」
という14節の言葉です。

キリストの愛が私たちを取り囲んでいる。
最近、思わされています。
ちょうど星が昼間もそこにあるのに、
夜にならないと見えないように、
神様も、私たちが苦難や痛みの中を歩かないと、
なかなか、そこにおられるのに気がつかない。
でもまた、そういう時はなかなか目を上に上げて、星を見ようと思わない、
自分の問題、痛みばかりに目がいってしまう。

星は、私たちが見えていようと見えていまいと、
目を上げていようと、下をうつむいていようと、
いつでもそこで輝いている、いや、ものすごい高温で燃え続けているのに・・・。

神様も、私たちが気がつこうが気がつくまいが、
そこに確かにおられる。
そして、神様の方に目を向けていようが、向けていまいが、
そこにおられる。
いつもいつも熱い思いで私たちに語りかけ、私たちを愛し続けて下さっている。

私たちが気がつこうが気がつきまいが、
確かに私たちをキリストの愛が取り囲んでいる。

それに、気がつけたことに、心から感謝。

主よ、
どうか誰よりも熱い思いで、あなたのことを伝える者としてください。
一つのおもちゃの開発に情熱を傾ける人々に負けない情熱を私に与えて下さい。
私が気がついている時も、気がついていない時も、
あなたの愛が私を取り囲んでいることに感謝します。
いつもいつも、その愛を感じて歩んでいくことが出来ますように。

2006-12-07

イエスのいのち

いやあ、寒くなってきました。
今朝は5度もありましたし、
昼間は13度まで上がったのですが、
今、夜の11時ですが、-3.4度まで下がっています。
明日の朝には何度まで下がるのでしょうか?
夕方の6時頃には5度もありましたからこの5時間で8度も下がったことになります。
明日の朝まであと8時間。
-7度くらいまでは行くでしょう。

で、明日の昼間も0度くらいまで止まりで、
また明日の夜も冷え込みます。

お風邪などお召しになりませんように。

昨日の朝の祈り会の1人にうってかわって、
今朝は4人。
1人もいいし、
2人もまたいいのですが、
どんどん輪が広がっていって欲しいと思います。

今日のJOYJOYキッズクラブは20人くらいの子ども達が集まりました。
部屋の大きさからするとちょうどいいですが、
先月が多かったから、ちょっと寂しかったかな。
でも、楽しい一時でした。
スタッフのゆとりがあって、子ども達やお母さん達とも個人的にお話が出来て、
よかったです。

今度の日曜日はJOYJOYクリスマス。
こちらはたくさんの子ども達に集まって欲しいです。

楽しみ楽しみ。

で、今日の聖書。
今日はコリント人への第2の手紙4章を読みました。

今日も一つの言葉に絞るのは難しいのですが、
「私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。」11節の言葉。

そして、
「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」16節の言葉。

そして、
「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」18節の言葉。

自分のいのち、自分の力ではなくて、
イエスのいのちが自分の体の中に宿る。
自分の力、自分のがんばり、自分の能力、それらすべても神様が与えてくださったものでもあるのですが、それが通用すると思うと、神様を頼らない自分がいます。
祈らなくても大丈夫、
神様の力をもらわなくても大丈夫、
最後の最後にはお願いしますけどね、でも、大体のことは自分で出来ます・・・。
そんな歩みをしているように思います。

だから、それらが取り去られて、初めて、
「ああ、自分には神様の力が必要なんだ、神様の命が必要なんだ」と思うんですよね。
だから、自分の力ではどうしようもない、という時にこそ、
神様の恵みを頂くチャンス。深い深い恵みを知るチャンス。
神様の真実を知るチャンスなのです。

イエスの命が私のうちにあふれている、
その様に心から告白することが出来るまでに、
神様と共に歩んでいきたいと思いました。

主よ、
あなたのいのちを私のうちに満たして下さい。
どうか、あなたのいのちを満たして下さい。
私の力ではなく、
あなたの憐れみによって生かされていることを、
心の底から、そう感じることが出来るように。

2006-12-06

聖霊の働き

今朝は-6度まで下がりました。
もちろん、ダントツで、この冬最低。
でも、昼間は昨日とうってかわって、暖かくなりました。
最高は10.7度。2日間の寒さを考えると、とても楽でした。

そして、今夜は冷え込まないのですが、
明日の夜、明後日の夜と記録更新と行きそうですが、
またその後は、「今年の冬は楽だねえ・・・」という天気が続きそうです。

そう、今年の冬はきっと楽でしょう。

さて、
この間の日曜日からアドベントですね。
教会に来られた方にはお渡ししたのですが、
教会では、アドベントの期間中、
一緒に聖書を読んで、祈りながら過ごします。

