2008-07-26

徳を高める言葉。

今日は昨日よりも一段階蒸し暑くなりました。
気温も33度くらいまで上がって、
湿度も上がって、
何よりも夜の気温が高いです。

10時半で、25.4度でした。
明日はもっと蒸し暑くなって、
雷雨もあるでしょう。

あと1週間くらいはこんな感じのようですね。
毎年JOYJOYキャンプの頃になると、
ちょっと暑さも和らぐのですが、
今年はどうでしょうか?
あと2週間!
涼しくなってほしいものです。

今日は早速聖書。
今日はコリント人への第一の手紙14章1-12節。

ところが預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。」3節。

自分に預言の賜物があるとは思わない。
でも、人の徳を高め、勧めをなし、慰めを与える働きの大切さは
今日、本当に強く教えられた。
いったい、自分はどれだけその働きをしているだろうか。

自分はどれだけ人のひとりひとりとお話をするときに、
徳を高める話をしているだろうか。
勧めをしているだろうか、
慰めを与えているだろうか。

そのような働きをさせてくださいと、
この方に対しても、
この方に対しても、
そのような働きをさせてくださいと祈らされました。

自分のことではなく、
人の徳を高めるような、
働きをさせて頂きたいと思います。

主よ、
どうか、あなたの言葉を与えてください。
人の徳を高め、
勧めをなし、
慰めを与えるような、
働きをする者とならせてください。
今日も言葉を与えてください。
また明日の礼拝を祝福し、
心からの礼拝をささげることができますように。

2008-07-25

賛美で勝つ!

今日は朝は18度くらいまで下がり、
とても気持ちのいい朝でした。
昼間も気温は30度を超えましたが、
過ごしやすく、気持ちのいい一日でした。


今夜も過ごしやすいです。
10時20分頃で22度。
明日も20度切りますね。


明日までは晴れますが、
日曜日はまた雷雨がありそうです。
今年の夏は日曜日の雷雨多すぎ。

さて、今日もYankeesは宿敵を破り7連勝で気分がいいですが、
野球観戦は7回からで、その前は、教会でメンバーのための学び会。
今は、旧約聖書を書巻ごとに学んでいます。


今回は歴代志。


歴代志ってあんまり読まないですよねえ。
通読では読みますけど、最初の10章くらいは読み飛ばします。
トピック的にも教会学校とかで取り上げるものは少ないです。


でも、今回学んで、私はとてもいい学びになりました。
王たちが戦いを前にして、何よりも神の前に出ることを大切にしたこと、
そのときに、自分が戦いに出なくても、
神様が戦ってくださって、勝利を与えられたこと。

特に下の20章に出てくるヨシャパテという王様が、
賛美をしながら、前進していったときに、
敵が勝手に同士討ちをして勝利を与えられてしまったというところ。
自分の力で戦おうとするのではなくて、
自分は神様を礼拝し、神様を第一としていくときに、
勝利は向こうから与えられる、ということ、
本当に自分はそのように戦いたいと思います。



自分にとっても本当に大切なことだと思いました。
ただただ、真実に主に仕え、主の前に出て、
主の勝利を見せて頂きたいと思いました。


さて、今日の聖書は、コリント第一の手紙の13章。


「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」4-7節。


愛の賛歌と呼ばれるところです。
ここを読みながら、自分はいったい、人を愛したことはあるのだろうかと思いました。
うーん、そういう言い方をすると、なんか恋愛のことを言っているように聞こえてしまうかな。
そうじゃなくて、人として愛を持っているだろうかと。


ここに出てくるような意味で、
自分は愛を持って人に接しているだろうかと。
ひとりひとりを愛しているだろうかと。


ですから、今日は愛することを教えてください、
愛させてください、と祈りました。
教会のひとりひとり、心に浮かぶひとりひとりを覚えながら、
このひとりひとりを愛することをさせてください、と。


