2007-04-14

神の御前での喜び

今日はちょっと暖かくなって15度。

久しぶりに穏やかな天気でした。

でも、明日は大雨です。
天気予報もちょっと「100年に1度の嵐」からはトーンダウンして、
「嵐」くらいになっていますし、ここら辺は雪の心配はほとんどないようですが、
とにかく風は強いようです。
雨も明日の夕方には峠を越えるようですが、
まとまった雨になるようです。

そして、月、火、とぐずつくみたいです。

今日は土曜日、明日に備える日です。
祈りつつ早く休みます。

ですから、早速聖書。

今日は詩篇の21篇を読みました。
「御前の喜びで彼を楽しませてくださいます。」6節の言葉。

「御前の喜び」って何だろうと思いました。
神様と共に歩む喜び、
神様の前に歩む喜び、

自分は本当にそれを喜びとしているだろうかと思います。

そして、その喜びに対するあこがれ、求めがどんどん大きくなってきています。

今までずっと、表面的な楽しさや喜びを「主にある交わり」と勘違いしてきたのかもしれません。クリスチャンのお互いが、「神様」という言葉をスパイスのように使いながら、楽しく過ごしていく、そして、時々、大変なことがあると、祈り合う程度のことが「主にある交わり」だと思ってきたのかもしれません。いえ、それだけじゃないと思ってはいましたし、それだけじゃむなしいことも知っていました。でも、本当に神様の前にいることに喜びを感じるような、そんな経験があっただろうかと、思わされたのです。

何もなくても、何か楽しいことがなくても、ただただ、主と共にあることに喜びを感じて、主とともにいることに喜びを感じて、そこに歩んでいく、そこに感謝をしていく、それが大切なんだろうと思います。

「主を喜ぶ」という言葉が聖書にあります。
「主を喜ぶ」ということを本当に経験したいと思います。

主よ、
他の何ものでもなく、
他の何かをくっつける必要もなく、
あなたと共にいることを、喜びとさせてください。
あなたと共にいることの喜びをもっと経験させてください。

明日の礼拝が、そのような喜びを経験する礼拝となりますように。

神の力を信じて

日付が変わっているので、昨日の話。

昨日も肌寒い一日でした。
どんよりとしていたし、風も強かったので、
本当に寒く感じます。

そして、日曜日から火曜日にかけて嵐です。
Nor'easterと言って、東海岸沖に進んでくる猛烈な低気圧です。

北東風が吹いて嵐が来るから、
昔の人は北東からやってくる嵐だと思っていたようです。
実際は南か南西から来るんですが・・・。

今度の問題はそれがものすごい勢いで発達することと、
発達した後、ニューヨーク沖で丸一日半くらい停滞することです。

これが真冬に来たわけではないことは、不幸中の幸い、と言う感じになると思います。
それでも、天気予報によっては雪が混じる予想もでています。

さてさて、どうなることでしょうか?

昨日の夜は深夜祈祷会でさっき(12時半頃)帰ってきたばかりなのですが、
ちょっとしたハプニングがありました。

パンクとかは何回もあったのですが、
今回は「ガス欠」初体験。

今日の午後、Fort Leeの方から帰ってくる時に、
「ガソリン入れなきゃなあ」と思っていました。
そう、もう「ガソリンありませんランプ」がついたのが、
午前中の集会に行く時だったので、
10マイルくらいは楽勝だと思いながら、
どこかで入れよう、と思いながら走っていました。

でも、すっかり忘れてしまって、夜の集会10分前。
「まあ、あと20マイルくらいは走るだろう」といつもの経験から、
軽く考えていました。
結構いつでもガソリンは警告ランプがついてから20マイルくらい走ってから入れるのが当たり前でしたから・・・。

そして、夜の祈祷会が終わって、
カミさんと二人で帰ってくる途中、
あと次の道を曲がれば100メートルくらいで着く、というところで、
なんだか車がガタガタ言い出したんです。
そして、そのまま、エンジン停止。
「ああ、とうとうやった、ガス欠だ!」
22歳で免許を取ってから22年目にして初めての経験でした。

エンジンが止まると、車は惰性で走っても、
ハンドルは重いし、ブレーキがきかない。
坂道だったので、何とか牧師館までは着きましたが、
ドライブウェーに半分入ったところで完全に停止。

「ガレージに芝刈り機用のガソリンがあったよ確か・・・」と思ったのですが、
あいにく、完全に使い切ったところ。
留守番をしながら待っていた息子と、お預かりしている高校生と3人で押して
やっとドライブウェーに入りました。