そのテキストをアップロードしました。
こちらです。
是非ご覧下さい。
あ、右の方にもリンクを貼っておきますね。

それで、日曜日を除く毎朝6時半から祈り会を持っているのですが、
今朝は皆さんの都合が合わずに、ひとりで祈りました。

でも、それは神様が与えて下さった特別な時だと思いました。
今日の聖書箇所と関係があるので、それを交えながら・・・。

今日の聖書はコリント人への第2の手紙3章でした。
ずーっとびんびん来ていたのですが、
特に、
「主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(17-18節)の言葉が心に留りました。言葉が心に留ったと言うよりも、「聖霊の働きがどれくらい大切か」を語られたように感じました。

最近、自分の心が"how to"の方に向きすぎていたのだと思います。

どのように人々に自分の考えを伝えていったらいいか、
どのように人々の声に耳を傾けていったらいいか、
どのようにしたら、人々は教会に来るようになるか、
どうしたら教会の人々はやる気になって、喜んで主に仕えるようになるか、
どうしたら、ひとりひとりが主に用いられる器として整えられるか、

そんなことを考えながら来たように思います。

でも、本気で聖霊様の働きを期待して、祈ってきただろうかと思わされたのです。

そして、それが今、他の誰にでもなく、自分に必要なことを感じさせられたのです。
聖霊様の働きを祈りました。
いえ、もっと正確に言うと、
聖霊様の働きを感じながら、祈りに導かれました。
「この幸せな時を大切にしたい」と思いながら祈りました。
祈りの時がsweetなものだと、よく恩師は言われていましたが、
そのことをほんとうに感じました。

そして、今日は教会のオフィスにある教会のメンバーのボックス一つ一つに手を置いて祈りました。

ひとりひとりの具体的な必要を覚えて、
知っている限りのひとりひとりの抱えておられる問題をも覚えて、
お祈りしました。

やはり、自分はこのために生かされている。
教会の中心はやはりこれなのだと思わされました。

主よ、
あなたが共にいて下さることに感謝します。
私を祈りに招いて下さったことに感謝します。
忙しさの中で、あなたを見失うことがないように。
いつもいつもあなたと共に時間を過ごす喜びを経験し続けさせて下さい。
そして、それが教会の中にあふれますように。
その様な祈りの空気が教会の中に満ちますように。


明日の集会、そして、JOYJOYキッズクラブを祝福して下さい。

2006-12-05

キリストのかおり

今朝は-3.3度まで下がりました。
昼間も3度くらいまでしか上がらず、
午後6時にはもう氷点下です。
10時半には-3.1度です。
明日の朝は今朝の記録をあっさり更新か!

明日、あさっては日中はちょっと暖かくなるみたいです。
そして、金曜日はめちゃ寒くなるようです。
昼間でも氷点下みたいです。
そして小雪も舞うかも。

明日、ミツワの20%OFFですね。
NJではありませんが、他のところにあるミツワでの20%OFF必勝法が紹介されています。
まあ、みなさんもう、その様にされている方も多いとは思いますが。
今回はなぜか平日ですから、また難しいですよね。

今日の聖書はコリント人への第2の手紙の2章でした。
その中で心に留ったのは
「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。」という15節の言葉です。

「キリストのかおり」を放つ、というと、
私などは、清楚な、慎ましい、その様な姿を想像してしまうのですが、
最近思わされるのは、
「キリストのかおり」はキリストがそうであられたように、

痛みを覚えている方、
傷ついている方、
苦しんでいる方を惹きつけてやまない
「かおり」なのではないだろうかということです。

調子のよい時はいい、
でも、ほんとうにつらい時、
落ち込んだ時、
苦しんでいる時に、
行けなくなってしまう教会だったら、
それは「キリストのかおり」を放っている
ということは出来るだろうか?

「キリストのからだ」だということができるだろうか?

イエスさまのようになりたいと思います。
イエスさまのように、
その様な人々と共に歩む者となりたいと思います。
イエスさまのように、その様な方々が、
「こんな時だから教会に行かないではいられない」
と思えるような、思わないではいられないような、
そんなかおりを放つ者となりたいと思います。

主よ、
どうかあなたのかおりを放つ者としてください。
あなたが持っておられた雰囲気、空気を、
私にも与えて下さい。
あなたにもっともっと近くならせてください。
そのために必要なもの、
必要な経験、
あなたが私に与えて下さい。

2006-12-04

主を頼る

今朝の雪は1でした。
朝、6時過ぎに家を出る時には晴れていたので、
ああ、0かな。と思いましたが、
9時頃、ちらほらと降っていました。
ですから「かきごおりスケール」で今朝は1でした。