待っているのではなく、
攻めていく愛・・・これも恋愛みたいに聞こえちゃうでしょうか、
そうじゃなくて、でも、待っているのではなく、
こちらから進んで近づいていく愛、
それを持たせてください、と祈りました。


主よ、
あなたの愛に感謝します。
自分の中に愛がないことを思います。
どうか、あなたの愛を注ぎ続けてください。
そして、愛することを一つ一つ経験していくことができますように。

2008-07-24

信頼。

今日は朝は雨でしたが、
予想されていたよりも早く上がって、
いい天気となりました。


そして、気温も割合低く、過ごしやすい夜になっています。


今は10時20分ですが、21度!
このところの蒸し暑さを考えると、

ちょっと信じられないくらい、涼しいですね。


ある方が犬を2匹飼っていて、
そのうちの一匹は由緒正しい、
ペットショップで手に入れた犬で、こちらをAくんとしましょう。


もう一匹は虐待されて保護されて、
譲り受けてきた犬。こちらはBくん。


私は雄か雌かも存じ上げませんが、まあ、AくんとBくん。


Bくんは結構人間不信で、
なかなかなつかなかったそうです。
今でも時々言うことを聞かなかったりする。


Aくんは本当に「育ちがいい」って感じだそうです。


で、時々、飼い主さんがわざと隠れて、見ていると、
Bくんはあわてて、飼い主さんを捜し回るそうです。
ところが、Aくんは、「どうせそこら辺にいるだろう」と、
のんびり構えているそうです。


Aくんもかわいいけれども、
本当にいとおしい、と思うのはBくんだそうで。
でも、本当に2匹とも愛しておられるのが、
お話ししていても伝わってきます。


で、その話を伺ったときに思わされたのですが、
これって、人間と神様との関係についても言えるんじゃないかって。


私はAくん型かな。
神様が見えなくなっても、
「大丈夫、確かにいてくださっているから」
とのんきに構えている。
時には問題も見えていなくて、
「君は何にもわかっていない」と言われたりする。



でも、Bくん型の方もおられる。
「神様が見えない!」「信じられない!」って、
本当に悩まれて、苦しまれる。


でも、神様の方からすると、
どっちも大切な存在だし、
どっちも愛しておられる。

それが一番信頼していいこと。

神様が私たちに「信頼しろよ」と言われるポイントだと思う。


さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙12章12-31節。

「あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。」31節。

教会は一つなんだけど、多様性があって、
多様性があるんだけど、一つなんだ。

それを認めることが大切なんだ、
でも、それと共に自分がもっと優れた賜物を与えられるように、
祈ることへと招かれていると思いました。


私も与えられたいと思っている賜物があります。
人を励ます賜物、コミュニケーションの賜物、そして、癒しの賜物。

求めていいんだ、求め続けていいのだ、と思いました。
熱心に求めて、主が与えてくださることを期待して、
求めていいんだと思いました。

具体的に、「この賜物を与えてください」と祈り、
熱心にそれを求めようと思いました。

主よ、
あなたの賜物を求めます。
私によりすぐれた賜物を与えてください。
もしも自分が気がついていない、
すでに与えてくださっている賜物があるならば、
それを教えてください。
そして、それをあなたのために、また人々のために、
用いることができますように

 





2008-07-23

大雨だあ。

今日はホントに暑さは一服でしたね。
でも、雨がすごい。
朝起きたら、土砂降り。
でも、NYに行く頃にはあがって、昼間は大丈夫でした。

そして、また夜10時過ぎに帰ってきたら、土砂降り。
それから夜は雷がすごい。
なんだか、絶え間なく稲光がひらめいていました。

これから明日まで、ずっと雨のようです。
100ミリを超す大雨になりそうです。

今日はひとりの方がイエス様を心に受け入れるお祈りをしました。
ハレルヤ! 
生まれたばかりの神の子の命が成長していきますように。

神様がこれからもその方の心に語り続けてくださいますように。


さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙の12章1-11節。

「しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。」7節。

聖霊様は私たちがイエスを信じるときに
そこにいてくださる。
クリスチャンとしてのスタートのところから共にいてくださる。
そして、その歩みの中で、私たちに賜物を与えてくださる。
それはいろいろな賜物がある。
でも、それはあくまでも「みなの益となるため」。