いやあ、車って、ガソリンがなくなったら、止まるんですね。
ホントに。
そして、こればっかりは、昔のテレビみたいにたたけば動く、っていうものでもなくて、
何回エンジンをかけ直しても、止まっちゃうんですね。
当たり前と言えば当たり前ですが・・・。

いやあ、それにしても、よく、家まで着いたものです。
途中でガス欠だったら、AAAを頼むか、近くのガソリンスタンドで、
タンクを貸してもらうか、ですからね。
夜の12時半では知り合いに頼むってのも難しく・・・。

経験から学んだ教訓:ガソリンはぎりぎりまでこらえず「減ったかな」くらいで入れること。

私たちはいつも聖霊様によって満たしていただいていくことが大切!
心がガス欠だと止まっちゃうよん。
どんなにアクセル踏んでも、どんなにエンジンかけ直しても、
ダメ。
聖霊様に満たしていただかないとダメです、私たちも・・・。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の20篇を読みました。

7節の言葉
「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。」

自分の才能、能力、実績、性格のよい部分、それも神様が与えてくださったもの、
教会の人数、財力、実績、性格のよい部分、それも神様が与えてくださったもの、

でも、それが私たちの誇りであってはならない。
神様ご自身、神様ご自身こそが私たちの誇り。
私たちの力。私たちの頼るべきもの。

本気で主を信頼して、
本気で主に祈って、
力を与えていただいて、
奇跡を起こしていただいて、
歩んでいきたいと思う。

自分は本気で「主を誇りとする」歩みをしたいと思った。

主よ、
あなたがわたしの誇りです。
あなたがわたしの力です。
どうか、わたしをあなたが支え、
あなたの力によって生かしてください。
他の何ものか、ではなく、
あなたを信頼して歩む者でありますように。

2007-04-12

傲慢から守られますように

今日は朝から雨。
本降りでした。

でも、天気予報キチガイの世界は、
日曜日から月曜日の天気に関心を移しています。

100年に一回のstormが来るかもしれない、と大騒ぎです。
「potentially historic storm」とか、
「a 100-year storm」とか言う言葉が踊っています。

確かに、昨日から、コンピューターモデルが、
こぞって、ニュージャージー沖に日曜日の夜に猛烈な低気圧が進んできて、
そこで火曜日くらいまで停滞する(正確に言うとloopする)とはじき出しています。
ここら辺は雨で、場合によっては雪が混じる、くらいみたいですが、
ペンシルベニアは50-100センチの大雪。
それもしめった雪なので、木が倒れたり、停電したり、かなり被害がでるかもしれません。
また、雨のところでも雨量が多くなり、河川の氾濫の危険があり、
風が強く、波が荒く、海岸線が変わってしまうほど浸食される危険もあります。

くれぐれもご注意を・・・。

ボストンマラソンの日だそうで、
もろに向かい風みたいですね。
大きな被害が出ないように祈りつつ。

今日のJOYJOYキッズクラブ・・・、
昼頃になって「やべえ」と思いました。
昨日の夕方、教会に行ったら、教会のジムで、
アメリカ人のおばちゃんたちがせっせと「蚤の市」の準備中。
「フリーマーケット」ではなくて「ラメージセール」なので、直訳すると
「がらくた市」ですね。

「ああ、どうも・・・いつですか?明日ですか?」
なんて何にも気がつかないで挨拶していた自分。
「あしたじゃなくて、あさってと土曜日よ」なんて、返事をもらっていたわけで・・・。

それを、今日になって、「何やっているんだ、今日はJOYJOYキッズクラブじゃないか?」とあわてても、後の祭り、最悪は、ほかの小さな部屋でやるか、と思っていました。

そして、今日、3時過ぎに教会に着いてみると、
しっかりきれいに並んでいるんですよね。売り物が・・・。
ガラス製品とかは、いくら「ラメージ」と呼ばれていても、やはり「売り物」なわけで、
心配しました。

でも、なんとか場所をつくって、ジムの片隅でキッズクラブをしました。
今日も20人くらいのみんなが集まってくれました。
楽しかったです。

ホント気をつけなければいけませんね。
今回は何とかできましたが、
コミュニケーションがうまくいっていなくて、
私たちが何か大きなことをしているときに、
アメリカ人の方々が「私たちの予定があったのに・・・」と入ってこられたりすると、
大変なことです。

そして、ここを使わせていただいていること、
当たり前のように思ったりしないことが本当に大切だと思いました。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の19篇を読みました。

「あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。」13節。

本当に罪から守られたいと思う。
この傲慢という罪、
他人の中にこれが見えたときには、
本当に恐ろしいと思うし、嫌悪感を感じる。

でも、自分の中にこれがあるときにはなかなか気づかない、気づけない。
だいたい、傲慢なんだから、自分の傲慢さがわかるわけがない。
だから、主に祈るしかないのだろうと思う。
そして、聖霊様はそのことを教えてくださるのだと思う。
「あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください」
これは本当に大切な祈りだと思った。
日々に祈るべき祈りだと思った。

それとともに、今から23年前に、わたしに対して、
「君は本当に傲慢な人間だね」と言ってくださった先生に、
心から感謝したいと思う。

もしも、わたしもそのように言うべき時があるならば、
そのように言うことができる勇気を与えていただきたいと思った。

主よ、
どうか、わたしを守ってください。
傲慢の罪から、わたしを守ってください。
もしも、わたしがそれに捕らわれている時には、
それをわたしに示してください。
聖霊様、その罪をわたしに示してください。

2007-04-11

敵の方が強いから

今日も肌寒い一日でした。
今夜から明日の午前中まで雨です。
ちょっとまとまった雨になりそうです。

それから土日も雨。
雪が混じるかも・・・という予報もでています。
今日の時点で多くのコンピューターモデルが、
ニュージャージー沖に猛烈な低気圧が進んでくる、
という予報を出してきているそうです。
ちょっと心配です。

今日はNYDayだったのですが、
夕方42丁目のタイムズスクエア、
7番街を横切っていました。

42丁目がめちゃくちゃ混んでいて、
一人の婦人警官が7番街から曲がって42丁目に入ろうとする車を規制して、
曲がれないように誘導していました。

そこを無理矢理曲がろうとしたのが、大きなバス。
婦人警官はしきりに「まっすぐ行け」と合図をするのですが、
バスの運ちゃんもなんだかいろいろ叫びながら、強引に曲がろうとします。
でも、そこは婦警さんも譲らずに体を張って、「こっちには曲がれない」と
阻止しようとします。
「あのバスの運ちゃん強引だなあ」と思いながら、見ていましたが、
婦警さんの譲らず、最後はバスの運ちゃんがあきらめて、ハンドルを切り直して、
まっすぐ行きました。

思わず、婦警さんに拍手をしたくなりました。

「ダメなものはダメ」
そう言うことの大切さを最近特に思わされています。

面倒なことを避けるがあまり、
「おかしいなあ」と思うことを許してきた自分の甘さを恥じています。

このケースだと誰が見ても、バスの運ちゃんが「わがまま」で、婦警さんは「しっかりしていた」なんですが、教会の場合はなかなか難しいですよね。牧師がいつも正しいわけではない(それはよくわかります)中で、でも、どう考えてもおかしいことに関しては妥協してはいけない・・・。この婦警さんの強さを持ちたいと思いました。教会を愛し、人々を愛しているが故の強さ、を持ちたいと思いました

今日の聖書。
今日は詩篇の18篇を読みました。

「主は私の強い敵と、私を憎む者とから私を救い出された。彼らは私より強かったから。」17節の言葉です。

敵の方が強い。
なんだか、負けず嫌いの男にとってはなかなか認めたくないことです。
反対に言うと、「自分の方が弱い」ってことですから。

今日読んでいた教会のリーダーシップについての本の中で、
「(ルターが勇敢な人として引き合いに出されて)すべての人が生まれつき勇敢なわけではありません。生まれつきルターよりも気の弱い人もいます。大胆か控えめかにかかわらず、神さまは、リーダーが勇気を持ち、恐れに屈しないようにと召しておられます。恐れは現実生活の一部ですから、神さまは、私たちに聖霊をお与えになり、力を満たしてくださるのです。私たちは、その力を働かせて、恐れないようにしなければなりません。」
という文章に出会いました。

自分は弱くても、
主がおられる。
聖霊様に満たされて、
「力と愛と慎みとの霊」に満たされて、
歩むことができればと思います。

だから、いつもいつも聖霊様に満たされること、
それが大切なことなのだと。
自分の勇気を鼓舞することよりも、
「こうしなければいけない」と考えるよりも、
聖霊様に満たされることを求めることの大切さを思わされます。

主よ、
どうか私に聖霊様を与えてください。
聖霊様に満たしてください。
そして、その力によって、正しいことを正しいと、
ダメなことはダメ、と言うことのできる者とならせてください。

明日のキッズクラブもすばらしいときとなりますように。

2007-04-10

神の御姿に満ち足りる

昨日の前半部分、文字化けしていたそうで・・・。
みなさん、これからもそういうことがあったらお知らせしてください。
私のPCでは何の問題もなく、読めていたので、全然気がつきませんでした。
今度は直っているでしょうか?