それで、今日はその後も気温が上がらず、昼間でも3度くらいまでしか行きませんでした。
そして、夜の10時現在、-2.1度C。あっさりこの冬最低を更新です。
たぶん-4度くらいは行くでしょう。

それから、「のりたま」の件ですが、
まず、
「のり」と「たまご」は入っていないとウソになるので、
さすがに入っているようです。
あと、「塩」も入っているのは想像できますよね。

さて、あとふりかけですから「ごま」が入っているのもまあ順当、と言うところで、

「砂糖」も入っていますね。
でも、「はちみつ」は入っていません。
「はちみつ」が入っているのは、「ヒデキ、カンゲキ!」の○ーモントカレーでしょう。

あ、話はそれますが、
○ウスの「印度カレー」好きだったんですが、
今も、売っているようですが、
あんまり見ません。
こっちのミツワでも、日本のヨーカドーでも見ませんねえ。
どうしてなんでしょうか?

話を戻しますが、
あと、「のりたま」には「鶏肉」も入っているんですねえ。
「親子ふりかけ」ですねえ。

ここまでで6コ。あと4つです。

あんこ、カカオ、抹茶、イースト
片栗粉、昆布、バナナ、アロエ、粉ミルク

の中から4つ。
さすがに「バナナ」は入っていません。
「アロエ」も入っていないんです。
「カカオ」も入っていませんねえ、おかしじゃないんだから・・・。

さて、

あんこ、抹茶、イースト
片栗粉、昆布、粉ミルク

この中で入っていないのが2つ。
入っているのが4つ。

「えー」ですよね。

かきごおり的に入っていそうなモノは、
昆布と抹茶かな。
あとはねえ・・・って感じですが、

正解は

「あんこ」「抹茶」「イースト」「粉ミルク」だそうです。

一番、え?と思うのは「あんこ」ですよねえ。
まあ、正確には「こしあん」なんですが、
ちゃんと袋に書いてあります。
「お菓子じゃないんだから・・・」と思いました。でも、
「のりたま」だけではなく、このメーカーのふりかけにはかなりの確率で、
「こしあん」が入っています。

ちゃんと丸美屋食品のFAQのページにも書かれています。
それに結構同じことを感じる人がいるみたいで、
電話で問い合わせた人もいるんですねえ。

でも、これ、ねらったんでしょうねえ。
単に「小豆粉末」って書いたっていいのだろうと思います。
でも、そこで敢えて「こしあん」と書いているんですから・・・。

甘いあんこが入っているかと思うじゃん。
「えー」って思うじゃん。
まんまとはまっているんだよねえ。自分。

でも、何のために入っているのか、
入っているのと入っていないのではどういう風に風味が違うのか、
ナゾです。



それはそうと、「アンパンマン」の中身って、「つぶあん」なんだってね。



ま、どうでもいいけど。


さあ、ここから本題の聖書です。
今日はコリント人への第2の手紙に進んで1章です。

「これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。」(9節)

パウロが自分の経験した苦しみをこのように理解しています。
その苦しみを通して、パウロが経験したのは、自分の力ではどうにもならない、
神様の力を頼るしかない、ということでした。
そして、その神様は「死者をもよみがえらせる神」なのです。
この神様を信頼することができるのです。

私たちは、他に頼ることができるものがあると、どうしても、
それを頼ってしまいます。
人を頼り、お金を頼り、健康を頼り、能力を頼り・・・。

でも、それらが取り去られる時に、
ああ、神様しか頼るモノがないんだということを知る時に、
初めて私たちは真剣に神を求めるのではないでしょうか?

本気で神様を頼る時が来ていると思います。
私個人もそうですし、
教会もそうです。

私たちは神様の力が現われる教会を作り上げていきたい、
いや、神様に作り上げて頂きたいと思います。

私たちの力ではなく、
私たちの知恵ではなく、
そういうものが無にされたところに働く神の力を見たいのです。

主よ、
あなたの御力を見せてください。
あなたの御業を拝させてください。
私は何を頼っているでしょうか?
あなたを頼る者としてください。
教会の中にもその様な空気が充満しますように。

2006-12-03

広い門が開かれている

今日の日曜日、
風邪でお休みの方々も多かったのですが、
それでも、今日もたくさんの方々と礼拝が守れて感謝しました。
今日来られなかった方々にも神様の慰めが届きますように。

明日から日曜日を除く毎日朝6時半から祈り会です。

ですから、出来るだけ11時には休んで、早く起きて、備えたいです。
「起きてすぐ出てきましたー」みたいな感じより、
早く起きて備えたいです。

で、明日の朝の雪ですが、
今朝のスケールで1にダウングレードします。
たぶん、降ってもちらほらでしょう。

子ども達はSnow Dayを期待していましたが、
あり得ません。
ちゃんと、学校あります。

そして、今のところ、しばらく雪の予報もありません。
まあ、突然、「あさって雪」とか言い出すのが、
この季節の予報の難しさを表しているのですが、
そんなもんです。

ここで、がらっと話題を変えますが、
丸美屋の「のりたま」知ってます?
次の中で入っているものは何でしょうか?
NJの教会には、食べたものの中に入っているモノを見事に当ててしまう、
元「○の素」の社員の方がおられますが、
皆さんはどうでしょうか?