どこまでもみんなのためなんだ。

そんなことを思いながら、
じゃあ、自分の賜物は何だろうかと思った。
「何にもない」というのが一番簡単。
考えなくてもいいし、責任も負わなくていい。

でも、それは「一タラントを土の中に埋めておいた僕」と同じだ。

だいたい、神様からいただいているものを「何にもない」なんてひどい。

だったら、自分の賜物は何だろうか?
いろいろ思わされた。

人の賜物はわかるもの。
ああ、この人はこんな賜物があるんだなあと。
でも、自分のはホントに難しい。

でも、ちゃんと受け止めて、
「あなたの賜物は何ですか?」と聞かれたときに、
すぐに答えられるほどに、自分の賜物を知って、
それを用いていきたい。

主よ、
あなたが私に与えてくださっている賜物の故に感謝します。
どうか、私がそれを用いることができますように。
あなたのために、また皆の益のために、それを用いることができますように。

2008-07-22

暑さ一服か?

今日も暑くなりました。
でも、朝のうち雲が多かったせいもあって、
昨日までほどではなかったと思います。
今、夜の11時過ぎですが、外はもう25度を切っています。


今日は雨が降るかと期待していたのですが、
午前中にぱらぱら程度。

明日はもうちょっと雷雨の可能性が高くなるようです。

暑さも一段落となってくれるのでは・・・。

日本の「チーム森田の天気で斬る」に、
日本では毎年200-400人が熱中症で亡くなっているとありました。


これって大変なことですね。
ハジとか、毎日のように暑い中、サッカーの練習をしていますが、
ほんと、大丈夫なんだろうかと思います。
高校球児なんかも、考えてみたら、命がけですよね。


今年も母校は1回しか勝てなくて、
早々と姿を消しましたが、
(あ、去年は2回勝ちました!)

まあ、半分の高校が1回も勝てないわけですから、
まあ、良しとしなければいけないのでしょうか。


東東京の優勝候補の筆頭だった帝京も一回しか勝てなくて、敗退。


厳しい世界です・・・。


暑さの中ですが、皆さんが守られますように。


さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙11章17-34節。

「わたしを覚えて、これを行いなさい。」25節。


今日の聖書箇所は「聖餐式」を定めた言葉が書かれているところです。
よく読むところと言うか、聖餐式の時にはほとんど必ず読むところなのですが、
今日は特にそのコンテキスト、
つまり、この聖餐を定めた言葉が、「教会内の分派」の問題を扱っているところに、
出てくることの意味を考えさせられました。

そして、その聖餐がどこまでも、
イエスの死、つまり十字架の福音を伝えるものであったことを思うときに、
教会の一致はどこまで行っても、
この福音における一致、
このイエスの十字架以外に救いはない、
このイエスの十字架こそが救いなのだ、
という福音の根本にしっかり立っていくことが、
一致のためには大切なんだと思わされました。

どこまでも福音に深く深く根ざし、
福音に感謝して、
歩んでいきたいと思いました。


主よ、
あなたの与えてくださった福音の故に感謝します。
そこに根ざしていくことによる一致。
それを主よ、あなたが与えてください。
そこをいい加減にした一致ではなく、
そこに徹底した一致を与えてください。

2008-07-21

男と女。

今日は少しは過ごしやすくなるかなあ、というのが
昨日の夜の期待でした。

今朝、起きたときは、22度。
「お、いけるかな」と思ったのですが、
教会に行く車の中で聞く天気予報は、「今日も暑い」。

結局・・・

プロの天気予報が当りました。

でも、昨日みたいに37度とかは行かないで、
33度くらい。
そして、夜も割合早く27度まで下がりました。
でも、その後停滞。
今、夜の11時半ですが、26.1度。