今朝も氷点下の朝でしたね。

昼間は10度くらいまでは行きました。
春はまだもう少しお預け。

明日も今日と同じくらい。
朝が0度くらいで、昼間が10度くらい。

夜には雨。
それがなんとみぞれ混じりになると予報がでています。
ざあっと20日くらいまでの予想を見ても、
10度を超える日はぽつぽつ、という感じです。

1ヶ月くらい季節が遅れている感じです。

しょうもない話なんですが、
最近、よく口の中を噛みます。
子供の頃から時々あるのですが、
最近は1食に1回とか2回とか・・・。

ですから、ほっぺたの内側がボロボロになり始めています。
もっとひどいのは、「口の中噛んじゃうんじゃないか恐怖症」
とにかく、食事をしながら、怖くてしょうがありません。
自分のしっぽを食べてしまった蛇の話を聞きますが、
絶対あり得ないと思います。
「気がついたらもうほとんど自分を食べていた、なんてあり得ません。
怖くて怖くて、でも、食べるのは好きなので、食べるんですが、
怖いですねえ。

そして、それを忘れた頃に、またガブッとやってしまいます。

忘れて調子よく食べてしまった自分の不注意に、また情けなくなるわけです。

噛み合わせなのか、太りすぎなのか。

体重はあんまり増えてなくて、
逆に減っているくらい何ですが、
肉はおなかの周りと顔につきまくっているようで・・・。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の第17篇。

「目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。」15節の言葉です。

この前には、人々が豊かな生活をしている様子、
子供たちに財産を遺してあげている様子が書かれています。

しかし、この詩人にはそんなことはできなかった、
貶められ、攻撃を受け、
「神を避け所とする」生活をしていた。

だから、周りの人々のように、
また自分の敵のように、子供たちに遺すものは何もなかった。
財産といえるようなものは何もなかった。

でも、天国で目ざめるときに、
そこで、主の御姿を見る、それだけで十分、とこの詩人は言うのです。

自分の目はどこに焦点が当たっているだろうかと思います。
主に焦点が当たっているだろうかと思います。
ほかのものではなくて、
ただ、主に焦点を当てて、主を見上げて、
主にお会いする日を楽しみにして、
歩んでいく者でありたいと思います。

主よ、
あなたとお会いする時を楽しみにしています。
あなたの御姿を見るのを、そしてそれで満足することを楽しみにしています。
でも、もう一つ、楽しみにさせてください。
この地上で共に歩んだ、愛する仲間たちと、
あなたのもとで、再会することを。
信仰の先輩たちと、お会いすることを。

2007-04-09

主がわたしの受ける分

今日は昨日よりはちょっと暖かかったですが、
まだまだ春にはなりません。
レンギョウの花はずいぶん咲いてきましたが、
たとえばチューリップはこの1週間、つぼみが同じ大きさです。

最低は-2度くらい。
最高は9度くらい。
明日も同じようなもんでしょう。
なかなか出口が見えません。

今日は朝から、半年ぶりの歯のチェックアップ。
虫歯はなかったのですが、
なんと、強く歯磨きをしすぎるのか、
歯が減ってきてしまっているそうです。
確かに、歯茎と歯の境目くらいに、
溝ができているのを感じます。
歯医者も、日本にいるときは一回行って1000円とか、少ないときは100円とか、だったよなあ、と思いますねえ。チェックアップしないで虫歯になったら、もっと大変なんですが、チェックアップも決して安くはないし、一生懸命歯磨きしてても、「磨きすぎ」でまた治療しなければいけないなんて、困ったもんです。

虫歯になっちゃいかんと、ちょっと気合いを入れて磨きすぎたのでしょうか?
15年くらい前、まだ日本にいるときに、歯医者さんで、
歯と歯茎の間をターゲットにして45度の角度で歯ブラシを当てて、
細かく磨く、と聞いたので、忠実にそれを守り続けているのですが、
まあ、ちょっとやりすぎたのかも・・・。

あと、「かため」の歯ブラシはダメだそうで、
「やわらかめ」にしてくださいね~、とスティーブン先生に優しく言われてしまいました。
でも、早速くださった「やわからめ」の歯ブラシ使ってみましたが、
なんかやっぱり物足りないですねえ。歯を磨いた気がしないってゆーか。
やはり習慣というのは恐ろしい・・・。

あと、夕方から、コンピューターの大掃除。
っていうか、あまりにデータがたまりすぎたのと、いろんなソフトを入れたり捨てたりして、
不安定になって、ちょっとエラーメッセージが多くなってきたので、
工場出荷状態に戻して、必要なものだけを入れて何とか快適な状態を保とうとしています。
「出荷状態に戻す」のも最近のコンピューターは便利にできていて、ボタンを何回か押すだけです。
こんなことをするのは何年ぶりかで、この簡単さにはびっくりです。
とても気持ちのいい状態です。