砂糖、はちみつ、塩、ゴマ、あんこ、カカオ、抹茶、イースト
片栗粉、鶏肉、卵、昆布、海苔、バナナ、アロエ、粉ミルク

このうち10種類は入っています。

つまりウソが6つ。

答えは明日の夜。
ウチにある、またはミツワの近くに住んでいる、という方は調べてみて下さい。

さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙16章でした。

手紙の最後のパウロの挨拶ですが、
「働きのための広い門が私のために開かれており」という9節の言葉が心に留りました。
神様が私たちの働きのために広い門を開かれている、ということを、
今もこの地にあって歩んでいて、感じます。
それを感謝して受け取って、そこで働きをすることの幸いを感じます。
これも特別なことなのです。

あるところでは迫害もあります。
そしてそこでは、迫害の中で熱い思いを持って主に仕えておられる方々もおられるといいます。
でも、今、迫害もなく、「広い門が開かれている」ということも、またすばらしいことです。(パウロの場合はここに「反対者も多い」と続くのですが・・・)
その開かれた門の広さ、大きさを敏感に感じ取って、
そこに大胆に働いていくことの大切さを思わされます。

もっともっと、開かれている門の大きさにふさわしい働きをさせて頂きたいと思います。

神様、
あなたがこの地にあって、大きく働きのための門を開いていて下さることに心から感謝します。
どうか、その開かれた大きな門から大胆に入っていって、
福音を、あなたの愛を伝える者としてください。
どうか、もっともっと大きく門を開いてください。
それを活用する知恵と、力と、情熱と、働き人を与えて下さい。

今日からアドベント

昨日の夜は11時にメシ喰って、
12時過ぎには寝たので、お腹がめちゃもたれています。
やっぱダメだよねえ、そんなことしちゃ。もうオヤジなんだから。

と情けない話から入っておきながら、
急にシャキッとした話題になりますが、
今日から教会はアドベントに入ります。
アドベントはキリストの誕生を祝うクリスマスを待ち望み、
「私はもう一度来る」と約束されたイエスの「再臨」を待ち望む、
クリスマスまでの4回の日曜日。
今年は24日が日曜日なので、今日から4回の日曜日、
3週間続きます。

教会によっては一年を通して毎朝「早朝祈祷会」を持っています。
(韓国系の教会はアメリカでも朝5時半からやっているんだそうです・・・)
私たちの教会はここ数年、毎年このアドベントの時だけ6時半から、
早朝祈祷会をしています。
今年は5時半にしようかな・・・とちょっと思ったのですが、
やはり6時半にしました。
明日からです。
祈りは教会の原動力。
神様の前に出て一日を始めるとその一日は全く違う一日になります。
教会まで来れない方も、これを機会に朝6時半(もっと早い方も多いでしょうが)、
祈りの時としましょう。

で、お天気ですが、
金曜日は21度Cまで上がりました。
いやあ気持ち悪いくらいでした。
でも、昨日からは冬になって、
今朝はこの冬2番目の-0.9度Cまで下がりました。

明日の朝は、雪が舞っているでしょう。
大したことはありません。
早朝祈祷会に影響はありません。たぶん・・・。

で、昨日の聖書。
昨日はコリント人への第1の手紙の15章でした。
最後の言葉が心に留りました。

「あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」(58節)

どんな労苦も無駄になることはない。
何という慰めでしょうか?何という励ましでしょうか?
昨日の一日の働きも、
今日語られるメッセージも、
人目に触れることのない隠れた働きも、
決して無駄に終わることはない。

ちょっと疲れてしまった時に、
ちょっとした言葉に捕らわれて、
ちょっと襲ってくる不信仰、
それを吹き飛ばすのはやはり御言葉の力だなあと思いました。

決して無駄はない。
そう、私たちがここに生かされていること自体、
ここに人々との出会いが与えられていること自体、
神様にあっては意味のあることなのだ、と思います。
自分にはまだ見えてこないことも、意味があるんだと。

神様、
ありがとうございます。
あなたの守りと支えに感謝します。
御言葉による励ましに感謝します。
今日の一日のひとりひとりの働きを守り祝福して下さい。
あなたにとっては無駄なことは何もないということを、
信頼して歩ませて下さい。