明日もう一日暑いみたいです。

今朝は教会の鍵を忘れました。
ですから、車を駐車場に停めて、
車の中で祈りの一時。

これもよかったですねえ。

見ているといろんな鳥がえさをついばんでいます。

雀が一生懸命えさを食べていました。
しばらく、見とれていたのですが、
どこからともなく、一回り大きな、
尾の長い小鳥が飛んできて、一緒にえさを食べていました。


いつまで、一緒にできるのかなあ、喧嘩しないのかなあ、
と思って見ていたのですが、
しばらくすると案の定、後からきた尾の長い鳥が、
雀を威嚇してきます。
雀はひるみながらも、えさを食べます。
雀の方はどんなに脅かされても、
ひるむことはひるむんですが、反撃もしないで、
ただ、ただ、えさを食べようとするのです。
ところが攻撃を仕掛けてきた方は、
食べるのを止めて、ただ雀を追い払うことに一生懸命になります。


そして、雀があきらめて、その場を離れても、
しばらく、周りを伺って、自分のなわばりを犯す鳥がいないか、
そっちの方に一生懸命になっていました。


なんだか、人間みたい・・・。

今朝、日本の方と電話でお話ししたのですが、
ベーさんが来られる7月29日の横浜での「ラブソナタ」、
もう会場はあふれてしまっているそうです。


ルカによる福音書の5章1節の言葉を思い出しました。
「さて、群衆が神の言葉を聞こうとして押し寄せてきたとき・・・」


すばらしい集まりになりますように。


今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙11:2-16でした。

「 主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。女が男をもとにして造られたように、同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から発しています。」11-12節。


なるほど、と思いました。
確かに私たちは女から生まれたわけですよね。
子供の頃は、男は父親から生まれると思っていました。
でも、ホントはそういうことはなくて、男も女もみんな女から生まれた。


だから、神様が女を男から作ったということでバランスが取れている。


そんな中で、神の創造の秩序の中での男と女ということについて、
いろんなことを思わされました。


男性のあばら骨から造られた女性。
「これこそ私の骨の骨、肉の肉」とアダムはエバを呼びましたが、
私もそのような思いで妻を見ているだろうかと、
そのように愛し、仕え、尊敬し、守り、導き、尊んでいるだろうかと、
思わされました。


そして、夫としてのリーダーシップを身につけているだろうかということも・・・。


祝福を祈りました。


神様、
あなたの創造のご計画の中に生きる者としてください。
本来いるべきところにいることができますように。
どうか、私たち夫婦を祝福してください。
教会に連なる一つ一つの夫婦を祝福してください。
伴侶が与えられるように祈っているひとりひとりも、
今、祝福してください。

2008-07-20

雷雨よ来い!

今日は暑かったです。
午後、我が家でJOYJOYキャンプの作戦会議があったので、
よけい暑く感じました。

でも、ホントに暑くて、
昼間の最高が37度くらい。
今10時40分ですが、
30度あります。


こんな日は雷雨がざっと降って、
暑さを和らげてほしいものです。


で、8時半にレーダーを見ると、
おおお、いいじゃないですか。
赤い太い線がペンシルベニアからニュージャージーに向かって動いています。


これが9時30分


 
近づいてきました。
でも、ニュージャージーの一番北の方でちょっと弱くなっているのが気になります。
で、10時30分。
 
さあ、外は雨が降っているだろうと出てみるのですが、
全く降っていません。
こういうときは上空ではちょっと雨が降っていても、
途中で蒸発してしまう、ということのようです。
 