仕事部屋の方も、それをやらなければいけないのですが・・・。


さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の16篇を読みました。

「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」この2節の言葉は長女の名前の由来となった言葉。いつも心に響く言葉です。

でも、今日はもう一つ。
5節の、「主は私のゆずりの地所、また私の杯です。」

ほかのなにものでもなく、
財産ではなく、
主ご自身が私の神様からいただいた最高のもの。
そう、ほかには何もなかったとしても、
この方をいただいて、神様ご自身をいただいて、
歩めることは何という幸いかと思います。

私の財産は何よりもこの信仰であり、
神様ご自身です。

ほかのものに目が奪われたり、
経済的なものに魅力を感じたり、
表面的な成功(教会の人数とか)に
心が奪われたりしないで、
確かに、主ご自身と共に歩めることを喜びとしていく者でありたいと、
そう思います。

主よ、
あなたが私のゆずりの地所であってくださること、
ほかのものではなくて、あなた自身を私に与えてくださっていることを、
心から感謝します。
どうか私の心がぶれることがありませんように。
いつもいつもあなたを見つめて歩む者とならせてください。


2007-04-08

心の真実を語る人

今日も寒い朝でした。
-2度くらいまで下がりました。
そして昼間も5度止まり。

何だか冬です。
ただ、ちゃんと日が長く、朝も夕方も明るいのは全然気分が違います。

早く暖かくなって欲しいものです。
明日は10度くらいまでは上がるみたいですよ。
朝は氷点下でしょうが・・・。

今日はイースター。
礼拝には、中高生以上で90名を超える方々が来られました。
礼拝後の愛餐会もとても良かったです。
たくさんの方々が来られたこと、お一人一人に感謝。

また、今日は特に、深川二中出身の方がおられたのもうれしかったです。
ちなみに私は深川三中。
(以前、深川六中出身という方も教会にはおられましたが・・・)
私は木場三丁目、彼は冬木。
超ローカルな話ですが、5分圏内です。
学年も一年違い。
でも、小学校も中学校も違うので、
「共通の友人がいる」というところまでは行きませんでしたが・・・。

そうそう、
どこかで書いたかもしれませんが、
NJで、集会に来られていた奥様のご主人が、
高校の同級生、というのがありました。
それも、たまたま、クリスマスカードを頂いて、
ご家族一緒の写真がついていて、
「ああ、こういうご主人なんだあ」と思っておったところに、
たまたま、高校時代の卒業写真集を、息子が宿題のネタか何かに使って、
そこら辺に出しっぱなしにしていたのを見ている時に、
「あー、この顔、この名前、つい、この間見たばっかり・・・」と気がついたわけです。

世界は狭いというか、そういうことがあるもんですねえ、というか、
でも、やはり、一つ一つの出会いが神様から与えられている、ということなんでしょうね。

感謝。

今日の一つ一つの出会いに感謝。

今日の聖書。
今日は詩篇の15篇。

「心の中の真実を語る人」2節。

これは、神様と共に歩む人はどんな人でしょうか、という問いに対する一つの答え。

「心にあることを語る」
何でも思ったことを口にする、ということではないと思いますが、
でも、礼儀を守った上で、ちゃんと言うべきことを言う、
そして、ごまかさない。
そのような態度だと思います。

元々、言うべきことが言えないで苦労した子供時代がありました。
それでいて、外交辞令も言えないで、苦労している部分もあります。

自分の弱さは弱さとして認めた上で、
でも、本当に真実に歩む者でありたいと思います。
勇気を持って語るべきことを語る者でありたいと思います。

そして、すべての言葉が、「恐れ」ではなくて、
「愛」を土台とした、言葉となるようにと願います。
牧師は「霊的なリーダー」であると言います。
「恐れ」に支配されている人は、周りの人も「恐れ」で支配しようとします。
あのイエスが誕生した時代にエルサレムやベツレヘムを支配していたヘロデ大王はその典型です。彼が人々を恐れさせて支配したのは、彼自身が恐れに支配されていた人だったからです。
「愛」に支配されて、愛で人々共に歩んでいく「霊的なリーダー」となることができるようにと願います。そこには愛ゆえの「厳しさ」も必要だと思わされています。

主よ、
どうか、私が真実にものを言う者となることができますように。
単に自分の思ったことを何でも口にする、という意味ではなくて、愛を持って真実に語ることができますように。人の言葉に耳を傾ける広さと、はっきりと語る強さを与えて下さい。