強い雷雨はすっかり南の方に行ってしまったようです。


これでは涼しくなる、ということはあり得ません。


・・・とここまで書いて、外を見たら、やっと雨が降ってきたようです。
10時50分には気温も29度に下がりましたから、
10分で1度下がったことになります。


明日はちょっとだけ、暑さが和らぐようです。

32度くらい。


勘弁してほしいです・・・。


昨日書いた、ベーさんのこと。
輪嶋さんの言葉で、
2年以上舞台に立たなかったべーさんですが、いまでも歌手としての根幹は、やせるどころか、更に太く、大きくなっている、私は、彼の声の向こうに聞こえて くる何かに、心からそう思わされました。だとすると、この病気は、べーさんにとって、大きな困難ではあったけれど、不幸ではなかった・・・、人間の精神 に、一種の奇跡を見た気がしました。ひょっとして、私の人生の中で最も純粋で美しい音楽の一つを聴いた瞬間だったのかもしれません。歌い手として、人間と しての彼の姿を通して、私はお金で買うことのできない、尊いものを再び彼からもらったのだと思います。」Link
というのがあります。 

それを読みながら、
またテレビでその言葉を聞きながら、
自分はどうだろうかと思いました。

自分の根幹に、根っこに、
人の心に届くものがあるだろうか。
表現のしかたはいろいろあるだろう。
でも、自分の内側に太いものがなければ、
どんなに表現方法を磨いても、
むなしいのではないだろうかと思います。

そして、水曜日、一日そんなことを考えていました。
自分の中の「これがある」というものがあるだろうか。

そして、行き着いた聖書の言葉がこれでした。

「 神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」コリント第2の手紙4章6-7節。


私は気の利いた話ができない人間だなあといつも思います。
「いつも十字架の話ばかりで、その先がない」ということを耳にしても、平安でいられるほど人間はできていません。心理学や哲学を駆使した説教や、深い人間理解に根ざした暖かな説教を聞くと、「すげえなあ」と思い、マネをしたくなります。
でも、悔しいけれども、自分の中には、それしかないのです。
自分は土の器でしかない。
でも、私のうちにはキリストの救いという宝物がある。
イエスの十字架の福音という宝物がある。
それだけでいいんだなあと。

今日で、ニュージャージー日本語キリスト教会の牧師として就任してちょうど11年。
これからもやっぱりこの福音に立って、歩んでいこうと思わされています。


さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙10章23節-11章1節。


「だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。」10章24節。

今日は幸いな祈りの時を持ちました。

主に起こされて、4時半頃に起きました。
そしていつもよりも早めに教会に行って祈りました。

聖書を読んでいる中で、
この言葉が与えられました。
そして、
自分は自分をわかってもらいたいと思う以上に
人のことをわかりたいと思っているだろうか。
問われました。

そして、教会に連なるひとりひとりの名前を挙げて、
ひとりひとりのために、その家族のために、
その課題のために祈りました。
もっとお一人ひとりのことをわからせてください、と祈りました。


先日書いたように、私の祈りの時は時々、
ただ神様と共に時間を過ごす、というQuality Timeです。
他人から見たら、「ただ、ぼーっとしているだけじゃないの?」と言われてしまうかもしれません。それでもいいと思っています。



でも、今日はたくさん言葉を交わしました。
言葉にして祈っている中で、自分の心の思いが深められていくように感じました。


愛を与えて頂きたいと思いました。
人の利益を求めることが負担になるのではない、喜びとなる愛を私の内側に与えて頂きたいと思いました。



主よ、
どうかわたしが、
このみことば通り歩めますように。
自分の利益を求めないで、
人々の利益を求める生き方ができますように。
それが我慢や無理や恐れでするのではなくて、
心からの愛で、わかってもらうよりも、
わかることを求める者とならせてください。



こうやって書いているうちに雨はすっかり上がりました。
夜の11時半ですが、気温は25.6度です。
雨の50分で4.4度も下がりました。
明日は今日よりもずっと過ごしやすくなってくれるような、
そんな期待が高まってきました。